インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》   作:ひわたり

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心の叫び

月明かりが見えていた。

満月の光が見えている。

「…………」

零は茫然としており、自分が空を見上げているのにも気付かなかった。

抱き締めているヒカリの暖かな感触だけが、やけに鮮明だった。

徐々に思考が動く。

ここは公園だ。

晩御飯を食べ、百花と別れ、光と共に訪れた公園。

ここでヒカリがジャングルジムに登り、そして……。

「……ヒカリ!?」

零はハッと我に返り、抱き締めていたヒカリの肩を掴むと、顔が見える距離まで離す。

「大丈夫か、ヒカリ!」

「……ええ、無事ですよ」

焦る零に、ヒカリは努めて冷静に返した。ヒカリが俯いていた顔を上げて小さく微笑む。

「零くんが受け止めてくれましたからね」

「馬鹿か!なんて無茶するんだ!怪我でもしたらどうする!」

「あの高さで怪我なんかしても、酷くて精々足を捻るくらいですよ」

それにと、ポケットからネックレスのようなアクセサリーを取り出した。

「ISをお借りしていましたから、万が一があっても回避出来ます」

「……いや、それでもあんな無茶するなよ。心臓が止まると思ったぞ」

「え?ノミの心臓ですか?」

「そこまで小ちゃくないけど!?」

はぁ、と零がヒカリの両肩に手を置いたまま下を向いて溜息を吐いた。無事に受け止められて良かったと思う。零も専用ISを所持している為、それこそ万が一は何とかなっただろう。

「受け止めてくれたんですね」

「そりゃ、そうだろ……」

呆れたように笑う零に、ヒカリは極めて真剣な顔で言った。

「……なら、見えましたか?」

……見えた?何を?

あの記憶を。

「……今のは」

まるで走馬灯のように駆け巡った記憶の欠片。百花の人生の断片。

あの日に起こった出来事。

「アレが私に起きた出来事です」

白に命を救われた、ヒカリが死に掛けた、あの日の出来事。

「今のは精神世界。私も初めての経験ですが、なかなか驚きました。このISは零くんの波長と合うように調整して貰った、特別製のISです」

誰に、とは言わない。そんなのを喜んでやるのは1人しかいない。

「何で、わざわざそんな事を……」

「言葉で説明するよりも分かるかと思いまして……」

ヒカリはそう言った後に、緩やかに首を振った。長い髪が遅れて波を描く。月明かりに輝く髪が、場違いに綺麗だと思えた。

「……いえ、違いますね。きっと私は零くんを試したんです。私を受け止めてくれるかどうか、それを試したかったんです」

今度はヒカリが顔を俯かせた。そんなヒカリに、零は力強く言う。

「俺をナメるなよ、ヒカリ」

「はい、すいませ……」

「受け止めるに決まってるだろうが」

「はい?」

ヒカリは思わず顔を上げて目を瞬いた。

「俺はヒカリを選ぶ。大会の時みたいに迷うこともあるけど、それでも、最後は絶対に俺はヒカリを選ぶんだ」

真面目な顔で言う零に、ヒカリは暫く惚けた後に、しみじみと呟いた。

「本当に零くんは馬鹿なんですね……」

「何で!?」

実感の篭った言葉に、流石に泣きそうになる。

「まあ、零くんらしくて良いですけど」

褒められてるのか馬鹿にされているのか、モヤモヤとした気持ちを抱きながら、零は大切なことを聞いた。

「……それで、ヒカリと白さんの体は大丈夫なのか?」

嫌な返答が返ってこないようにと願い、それは叶う。

「はい。まず、お父さんは宣言通り、5日で完治しました。新しい肉が出来て、傷口も綺麗サッパリ消えました」

「……マジか」

言葉に聞いただけでは俄かに信じ難いが、ヒカリの記憶で薄っすら見えた白の異常性。半分納得し、それでも半分は疑いが残った。

「そして私ですが、この前のご覧の通り、過度な運動を行うと気絶するようになりました。それくらいですかね。死に掛けた身からすれば、充分過ぎる結果です」

「それは、何故だ?」

「ここにある肉はお父さんの……神化人間の肉です。そして私の中には神化人間の血とお母さんのナノマシンがあります」

結果から述べれば、白の肉はヒカリに馴染んだ。

だが、当時は神化人間の肉がどのような影響を与えるか判断出来なかった。

白の肉を与えた時、その数分後にはヒカリの傷を塞いでいた。周りには血が凝固し、爛れた肉がくっ付いている光景は、お世辞にも綺麗とは言えなかったが、翌日にはそれも無くなっていた。傷跡だけを残し、肌の艶も元通りになっていた。それが逆に大人達には不安だった。

内臓に傷がない事は確認済みであり、出血も防げた。普通に立ち上がり歩き回る事も出来たので、今後の様子を見ていくことを決めた。

白は養生の為と、ヒカリの様子観察、そして家族を心配させたからと、学園に退職を申し出た。

当時既に学園長であった千冬はそれを受け取った。受け取っただけで、承認はしていなかったようだが。

問題が起きたのは数日後。

ヒカリが体育の授業中に唐突に気絶したのだ。

ヒカリはすぐに目を覚まし、後の検査でも異常は見られない。何が起きたのかと首を捻る青年達に、ヒカリから提案した。

装置を付けて、私がこの場で全力で動いてみます、と。

今ここで実験する試みに青年達は渋い顔をしたが、白もラウラも了承した事で、実験に踏み切った。

ヒカリが暫く運動を続けて、限界直前までくる。すると、突然気絶した。白が動き、地面への衝突は免れた。

『結論から言えば、自己防衛反応ようなものだね』

青年の言葉に一同は首を傾げた。

気絶の原因はやはり神化人間の肉体。運動を続け、ヒカリの体が限界に悲鳴を上げ始める。そうなると、ヒカリの体を助けようと、神化人間の肉と血の部分が働こうとするのだ。一部とは言え、神化人間の動きだ。そのままではヒカリの体が壊れる。そうさせない為に、脳が態と気を失わせて体を守るのだと言う。

『問題なのは、神化人間の肉がヒカリくんの肉体を徐々に侵食している事だ』

神化人間の肉が動き易い様に細胞を作り変えている。

もしそれで神化人間部分が多くなると、どうなるか。

神化人間の働きが大きくなり、普通の肉体への負担が増加する。

「……体に馴染んでしまったのが、逆に体を苦しめる結果となったのか」

「そうです。そして、私の体が神化人間の肉体に負けるかもしれない可能性が判明しました」

神化人間の血肉に負けて体が壊される。

つまり、死んでしまう可能性が出てきた。

「肉を摘出するにも、手術で過剰反応をする可能性も否めません。血は抜く事も不可能です。少なくとも、体が神化人間の部分に馴染み切るまでは無理と判断されました」

侵食が止まるか。或いは、ヒカリの肉体と共存するのか。それとも、ヒカリの体が負けてしまうのか。

「後は、時の運でした」

肉体の進行速度は遅い。

計算に計算を重ね、結果が分かるのは1年後となった。ヒカリが中学生に上がるかどうか、その瀬戸際。

「……今、ヒカリは生きている」

それが意味する事はただ一つだけ。

「ヒカリは、もう大丈夫なんだな?」

零の質問に、ヒカリは一度だけ頷いた。

「はい。私は、コレによって死ぬ事はありません」

神化人間の肉でも、肉片では力は限界があった。進行は止まり、ヒカリの体に馴染む形で、それは収まった。

「しかし、力そのものが弱った訳ではなく、結局過度の運動は出来ないままとなりました」

それでも生きている。生き続けられる。

零にとってこれ程嬉しい事はない。

だが、ヒカリはなんでもない事の様に、続けて言った。

「でも私は、死ぬ事になっても後悔はありません」

安心する零は、その言葉で固まった。

「……何故」

ヒカリに訪ねた。訪ねたが、心の何処かで答えはわかっていた。

「死にたい訳ではありません。死ぬつもりもありません。ですが、私は生かしてもらいました」

ヒカリは静かな微笑みを浮かべた。

「……愛して貰えました」

白に命を懸けて助けられて、もう終えていたかもしれない人生を進ませて貰った。そして、父親と母親の愛を受け取った。愛する事ができた。

だから、死んだとしても後悔はなかった。

「だからもう、充分だと思ったのです」

「……ヒカリ」

ヒカリが遠くに行ってしまうような錯覚に陥る。零は言葉を紡ごうとして、その口を、ヒカリの言葉が防いだ。

「そう、思っていたんです」

微笑むヒカリの目が、少しだけ潤んでいく。

「一つだけ、私には心残りが出来てしまいました」

精神世界の名残か、それともヒカリの心を知ったからか。理由は分からないが、零はヒカリと同じ考えを持つ事が出来た。ヒカリの思考を理解出来た。

「ヒカリ」

だから、自然とあの時と同じ台詞が口から出てきた。

「俺はお前が好きだ」

ヒカリに告白した日。

あの瞬間の、情景が重なる。

「俺と付き合ってくれ」

そして、ヒカリもあの時と同じ台詞を答える。

「申し訳ございません、無理です」

無理。

嫌でも嫌いでもなく、無理だと言った。

死ぬか生きるか分からない体で、零の想いに応えられなかった。

「……そんな落ち込まないでください」

零もヒカリも、あの時と同じ顔をしていた。

ヒカリは断りを入れることへの悲痛な表情を。

零はヒカリに何かあるのだと、それを無視してしまった自分への後悔。ヒカリの都合を考えず、自分勝手に告白したことで、その痛みを抱えた。

「私達は小学生です。これからも一緒にいるとは限りません」

……私は、もうすぐ死ぬかもしれないから。

「それに、将来は中学高校大学、社会に出て、多くの多種多様な人と出会います」

……きっと、その中で、この先素敵な出会いがあります。

「自分を含め、考え方も思想も変化していきます。その中で、生涯の掛け替えのない人を見つけるのが、一番良いのです」

……だから、私がいなくなっても、どうか幸せになってください。

「また、見つからないと嘆くばかりでは何も変わることはありません。視点を変えたり、時には振り返ることも必要なのです」

……私の事を忘れないで欲しいです。ですが、私の影を追っていてはいけません。

「……失った時に気付くこともあるでしょう」

……私は、気付いてしまったから。

「その時に、本当の愛を見つけたのなら、その手をしっかりと握れば良いのです」

……死にそうになった時。

暗闇の中で読んだ名前は……。

零はヒカリの想いを知った。

知ったからこそ、一歩踏み出す。

「ヒカリ、俺は」

「言わないでください」

ヒカリは肩に乗っていた手を振りほどくように、数歩後ろに下がって距離を取った。

「何故だ」

零は引き下がらない。

彼の想いもまた、偽りではなく、どんな物より大切な物だから。

「だって、私は一度零くんを傷付けてしまいました。拒絶を、してしまいました」

ヒカリは悲痛な表情を歪め、その瞳に涙が溜まっていた。

「自分の想いに嘘を吐きました」

「だけどそれには理由があっただろうが」

生きる死ぬかの瀬戸際。

もしあの時、仮に付き合って、それでヒカリが死んでしまっていたら。

何があったか知るには遅過ぎて、助ける事など出来なくて。零の心は死んでしまっただろう。

だから、その可能性があったからこそ、ヒカリは想いに応えられなかった。彼を想う故に、その想いを繋げなかった。

それでも、離れる事は出来なくて。

距離をおいても、側に居続けたくて。

本当に苦しかったのは、一体どちらだったのだろうか。

「だとしても、そんな身勝手が許される訳ないじゃないですか……」

許さない。自分が自分を許さない。

「想いを伝えられない理由があって、それが無くなったから伝えようだなんて、そんな身勝手……」

「身勝手で良いだろうが」

零はヒカリの言葉を遮った。彼女の悲しみを断ち切った。

「俺なんて身勝手の塊だ。ヒカリの痛みも、苦悩も、想いも、何もかも知らなかった大馬鹿だ。焦って告白して、それでヒカリを傷付けた。自分しか考えてなかった愚か者なんだ」

だけど、それでも。

「だけど、俺の想いは変わらない!ヒカリ、俺はどんな時でもお前を選ぶ!」

「何で……」

「ヒカリだからだ!」

ヒカリだから、ヒカリを選ぶ。

理由なんてそれだけで充分だ。

「お前が踏み出せないのなら、俺は何度でも言うぞ!」

「駄目……」

零はまた一歩踏み出して、ヒカリの顔を真っ直ぐ見た。

「やめてください……」

ヒカリは泣きそうな顔で、耳を両手で塞いだ。彼女の心の壁の向こうまで届くように、零は大声で叫んだ。

「ヒカリ!俺はお前が大好きだ!」

その言葉に、すべての感情を乗せて。

「愛してる!!」

嘘偽りない本気の想い。

言葉は確かに、ヒカリの心に届いていた。

「馬鹿ですか……」

震える声で呟く。

「私が、何の為に我慢して……、何の、為に…………」

ヒカリの顔が歪む。

しかし、それは決して悲痛の為ではない。

「どうして私が言えない事を、貴方はあっさりと言ってしまうんですか……!」

両手を耳から離して、叫んだ。

「私がどれだけ貴方を想ってるか……!」

ズルいと思った。

こんなに我慢してきたのに。

こんなに抑えてきたのに。

ずっと隠してきたのに。

ずっと誤魔化してきたのに。

それなのに、簡単に言ってしまう彼が疎ましい。

簡単に言える彼が羨ましい。

……ああ、本当に、貴方は身勝手だ。

「ズルいです……!」

……私の心に、簡単に触れてきてしまうのだから。

ヒカリの目から涙が零れ落ちた。

心の本音を泣き叫んだ。

「私だって、ずっと貴方の事が好きで……!」

ずっと。

「大好きで……!」

ずっと、ずっと。

「私の方が、ずっと貴方を愛しているのに……!!」

ずっと、そう言いたかった。

「私は零くんを愛しています!!」

月明かりの下で泣くヒカリは、本当に綺麗で。

零はヒカリに駆け寄って、ヒカリの体を抱き締めた。もう離さないというように、決して違えないと伝えるように、力強く抱き締めた。

零の体にすっぽりと収まってしまうほど、彼女の体は小さくて。ずっと、その体で色々な物を背負ってきた。

「私は、重いですよ……」

耳元で呟くように、ヒカリは言った。

「知ってる」

ヒカリの荷を、やっと知ることが出来たから。

「私は面倒臭い女ですよ」

「知ってる」

それでも、自分のことを想って動いてくれているのを、零は知っている。

「私は嫉妬深いですよ……」

「ヒカリ以外の女性なんて見てない」

「本当ですか?」

……あれ?

「何でそこだけ信じないの?」

「零くんが見なくても、向こうから言い寄ってくるのは多いですからね」

「俺はヒカリだけしか見ないよ」

信じてくれと焦る零に、ヒカリがクスクスと笑った。抱き締めている為、ヒカリの笑いが直に伝わった。

「零くんは馬鹿ですね」

呆れるように、そして期待するように、ヒカリは問いた。

「何故、私なんですか?」

零の答えは決まっていた。

「ヒカリだからだ」

それ以外の答えなんて存在しなかった。

「零くんは、本当に大馬鹿ですね」

ヒカリは零の胸に手を当てて、彼を見上げた。

「そんな所も大好きです」

涙の跡を残して、ヒカリは満面の笑顔で笑った。心の底から、彼女は笑った。

「惚れた私の負けですね」

よく言うと、零は内心呟いた。惚れた方が、愛が強い方が負けというのなら。

……俺の完敗だろ。

月明かりの下で笑うヒカリは、本当に綺麗だった。




※まだ続きます

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