インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》 作:ひわたり
言うまでもなく、白は異端である。
人工的に作られた命の上に、体の構造、遺伝子の配列、果ては精神までも常人のそれとは異なる。
呼吸をし、心臓が動いている。現在まで命を繋いでいることが不思議な存在ではあるが、確かに彼はここにいる。
幾度も死に、死ねなかった彼が『生きる』ことができたのは、やはりラウラ・ボーデヴィッヒという女性の存在のおかげだろう。
はてさて、そこで白は人間らしく悩んでいた。
真剣に悩めるということ自体が白にとっては贅沢なことなのだが、ともかく彼は悩んでいた。
「……どうするか」
ある日の休日。珍しく、というほど希少でもないが、頻繁にということもなく、白は一人だった。昔ならば一人は当たり前だったが、最近ではなかなかない。
ラウラは学友であるいつものメンバーの女性陣と遊びに出かけている。
白が悩んでいるのは一人の休日の過ごし方ではない。それこそ、悩まずに何もせずに終えても問題ない。そこには食事や睡眠という行動もなく、暇や怠惰という概念もなく、文字通り『何もない』。故に悩むこともない。やることがあれば構わないが、自分に対して何かやることは、結局は白にとって不慣れなことだ。
そんな彼がこれだけ真剣に悩むのはラウラのことしかない。
「……相談するか」
白は携帯の画面を開いて、とある人物を選択した。
色々な事件を終えて、安全が保障されてからというもの、織斑一夏は偶の休日に家へ帰るようにしている。
理由は単純で、掃除しないといけないからだ。放っておけば埃の山が積み上がっていく一方である。
特にIS学園から最初に帰った時は酷かった。長期間放置した家は流石の一夏も辟易とした。学園に急に連れて来られたものだから、冷蔵庫の食べ物は駄目になってるわ、郵便受けは溜まってるわ、洗濯物もそのままで頭を抱えてしまった。ずぼらな姉である千冬が荷物を取りに行ったのだから、そういった所に気が回っていないのは想像の範疇ではあったのだが。
だからこそ、その時の反省でもないが、一夏は偶に掃除しに帰っている。何よりここはれっきとした織斑家族の家だ。大切にしないはずがなく、愛着もある。掃除するのは苦ではなかった。
そんな中、一夏にとって予想外の電話があり、当の人物を家に招き入れた。
「こんにちは、白さん」
「ああ。すまないな、突然」
相談事があると言われ驚いた一夏であったが、大丈夫だと答えた。寧ろ頼ってくれることに嬉しさすら感じていた。
寮内にいるのかと問われ、家にいる旨を伝えると、お邪魔してもいいかと聞かれた。直接話すほどなのかと思ったが、どこぞのウサギ耳娘が盗聴してるとも限らないとの返答に大いに納得した。ちなみにその予感は当たっていて、どこぞのウサギ耳娘は舌打ちをしていた。
「掃除してたのか」
「ええ、でももう終わりますよ」
「必要なら手伝うぞ」
白が家事を手伝う。
一夏は想像してみたが、違和感の方が勝った。彼が料理をしている姿を見たことはあるが、家事に勤しむ姿はラウラの印象が強く、どうにも白が掃除機や洗濯をしている姿は思い浮かばなかった。
「それって、持ち前のスピードで一瞬で終わらせるんですか」
「いや、物が耐えきれないから無理だな」
耐え切れるのならやるのかと心の中で突っ込む。
「家事は速さだけじゃない……とは、ラウラは言ってたがな」
「確かに、テクニックとか知恵とかですけどね」
例えば、掃除機をいくらISの力と速さでやったところで何の意味もない。寧ろマイナスだ。それを思えば、白も同じなのだろう。
「本当にすぐに終わるので、居間でゆっくりしていてください」
「ああ」
残りの家事を終え、お茶の準備をした。
白なりの気遣いか、或いはコミュニケーションのつもりなのか、ゲームをしようと提案し、何故だか男二人でレースゲームをすることになった。白がゲームをやっていることに違和感満載の一夏だった。
「それで、相談事なんだが」
とまあ、白は全く関係ない様子で話し始めた。
コントローラーのカチャカチャとした軽い音が響く。
「ラウラへの贈り物を悩んでいてな」
白から出された相談は彼らしい悩みであり、一夏からすれば意外な悩みでもあった。
「白さんならラウラが欲しい物というか、詳しいんじゃないですか」
そもそも相談するまでもなく、多くのものをプレゼントしている気がする。実際の物だけでなく、海にも行ったりなど、旅行にだって連れて行っている。他に何かあるのかと首を傾げるほどだ。
「それはそうだが、そうじゃないんだ」
白は緩やかに首を振る。
「俺が送ったのは理由があるものか、或いはラウラが必要か欲しがったものだけだ」
なんと言ったものかと、白は思考を巡らせて口に出す。
「良い意味で、双方にとって無駄な物をプレゼントしたことがないんだ」
「ああ……なるほど」
白が言わんとすることを一夏は理解した。
常日頃の感謝を、白はしたいのだ。
特別な何かでもなく、祝い事でもなく、単なる日常のちょっとした感謝を。
ラウラと関係を結び、想いを分かち合い、共に生きることを誓った白。そんな彼がこういった普通のことで悩むのは、やはり彼らしいと言えた。
白は出自が特殊で、特殊過ぎた故に普通を模索してきた。ラウラも事情を抱えてはいたが、白を導くために彼女は積極的にそういうことにも取り組んでいた。どんなことでも熟す白でも、こればかりは難しく、一生賭けて学んでいくことだろう。
もしかしたら、こうして一緒にゲームをしていることも彼なりに普通を学んでいる行為なのかもしれない。
「そうですね」
それこそ、普通であれば『いつもありがとう』の一言で良いのかもしれない。特に白とラウラの間柄なら、それで済むし喜ばれそうな話だ。
そこに色を付け足すのなら、普段よりも美味しい食事をするとか、ケーキを買ってくるとか、物として残らないちょっとしたものでも良い。しかし、白に食事関連は外すべきだろう。
実際、ラウラなら何もいらないと言うか、または白がくれるなら何でも良いとも言いそうだ。どんなプレゼントも喜んで受け取るだろう。白も重々承知しているが、その上で自分の思いとして感謝したい。その心は日常を学んだ後付けではなく、自発的に彷彿した想いだ。
一夏は白から見習うべき点だろうと自戒しながらも、答えを模索する。
「白さんが送るものなら何でもいいと思いますけど……」
言っていて、ああと思いつく。
「いっそのこと、本当に何でもいいのはどうでしょう」
一夏の意図が分からずに、白は僅かに眉を寄せた。
子供じみたものですよと、一夏は笑った。
▽
ラウラは人造人間である。
人造人間であるが故に、確かに通常の人よりも強く、更には体内にナノマシンを有するが、本人的には常人のそれと変わらないと自負している。
白をはじめ、千冬や束という本物の人外を見れば、彼女の意見も通りのように思えた。
まだ短い人生でありながら色々と、本当に色々とあったが、結果的に良かったと思っている。
結果良ければ全て良しというにはまだ人生は長いのだろうが、少なくとも今は幸せだ。
これからもまだ色々とあるのだろうが、良かったと言える道を歩みたいものである。
無論、白と共に。
「……もしかして、私は白の話ばかりしていないか」
街の一角のカフェ。天気が良いからとテラス席の丸テーブルで席に着いている。
アンティークの施された装飾はどことなくドイツの懐かしさを感じさせた。
「今更なに言ってるの」
ラウラの発言に、鈴がずぞぞとカフェラテを啜りながら半目で応答した。脇で箒が行儀悪いぞと窘める。
友人たちの反応にラウラは少し耳を赤くした。
「……その、すまない」
「別に構いませんわ。嫌味な意味でなく、幸せそうですもの」
「ね。羨ましさはあるけど、妬みなんかないよ」
セシリアにシャルロットが同調する。
「あんた達のは恋愛を飛び越えた先にあるものだからね。正直、あたしにはまだ想像できない域よ」
白とラウラにあるのは恋や愛を超越した何かだ、と鈴は思っている。自身が子供を産んで働いて生活する、と同じくらい、将来的なぼんやりとした想像でしかない。
「ラウラを見てると、なんていうか、頑張らなきゃなって思うのよね」
「何をだ?」
「何もかも、よ」
鈴の言葉に全員が内心で同意する。
同い年のはずのラウラは人間的にも大きく、女性としても魅力的だ。
彼女たちは未だ一夏への告白はしていない。しかし、それは一夏を諦めたわけではなく、ただ無暗にアタックすることを止めていた。
本気で愛するならば、恋に振り回されてはいけない。付き合うことを目的としてしまえば、本質を見失ってしまう。
過程の先にいる愛しい人の姿を失ってしまうから。
セシリアは悩ましげに嘆息した。
「私を含め、まだまだ未熟ですけれどね」
それでもやはり一夏はモテるのだ。やきもきしてしまう気持ちもまた、恋する乙女の心情ならば仕方ない。
「卒業するまでには決着付けたいよね」
自分の家のことも含めてと、シャルロットは暗に込めて自分に言う。
「決着か……」
ラウラは自身のことを振り返り、どうだったかと記憶を巡らす。
自分のことも、そしておそらくは白のことも、一段落は着いているだろう。多くの人の手を借りたからこそ、助けてもらったから、ここまでこれた。
あとはじっくりと二人で向き合ってやっていくべき問題だ。
みんなよりも一歩先を言っているラウラだからこそ、その視線は、将来に向けられていた。
その後、あまり遅くならない時間まで遊び、ラウラは寮の自室へと帰ってきた。
「ただいま」
「おかえり」
帰れば当たり前のように白が応えてくれる。毎日のことにはなるが、それでもその度にラウラの胸の中は温かくなる。
「コーヒー飲むか?」
「そうだな、もらおうかな」
白の手でコーヒーが作られ注がれる。ふと、昔のドイツ軍基地のことを思い出した。あの時も白がコーヒーを入れてくれていた。
一口珈琲を口に含む。変わらぬ味。だけど、まるで違う。随分と遠くまで来たと、懐かしさと同じ味が口に広がった。
「ラウラ」
「ん?」
白は彼女の名を呼んでから、何故か口を閉じた。
何か迷っているようだと感じたものの、ラウラは急かすわけでもなく、白の次の言葉を待つ。
白は一度目を閉じて、まあいいかと呟き、ポケットから何かを取り出した。
「日頃の感謝で……こんなのを作った」
白から渡されたのは小さな紙で、五枚綴りになっているそれには一文書かれていた。
「……何でも叶える券?」
子供が親に渡す肩叩き券のようなものがそこにあった。
「いつもしてもらってばかりだから、俺にできることで何か頼みごとがあればそれ使ってくれ。……使うまでもなく、応えるけどな」
直前でそれに気付いたから手を止めたのかと察するラウラ。同時に、普段は敏い白が直前まで気付かなかったということは、これを渡すだけで頭がいっぱいになっていたということだろう。
「ありがとう、白」
でも、とラウラは微笑みながら白の鼻の頭を指でつついた。
「私が好きでしていることだ。わざわざプレゼントなんてよかったのに」
「俺が感謝を伝えたかったからだ。言葉に出さなきゃいけないと思ったし、言葉だけでは味気ないと思った」
「その気持だけでも嬉しいよ」
せっかく貰ったしなと、券を軽く眺める。何かを思いついたのか、ピンと指を立てた。
「じゃあ早速、一枚使わせてもらおうかな」
「いきなりだな。構わないが、何をすればいいんだ」
「明日ちょっと早い時間、付き合ってくれ」
見せたいものがあるいからと、彼女は笑った。
早朝とも言えぬ朝日の出ていない時間。
白とラウラは海辺を歩いていた。
まだ町は静かに眠っている。人の通らぬ海がずっと向こうまで広がっていて、波が来る度に静けさに木霊する。まだ暗闇にある海に、僅かに明るくなってきた空が境界線を生み出していた。
「別にこれぐらい、券を使わなくても」
「良いじゃないか、せっかく貰ったんだ。記念に使わせてくれ」
そう言ってラウラはISを纏った。
敷地外でISを纏う場合は許可が必要だが、一応許可は出ている。本来はこんな時間に使う理由もないので許可が出るかは微妙なのだが、そこはそれ、所謂権力というやつである。
「乗って、白」
「ああ」
白はラウラの腕の部品に座る。
ラウラは白を乗せたままバランスを取って上昇し、海の真上へと移動した。やがて移動を終え、その場で停止する。
「なんというか……奇妙な感覚だ」
「空中で止まってることが?」
白は小石一つあればそれを蹴って移動できるが、常に動いてる状態だ。ISを纏った者なら慣れているだろうが、こうして生身のまま宙で止まるのは初めての経験である。
「それもあるが、ラウラの腕に乗ってるのがな」
IS越しとはいえ、ラウラの細腕に乗ってるかと思うと違和感があった。
「普段じゃ絶対できないから、私は少し嬉しいな」
「そんなものか」
「うん。でも、白の腕の中に包まれてる方が好きだけど。……いや、やっぱり抱き締めるのも捨て難いな」
「結局どっちなんだ」
「うーん、両方。白はどっちが好き?」
「両方」
「ズルいぞ」
「同じ答えなんだからズルくもないだろ」
取り留めも無い会話。
なんてことないやり取り。
ただそれだけで時間は潰れた。
実りのある内容ではなく、しかし無意味ではなく。不必要だが、無駄ではない。
それだけでただ満たされるもの。
「……夜明けだ」
やがて、太陽が顔を出す。
海と空の境界線をから、世界を照らし出した。
朝焼けの中、日の光に包まれた。
ただ静かな波の音だけが耳に届く。
誰もいない光景の中、ただ二人。
世界に二人だけのような、そんな錯覚。
日の光は赤く、白く。
ただそこにあって。
「そうか」
これが、ラウラが見せたかった風景。
ラウラが見ていた空。
彼女の世界。
「これが、ラウラが普段から見ていた世界なんだな」
だから、一緒に。
「綺麗だな」
本当に綺麗だよ、ラウラ。
その呟きの意味をラウラは汲み取って、微笑みをもって、彼女は返した。
「綺麗だよ、白」
二人の世界は、どこまでも光に満ちていた。
白はその眩しさに少し目を細めて。
静かに、微笑んだ。
歩を進める度に砂の音がする。
波の音に交じり、さくりさくりと二人分の歩みが鳴った。
「靴の中に砂が入っちゃう」
「堤防の上で降りればよかったんじゃないか」
「砂の上を歩きたい気分だったから、これでいい」
ラウラは靴を脱いで、靴下も脱いだ。素足になった彼女は波打ち際まで歩き、その足を海水に濡らした。
足の裏の砂を波が攫う。海の冷たさが足首にぶつかり、潮の香りが鼻を突いた。昇った朝日が海面に反射して、まるで宝石のように輝いていた。
「白も来るか?」
「それは、券の願いに含まれてるか?」
ううん、とラウラは首を振る。
「私の我儘だ」
そうか、と白は一度頷いて、同じように靴を脱いだ。
ラウラの隣に立って、海水に足を踏み入れた。
「冷たいな」
「でも気持ちいいでしょ?」
「そうだな。こういうのも、悪くない」
片手に靴を持ち、空いた手で互いの手を取る。
波打ち際を歩きながら、砂浜を踏みながら、並んでゆっくりと歩いた。
「あの券は大切に使うよ」
「そんな大袈裟な物でもないんだが」
「私の気持ちだから。一生賭けて使い切るよ」
「一生か」
「そう、一生」
一つの生を終えるまで。命尽きるまでの生涯まで。
「長いな」
「長いよ」
命尽きるまでの生涯まで。
「だから、よろしくね」
「ああ」
ずっとずっと、一緒に。
やがて町が起き出す。
人々が起きて、各々の人生を歩み出す。
まだ静かなこの世界で、まだ二人。
砂浜に残った足跡は、二人分。
ある日の、何でもない、ただの日常。
ただそれだけの話。