余計者艦隊 Superfluous Girls Fleet(佐世保失陥編)   作:小薮譲治

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第1部 周防大島攻略編 第4話 Die Verwandlung

「訓練海域に到達するまで、後何時間航行しなきゃいけないのかしら」

 

 そういって、彼女はぼやく。肩胛骨の下あたりまでの黒髪を結い、黄土色の砲塔を抱え、体の各部には同様の代物が接続されている。41cm連装砲の重量は実物とは比べものにはならないほど軽量なものの、それでも重いのには変わりない。おまけに、腰には儀礼用の太刀を佩いて居るのである。装備品が充実していると言えば聞こえはいいが、訓練の度にこれをつけていたのではたまらない、と言うことだった。

 

 それを聞いて、教導艦を務めている山城は少しむっとしたが、こう言うにとどめた。

 

「無線機を切り忘れてるわよ、伊勢」

 

「へぇあ?!」

 

 やべっ、と言いながら、ぶつっ、という音をさせて、伊勢は無線機を切る。この子は実力はあるものの、どこか抜けているところがある。山城を含めた扶桑型の改良型である戦艦「伊勢」は、訓練生として呉に配属されていた。当時は、だが。

 

「ヘーイ、伊勢サンは無線封鎖を忘れてマシたネー?」

 

「金剛、うっさい!」

 

 きゃいきゃいと笑いながら、金剛は伊勢に話しかける。こちらは35.6cm連装砲を装備しており、巡洋戦艦として建造された為、伊勢よりも足が速く、からかってぱっと離れた。

 

「この……!」

 

 伊勢が顔を真っ赤にして、追いかけようとする。それを見て、山城は今度こそ怒鳴った。

 

「二人とも! 遊ぶのなら帰ってからにしなさい!」

 

 全く。と考えた時点で、山城ははたと気づいた。

 

 

 ああ、これは夢だ。と。

 

 

 

 

 

 

余計者艦隊 第四話 Die Verwandlung

 

 

 

 

 

 

 目を覚ますと、山城は目のあたりに奇妙な不快感を覚えていた。右腕でごしごしとこするととれるかと思ったが、突っ張ったような感触が増しただけだった。

 

 右腕、と考えた瞬間、肌の色が若干薄い腕が接合されていることに気づいた。ああ、助かったのか。と考え、艤装、厳密に言えば、艤装のコネクタから生長している生体の光電子寄生体であるが、こちらのオーバーライドのおかげで腕が動いていることを意識した。リハビリを必要としないのはいいが、怠っていると艤装がダウンするととたんくたくたになってしまうため、厄介な代物ではある。また、どうしても生体神経に比べると『操っている』感覚になるため、しっくりこないのだ。

 

 そういえば、金剛と伊勢の訓練はあの後、どうしたのだったか。と体を起こして、考えた。確か、金剛が機関不調で水にしずみ、やられた振りをして、救助しよう、とした伊勢を攻撃して撃沈判定を得る、というこすっからい手法で勝ちを納めたのだった。まあ、その結果、自分の艤装も含め、塩まみれになった上、錆が浮いたりしたので、まさしく身から出た錆であったが。

 

 そういう勝ちに対する汚さは、金剛は優秀だったな、と考え、そして「もういないこと」に思いを致し、じわ、と涙が浮いてきた。

 

「おう、起きたか」

 

 あわてて再び目を右手でこすり、顔を向けた。そこには、青いピクセルカモの戦闘服に身を包んだ提督と、艤装を着用してはいるものの、右腕をギプスで固定している加賀が立っていた。もう吊らなくてもよくはなったらしい。

 

「提督……?」

 

 しかし、相変わらずどこかで、というか牡蠣で腹を壊した姉によく似た顔だなあ、と関係ないことを考えながらも、なぜここにいるのだろうか、と疑問を抱く。

 

「えー、まあ、なんだ。病院でなんだけども。君には新しい装備が与えられる。その運用資料については……加賀?」

 

「こちらが資料です」

 

 持つって言ったのに、などと提督はぼやいている。どさり、とベッドのサイドボードに青いハードファイルがいくつか置かれていた。そこには『秘』という赤いシールが張られており、透かしも入っている。

 

「閲覧簿にサインしてくれるかな、山城」

 

「……それは構いませんが、盗まれたらどうする気です」

 

 それを聞いて、提督は顔をしかめた。加賀は片眉をぴくり、と上げている。

 

「草の根分けてでも探し出して殺す」

 

 真顔のままに答えた。おそらく、提督は本気でそう言っている。この男の前歴を軽く鳳翔とともに調べた時に知ったことだが、オーストラリア難民射殺容疑で起訴されたことがあるからだ。実際、いくつか『教官』としての権限を使ってもアクセスできない人事記録があったため、事実なのだろう、と判断している。

 

 資料を開くと、日向の飛行甲板の運用者向けの資料が挟まっている。細かい仕様も載っており、なるほど、と提督の言いたいことが分かった。

 

「……航空戦艦化、ですか」

 

「例の……『史実』においてはペーパープランだった、と聞いているが、どうかな」

 

 それには答えず、もう片方の資料を開く。提督は一瞬ばつが悪そうな顔をした。

 

「46cm三連装砲」

 

 教え子の顔がちらつく。大和、と名前がつく予定で、みんなの役に立ちたい、と熱心に学んでいたあの子の顔が、だ。

提督に怒りの視線を向ける。どういうことだ、私にこれを使わせる、という意味が分かっているのか、という視線だ。

 

 それを受けて、提督は口を開いた。

 

「大和の戦力化を待っている時間がない、と判断した。議論する気はない」

 

「どうやってこれを持ってきたか、については問いません。ただ……それでよろしいのですね?」

 

「教官を務めるほどに優秀な山城と、まだ海のものとも山のものともわからない大和とで比べる意味があると思うのか」

 

 断固たる口調であった。そうだ。それに提督は言わなかったが、飛行場姫が居る、ということは、今すぐにでもあそこを叩き潰さなければならないのだ。広島と呉を砲撃できる距離に深海棲艦に王手を指されたにも等しい。いや、今まででも王手に限りなく近かったが、今度こそは王手である。

 

「……微力を、つくします」

 

 そう、山城はそう言わねばならない。教え子に対してやる仕打ちではないが、今はともかく、戦って勝たねばならない。

 

 

 

 

 時を同じくして、哨戒に出ていた二人の艦娘が、早瀬大橋に機雷を敷設するために装備を受領した。太陽の光を受けて、刻々と色を変える海は、つい先日の激戦の色を映してはいなかった。そこに白い航跡を刻み、進むのは最上と摩耶の重巡が二人である。駆逐艦も随伴させたかったが、こちらは音戸の瀬戸に敷設する作業に取り掛かっており、その後に対潜哨戒に向う予定であるため、別行動となっている。

 

「僕の飛行甲板、どう? 似合ってる?」

 

 余裕があるのか、最上が腕に巻きつけられた新装備を誇るように見せつけ、にこにこと笑うのを見て、摩耶は辟易しながら言った。航空巡洋艦に改装された彼女は、飛行甲板が大のお気に入りらしい。

 

「あー、似合ってる似合ってる。アタシには似合いそうもないからいいけど似合ってる」

 

「この良さがわかんないかなあ。へへへ」

 

 航空機運用か、と考えて、摩耶は首を振った。よく壊しては怒られていたからなあ、と、良い思い出のなさに舌打ちする思いではあったが、それは口に出さない。

 

「……おっと、お客さんかな?……ちょ、ちょっと、摩耶!」

 

 最上が、慌てた様子で量子データリンカでデータを送信してくる。そこには。

 

「……そういう事かよ。スカーフェイスめ……生きてやがったのか」

 

 左頬がそげ、実に『美人』になった戦艦タ級が、スカーフェイスが乱杭歯を覗かせ、微笑するさまが写っている。こちらの航空機に気づいていた。そして、同時に。

 

「なんだ、あの航跡。逃げてるのか?」

 

「重巡と……軽巡に駆逐艦、かな」

 

「お前の同型……いや、こりゃあちょっと違うな。三隈かな」

 

 三隈、と口に出すと、最上が顔を一瞬しかめた。おや、とは思ったが、摩耶は口には出さない。事情があるのだろう、と考えたためだ。実際、摩耶も姉にはいろいろと思うところもあるからだ。

 

「……クローンかな」

 

「……可能性はあるけどよ、本人かもしれない」

 

 それを言うと、最上は首を振った。

 

「あの子は……沈んだよ」

 

 沈んだ、と言った瞬間の、し、という音を出した後の一瞬の逡巡を、摩耶は聞き逃さなかった。これは何か、ある。是が非でも助けなくてはならない。

 

「助けるか?」

 

「……助ける余裕は?」

 

「無いね。だが、今は猫の手でもほしい」

 

「提督の裁可は?」

 

 そう最上が聞いた瞬間に、摩耶はかみつきそうになった。何を軟弱なことを、と言わんばかりだ。

 

「くそくらえ。お前が来ないならアタシだけで行くぞ」

 

 そうだ。私は、摩耶はずっとこうしてきたのだ。

 

 

 

 

「早く、早く、早く!」

 

 三隈の叫びに、朦朧としながらついていく。水しぶきが上がり、気管に塩辛い水が入り込み、顔面にへばりついていた鼻水と涙を洗い流した。

 

 弾薬も何もない。いや、厳密には魚雷はあるが、そんな距離にまで肉薄できる燃料もない。そして、希望もない。歯噛みしながら、白い鉢巻を血で赤く染めた少女は、声を張った。

 

「潮ちゃん!」

 

 ふらつきながらも、綾波型駆逐艦の『潮』は最上型重巡『三隈』と、私、長良型軽巡『長良』になんとかついてきている。体中がすり傷だらけで、機関部からは猫が絞殺される時の叫び声に近い悲鳴が響いていた。それを長良の耳が聞き取れる、と言う時点で、不調と言う言葉だけでは済まされない状況である。

 

「置いて行って……わぷっ、ください!」

 

「馬鹿言わないでよ!」

 

 なんてこと。と長良は毒づいた。周防大島を通ろうとしたら航空機に追い回されるわ、逃げ切ったと思ったらあの左頬の無い戦艦タ級の艦隊に追跡されるわ、今日は本当に厄日だ。と歯噛みした。

 

「だって……!」

 

「ああ、もう!」

 

 データリンカが接続されているのは三隈と長良のみだ。なぜか潮のそれとは同期できていない。ひょっとして、と思って、上を指さした。

 

「上に味方!」

 

「そ……それじゃあ」

 

 潮は上を見上げ、彩雲が飛んでいるのを見て、ぱあっと顔が明るくする。だが。

 

「あっ……!」

 

 破裂音。ぎりぎりぎりっ、という金属が引きちぎれる音とともに、潮の『足』が遅くなる。ひっ、と悲鳴を上げ、後ろを振り返り、重巡2隻がぎちぎちと笑いながら追いかけてきているのをみて、彼女は笑った。

 

「だ……だめ、みたいです」

 

 泣き笑い。くしゃくしゃに顔をゆがめる。

 

「潮ちゃん!」

 

 長良の声をかき消すかのように、ウォークライが、響いた。胃腑を揺らす、地獄からの呼び声。赤い目から焔をゆらめかせ、がちがちと歯を打ち鳴らし、砲から砲弾と黒煙をぶちまけながら、追いかけてくる。長良の魚鱗型のフィールドはその至近弾を透過しない。だが。

 

 潮は、悲鳴を上げている。誘爆を起こしかけた魚雷を切り離したものの、足に破片が突き立っていた。そこからは鼓動に合わせ、規則的に血が噴き出していた。真っ赤な、血。

 

「くそ……!」

 

 引き返すか、と目で三隈に問うが、しかし。弾薬もないのに引き返せるか。と首を振る。その通りだ。引き返したところで、二人で一緒に死ぬだけだ。畜生、と長良は口の中でつぶやいた。

 

「もっと……鍛えておけば……」

 

 助けられた、という言葉は、飲み込んだ。ここでは、もっとも無益な言葉だ。

 

「味方は……味方は……!」

 

 そううめくように言う三隈を尻目に、江田島の島の陰から、人の陰が飛び出してくる。ごっ、という殴りつけるような砲撃音と黒い煙。そして。

 

「早瀬大橋まで逃げろ! こいつらの相手はアタシたちがやる!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、長良は跳ねるように動いた。腰の艤装から、カラビナつきのワイヤを引き出し、安全率を無視した転針。6時の方向、つまり真後ろに向い、半ばひざまで水に浸かった潮の艤装についた曳航フックにひっかけ、そのままぐるっと一周して、機関に全速を出させる。

 

「長良さん?!」

 

 その三隈の驚きの声を無視して、長良は叫んだ。

 

「艤装、外して!」

 

 潮は、爆砕ボルトで背中の『ボイラー缶』を切り離した。一番の重量物であり、今となっては爆発の危険もある代物だ。実際の駆逐艦、いや、船では、場合によっては船体を『真っ二つ』にしないと取り出せない代物ではあるが、艦娘では事情が違う。外装としての艤装は希少品だが、経験豊富な艦娘はもっと希少だ。となれば、優先順位として自明のことである。ワイヤを巻き上げ、潮を抱えるようにして装甲、つまり桜色のフィールドの内側に寄せた。速力は落ちるが、人間一人の重量など、艦娘の機関には何ほどのことはない。

 

 重巡2隻と、すれ違う。摩耶と、最上。そして、三隈は最上に視線を向けていたが、最上はちら、と一瞬見た後、摩耶とともに増速して再び発砲した。

 

 

 

 

 

「……最上、お前ね……」

 

 提督は、頭を抱えている。最上も摩耶も、そして逃亡者たちもうまく逃げられた。そこは、良かった。が。

 

「……すみません」

 

 うつむきながら、最上は言う。飛行甲板に一発もらってしまったのだ。ただ、これ自体の修復はさほど問題ではない。本格的な損傷ではないからだ。

 

「……まあ、無事でよかった。それで……話というのは?」

 

 摩耶と摩耶に連絡を寄越せば何もいわなかったのに、と通り一遍のお説教をした後、最上がちらちらとこちらに視線を向けているのに気付き、残るように、と言ったのだ。

 

「……三隈の、ことです」

 

「ああ、クローン……じゃなくて、オリジナルだったんだろう? 妹さんが帰ってきたんだ。よかったじゃないか」

 

 救援についていえば、最上は反対に回っていた、というのは実に意外なことでもあった。だが、結果的に喉から手が出るほど欲しい戦力が手に入ったのだから、提督としては深く追求する気はなかった。

 

「……あり得ないんです。だって」

 

 逡巡するように、最上は下を向いた。

 

「だって、三隈は」

 

 その目の奥の色を見て、提督は慄然となった。

 

 

 

 

 

 

「ボクの目の前で、深海棲艦になったんです」

 

 その色は、真実、恐怖の色に染まっていた。

 

 

 

 時刻は2000を回り、灯火管制下なのにもかかわらず、開きっぱなしになっていた遮光カーテンをしめ、提督は向き直る。陸軍との共同作戦で『海軍が全滅した場合の陸軍が撮るべきオプション』について詰める事項が多数あったのだが、お互いに電話での怒鳴り合いに近くなってしまったがために、1700でそれをやめ、明日に回すことを約し、部屋で椅子に座った途端『落ちて』しまっていたため、慌てて跳ね起きて走ってきたのだ。どういう事だ、と思って見てみると、こくり、こくり、と頭が動いている。横で結った髪が、くろぐろと流れていた。

 

「加賀」

 

 うつら、うつらと臨時司令部の事務用の机に腕をおき、舟をこいでいた加賀は、目を覚ます。背筋をただした。疲れが顔に出ていないとはいえ、やはり疲れているのか。と提督はふと考えたが、本題はそれではない。ねぎらいの言葉でもかけるべきなのだろうが、加賀の性格上、嫌味扱いされるだろう、と踏んでいるからだ。

 

「……は、はい。なんでしょうか。提督」

 

「話がある」

 

 慌てていた加賀も、居住まいを正した。提督の声音は真剣そのものだった。

 

「……君は、艦娘になって何年だ」

 

「兵学校を卒業してからですから……4年です。まさか私の年齢を知りたいだけ、とかそういうことなのでしょうか」

 

「いや、違う。そういう意図はない。……そうか、四年か。昨日今日なったわけじゃない、と言う事だけを聞きたかった」

 

 加賀は片眉を上げた。意図はよく読めないが、何か『昨日今日なったような艦娘』では知りえないことを聞こうとしているのか、と目で問いかけている。それに対して、提督は頷いて見せる。そして、続けた。

 

「最上の報告は聞いたか?」

 

「重巡『三隈』に軽巡『長良』と、艤装は失ったものの、駆逐艦『潮』を救助した、ということは報告を受けました」

 

 それを聞いて、他に何かあるのか、と言外に加賀は問う。再び、提督は首肯した。

 

「……それは、私が聞いて良いことなのですか?」

 

「鎮守府と艦隊を実質的に取り仕切ってるお前に、秘密にして良いことはあるのか」

 

「……そういう言い方は不快です」

 

 提督は、言い方にとげがあったことを詫び、本題はそこにはない、と言うことを言った。

 

「最上の個人的な事情を提督にのみ打ち明けられたのなら、私が特に何をいう事もありませんが。色っぽい話なら余計に立ち入りたくありません」

 

 それを聞いて、提督が思わず狼狽する。そんなことをした覚えもないし、そんなことをする精神的な余裕などない。第一、相手は部下である。それに、彼が愛する物は全く別であった。

 

「お返しです」

 

「……ああ、どうも。すまんね」

 

 手を思わずひらひらとやり、提督は咳払いをする。おっと、とばかりに再び加賀は口許を引き締めた。

 

「で、話を戻すが……。単刀直入に聞くぞ、お前は、深海棲艦がどうやって増殖するかを知っているか。話せないことなら話せないと言ってくれ。知らないなら知らないと言ってくれ。本当に大事な話だ」

 

「把握していません。公式の情報でも、噂レベルでも信憑性のある話は聞いたことがありません」

 

「知らない、と言うことだな」

 

 その通りです。と加賀は言って首を縦に振った。提督は、一拍置いて、言った。

 

「どうも、まずいことになった。深海棲艦が鎮守府に入りこんだ可能性がある」

 

「……それは本気でおっしゃっているのですか?」

 

 加賀の顔は、恐怖でひきつる。右手を押さえているのを、提督はふと見とがめたが、触れなかった。

たとえ駆逐艦クラスであったとしても、深海棲艦は間違いなく人間には十分な脅威だ。そして、艤装をつけていない艦娘にとっても、だ。艤装があれば『装甲』と俗に言われるフィールドを展開することができるし、肉体の修復もある程度できる。そして、およそ実際の口径に見合わない砲を運用し、航空機を運用することができる。だが、艤装を、というよりも機関部分を着用してなければ神経系の情報伝達が『効率的』なだけの人間である。

深海棲艦がこの手の『戦術』を使ってくることは無かった。そうした戦術めいた動きは一部の強力な艦種以外では見られず、数で揉みつぶす。おまけに、頭がよいとされる強力な艦種であっても、攻撃を一時控える、などと言った行動は一切しない。これが本当であれば、作戦計画そのものが根底から覆される。

 

「いや、可能性の話だ。だから、これから聞くことは本当に大事なことだ」

 

 くそ、前置きばかり長いな、と、提督は加賀に注意したことをふと思い出した。本題に入る前に前置きが長いのは、軍人としてあまりほめられたことではないのだ。

 

「加賀、お前は艦娘が深海棲艦になるのを見たことがあるか」

 

 目を、加賀が見開く。唇が、震えていた。

 

「あるわけがありません。ありえないからです」

 

 提督は、そうだ。と言った。

 

「だが、最上は見た」

 

「つまり、三隈、長良、潮のうち、誰かが」

 

 そこから先を加賀が続けようとしたのを見て、提督は制止する。

 

「その先を言うな」

 

「だれ、ですか。提督」

 

 加賀のギプスに指が食い込むのを、提督は見た。だが。

 

「言えば、お前はそいつを殺すか」

 

「あた……あっ……」

 

 提督は、はっとなってギプスから手を離した加賀を見て、ゆっくりとうなずいた。

 

「全員の医療データを見たよ。間違いなく全員人間だ。ちょっといじられては居るが、間違いなく。医官は処分、いや、この際言いつくろうのはやめよう。殺そうか迷ったが……過去の記録が閲覧できない状況で助かった。……お互いにな。三隈だよ、例の『深海棲艦』疑惑がかかっているのはな」

 

 殺す、と躊躇なく言ったことに加賀は目を見開いた。こういう事を無造作に言える人間だとは、考えていなかったためだろうか。そう提督は考え、何を驚く、と言った。

 

「……それでは、どうするのですか」

 

「どうするもこうするも、三隈は疑いが晴れるまで出撃させない。晴れたところで周防大島攻略戦以外には出さん。重巡三隻だぞ」

 

 なぜです、とは今度は加賀は聞かなかった。危険度が高いのも確かであるし、それに、燃料が純粋に不足しているためだ。加賀の腕を切った後に正常な腕をつなげないのも、加賀に戦艦たる『山城』とともに動かれると洒落では済まなくなる。鳳翔に艦載機を積んでいるのは、何も艦載機の数が不足しているためだけではない。

 

 それに、出撃されるとボンクラ士官の部類で、兵科士官ではなく、もとは機関科士官である提督にとっては作戦指揮や立案もなにもないからだ。基礎的な部分はもちろん知ってはいるが、それでも加賀が鎮守府と艦隊を実質的に取り仕切っている、という言葉に嘘はない。

 

「では、長良は?」

 

「出撃させる。燃料問題はあるが、対潜哨戒に長良型は強い。曙と電の指揮を執ってもらう」

 

 潮は、と口の形を作ろうとした加賀は、それを止める。なぜなら、艤装、つまり機関部を逃走の際に切り離しているため、艤装が再度出来上がるまで出撃どころではないからだ。山城が手ひどくやられた際にこれをしなかったのは、できなかったということもあるが、修復ならともかく、再建造となると、今のところは大和建造で資材と人員を吸い取られてしまい、不可能だからだ。長良と潮の思い切りの良さはともかく、頭の痛いことではあった。

 

「……摩耶、山城や鳳翔さんがこの件を知っている可能性は?」

 

「三隈が『轟沈した』と見られていた期間から今まで、艦隊行動を共にしていたことは無かったはずです。山城さんと鳳翔教か……鳳翔さんは教官職にありました。摩耶は横須賀から佐世保に配属される途中でしたから……」

 

 鳳翔、と名前を出した時、一瞬加賀が顔をしかめた。本当に苦手なんだなあ、と提督は他人事のように考える。まあ、確かに兵学校時代の教官が部下に居る、となると俺もやりづらいか。とふと考えた。

 

「……鳳翔、鳳翔さんか……呼んできてくれるか」

 

「……はい?」

 

「彼女が教官だったなら、本来知りえない事を教え子から聞いている可能性もある。……違うか?」

 

 そういった瞬間の加賀の顔は、ひどく情けないものだった。

 

 

 

 

 

「……申し訳ありません、私は知りません」

 

 鳳翔のその声を聞いて、提督ははあ、とため息をついた。加賀は、なるべく鳳翔を見ないようにしながら、所在なさげに立っている。それを鳳翔は一瞬見て、すぐに提督の方を見た。

 

 鳳翔は笑顔を崩さない。桜を白く染め抜いた、模様となった花と同じ色の上衣と、紺の袴といった着物のように艤装を身に着けた、長い髪を後ろで結った少女、いや、女性は、不思議な威圧感があった。なるほど、教官のまとわせている雰囲気だな、と提督は感じたが、どこかそこには『中身』がないように感じた。本来は苛烈な女性であったと聞いているが、どうにもそういったケンを感じないのである。

 

 優しげな、しかし空虚なものを覚えるその鳳翔に対して、提督は再び口を開いた。

 

「鳳翔……さん」

 

「鳳翔で構いませんよ。提督」

 

 くそ、確かにこれは加賀が苦手とするだろうな。と提督は仕切りなおすように咳払いをして、言った。

 

「三隈を出撃させないとして……どのように監視するべきと考えるか」

 

「潮ちゃんの身辺のお世話の手伝いをさせてはどうでしょう」

 

 鳳翔は、まるで用意していたかのようにすらすらと答えた。

 

「……どうしてだ?」

 

「潮ちゃんなら死んでも……戦力の増減はありません。 0 は 1 になりえませんから」

 

 それを聞いて、そうか。と淡々と提督は受け止め、そしてそう受け止めた自分を嫌悪した。これでもし深海棲艦なら子供が八つ裂きにされるのだぞ。この女はそういったのだ。

 

 そう自分への怒りを鳳翔に転嫁しようとして、提督は口を開こうとした。だが、鳳翔は笑顔を崩し、目をさまよわせている。この女性は、自分が言ったことに動揺しているのだ。おそらく、演技ではない、と提督は感じた。演技だったところで、どちらにしても自分の言っていることの意味は理解しているという事でもある。

 

「……今は、もう修復……いや、治療は終わっていたな」

 

「ただ、松葉づえはついていますから、介助者が居た方が良いでしょう。艦娘の介助を一般の兵、とくに男性に任せるわけには……」

 

 男性、という言葉を発した瞬間、一瞬自分の方を見たように提督は感じたが、あえて無視した。確かに救助されたときに潮を上から下まで思わず見てしまったが。

 

「身辺も含めて考えれば当然だな」

 

 そういってはみたものの、提督はもちろん当然とは考えていない。潮と姉妹であったはずの『曙』の名前が一切出てこなかった。追及するべきか、と考えたが、本題はそこではないし、家族のことに立ち入るのは仕事であっても好きではない。

 

 三隈は出撃させない。潮の身辺を手伝う。理由は燃料不足で、重巡洋艦を三隻も稼働させれば干上がる。となかなか苦しい言い訳である。疲労もあるのだから、最上とローテーション運用をすればいいのだ。本来は。そう考えた提督は、思わず頭を押さえた。

 

 戦力の増加を喜んでいた自分を張り倒したい気分だった。

 

 

 

 

 

「潮の世話、ですか?」

 

「そうだ」

 

 0900に司令官室に三隈を呼び出した提督は、開口一番そういった。加賀は、というと、長良と曙、電を引き合わせて作戦前ブリーフィングを行っていた。

 

 光の当たり具合によっては緑に近い色を見せる黒髪を左右で結んだ、くすんだ朱色のセーラー服の少女は、小首を傾げた。

 

「まあ、それではモガミンが大変ですわね」

 

「モガ……なんだって?」

 

 なんとなく、この子は頭痛を誘発する達人かもしれない。と提督は考えた。上官の前で自分の姉をモガミンと呼べる奇矯な性格は地なのか、はたまた深海棲艦の変化したそれなのか、と判断がつかない。

 

「最上さんのことです。ほかにモガミンと呼べる人はいらっしゃらないでしょう?」

 

「ああ、まあ、そうね」

 

 俺のことを陰ではシラインとか面白い名前で呼んでいるのだろうか、などと益体もないことを白井、つまり提督は考えた。実際はホワイトさんだったが。

 

 首を振って、提督は続けた。

 

「燃料不足でね」

 

 短く、言う。この厄介な少女をなんとかしたい、そう考えたが、その次の発言で、その考えを改めた。

 

「まあ、それはおかしいですわ。私と最上さんは同型艦です。摩耶さんはともかく、ローテーションが組めます。それに、最上さんは貴重な航空巡洋艦ではありませんか?」

 

 ああ、やはりこの少女は奇矯な性格だが、頭の回りが悪いわけではない。と、提督は顔を見て考えた。にっこりと三隈は笑う。

 

「そうだな。理由の説明は必要か?」

 

「いいえ、理由を問うのはくまりんこの仕事ではありませんから」

 

「……くまり……そ、そうね」

 

 そういって、提督は脱力し、退出するように、と命じた。たかだか数十分のやり取りなのに、妙に疲労したのは、気のせいではない。

 

 

 

 

 

 

 

「……うまく笑えたかしら」

 

 そういって、三隈はため息をつく。自分が疑われている。そう思うと、気が気ではなかったのだ。

 

 別に、理由のない疑いでもないのだろう。そう、三隈は感じていた。心当たりも、あったのだから。

 

 大きな、心当たりが。

 

 彼女には大きな記憶の断絶がある。台湾の金門島沖で戦ったのは3月なのだ。沖縄以南であっても冷たい水の感触はよく覚えている。中国の南海海軍に所属していた艦娘たちとの共同戦線、そして。

 

最上や、熊野、鈴谷、多数の駆逐艦と就いていた邦人と難民の台湾放棄に際しての護衛を行っていたところまでは覚えている。そして、その作戦が失敗に終わり、多数の死者が出た事も。それ以降の記憶のことごとくが霧散してしまっている。突然の断絶だった。

 

 調べれば、わかったことは多数ある。コンピュータシステムはダウンしていても、紙媒体の資料などは律儀にみな印刷していたのだ。戦死公報など隠すことでもなかったし、隠したところでマスコミに騒がれるだけだ。かつ、親愛なる友邦、と呼ぶのは三隈にとって心理的な抵抗感のある『アメリカ合衆国』が作ったインターネット上の素人の分析家でも、公開情報をもとに何が沈んだか、も割り出せるのだから、隠したところで無駄な情報でもある。

 

 彼女は、戦死したことになっていた。鈴谷も戦死している。最上と熊野、そして介助することになっている潮は生き残っていた。長良はどうなのだろうか、と考え、調べてみれば、沖縄撤退戦で戦死していた。いや、戦死したことになっていた。

調べれば、わかる事である。そして、自分がどのような疑いをかけられているのか、を理解できないほど、三隈は頭が悪いわけではない。

 

つまり、自分は深海棲艦の擬態ではないか、と疑われているのだ。三隈は、そう考えてみて、笑いの発作が起きかける。

 

 馬鹿馬鹿しいことだ。

 

 だが、そう笑ってもいられない事情は、ある。

 

「……」

 

 彼女に、記憶がないことだ。そう、まったくもって。

 

 馬鹿馬鹿しい。

 

 そう考えていると、かつん、かつん、という音が聞こえてきた。荒い息遣いと、うめき声。顔を上げると、そこには綾波型駆逐艦『潮』が松葉づえをつき、悪戦苦闘しながら前に進んでいる。健康的に日焼けした足に、足を固定するための留め具が巻かれていた。女になりかけの少女につく肉が、ベルトに圧迫されてゆるく盛り上がっている。煤がついた窓から差す日はけぶっているが、それでもその下にかよう血の色を、肌に見せていた。

 

「潮ちゃん?」

 

 そういうと、びくっと少女は体を震わせた。この子は、どっちなのだろうか、と考える。正直なところ、元からおどおどとした態度をとっている子のため、私が、すなわち沈んだはずの三隈が恐ろしいのか、単純にこの年頃の特有の年長者に対する恐怖心なのか、どちらか判別できないのだ。

 

「あ、え……三隈さん」

 

「くまりんこでいいわよ?」

 

 にこやかに笑って見せる。大丈夫、笑えているはず、と考えていたら、潮はしばらく難しい顔をした後、ひきつった笑いを見せた。

 

「あの、遠慮して良いでしょうか……」

 

 しかし、どうしてこういうあだ名を自分でつけると遠慮されるのだろう。ほかの、たとえば球磨などは特に何も言われていないのに。と三隈は考えていた。そういうのが似合う『たち』の人間ではなかったのだが。

 

 

 

 

 

「くそ……」

 

 4月。鹿児島の与論島があと少しで見える、というこの海域は、この季節でもすでに気温が高い。潮風に含まれる塩分と、自分の汗でおでこにはりついた髪を、最上ははらった。

 

 後ろでは、貨客船『日本丸』をはじめ、多数の民間船が黄色い救命ボートを海に落としている。救助は、と最上は考えたが、首を振った。ほかに誰がいる。この海域の敵を掃討しない限り、救助など来ないのだ。いや、来られないのだ。

彼女がデータリンクで艦隊の残弾を確認すると、十分に戦えるだけのそれはある。金門島沖で負けに負けた結果がこの無残な光景だったが、弾薬だけは売るほどあった。若干、三隈のそれが少ないが、敵を誤認して無駄撃ちしてしまったからである。

 

 沖縄を超え、本土である九州に向かおうと進路を取った矢先、深海棲艦、それも潜水艦の群狼船団に襲われたのである。浮かんでいる人々はこちらに批難の視線を向けていた。それを、背中にひしひしと感じる。

 

「連合艦隊の栄光は今いずこ、ってところかな……」

 

 自嘲しながら、後ろを振り返る。護衛船団の先頭で指揮をとっていたが、ことここに至ってはその任務を放棄せざるを得なかった。右舷の護衛を担当していた鈴谷と、駆逐艦娘である潮と曙が敵潜水艦を沈めたものの、最上の搭載機が三時の方向、すなわち日本本土からの敵艦隊の接近を検知したのだ。おそらく、本土に対する攻撃を行ったのだろう。指揮統制艦であり、強襲揚陸艦である『おおすみ』を船団護衛に出し渋った結果がこれか、と思わなくもない。

 

 船団の先頭を行く最上の指揮下には、先ほど述べた鈴谷、潮、曙が右舷側、左舷には熊野、漣、吹雪がいる。最後尾には、三隈と長良がついていた。指揮統制艦『おおすみ』がいれば、少なくとも敵潜水艦を検知できない、などということはなかっただろう。そのための大型ソナーが多数あり、AN/SPY-3レーダーが搭載されているのだ。

とまれ、避難民を守るために誰を残すか。重巡洋艦たる自分や三隈、鈴谷そして熊野、を引き抜いて、駆逐艦娘だけを残した方がいいか、と考える。敵潜水艦が『撃滅できた』とは限らないのだ。戦力全てを引き抜いて敵艦隊に挑みかかったところで、潜水艦に避難民による愁嘆場を演じさせていたのではお話にもならない。

 

 通信機をオンにし、スケルチをオフにする。マイクに息を吹きかけ、送信する。ザッという音が、切れた瞬間にした。ほかのノイズが混ざっているが、それでもスケルチテールが聞き取れるということは、まだ深海棲艦のECM領域に突入していない、ということだ。ECM領域に突入した場合、スケルチテールのような単純な雑音とは違う、何らかの符丁めいた雑音が聞こえるのだ。そして、仮想トークスイッチを長良のみに切り替え、声を張る。

 

「長良! 聞こえる?!」

 

「こちら長良、聞こえます!」

 

 よし。と最上は考える。長良と三隈を最後尾につけていたのは、いざというときに指揮が取れるだけの経験があるからだ。この際は、三隈を引き抜いて、同型の重巡洋艦で戦隊を組むことを決めた。対潜という観点で見れば、長良は極めて優秀である。重巡洋艦がくっついて、現場の指揮を混乱させることもあるまい、と判断したためもある。長良の方が階級は少尉待遇で、重巡洋艦は中尉待遇であり、階級上は上だからだ。むろん、現在の帝国海軍も階級社会でもあるのだが、隠然たる『経験の差』つまりは『メンコの数』という部分はやはりある。長良の方が『メンコの数』は多いし、対潜ということにかけては経験豊富だ。

 

「駆逐艦を残す! 船団護衛を継続して!」

 

 しばらくの間があった。長良のノイズ交じりの声が、響く。

 

「了解。データリンクに上がっていた敵が接近しているということか?!」

 

「そのとおり!」

 

 そして、仮想トークスイッチを船団内に切り替えた。これで、全ての艦に指示がいきわたる。合わせて、量子データリンクに確認タグを添付した命令文を即席でアップロード。

 

「こちら最上! データリンクにある通り、敵艦隊が本土より接近している! 鈴谷、熊野、三隈は我に続け! 単縦陣をとる。長良、そして駆逐艦は船団護衛を継続せよ!」

 

 若干の間はあったが、データリンクで了解、とそろって送信してくる。肉声で伝達する意義は本来的にはないが、この方が心理的な応諾は得られやすいため、最上がよくやる『手』である。

 

「よし、僕に続いて!」

 

 声を張る。敵は戦艦1隻と重巡4隻だ。さんざんに内地を砲撃してきたことだろう。そのお返しもある。だから、やってやらねばならない。

 

 そう考えたその時、最上ははた、と気づいた。ああ、これは。夢だ、と。それも、経験したことを夢に見ている。たしか、このとき。そう意識した瞬間、目の前の光景が一瞬、溶けた。

 

 ああ、畜生。そういうことか。最上の疑問が、この夢を見させているのだ。そう感じて、夢の中だというのに、吐き気がした。何度も何度も夢を見て、なんとか折り合いをつけた問題を、もう一度突き付けるというのか。三隈の、妹の轟沈という問題を。

 

 夢の中の自分は、口の中の肉をかみ切って、口から血を流しながら戦っている。確かに、敵は倒したのだ。では、誰と、か。

 

「鈴谷……鈴谷?!」

 

 熊野の悲鳴が、通信機に響く。ああ、畜生。鈴谷がやられたのか、とその時は淡々と考えていた。余裕がなかったのだ。彼女には。考えることが多すぎた。

見たもの、そして見たくないもの。聞いたもの、そして聞きたくないものがあったのだ。それは。沈んでいく三隈と。歓迎するかのように響く、水中からの絶叫めいた賛歌。透明度の高い南国の海だから見えた、呪わしい光景。

 

 よく、最上は覚えている。瘧のように体中が膨れ上がり、弾け、赤い血をぶちまけていく。魚が群がり、そして、消える。血煙の只中から、かいなが突き出された。人間的な血の色を感じさせない、真っ白な腕。呪わしい賛歌が、最高潮に達したその時。

青い焔を目からほとばしらせる、重巡『チ』級が妹の血の只中からあらわれ。咆哮した。

 

深海棲艦のウォークライ。戦いの前の、叫び声。女や子供を思わせる高音と、男や老爺を思わせる低音がカクテルされた、蛮声。それを、かつて三隈だったものが上げていた。

 

そうして、最上はなぜ恐怖したのか。蛮声を聴いたときに理解した。

 

 彼女は、三隈だったものは。歓喜していたのだ。皆殺しの声を上げながら。続々と海中より這い上がる異形たちは、いずれも歓喜の叫びをあげていた。それらはすべて、かつては艦娘だった者たちだった。どこかで見た、どこかで死んだ、その怨念を返せるのだと、喜んでいたのだ。

 

三隈、いや、雷巡『チ』級と、目が、あった。憎悪とも、憐憫とも取れない、あいまいな色を青い焔の只中に揺らしている。

 

「みく、ま」

 

 ボクは、何をいっているんだ。あれが、あんなものが。三隈であるはずはない。それなのに、のどは勝手に声を発する。やめろ。そんなひどい声を上げるのは、やめろ。そう言わんばかりに。

 

 体が、動かない。敵の艦隊は、彼女の横を素通りしていく。脅威ではない、と判定した。そう、感じられた。

 

 熊野と、鈴谷が彼女を我に返らせた。船団を、いや、かつて船団だった救命ボートを、艦娘であった者たちが襲っているのだ。

 

「あ、ああ」

 

 のどが、震える。声が肺腑のさらに奥から発されているのを意識した。

 

「ああああああ!」

 

 叫び声とともに、発砲。殺してやる。殺さねばならない。あれはいけないものだ。許してはならない。

 

 

 

 

 叫び声とともに、最上は目を覚ます。張り付いた髪が不快で、それを払う。胸を抑え、寝間着代わりのTシャツをつかみ、うめいた。目から、涙が零れ落ちる。

 

「……」

 

 最上は、ベッドから立ち上がった。艦娘たちが起居していた四人部屋には、最上しかいない。真っ暗な部屋のドアの前に立ち、振り返って、寝ていたはずの娘たちの姿を思い浮かべた。いつもふざけていた鈴谷は冥符に行き、それをにらんではたしなめていた熊野は佐世保へ転属した。死んでは、居ないはずだった。

そして、三隈は。と考えた瞬間、ふたたび右手でシャツをつかみ、左手で扉を開けた。消灯後のくらい、非常灯のオレンジ色だけが照らしている廊下を、幽鬼のように歩く。自分でも、その足が震えているのがわかった。

 

「……」

 

 あれが、もし。そう思いながら、非常灯の光で黄色味を帯びた白いネームプレートを見る。そこには『潮』と印刷されており、その下には乱雑に書かれた鉛筆書きの紙が押し込まれている。そこには、三隈と書かれていた。

 

「ボクは……」

 

 何がしたかったのか。そして、何をすべきなのか。

 

 ノブを、回す。扉に、カギはかかっていなかった。部屋の中に入って、見渡す。潮は、丸まって、布団をかぶって寝ている。好都合だった。何に、などとは、問わずともわかろう。

つまり、あの海で最上は果たせなかったことをやるつもりだった。

 

 三隈のベッドの前に立つ。規則的に、胸が上下していた。ごくり、と唾をのみこんだ。

手を、見つめる。手の皺を、じっと見、そして、三隈の首筋とを見比べた。

 

 再び、唾をのみこんだ。手を当てがい、そして。

 

「……最上さん?」

 

 手を、止める。三隈は、微笑んでいた。

 

「やっぱり、そうするのね」

 

 声が、震えている。そして。自分の、手も。

 

「できない……」

 

 できない、と最上はうめいた。のどの奥底から、絞り出されるような声だった。たとえ、たとえ深海棲艦であったとしても、彼女が『曙』の上半身を吹き飛ばし『吹雪』の頭をトマトのようにひしゃげさせ『漣』を半ば足を引きちぎるようにしながら沈めて見せた、深海棲艦であったとしても、だ。そういうことを、やった存在でありながら、彼女はそれを覚えていない。いや、仮に深海棲艦であれば、それを覚えていないように見せている。許すことなどできない。

 

 だが、それでも『血は水よりも濃い』のだ。

 

仮に深海棲艦がこんな手段を取ったのなら、人間というものをよくわかっている。忌まわしい殺人を平然と犯す左目を持ちながら、地球の裏側の死せる孤児に涙を流せる右目を持つのだ。

そして、最上の右目が、勝った。涙をぼたぼたとこぼしながら、うめく。うずくまりながら、顔を隠した。

 

「殺して、くださらないのね。やっぱり……モガミンは、優しいもの」

 

 三隈は、涙を流している。その声には、悲しみが混ざっていた。そっと最上を抱き、ささやくように、そう言った。

 

 

 

 

 

 

 ここで、三隈が自殺するようなタマであったらば、提督は頭を抱えるようなことはなかったのだが、実際上はそうはいかなかった。最上も、曙を殺したのはお前だ、と妹に告げる勇気を持たなかった。

 

 そのツケを払うのは、もう少し先のこととなる。そして、払うのは彼女たちだけではなかった。

 

 

余計者艦隊 第四話 Die Verwandlung -了-


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