インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》 作:ひわたり
零は考える。
果たしてヒカリの仲を周りに公言すべきかと。
自分の特殊な立場を、零は幼い頃から重々理解していた。彼女が出来ましたの一言で、大袈裟に言えば世界が揺らぐ事も承知である。あまり疑いたくはないが、クラスの仲には零を取り入れようと動いている者もいるかもしれない。
そうなった時、ヒカリに危険はないのか。懸念はそれだけである。
ヒカリが周りに知らせようとしたのを阻止したのも、その意味が含まれる。
既に時は放課後で、周りの生徒も部活や遊びに行ったりで殆どいない。窓際や教卓の前で数人が歓談しているくらいだ。
椅子に座ったまま悩む零に、上から声が降ってきた。
「やぁ、零くん。難しい顔をしているね」
3年の生徒会長が覗き込むように顔を出した。青い髪を肩まで伸ばし、女性らしいプロポーションを持つ。千冬とはまた違ったサバサバした性格を持つ彼女は、IS学園の中でも有名であり人気者だ。
「どうも、生徒会長」
「気軽に更識と呼んでくれても構わないのだよ?何なら下の名前でも良い。君と私の仲じゃないか」
「いや、それはちょっと……」
生徒会長は断る零に身を寄せ、ボソリと呟く。
「彼女が出来たからか?」
生徒会長の言葉に、零は一切の動揺を見せずに返した。
「何の話ですか?」
ヒカリの前ではタジタジの零も、他の者が相手な不意を突かれても冷静に対処する。反応一つで立場が有利不利になるのを知っているからだ。特に、情報という価値と手札を簡単に晒すわけにはいかない。
「ヒカリくんだろ?学園のセキュリティは私も監視できるからな、あの様子を見てれば分かるさ」
「…………」
……ブラフか、それとも本当にバレているのか。
「ハートマークだったり、膝枕だったり、実にいじらしいじゃないか。女の私でも可愛らしく思えたよ」
……バレてるようだ。
「……それで、それをネタにどうしようと?」
生徒会長は身を離して肩を竦めた。
「別にどうしようともしないさ。友人の祝い事だ、祝言の一つでも贈りたい所だが、果たして私の立場でそれを送って良いのか悩み所でね」
……それは暗部である彼女の立場からすれば厄介事だからか。生徒会長だから不純異性交遊を認められないからか。
「どっちもだよ」
「心を読まないでくださいよ」
「君の警戒は分かり易いからな。もう少し自然体でいると良い」
クスクスと笑う仕草は可愛らしいが、立ち振る舞いは実に格好良い。
「それを忠告しに来たんですか?」
「君が他の女に現を抜かしているのに嫉妬した、と言ったらどうするね?」
「どうもしませんよ」
零は普段通りに、そう答えた。
ほう、と生徒会長が面白そうに聞く。
「私は魅力的ではないのかな?」
「生徒会長は充分に魅力的ですよ。他の男なら引く手数多でしょう。ただ、俺の心に響かないというだけです」
「なかなかハッキリ言うじゃないか。私だって女性のプライドはあるんだぞ?」
「俺がヒカリ以外の女性に興味がないだけです」
キッパリ言い切る零の肩を生徒会長は軽く叩いた。
「うん、良い覚悟だ。それなら大丈夫だろう」
「試したんですか?それとも興味本位ですか?」
「さあ、どうだろうね」
零はIS学園に入ってから、暗部である生徒会長に何かと世話になった。その為、彼女とは付き合いも長い。性格故に、女性というよりは男友達のような感覚だ。女性自身を罠としたハニートラップでない人なのも確定しているので、零としては安心して接する事が出来る数少ない友人だった。ただ、このように掴み所がないのが難点であるが。
「ところで、悠長に歓談していて良いのかな?後ろにいる愛しの姫君が、怨嗟の篭った瞳で此方を睨んでいるぞ」
零が振り返ると、開いたドアから体を半分だけ出しているヒカリが見えた。
「うお、ヒカリ!」
「おお、私とは随分違う反応だ」
揶揄う生徒会長を一睨みした後、ジト目で此方を見ているヒカリに声を掛ける。
「……こっち来れば?」
ジト目のまま零の方へ歩いて来たヒカリは、座っている零の膝の上に腰掛けた。
「ちょ、ヒカリ!?」
色々と危ない姿勢に零が焦る。ヒカリは淡々と聞いた。
「何ですか、対面座りがご希望ですか?」
「それはやめて!」
……それは男として色々と危ない!
脚に乗っているヒカリの柔らかさと温もり、そして髪から香る彼女の香り。細い肩とか、チラッと見えるうなじとか、既に零の理性が全力で攻撃されていた。
「仕方ないですね、このままで妥協してあげますよ」
「ありがとうございます……?」
……あれ、これヒカリに嵌められてない?
「ふふふ、見せつけてくれるじゃないか」
生徒会長の前だったことを思い出し、ハッと顔を上げる。そもそも、教室にはまだ生徒も残っているのだ。
どうしようと焦る零に、生徒会長は微笑みを浮かべながら言った。
「ちなみに、最初の君の悩みは無意味だと伝えておこう」
「……?どういうことです?」
「ヒカリくんが零くんと付き合ってることを、既に暴露してしまったからさ」
「は!?」
零が思わず膝上のヒカリを覗き込む。ヒカリはサッと反対側に顔を逸らした。反対側に顔を向ければ、また逆方向へ逃げられた。
だが、赤く染まっている耳までは誤魔化せない。
「いえ、その、暴露というか、友達に聞かれたので、つい付き合ってると答えてしまったのです。そしたら、爆発的に広がったというか何というか……。正直予想外でした」
「そりゃ広がるだろうよ……」
学園に一人しかいない男子生徒なのだ。それが誰かと付き合ったとなれば、噂にならない筈がない。
「別に狙ったわけではないのですが、本当に申し訳ありません……」
「やっちゃったものは仕方ないけど、珍しいミスだな」
……普段のヒカリなら、こんな凡ミス犯さないだろうに。
不思議がる零に、生徒会長は呆れたように苦笑いしながら言った。
「浮かれていたんだろう。まったく、可愛いものだ」
「煩いです生徒会長」
ヒカリが頬を膨らませて抗議した。だが、彼女の言葉を否定する事はなかった。
「はいはい。じゃあ、邪魔者は退散しますよ。零くん、心配事は多いかもしれないが、私も含め君の味方は多い。フォローするから心配するな」
「ありがとうございます」
「お礼なら、また身体で払ってもらおうかな?」
「……零くん?」
ヒカリの目からハイライトが消える。
「違うよ!生徒会の肉体労働を手伝っただけだから!やましい事は一切ないから!」
ゴゴゴゴと威圧感を出すヒカリに、零は全力で弁明した。
「あははは」
「生徒会長も揶揄わないでください!」
「いやあ、君達は実に弄りがいがあるからな。それは無理だ」
「まさかの拒否!?」
「精々、青春を謳歌したまえ。ヒカリくんと一緒にな」
生徒会長は颯爽と去って行った。
「……相変わらず、美人なのに男らしい方ですね」
生徒会長の背中を見送ったヒカリはポツリと呟いた。
「まあなあ。仕事も出来るし、助けて貰ってるし、頭が上がらないよ。たまにやる生徒会の手伝いでしか恩を返せてないけど」
「……助けて貰う、手伝う、生徒会、密室…………」
「単語だけ上げて変に意味深にするな」
ペシリとヒカリの頭を軽く叩く。
残っている生徒も、先程から此方に目を向けはするが、気にしてる様子もない。寧ろ、たった今気を遣ったのか全員出て行った。
教室に残ったのは零とヒカリだけになる。
しかし、今日1日を通して零の所に質問に来た生徒もいなかった。噂が既に蔓延して、即座に鎮圧されたという事だろうか。
フォローする、という生徒会長の言葉を思い出す。もしかしたら、既に大きな借りを作ってしまったのかもしれない。
「…………」
零が黙ったまま考え込んでいると、ヒカリが胸に顔を当ててスリスリとしてきた。妙なむず痒さが身体に走る。
「あの、何してんの?」
「構って欲しいだけです」
確かに、ヒカリが側にいるのに黙り込んでしまったのは反省点である。
「……お前ってこんなに甘えん坊だったっけか?」
ヒカリからこんなアプローチをされた事ない零は少しだけ戸惑った。ピタリと、ヒカリの動きが止まる。
「……こんな私は嫌ですか?」
「嫌なわけはない。ただ、どうしたのかと思っただけだ」
ヒカリは座ったまま零に振り返った。大きな赤い瞳が零を映し出す。心まで見透かされそうな綺麗な眼に、零は吸い込まれそうにな感覚を覚えた。
「ずっと我慢してきたんです」
ヒカリの唇から言葉が紡がれる。
「生徒会長の言う通り、私は浮かれているのでしょう。そして、私はそれを押さえきれない。貴方への気持ちが抑えられない」
ヒカリの手が零の頬に添えられた。
「好きですよ、零くん。本当に大好きです。何度だって言いたくなるくらい、愛しています」
真っ直ぐに伝えられる愛情。告白の場面で言われた時は夢中だったが、こうして日常の中で言われるのはなかなかクルものがある。
「……凄い恥ずかしいんだけど」
頬を染めて目を反らす零に、ヒカリは人差し指で零の頬を突きながら言った。
「人を愛する事は恥ずべき事ではないと、お父さんは言っていましたよ」
「……やっぱり格好良いな、白さん」
「私のお父さんですからね!」
鼻息荒く父親を語るヒカリに、零は軽く嫉妬した。彼女の父親に嫉妬するのも変な話だと毎回思うのだが、してしまったものは仕方ない。
「なぁ、ヒカリ」
「はい?」
零のトーンが若干変わった事に小首を傾げる。
体をくっつけて、膝の上に乗って、あまりにも無防備で。
……もしそんな事をする相手が自分ではなかったら?
もし、他にヒカリのあられもない姿を見られたら。見られずとも、妄想されるだけでも。
……俺は、それを許容出来ない。
「自分だけが、相手を誰かに渡したくないと考えてると思うなよ」
「……へ?」
気付いたら、零はヒカリを机に押し倒していた。
両手をヒカリの頭を挟むように付き、逃げ道を塞ぐ。彼女の両手を掴まなかったのは残った良心か。驚いて目を丸くするヒカリは、ただのか弱い女の子だった。
その綺麗な髪も、潤んだ唇も、透き通るような肌も、豊満な胸も、服に隠された小柄な体も、全て自分の好きに出来る。
自分はその立場にいる。そうする事が可能だ。
誰もいない放課後の教室。
密室ではないけれど、二人きりだけの空間。
誰にも邪魔されない時。
「…………」
零を突き動かしたのは、独占欲。
誰かに取られたくないと、ヒカリは俺の物だという衝動。
「……零、くん」
ヒカリの微かな吐息。
瞬間、状況を理解したのか、ヒカリの顔が真っ赤に染まった。ボンと火が出るように、一気に白い肌を朱に彩る。
「あああああ、あの!あのあの!私、ええと何ていうかちょっと予想外というかまさか零くんがここまで大胆になるとは思ってなくてですね!」
目をグルグルさせながら慌てて捲し立てるヒカリ。
逆に押し倒してしまった零は、押し倒した段階で我に返って冷静になっていた。
ヒカリが自分の下にいる状況と、それを引き起こしたのが自分だという事実に脳を停止させている。
「確かに私がそうさせたのかもしれませんが、意図してなかったというか、ですからその……」
ヒカリはキュッと手を握って、上目遣いで囁くように言った。
「は、初めてなので、優しくしてくださぃ……」
「……っ」
零は片手を上げて
「ぐふっ!」
全力で自分を殴った。
「ええええええ!何してるんですか!?」
零が痛さに悶絶して屈み込む。ヒカリは身を起こして、痛がる零を支えた。
「衝動に突き動かされた自分を許せなかったんだ……」
「あそこまでいって、何で理性的になるんですかっ!んもう!」
零の返答に、ヒカリはまだ赤みの引かない頬を膨らませて、ペシペシと頭を叩く。
「だ、だって、ヒカリだって震えてたじゃないか!」
「そりゃ緊張しますよ!緊張で震えますよ!ここ学園ですからね!私、処女ですからね!貴方の為に取っておいたのに、初体験がコレってドキドキ過ぎでしょう!?それでも覚悟決めたのにぃ!もおおおおおお!馬鹿あああああ!!」
「ごめんてば!落ち着けよ!そんなこと大声で叫ぶなよ!」
「零くんの馬鹿ああああああ!!」
男女の大声が響く教室を背に、廊下に背中を預けていた生徒会長がしみじみと呟いた。
「青春だねぇ……。しかし、他の生徒達を離させておいて正解だったね」
独り言で自己満足しつつ、震えた携帯を取って電話に出る。
「もしもし。ああ、もう来たんですか?今から行くんで待っていて下さい……白さん」
バカップルは放っておいて、彼女は歩き去って行った。