インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》 作:ひわたり
百花は混乱した。
ISのエネルギーが減る程のダメージを受けている。
何故、どうして、どうやって。
頭の中は解が出せない疑問で埋め尽くされる。それも当然のこと。圧倒的有利な筈の自分が地面に叩きつけられている現状。それに、先程まで木の上に居て、白は下にいた。それが今では逆転している。何より、攻撃を受けたのは頭だ。意味が分からない。どうやって木の上まで飛んで来たのか。そもそも、いつの間に距離を縮めたのか。ハイパーセンサーは起動している。異常は無い。なのに、白を追えない。
常人が考えても訳が分からない事を、いくら脳が発達しているといっても、小学生の子供が分かる筈も無い。
ISで強化されているとはいえ、子供の身体能力だ。周囲の警戒も、力も、普通のIS操縦者に及ばない。
白には届かない。
百花の腕では、白に届きはしない。
「し、白さんもISを……?」
地面に倒れたまま聞く。それしかないと思えたが、白は簡単に否定した。
「男の俺が使えるわけないだろ」
木のてっぺんに立ち、悠然としている。
隙だらけのようで、全く隙がない。
会話もしているし、追撃もしていない。先程の言葉通り、白にとってコレは児戯なのだ。
百花が白を注意深く見ながら立とうとしたところで、白の姿が消えた。
「…………っ!」
……また消えた!
百花の背中に衝撃が走った。そのまま前に吹き飛ばされて木に衝突する。百花がめり込んだ木は自重を支えきれず、激しい音を立てて倒れた。
「…………」
言葉が出ないとは、まさにこのことか。
理解も追いつかないし、疑問しか浮かばない。
しかし、これは現実だ。
生身の人間がISのセンサーを掻い潜り、同等の速さを駆使し、そして壊し得る力を持っている。
「……あはは」
乾いた笑いが漏れた。
「どうした」
寝転がっていると、白が近寄って見下ろしてくる。ヒカリの赤い目はルビーのように綺麗だが、白の赤い目は血のように鈍い。
他の大人とは何もかもが違う。
百花にはそう感じた。
「あたしの負け」
勝てるわけがないと手を挙げる。
こんな人に勝てるわけがないのだと笑う。
また勝てないのだと、自分を笑う。
「何を言っている?」
しかし、それを白が許さない。
「……え?」
白の言葉に目を瞬かせる。
「言った筈だ。これは遊びだと」
白は折れた木を持ち上げる。生身の人間が片手で大木を持ち上げる光景を、まるで夢のように思えた。この人は本当に人間なのかと、百花は頭の隅で思った。
「故に」
そして、白は持ち上げた木を
「勝ち負けなど存在しない」
百花へと振り下ろした。
「!!」
百花は飛び跳ねて避ける。木の大きさが空気抵抗となり速度が若干遅い。その為、まだ逃れることが出来た。一瞬遅れて、地響きと舞い散った葉が辺りを埋め尽くす。
「殺す気!?」
焦る百花に白は平然と返した。
「ISを纏っているのに、この程度で死ねる訳ないだろう」
「だからって、あたし子供だよ!?」
「だから?」
白が消える。
百花は慌てて空を飛ぼうとしたが、死角から首を掴まれて地面へ叩きつけられた。
「子供だから何だ、百花」
ギリギリと首を絞められる。ISのお陰で苦しくはないが、エネルギーが急激に削られていく。
「子供だから、手加減して欲しいのか?」
首を絞めている白の腕を掴んだ。ISの腕力で全力で握るが、白の腕はピクリともしない。
「子供だからと、許して欲しいのか?」
子供だから。大人だから。
そんなのは関係なく、人間として。
「なぁ、百花」
白が冷たい言葉を落とした。
「諦める理由が欲しいのか?」
その言葉を聞いた瞬間、カッと頭が熱くなる。
手に銃を展開し、白の腹へ突き付ける。引き鉄を引くと同時に衝撃が腕に伝わった。
放った銃弾は、今での何よりも百花に衝撃を与えた。
「……あっ」
人を撃った。
その事実に、頭に上った血が急激に冷めていく。人を、知り合いを撃ってしまったと、恐怖で震えそうになる。銃を持った手が震えた。
殺してしまったと錯覚して。
「その銃では、この体は傷付けられんぞ」
そして、恐怖の前に、愕然とした。潰れた弾丸が地面へと落ちる。当たり前のように無傷な白が、変わらず正面に居続けた。
身体どころか、服すら穴が開いていない。
あと何度、理解の範疇を超えればいいのか。
「……白さん、本当に人間?」
思わず聞いてしまった質問に、白は淡々と答えた。
「神化人間だ」
「しん……?」
「人造人間であって、人造人間ではない。銃弾などではビクともしない。その程度では擦り傷を負うこともできない。だから、本気で来いと言っただろ」
白はただ事実を突き付ける。
「お前の腕では傷一つ付けられないからな」
「…………!」
白の発言に、カチンときた。先程のような突発的な怒りではないが、ここまで馬鹿にされて黙ってもいられない。
百花はありったけの爆発物を周囲に展開させた。
自分は死にはしないし、白もこの程度では死なないと踏んでの行動。手加減など考えていないし、白にダメージを与える事しか考えていなかった。
白は百花から手を離すと、両手を思い切り地面へ叩きつけた。百花の顔の左右に付けられた両手。まず、右手の衝撃が地面へと伝わり、地表を破壊する。次に左手の衝撃が地面を縫い、砕けた地面を跳ね上げた。
弾丸の如く飛び上がった地面は爆発物を巻き込み、空へと舞い上がった。ある程度離れた所で、白が手を振り上げる。彼の腕から放たれた鎌鼬が爆発物に当たり、誘爆を繰り返して大きな火球を産んだ。
膨大な熱量が熱風となり吹き抜ける。
「……っ」
百花はまず脱出を優先した。
白の手が首から離れた事で、その身を逃がす事に成功する。一方、白は百花の魂胆を理解した上で、敢えて策に乗ってやった。
本当であれば、今の二撃を百花に食らわせて終わっている。
「……ふー」
百花が息を吐いて剣を展開する。刀に酷似した剣を握り、構えを取った。
いつもの剣撃。
いつもの姿勢。
精神を安定させて、白へ対峙する。
剣道と実戦は違う。剣道は『打つ』事に特化したスポーツだ。『斬る』技術とは異なる。
「…………」
だが、この剣が、年を積み重ねてきた剣術だけが、百花の最大の戦力だった。
前を見据える百花は、迷いも驕りも無かった。
「……ふむ」
白はどうするか考える。
どうせなら剣で相対したい所だが、自分の武器はラウラが持っている。仕方がないから、適当な枝を見繕い拾い上げた。
片手で持ち、百花へと向けた。
「…………」
それに対し、百花は何も言わない。ふざけた武器とも思わない。自分と白の実力差は明白であり、これはルールに則った戦いではないから。無手でも白に勝てないのは分かっているから。
だから、百花は全力で行く。
「……勝ち負けじゃない」
それでも、せめて一矢報いる為に。
百花は剣を振るう。
白はほんの僅かな動作で躱し、木で百花の急所を突いた。
1殺。
「……っ」
百花は再び剣を振る。白は枝を使い、剣の軌道をズラした。それだけで攻撃を回避する。そのまま流れるように急所を斬る。
2殺。
「まだまだ……!」
何回も剣を振って。
何回も避けられて。
何回も斬られて。
何度繰り返しただろうか。
何度剣を振っただろうか。
何度斬られただろうか。
どんなに剣を振りかざしても斬れなくて。
どんなに頑張っても届かなくて。
どんなに足掻いても、この手が掴むものはなくて。
自分の死亡数だけが積み重なっていった。
「はー……はー……」
どれだけ時間が経ったのだろうか。
一体どれ程の剣を振っていたのか。
既に辺りは真っ暗で、碌に視界も見えていない。月明かりをハイパーセンサーで出力を増幅しているお陰で、白を視認する事ができる。
「はぁ……はぁ……」
息が荒い。エネルギーも底を着きそうだ。何よりも体力がない。
「うぅ………」
剣を振り上げる。振り下ろす。
これだけの動作がこんなにも重く、疲れる作業になる。もう形も見る影もない。白はそれを避けるまでもなく、そして、また枝で百花の急所に当てた。
枝が折れる。白は枝を投げ捨てて、また別の枝を拾い上げた。辺りには幾つも折れた枝が転がっていた。その数だけ、百花は死を積み重ねた。
回らない頭の中で、また剣を振る。
まだ、剣を振る。
呼吸が荒い。
身体が重い。
思考が出来ない。
もうやめてしまいたい。
何もかも投げ出したい。
全部、終わらせたい。
「……っ」
……ああ、何であたしはこんなに頑張っているのだろう。
「…………」
何でこんなに一生懸命になってるんだろう。
「……………………」
何で、あたしは……。
「なぁ、百花」
白の言葉が頭に響く。
「何で、まだ倒れないんだ?」
それは、貴方が本気を出さないから。
あたしにまだ体力があるから。
あたしが、まだ此処にいるから。
………………。
…………ああ、違う。
違うんだ。
そんな事、関係なくて。
「……だって」
何もかも諦めてきて。
皆が通った道を眺めて、辿ってきて。
落ちてるものだけを拾ってきて。
諦めたんだ。
何もかも。
「だって……!」
それでも。
あたしは何も捨てられないから。
ここで倒れてしまったら、腕に抱えた僅かな物さえ落としてしまうから。
「無くしたくないよ……!」
それさえ無くしてしまったら、あたしはあたしでなくなってしまうから。
「嫌だよ……!」
何も得られなくても。何もかも捨ててしまっても。
でも、あたしは
……私は。
私を
「私を無くしたくないよ……!」
百花は大声で泣いた。
大粒の涙を零して、悲痛な叫びを上げながら。
私は私でいたいのだと。
私だけは奪わないでと、少女は泣いた。ごく普通の子供と同じように、泣きじゃくった。
泣いて、泣いて、叫んで。
それだけのことが、この少女には出来なかった。
「…………」
白は枝を捨てた。
無言のまま、抱き締める事もせず、百花が泣き終えるまでずっとそこにいた。
百花は剣を握り締めたまま、手放すことはなかった。
山道を白が先導し、下って行く。
「……こういう時、普通負ぶっていってくれるものじゃないですか?」
後ろから白の後をついていきながら、百花は文句を言う。泣き腫らした目はまだ赤いが、その表情はどこか晴れていた。
「そういうのは親に頼め」
「今更、頼めるわけないじゃないですか……」
顔を俯かせる百花に、白は振り向かずに言った。
「別に甘えたって構わんだろ。それを待ってるかもしれないしな」
「……考えておきます」
百花はポツリと答えた。
「百花」
「はい」
「仮に、お前が実は束の子供だったとしたら、どうする?」
「……え?」
百花が足を止めた。
何を言っているのか、即座に理解できなかった。
白が構わずに進んで行くので、慌てて追い掛ける。パキパキと、足元の葉が喧しい音を立てた。
「……どういう意味ですか?」
「束には愛した人がいた。しかし、そいつの寿命は短かった。既に治療するにも手遅れだった。だから、束はその短い期間、精一杯、男に愛を注いだ」
「…………」
「結果、男は死に、束はお前を身篭った。だけど、束は世界から狙われる身だ。今でも隠れながら生活している。それに、そもそも自分が普通ではないのだから、子育てができる筈もない。その為、束は一夏と箒にお前を託した」
百花は再び足を止める。今度は白も足を止めた。百花は真っ直ぐに目を向けて、白に恐々と尋ねた。
「……それは、本当ですか?」
その問いに、白は平然と宣った。
「仮にと言っただろ?」
「……は?」
百花はポカンと口を開いた。見事な間抜け面だと、白は内心思った。
「嘘なんですか?」
「そこは誰でもいいから確認してみろ。重要なのはそこじゃない」
「いやいや、そんな軽々と確認出来ないですし、しかも結構重要だと思うんですけど」
百花の反論を聞き流して、白は言った。
「この話を聞いて、お前はどう思った?」
「どうって……」
「自分が家族ではないと安心したか?それとも、ショックを受けたか?」
「…………」
「答えは言わなくてもいい」
白が歩き出す。百花は後をついて行きながら、心の中でズルいと呟いた。
百花は家族が嫌いだった。
それでも、本当は分かっていた。
一夏も零も、頑張って努力して。
彼らは彼らの理不尽さに抵抗を続けている。男性操縦者であること。世界の期待を背負っていること。そして、箒はその彼らを一生懸命支えている。
才能や努力だけでは重圧に勝てない。そこに意思が存在し、初めて対抗出来る。零にはまだ意思がないが、きっとヒカリが支えるだろう。彼女ならば、世界の重さを一緒に背負ってくれるだろう。
「…………私は」
……ああ、そうだ。本当は分かっていたのだ。
「この世界が嫌いです」
本当に嫌いなのは、この理不尽な世界だ。
……家族はそれに抗い、戦い続けている。戦って、前だけを見て。だから、私に気付いてくれないのだろう。守る為と、対抗する為と戦ってるからこそ、後ろを振り返らないのだ。
本当に、馬鹿な家族だ。
「憎さ余って愛しさ100倍ってやつですかね。普通、逆ですけど」
「さあな、それは俺の預かり知らぬ所だ」
「冷たいです」
「俺はこんな人間だからな」
それでも、百花は知っている。白が家族のことを本当に愛しているのを知っている。
「私も、白さんみたいになれますかね」
百花はそう聞いた。貴方みたいに、誰かを愛せるのかと。
「俺の真似などしない方がいい」
それに対し、白は淡々と語り掛けた。
「既に自己を確立しているお前が誰かの真似しても、それは演技でしかない。だったら、自分を偽るより自身の魅力を伝える方が良い。判断するのは自分じゃなくて相手だ」
それが家族でも、友達でも、恋人でも。
人は人である限り、他人と関わっていくしかないのだから。
「……それは、愛される方法ではないですか?」
「そうだ。そして、俺は俺だから、愛されようとしない。ラウラからしか愛を受け取ろうとしない」
愛される事と、愛することは別の事だ。
「だから、俺は家族しか愛さない。そして、本当の意味で愛するのは、ラウラだけだ」
愛には様々な形がある。
それがどんな形でも、白は一つの愛しか持たない。
「故に、俺はお前とは一緒になれない。お前でだけでなく、他の人間とも一緒になれない」
本当の意味で歪んでいるのは白自身だから。百花は普通の人として歩んでいる。
だから、真似てはいけない。
壊れた人間の真似などしてはいけない。
「いつかお前が愛して、愛される人が現れる」
その時が訪れる保証はないけれど。
でも、いつの日かきっと。
「それが家族であるか、家族になるかは、お前次第だ」
そして、2人は山を抜けた。
生い茂った木々から抜けた世界の中で、百花は立っていた。人のいない孤独な山の中から、人の居る場所へと足を踏み込んだ。
足を止めず、進んで行く白。大きな白い背中を、百花は追いかけていった。
白が山や森の中で戦ったら独壇場になるんでしょうね。葉っぱと障害物で跳び放題ですから。