インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》   作:ひわたり

120 / 163
祈りは儚く

朝、ヒカリは机の上に突っ伏していた。

「…………」

普段はキッチリしていてるヒカリにしては珍しい光景に、クラスメイトが心配して話し掛ける。

「大丈夫?ヒカリさん。気分が悪いなら保健室行く」

「……ご心配ありがとうございます。でも、体調が優れないわけではないので大丈夫です」

「そう?」

クラスメイト達は顔を合わせ、取り敢えずそっとしておく事で合意した。もし本当に体調が悪そうなら、その時に動こうと話す。

その後、ヒカリは授業中は起きて、休み時間は塞ぎ込むという器用な行動を取っていた。

実際、ヒカリは体調が悪いわけではない。ただ自己嫌悪に陥ってるだけである。

「……穴があったら入りたいとはこの事でしょうか」

今朝の零との会話。

何故あんな恥ずかしい事を口走ってしまったのかと、羞恥と自責の念に囚われていた。告白紛いもいい所だが、相手が零ならそんな風には受け取らないだろう。ヒカリも告白の意味で言ったわけではない。

むしろ、もっと深い意思が込められていた。

それは思わず出てしまった本音であり、弱音であった。

「重い女ですね、私は」

「え、ヒカリちゃん、もしかして体重増えたの?だから今日不機嫌なの?」

隣に居た桜に呟きを聞かれ、ヒカリは顔を伏せたまま答えた。

「次に体重が増えたと言ったら、手足の爪を一つずつ剥がしていきます」

「痛い!それ痛い!怖い!ヒカリちゃん恐ろしい!」

「何言ってるんですか、爪なんてまた生えてきます。優しい方ですよ」

「それは優しいとは言わないよ!」

ヒカリちゃんの体重が増えたって言っても、どうせ胸とかなんだろうなぁ、と桜は不満気に愚痴った。

確かに最近、また大きくなった気がする。でも、ヒカリとしては背が大きくなって欲しい。胸だって母親であるラウラとは違うのだ。背が大きくなって良いではないかと思う。何故そこだけ母親遺伝子なのか。

今更モデル体型など高望みはしない。

……ただ、少しでも背を伸ばさなければ。そうしないと、零とキス……

「うにゃーーー!!」

ヒカリは顔を上げて発狂した。即座に頭に思い描いた妄想を掻き消す。

「どうしたのヒカリにゃん!?発情期かにゃん!?」

「殺しますよ」

「一瞬で冷静にならないでよ」

真顔のヒカリに、桜は腰が引けた。

ヒカリは顔を撫でて、深い息を繰り返して吐いた。

「……冷静にならなきゃ。冷静に冷静に」

ブツブツと自分に言い聞かせる。ここ最近の自分は何処か浮かれているといくか、緩んでいる。零に傷を見せたのが原因なのは想像に難くない。こんなに単純だったかと叱咤したくなる。

怖いよヒカリにゃんという桜の台詞は敢えて無視した。

「…………」

ポンと、頭に何か乗っけられる。手か何かかと思ったが、どうも感触が違う。

何かと思った所で、教室のドアから声が掛かった。

「ヒカリ、いる?」

零の声だった。

また教室に来たのかと叫びたい衝動を抑えつつ、ドアへ振り向く。零と目が合った瞬間、彼は突然噴き出して咳き込み始めた。

「れ、零先輩?どうしたんですか?」

零の反応に、怒るより先に戸惑いが先行する。立ち上がって零の側へ行き、咳き込む零の背中を優しく摩った。

「げほっ……。ひ、ヒカリ。何それ」

「それ?」

零が指差したのはヒカリの頭。手をやると、何か柔らかい物に触れる。外して見ると、白い猫耳が手の中にあった。

「…………」

無言でクラスに振り返る。全員が良い笑顔でサムズアップしていた。中には携帯画面を此方に向けている者もいる。映っているのは、白い猫耳をつけたヒカリだった。ヒカリが悩んでいる所や、零の背中を摩っている場面がデータに残っている。

瞬間、ヒカリが走り出し、クラスメイトが蜘蛛の巣のように散り散りに逃げ出した。

鬼ごっこの始まり。

教室内から全員が居なくなる。

ヒカリも即座に追いかけようとして、零に捕まった。

「ちょちょちょ!待って待って!」

慌てたのは零である。

ヒカリの腕を掴んで彼女を引き止めた。

「離してください。私の一生に関わります」

「いやいや、関わらないって。というか、そんな急激に動いちゃ駄目だ。また倒れるぞ」

零の注意に、ヒカリは首を振った。

「私が倒れるのは過度の運動をした時です。こんなもの運動にも入りません。なので離してください」

グイグイと進もうとするヒカリを必死に抑える。

「いや、全員捕まえるなんて無理だろ。周りにばら撒かないように注意するだけで良いって」

零はそう言って携帯を取り出した。何処かへとメールすると、ヒカリに言う。

「今、生徒会長にメールしたからさ。少なくとも学園のネット掲示板に広がることはないし、対処もしてくれるだろう」

「……………………へー」

零は安心させるつもりでやったが、彼の意思に反して、ヒカリはジト目で零を睨んでいた。

「え、な、何?」

「生徒会長って、あの美人の方ですよね?お知り合いなんですね。仲が良くて、随分信頼していらっしゃるようで」

「ま、まあ、男性操縦者ってことで、色々世話にもなったし」

「そうですか。零先輩の味方が多くて何よりです」

にっこりと笑うヒカリの笑顔に、何故か零は背筋を凍らせた。

「ヒカリさん?怒ってます?」

「怒る?怒る要素が無いじゃないですか。後ろめたい事も無いのでしょう?」

「お、おう」

「なら、怒る理由はありません。女の子の知り合いが多いなんていつもの事ですし、IS学園なら余計にそうですし。仕方の無いことです。……ええ、零先輩は何も悪くありません」

「……ヒカリ」

「……悪くないんです。いつも、周りの期待に応えて、男性操縦者という重圧にも耐えて、いつも頑張って……。だから……」

後半になるにつれ、段々と声が萎んでいく。零が握っていた腕も力が抜けていた。

顔を俯かせたヒカリに、零はしゃがみ込んで顔を合わせた。泣きそうなヒカリの表情を、その瞳を映し出した。

「ごめん。きっと、俺がまた悲しませたんだな」

「零先輩は悪くありません。友人も信頼出来る人を作るのも当たり前です。そこに異議などないでしょう?」

「……ああ」

「なら、そういう事です。悪いとするなら、私です」

「ヒカリは何も悪くない」

零は掴んでいた腕を離して、ヒカリの手を取った。

「ヒカリを二度と悲しませないなんて言えないけど、でも、これだけは約束する」

姫に誓う騎士のように、宣誓した。

「俺はずっとヒカリを見てる」

違う事なき絶対の誓い。

今朝のヒカリの問いかけの返事だった。

「…………」

零の言葉に、ヒカリは何度か瞬きをしてから聞いた。

「それは……」

「俺は待ってるから」

ヒカリの発言に被せて、零は告げる。

「ヒカリが話してくれるまでずっと待ってる。俺の想いは変わらない。どんな事があっても、ヒカリの事を見てるから。だから、だからさ……」

握り締めた手に、水滴が落ちた。

「泣かないでくれ」

ヒカリの目から大粒の涙が零れ落ちる。

赤い瞳を揺らして、嗚咽を上げる事もなく、涙だけが溢れ出る。

「俺は、ヒカリの笑顔が好きだから」

いつか、その涙を拭う事が出来るのなら。

それを許されることが出来るのなら。

……俺はきっと、それだけで良い。

その後、ヒカリと零は帰っていった。車内も自転車でも始終無言で、一言の会話もないままヒカリの家に着いた。

「……じゃあ」

ヒカリが降りたのを見計らい、零が去ろうとすると、ヒカリは彼の裾を握り締めた。

「……零くんに、渡したい物があります」

ヒカリが鞄の中に手を入れて取り出したのは、小さな紙袋だった。掌サイズのそれを、零の手を取って乗せる。

「中身を見るか見ないかは、お任せします。ただ、これだけは肝に銘じて下さい」

ヒカリは真っ直ぐに零の眼を見た。

「先程の約束を違えないでください。そして、決して、傷つけないでください」

透き通った赤い瞳に、零は頷いた。

「……分かった」

これが何なのかは分からないけれど、それでも、零は頷いた。ヒカリの願いを受け取った。

自転車で走り出す。遠く離れた所で振り返ってみると、ヒカリはまだ零を見ていた。彼女は最後まで零を見送った。

深夜に近い時間。

零の部屋は本が多く、遊び道具らしい物が殆ど見当たらない。自分の部屋に居た零は、立ったまま机の上にヒカリから貰った物を眺めていた。

「…………」

これは何なのか。

傷つけてはいけない物なのか。

しかし、持った時に感じたのは、いやに軽い物という印象。固くもなく、布のような物だと窺える。

だが、これが決定的な何かであるのは間違いない。

覚悟は決まっている。

約束を違う事もない。

「……すぅー、はぁー」

一度深呼吸をして、心を決めた。

紙袋を開けて中身を取り出した。

出てきたのは小さな御守り。

何処の神社でもありそうな、小さな小さな御守り。でもそれには見覚えがあった。山一つ向こうにある、神社の御守りだ。

そして、零は理解してしまった。

ヒカリがずっと黙っていたワケを。それでもまだ話せない理由を。

執拗に零の所為ではないと繰り返された言葉。

傷つけないでと、約束された真意を。

零がヒカリを傷つけることを恐れたように、ヒカリもまた、零を傷つけることを恐れたのだ。

零に自身を傷つけて欲しくなかった。

「…………」

息が出来ない。

頭の中が真っ白になる。

全身の力が抜けて、足から崩れ落ちる。

たまたま後ろにあったベッドが支えになり、零は意図せず何とか姿勢を保っていた。

力が抜けても、考えることができなくても、それでも御守りは手の中にあった。

ヒカリは何度も言った。

零の所為じゃないと。

でも、ヒカリの想いがあろうとも、零は思わずにはいられない。

だって、これは。

ヒカリの傷は。

ヒカリが死にそうになったのは。

「俺の、所為じゃないか……」

 

血塗れの御守りには『合格祈願』の文字が刻まれていた。

 




1人の少女が居た。

自身に課せられた責務を必死に果たす少年を慕う少女。

周囲の期待の為に、最も難しいと言われる中学へ進学する為に彼は頑張っていた。

少女がそれに出来るのは祈ることだけだった。

少女は少年の為に、1人で勉学を司る神社へお参りへ行った。

御守りを片手に、少年の事を想いながら帰り道を歩いた。

数分後、土砂崩れに巻き込まれる事も知らずに。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。