インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》 作:ひわたり
零はヒカリのベッドへと歩み寄った。
身を起こしていたヒカリは、零が来たのを確認して少しだけ目を伏せた。
「ごめんなさい」
開口一番の謝罪に、零は何の事だか分からずに目を瞬かせた。彼の反応を見て、ヒカリは説明を補足した。
「私の所為で負けてしまったでしょう?」
「ああ……」
そんなものどうでも良い、とは言えない。言える程、零の中では軽い物ではなかった。確かに、敗北はしてしまったが、それは自分がヒカリを選んだからだ。だから、責任は自分にある。
「仕方ないよ。というより、俺の方が謝らなきゃいけない。君に無理をさせてしまった」
零は深く頭を下げた。
「いいえ、これは私の所為。少なくとも、貴方が敗北する事はありませんでした」
「……君を選んだのは、俺の選択だ」
ペアとして頼んだのも。
準決勝で、ヒカリの手を取ったのも。
全て、自分の選択。
零は顔を上げて、真っ直ぐヒカリの顔を見た。泣きそうな彼女の表情。そんな顔をさせたくはなかった。
「どうして、私を選んだんですか?」
震える声で尋ねるヒカリに、零はハッキリと断言した。
「ヒカリだからだ」
……だから、俺はヒカリを選ぶ。
例え、どんな時であろうとも。
最後の試合、零はヒカリを攻撃の嵐から庇った。ヒカリに傷一つ負わせることなく、自分のエネルギーが尽きてなお、ヒカリを守り続けた。
「……零くんは、本当に馬鹿ですね」
ヒカリは小さく微笑んだ。
瞳に涙を溜めて、それでも笑う姿はとても儚げで。
抱き締めたい衝動に駆られた。拳を握り締め、爪を手に食い込ませる痛みで理性を保った。
小さく息を吐き、本題へ入る。
「……その、聞いても良いか?どうして急に気を失ったのか」
そこに何があるのか。
過去に何があったのか。
自分の知らない所で、何が起きてしまったのか。
『大事なことほど隠す』
ラウラの言葉を思い返す。ヒカリは果たして、話してくれるだろうか。ずっと隠してきたことを、話してくれるだろうか。
「…………」
ヒカリは顔を俯かせた。
零に緊張が走る。
どの位そうしていただろう。何十分か、何分か、数秒か。
時間が分からない時が過ぎ、ヒカリが言葉を落とした。
「……鍵を掛けてください」
出された言葉は、予想外の言葉。
一瞬キョトンとした後、慌てて鍵を締める為にドアに向かった。カチリとドアの鍵を締める。
……鍵を締めるということは、話してくれるのか?しかし、そこまでして聞かれたくない話なのか?
「そのまま、振り向かないでください」
返事をする前に、零の耳に布が擦れる音が聴こえた。何をしているのかと疑問符が頭の中に沸く。消毒液が臭う保健室の部屋で、ふわりと女性の、ヒカリの香りが零に届いた。
「……え、ヒカリ、まさか」
「こっち見たら、その目を潰しますよ」
……じゃあ、何で脱いでるんだよ⁉︎
という文句は口から出ない。それよりも、好きな女の子が自分のすぐ近くで服を脱いでいて、振り向けば見えてしまうという事実に頭がクラクラした。しかも、この状況は密室である。純情であり、年頃の男子には些か刺激が強かった。
「……零くん」
「はいっ!」
ヒカリの声に敏感に反応した。
「振り向いて、良いですよ」
「え、で、でも……」
「振り向いてください。……そんなに、楽しいものではありません」
ヒカリの呟くような言葉。
真剣な声色に、零は急速に頭が冷えるのを感じた。
「……分かった、見るぞ」
零は後ろを振り返った。
ヒカリはベッドの上に座り、背中を向けていた。上半身の制服を脱ぎ、それで前を隠すように抱き締めている。長い髪を横に流して、背中の全面が見えるようにしていた。白い下着と、それ以上に純白の眩しいほどのきめ細やかな白い肌が曝け出されていた。
そして、脇腹から背中の中央にかけて、大きな傷が走っていた。
痛ましい傷に、ぞわりと背筋が凍る。
傷跡は白く、何の遜色もない、寧ろ肌と同じく綺麗な方だ。あと数年も経てば消えてしまうような傷跡。だが、問題なのは残された傷跡の美醜ではない。
重要なのは、傷の大きさ。
それは素人目に見ても、致命傷だと分かってしまう大きな傷。今、ヒカリが生きているのは奇跡だと思わせるほどに。
だから、零は背筋を凍らせた。ヒカリが死んでいたかもしれない事実に身を震わせた。
「これが、私です」
ヒカリの声に我に返った。
後ろを向いている彼女の顔は見えない。
しかし、それでも
「私は……」
ヒカリが震えているのを、零は理解した。
「もう、良いよ」
だから、零はヒカリの言葉を遮った。自分の上着を脱いでヒカリに掛ける。
「でも……」
「もう良い。これ以上、無理に教えてくれなくて良い」
彼女の心を傷つけてまで、真実を知りたくはなかった。
「教えてくれてありがとう、ヒカリ」
零はヒカリを後ろから抱き締めた。
静かに泣いている彼女を、子供をあやすように頭を撫でる。
自分にその資格があるかは分からないけれど。
自分が彼女を支えきれるのかは分からないけれど。
それでも、零はヒカリを守りたかった。
放課後。
封鎖されていた鍵をこっそりと開け、一夏と零は屋上にいた。
「……それで、結局何も聞かなかったのか?」
「うん、まあ……」
零は手すりにもたれかかって深い溜息を吐いた。
零は誰かに話を聞いてもらいたかった。だが、こんなことを友人に話せるわけもない。事情を知っていて者ならばと、実の父に相談を持ちかけた。
「無理にでも聞くべきだったかな……」
今回の機会を失ったことにより、次に話してくれるかどうかも分からなくなった。折角、ヒカリがあそこまで勇気を出してくれたのなら、そのまま受け止めようと動くべきだったのかもしれない。
「そうだな。……そこで引く辺りが零らしいというか、俺の子供だなと思うよ」
俺は自分で思ったことはないけど、と前置きして続ける。
「俺は、どの女の子にも優し過ぎると言われたからな。今の零を見てると、同じように思う」
「どの女の子にもって……。俺はそこまで節操無しのつもりはないけど」
「ははは、まるで俺が節操無しみたいな言い方じゃないか」
「……え?」
「え?」
顔を見合わせる。
少し間が空いた。
「ごほん!と、兎に角、もう済んでしまったことは仕方ない。次にまた話してくれるのを待つしかないさ」
「…………。そうだね」
零は父親を少し生温かい目で見た後、体を伸ばす。
「……父さんは、ヒカリの傷の事、詳細まで知ってるんだよね?」
「ん、ああ。傷が出来たのは小学生の低学年くらいだったかな。しかも、傷を負ってから一週間くらいで普通に登校していたよ。だから、零が覚えてないのも無理はない」
「そうなのか」
……通りで、傷に覚えがない筈だ。おまけに長期間休んでいないのなら、印象にも残らない。
ふと、少しだけ思い出した。
ヒカリは昔は活発な子供で、自分がよく引っ張り回されていた。それがいつの間にか逆転していて、大人しくなったヒカリの元へ、零が行くようになっていた。恐らく、その時期に傷を負ったのだろう。
そして、零が何かしようとする度に『仕方ないですね』『本当に馬鹿ですね』と言いながら手助けしてくれた。
逸れそうな思考を止める為、ガリガリと頭を掻く。
……どんだけ惚れてんだ、俺。
「これだけは教えてくれない?命に別状は無いんだよね?」
「ああ、それは保障できる。信頼できる人から言われたからな。一時はどうなるか分からない状態だったけど、中学を過ぎた辺りから完治したと診断が出た」
完治した。
零は頭の隅で考える。
一夏の言い方は後遺症も無いような発言だ。ならば、気を失ったのは何故か。怪我が元凶だが、今は関係無い所で影響されているのか。
少なくとも、大人しくなったことと今回のことで、運動量を増やしてしまうとヒカリは倒れてしまうと推測できた。
「……はぁ」
何度目か分からない深い溜息を吐いた。
ずっと側にいたつもりでも、ヒカリについて知らない事が圧倒的に多かった。詳しく知りすぎていたら、それはそれで引かれそうな気もするが、彼女の事を少しでも知りたいというのが零の本心である。
『大切な人ほど本心を隠す』
ラウラから教えてもらった事は半信半疑だ。
プラスに考えれば、ヒカリの事を知らないのは大切に思われているということ。
しかし、零は小学生の時に一度フラれている。
大切に思われてはいるが、好きではないということなのだろうか。結局、幼馴染止まりなのかもしれない。
ふと、自分の都合の良い仮説が頭に浮かぶ。
中学まで、ヒカリの命はどうなるか分からなかった。そこへ来た告白。でも、ヒカリは応えられなかった。死ぬかもしれなかったから、向けられた好意に受け取ることが出来なかった。受け取ってしまったら、きっと、死を一生背負わねばならなくなるから。
……自惚れだろ。
零は自分を過信していない。だから、一瞬出た答えを信じなかった。
それが例え、真実だとしても。
「何難しい顔してるんだ?」
「いや、女心は難しいなと」
難しいぞと神妙に頷く一夏は、どこか煤れていた。
「……そもそも、俺は本当にヒカリに大切に思われてるかも分からないしなぁ」
……思えば、入学の時も居たのかと聞かれたり、ペアを断られたり。普通に冷たい目で見られることもしばしばある。あ、なんか泣けてきた。
「そういう時、周りに女の子居なかった?」
「ん……?居たと思うけど」
一夏の質問に首を傾げながら答える。そもそも、IS学園の場はほぼ丸ごと女性だ。居ない時がないくらいだ。思い返せば、何故か小学生や中学の時も女の友人は多かった気がする。
学生が過ごす時間の多くは学校だ。しかし、1歳違えば当然学年も違うし、中学や高校などもズレてくる。その点を考えれば、零とヒカリはどうしても一緒にいる時間は短くなっていた。
「じゃあ、照れ隠しとか嫉妬とかじゃないかな。少なくとも、嫌いなら側にいないだろ」
「ええ……ヒカリが?」
自分に好意を向けられている感触がないだけにイマイチ信じられない。
「冷たい目で見られたり素っ気なくされるだけ、まだ良いじゃないか。……木刀とかISで殺されかけるより、マシじゃないか……!」
トラウマでも呼び起こしたのか、ガタガタと震える始めた。そんな父親を同情の目で見つつ、でも父さんが悪いのも大半なんだろうなと、当たりをつけていた。今でも母親がたまに怒ったりもするし、原因は父親側が多かった。本人に悪気がないのが頭の痛い所だ。
「…………」
……もしかして、俺も無自覚にヒカリを傷付けているのか?
「……父さん」
「やめて、頭はやめて……へ?何?」
零は爽やかな、とても良い笑顔で告げた。
「俺、絶対父さんみたいにはならないよ」
「何で父親の株が急落してるの⁉︎」
一夏の叫びは虚しく空へ消えていった。