インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》 作:ひわたり
二人の歩む速度
朝日が昇る。
朝焼けの空気の中、台所でピンク色のエプロンをつけたヒカリと、黄色のエプロンを身に付けたラウラが立っていた。それぞれのエプロンに可愛らしいデフォルメの猫と兎がプリントされている。
「覚悟は良いか三等兵!」
「はい!」
「愚か者!返事はイエス、マムのみだ!」
「イエス、マム!」
料理道具を前に、ラウラは腕を前に組み、ヒカリは後ろに腕を組んでいた。シュールである。
「まずは卵焼きから作るぞ!」
「イエス、マム!」
「相手を倒すには、まず相手を知ることだ!零は甘い物と塩とどっちが好みだ!?」
「塩です、マム!」
「そうか!だが、白はどちらかというと最初に作って食べてくれた甘い物が良いと言うから、甘い物を作るぞ!」
「理不尽です、マム!あと惚気ないで下さい、マム!」
「白の為だ!異論は認めん!」
「寧ろ同意です、マム!」
「流石だ三等兵!しっかり付いて来い!」
「イエス、マム!」
「何してんだ、お前ら」
非常に冷静な白のツッコミが入ってきた。台所に顔を見せた白に、2人で振り返った。
「おはようございます、サー!」
「サー!」
綺麗な敬礼が揃う。無駄なシンクロだった。
「おはよう。朝からテンション高いな」
普段の生活ではテンションそのものの上下が少ない白は、彼女達の反応にも極めて冷静だった。
「で、何してるんだ?」
「見ての通り、料理だ」
お玉をクルクル回しながらラウラが答えた。その間に、ヒカリは卵を割り、砂糖を入れようとしている。
「戦場の道具作りじゃなくて何よりだ。が、しかし……」
白は近付いてヒカリの腕を掴んだ。砂糖を入れるのを阻止する。
「零の為に作ってるなら、あいつの好みに合わせてやれよ」
「いえ、これは私色に染め上げるという意味を込めてるのです。勘違いしないで下さい。決してお父さんの好みに合わせているわけではありません。ええ、たまたまお父さんの好みになるだけです」
「…………。お前ら、付き合うことになったんだよな?」
「そうですけど?」
告白し合った夜、家に帰ったヒカリはありのままを白とヒカリに伝えた。ラウラは素直に祝福し、白はそうかの一言だけ言った。簡素な白の反応に、ヒカリはやたら食い付いた。
『お父さん、嫉妬ですか?嫉妬ですか!?安心してください、一番はお父さんですから!』
『いや、そこは零にしてやれよ』
『白は渡さんぞ小娘!』
『自分の娘だからな』
カオスな光景は記憶に新しい。
「おい、ヒカリ。白に擦り寄るな。ズルいだろ」
蕩けるような顔で白に擦り寄るヒカリに、ラウラは頬を膨らませながら反対側に抱き着いた。
「…………」
ヒカリの父親に対する愛は元々の物もあったが、事故以来は白が死を選ばない為の鎖とした筈である。
それがいつの間にか、間違った方に愛が育ってしまったようだ。
「……やれやれ」
白は肩を竦めて、零を不憫だと思った。珍しく他人に気を遣う白であった。
元々、零の為にお弁当を作りたいとヒカリがラウラに言ったことが始まりだ。了承したラウラはヒカリに懇々と料理の何たるかを説き、朝に一緒に料理を作ろうという結論に至った。
元々ヒカリは料理も出来るし、たまに料理を手伝っていたが、改めてラウラに教わる事にした。凝り性なのは昔から変わらない。
その後、何故か白も加わり、3人で弁当と朝食を作るのだった。
「……というわけで、少量ですがお弁当を作ってきました」
「お、おう」
自転車で迎えに来た零に、ヒカリは小さな弁当箱を渡した。
「唐突に思い至ったので、零くんも弁当を持参しているでしょうし、量はかなり少なめですけど」
「いや、量は良いんだけどさ。ヒカリの気持ちも嬉しいんだけどね?」
ヒカリの手料理なら素直に喜べるのだが、何故ヒカリの家族の手料理を味わうことになっているのか。
「取り敢えず、ありがとう」
「どう致しまして。あ、卵焼きの味付けは甘めなので」
「やっぱり白さん重視か!?」
「…………?」
「当たり前だろ何言ってんだコイツ馬鹿か的な視線はやめてください。泣くよ、俺」
「嬉し泣きですか」
「ポジティブ思考だな」
付き合う事になっても、ヒカリは今まで通り過ぎた。特別な何かを期待していたわけでもないが、何かなぁと思う零である。
「変わらないな、ヒカリは……」
「変わって欲しいですか?」
ヒカリの素の問い掛けに、ズルい質問だと内心呟く。
「……いや、そのままで良いよ。無理矢理変わる必要なんてない」
彼女が彼女らしくあることが一番だ。そんなヒカリを好きになったのだから。だから、それで良い。
「ただ……出来るだけ白さんの事は自重して欲し」
「無理ですね」
被せ気味にヒカリは即答した。
脱力する零に、ヒカリがポンと肩を叩く。
「大丈夫ですよ、零君の事も愛してますから」
「……白さんは?」
「やめてください。こんな朝から、沢山の人がいる所で言えるわけないじゃないですか、零くんの馬鹿。そういうのは夜に二人きりの時に言うものですよ?」
「逆じゃね?普通逆じゃね?」
最早涙目の零。ヒカリは頭を撫でようと背伸びしたが、背丈が違い過ぎて届かない。つま先を伸ばしてプルプルと震えた後、何事もなかったかのように元に戻る。
「しゃがんでください」
ヒカリが不満顔で言った。
「あ、はい」
零が大人しく頭を下げると、ヒカリの手がよしよしと撫でてきた。泣かされた本人に慰められるのも変な話である。
頭を撫でることができて、ヒカリは満足そうに頷いた。不覚にも、一連の動作を可愛いと思ってしまう零だった。
「癒されましたか?」
「うん、ありがとう」
「どう致しまして」
ヒカリは気に入ったのか、暫くなでなでを続けていた。零はいい加減腰がキツくなってきたし、通り行く人に見られて恥ずかしいというのもあるので、やめてくれと口に出そうとした。
「……えへへ」
「…………」
しかし、ヒカリの楽しそうな笑顔を見てると、そんな事を言い出せなくなってしまった。
「秘技、つむじ押し」
唐突に脳天を押された。
「うおおおおい!やめんか!!」
零は思わずヒカリの手を弾いて真っ直ぐ立ち上がった。ヒカリは残念そうに口にする。
「つむじを押すと腹を下すという迷信があるのですが……」
「尚更やめんかい!」
ではこれで勘弁してあげますよと、何故か偉そうに胸を張るヒカリ。彼女の大きな胸が強調され、零は思わず視線を逸らしてしまった。
「どうしたんですか?」
「……いや、別に」
キョトンとするヒカリに、零は首を振って答えた。こういう所だけは無自覚でやるのが怖い所だ。ワザとやる分には気付く癖に、無自覚だととことん気付かないヒカリだった。
零は咳払いをして、自転車のハンドルを握った。
「行くか」
「はい」
ヒカリがクッションを敷いて自転車に座り、零が自転車を押す。
いつもの登校風景となりつつある光景がそこにあった。
「零くん」
「ん?」
「一緒に昼ご飯食べましょうね」
「……おう」
ヒカリの素朴な願いに、零は自然な笑顔で応えた。
「出来るだけ人が多い所が良いですね」
……うん?
「何で?」
零は嫌な予感がして聞いた。ヒカリに関しては、大抵この嫌な予感がよく当たる。
零が振り向くと、ヒカリがサッと目を逸らした。
「…………」
「ヒカリさん?何を仕込んだんですか?」
何か仕掛けがあるとしたら、弁当しかない。今開けてやろうかと鞄を漁る。ヒカリが慌てて手を止めようとした。
「ここで開けないでくださいよ」
「じゃあ、何仕込んだか答えろ」
むう、とヒカリは唇を尖らせた。零は心の中で、可愛いなんて思ってやらないぞと、無駄な抵抗をしていた。
「ご飯の上に……」
「上に?」
人差し指を合わせながら小さく答える。
「海苔でハートマークを」
零は喜ぶ前にズッコケそうになった。
「ベタベタだな!?恥ずかしいわ!皆の前で食べられるか!!」
知らなかったら蓋を開けた瞬間噴き出していたことだろう。
……先に知っておいて良かった。
「皆の前は却下だ。二人きりで食べるぞ」
「え、二人きり?何を食べるつもりですか?」
自分の体を抱くように身を引くヒカリに、零は顔を赤くして声を荒げた。
「ご飯を食べるんだよ!」
零の反応に、やれやれと大袈裟に肩を竦めて見せる。一転して、ヒカリが有利になったような姿勢だ。
「冗談じゃないですか。相変わらず初心ですね」
「女の子がそういうこと言うもんじゃないぞ……」
「零くん。あまり女性に幻想を抱いちゃいけませんよ?下手すると男より生々しいですし、ドロドロしてますから」
ヒカリは割と真剣な顔で言った。女性の隠された部分を垣間見てしまったようで、零は少しだけ顔を引き攣らせた。
「やべえ、それ知りたくなかったわ。まあでも、百花見てれば大体分かるけど」
妹がいる零には女性の考えや体の悩みは、普通の男性よりは大まかに分かっている。そう言う零に、ヒカリは少しだけ哀れんだ瞳を向けた。
「百花さんの裏の顔も知らない癖に……」
「え、何それ一番気になるんだけど!」
「いやあ、空が青いですね」
「誤魔化し方が雑!」
前からそうではあるが、零はヒカリに振り回されてばかりである。
でも、それが彼等らしい関係であった。零の行動にヒカリが付き合って、零の行き過ぎる行動を抑えながら振り回して。
神童と持ち上げる周りに反し、ヒカリだけは零のことを普通に馬鹿だと言った。馬鹿な部分を、零の普通の人間な所を指摘し続けた。それは変わらないし、これからも続いていくのだろう。
「……ところで、何で皆の前なんて提案したんだ?」
「だって……」
ヒカリが口籠る。珍しくハッキリしない物言いに首を傾げた。ヒカリは何度か零を見て、顔を合わせずにボソリと言った。
「そうすれば牽制になるじゃないですか」
……零くんは私のものだ。だから、誰にも渡さない。
「…………」
ヒカリの独占欲に思わず頬を緩めてしまった。それをヒカリに見咎められ、慌てて前を向く。
「……俺はヒカリしか見てないから、心配するなよ」
「なら、証明してみてください」
「どうやって?」
零が振り向いて、そして固まった。
ヒカリが目を閉じて、顔を零の方に上げていた。何かを待つように、口を少しだけ開いて。
流石に、この意味に気付かない程、零は鈍感ではない。
「……っ」
心臓が止まりそうなほど驚いて。
心臓が爆発しそうなほど鼓動が激しくて。
「…………」
ヒカリの白い肌。
長い睫毛。
銀白の長い髪。
柔らかそうな唇。
零は吸い込まれそうに、彼女に見惚れて……。
「は……」
そして
「早く行かないと遅刻するな、うん!」
肝心な所でヘタレた。
「………………はぁ」
後ろから大きな溜息が聴こえる。
さぞ失望しただろうと、零は思った。同時に、自分の度胸の無さに心の中で泣き叫んだ。大馬鹿野郎と自分を罵る。
「零くん」
「……はい」
ヒカリの罵詈雑言が飛んでくるかと覚悟した。
しかし、風に乗ってきた言葉は、柔らかく飛んで来た。
「私、待ってますから」
零から動いてくれる時まで。
お姫様は、王子様の口付けに憧れるものなのだ。
「……おう」
二人は進んでいく。
歩いて行く速度で、ゆっくりと。
そうやって、二人は進んで行った。