インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》 作:ひわたり
零は今夜の都合を百花に伝えようと道場の方へ向かった。
ちょうど外で休憩を取って水を飲んでいた百花が目に入る。零は百花に近付くと、今日の夜の事を話した。
「そうか、遂にこの時が来てしまったか。ヒカリさんと……」
……うん、食事だからね?何でそんな遠い目するのかな?
「にーちゃ、この前はあんな事言ったけどさ、とーちゃも含めて、あたしは家族の皆が好きだ」
「お、おう」
「……帰ったら、一緒に美味しいアイスでも食べようぜ」
……百花さん?何で戦場に赴くような顔してるんですかね?清々しい笑顔で去らないでくださいますか。
「じゃあ、よろしくな」
零の声に、百花は片手を上げて答えた。
道場に戻って扉を閉めた。今は誰もいない。百花一人だけが道場にいる。全身の力を抜いて、だが竹刀を握る力だけは緩めない。
先程のおちゃらけた表情は全て消え失せ、家族の前では見せた事のない冷たい瞳を宿した。
「…………ふっ」
短く息を吐き、剣を振るう。
空気を斬る音が静かに道場に響く。
「…………」
引いて、打ち込み。引いて、打ち込み。斬る。
昼からは門下生が来る。今この時だけは1人の時間。
剣を振るい続ける。鋭い瞳は何かを斬り続けた。
「やほーっ、ももちゃん」
突如、場にそぐわない緩い声が聞こえた。百花が振り向くと、束がゆるゆると手を振っていた。
現在、ISのコアは増えたものの、世間の認識でコアを作れるのは束だけなのは変わらない。彼女の事を狙う者は多いが、それを屑と切り捨てる束は意に介さない。自由奔放なのは健在である。
「こんにちは、束さん」
即座に、にへーと笑う百花に、束は近付いて頬を突いた。
束は微笑みを浮かべたまま百花に言った。
「束さんの前で無理しなくていいよ?」
「無理じゃありませんよ。もう、こっちが素の表情なのです」
「仮面が剥がれなくなったら末期だよ?」
「それは経験談ですか?」
「さあ、どうだろうね」
百花は再び剣を振るう。
斬るのは過去の己自身。
「剣を振ってる時の表情とか、昔のほーきちゃんにそっくりだよ」
「そうですか?そんな風に思えませんけど。似てるなんて言われたことないですし」
「今は結構緩くなったからね。あの時は、きっと気を張りっ放しだったんだ」
……それは暗にあたしが気を張り続けてると言いたいのだろうか。
百花は横目で束を見るが、彼女は表情を変えずにニコニコ笑っている。本心を隠すのは、束が何枚も上手だった。
百花は肩を竦めて見せた。
「あたしはコレで良いんです。良い子で家族大好きな百花ちゃんで良いんです」
「嘘吐きだねぇ」
「今は本当に好きですよ」
……今は、ね。
「束さん」
「ん?」
「愛って何ですかねぇ」
百花の問いに、束は少しだけ表情を緩めて意見を述べた。
「私からすれば、足枷だね」
自分と誰かを繋ぐ重い絆。相手を繋ぎ止め、行動と時間を奪い取る。
束にとって最も不必要な物であり、得られなかった物であり、求め続けた物だ。
「……成程」
それもまた、一つの答えなのだろう。
百花は剣を振る。
本当の彼女の顔を知るのは数少ない人間だけだ。昔から家族の前でも完璧に演じ続ける彼女に隙はない。
それでも、束は見抜いたし、白の眼を誤魔化せない。
それでも彼女は良い子の百花を演じ続けるのだ。
こうして他人が素の状態の百花が見られるのは、剣を振っている時だけだろう。
箒のように綺麗な動作。
一夏のように迷いのない軌跡。
凛とした表情は気高き魂を見せる。
「…………」
束はだから思うのだ。
ああ、やっぱり2人の子供だな、と。
「……それで、何しに来たんですか?」
「ん?ああ、コレを渡そうかと思ってね」
束が見せてきたのは腕輪のようなリング。ただのアクセサリーのように見えるが、それがアクセサリーなどではないのを百花はよく知っている。
「……あたしには必要ないものです」
自分のISから百花は目を逸らした。
「怖いかい?」
「そうですね、それもあります」
束の問いに、百花の脳内でフラッシュバックが起きる。
崩れた土砂。
辛うじて残る生体反応。
動かせば死んでしまうかもしれない。
助けられる力はある。
でも、それは殺す力でもある。
下手に動けない。
動けない。
動けない。
何も、出来ない。
『下がっていろ』
あの白く大きな背中には届かない。
「あたしには過ぎた力を操る事は出来ません」
竹刀の先を見つめ、切っ先を何も無い空間へと向けた。
「自分の力だけで手に余ります。だから、必要ありません」
それに、剣の道を取ったから。
ISの道は捨てたから。
だから、もう必要ない。
「君が選んだわけじゃないだろうに」
「あたしに選択権などありませんでしたし、あったとしても選ばなかったでしょう」
薄く笑う百花に、束も微笑んで返した。
「壊れてるねぇ」
「束さん程じゃありませんよ」
壊れたもの同士笑い合う。束は背を向けると、リングを指で回しながら言った。
「ま、一応待ってあげるから、答えが見つかったら、束さんの所に来なさい」
そう言って、束は来た時と同様、何の前触れもなく消えた。
百花は暫く束が消えた場所を見ていたが、やがて剣を振り始めた。
夜の時間。
まだ微妙に日が出ている時間に、ヒカリは零と百花に合流した。
「こんばんは、ヒカリさん」
「こんばんは、百花さん」
ヒカリは丁寧にお辞儀をし、百花がそれに合わせてお辞儀をする。顔を上げて、2人でフフフと笑い合う。
「……ところで百花さん。私のお父様と何かございましたか?」
「嫌ですわ、ヒカリさん。怖い顔。何かあったら何だと言うのですか?」
百花の背には、何故か麻袋に包まれた竹刀が背負われていた。
ヒカリは無防備に立っているように見えて、隙が一切無い。
見えない火花が2人の間に散った。
「…………」
近くにいる零は肌がピリピリして変な汗を噴き出していた。2人の背中にそれぞれ虎と龍の幻影が見える。
殺気と闘気に挟まれて、人生で一番の恐怖を感じる零であった。
「……ふ、2人共。何を食べに行きたい?」
場の雰囲気を変えるべく、零は切り出した。零の質問に、2人の視線が同時に向けられる。
「あら、決めてないのですか?」
「にーちゃ、そこは男がリードするべき所だぜぇ」
呆れた視線を申し訳なく思いつつも、2人の殺気が消えたことに安堵した。
「いやさ、女性が好む物なんて分からないし」
「身内なのですから、気にせずとも良いではありませんか」
ヒカリの発言に百花が首を振る。
「いや、そこはヒカリさんが察してあげるべき所ですぜ」
「?」
百花がヒカリを呆れた目で見るが、訳の分からないヒカリは首を傾げるばかりである。
零はヒカリを大切な女性として扱っているので、少しでもヒカリを喜ばせたいと思っている。だが、女性経験がなかった零は、悩んだ挙句にヒカリの望みを聞く事にしたのである。
ヒカリはヒカリで零を身内扱いしているので、特別な何かが無くても気にしていない。逆に無理をする事はないと、ファミレスでも何でも構わないと思っていた。
2人の仲が何となく進んでいるのを百花は感じ取っていたが、しかし、零もヒカリも根本は何も変わっていない。
「いやぁ、2人共変わってないねぇ」
……呆れるくらいに。
実際に呆れてますよと、大袈裟に溜息を吐いて見せた。
「いえいえ、変わりましたよ。身長0.2㎝伸びましたよ」
持ち前の天然を発揮したヒカリの的外れな反論に、知らんがなと、百花が片手でツッコミを入れた。
百花に身長を抜かれているヒカリは、見た目ではどちらが年下か分からないので、割と真剣だったりする。
「……本当にちんまいっすね、ヒカリさんは」
「見下したら許しませんよ」
「それ物理的に難しいっすわ」
零は本当ならヒカリと2人きりで話がしたかったのだが、何となくホッとしている自分がいた。
百花がいることで暗い雰囲気になることもなく、いつも通りに振舞えている。
「…………」
零はヒカリに視線を向けた。
今朝の電話といい、百花を呼んだ事といい、零を気遣っての行動だというのは零も気付いていた。
そのことを嬉しく思うと共に、自分を情けなくも思える。そして、どれだけヒカリに支えられていたのかを、改めて理解した。
「何をジッと見てるんですか?」
ヒカリの言葉にハッと我に返った。
「視姦ですか?」
「にーちゃ……ドン引きだわ」
「変態」
「ケダモノ」
「待って、違うから。2人して俺の心抉らないで」
ブンブンと左右に首を振る零に、ヒカリはワザとらしく目を伏せて呟いた。
「私に魅力がないと仰るのですね……」
「マジかよ、にーちゃ最低だな」
「すけこまし」
「女の敵」
「どう逃げても俺追い詰められるの?」
先程まで睨み合っていたかと思えば、息ピッタリに零に攻撃するヒカリと百花。
脱力した零だが、このまま路上でうだうだしていても仕方ないと切り出す。
「それで、どうする?」
「特に希望はありません」
「鈴さんの中華屋は?」
「箒さんもそうですけど、お母さん達とご飯食べに行ってるでしょう」
「そういえば、そっすね」
他にはと考えて、ポンと手を打った。
「あ、五反田食堂はどうっすか?久し振りに弾さんと虚さんに会いたいし」
弾が後を継いで、今もなお継続している五反田食堂。一夏繋がりで交流があり、偶にご飯を食べに行ったりする。
「異論はありません」
「じゃあ、そうしようか」
3人はその足で五反田食堂へと向かった。