「もしもし?」
「あ、先輩ですか。僕です僕」
「ええと……アンタに電話番号教えてたかしら」
「結構前に、先輩がお手洗いに行ってる間ですよやだなあもう」
「アンタ本気で通報するわよ!?」
そもそもメールアドレスは教えるのに電話番号は教えてくれない先輩の無駄なガードの高さのせいなんだが、それは言わないでおこう。
「それはそうと…先輩、今何処に居ますか?」
「もう家に帰ってるけど、どうかした?」
「ちょっとお話しなければいけない事がありまして、今から会えますか」
「…明日じゃダメなの?」
「それならそれでいいですけど、その場合は溜め込んだ白紙の活動報告書を明日の放課後までに一人できっちり埋めて下さいね」
暫し、沈黙。
「…今から30分後に駅前のコーヒーショップでどう? 今ならコーヒー奢ってあげてもいいわよ」
「取り敢えず300円分は働きましょうかね」
「ごめん、お願い…」
「任せて下さい」
そうやってしおらしくなられると弱い僕であった。
○
待ち合わせ場所のコーヒーショップの前でぼんやりと立っていると、不意に肩を叩かれた。視線を下に向ければ、珍しく私服姿の先輩が気まずそうに立っていた。
「別に、先に入っててくれても良かったのに」
「いえ、僕も今しがた来た所ですから。あ、これってなんかデートの待ち合わせの常套句ですよね」
「さーて、何飲もっかなー」
完全スルーとか、酷い。
「先輩、席取りお願いしてて良いですか? 僕なんか適当に頼んで来ますから」
「そう? じゃあ何か甘いのお願いね!」
空いてる席を探すために客席の方へと消えていった先輩の背中を見送ってから、僕はカウンターへ向かい注文を告げた。暫くして出てきた商品の乗ったトレーを手に客席の方へ足を向けると、丁度角のボックス席に陣取った先輩が此方に手を振っていた…こういう所は子供っぽいんだよなあ先輩。
「お待たせしました。ホットのブラックです」
「そう、ありがとね」
先輩は僕が差し出したカップを無視して、トレーに置いてあるアイスキャラメルラテを手にとって悪戯気に笑った。ううむ、ボケ殺しとは中々やりおる。
「幾らだったっけ」
鞄から財布を取り出しながら首を傾げる先輩に僕は笑顔で答えた。
「900円です」
「地味な値段の釣り上げ方してんじゃないわよ!」
「嘘です100円です」
「そんな訳ないでしょ。確か320円だったかしら…」
「今日は僕、結構リッチなんで気にしないでください。全額奢るほどではないんですけどね」
「ふふ、なにそれ? カッコつかないんだから」
普段はキャラ作りなのか妙にテンションが高い先輩だが、ごく稀に凄く大人びた顔で笑う時がある。確かめた事はないけれど、恐らく此方が素なのだろう。滅多に見れないからなのか、僕はこの笑顔に滅法弱い。
「なによその顔。ひょっとして惚れ直した?」
にひひ、と笑う先輩はもう、いつものテンション高めの先輩であった。
それから1時間程掛けて僕達は3ヶ月分にも渡る活動報告書の作成を終えた。腕時計を見れば時刻は18時を回っており、辺りは随分と暗くなっていた。
「んー…何とかこれで明日は凌げそうね。助かったわ」
「そう思うなら、きちんと毎月書いてくれますかね」
「うぐ、分かってるわよ…」
さて、後は僕が高坂さん達のスクールアイドル活動を手伝っていて、そのせいで絢瀬先輩に睨まれている事を伝えなければいけないんだが…どうしたものか。先輩はアイドル、スクールアイドルが大好きで頻繁にライブに行っているが、アイドルの歌って踊る姿を見て、彼女はいつも何処か陰りのある表情を浮かべる。
諦めと憧れが混じった様なその顔を見て僕は入部当初、スクールアイドルになりたいなら目指すべきだ! と先輩に告げた。すると先輩は烈火の如く怒り狂って2週間程口も聞いてくれなくなった。恐らく、僕が入部する以前に何かあったのだろう。
それから僕は先輩にそういった事は一切言わないようにしてきた。けれども、今でも僕は思う。先輩は心の何処かでアイドルを目指しているのだと。
今僕が高坂さん達の事を言わなくても、どの道明日にはバレる。けれども、僕は…。
「ごめん、もう帰らなきゃいけないの。先に出るわね」
僕が引き止める間もなく、先輩は席を立って帰って行ってしまった。ああ、僕って奴はとんでもない馬鹿野郎だ。
○
翌日の放課後。今日の事が気掛かりで一睡も出来なかった僕は、先輩の後ろを力無く歩いていた。これから生徒会室で活動報告を提出した後、僕は裁かれるのだ。気が滅入らない方がどうかしている。
「どうぞ」
いつの間にか到着していたようだ。先輩のノックに、昨日と同様に絢瀬先輩が入室を促した。
「まず、アイドル研究部が此処3ヶ月間に渡って活動報告書を提出していない件だけれど」
「悪かったわよ。きちんと3ヶ月分揃えて持ってきてあるわ。ほら」
先輩が差し出した書類を東条先輩が受け取り、暫く内容をチェックした後に笑顔で頷いた。
「うん。この内容ならオッケーやで。でもアカンなあ…これ書いたの、にこっちやなくてほとんど宇土君やろ?」
「はい、そうです」
「ちょっとは誤魔化そうって気はないのアンタは!?」
僕の制服のネクタイを引っ張りながら怒鳴る先輩であったが、半目で睨みつけてくる絢瀬先輩の迫力に負けたのか大人しくなった。
「別に部長が書かなくてはいけない決まりはないけれど、矢澤さん。貴方も最上級生なんだからしっかりしなさいよ」
「うー…分かってるわよぉ」
「出来のええ後輩がおると大変やなあ」
「いやあ申し訳ない」
「褒めてないわよ、それ」
絢瀬先輩と先輩のダブルツッコミを頂きました。こんな時だけ息ピッタリですか。
「活動報告に関してはもういいわ。後は宇土君の事よ」
いよいよ来たか。と、僕は半ば悟りの境地で話に耳を傾けた。
「彼、アイドル研究部とは別に2年の子達がやっている非公式のスクールアイドル活動に協力しているのだけれど、矢澤さん…それについてはきちんと把握しているのかしら」
絢瀬先輩の詰問めいた言葉に、先輩は黙ったまま何も答えない。それはそうだろう。そんな話、今まで一回も先輩にはしていないのだから。
「宇土君が言うにはこれもアイドル研究部の活動の一環だと言っていたけれど、それならば彼女達と貴方達が別団体として活動するのは明らかにおかしいわ。その辺り、きちんと説明して頂戴」
いよいよ後が無くなった。僕は何の根拠も無く、それでも縋る様に先輩に視線を向ける。すると先輩は昨日のコーヒーショップの時の様に、優しい笑みを浮かべた。あ、あれ…?
「勿論、宇土君が高坂さん達に協力しているのは知ってたわよ」
「っ、なら」
反論しかけた絢瀬先輩を制する様に、先輩は先程とはまた別の書類を差し出した。
「これ、入部届や…穂乃果ちゃん達の」
受け取った東条先輩の呆然とした呟きに、僕と絢瀬先輩は揃って眼を丸くした。一体どうなっているんだ…。
「この子があの子達に入部届書かせるのをずっと忘れてたから、今日の内に私が書かせたのよ。アイドル研究部がサポートする以上、同じ団体として活動する方が色々とやり易いでしょ?」
「成程なあ。これやったら何の問題もないね。良かったらこれから穂乃果ちゃん達も呼んで講堂のリハのスケジュールも立てよか? もう本番まで時間ないしなあ」
「ちょっと希!? こんなのどう考えたって後から…」
「入部届けを出すのが遅れたぐらい、大した問題やないやろ? な、エリチ」
「……分かったわよ。今から講堂の申請を受け付けます。高坂さん達を呼んできてもらえるかしら」
「アンタが呼んで来なさいよね!」
「っ、はい」
先輩の言葉に後押しされるように、僕は生徒会室を飛び出した。
○
それから高坂さん達も交え、何とか事前に2回講堂で練習する事が出来るようになった。
そして場所は変わり、アイドル研究部の部室にて僕達は集まっていた。
「にこ先輩、私達をアイドル研究部に入れてくれて本当にありがとうございます!」
高坂さん達3人が喜色満面といった表情で先輩に頭を下げ、彼女はつい、と視線を逸らし堅い声音で告げた。
「別に、アンタ達の為じゃないわ。部員の頭数の確保と、そこの馬鹿の尻拭いをしただけ。コイツがアンタ達を手伝うのはとやかく言うつもりはないけど、私はそっちの活動には一切関わるつもりは無いから。それだけは覚えておきなさい」
完全拒絶! と言わんばかりの先輩の様子に、高坂さん達は僕へと助けを求めるように視線を向けてきた。
「あー…、まだ時間あるし、屋上で練習した方が良いんじゃないかな」
僕の言葉にはっとなった高坂さん達。彼女達は僕達にもう一度頭を下げてから部室から出て行った。
「先輩」
「なによ」
「知ってたんですね、僕がやってた事」
「ま、後輩のしてることぐらい把握してるわよ」
「ありがとう、先輩」
「……私は本当に何もしないから。アンタが勝手に頑張りなさいよ」
「ええ、分かってますとも」
「先輩」
「なによ」
「高坂さん達の事、結構好きでしょ」
「は、はあ!?」
窓の方を見てクールに決めていた先輩が頬を真っ赤に染め上げて振り返ってきた。
「うわ、図星じゃないですかその反応」
「ち、違うわよ! 大体曲もまだ出来てない上にダンスも下手くそ! キャラもイマイチ立ってないし! あんなの認めらんないわよ!」
「何だ先輩。結構ちゃんとあの子達の事見てるじゃないですか」
と言うか、高坂さん達は充分個性的だと思うんだけどな。まあ先輩の「にっこにっこにー」に比べれば印象が薄いのかもしれないけれども。
「うるさいわね! アンタもさっさと出ていきなさい、よっ!」
「わかっ、分かりましたから押さないでくださいよ」
そして僕は先輩に無理矢理部室から追い出されてしまった。そして屋上に向かおうとしたけれど振り返り、部室のドアの窓から中を覗いてみた。
「ほら、やっぱり好きな癖に」
部室の中で一人、高坂さん達が練習していた振り付けを完璧に踊る先輩の姿は僕の眼には充分立派なスクールアイドルに見えたのだった。