インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》   作:ひわたり

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秘められた心情

「これから宜しく頼む」

誘拐事件から幾許かの日にちが過ぎた頃、織斑千冬はかつての宣言通りIS部隊へとやってきた。

軍服を身に纏った彼女の姿は不思議と似合っていて、元から軍にいたと思わせる程だ。武道を嗜んでいた故か、その一挙動も隙がない。

千冬から握手を求められたので、白は事務作業の手を止めて立ち上がった。

「こちらこそ」

「この間から思っていたが、もう少し愛想良くは出来ないのか?」

「無理だな」

無表情のままキッパリとした言葉に、千冬は肩を竦めた。

「融通の利かん男だ」

「それより、何の用だ。挨拶だけで態々俺の所へ来ないだろう」

「まあな。部隊の個々の情報があるだろう?確認させて欲しくてな」

「了解、こっちだ」

ちなみに、二人共部隊の特別枠である為、それぞれ階級は無い。互いに人前以外では敬語はいらないだろうと意見が一致していた。

「白のデータもあるのか?」

「あるにはあるが、元々秘匿情報だったのが誘拐事件の件で一気に極秘情報扱いされてな。確認は面倒だぞ」

「別に良い、聞いただけだ。お前から直接聞いたからな」

白は既に千冬に平行世界の人間であること、神化人間であることは伝えている。話を聞いていた千冬は半信半疑のようであったが、話の中に束が出てくると明からさまに眉を寄せた。

白が知り合いかと聞くと、千冬は友人だと答えた。その後、一体何をしてるんだ彼奴はとブツブツ文句を言っていたのは聞かなかったことにした。

「ラウラ・ボーデヴィッヒ。あの時いた子供だな」

「ああ、俺としては、出来るだけコイツを指導して欲しい」

「何故だ?」

「ナノマシンの不適合で長い間、悩み続けていてな。気分転換にとモンドグロッソに連れて行けば、あの事件だ。肉体面は適合までどうしようもないとしても、精神面をどうにか強く出来ないか」

「随分と心配しているな。同族だからか?」

……態と同族という表現を使ったな。ヤケに切り込んでくるな、織斑千冬。

「……もしかして、無駄に怒らせようとしているか?」

「無駄と言うな。感情が出せないというから試してみたのに、気付いてしまったら意味ないじゃないか」

「事実無駄だったろ」

「そうだな、しかし、実際少しくらい情が移ってないのか?それだけ気にかけるのも、お前にしては珍しいと聞いたぞ」

言われて、白はラウラの姿を思い浮かべた。

どう、思っている?どう思っていた。俺はアイツ対して。

薄っすらと、思考のどこかで、白い姿が浮かぶ。

「これはそういうのじゃない」

そう、これは。

「これは、一種の依存だ」

あるいは、呪いか。

きっと、俺は未だに立てずにいる。

 

 

織斑千冬の順応は恐ろしいほど早かった。彼女のIS操作は部隊の誰しもが目を見張り、その技術を盗もうと直向きになっていた。また、千冬の実力は折り紙付きで、隊長であるアデーレに引けを取らないとさえ言われた。だが、二人が勝負をしたことはない。どうしてかとアデーレに、問いた所

「万が一負けたら、私の威厳がなくなるじゃない」

とのことらしい。

データを取っていた白は、軍隊にいて人殺し経験もあるだろう、と千冬に言った。それを聞いた千冬は一度白の実力が見たいと戦いを挑んだが、白は丁重に申し出を断った。

「逃げるのか」

「ああ」

千冬の威圧もどこ吹く風で立ち去る白。あの織斑千冬をからかえるのは白だけだと、部隊の中で尊敬されたとかされないとか。

それから更に数日後。

「白、お前はボーデヴィッヒを褒めたことがあるか?」

事務所でパソコンのデータを整理していると、千冬が部屋へと入ってくる。唐突に言われたのはそんな言葉だった。

「何だ、藪から棒に」

「いいから、褒めたことはあるのか?ないのか?」

「無いな」

そもそも誰かを褒めたことがない。

千冬は大袈裟に溜息をついて額に手を当てた。白はタイピングの手を止めず、横目だけで千冬を見やる。

「何だ、そんなに重要なことか?」

「重要というか、ボーデヴィッヒにあるマイナス思考傾向の一端はお前が担ってるな。認めてもらいたい相手から見向きもされなければ辛いものがある」

「変にポジティブよりは良いと思うが」

千冬が椅子を引いてこちらに向かって座ったので、白もパソコンの手を止めて千冬に向かい合った。

「で、それが何だ?」

「精神面を鍛えて欲しいと言ったのはお前だろう。お前はもう少し自分がボーデヴィッヒに与えている影響を自覚しろ」

前にも似たようなことをヘルマン中佐に言われた気がすると、思い返す。

「彼女が居場所を失った時、救いあげたのはお前だ」

「そんな事をした覚えはない」

「少なくとも、彼女にはある」

「…………」

……最初はボーデヴィッヒを拒絶するつもりだったんだがな。本当に、どこで間違えたんだか。

「俺はラウラ・ボーデヴィッヒという存在を対等に扱うことにした。褒めるという行為は、対等を崩すことになるんじゃないか?」

「なるか馬鹿者。そんな下手な逃げ口上初めて聞いたぞ。大体、友人同士でも褒め合ったりするだろう」

「お前、篠ノ之束以外に友人がいるのか」

「殴るぞ貴様」

「お好きに」

空気の破裂音が鳴る。千冬の容赦ない拳が白の額を捉えていた。結構な威力だったが、白の素肌が赤くなることはない。

「……良い拳だ」

「褒めてくれてありがとう」

やれやれと拳を解く。

「不器用だな、お前」

「…………」

白は答えずに額を擦る。

「痛かったか?」

「……いや。友人云々は置いとくとして、俺が褒めたとしても今みたいなものだ。そもそもボーデヴィッヒの何を褒めれば良いのか見当も付かん」

「幼い子供みたいなことを言う」

子供か。

そうかもしれない。俺はきっと、あの時から成長していない。同じ神化人間達を殺戮してから壊れたままだ。それとも……。

「で、これで褒めて良いのか」

「駄目に決まってるだろう」

それはそうだろうな。

……流石に誤魔化せないか。

「言葉の問題じゃない。気持ちの問題だ。上辺だけの言葉なんぞ、誰も気に留めんぞ」

「知ってる」

……だから、俺には無理なんだ。

褒めるという行為だけは、これだけは、絶対に不可能だから。

「それも含めて織斑に任せる」

「白」

「頼む」

白は頭を下げた。

「……何故そこまで嫌がるんだ」

「単純な話だ」

頭を上げる白。その表情には、何の感情も表されていない。

「褒めるという行為は、俺の根源的なトラウマだから」

それはきっと、最も忌むべき行為だから。

千冬は事務室の扉を閉じて小さな溜息を吐いた。

まさか、頑なに拒絶されるとは思わなかった。

彼にどのような事情があるのかは知らない。いや、正確に言うならば、彼の生き様は何となくは把握できているのだ。

造られた人間、神化人間であること。平行世界の人間であること。そして、多くの同胞である神化人間を殺したこと。

千冬は別に人殺しであることに嫌悪を抱くことはない。快楽殺人者ならば話は別だが、それを義務とし仕事としてきたなら、ある意味で軍と同じだ。必要なら殺す潔さは命のやり取りの場面では重要になる。感情を出せない理由も二重人格を出さない為だったと聞いた。

これは勘だが、白は何一つ偽っていないし全て正直に話しているだろう。

唯一口にしないのは、二重人格が生まれた理由と、その暴走が止まった方法だけだ。

恐らく、それが白の言う根源のトラウマ。

「……やれやれ」

ラウラを鍛えるなら白を使うのが効率が良いと思った。しかし、どうも意外と面倒が多いらしい。

「ままならんなぁ」

それが自分に対してなのか、それともラウラか、白か。

千冬はもう一度溜息を吐きながら長い廊下を歩いて行った。

 

千冬が出て行った後、そのまま事務作業を続ける白。ふと、キーボードを打つ手を止めた。

……褒める、か。

それは無理と分かっている。無意識ならひょっとしたら出来るかもしれないが、普通じゃまずあり得ない。

『良くやった』

『それはいけないことなの』

一瞬、過去がフラッシュバックする。

褒められたから殺した。

褒められなかったから殺した。

褒められていたから殺した。

殺したから、俺は俺でなくなってしまった。

殺しかけたから、俺は俺に戻れた。

積み重なった聳え立つ幾つもの人間の死体の山。海のように広がる赤い血。

ただ、自分だけがその白い姿のまま中心にいる。

その足元には血に染まる白い少女が倒れていた。

『白』

褒めることはできない。

できないが。

「…………」

今の心情を打ち明けるくらいなら出来るだろう。

白は静かに立ち上がった。

 

 

ラウラは自室のベッドに横たわっていた。

今日は非番だったが、一日中何もせずにベッドの上でぼんやりとしていた。

モンドグロッソのあの日以来、白とは碌に会話していない。普段はラウラから白に向かっていくので、それがなくなれば会話がなくなるのは必然だった。

単純に気不味いというのもあるが、ラウラは白に会うのが怖くなっていた。足を引っ張ったことへの後ろめたさと実力不足の情けなさ。絡まり合った複雑な負の感情が、白へ向き合うことに臆病になっていた。

そこにドアがノックされる。飾り気のない部屋着のままのそのそとドアに向かう。

「どなたですか?」

「俺だ。白だ」

ラウラは口から心臓が飛び出るくらい驚いた。

何で白が来るのか。

態々私に会いに来たのか。

それとも何か報告する為に来ただけなのか。

……というか私の格好がどうしよう。

ラウラの脳内は完全にパニックになっていた。脳内だけでなく、体をバタバタさせながら混乱の極みを全身で表現していたが、無論誰から見えるわけでもなし。痴態を晒さずに済んだ。

「お、お待たせしました」

数分後、白を部屋へ招き入れる。

服を漁れば、軍服と普段着ている野暮ったい服しかなかったので諦めた。せめてものとして髪だけ軽く梳かした。

机を挟んでソファーに座り、向かい合う。

「…………」

色んな思いは白と向かいあったら全て吹き飛んだ。不安だけがラウラを支配する。

まともに視線を合わせることができない。あの時のことを怒っているのかもしれないし、呆れているのかもしれない。

ここに至り、ラウラは自分の気持ちを理解した。

……私は、白に嫌われたくない。

「ボーデヴィッヒ」

白はそんなラウラのことなど気に留めず、静かに口を開いた。

「は、はい」

「俺の二重人格は死んだ」

予想外の話にラウラはきょとんとした。思わず彼の顔を見るが、相変わらずの無表情で何も変わっていない。

「故に、俺は感情を出せるようになっている」

なぜ今更そんな話をするのか。

知っています、とも言えず、ラウラはただ曖昧に頷いた。

「感情を出しても二重人格は出ない。だから、俺は人生で初めて、心情を吐露しよう」

スッと、白はラウラと真正面から目を向けた。瞳の赤と赤が交差する。

「ラウラ・ボーデヴィッヒ。俺は、お前が羨ましい」

「…………」

ラウラは小さく息を飲んだ。

羨ましい?誰が、誰を?

何故、どうしてと言う前に、白がそんな事を口にすること自体が驚きであり、信じられなかった。

白は口を開く。

それはある種の懺悔のようでもあった。

「造られた人間でありながら、表世界の常識を持ち合わせていて馴染んでいるお前が羨ましい。何かに怒り、笑い、泣ける、感情が真っ直ぐ出せるお前が羨ましい。何かに向かって直向きに努力できるお前が羨ましい。素直に生きていけるお前が、羨ましい」

お互いに造られた人間。その点だけは同じ存在だ。でも、それだけだ。こんなにも、俺達は違う。

淡々と紡がれる言葉。

それでも、そこに一切の感情は見せないし、感じられない。

感情が出せる。

そんな当たり前のことさえ、白には、途轍もなく困難なことだった。

「元々持っているから贅沢な話かもしれないが、俺は力なんかいらない。ただ普通が欲しかった。俺はずっと感情を殺して生き続けなくてはならなかった。幸せも不幸も分からない。分からないフリをした。喜びも悲しみも忘れた。忘れてしまわなければならなかった。でなければ壊してしまうから。俺も周りも消えてしまうから。だから無意味に生きて、意味有りで死ねなかった。こんなことさえ言葉にできなかった。こんなことさえ思ってはいけなかった。全部できなかったんだ。俺は俺が異常なのは知っている。でもそうでなければいけなかったんだ。生きながらにして死んだようにしなければ、何もかも壊してしまうから。だから、俺には俺自身の普通が分からない。俺の感情が分からない。俺の全てが分からない」

でも、言葉だけが洪水のようで。

あるいは、壊れた蛇口から水が少しずつ流れ落ちているようで。

「なぁ、ボーデヴィッヒ」

「はい」

「俺は、生きているのか?」

生きる理由はない。

死ぬ理由もなくなった。

だから、取り敢えず理由が出来るまで生きようと決めた。

そう決めた筈だったのに。

それでも、白は、生きる事自体が分からなかった。

「…………」

俯いてしまった彼女の表情は窺えない。これで良かったのかと思うが、それでも、白は心の内を初めて他人に明かした。別に駄目だったからといって、特にどうしようとも思いはしなかった。

徐にラウラが立ち上がった。

机を迂回して、白の前に立つ。

 

ラウラは白の頭を、ぎゅっと抱き締めた。

 

「……何だ」

ソファーに座っている分、座高が低くなっているのでちょうどラウラの胸に顔を埋める形となった。

「私の鼓動が聞こえますか?」

子供の肉体でも僅かにある膨らみの向こう。肉体越しに感じる、確かな鼓動の動き。

「ああ」

「私が貴方に……白に抱き着いた時も、同じ鼓動を感じた」

「…………」

「白は冷たいけれど、それでも、ちゃんと体温がある。ちゃんと動いてる。今ここに、私の側にいる」

ラウラは理解した。

……私は白の隣に立ちたいと思っていた。彼の背中はずっとずっと遠くにあると思っていた。確かに、力のことを考えると、手の届かない場所にいるのは明白だった。だから私はずっと踠いていた。踠き苦しんで手を伸ばしていた。

でも、違った。

私が見ていたそれは力が作り出した幻想で、白そのものではなかった。

白はもっと側に居た。影の中で、踠くことも手を伸ばすことも出来ずに、ずっと誰にも見つからない場所で座り込んでいた。

私よりもずっと、暗い場所に彼は居た。

「白が私が生きてるように思えてるなら、私が手を引くから。生きてるのが実感できるまで、ゆっくりでも良いから一緒に歩こう。そしていつか」

いつの日か、きっと

「怒ってみせて。泣いてみせて。そして私と一緒に、笑い合おう」

私が生きているというのなら、私が光の場所にいるというのなら。

私が白の側に行って手を繋いで歩いていこう。

光のある場所に。

「…………」

もしかしたら、それは叶わない夢かもしれない。子供の夢物語で終わるかもしれない。単なる幻想で、直ぐに消し飛ぶ儚いものかもしれない。

……それでも。

「……ああ」

いつか、きっと。

「約束。白」

「約束だ……ラウラ」

この約束を果たそう。

褒めることはない。

まるで違うことを口にした。それでも、これは必要なことだったのだ。

ラウラにとってだけではなく、おそらく、白にとっても。


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