大理石の胎児は加速世界で眠る   作:唐野葉子

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クリスマスが開けるまでに五年以上もかかってしまいました。
お久しぶりです。
皆様の無聊を慰める、少しでも助けになれば幸いです。


雪風の災幸なクリスマス:後篇

 

 霧咲(きりさき)透花(とうか)は頭がおかしい。

 

 昔から、事あるごとにいろんな人からそう言われた。それはたいてい同級生などの子供が主であったが、教師などの大人から言われたことも一度ではなかった。

 『まともな大人』ならそんなことはしないだろうが、別に面と向かって言われずとも陰口を聞いてしまうことくらい生きていればそう珍しいことではないし、まともじゃない人間に合わずに生きていくには人間という生物は欠陥が過ぎる。

 

 そして、それを否定しようとも思わなかった。

 

 別に開き直っているつもりはなくて、否定する根拠がなかったから。

 あれだけ多くの人が同じようなことを言うのだから、きっとそうなのだろうと、怒ることも憎むことも悲しむことも恥じることもなく、自然体のままで透花は受け入れた。ただ、少し両親に申し訳ない気はしたが。

 だからその分、言うことをよく聞く素直でいい子になろうと心に決めた。いつも笑顔を絶やさず、人の頼みをよく聞いて、誰も恨まず、何も憎まず。

 

 その極端に負の感情の欠けた精神の有り方こそが周囲から異端視される最大の原因らしいぞと気づいたときには、いろいろともう遅かった。

 

 いやそれとも、手遅れというよりは、手違いの方が適切な表現だろうか。

 別にマンガの登場人物のように、負の感情が欠落する様な恐怖と憎悪に満ちた幼少期の経験があったわけではない。両親は特に明記する必要もない程度の普通の善人だった。

 特に理由もなく、まるで創造主とやらがいるのであればそれがうっかり配合を間違えたかのように、まさに何かの手違いのようにこんな生き物として生まれてきたのだ。

 それが不幸せなことだとは思わない。むしろこの精神構造をしていたから色々と良いことがあったし、バーストリンカーになれたとも思う。少女はそう思うことしかできない。

 そんな彼女のデュエルアバター『クリア・ムーン』はあらゆるダメージを少しでも受ければ一発で粉々に砕け散るピーキーすぎる性能であり、透明というカラーサークルのどこに所属してんだお前と言いたくなる配色に理屈屋な彼女の『親』は頭を抱えていたが、それでも自分は幸せなのだと、疑うまでもなく信じていた。

 溜めこむことを知らず、すべてを透過するがゆえに、変貌を許されず永遠に続く欠陥製品。それが透花という少女だったのだ。

 

 昨日までは。

 

「いいもん見っけ」

 

 最初は、空間に穴でも開いたのかと思った。ゲームには付き物のはずなのにブレイン・バーストではごく初期にしか見られず、それさえもすぐに修正されてしまったというバグの一つをこの目で見たのかと、そんな幸運な体験でもしたのかと。

 次に、違うと気づき、なんで鏡が降ってきたんだろうと思った。それもただの鏡ではない。凹面鏡や凸面鏡、俗にお化け鏡と呼ばれる周囲を歪んだ形で映し出すそれが上から降りてきたのだと。繁華街ステージにそんなギミックあったけ、と首を傾げる。

 それらの過程を経て、ようやく透花はただ単に一体のデュエルアバターが落下してきただけだと知った。いや、さすがにゲームの中とはいえ頭を真下に自由落下し、地面に墜落する寸前で電光掲示板につま先をひっかけて止まるなどという曲芸じみた真似をするのは普通ではないが、この世界ではあり得ないと言い切るほどでもない。

 むしろ一度気づいてしまえば、どうして穴だの鏡だのと誤解したのか、自分でも不思議なくらいだ。

 

「さて――こんにちはおはようございます、こんばんは。いったいどの挨拶がこの場合適切なのかのう」

「え? えーと、今は朝だからおはようございます……ううん、でも景色は夜だからこんばんは、いや、やっぱりおはよう……」

 

 しかものん気に挨拶までしてくるものだからすっかりペースを乱されてしまい、相手が腹筋でもすれば額がぶつかり合って砕け散ってしまいそうな至近距離なのに、透花は流されるままに頭を抱えて考え込んでしまった。

 それでもかろうじて、レベル4に至るまでに積み上げてきたバーストリンカーとしての経験が情報収集を開始する。このゲームにとって情報は生命線だ。普通の格闘ゲームなら大ダメージで済む最初の一撃(開幕ぶっぱ)が、レベル制を取り入れたこのゲームでは基礎スペック差で一撃必殺となることが多々あるのだから。

 ゆえにレベルと、その能力が象徴される名前は何よりも最初に確認するべきデータなのだが……。

 

「あにゃ? 名前がない?」

 

 視界右上に表示されるはずのデュエルアバターの名前が、自分のものしかない。目の前に確かにいる、話しかけてくるそれが、まるでただの幻影か何かのように。

 隠蔽系のアビリティ? と首を傾げて、そんな自分の姿が濁りすぎて透き通った鏡のようになった琥珀の単眼に映っているのを見て、かちんと頭にはめ込まれたように思い出した。

 教えられた特徴と完全に一致する。

 マーブル・ゴーレム。『加速世界最低の犯罪者』の二つ名と共に、つい二か月ほど前に復帰したという噂が野火のように広がっておきながら、その実どのような相手なのかは詳細はまるでわからないという明らかに不自然な情報の広まり方をしたバーストリンカーだ。

 

 ――お前の(さが)への理解を投げ出せるほど枯れてはいないけど、現状では理解困難であることを受け入れられないほど瑞々しいわけでもない。……でも、もしかするとお前のことを理解できるのは、マーブルくらいかもしれないなぁ。

 

 そして、あの『親』がそう漏らした相手でもある。話の流れで聞いた『代表的な必殺技』の情報が正しいのなら、視界に入れて起きながら名前とゲージが視界に追加されない訳も理解できる。

 

「つまらんな」

 

 そして当のマーブル・ゴーレムといえば、自分で振った話題を完全に放置して興味が別に移っているようだった。伝え聞いた通りの気まぐれだ。

 

「つまらん。実につまらん。つまらなすぎて一周回って面白すぎるくらいじゃ。いや、逆か」

「え、あの、はい。そうですか」

 

 どっちなんだ。と突っ込める人材はこの場に存在しない。ツッコミ不在の恐怖が幕を開けようとしていた。

 

「なんだかすみません?」

「才能はある、が資質が皆無。過負荷とは生まれ持った性質に後天的な経験が積み重なって構築されるキャラクターじゃ。しかしおぬしには溜まるものが無い。すべて自分の中を透過し、ずっと自己完結したままじゃ。

 蛾々丸くんとは似て非なる存在ですらない。まったく頭からして話が違う。彼は受け取ったものを誰かに押し付けるが、おぬしは受け取ることさえしないのじゃからのう。これほど残酷で健全な平穏もないわい」

 

 開幕から相手と話し合おうという気が欠片も見当たらない怒号の文句祭り。しかし立て板に水と言葉を紡ぐ滑舌の良い論調ゆえか、脳髄に突き刺さるような彼女の声質ゆえか、なぜか透花は詩の朗読でも聞いているかのようにすっとすべての言葉が耳に沁み込んできた。

 それは答え合わせだった。霧咲透花という今まで誰にも理解されなかったドリルの答えのページに手を突っ込んで、断りもなくガリガリと赤ペンで正解を書き込んでいく暴挙。

 

「おぬし、頭でっかち(リトル・グレイ)の子じゃろう? 噂には聞いておったよ。一撃で砕け散る透明なアバターが、まるで螺旋に巻き込むような奇妙な攻撃の受け流し方をする、とな。

 『柔法』は横浜中華街エリアで発見されたプレイヤースキルの一つであり、情報を独占したネガ・ネビュラスを除けば伝授可能なレベルで習得しておるのはあやつを含め数人程度。その中でいまだに子を成しておらず、さらにおぬしのようなでっかい不発弾を掘り当てそうな馬鹿は頭でっかち(リトル・グレイ)くらいじゃ。どうじゃ、合っておるじゃろう?」

 

 しかし続くのは脈絡なく跳んだまったく別の話題。琥珀の瞳の中に映る透明な自分の姿が首を傾げる。いや、首を傾げたのは向こうの方か。まるで透花の真実など、気まぐれに消費される取るに足らない雑談の一部でしかないと言わんばかりに。

 いや、実際にそうなのだ。彼女は本気で適当に扱っている。透花が今までその性質でどれだけ不利益を被ってきて、どれだけ周囲の人間に不幸を振りまいて、この世の人間がどれだけ自分の正体を知りたいと渇望しているのか、すべてを理解し、その気持ちをおざなりに扱うことがどれほどリスクを伴う姿勢なのか十分想像し吟味し理解したうえで、片手間に扱っているのだ。

 恐るべきはそれを、ほんの数秒話しただけで首根っこを掴んで汚水に顔を突っ込ませるように否応なしに理解させたライハのキャラクター性といったところか。

 透花は自分の芯がじんと痺れるような熱を感じた。

 

「え、えーと……その『りとる・ぐれい』というのがグレイ・ブレインのことなら、あってます、です」

「そうじゃろうそうじゃろう」

 

 上下反対、さらには単眼以外はのっぺらぼうのくせに、何故だかそうとはっきりわかるドヤ顔をマーブル・ゴーレムは顔に浮かべる。普通は腹が立つ光景だろうが、透花にはむしろ可愛らしい表情に思えた。

 もっと彼女の声が聞きたい。もっと彼女を見ていたい。一秒でも多く彼女のために費やしたい。一つでも多く彼女のことが知りたい。今まで一度も感じたことのなかった衝動に戸惑えるほどの余裕もなく、透花は静かすぎる濁流に呑まれていく。

 

「いやあ、風のうわさで隠居したとは聞いておったが……あやつが壊したものは二度ともとに戻らんというのに、ひとりのうのうと加速世界でスローライフを楽しむばかりか、このような可愛い子までつくるとは、人生を満喫しておるようで何よりじゃのう。まともな神経をしておればとてもできんじゃろうが、それでも人は幸せにならければならぬからな。幸福は義務なんじゃし」

「えーと……」

 

 可愛いと言われたことが嬉しかったが、たぶんそういう場面じゃないという気はする。一般常識からかけ離れた精神構造をしていても、一般常識を持ち合わせていないわけではないのが彼女たちの救われない性なのだろう。

 どうもこの人は自分の知らない親の一面を知っているようだったが、それ以上に思考が繋がることは無かった。

 ただ次の言葉を静かに待ち構える透花に、マーブル・ゴーレムはあからさまに肩をすくめてため息をついて見せる。

 

「やれやれ。怒ったり怯んだり嫌悪したりするどころか、瞬きひとつせんのだな。そうだろうとは思っておったが。おぬしは人間として間違っておる」

 

 そんなことはきっと、言われる前から、それこそ生まれる前から知っている。

 それだけではないはずだ。きっとこの人は、そんな当たり前の言葉で終わらせない。透花は初めて手品を見る子供のように期待に満ちた眼差しでマーブル・ゴーレムの次の言葉を待つ。

 はたして、案の定というべきか、彼女の期待は裏切られた。

 

「だから儂はその間違えたおぬしを間違えたまま肯定しよう」

「……うわあ」

 

 ほぼ初対面の相手に開幕五分で言うセリフではない。しかもセリフそのものもどこかで聞いたようなありふれた言葉だ。『君は君のままでいいんだよ』、『そのままの自分を誇りに思おう』なんて、羅列しただけでどこまでも薄っぺらい響きが拭えない。

 眼球の奥が真っ白にスパークする。

 なのに、そんな言葉の羅列に透花は参ってしまった。本当の役者にレトリックの利いた言い回しは必要なのだと、感涙すら流しそうになりながら悟る。

 ここまで暴力的に自分の性をまっすぐ鷲掴みにし、その上で認められたのは初めてだ。それが与えられて初めて、透花は自分が誰かからずっと肯定されたかったのだと気づいた。

 考えてみればごく当然な話である。いくら頭がおかしくても透花は普通の女の子なのだから。誰からも否定される人生が、受け入れられることはあっても理解されることはない性分が、負担にならないわけがないのだ。嫌いではないが、負荷はかかっていたのだとようやく知らされた。

 

「メサイアコンプレックス。人を助けずにはいられない人間を、人を助けることによってしか自己の価値を感じることのできない人間をそう呼ぶそうじゃ。

 かつて名瀬夭歌が黒神めだかはこれに該当するのではないかと推測した性分。要するに、誰かを助けることによって、『誰かを幸せにできるくらい自分は幸せである』と思いこむ本末転倒。あの頭でっかち(リトル・グレイ)のことならば、こんな用語にくらいとっくの昔にたどり着いておるじゃろう。あるいはポリアンナ症候群とかも近いかもな。

 しかし、儂はそれは違うと思う。なぜならおぬしは――」

 

 つらつらと並べ立てられる理屈は、異端ではあっても秀才からも特別からも程遠い透花にとっては右から左に流れるだけの音の羅列だ。それを知ったのか、一瞬前まで上機嫌で語り続けていたマーブル・ゴーレムは突然言葉を区切って琥珀の単眼を点滅させた。

 生身の人間なら頬を膨らませているあたりだろうか。

 

「なんで儂はこんな話をしておるんじゃ。時間は有限じゃというのにまったくもう」

 

 無知や無理解に腹を立てかのかと思ったが、違った。気まぐれに目的とは無関係な話をしていることにようやく自分で気づいたらしい。透花は彼女の目的なんて全然知らないし、そんなことより彼女の口から自分の本質のことを聞きたかったが、何となく申し訳ない気がしたので謝った。

 

「ごめんなさい」

「うむ、許す」

 

 許された。とても嬉しい。まるで恋に恋する乙女のようだと淡白に判断する自分がどこかにいるのを感じながら、ほわほわ浮かれながら透花はマーブル・ゴーレムの次の言葉を待った。

 次はいったい何を言うのだろう。何をしてくれるのだろう。日曜日の朝に放映されるアニメを一週間待ちわびる子供のように期待する透花の前でマーブル・ゴーレムはひっかけていたつま先を電光掲示板から外し、身体をひねって着地しようとして失敗した。

 ぐちゃ、と人体からもアバターからも出ちゃいけない音がしてその出来損ないの胎児のような身体が掻き消える。

 透花はますます嬉しくなった。何一つとして、どこをとってもマーブル・ゴーレムは霧咲透花より疑いようもなく下種(マイナス)だ。こんなに心安らぐことは無い。

 自分より下にいる者を見下して安堵するのは人として間違った感情であるが、人間としてはしごくまっとうな性質である。その程度には自分は常識の範疇にいたらしいと、どこか他人事のように判断を下す客観視がいつまでも消えない。

 マイノリティであることを厭ったことは一度としてないが、だからと言って何も思っていなかったわけではないのだと、嘘のような薄っぺらい解放感に包まれながら透花は実感する。

 いったい次は何をしてくれるのだろう。何が出てくるのだろう。まるで幼稚園で初めて生で見た手品のときのようにわくわくと無邪気に待ち受ける観客を前に、伊達と酔狂を好む過負荷(マイナス)が応えないわけがなかった。

 

「やれやれ、困るよなぁ。作るのも無料(タダ)ではないというのに」

 

 まるで自分に何一つとして落ち度が無いような顔をして、物陰から新たなマーブル・ゴーレムが姿を現す。薄暗い背景に琥珀色の眼光が爛々と浮かび上がった。

 そしてそのまま今にも重力に負けそうなふらふらとした足取りであっさり透花の無きに等しいプライベートスペースまで踏み込むと、デュエルアバターにはありもしない吐息がかかりそうな至近距離から厚顔不遜に上から見上げる口調でこう言い放った。

 

「這い蹲って喜びなさい。貴様に生き甲斐を与えてやります」

 

 そういえば、これも『親』が言っていた。

 

 ――彼女はキャラつくってるけど、堪え性が無いからわりと頻繁に素が出る。

 

 そんなことをまともに考えらるくらい思考がヘブン状態から回復したころには、透花は言われるままに唯々諾々とマーブル・ゴーレムの切り落とした首を脇に抱えて裏路地を疾走していた。地面すれすれに滑空すれば軽量スピード型にも劣らない速度が出るため、風圧が脆弱なボディを軋ませる音が全身から聞こえてくる。

 透花のアバター、クリア・ムーンは加速世界にも珍しい『完全浮遊型』のアバターだ。

 一月半ほど前に衝撃デビューを飾った『完全飛行型アバター』の影響で、近頃は彼女のことをよく知らないバーストリンカーが混同した挙句見当はずれの方向に嫉妬したりするが、実際は完全に別物だ。

 まず、彼女の浮遊(Floating)は常時発動型アビリティだ。これだけ聞くとSゲージを消費する限定発動型アビリティである飛行(Aviation)の上位互換のように思えるかもしれないが、クリア・ムーンには足が無い。移動手段がこれしかないのだ。

 さらに言えばクリア・ムーンの防御性能は常識的下限値をマイナス方面に振り切っており、下手に着地しようものなら、というかよほど上手くやらなければブレード状のスカートと地面が接触した瞬間にその衝撃でアバターが砕け散ってしまう。

 一撃女の異名は伊達ではないのだ。我がことながらレベル4まで成長できたことは奇跡に近い幸運であったと、透花は自分を除いた周囲のすべてに感謝する。

 また、浮遊(Floating)は本当に『浮く』ことしか出来ない。リアル重視なこの世界では珍しくロジック不明のこのアビリティは、地面に近づけば近づくほど高速の動きを可能とする反面、地面から離れれば離れるほど動きが緩慢になるという法則を持つ。

 それは左右はもちろん上下の動きにも適応され、むかし一度調子に乗って空高く上がりすぎた際には降りようにものろのろと動くことしか出来ず、結果いい射撃の的となって砕け散る羽目になった。

 たしかに足によって移動しないので、足音はしないし足場の環境にも左右されないというメリットは存在する。直立二足歩行とは体の動かし方が根本的に変わるので格闘戦において相手の経験値が満足に発揮されないというのも大きなアドバンテージだろう。生身の動きと違う分、扱う側にも習熟が必要とされるが、それは時間と経験が解決してくれる。

 

 その時間があれば、の話だが。

 

 相手にダメージが入るような力を加えれば反作用で砕け散ってしまうガラスの身体はそれらのメリットを損なって有り余るデメリットのかたまりだのだ。

 いちおう炎熱無効に冷気無効、電撃に毒にレーザーと下手なメタルカラーを凌駕する完全耐性を複数に渡り持っているのだが、ガラスの『脆い』というメタファーを具現化したかのように異常にクリア・ムーンの身体は壊れやすい。一ドットでもダメージが入れば全身が砕け散ってしまうのだから。

 守るだけではこのゲームは勝てない。それは加速ごとにポイントを使用するこのゲームにおいては衰弱死と同義だ。

 不幸中の幸いで透花の場合、親であるグレイ・ブレインの人脈によりチームを組んでくれる相手には事欠かなかったし、その透明な体と音の発生しない移動手段によって斥候役としてはそこそこ活躍できたおかげでレベルアップまでこぎつけることが出来た。同じく伝手で柔法に触れる機会もあったため、打撃ではなく投げ攻撃ならダメージを与えることもかろうじて可能であったというのも大きい。

 その間に与ダメージ量を重要視するバーストリンカーたちからは『いてもいなくても同じ』などと心ないことを言われたことも一度ではないが、寄生しているのは否定できないので申し訳ないと思うだけで透花は否定しない。

 もっとも、レベル3のボーナスで強化外装『クレセント・サイス』を習得してからはその評価も変わりつつある。これはクリア・ムーンの身長をはるかに超えるガラスの大鎌であり、本体と同様に脆く、下手すれば振るだけで風圧で砕け散るシロモノだが、その分効果は強力無比で『形のあるものならたいがい装甲値無視で切断できる』という壊れ性能だ。

 その切断行為では『ただし痛みもダメージもまったく発生しない』という致命的、否『非致命的』な弱点はあるものの、部位欠損を与えられるのはかなり強い。第一に動けなくなるし、第二に手足というのは案外重いもので体幹が崩れるし、何より四肢が欠けるというのは精神的ショックが絶大なのだ。

 だから、こんな使い方は思いもつかなかった。ダメージを受けたら消滅してしまう幻影という性質を逆手にとって、幻影を持ち運びしやすいサイズにまで切り刻むなどと。

 

「ん、次の角を左な」

「はい」

 

 生首状態のマーブル・ゴーレムが行先をナビゲートする。マーブル・ゴーレムの分身スキルは一ドットでもダメージが入れば、あるいは状態異常が発生すれば消滅してしまうが、クレセント・サイスの部位欠損はそのどちらにも当てはまらなかったらしい。

 ちなみに首から下は誰にも見つからないよう、言われた通りゴミ山の下に丁寧に埋めてきた。

 どこに向かっているのか、知らないし知ろうとも思わない。ただ言われるままに、必要とされるままに動くのが楽しくて仕方がなかった。

 

 それにしても、と思う。

 加速世界とはこんなに物騒な場所だっただろうか。

 クリスマスの早朝という時間帯、決して人通りの多いエリアではない。

 にも関わらず、行く先行く先でどこの紛争地帯だと思うほどトラブルが発生している。

 そのトラブルを起こしている片割れに灰と白のまだらが見え隠れしそこなってのさばっているのは、たぶん気のせいではないだろう。

 じつは自分はもしかするとトラブルメーカーの気質があるのかもしれないと以前からうっすら思っていたが、小脇に抱えている彼女に比べたらまだまだ大丈夫そうである。

 

「……あ」

 

 空気が震えるのを感じた。

 一発でも当たれば砕け散ってしまうアバターゆえに磨きぬくことを必要に迫られた回避術、防御術、護身術。それらが大音声で警告を発している。

 

 この先に進んではいけない。桁外れの情報圧の持ち主がこの先にいる。

 

 でも、左に進めと言われたから。もしこれで死んだら自分が至らなかったと反省しようと割り切って、空を切る推進力に心持ち力を入れた。

 薄暗いステージの中、毒々しいネオンに照らされる人型が二つ前方に見えてくる。そのうち、一つはシルエットこそあれど影は存在していなかった。

 

「はあ? 意味わからへんわ。なんでうちがお前みたいな凶人をご主人と顔つなぎせぇへんとあかんの」

「やれやれ、困ったものじゃなあ。しかしバカには難しすぎる要求だったのは自覚しておるゆえ、もう一度丹念に説明してやろう」

「はいぃ?」

「おろ?」

 

 案の定喧嘩をしていたのはマーブル・ゴーレムの分身の一つと、予想以上の大物。

 ネオンに照らし出されるのはくすんだ緑青の小柄なボディ。その体格に不釣り合いな、本体の倍以上横幅がありそうな風呂敷を連想させる巨大なバックパック。腰回りにもベルトポーチのようなパーツが付随しており、まるで限界いっぱいまで荷物を背負った行商人のようだ。

 ゆるやかに丸みをおびた身体のラインはF型だとわかるが、そのマスクの目の部分にはラウンド・ブリリアントカットされたダイヤモンドのようなクリアパーツがはめ込まれており、全体的に暗めの装甲の割に地味さやたおやかさや、柔らかさとは無縁のぎらぎらとしたオーラを放っている。

 それらの外見特徴だけでも知っている者ならじゅうぶん判別可能だが、何よりその左目の下にくっきりとオレンジのマーカーで刻まれたダイヤのフェイスペイント(スート)と、視界に表示されるアバターネームが間違えようもなくその正体を告げる。

 

【Bronze Merchant Lv.6】

 

 対戦を神聖視するあまり戦略レベルの視点に留まりがちなバーストリンカーの中で、戦略レベルで勝敗を『買い叩く』ことに長けた青銅の商人。

 ブロンズ・マーチャント。黄のレギオン四転王(フォー・オブ・ア・カインド)が一角にして、生産(ダイヤ)のトップ。

 一見メタルカラーだが、現在はっきりとその存在を確認されているメタルカラーはその全てが純金属だ。青銅は銅と錫の合金であり、実際はメタルカラーに類似した特性を持つ通常カラーサークルに分類され、鉱石系統の名が冠されたアバターと同じ扱いである……と透花の親は分析していた。実際のところ加速世界でどう認識されているのか透花は知らない。

 青銅の『青』は錆の色であり、錫の含有量にもよるが、青銅器時代あたりの配合比だと鍛造したばかりは黄金色になるため、金銀に準じた金属として祭具に使われていたという説がある。

 想像しにくいのなら新品の十円玉を思い浮かべればいい。あれも銅九十五パーセント、錫一~二パーセント、亜鉛四~三パーセントの銅の合金だが、定義によっては青銅の一種だと説明され、しかし透花はリアルマネーをほぼ使わない今どき世代ゆえにとっさに思い浮かべることができなかった一コマがあったりしたが今は関係が無い。

 つまりは金の代用品として使われていた歴史があり、アバターもメタルカラーの偽物のようなもの。ゆえにそのアバターの存在そのものが幾重にも虚偽と代用に満ちた、間接攻撃系統の一種の完成形だと親は最終的にそう締めくくっていた。

 

 四転王の中では一番の若手であり、『あれが一番ヤバい』と各方面から言われている鬼子だ。

 

 

 彼女の名が加速世界で初めて公の場所に出たのは二年半前、第四回災禍の鎧討伐作戦の時。

 

『騎士相手の決闘と、野獣相手の討伐の流儀が違うのは当たり前やん。同一視は決闘に対する侮辱やで。罠を張れ、毒を用いろ、相手は獣』

 

 彼女の所属する軍団(レギオン)の王の物言いで作戦立案に参加した彼女はそう言い放ち、理性をなくした相手の行動からリアル情報をあっさり割り出した挙句、ありとあらゆる方法でそのリソースを削りにかかった。急変したわが子を心配する親の思いを利用し、面倒ことを嫌がる学校の思惑を転がし、友人の急変に困惑する子供たちの気持ちを束ねてぶつけた。

 その結果として公私共にとてもまともに対戦できる生活環境ではなくなった四代目災禍の鎧は加速世界にてその災禍を十分に発揮することなく溜め込んだポイントをたっぷり吐き出し、これまでは全損者すら出す被害を前提にした討伐作戦の中で唯一肥え太った某軍団(CCC)が存在した作戦となったという。

 生産特化とは何も生み出すだけを指すのではない。相手の生産性を削る方向にも長けているのだと。生産力の削り合い、そんな戦場が存在するのだと彼女は行為を持って証明した。

 あれはまさしく狩りであったと、直接参加はしなかったものの当時の詳細を知る透花の親は語った。『彼女』は王を含めてもギリギリ五指に入る加速世界の潜在的脅威であるとも。もっとも、それは純粋な戦闘力とは関係が無いとも付け足していたが。

 災禍の鎧討伐作戦の貯蓄で勢力を増したクリプト・コズミック・サーカスは他の疲労したレギオンを尻目に足立区から荒川区、台東区まで支配領域を進出し、その中で支配下に置かれた施設の一つであるアキハバラBGは討伐作戦の約三か月後より訪れた長い停滞期の中で唯一(ある程度ルールに従う必要はあるにせよ)自由な対戦が楽しめる聖地として重要拠点になった。

 その結果、二年の停滞の中でCCCが増した加速世界への影響力は決して軽視できないものとなっている。現状をあの時点でどこまで予期していたのかまでは定かでないが、想定の範囲内であることは間違いないだろう。

 バーストリンカーにしては異質すぎる視点。むしろその精神構造はもう一つのBBプレイヤーに近しいと、その存在を知る者なら誰しもが感じる。

 

 四転王の残りの三人は搦め手特化の黄の軍団とはいえ、対戦に勝つ方法を模索して日々鍛錬を積んでいる。加速世界を見渡しても彼女くらいなのだ。勝利以前に戦わずに済む方法を、てらいもきれいごともなくただ純粋に追及する『バーストリンカー』は。

 

 まあ単純に『手段があるのにそれを行わないのはどのような理由があれ怠慢である』と良識と常識を鼻で笑うような相手を敵に回すのは避けるべきであろう。常識的に考えて。

 

 そんな大物中の大物が、何故かこんな時間帯にこんな場所で喧嘩をしている。情報圧だけで周囲のオブジェクトを軋ませるような威圧感に満ちた空気を放ちながら。

 とてもレベル6、ぎりぎりミドルレベルに収まるランカーだとは信じられないプレッシャーだ。幸か不幸か実際に目にした機会はないが、彼女の戦闘はとにかく『金』がかかり下手にレベルを上げて収益を減らすと逆に戦力が低下するので、意図的に限界いっぱいまで低レベルに留めているという噂は本当なのかもしれない。

 限界いっぱい、つまり3レベル圏内の法則に基づいた(レベル9)に牙が届くリミットに。

 逆に『金』に糸目をつけなければ王とすら互角に張り合えるとも言われるが、これはトップランカーなら『○○さえすれば王に並びえる』とか『○○の条件下ならピュアカラーズにも匹敵する』とかいうキャッチフレーズはついて回るものなので、信憑性はあまり高くない。

 

「だいだい、今日の要件は商談ちゃうん?」

「おうよ。おぬしに対する用事は商談じゃ。ケーキ君への言伝は、マーブル・ゴーレムからイエロー・レディオへの伝達事項。ただ単にヤツへの繋がる一番手近なパイプがおぬしだったというだけのこと。要するにおぬしの意志はこの場ではまるで関係が無い」

「人の神経を逆撫でする天才やねぇキミ。その一点だけは一年半、隣にあり続けた黒を評価するわぁ」

「偉い人に話を繋いでくれるかのう。四転王(フォー・オブ・ア・カインド)程度ではお話にならん話題ゆえにな」

「……あ、かちんときた。帰ったろかなホンマ。まともに取り合っているのがばからしくなってきたわぁ」

 

 まあ、喧嘩をしている。それはいいのだ。しょせんは透花には関係のないこと。どうすることもできないし、どうこうしようという気もない。

 ただ問題は、彼女たちが進めと指示された裏路地を完全に占領してしまっていることである。さすがにここに「失礼しまーす」なんて首を突っ込むのはマズイかなぁ程度には透花も空気が読めるのだ。

 

「別に空高く浮かんで直進すればええよ? 儂もあやつも興味のないことにはいっさいの関心を示さんし。儂の生首を抱えて通り過ぎようとしている時点で、殺気もない相手にちょっかいかけようとは思わんじゃろう。

 まああいつが忠犬の皮をかぶった狂犬ということは今も昔もゆるぎない事実ではあるが、それでも好きこのんで首輪を自らつけている以上、主人の意向に背いてあたりかまわず噛みつくような真似はたまにしかせんさ」

 

 しかしあっさりとマーブル・ゴーレムが言うので、信じて精一杯上空に浮き上がり、亀の這うような速度でのろのろと邪魔にならないように気を遣いながら頭上を失礼してみた。

 そしてこれがマンガやゲームならちっとも安心できないフラグめいた助言に即して何らかのイベントが起こったかもしれないが、本当にあっさりと通過できてしまった。なんだか肩透かしを食らった気分になりながら、再び透花はマーブル・ゴーレムのナビゲートに従って走り出す。

 こうしてどうしてなかなか体感的にはかなり長い道のりのような気がしたが、実際は三十分という限られた対戦時間の、そのまた優に残り十分間は残した移動行程だ。ついにこの道をまっすぐ進めば目的地という場所までたどり着てしまった。

 

「では、説明しよう。もうクールタイムは終わっておるじゃろう?」

「はい、大丈夫です」

 

 骨の髄に染み渡るような甘く甲高い声がクリア・ムーンの脆い装甲を震わせる。

 透花は名残惜しげに何も持っていない方の手をひらめかせた。クレセント・サイスは下手な運び方をすれば風圧でさえ砕け散ってしまう反面、収納した後の再展開までの冷却期間(クールタイム)がかなり短く設定されている。

 マーブル・ゴーレムの首を跳ねてからここまで運搬するのにかかった十分足らずの間で、すでに彼女の切り札は再召喚が可能となっていた。

 

「あの透明な大鎌で、この先にいる白いアバターを切り刻んでやってほしい。名前はスノウ・ウィンド。レベル1の軽量級アバターじゃ。カラーは白系統。まあここまで言えば間違うこともあるまい」

「はい、わかりました」

 

 別段恨みもない相手を、ただ言われたからという理由で殺す。

 これは狂信者というのではないかとふと思ったが、よくよく考えてみればそれの何が悪いのかわからなくなったのでこのまま進むことにした。

 

「じゃあこの頭は邪魔だから、適当にその辺に捨てといてくれや」

「了解です」

 

 言われたとおりに地面に抛り棄て、運がいいのか悪いのか落下ダメージが入らなかったらしく消滅しなかったので慎重に踏み潰す。デュエルアバターとはいえ人体の頭部を踏み潰したとは思えないほど空っぽな足応えとともにポリゴン片となって消えた。

 急に静かになった裏路地で、ネオンの残光に照らされながら深呼吸を一つ。たとえ体がガラスになっていたところで、生身の習慣はなかなか消えないものだ。

 よし、いくぞ! と気合を入れなおしたところで、ふと何かが聞こえた気がした。

 

「ん?」

「…………ぁあああああ!?」

 

 遠くから建物の壁に反響していたそれはたちまち判別可能な少女の悲鳴へと変わり、それが意味するとことにやや遅れて気づいた透花は、相手が声をかけてくれたこともありかろうじて回避に間に合った。

 

「きゃ!」

「ふぎゅ」

 

 とっさに飛びのいた上空のぎりぎりスカートブレードにかすめるように猛スピードで到来してきた悲鳴の持ち主が通り過ぎてけ躓き、ポリバケツ越しに壁に衝突する。

 つい日本人の習慣でぶつかりかけたことをぺこぺこお互いに頭を下げながら、透花はマーブル・ゴーレムから聞かされたターゲットが目の前の白い少女であることに気づきながらも、どうにもきっかけがつかめずに鎌を弄ぶのであった。

 

 

 そして今に至る。

 どうも思い切りの良さ、あるいは切り替えの早さというバーストリンカーとしての素質は透花よりもスノウ・ウィンドの方が上だったらしく、ぎこちないながらも先制攻撃をしてきた相手に対応する形でクレセント・サイスを振っていた。

 攻撃の反作用でさえ砕け散ってしまう恐れのあるクリア・ムーンの戦闘スタイルは第一に不意打ちによる一撃必殺、次善でカウンター型だ。透明な体でその存在にさえ気づかれず相手の首を刈り取ってしまうのが理想だが、こうなってしまっては正面から相手の動きを完全に読み取り、タイミングを合わせてきれいに刃を入れるしか勝機が無い。

 一般的には独自の耐久値があり盾としても活用できるはずの強化外装は、彼女の場合本体に負けず劣らずデリケートなのだ。

 だから観察交じりに相手の攻撃を躱し、交わし、牽制程度に鎌を振っていたのだが――

 

 透花はいま、マーブル・ゴーレムに声をかけられた時と同等か、それ以上に興奮していた。

 

(すごい、当たらない……)

 

 当初はただ、純粋に接触しないように気をつけていた。透花もクレセント・サイスも一発事故で砕け散るガラスの身体だ。実際はガラスは別に防弾加工や強化仕様でなくとも弾力があれば強度もあり、こうまで脆く砕け散ることはないのだが、まあ加速世界では現実世界の特性がより極端に、メタファーか何かのように強調されているのはよくある話だ。

 脆さゆえの慎重。それ以上の意味はなかった。

 しかし曲がりなりにも遭遇戦が始まってから五分が経過した今も、クリア・ムーンの攻撃はスノウ・ウィンドに一撃たりとも当たっていない。

 

 相性というのはあるだろう。どうにもスノウ・ウィンドの身体の周囲には不可視のエネルギーの流動が存在しているらしく、最初の一撃を入れようとしたときに鎌が不吉なきしみ方をした。とっさに刃を流れに沿って受け流すことができたのは経験のなせる業である。

 しかも当のご本人はクリア・ムーンの斬撃の軌道が不自然になったことには気づいていても、その理由は理解できない様子。自身の能力のいろはも認識できていないということは、単なるレベル1というだけではなく完全な初心者(ニュービー)。こちらの動きに合わせて発動させているのなら何かしら反応があるだろうし、それを察知する自信があるので、おそらくは常時発動型なのだろう。

 下手な振り方をすれば風圧で折れるクレセント・サイスが()()唯一の攻撃手段といっても過言ではないクリア・ムーンにとっては、はっきり言って天敵といってもいいアビリティだ。

 

 残り時間はそろそろ【300】を切りそうだ。

 

 とはいえ、この程度の逆境一つで手も足も出なくなるのならばクリア・ムーンの名は加速世界からとっくに退場している。ステージ属性や敵のアビリティにアバターの性能が大いに制限される状況はあまりにもこの世界には多い。クリア・ムーンのようなピーキーなアバターならばなおさら。

 そんな逆境も乗り越えてきただけの技術の研鑽が透花にはある。なのに攻撃が当たらない理由はしごく単純にして明快。

 

(この子、たった五分で何年分のわたしを追い抜いたんだろう……?)

 

 この時点からそう遠くない未来において、ライハはとある少女を指して『万能型の異常(アブノーマル)』と評することになる。

 箱庭学園において“モンスターチャイルド”雲仙冥利も、“元破壊臣”阿久根高貴も、そして“完成(ジ・エンド)”黒神めだかもその目で見てその肌で感じて知っている彼女がなおその上でそう評価した意味を、透花は加速世界で初めて知ったバーストリンカーとなった。

 加速世界でクリア・ムーンを支え続けた回避技術の骨子はあらかた盗まれてしまった感がある。

 ただ単純にコピーしたのではない。クリア・ムーンの回避の特長のひとつは足による移動とは全く異なった浮遊を前提とした体移動であり、初見では対応が難しい点だ。

 それを見取って、分解して、並べて揃えて、軽量級小型アバターである自分の動きに適応させてしまった。

 感動した。

 こんな素晴らしいことがあっていいのかと思った。

 自分の積み上げたすべてが、こうまであっさり相手の血肉になるなんて。これがあの灰と白のまだらが言っていた『生き甲斐』というやつなのだろうか。たしかにこれはこの世でもっとも向かない天職だろう。

 

(教師……。そういう選択肢もあるのか)

 

 霧咲(きりさき)透花(とうか)は頭がおかしい。

 それは透花自身理解していることだ。自覚できているかはともかく、納得している。だから漠然と、将来は人に関わらない職業につこうかと思っていた。

 

 かつて、こんな出来事があった。

 きっとこのクリア・ムーンというアバターを作成する鋳型となった思い出。

 夜中に忘れ物を取りに行ったところ、ちょうど肝試しをしに学校に侵入していた同級生と遭遇。幽霊に出くわしたとパニックになった相手に突き飛ばされ、透花は窓ガラスを突き破る羽目になった。

 結果として透花は全身血まみれになったものの、透花は相手のことを怨んでいない。うっかり出くわしたのはお互いに運が悪かったからだし、血濡れになるような大怪我こそ負ったものの、あまりにもスッパリきれいに斬れたおかげで痛みはまったく無かった。透花自身、直後に震えながら謝る同級生を笑って許したし、帰宅して鏡を見るまで惨状に気づかなかったほどだ。

 むしろこの一件のおかげでデュエルアバターを構築するに足る適正が生まれたのだとすれば、感謝しているくらいだ。

 

 しかし、周囲にとってそれは『おかしい』ことだった。

 同級生は学校に来なくなった。幼かったため公的にどのような裁定が下され、どのような処理がなされたのか透花は知らない。

 ただ、透花を突き飛ばし大怪我を負わせたこと。学校への不法侵入に器物破損。さらには夜間に学校に忍び込むためにニューロリンカーに入れていた違法アプリと、その影響で透花の血圧が急激に変化したため彼女のニューロリンカーから発信されてた病院への緊急通知が阻害され最悪の事態すら起こりえたこと。それらの要素を考えると順当にいって退学、鑑別所送りあたりだろうか。

 済んだことではあるが、自分がどんくさかったせいで大事になってしまって申し訳ない。ただまあ、鑑別所は人生の墓場ではなくリスタート地点だ。今度会うときは、またお互いに笑顔で再開できればいい。

 そんな呑気な考えを抱いていたのは事態の張本人だけだった。ずっと笑顔を浮かべていたのは透花だけだった。

 だって、笑う門には福来るとパパとママから教わったから。そんでもって、実際に笑っていて、自分は不幸だと感じたことがないから。

 へらへら。ひらひら。気が付けば周囲との間に埋まらない溝ができていた。

 

 自身がこんな存在であることに対する負い目や罪悪感ではない。ただ客観的に頭がおかしい人間がいれば、きっと周囲は気の休まることがないだろうとも思う。

 しかしこうして目の前の白い少女と対面して。

 感じる。ぞわぞわと。処女雪に足跡を残す愉悦。

 

 スノウ・ウィンドの胴体めがけて、こちらから大鎌を薙ぎ払う。

 カウンター主体のクリア・ムーンのスタイルではない。でも、どのような対処をするのか知りたかった。バーストリンカーとして、単純な勝利以上に相手との戦いを楽しみたかった。

 果たしてその期待は期待以上に応えられる。チッと舌打ちのような軽く硬質な音と共に、目の前の白いアバターは最低限の動きで刃に装甲を当てて逸らした。不可視の風にへし折られないようにひらひらと刃先を弄びつつ、円環の動きで透花は受け流された衝撃を受け流してくるりと強化外装を持ち替える。

 

 大鎌というのは『刈り取る』武器だ。

 死神のモチーフになったのも命を稲穂のように刈り取るイメージからと言われている。いちおう、戦場で鎌に分類できる武器が登場した歴史もあるが、それもひっかけて鎧を着た相手を倒す、武器や盾を奪い取るという用法が主であり、剣や槍といった武器と比べるとどうしても殺傷力は低い。戦場で踏み荒らされぬかるんだ大地に引き倒され、武器と盾を失った騎士がその後生存できるかは別として。

 自然、大鎌はどうしてもその攻撃の動きは内側についた刃で斬るために限定される。だから、躱しにくい胴体に対する斬撃は軌道を読んで逸らす。理論としては間違ってない。

 

 ――余談だが、その耐久値的に『斬る』以外の使用法をしようものならその瞬間に木っ端みじんに砕け散るであろうクレセント・サイスは縛りプレイ仕様のハードモードだったりする。透花は難易度が高い分、他のプレイヤーより長く真剣に楽しめてお得だと思っているが。

 

 話を戻して。

 自他ともに認める(正確に把握できているとはいっていない)狂人性質の透花であるが、その戦闘スタイルは実のところガチガチの理論派だ。

 一発当たれば全身に響き体力ゲージが全損するクリア・ムーンにとって『なんとなく』や『やってみればできた』は許されない贅沢であった。そのようなトライ&エラーは()けつ(まろ)びつの擦り傷とセットであるからして、擦り傷イコール致命傷のこのアバターは出来るようになる前に失敗で終わってしまう。

 ゆえに彼女を構成しているのは莫大な戦闘理論。彼女の親であるグレイ・ブレインに基礎を構築され、透花自身の手によって加速世界の炎の中から掬い上げ、鍛え上げた数字の羅列。

 完全浮遊型アバターという特性上、まるごとお手本にできる相手などいなかった。使えそうな式の羅列を必死に拾い詰めて、自分だけの勝利の方程式を組み上げるしかなかった。

 だからこそ、クリア・ムーンはミドルレベルまで到達することができたとも言える。透花はこのピーキー過ぎるアバターと四六時中付き合うことを強いられるが、他のバーストリンカーたちからしてみれば通常のアバターとは何もかも勝手が違う。

 存在そのものが初見殺しの暗殺特化アバター。下手な定石を持たない分、初心者の方が対応しやすい? たしかにそのような一面もあるかもしれない。

 ただ、今の感動をそんな理論で片付けてしまうのはあまりにも見当はずれのような気がした。

 

(すごい。すごいすごいすごい!)

 

 初心者(ニュービー)の、否、人間(ふつう)の動き方ではない。この感動をどう表現すればいいのだろうか。

 無理やりにでも具体例を挙げてみるとすれば、たとえば将棋。あれは正解(神の一手)が存在するゲームである。順列組み合わせでコマの動き方と盤の大きさが有限であるため、究極的にそれをすべて計算して最善手を選ぶことができれば先手、後手の時点で勝利は確定してしまう。

 しかし、当然ながら人間にそれは不可能だ。だからこそ何年、何百年とその道のプロが日夜研究を重ねている。無限にも等しい有限に対応するために定石という、さらに有限を効率的な不自由に落とし込むための手段が編み出されている。

 

 スノウ・ウィンドがやっているのはコマの動かし方もおぼつかない初心者が、対局を限定的に覗き見て、いきなりその道何年のベテランと互角に指す。他者が何百年もかけて研究し、受け継いできた効率的な不自由を瞬時に理解し、分解し、加工して、直感的に神の一手に近づけていく。

 それを将棋よりもコマの動かし方が千差万別で、盤の自由度も比較にならないほど幅広い《ブレイン・バースト》でやっている。そういうたぐいの異常(こと)だ。

 

 目の前の白いアバターの中の少女は掛け値なしに天才だ。仮にこうして透花と出会わなくても、遠からず似たような技量を身に着けていただろう。

 しかし今ここでこうして戦い、彼女に戦い方の基礎を教え込んだのは他の誰でもない透花なのだ。その事実はこの先、何があっても消えることはないのだ。

 そのことが、涙が出るくらい嬉しかった。

 

(じゃあこれは? どうする? どうする!?)

「『透明化(パーフェクト・クリア!)』!」

「ふぇ!?」

 

 必殺技を発動させる。驚愕の声を漏らすスノウ・ウィンドを置き去りに、透花は大きくその身を仰け反らせると、大鎌の柄を軸にしてまるで鉄棒のオリンピック選手のようにアクロバティックに宙を舞った。

 クリア・ムーンの初期必殺技『透明化(パーフェクト・クリア)』はなかなかに使い勝手の悪い性能をしている。

 単純な効果だけ箇条書きで抜き出せば「必殺技ゲージを消費中、光の屈折率を限りなくゼロに近づけ、目視できなくなる」「さらに効果時間中、対象のアバターが持つ防御力を無視して与ダメージを算出する」という強力きわまりないものだ。

 しかし第一に、これが必殺技である以上必殺技(S)ゲージを溜めなければならないが、クリア・ムーンの耐久値ではSゲージが溜まりそうな与ダメ、被ダメ、オブジェクト破壊、のきなみアウトなのである。反作用でアバターがぶっ壊れる。ダメージを受ければ消滅するマーブル・ゴーレムの首を切断しても幻影が消滅しなかったことからわかるように、彼女の強化外装も可能なのは『切断』までであり、そこに破壊判定もダメージも発生しないのだ。

 実際、こうしてスノウ・ウィンドと【400】カウントほど切り結んでるが、お互いにガードも与ダメージも発生していないこの場においてSゲージ上昇はほぼ発生していない。普通の対戦ではそろそろ必殺技の華麗な応酬に移行していてもおかしくない、この特異性こそがクリア・ムーンがピーキーな性能でありながら他のバーストリンカーたち相手に優位に立ち回り今まで生き延びてきたアドバンテージであるのだが、今は置いておこう。

 

 そして第二に、この『透明化(パーフェクト・クリア)』の効果範囲はアバターのみなのである。クリア・ムーンが対戦相手に干渉可能な数少ない手段である強化外装はその効果対象外だ。ゆえに必殺技で姿を消しても、ガラスの大鎌が宙に浮いた状態になり居場所は丸わかりになってしまう。

 ついでに第三を言えば、この使い勝手が悪い仕様ゆえに、クリア・ムーンはレベルアップボーナスをこの必殺技にまったくつぎ込んでいない。故に燃費が初期状態のまま半端なく悪い。ゲージMAXで使い切るまでに五分、カウント【300】分がせいぜいなのだ。

 

 同レベル同ポテンシャルの原則。

 繁華街クリスマスバージョンでサンタクリッターからSゲージが回復できるような、極めて限定的な状況でなければまともに使用できないことによってゲームバランスを取る原理をそう名付けるのであれば、とても不条理なことだろう――と、透花の親が言っていた。透花は『こんな強い必殺技なんだもん。条件が厳しいのは仕方ないよねー。むしろ厳しい条件を上手く生かして決められたらカッコよくない?』と呑気に構えている。

 

 閑話休題(話を戻そう)

 必殺技を使ったのは、ちょうどいいと感じたからだ。この四百秒の間で並ばれたとは言わないが、スノウ・ウィンドの力量は一定の領域に達した。完全な初心者が、競技に慣れていく上で発生する最初の急成長。いわば最初の成長期が終わった段階。格闘戦のプレイヤースキルが充実したのなら、次の段階に進むべきだ。否、今度はどんな素晴らしい飛躍を見せるのか、()せてほしい。

 大鎌が消えないのも、そうとわかっていればフェイントとして使える。完全浮遊型アバターだからこそ適う態勢からクレセント・サイスの一撃をもって反撃を誘発し、そこに想定外の角度からのカウンターを合わせる。

 先ほどからしつこく述べているようにクリア・ムーンの打撃技適正はマイナスだ。しかし、敵の攻撃を利用すればガラスの脆さをデフォルメしたような《透明装甲》でもダメージを与えることが実は可能なのだ――たしか、親は《柔法》と呼んでいたか。

 クリア・ムーンがレベル3のボーナスで強化外装(クレセント・サイス)を入手するまでほぼ唯一といってよい、もはや血肉と化した攻撃手段(投げ技)

 

 この世界はゲームである。神ゲーかクソゲーかは人それぞれ意見が分かれるだろうが、ゲームであることは全プレイヤーにとって否定しようのない事実である。

 ゆえに状況を限定すれば、()()()()が可能なのだ。

 まあ大仰な言い方をしたが、多かれ少なかれ格ゲーならば、いやゲーマーならば誰でもやっているゲームバランスからの相手性能の逆算である。

 スノウ・ウィンドの周囲に渦巻いている風バリアー(透花命名)は初期取得スキルとしては破格の性能だ。自身でその存在がたびたび意識から抜ける様子から常時発動型アビリティ。そして常時発動型アビリティは必殺技ゲージを消費しないパッシブスキルと銘打ってはいるものの、その実対戦時間中常に効果を及ぼしているのかというとそうではない。

 近接攻撃を短期間に集中して逸らし続けた風バリアーは徐々に、しかし硝子の大鎌という繊細過ぎる武器を扱う透花には明確にそうとわかる程度に、その勢いを衰えさせていた。

 そして先ほどの一撃で、明らかに手ごたえが変わった。

 クールタイムに入ったのだ。微に入り細を穿つコントロールを要求される《柔法》も、この状態ならば通る。

 

『ぴぃ』

 

 意識が加速するときの特徴。脳内リソースが余分な処理を中断し、シャットダウンされた色覚により徐々に視界が灰色に染まっていく中で。

 透花の耳はそれを聞き逃さなかった。

 緑のとんがり帽子をかぶり、自身の身長に匹敵する大きな袋を抱えた小動物オブジェクト(クリッター)がぽんと、透明感のある白い繊手につかまれる。

 

 サンタクリッター。緑の服。必殺技ゲージチャージ。見逃した? 違う。いまここに湧いた(ポップした)

 ドロドロと蕩け、同時に噴出する思考の狭間に、スノウ・ウィンドがごくごく当たり前のように袋を開け、Sゲージ回復を示す発光エフェクトに包まれるのを認識する。

 その動きに躊躇も、困惑もなかった。ゆえに無駄がない。仮にこちらの攻撃に間に合わせようと焦り、サンタクリッターにダメージを与えていればその時点で試合に勝利しても勝負に負けることは確定的になっていたことだろう。

 

 カシャン、と乾いた音と共にスノウ・ウィンドのデュアルアイが蒼く輝き――目が合った。

 

 ここでおさらいをしておこう。クリア・ムーンの必殺技のロジックは認識阻害ではなく光学迷彩である。厳密には光の屈折率を限りなくゼロに近づけることによって相手の視界から消えている。

 つまり、可視光線の反射以外の方法で『視て』いる場合、装甲貫通はともかく『透明化(パーフェクト・クリア)』はその性能の半分を発揮できないといってよい。

 

 相手の急所を可視光線に依らない視覚情報として認識するスノウ・ウィンドは、どこまでもクリア・ムーンの天敵だった。

 

 ただでさえ捨て身のカウンター(クリア・ムーンにとってはいつもの事だが)の最中に、小動物オブジェクト(クリッター)出現(ポップ)、想定外の必殺技ゲージ回復、予想外の相手の能力(アビリティ)

 硬直こそしなかったものの、情報の飽和で思考に処理落ち(ラグ)が発生する。本来、ここまでイレギュラーが重なればその動きに停滞が生じて然るべきであり、これはミドルレベル(レベル4)まで(いろんな意味で)極端な戦闘経験を積み重ね、しっかりと血肉にしてきたクリア・ムーンの面目躍如といったところだろう。

 

 だから、これはそれ以上にこの状況が異常(アブノーマル)だった。それだけの話。

 

 本当に突然、視界の中に飛来物が出現した。

 

「アイエエエ!? スリケン、スリケンナンデ!?」

 

 アンブッシュだ!! 今まで出したことも無い、そのくせ妙に状況にしっくりくる悲鳴が自分の口から洩れるのを透花は聞いた。

 バトルロイヤル・モードで第三者から背中を撃たれるのはそう珍しい話ではない。むしろ醍醐味といってもよいほどだ(それを楽しみにしている豪傑がどれだけ存在しているかは別として)。

 スノウ・ウィンドを掠めるようにして飛来したそれは、きっと本来なら彼女を狙って放たれたものだったのであろう。外れたのはサンタクリッターを掴んだモーションで偏差射撃を外されたか、突然の出現(ポップ)に驚いて手元が狂ったのか。ただ、こちらにまっすぐ飛んできたのは偶然だと確信できた。

 とっさに身体をひねって射線上から外れる。ただ、対応の限界もそこまでだった。

 

 一説によれば、人間は視界の三割を自身の身体で覆っているとされる。透明なクリア・ムーンはその副産物で視界が通常のデュアルアバターより広い。その視界に、自身が躱したスリケンが雑居ビルの看板にぶつかり、絶妙な入射角だったのだろう。看板、ビル壁、地面と三角跳びのように反射して、また飛んできたのが映った。

 

 ――スノウ・ウィンドは幸運に憑かれてる。

 

「ンアーッ!? アバーッ!!」

 

 クリア・ムーンはしめやかに爆発四散、サヨナラッ!!

 実際、一撃女のあだ名は伊達ではない。流れ弾だろうがラッキーパンチだろうが容赦なく、こうして彼女は今回のバトルロワイヤルから敗退した。

 

 

 自分でもおどろくほどに落ち着いている。雪風はそう自己評価を下した。

 

 もともと、そこに誰かがいるのが『視えて』いたというのもある。光学迷彩と思しき風呂敷型の強化外装をしまい、そこに現れたのはどこかアニメかライトノベルの挿絵で登場しそうなニンジャ装束に身を包んだM型アバターだった。

 【Umber Assassin Lv.4】

 

 またもや格上のミドルレベル相手。あとその格好は絶対に忍んでいない。暗殺者(アサシン)を名乗るには目立ちすぎるだろう。

 

「ドーモ、スノウ・ウィンド=サン。アンバー・アサシンです」

「どーも、アンバー・アサシンさん。スノウ・ウィンドです」

 

 アイサツはダイジ。古事記にもそう書いてある。

 オジギをされたのでこちらも合わせて頭を下げる。何をしているんだろうと俯瞰する自分がいなくもないが、たとえ古事記に記載がなくともお行儀の起点に両親のしつけという、ある種のいいとこ育ちがある雪風には、挨拶を返さないという選択肢はなかった。

 

「イヤーッ!」

 

 下げた頭が上がりきる前に響き渡るシャウト!

 スゴイ・シツレイ? 否、アイサツが完了すればオジギからの復帰にかかる時間を突くのはセーフである。アイサツが未熟な相手が悪いのだ。

 

 それでもなお、雪風はあわてなかった。

 どうなるのか、知っていたから。

 

 さて、ここで強化外装に関する注釈をひとつ。

 強化外装は体力ゲージをデュエルアバターと共有しておらず、独自に耐久力が設定されている。ゆえにその種別に関わらず強化外装を盾にして体力ゲージを守るという使い方が可能であるし(実用性に敵う耐久力を有するもの限られるが)、逆に繊細な強化外装を守るためにデュエルアバターが攻撃を引き受けるという場合も無くはない。

 耐久力が尽きると強化外装は破壊され、通常対戦フィールドであればその対戦中は原則使用できなくなる。無制限中立フィールドでも同様で、たとえ死亡から蘇生しようと強化外装は復活せず、離脱・再ダイブ(リログイン)が必要だ。

 

 では、強化外装の前にアバターの体力ゲージが尽きた場合。これはどうなるのか?

 これはケースバイケースとしか言いようがない。

 たとえばシングル対戦(マッチ)なら『相手のデュエルアバターの体力ゲージ全損=対戦終了』なので考慮の必要はない。一方で無制限中立フィールドであれば、種類にも寄るが一定時間維持される傾向にある。場合によっては一時的に『奪い取る』ことも可能だ。

 アバターと完全に一体化する鎧など装着型の場合は、デュエルアバターと共に爆散してしまうことが多い。剣や盾などの装備型はそれなりに原形をとどめる。乗り物型は高確率でその場に留まり続ける。

 そして気まぐれに、あるいは約束されたかのようにそれらの傾向から外れる場面も往々にして存在している。ある意味、加速世界でもっとも有名な強化外装《災禍の鎧(クロム・ディザスター)》のように。

 

 いまこのBR(バトルロイヤル)対戦のフィールドには《クレセント・サイス》という強化外装が存在していた。

 本来、これは所有者であるクリア・ムーンが敗退した時点で他のプレイヤーにとっては雑音(ノイズ)にすら値しない情報だ。何故ならクレセント・サイスは持ち主と同様にピーキー極まりない性能をしており、下手な振り方をしたら風圧に耐え切れずに折れてしまう、文字通りのガラス耐久をしているからだ。

 使用に際し専業に等しい習熟が必要というのは、何もデメリットばかりではない。武器というのは強力であればあるほど奪われた状況を想定しておくべきである。『きわめて扱いづらい』というのは道具としては落第点だが、ある側面ではハッキングも解除もされない強固なセキュリティなのだ。

 

 そのセキュリティ抜群のガラスの大鎌は、クリア・ムーンが敗退した際に空中に放り出されていた。変則的なフェイントに使用されようとしていた最中。複雑な運動エネルギーが働いていた。

 クレセント・サイスはアバター敗退時のアバター爆散を受け上空に吹っ飛び、くるくると宙を舞う。そこにビル風が混ざり合い、天文学的な確率で回転の軌道に刃が立ち、すっぱりといっさいの抵抗なくごてごてと電飾に塗れた看板オブジェクトを切り落とした。

 

 雪風にその連鎖が逐一見えていたわけではない。彼女のアビリティはそこまで万能ではない。ただ、そのアビリティの鋳型となった異常性(アブノーマル)が告げていた。

 確率の絡む勝負で、自分が負けるはずがない。

 

「グワーッ!?」

 

 切り落とされた看板はポリゴン片に変わる前に重力に引かれ、位置エネルギーを運動エネルギーに変換し、いざスリケンを投擲しようとしていたアンバー・アサシンの脳天を直撃した。

 その手元はまたもや狂い、明後日の方向にジャストミートする。

 

『ピギィ!?』

「アイエエエエエエ! サンタ!? サンタナンデ!?」

 

――『注意点は箱を奪うとき、絶対にサンタクリッターにダメージを与えないこと。あの子たちは基本ノンアクティブだけど』

 

 つい先ほどのはずなのに、はるか昔に感じる助言が脳裏によみがえる。

 

――『もしもダメージを与えられたら警報を鳴らして、袋ではなくて金貨の詰まった靴下で武装した黒サンタクリッターを大量に召喚するからね。けっこう強いからミドルレベルくらいなら袋叩きにされちゃうわよ?』

 

 百聞は一見に如かずとはこのことか。

 ゴミ箱の中から、電飾の陰から、ビルの隙間から、わらわらと無数に召喚されたブラックサンタクリッターはまるで砂糖菓子に群がる蟻めいてアンバー・アサシンを包み込んだ。

 じゃりん、じゅしん、とあまり心によろしくない重く湿った打撃音が裏路地に響き渡る。

 

「グワーッ! グワーッ! グワーッ! アバーッ!」

 

 アワレ、アンバー・アサシンの体力ゲージはあっという間に全損!

 

「サヨナラッ!」

 

 しめやかに爆発四散! 実際ハイクを詠む暇すらなかった。

 なので彼の本名が真庭(まにわ)鰐鮫(わにざめ)で、鰐と鮫でサメ被ってんじゃんというツッコミどころ満載の名付けであることとか。

 金髪碧眼という日本人が真っ先に連想する外国人めいた容姿の持ち主のクォーターであり、幼少期に日本語がまだおぼつかない時期に日本に移住してきたことにより「周囲に馴染みたい(忍びたい)」という想いがアバターの鋳型となっていることとか。

 いろいろあった彼の設定(バックボーン)はまるっと省略されて、アワレ踏み台として雑に乗り越えられるのであった。

 

 噛ませ犬は先祖から受け継いだ、逃れえぬ呪いなのかもしれない。

 

 

 

 襲撃者がミスから袋叩きにされ、爆発四散している間、雪風は何もしなかった。

 何もする必要が無かった。言ってしまえば相手は勝手に出てきて、勝手に死んだのだから。

 ただ、デュエルアバターの身体からは粉雪が空へと逆流するかのように、ゆったりと白い光が溢れている。りぃいいんと重く澄んだ音が全身の装甲からこぼれている。それが意味することを知らないままに。

 それは例えるのなら呼吸のようなものだ。意識してすることができる。意識すれば止めることもできる。ただ、普段は眠っていようと止まることが無い。やっていることを意識しないほどそこにあることが当たり前の、何か。

 異常(アブノーマル)とはそういうものだ。サイコロをまとめてふればすべての出目が6になるように。狙ったわけでもないのに塔のように積み上がってしまうように。当たり前に起こることが周囲の当たり前と隔絶している。

 

「……ふふふ」

 

 それを、思い出した。すると笑いが込み上げてきた。

 まるで人の失態をみて嗤っているようで不謹慎だとも思えたが、それを指摘する者が周囲にいるわけでもない。何より、抑えようと思っても抑えきれないほどに笑いの衝動は高まっていく。

 

「ふふふ、あはははは」

 

 どうして忘れることができたのだろう。

 自分はずっと昔からこうだった。

 そうだ、あの事故の時からだ。

 

――生き残ったのは自分のせいじゃないです

 

 自分だけが当たりくじを引き当てただなんて、両親に、交通事故にあったすべての人間に外れくじを押し付けただなんて認めたくなくて、必死に自分を普通(ノーマル)だと思い込もうとしていた。

 

「あははははははっ、かはっ、ひゃははははあっはああ」

 

 デュエルアバターに酸素は必要ない。ゆえにその気になれば呼吸せずに笑い続けることができる。むせるのも、せき込むのも、ただ生身だったころの名残だ。

 

「ああああああああああああ!!」

 

 いつの間にか、雪風は慟哭していた。

 それは昨日までの日常(ノーマル)が完膚なきまでに破壊された嘆きであり、普通の女の子だった『雪風』に自らがおくる鎮魂歌(レクイエム)であり、目覚めの産声であった。

 

「うああああ、あああっ、ああ、あああああああ!!」

 

 

 

【TIME UP!!】

収支報告(リザルト)

 

VS. Marble  Golem

■■■■■

――この対戦は無かったことになりました――

 

VS.ラピスラズリ・フィジシャン

・与ダメージ:0

・被ダメージ:0

・とどめボーナス:なし

・ポイント移行:0

 

VS.クリア・ムーン

・与ダメージ:0

・被ダメージ:0

・とどめボーナス:なし

・ポイント移行:0

 

VS.アンバー・アサシン

・与ダメージ:0

・被ダメージ:0

・とどめボーナス:なし

・ポイント移行:0

 

【獲得ポイント:±0】

 

 

 

 かくして、少女のはじめての対戦は、勝つことも負けることもできずに終わった。

 

 




余編につづく。

アンバー・アサシンはhuntfield様からの応募です。
ありがとうございました。
アンバーには『amber(琥珀色)』と『invar(鉄64%、ニッケル36%、微量のマンガンを含む合金)』の合わせて三種類候補があったのですが、残り二つが原作、外伝コミックで既出のカラーだったので『umber(黄褐色)』に勝手に決めさせていただきました。

これら以外にも魅力的なアバターがたくさん応募されていたのですが、今回はこれでおしまいです。
できるのならここ以降の本編や、また番外編などで登場させていければと思います。

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