インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》 作:ひわたり
朝、ヒカリは机の上に突っ伏していた。
「…………」
普段はキッチリしていてるヒカリにしては珍しい光景に、クラスメイトが心配して話し掛ける。
「大丈夫?ヒカリさん。気分が悪いなら保健室行く」
「……ご心配ありがとうございます。でも、体調が優れないわけではないので大丈夫です」
「そう?」
クラスメイト達は顔を合わせ、取り敢えずそっとしておく事で合意した。もし本当に体調が悪そうなら、その時に動こうと話す。
その後、ヒカリは授業中は起きて、休み時間は塞ぎ込むという器用な行動を取っていた。
実際、ヒカリは体調が悪いわけではない。ただ自己嫌悪に陥ってるだけである。
「……穴があったら入りたいとはこの事でしょうか」
今朝の零との会話。
何故あんな恥ずかしい事を口走ってしまったのかと、羞恥と自責の念に囚われていた。告白紛いもいい所だが、相手が零ならそんな風には受け取らないだろう。ヒカリも告白の意味で言ったわけではない。
むしろ、もっと深い意思が込められていた。
それは思わず出てしまった本音であり、弱音であった。
「重い女ですね、私は」
「え、ヒカリちゃん、もしかして体重増えたの?だから今日不機嫌なの?」
隣に居た桜に呟きを聞かれ、ヒカリは顔を伏せたまま答えた。
「次に体重が増えたと言ったら、手足の爪を一つずつ剥がしていきます」
「痛い!それ痛い!怖い!ヒカリちゃん恐ろしい!」
「何言ってるんですか、爪なんてまた生えてきます。優しい方ですよ」
「それは優しいとは言わないよ!」
ヒカリちゃんの体重が増えたって言っても、どうせ胸とかなんだろうなぁ、と桜は不満気に愚痴った。
確かに最近、また大きくなった気がする。でも、ヒカリとしては背が大きくなって欲しい。胸だって母親であるラウラとは違うのだ。背が大きくなって良いではないかと思う。何故そこだけ母親遺伝子なのか。
今更モデル体型など高望みはしない。
……ただ、少しでも背を伸ばさなければ。そうしないと、零とキス……
「うにゃーーー!!」
ヒカリは顔を上げて発狂した。即座に頭に思い描いた妄想を掻き消す。
「どうしたのヒカリにゃん!?発情期かにゃん!?」
「殺しますよ」
「一瞬で冷静にならないでよ」
真顔のヒカリに、桜は腰が引けた。
ヒカリは顔を撫でて、深い息を繰り返して吐いた。
「……冷静にならなきゃ。冷静に冷静に」
ブツブツと自分に言い聞かせる。ここ最近の自分は何処か浮かれているといくか、緩んでいる。零に傷を見せたのが原因なのは想像に難くない。こんなに単純だったかと叱咤したくなる。
怖いよヒカリにゃんという桜の台詞は敢えて無視した。
「…………」
ポンと、頭に何か乗っけられる。手か何かかと思ったが、どうも感触が違う。
何かと思った所で、教室のドアから声が掛かった。
「ヒカリ、いる?」
零の声だった。
また教室に来たのかと叫びたい衝動を抑えつつ、ドアへ振り向く。零と目が合った瞬間、彼は突然噴き出して咳き込み始めた。
「れ、零先輩?どうしたんですか?」
零の反応に、怒るより先に戸惑いが先行する。立ち上がって零の側へ行き、咳き込む零の背中を優しく摩った。
「げほっ……。ひ、ヒカリ。何それ」
「それ?」
零が指差したのはヒカリの頭。手をやると、何か柔らかい物に触れる。外して見ると、白い猫耳が手の中にあった。
「…………」
無言でクラスに振り返る。全員が良い笑顔でサムズアップしていた。中には携帯画面を此方に向けている者もいる。映っているのは、白い猫耳をつけたヒカリだった。ヒカリが悩んでいる所や、零の背中を摩っている場面がデータに残っている。
瞬間、ヒカリが走り出し、クラスメイトが蜘蛛の巣のように散り散りに逃げ出した。
鬼ごっこの始まり。
教室内から全員が居なくなる。
ヒカリも即座に追いかけようとして、零に捕まった。
「ちょちょちょ!待って待って!」
慌てたのは零である。
ヒカリの腕を掴んで彼女を引き止めた。
「離してください。私の一生に関わります」
「いやいや、関わらないって。というか、そんな急激に動いちゃ駄目だ。また倒れるぞ」
零の注意に、ヒカリは首を振った。
「私が倒れるのは過度の運動をした時です。こんなもの運動にも入りません。なので離してください」
グイグイと進もうとするヒカリを必死に抑える。
「いや、全員捕まえるなんて無理だろ。周りにばら撒かないように注意するだけで良いって」
零はそう言って携帯を取り出した。何処かへとメールすると、ヒカリに言う。
「今、生徒会長にメールしたからさ。少なくとも学園のネット掲示板に広がることはないし、対処もしてくれるだろう」
「……………………へー」
零は安心させるつもりでやったが、彼の意思に反して、ヒカリはジト目で零を睨んでいた。
「え、な、何?」
「生徒会長って、あの美人の方ですよね?お知り合いなんですね。仲が良くて、随分信頼していらっしゃるようで」
「ま、まあ、男性操縦者ってことで、色々世話にもなったし」
「そうですか。零先輩の味方が多くて何よりです」
にっこりと笑うヒカリの笑顔に、何故か零は背筋を凍らせた。
「ヒカリさん?怒ってます?」
「怒る?怒る要素が無いじゃないですか。後ろめたい事も無いのでしょう?」
「お、おう」
「なら、怒る理由はありません。女の子の知り合いが多いなんていつもの事ですし、IS学園なら余計にそうですし。仕方の無いことです。……ええ、零先輩は何も悪くありません」
「……ヒカリ」
「……悪くないんです。いつも、周りの期待に応えて、男性操縦者という重圧にも耐えて、いつも頑張って……。だから……」
後半になるにつれ、段々と声が萎んでいく。零が握っていた腕も力が抜けていた。
顔を俯かせたヒカリに、零はしゃがみ込んで顔を合わせた。泣きそうなヒカリの表情を、その瞳を映し出した。
「ごめん。きっと、俺がまた悲しませたんだな」
「零先輩は悪くありません。友人も信頼出来る人を作るのも当たり前です。そこに異議などないでしょう?」
「……ああ」
「なら、そういう事です。悪いとするなら、私です」
「ヒカリは何も悪くない」
零は掴んでいた腕を離して、ヒカリの手を取った。
「ヒカリを二度と悲しませないなんて言えないけど、でも、これだけは約束する」
姫に誓う騎士のように、宣誓した。
「俺はずっとヒカリを見てる」
違う事なき絶対の誓い。
今朝のヒカリの問いかけの返事だった。
「…………」
零の言葉に、ヒカリは何度か瞬きをしてから聞いた。
「それは……」
「俺は待ってるから」
ヒカリの発言に被せて、零は告げる。
「ヒカリが話してくれるまでずっと待ってる。俺の想いは変わらない。どんな事があっても、ヒカリの事を見てるから。だから、だからさ……」
握り締めた手に、水滴が落ちた。
「泣かないでくれ」
ヒカリの目から大粒の涙が零れ落ちる。
赤い瞳を揺らして、嗚咽を上げる事もなく、涙だけが溢れ出る。
「俺は、ヒカリの笑顔が好きだから」
いつか、その涙を拭う事が出来るのなら。
それを許されることが出来るのなら。
……俺はきっと、それだけで良い。
その後、ヒカリと零は帰っていった。車内も自転車でも始終無言で、一言の会話もないままヒカリの家に着いた。
「……じゃあ」
ヒカリが降りたのを見計らい、零が去ろうとすると、ヒカリは彼の裾を握り締めた。
「……零くんに、渡したい物があります」
ヒカリが鞄の中に手を入れて取り出したのは、小さな紙袋だった。掌サイズのそれを、零の手を取って乗せる。
「中身を見るか見ないかは、お任せします。ただ、これだけは肝に銘じて下さい」
ヒカリは真っ直ぐに零の眼を見た。
「先程の約束を違えないでください。そして、決して、傷つけないでください」
透き通った赤い瞳に、零は頷いた。
「……分かった」
これが何なのかは分からないけれど、それでも、零は頷いた。ヒカリの願いを受け取った。
自転車で走り出す。遠く離れた所で振り返ってみると、ヒカリはまだ零を見ていた。彼女は最後まで零を見送った。
深夜に近い時間。
零の部屋は本が多く、遊び道具らしい物が殆ど見当たらない。自分の部屋に居た零は、立ったまま机の上にヒカリから貰った物を眺めていた。
「…………」
これは何なのか。
傷つけてはいけない物なのか。
しかし、持った時に感じたのは、いやに軽い物という印象。固くもなく、布のような物だと窺える。
だが、これが決定的な何かであるのは間違いない。
覚悟は決まっている。
約束を違う事もない。
「……すぅー、はぁー」
一度深呼吸をして、心を決めた。
紙袋を開けて中身を取り出した。
出てきたのは小さな御守り。
何処の神社でもありそうな、小さな小さな御守り。でもそれには見覚えがあった。山一つ向こうにある、神社の御守りだ。
そして、零は理解してしまった。
ヒカリがずっと黙っていたワケを。それでもまだ話せない理由を。
執拗に零の所為ではないと繰り返された言葉。
傷つけないでと、約束された真意を。
零がヒカリを傷つけることを恐れたように、ヒカリもまた、零を傷つけることを恐れたのだ。
零に自身を傷つけて欲しくなかった。
「…………」
息が出来ない。
頭の中が真っ白になる。
全身の力が抜けて、足から崩れ落ちる。
たまたま後ろにあったベッドが支えになり、零は意図せず何とか姿勢を保っていた。
力が抜けても、考えることができなくても、それでも御守りは手の中にあった。
ヒカリは何度も言った。
零の所為じゃないと。
でも、ヒカリの想いがあろうとも、零は思わずにはいられない。
だって、これは。
ヒカリの傷は。
ヒカリが死にそうになったのは。
「俺の、所為じゃないか……」
血塗れの御守りには『合格祈願』の文字が刻まれていた。
1人の少女が居た。
自身に課せられた責務を必死に果たす少年を慕う少女。
周囲の期待の為に、最も難しいと言われる中学へ進学する為に彼は頑張っていた。
少女がそれに出来るのは祈ることだけだった。
少女は少年の為に、1人で勉学を司る神社へお参りへ行った。
御守りを片手に、少年の事を想いながら帰り道を歩いた。
数分後、土砂崩れに巻き込まれる事も知らずに。