インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》   作:ひわたり

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壊される何か

ある日の昼過ぎ。

何回かの試行錯誤を繰り返した後、ヒカリは少しは納得出来るものを完成させた。これ以上凝っていけば、それこそ零の受験が終わってしまう。それでは本末転倒である。

今日は休日だが、家は近いので構わないだろうと出掛ける準備をする。クッキーは小さな籠に入れて綺麗にラッピングしておいた。

白は仕事で居ないので、ラウラだけが見送りに出る。

「それでは、いってきます」

「うむ、頑張ってこい」

「何をですか?」

ラウラの応援の意味が分からず首を傾げる。自覚がないのか、天然なのか、果たしてどちらか。

確実に後者だろうなと、ラウラは溜息を吐いた。

「まあ、いってらっしゃい」

「はい」

いってきますのキスを交わし、ヒカリが零の家へ歩いて行った。

「さて、布団でも干すか」

昨日は大雨が降ったので洗濯物なども外へ出せなかった。洗濯物日和だと、快晴になった空を見上げて、ラウラは家の中へと戻って行った。

「いらっしゃい」

「お邪魔します」

零の家で出迎えたのは箒だった。百花は出掛けているようだが、零は家にいるらしい。

「クッキーを焼いてきたので持ってきました」

「わざわざありがとうな。上がっていけ」

「いえ、勉強の邪魔になりますし」

「息抜きにもなるだろう。遠慮するな」

ヒカリは箒にクッキーを託して帰るつもりだったが、箒にほぼ無理やり押し込まれてしまった。

少しだけ話したら帰るかと思いつつ、零の部屋へと向かう。ドアをノックする。

返答がない。

「……?」

もう一度しても変化はない。トイレかとも思ったが、中に気配はあるようだ。

「入りますよ」

ドアノブを捻り、中を覗く。

零はすぐに見つかった。机の上に顔を伏せている。どうやら寝てしまったようだ。寝息が聴こえてきたので、静かに部屋の中へと体を滑り込ませる。

「…………」

そっと寝顔を覗く。机の上の所為か、少しばかり窮屈そうに寝ていた。

寝難いだろうにと、起こそうかどうしようか迷い、そのままにすることにした。代わりに薄い毛布を一枚掛ける。最近、少しばかり寒くなってきた。風邪を引いてしまったら勉強にも差し支えるだろう。

「……そうなったら、看病しますけどね」

独り言を呟きながらクッキーを机の上に置いた。勉強机の上は見事に受験一色で広げられている。零の努力が端々から感じれた。

「頑張り過ぎないようにと言いましたのに……」

こうなる事は予見していたし、これが零の性格なのだろう。それはヒカリにも分かっていた。

零は努力を止めるタイミングが下手くそなのだ。だから、誰かが手綱を引っ張らなければなかなか止まらない。

「気を張り詰めすぎては駄目ですよ」

メモ帳の一枚を拝借し、簡単なメッセージを書いておいた。

ヒカリは零の頭を優しく撫でて、部屋から出て行った。

ヒカリが下へ降りていくと、箒が不思議そうに目を丸くする。

「どうした?」

「机の上で寝ていました。疲れてる様です」

「本当か?さっきまで起きていたのに、タイミングの悪い奴だ」

「少し様子を見て、寝続けている様なら起こしてください。起こすのも気が引けますけど、体にも悪いですし」

「そうだな。悪いな、わざわざ来てもらったのに」

「私が勝手にやった事ですので、お気になさらずに」

「折角だから、ゆっくりしていけばどうだ?」

「いえ、これでお暇させていただきます」

礼儀正しく礼をして零の家を後にする。

「…………」

ヒカリは歩きながら、これからどうしようかと考えた。零に対してやる事がなくなってしまった。これ以上は自分の手では何も出来ないだろう。

何かする必要もないと思われるかもしれないが、ヒカリの気持ちとして、零に何かしてあげないと気が済まなかった。

でも、だからと言って何が出来るのか。精々志望校に受かる様に祈るのが精一杯ではないか。

「……祈る」

そういえばと思い出す。

山を一つ越えた所に勉学を司る神社があったと。

ISが広まってから世界の人が集まり易くなり、宗教の話や問題も少し増えたが、日本人の基本スタンスは変化していない。それは零の家も同じである。

「御守りくらい買ってあげても問題ないでしょう」

ヒカリはそう判断して、その足でバス停へと向かった。人の少ないバスに乗り込んだヒカリは揺られながら運ばれて行った。

それなり大きい神社は人がそこそこ賑わっていた。受験シーズンであるからだろうと容易に想像つく。

ここにきて、ヒカリは五円玉があるかと財布の中身を確認した。お賽銭の事をすっかり忘れていた。幸いに一枚だけあったので、それを賽銭箱の中へそっと入れる。作法に則り零の受験のお願いをすると、順番を譲って人の流れから抜け出した。

いよいよ本命の御守りを買おうと、販売所へ赴き

「…………」

ちょっとだけ固まった。

あまり興味もなかったので知らなかったが、御守りは千円前後が普通だ。良い物になるとそれなりに高くなる。

いくら千円でも、小学生の身ではかなり高額の商品だった。

「……た、足りますかね」

冷汗をかきながら財布を確認する。クッキー代とここまでの交通費でかなりお金を消費してしまっている。

貯金は全て家だ。普段使う分しか財布には入っていない。

「……ギリギリ?」

一番安いのを購入し、帰りを徒歩にすれば何とか足りる筈だと判断する。思いつきで行動するべにではないなと、少しだけ反省した。

「すみません、コレを下さい」

「ありがとうございます」

アルバイトの巫女さんにお金を渡し、合格祈願の御守りを購入する。

手元に残ったのは端た金であり、やはり徒歩かと諦める。山道を数時間歩けば着くだろうと、小学生でありながら図太い神経で考えて歩き出した。

鞄もないヒカリは、買ったばかりの御守りを手に握り締めて、零の事を思いながら帰路に着く。

 

 

生きている上で、「もし」は存在しない。

現在に起こした行動はその瞬間に過去になり、同時に未来の引鉄となる。

『もしも』

ヒカリがクッキーを作っていなければ。

ラウラがヒカリに少しでも手伝いを頼んでいたら。

零が起きていたならば。

箒がヒカリを呼び止めていたならば。

ヒカリが御守りを買いに行かなければ。

誰かを読んで迎えに来てもらえれば。

それだけで、この後の悲劇は免れていた筈だった。

それは唐突に起きた。

正確に言えば自然界の中で前兆は起きていたが、普段の人間がそれに気付くわけがない。致命的だったのは先日の土砂降りで緩んだ土。弱まっていた土は、それにより深刻なダメージを受けた。

時限爆弾のように、いつ崩れてもおかしくない箇所が山の一部で起こっていた。

その事を誰も気付かない。

山の道路に沿って歩くヒカリが、それに気付くわけもない。

体力があると言っても小学生だ。山道も長い道程も体力を消耗する。それでも一歩一歩足を踏み出して進んでいく。

その足に、小石が一つぶつかった。

「……?」

ヒカリは顔を上げて、小石が落ちてきた方向を見た。

カラカラと、砂のような小石が滑り落ちてくる。それが静かに、徐々に広がっていく。

ゾワリと、足元から這いずるような悪寒がした。それは野生の本能の部分が、生命の危機を感じた証拠だった。

一部の土に亀裂が入る。

「!!」

次の瞬間、ヒカリに覆い被さるように、土砂の波が襲い掛かった。

大量の土砂と、支えきれなかった木々。そして巨大な岩。

岩の重みにより、鋭利な枝が弾き飛ばされる。土砂に足を掬われたヒカリは逃走も叶わない。

「……!」

枝に体を抉られた瞬間、ヒカリは土砂の中に消えて行った。

 

 

「……ん」

零が目を覚ました。

体を起こすと、毛布がずれ落ちた。眠気眼で記憶にない毛布とクッキーを見てから、メッセージが添えられているのに気付く。

『寝るなら布団で寝なさい。眠くなるまでやっても効率悪いので、オンとオフをしっかりするように。無理だけはしないでください。ヒカリ』

「……お前は俺の母親か」

零はツッコミを入れてから大きな欠伸をした。

ヒカリが持ってきてくれたんだなと、クッキーを一口摘む。

「……む」

甘さを控えめに作られたクッキー。零は何回かラウラのお手製のお菓子を食べた事がある。ラウラ程ではないが、これも相当美味しいものだ。市販の物ではない美味しさに、小さく微笑む。

「……作ってくれたのか」

自惚れでなければ、自分の為に。自分の為じゃないとしても、作ったのをわざわざ届けてくれたのだ。

「今度お礼言わなくちゃな」

零はもう一度勉強に目を向けた。

その時、ヒカリが生死を彷徨っているなど知らずに。

 

 

偶然には色々ある。

不運な偶然があれば、運の良い偶然もある。

ヒカリにとって土砂に巻き込まれたのが不運とするならば、その時、彼女が近くに居たのは幸運だったのだろう。

「…………」

百花はいつもの場所に来ていた。

IS自体は展開していないが、ハイパーセンサーだけを広げて、鳥の鳴き声や自然の光景を堪能していた。

IS自体を動かしていないから良いだろうという百花の自己的判断である。

「……ん?」

百花のハイパーセンサーが僅かな揺れを感知する。

地震かと思い、緊急事態だからと身勝手な言い訳をして、ISを展開して空に上がった。空に上がりたいからではないと、心の中で言い訳をして。

空から見えた光景に、そんな事は頭から吹き飛んでしまった。

「うわっ」

遠くに見えたのは土砂が崩れ出す瞬間。凄いと感嘆して、そして、その存在に気付いた。

その光景を見た。

その少女を見た。

「え」

白銀の髪の少女が地を吹き上げる瞬間を。

彼女が土砂に呑まれる瞬間を。

百花は視認した。

「ひ……」

百花がこの辺りで知る限り、白銀の髪などあの家族しかいない。そして、それが子供ならば、もう一人だけに搾れる。

一瞬ではあったが、見間違えはしない。

「ヒカリさん!!」

その悲鳴は誰にも届かなかった。

 


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