インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》 作:ひわたり
プロローグ
雲に覆われた雪の降る寒い日。
砂浜に打ち付ける波はどこか悲しい音色を奏でながら、水平線の向こうまで存在した。そして、その波音を消すかのような慟哭が、解放された世界に虚しく響いていた。
その波際で、一人の少年が立っている。歳は十代半ば程。白銀の髪が風に靡き、血のような真紅の瞳が降り行く雪を映し出す。先程の泣き叫びが嘘であるかのような無表情を貼り付け、その頰には涙の跡が見える。
片手に恐ろしい程綺麗に磨かれた短剣を手にし、自らの喉元に切っ先を当てていた。
彼の片目が、赤色から白色に染まりつつあった。
微かに動いた唇は別れの挨拶だったのか。
鮮血が舞い、雪を溶かす。
そして、この世界から一人の少年が消えた。
神化人間。
人の手によって造られた人造人間達はそう呼ばれ、研究施設で幾度となく実験と研究が行われた。
戦争道具や人間の限界を試みているなど、創設者が神化人間を造る理由は研究員の間でも憶測が飛び交ったが、誰一人真意が分かることはなかった。
実験が開始されて数年後、一人の神化人間が暴走。
生き残りは凡そ10人程。裏世界では随一だったその組織が潰れたことにより、以降、他の組織で人間の実験が行われることはなかった。
暴走を起こした神化人間は、暴走の原因は二重人格に切り替わることであり、そのトリガーが誰かを殺すことと一定の感情を出してしまうことと判明する。
そして、少年は……。
暗い意識の底。
自分という存在さえ曖昧な薄い思考の中、唯一の言葉が頭を浮かぶ。
まだ生きてる。
徐々に覚醒する感覚と共に、思考もまた明白となりつつある。
死ねなかった。急所である首を突き刺し、海の水を利用したというのに、死ねなかった。何故。
しかし、自分の中から何かが抜け落ちている。消えている。二重人格であったもう一人の自分が死んでいる。ああ、ならば、一応は成功したのか。もう二度と暴走を引き起こさない為に死んだつもりだったが。
俺は、死んで、生きて……。
「あら、本当に生き返った」
少年が目を覚ませば、十代半ばか後半ほどの少女が彼を見下ろしていた。
コンクリートが打ち付けられた殺風景な部屋。病院のような簡素なベッドの上に少年は寝かされていた。
少女は長い髪と服のフリルを揺らしながら、踊るようにパソコンの前に立ち弄り始める。女性らしさが目立つ身体を椅子に沈め、そのまま少年に声を掛けた。
「言葉は分かる?」
少年は身を起こし、自らの喉に触れる。既に傷口は完全に塞がっていた。
「理解可能だ。何故、俺は生きてる」
言葉が通じるようで何よりだね、と少女は薄く笑う。
「それは君の身体が頑丈過ぎるからでしょ」
「海に放置されてれば死んでいた筈だ」
「君、自身に起きたこと分かってないね?ちょっと面白いことになってたから私が引き上げたんだよ。もっとも、私が何もしない内に回復していったけど。興味深いよ」
人間とは思えない骨や筋肉の構造。異常なまでの回復力。また、持っていた短剣や身に着けていた服装も、全て通常では計り知れない物ばかり。全てが人為的に造られたものであるのは分かるが、ここまで凄いのは芸術的だと感嘆する。
「こういうのは専門外だけど、例え束さん程の天才であっても、その技術は異常過ぎる」
「……俺が異常であることは自覚している。しかし、技術に関しては何も知らない」
「期待してないよ」
あっさりとした発言に、少年は僅かに理解した。
こいつは他人、いや、人間に興味がない。
「束とはお前の名前か」
「は?」
違ったのかと少年は疑うが、どうもそのような反応ではない。少女は信じられない、と言った口調で続けた。
「知らない?この天才を?ISの生みの親である、この篠ノ之束を?」
「知らない」
そもそもISとは何だ。
そう問いかければ、逆に束は納得したように頷いた。
「……そうか、成程。検証するまでもなく実証されたわけだ」
「何がだ」
「平行世界」
「平行世界?」
「君の過去や存在は今の今まで一切ないし、その身体も衣服も武器も異常だもの。おまけに当たり前の知識もない。付け加えるなら、君は空間から突然出現した。私が見てる前でね。平行世界と考えるのがあってるでしょ」
「………」
「身体の技術もISに適合させる為に弄ってるわけじゃない。クローンという模造品でもない。純粋に肉体単体で完成されてる。媒体に頼る前提で掻き回してるより、こっちの方が遥かに美しいね」
根っからの科学者だな。
少年は無表情のまま束に口を挟む。
「先ほども言ったが、技術を求めているなら答えられない。そんな知識はない」
「さっきも言ったけど期待はしてないよ。それより、空間からいきなり出て来たんだけど、何したの?」
「俺は自殺しただけだ」
トントンと自分の首を指して答える。実際、それ以外何もしていないし、それからどうなったかは自分でも分からない。
自殺は未遂になってしまったが、と心の中で付け加える。
「ふーん。まあ、いいや。君が身に付けている物だけでも充分に研究の価値はあったし」
言外に勝手に色々させてもらったと言っているが、少年が気にした様子はない。
「ああ、そうだ。名前は?」
レポートのタイトルにでもする気なのか、あからさまに興味ない様子で尋ねてくる。
「名前……。死んだ身だ、好きに付けろ」
「あ、そ。じゃあ、白いから白で良いね」
ガタリと、少年が大きく反応を示した。いつの間にベッドから降りたのか、束の近くに立ち、見下ろしている。心なしかその眼が鋭い。
「不満?何でもいいって言ったのは君だよ」
「…………いや」
少年、白は、近くにあった椅子に座った。
「白で、良い」
「そう」
さて、と束が立ち上がる。既に白は彼女の興味対象外だ。これ以上の関わりは微塵も持つ気は無い。
「じゃあ、お暇を願おうか。一応これが身体調べた料金代わりね」
そう言ってぞんざいに投げ付けて来たのは指輪だった。白は目線だけで何だこれはと問い掛ける。
「君の元々持ってた短剣と私が真似て作った短剣だよ。一応区別つく様に私のは黒い刀身にしといた。もっとも、私のは機械チックだけどね。念じれば出せるから。ISじゃなくてもそれぐらい男でも使えるし」
じゃあね、と束がスイッチを押す。
瞬間、白が座っている椅子が発光した。彼の反射神経なら普通に逃げることも出来るが、別に留まる気も無かったのでそのまま動かない。
視界が暗転した後、浮遊感が襲う。続いて冷たい水の感触が全身を包み込んだ。
気付けば、そこは海のど真ん中だった。視界360度回しても陸は見えない。ただ晴れやかしい青空と眩しい煌めく海が広がっているだけだった。
「………」
さて、これからどうする。
自殺を実行したことにより、二重人格の片側は消えた。これにより自身の暴走、無差別な大量破壊と殺人は無くなっただろう。自身の計画としては成功だが、生き残るのは予想外だ。生きる理由も死ぬ理由も無くなってしまった白は、暫く海に漂い続ける。
「………」
ひとまず、生死どちらかの理由が見つかるまで生きてみよう。
それが最終的な白の判断だった。
幸か不幸か、束曰くここは平行世界とやららしい。
これからどうなるかなどは知らないし、知ったことでは無かった。