インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》   作:ひわたり

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生命の雫

……暗い。

暗い、狭い、苦しい。

痛くて、とても冷たい。

このまま死んじゃうのかな。このまま、消えちゃうのかな。

「……あぁ」

御守り、渡せなかった。

手の中に御守りはある。まだ私は握り締めている。でも、ごめん零くん。私は動けそうにもない。

ごめんなさい。

お母さん、お父さん、ごめんなさい。

とても愛してくれたのに、私はそれを返せそうにない。もう顔を見ることもできないのかな。

ごめんなさい。

死ぬ。

死…………。

…………。

「……いや」

誰か助けて。

助けて、助けて、助けて。

誰か、私を助けください。

私は、まだ生きていたい。

助けて……。

「助けて……」

助けて…………。

……………………。

 

 

 

百花は即座にISで土砂崩れの場所へ向かう。

「ヒカリさん!」

まだ土砂が流れているので降り立つ事はできない。生命反応は辛うじて残っているが、あまりにも弱々しい。このままではヒカリが死んでしまう。

「あ、あ……」

どうすれば良いのかと混乱した。

混乱している場合では無いと分かっていても、どうすれば良いのか分からない。ISならこれくらいの岩や土砂をどかせる力がある。だが、下手に動かしてヒカリの体に負担を増加させてしまえば死んでしまうかもしれない。

こうして悩んでいる間にも、ヒカリの血は溢れ出ていく。

「あああ……」

どうする?

どうすればいい?

どうしたらいい?

混乱して混乱して、時間がなくなっていって。

「…………っ」

百花に出来るのは、一つだけだった。

 

 

携帯が震える。

まだ学内にいた白は、ポケットから携帯を取り出してディスプレイを確認する。

「電話ですか?白さん」

「ああ、少し待ってろ」

近くに居た一夏に断りを入れてから通話ボタンを押した。

「どうした」

『白さん!大変です!ヒカリさんが、ヒカリさんが!』

百花からの煩い声が響く。横目で確認するが、一夏までは声は届いていないようだ。もしIS関係だった場合、一夏に聞かれては百花に都合が悪いだろう。

「支離滅裂だ。まず、息を止めろ。苦しくなったら思い切り息を吸え」

有無を言わさぬ口調に、百花は大人しく従った。呼吸音から百花が少し落ち着いた事を計り、内容を問いかける。

「それで、何があった」

『ひ、ヒカリさんが土砂崩れに巻き込まれました。一刻を争います……!』

白はそれを聞いて

「まず、お前は助けようと動くな」

極めて冷静に判断を下した。

「ISを纏っていても、それだけでパニックになるのなら、逆に危険だ。巻き込まれる可能性もある。付近を飛んでいろ」

『は、はい』

それで良いのか。

何故そんなに冷静なのか。

ヒカリさんが大事じゃないのか。

そんな言葉がグルグルと頭を回るが、思考を遮るように白の言葉が届く。

「場所は何処だ」

『私が普段いる、山の近くです』

「分かった。すぐに行く」

『すぐに行くって……』

白は強制的に携帯を切った。

「一夏、雪羅を貸せ」

「はい」

白の唐突な無茶振りに、一夏は躊躇いなく雪羅を差し出した。その行動は信頼の証でもあった。

「悪いな、すぐに返す」

序でにお願いがあると、矢継ぎ早に続ける。

「地下へ行き、彼奴らと連絡を取ってくれ。恐らく必要になる」

「分かりました」

一夏の言葉を最後まで待たず、窓を開けて近くの木に跳躍する。乱雑に木の葉を掴み取ると、宙を飛んだ。

手の中で葉を砕きながら、それを足場にして全力で跳ぶ。ただ速く、白は跳び続けた。

「力を貸せ、雪羅」

白にはもう雪羅の声を聞く方法はないが、彼の言葉に応えるように、光に煌めいた。

一夏は白の行く末を最後まで見届けることなく、地下へと走って行った。

 

 

百花は切れた携帯を片手に、どうするべきかと頭を悩ませる。

「急ぐって言っても……」

土砂を空中から見下ろす。生命反応はまだ残っているが、時間の問題なのは確実だ。土砂で呼吸ができないかもしれないし、何より、ヒカリは大怪我を負った。どの程度かは分からないが、このままでは出血死の可能性もある。

ヒカリの中では、白が間に合うとは到底考えられなかった。

「……だったら」

いっそのこと、一か八か。

この土砂を吹き飛ばしてしまえば、ヒカリを助け出すことが出来る。

土砂の横に降り立ち、構える。

「…………っ」

それでも、ヒカリを巻き込むかもしれない。吹き飛ばす衝撃でも、身体にダメージを与えるかもしれない。下手に岩を動かして、ヒカリが潰れる可能性もある。

だから、攻撃出来ない。

それでも、攻撃した方が良いかもしれない。

だけど、でも。

思い出すのは白との戦闘。

これだけの力を保有するISは、誰かを助けることが出来る。今正に、ヒカリを救えるかもしれない場面がある。同時に、コレは人を殺せる力がある。白を殺したかもしれないと思った瞬間は、体を凍てつかせる。

動けない。

百花に判断は出来ない。何も選んで来なかった弊害だと、歯を食い縛る。

ならば動け。ここで選択しろ。

今この瞬間にも、ヒカリは死んでしまうかもしれないのだから。

だから、選択しろ。

動けない。

選べ。

それでも、動けない。

「…………私は」

私の手を、大きな手が止めた。

「人の生死の選択など、まだお前では無理だ」

白い姿が横を通り過ぎた。

「……白さん」

……何で、ここに。電話してから、まだ数分も経っていないのに。

そして、百花は白の異常に気付いた。

白の眼が、白く染まっていた。

「下がっていろ」

かつて白の二重人格が使用した身体能力の全開。肉体のストッパーの解除。この世界に降りてから、マドカとの一戦のみで使用した技術。白では操り切れず、内臓破壊をする諸刃の剣。

「後は、俺に任せろ」

白が前に出る。

敏感過ぎるほどの気配の察知。ヒカリの正確な位置も、微弱な生気も感じ取れる。

相手は土砂。

人間でないのなら、遠慮はいらない。

白はこの世界で初めて、肉体の制限を解除した本気、正真正銘の全力を放つ。

 

瞬間、土砂が消えた。

 

消えたと、そう判断するしかない現象。

白が腕を振るった先は塵一つ残っていない。幾重にも重なった鎌鼬。その残痕は、影も形も残さない。一切の音がなく、無音で斬り飛ばされた土砂は存在さえ無かったかのようだった。ただ、まだヒカリが埋もれている僅かに残った場所だけが、土砂があったのだと教えてくれた。

「………………」

百花は茫然とした。

凄いとさえ言葉が出ない。何をしたかも分からないし、どうしてこうなったのかも分からない。百花の思考を停止させるには充分な衝撃だった。

そんな百花の眼を覚ますのも、また白だった。

「……白さん!?」

白が吐血した。

吐き出された血液は相当な量があった。

二重人格の通常攻撃だったコレは、白にとっては負担が大き過ぎたのだ。内臓がズタズタに引き裂かれているのを実感する。

それでも、白はこうするしかなかった。ヒカリに衝撃を与えずに、かつ最も早く助け出す方法はこれしかなかった。

「…………」

いくら吐血しても、白はそれに構わない。軽く跳躍し、ヒカリのいる場所へ降り立つ。細かく周りの土砂を消し飛ばし、ヒカリの体を引き上げた。

幼い体を抱き上げ、彼女の体を優しく包む。

「ヒカリ」

反応がない。

「ヒカリ」

ピクリと、ヒカリの眉が動いた。

「お、と……さん……?」

薄っすらと開いた瞼に、掠れた声が白に届く。あの状況で咄嗟に顔を庇ったのか、幸いにも土砂が口や鼻に入った様子は無さそうだった。

「……ああ、俺だ」

白は答えてから、自分の手に付着した血の塊を見た。自分の血ではない。ヒカリの血だ。

内臓までは達していないようだが、傷口が大きい。このままではすぐに出血死をしてしまう。

白は上着を脱ぎ、一度宙で叩いた。力尽くで汚れを吹き飛ばした後、ヒカリの傷口を拭う。ヒカリの体が痛みで反応するが、構わずに泥を綺麗に拭き取った。

「…………」

……問題は、この傷をどうするか。

ヒカリの体は小さい。このままでは数分で出血死に至る。学園に運ぶまで保つかも分からない。

ならば、賭けに出るしかない。

白は、自分の片腕の肉を掴む。

次の光景に、百花が息を呑んだ。

「……っ」

白が己の肉を引き千切った。鉄臭さがヒカリと合わせて増幅し、匂いを放つ。

そのまま溢れ出す血を、ヒカリの傷口に流していく。

「な、何をしているんですか!?」

「一々説明する時間はない」

ラウラの唾液には治療用のナノマシンが存在する。

長年一緒にいた白はもちろん、ヒカリにも口を通してナノマシンが受け継がれていた。しかし、それは極少量だ。傷に反応してナノマシンは動いているだろうが、圧倒的に数が足りない。

なら、自分の分のナノマシンをヒカリに与える。白の場合、もしかしたら、肉体が異物としてナノマシンを除去しているかもしれない。

それでも、白に流れる血は神化人間の血。以上な回復力を持つ人間の血液だ。

「少しでも肉体に付着すれば、効果はあるはず」

普通の人間の肉体に、良い意味でも悪い意味でも、どれほどの効果を与えるかは不明だが。

「……む」

からりと、小石が白の足元に来る。

「危ない!」

土砂の第2波が襲って来た。

最初に崩れた所で支えられていた土砂がバランスを崩したのだ。本来なら、この第2波は有り得ない。

「…………」

白は反射的に、再び腕を振るう。ヒカリを支えている腕は動かせない。

衝撃を放つのは、当然傷口を作った腕だ。

飛んだ血液が百花の顔に飛び散る。

「すまん」

白がそう言った時には、既に土砂は無かった。先程と同じく、音も無く消し飛んだ。

「……ちっ」

喉奥からせり上がってくる熱い塊を、白は口を開けて吐き出した。さっきよりも多くの血液が地面に落ちる。

「…………」

前回はヒカリが埋もれていたから消し飛ばす選択をした。今回の土砂は、本当なら普通の衝撃波で吹き飛ばすだけで良かった。だが、肉体が戻るのに時間が掛かってしまった。また、制御し切れない所為で先程と同じ攻撃を放ってしまい、結果的に更に内臓を傷つけた。

「まあいい……」

……どうでも良い。

自分など、どうでも良い。

ヒカリの傷口を拭い、神化人間の血を大量に掛けた。後は、傷口を塞ぐこと。

脇腹から背中にかけて出来た大きな傷。それを塞ぐ手段は、一つだけ。

「百花」

突然名前を呼ばれたことに、百花はうまく反応出来なかった。白は構わずに続ける。

「俺が途中で倒れたら、お前がIS学園までヒカリを運べ」

「……え?」

その時、白の手を小さな手が掴んだ。

「……お父さん」

掠れた小さな声。

「……やめて、ください」

それは制止の声。

「私の為に、そんな……」

ヒカリの言葉。

ヒカリの為に自らを傷つける白を止める意思。

「ヒカリ」

ヒカリの言葉は

「お前を助ける」

白には届かない。

「例え俺が死のうとも」

白はシャツを捲り上げ、己の肉体を掴む。ヒカリが傷付いた所と同じ部位。

かつての自分の武器はない。

ISの武器でも神化人間の体を正確に斬るには難しい。

だから、白は自分の肉を素手で引き千切った。

無表情に、一切の躊躇なく、痛覚など無視をして、肉を大きく千切る。

ブチブチと肉が裂ける音が鳴り、血が噴水のように噴き出した。

「白さん!!何をしてるんですか!!」

流石の百花も白に飛び付いた。

白の腕を掴むが、肉を引き千切る強さは変わらない。限界を超えた神化人間の力を止めることは、ISを使っても小学生の力では不可能だ。

「白さん!!」

「お父、さん……!」

どう足掻いても、ヒカリも百花も白を止められない。

必要以上の肉を取ってしまった白は、それを歯で噛み千切り、適当な大きさにする。

そして、出来た肉片をヒカリの傷の蓋にした。じゅぐりと、肉と血が潰れて混じり合う異様な音が鳴る。

更に、白はその上からまた自分の血を掛ける。

神化人間の回復速度と頑丈さと異常性。それを一番知っているのは白本人である。その肉体と血を使い、傷に当てた。そして、ナノマシンの回復力。仮にナノマシンが排除されたとしても、神化人間の血肉はそれ以上の力がある。傷を早急に修復するにはこの手しか無かった。

普通の人間と混じり合うかも分からない。仮に混じったとして、どんな影響があるかも分からない。それでも、今はそれに賭けるしかない。

「…………」

急激に血を失ったことで、一瞬だけ意識が遠のいた。

それでも、白はまだ倒れない。

倒れるわけにはいかない。

上着でヒカリの傷口を塞ぐように縛り付け、固く結ぶ。

「雪羅」

白が雪羅に語り掛けた瞬間、ヒカリの体を雪羅が覆った。意思がある雪羅だからこそ出来る芸当である。

これで、大抵の衝撃などはカバー出来る。

「行くぞ、百花」

返事も聞かず、白が空を跳び、百花がそれについて行く。

その間にも、白の傷口と口から血が零れ落ちて行く。幾つもの血の塊を肉体から失っていった。百花は、ただ見ているしかできなかった。

まだ着かないのかと、焦りを覚える。全力で飛んでいる筈なのに、その距離が酷く長く感じられた。

そして、やっとの思いでIS学園へと辿り着く。

「白!」

隠し通路の入り口に千冬が立っていた。白は千冬の前に降り立ち、血だらけの手で、血だらけのヒカリを差し出した。

「後は、頼む」

千冬がヒカリを受け取った。

そして、白は崩れ落ちた。

「お父さん……!」

白が最後に聞こえたのは、悲しみが篭った言葉だった。

 


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