インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》   作:ひわたり

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自分の居場所

零とヒカリは学校で会う機会は少ない。

学年が違うから、というのが大きな理由である。特に、部活動などもなく上下の繋がりが薄い小学生なら尚の事であった。

「零くん、サッカーでもしますか?」

それでも、ヒカリはたまに零の教室にやってきては話し掛けてきた。ヒカリが来る度にクラスメイトは驚くが、ヒカリは自分の容姿が目立つのだろうと勘違いをしていた。

「……いや、受験勉強するし」

「ああ、そうでしたね」

ヒカリは学校で有名である。

それはもちろん彼女の美貌もあるが、頭も良く運動も出来る。口調も相まって、才色兼備の完璧お嬢様と呼ばれている。自分にマイナスの感情が向けられていなければ、ヒカリは大概の噂はスルーしたり鈍かったりしていた。

「ちょっと、屋上で話さないか?」

零の提案にヒカリは首を傾げた。

「勉強は良いのですか?」

「いや、ちょっとだけ話したいことがあってさ」

分かりましたと、ヒカリは頷いた。零とヒカリは並んで教室から出て行く。自然な行動に、生徒達はアレは付き合っているんじゃないかと疑問符を浮かべるが、本人達は否定の言葉を述べていた。

屋上へ出た零とヒカリ。澄んだ空がよく見える屋上は、人が落ちないように大きな柵で囲われている。

何故だか、鳥籠のように思えた。

「なぁ、ヒカリ」

零の言葉に振り返る。僅かに伏せている零は、どこか暗く見えた。

「俺の事をどう思う?」

それが浮いた意味でないのは理解している。ヒカリは茶化しもせず、問い返した。

「どういう意味ですか?」

零はポツリポツリと言葉を零した。

零は言わずもがな有名人である。

それは織斑一夏の子供だからだ。

今の子供でさえ、織斑の名前を聞いただけで一夏を連想する。零が自己紹介をすれば、滅多にない名前から息子だと判明する。興味本位で近寄ってくる子供は純粋な思いや無邪気な悪意を持つ。だから少しやり難いと、零はどこか冷めた思考で考えていた。

「……ま、大人はもっと狡猾だったりするんだけどね」

零は苦笑いを浮かべた。

将来の自分を買ったり、零を通じて一夏に近付こうとする者もいる。子供には少し辛い大人の事情や闇が薄く見えて嫌になっていた。

「…………」

ヒカリは零のことを赤ん坊の頃からよく知っている。当然、同じく一夏のこともよく知っている。

一夏は世間的には凄いが、父の友人だし、人並みに情けない部分もあるというのがヒカリの一夏への認識だった。

白とラウラの影響か、良くも悪くも人を平等に見るのがヒカリである。故に、零に対しても『特別な人間の子供』として見るはずもなかった。

「ヒカリは、一夏の息子であるのに何か思わないのか」

下らない質問だと、ヒカリは思った。

「今更ですね」

同時に、侮辱だと感じる。

「零くん」

ヒカリは冷たい目線と冷めた口調で返答した。

「親は親の功績でしょう。それとも、貴方は親の陰に隠れる卑怯者になりたいのですか?」

ヒカリの凍てつく言葉に、零は氷水を頭から被らされたような感覚を味わった。

周りが持ち上げていた『一夏の息子』というレッテル。内心で嫌がっていた『一夏の息子』を一番意識していたのが自分なのだと気付かされた。

「……俺はどうすれば『一夏の息子』じゃなくなるのかな」

「無理ですよ」

自分の願いをあっさりと否定される。目を見開く零に、ヒカリはいつも通りに答えた。

「貴方は一夏さんと箒さんの息子ですし、百花さんの兄です。そして、私は白とラウラの娘です。親子は親子です。変えられるわけないでしょう」

それは生まれついた瞬間の決定事項。人の手では変えられぬモノ。

「だから、零くんが出来るのは一つくらいですかね」

「何だ?」

「『あの』一夏の息子ではなく、『あの』零の親は一夏だった、と言わせるのです」

人の認識を一夏ではなく、零にすること。そうすれば、零の願いは叶う。

「……父さんを、超えろってことか?」

超えられるのか。

あの父親を。

世界初の男性操縦者。モンドグロッソ優勝者。世界へ貢献した男性。

あの存在を超えられるのか。

「別に越えなくても良いんです。方法は何でも良いんですよ。ひっくり返すだけなら、善悪関係なく出来ますから」

とても酷い例えをするならば、大量殺人でも評価はひっくり返る。極端に言えばそういうことである。

「……えげつないこと言うな」

顔を顰める零に、ヒカリは平然と言った。

「お父さんの受け売りです。選択するのは結局、自分なのですから」

だから零くん、と続ける。

「逃げても良いんですよ?」

グラリと、心の中で何かが揺れる。

それは魅力的な、魅力的過ぎる甘言であった。

「そんな、ことは……」

「方法はあります。こんな事で頼るのもいけない事ですが、束さん達に頼めば何とかなるでしょう」

「…………」

「ねぇ、零くん」

それは、とても甘く。

甘過ぎて、溶けてしまいそうなほどに。

言葉に誘惑される。

「貴方は、逃げたいですか?」

逃げる。

背負うべき物を全て投げ捨てて。後で被る被害も顧みず、皆他人だと振り返らず、利己的に、自己中心的に、自分の事だけを考えて。

それが出来ればどんなに楽だろうか。

「…………」

そんな事が出来たら、それは既に自分ではないのだから。

「……っ」

だから、織斑零はそれを選べない。

「……はぁ」

零は息を吐いて、空を仰ぎ見た。

「人生ってキツイな」

「まだ私達は子供ですよ。きっと、これから先もっと酷い事なんて幾らでもあります」

「悲惨だな」

「楽しいだけが人生ではありませんから。また、辛いだけでもありません。辛いこと同様、同じく、楽しい事もたくさんあるでしょう」

しかし、これは想像でしかなくて。

明日の事や、数分後の事さえ未来は分からない。

生きている間でしか得られないモノの為に、生きているのだから。

故に、今この瞬間さえ大切に思えるのだ。

自分が自分である限り、そこに『何か』があるのだから。

「……弱音を吐いてごめん。頑張ってみるよ」

「頑張らなくて大丈夫です。頑張ると潰れちゃいますよ。気楽にいきましょう」

「おう」

前を向いた零は晴れやかな表情をしていた。だから、もう大丈夫だと、ヒカリは安心した。

「良い顔です」

「ああ、ありがとう」

「どう致しまして」

ひと段落つき、2人の間に静寂が生まれる。校庭から楽しげに響く笑い声が、どこか遠くの出来事に思えた。

「……やっぱり、中学受験ですか?」

織斑零が折れそうになった理由。ヒカリは敢えて零を見ずに聞いた。

「まあ、中学受験がどうこうではないけど、切っ掛けの一つではあったかな」

零は自嘲気味に笑って目を瞑る。

「少しだけ、疲れたんだ」

子供でも大人でも、周りの期待に応え続けること。ずっと対応して、応えて、頑張って。

いつしかそれが当たり前になっていて。

義務のように淡々とこなしていって。

そこに自分の意思は存在しない。

それでも周りの期待はドンドン上昇していった。

ふと、考えてしまった。

どこまで行けば終わりがあるのかと。

もしかしたら永遠に続くかもしれない。永遠でなくとも、長い期間かかるかもしれない。

果たして、応え続けることは出来るのか?ずっと歩いて行けるのか?

……俺は、耐え続けられるのか?

耐える。何に、耐えるのか。

急に足元が崩れるような感覚を味わった。

他人から見れば重いモノでもないのかもしれない。ただそれだけの事と言われるモノかもしれない。それでも、確かにこの瞬間、零の心は耐えられずに折れてしまった。

「馬鹿ですね」

ヒカリは零の鼻を摘んだ。

むぐりと、零は言葉を詰まらせる。

「溜め込んだら破裂するに決まってるじゃないですか」

鼻を摘んだまま肩を竦めてみせる。

「私は零くんを強いなんて思った事はありません。でも、零くん辛さは零くんにしか分からないでしょう。他人が他人の辛さを100%理解するなんて不可能ですから」

だから。

「少しくらい、私が負担してあげますよ」

……それしか、私には出来ないから。

「……ありがとう」

「いえいえ。……ああ、ちなみに、私も来年は同じ中学に受験するので、テスト内容教えてくださいね」

「え、ヒカリも受けるの?」

予想外の内容に驚く零。

ヒカリは手を離して答えた。

「一番勉学に励める学校ですし、出来る頭があるならやっとけっていうのが親の意見でしたね。最終的には私がやりたいかどうかですけど」

「それで、やるのか?」

「ええ、まあ。勉学は嫌いではありませんし。元々、勉学は自分の為に身に付けるものですよ」

ヒカリは自分で言っていて気付いたのか、一度頷いた。

「ああ、そう、そうですよ。勉学でも何でも、自分がやりたいからやるんです。他人の為にやろうとして潰れそうになってるなんて、本当に馬鹿です。他人の期待なんて意気込みにプラスするだけの気持ちで良いんです」

ヒカリはペシペシと零の胸を叩いた。

「やるなら楽しみましょう。楽しくないなら楽しくなる方法に変えるか、やめちゃえば良いんです」

「それ、駄目人間にならない?」

「零くんは責任感が強過ぎるのでそのくらいの気持ちが丁度良いんですよ。私が言うんだから間違いありません」

とんだ暴論だが、不思議な説得力があり、成る程と思わず思ってしまった。

「……そろそろ昼休みも終わりです。私の教室は少し遠いので、先に行きますね」

ヒカリは零に背中を向けてドアへと向かう。彼女の小さな背中に、零は問い掛けた。

「ヒカリ」

「はい?」

「ちなみにだけど、俺が逃げるって言ったらどうするつもりだったんだ?」

ドアを開けようとした手が止まる。

「……そうですね」

ヒカリが振り返って、小さな笑みを作った。

「提案したのは私ですから、一緒に逃げてあげますよ」

とても綺麗な笑顔に、零は少しだけ見惚れた。

「…………そうか」

ではこれでと、ヒカリは今度こそ去って行った。零は一人取り残された後、金網に背中を預ける。

「……あーあ」

そのままズルズルと体を下げて座り込んだ。

ヒカリと一緒に逃げる未来。彼女の他には何もない。その手の温もりが全て。

「ちくしょう」

乾いた笑い声を上げる。

……ヒカリだけが側に居る。

ああ、それは、なんて。

何て、素晴らしい未来だろうか。

「逃げときゃ良かった……」

でも、もう覚悟は決まってしまったから。

二度と自分には負けないと誓ってしまったから。

 

だから、零は此処にいる。




※小学生です

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