今でこそ『神速』と呼ばれ敵から恐れられている白瀧だが、彼がそう呼ばれる一つの切欠となる出来事があった。帝光中学時代、まだ彼の心も覚悟も幼かったころのエピソード。
――帝光中学校バスケットボール部。
数多くの大会で優秀な成績を残した強豪に、今年新人ながらも入部早々に一軍入りという輝かしいデビューを果たした五人の新人が現れた。
数ヶ月後、世間から“キセキの世代”と称されることとなる彼らも決して圧倒的な強さが最初からあったわけではない。しかし一軍の選手相手にも遅れをとらない身体能力と潜在能力の高さ、そしてルーキーが持つ勢いは彼らを即戦力としてみなすには十分すぎるものだった。
すでにチームの中心人物となって頭角を現していた赤司征十郎。
正確なスリーポイントシュートを連発する緑間真太郎。
恵まれた体格から圧倒的なパワーを披露する紫原敦。
天性のスコアラーとして強敵を相手に得点を量産する青峰大輝。
そして――
「行くぞ、青峰!」
「来いよ、白瀧!」
並外れたスピードと技術でチームの突破口を切り開く白瀧要。
これは彼らが“キセキの世代”と世間から呼ばれる切欠となった全国大会の、少し前の話。
「うっらぁっ!」
「あっ!?」
白瀧が得点に成功し、攻守が入れ替わった青峰との1on1。
ドリブルフェイクに体が反応した一瞬の隙を見逃さず、青峰がクロスオーバーで中に切り込む。緩急のついた動きから洗練された切り替えし。白瀧も追うが急停止からのジャンプシュートを止める術はない。青峰も負けまいとして得点を成功させた。
「あーっまたか! お前の緩急滅茶苦茶すぎ!」
「ハハッ。ディフェンス甘えよ、白瀧。そんなんじゃ大会で使ってもらえるかわからねえぞ?」
「くそっ! もう一回だ! 勝ち越すまでやってやる!」
爽やかな笑みの裏に隠れた闘志に当てられて白瀧の闘争心も駆り立てられた。
再び一対一に励む二人。一年でありながらエーススコアラーとしてチームの信を得ている彼らのバスケに対する熱は止まることを知らなかった。
そんな中、二人の戦いを外から眺めている人影があった。
一人は青峰の幼なじみにして帝光バスケ部マネージャーの桃井。青峰と行動を共にすることが多い彼女はいつもと同様、マネージャーの仕事をこなしながら青峰達のバスケを眺めていた。
そしてもう二人、こちらはつい先ほど現れたばかりの男達。青峰達同様一年生でありながら一軍で活躍している司令塔、赤司。そして彼の横に立つ巨漢、紫原だった。
「今日もやっていたのか、青峰と白瀧は」
「うん。大会の組み合わせが決まって、大ちゃんが『燃えてきた! うずうずしていられねえ!』って」
「なるほど。バスケが好きすぎるのも程ほどだな」
「本当だよねー。練習中だけならまだしも、最近は終わってからもうるさいもん」
戦いの熱が止まらないという二人の好戦的な姿勢は赤司と紫原の深いため息を誘った。
練習後でありながら実戦並の動きを見せ付けているのは、おそらく相手が拮抗したライバルだからだろう。スコアボードには白瀧と青峰、二人が一歩も譲らず得点に成功しているということを示している。
「しかし青峰はまだしも、駆け引きに長けているはずの白瀧もディフェンスは相変わらずか」
赤い瞳には、白瀧がまたしても青峰のドリブル突破を許している光景が映し出される。
青峰のように感覚でバスケをするプレイヤーに対し、白瀧はどちらかというと頭で考えてバスケをするタイプだ。ディフェンスならば特に相手の動きを予測しながら対応しなければならない。
しかしオフェンスでは並外れた活躍を残す白瀧も、ディフェンスに関してはさほど結果を残しているわけではなかった。
「みたい。そういえば、白瀧君も以前『やっぱりオフェンスの方が性に合っている。皆との連携が決まるのも楽しいし。ディフェンスはどうも集中しきれないんだよな。やっぱりバスケは楽しんでこそだろ』って話してたなー」
「ふーん。俺とは逆かなー。むしろ攻める方が面倒だし」
「そんなことを言っていたのか。緑間が怒るわけだ」
今ここにはいないシューターの達人。おそらくは今も黙々とシューティングに励んでいるであろう緑間も、彼のディフェンスについてはよく愚痴を零していた。いわく、『何故ヤツはオフェンスの様なキレをディフェンスで出来ないのだよ。磨けば相応の働きができるというのに今のままでは宝の持ち腐れなのだよ』と。厳しい意見ではあるが、確かに白瀧の現状を的確に捉えている評価ではあった。
「あいつらしいと言えばそこまでだが」
「ん。赤ちん、どうしたの?」
「……何れにせよやはり感心はできない」
全中への出場をかけた予選はまもなく始まろうとしている。
予選ならば今のままでは問題ないだろう。しかし全国となればそうもいかない。少しでも勝利の可能性を上げる必要がある。
「ひょっとしたら荒療治が必要かもしれないな」
「え?」
そう言い残して赤司はその場を後にした。紫原も彼に続き体育館から離れていく。
赤司の言葉の意味を桃井は理解できなかった。当然、紫原も。耳にしていない白瀧達は尚更のことだった。彼の真意を理解することは、おそらく誰も存在しなかった。
――――
そして刻々と時は進み、予選初戦の日を迎える。
「大事な初戦だ。当然だがこのようなところで躓くことはできない。些細なミスも許さん。スターターは昨日話したメンバーで行く。一年生達も準備はしておけ」
監督を中心に選手が扇形に集合し、指示に大きく頷いた。
今年の公式戦に当たって帝光バスケ部はローテーションを組んで戦っていく方針を決めた。特にプレッシャーがかかることが予測される初戦の前半は二、三年生の経験豊富な上級生。そして後半は公式戦初お披露目となる一年生五人が出場する。
実力、チームワーク共に文句がない面子が揃っている。誰も不満はなく試合へと望んだ。
「わかっていると思うが、点差が離れているとはいえども気を抜くなよ」
「ふん。当たり前なのだよ。言われるまでもない」
「ま、いつも通りやれば大丈夫そうだな」
「さっさと終わらせよー」
「オッケー。それじゃあ行こうぜ!」
地区の中でも実力が飛びぬけている帝光は試合を常にリードしたまま、ついに一年生達が登場することとなった。
一人一人のスキルが高い上に体力にも余裕がある五人は次々と敵のゴールに襲い掛かる。
勢いは止まる事無く、後半戦でリードをさらに四十点近く大きくし、その強さを見せ付けた。
『試合、終了――!』
帝光バスケ部の初戦は危なげない大勝。最高のスタートを切ることに成功した。
「ふう……」
「よっしゃあ! やったな緑間!」
「白瀧か。ああ、そうだな」
「なんだよ冷めた顔して。勝ったときくらいもっと喜べばいいのに」
「……ふん。行くぞ、整列だ」
「あっ! おい、無視かよ!?」
顔を背けて歩き出す緑間を追い、白瀧もコートの中央へと歩き出した。
そう。帝光の勝利。これで一歩全国へ近づいた。より長く試合に出ることが出来る。だからこそとても喜ばしいと思っていた。
「……くそっ。くそっ!」
この時、相手選手の泣き崩れる姿を見るまでは。
息切れを起こしている中、両の膝に手を乗せて嗚咽と悲痛な鳴き声が唇の隙間から漏れている。
「泣くなよ。馬鹿」
「こんなあっさりと終わるなんて……」
「……泣くなよ」
三年生、最後の年だった。様々な思い出が、試合への想いあったのだろう。
仲間に肩を叩かれ、それでも中々立ち上がることができずにいる。
「なんだよ、これ……」
その光景が、白瀧には異常なほど強く印象に残った。
――――
初戦を突破した帝光はその後も順当に勝ち続けた。赤司達新戦力も勝利に貢献し、戦力であることを証明する。
全中はもはや目前にまで迫った決勝戦。そこでも帝光は相手を圧倒し、勝利を確実なものとしていた。
「ゲームプランに変更はない。もはや余計な言葉は不要だろう。――勝つぞ」
『おう!』
最終Q、一年生の実質的なまとめ役である赤司が鼓舞し、コートへ歩いていく。
しかしただ一人、白瀧だけがベンチに座り込んだまま俯いていた。
「ん? おい、白瀧! 何やってんだ!?」
「え? 青峰?」
「もう試合始まっぞ!」
「あ、ああ。悪い」
青峰に急かされ、ようやく立ち上がり四人に続いた。
その姿を見て何か考えが湧いたのか赤司は緑間に近づき声をかけた。
「緑間」
「む? 何なのだよ? ゲームプランに変更はないのだろう?」
「ああ。ただ、もしもボールの保持が困難のようだったら、積極的に白瀧へパスを回せ」
「白瀧に?」
たしかに白瀧は突破力もありパスもさばけるスコアラーだ。いざという時は彼にボールを任せれば問題ないだろう。
しかしわざわざ指示を出さなくても緑間は理解している。加えて赤司とて同様の働きをこなせるはず。それなのに何故今このような指示を出すのか。
「……わかった。そうしよう」
真意を理解しきれないまま、しかし緑間は首を縦に振った。赤司が詰めの段階で間違いを犯すとは思えない。故にこれも何か意味があってのことだろうと。
「脳裏に刻みつけてやるとしよう。――敗北を」
赤司は了承のサインを受け取ると、試合開始へ向けて駆け出した。
既に点差が大きく開く中、帝光の怒涛の攻撃は続く。
赤司から緑間、さらに白瀧へと大外から中央へパスが通る。フロントチェンジからロールターンで切り返し、マークマンを突破するとすかさずレイアップシュートを放つ。リングに触れることなく得点が記録された。
「よしっ!」
「ナイスだ白瀧!」
「おう!」
青峰とハイタッチを交わしてディフェンスに戻る。
「……一方的すぎるだろ」
背中越しに、敵の悲痛な叫びのような声を耳にしながら。
それでも試合の流れが変わることはない。
「おらぁっ!」
「ぐっ!」
青峰が長身を活かし相手のシュートに触れる。軌道が乱れ、ボールはリングに弾かれた。
「よいしょっと」
ディフェンスリバウンドを紫原が制し、再び帝光ボールに。
帝光がボールを保持する時間が、攻める時間が長くなる。当然点差も大きくなっていく。
「……これで、終わりだ」
残り時間十秒、赤司が体の後方でボールを逆サイドへ移動する――ビハインドドリブルからのクロスオーバーで敵のマークを置き去りにする。ヘルプが出たところでパスアウト。フリーとなった白瀧へボールがわたった。
「ッ……!」
「決めちまえ、白瀧!」
青峰の声援に押され、白瀧がジャンプシュートを沈める。
得点が決まり、相手がスローインを始めようとボールを拾い上げた瞬間――ブザーが鳴り響いた。
「よっしゃあ!」
「帝光中、優勝決定!」
「全中出場だああああ!!」
活性が湧く帝光のベンチ。この瞬間、帝光の全中出場が決定した。
「ようやくだな」
「つかれたー」
淡々としている緑間。試合が終わったことに安堵している紫原。
反応はそれぞれだが、しかし勝利の喜びに笑みが揺るんでいないのは彼らだけではなかった。
「…………終わった?」
最後のシュートを決めた白瀧が呆然と立ち尽くしている。何が起こっているのか理解していないような表情をしていた。そしてそんな彼に赤司が冷たい視線を送っていた。
「やったな! 全国だぜ!」
「うおっ! 青峰……」
「なんだよ緑間みたいな仏頂面しやがって。嬉しくねえのかよ?」
「おい!」
「……いや、そうだな。やったな!」
笑みをつくり、喜びを共にする白瀧。
だが自然と視線は相手チームの方へと移ってしまう。
「畜生。……嫌だよ……」
「俺ら、頑張ったよな? うっ……」
聞こえてくるのは、やはり唸るような嗚咽の声。無念を訴える悲痛な叫びだった。
「もっと、お前達と、バスケをやりたかった……最後まで戦いたかった……!」
それが白瀧の心に大きな影を生んだ。
白瀧は視線を自らの両手に落とし、ただじっと見つめていた。
――――
「……白瀧が休み?」
信じられないと青峰は赤司の言葉を繰り返した。
全中の出場を決めた決勝戦の翌日。帝光バスケ部は喜びもそこそこに厳しい練習へと戻っていた。
しかし体育館に白瀧の姿はない。決勝戦でも存在感を発揮した彼が、そこにはいなかった。
「珍しいんじゃない? 白ちん練習休んだことあったっけ?」
「いや、おそらく今日が初めてなのだよ。授業には参加していたはずなのだが……」
「どうやら体調を崩したらしい。監督には腹痛を訴えていたそうだ」
「あー。まさかさつきの料理を食べたとか言うんじゃねえだろうな」
それなら十分ありえると青峰は納得し、何度も頷いた。桃井がこの場にいたのならば間違いなく文句が飛び出すだろうが生憎彼女はこの場にいない。赤司に白瀧の欠席を伝え、マネージャーの仕事へ戻っていた。
「なんだよ。大会期間中は時間がなくて出来なかったから久々に1on1しようと思ってたのに」
「お前はそれしかないのか。……しかし本当に腹痛なのか? 白瀧がそう簡単に休むとは思えないのだが」
愚痴を零す青峰とは対照的に、緑間は白瀧の欠席に違和感を抱き、疑問を口にした。
健康管理を怠る人間ではなく、勝利を喜びこそすれ浮かれる人間ではないと考えている為に、彼の突然の欠席は簡単に受け入れられるものではなかった。
「……そうだな。少し俺が様子を見てこようか」
赤司も同様の考えだったのだろう。
――――
その頃、一軍の同級生4人が行方を気にしていた当の白瀧は、帰路の途中にある土手に腰を降ろし、緩やかに流れる水面を眺めていた。
緑間の考える通り腹痛などではない。でっち上げた嘘だった。だが無表情で座り込んでいる彼の顔からは、何かがあったということだけは感じ取れる。
「探したぞ」
「……赤司?」
ふと背後から呼び声がかかる。驚き振り返るとそこには練習に参加しているはずのチームメイト、赤司の姿があった。
「監督から許可をもらった。お前が練習を休むとは信じられない。何かあったのだろうと考えてね。家に電話したらまだ帰宅していないということだからひょっとしたら近くにいる可能性もあると思ったら、案の定だ」
「そうか」
何故ここに、という疑問は赤司が聞く前に答えてくれた。確かに普段から遅刻も欠席もしない人間が、授業でも変わった様子は無かったのに突如消えたら違和感を覚えるだろう。
「それで、一体何をしていたんだ?」
「……見てみろよ」
「うん?」
白瀧は振り返り、水面へ視線を移した。赤司もそちらへ目を向けるが変わった様子は何もない。
「静かだろう? 何もない、ゆったりとした水面を見ていると、落ち着くんだ」
それが白瀧にとっては都合が良かったのだろう。物事を思考する際には余計なものは必要ない。ただ落ち着く為にはこの様な静かな環境が丁度よいのだと語る。
「成程な。それでお前は何を思っていた?」
「……考えすぎて、わからなくなったよ」
「どういう意味だ?」
首をかしげて困惑する素振りを見せる白瀧。何か結論が出たのではないのかと問うが、白瀧は首を横に振るばかりだった。
「全中を決めて、勝って喜べると思っていたのに。今となっては素直に喜べない。どうしても敗北した相手の姿が頭の中をよぎる」
「……それで?」
「別にミニバス時代も相手が涙するところを見なかったわけじゃない。でも重みが違う。やっぱり三年間、学校でも時を同じくしたからこそ絆が強いってことかな?
わからないけど、その姿を見て――俺が、とんでもないことをしてしまったんじゃないかって」
ただ楽しくバスケをしたい。もっと勝ち続けたい。
純粋な心で試合に臨んでいた。しかしその結果誰かを傷つけることになってしまっている。その事実が白瀧の心を揺るがしていた。
今まで経験したことのない相手の涙。彼らを目にして後悔の念が浮かんで止まらなかった。
「何だ、そんなことか。今さらだな」
「……え?」
「お前はこれまでも多くの選手の思いを、夢を、目標を踏み躙ってきただろう」
思い悩む白瀧に、しかし赤司は優しく手を差し伸べるようなことはしない。淡々と事実を客観的に語っていく。
「忘れたのか? 俺達は帝光バスケ部で一軍入りした。帝光とて、三年生でありながら最後まで一軍に入ることさえ、試合に出ることさえできない選手は数多くいた。そして彼らの代わりに加わったのが俺たちだ。彼らにも敵同様に願いがあった。俺たちはそれらを蹴落としてここにいるんだ」
目を見開き声が詰まる白瀧。
「まさか理解していなかったとでもいうつもりか?」
「……あ、ああ……ああ……!」
呻き声を上げ、目尻に涙がたまる。
赤司の言うとおりであった。
誰かが勝利を掴めば、誰かが敗北に沈む。喜びに満ちる人間の影で悲しみに浸る人間がいる。先へ進むものの代わりにその場で道が途絶える者もいる。
コインの表裏のような、当たり前なこと。そんな簡単なことにも気づかないまま。浅はかにコートに立ち続けた。相手を傷つける覚悟もなしに、ただ勝利を積み重ねていった。
バスケがしたい。単純な気持ちばかりで。勝ち続けるばかりで、負ける相手の気持ちなど考えてもいなかった。
「だが、お前を気負う必要はない。敗者の思いなど気にかけることではない」
「…………え?」
冷たい声で、しかし救いを与えるように赤司は諭す。白瀧の叫びが止み、顔が上がった。
「勝つということは踏み躙るということだ。勝者は全て肯定され、敗者は全て否定される。俺たちの行動は正しかった。現に帝光を勝利に導いている。お前が悔やむことはない」
「でも……」
「もしもお前が他者の思いを踏み躙ることに耐えられないというのならば、バスケ部をやめた方が良い。ここはお前が望むほど綺麗な場所ではない」
誰もが笑ってバスケができるような夢物語は存在しない。得るか失うか、二択しかない。
だからこそ相手の行動を否定してでも先へ進むことが出来ないならば、もう道はないのだと赤司は言う。
「お前ならばきっとこの先も――」
「……無理、だよ」
しかし白瀧は再び顔を下げて、赤司の言葉を遮った。
「彼らの思いを踏み躙るなんて、できるわけがない……」
あのような叫びを聞いて、暗く沈む姿を見て、それを否定するほど白瀧の心は強くない。彼は人の思いを簡単に否定できるような性質ではなかった。
「……そうか」
返答を聞いて赤司は失望した。少しは見込みがあると考えていたが、ここで思い悩むような男ならばもう必要ない。チームメイトとはいえまだ出会って半年も経っていない。これ以上義理立てする必要もないと、そう考えた。
「だから……」
「うん?」
適当にあしらって帰ろうとしたその矢先、白瀧が顔を上げて力強く口にする。
「だから、彼らの思いもすべて背負っていく。彼らの願いは俺が叶える。……最後まで戦い続ける、優勝まで!」
踏み躙ることはできない。だからそれら全てを背負って最後の瞬間まで戦い続けると。
予想外の返答にさすがの赤司も一瞬気後れした。
確かに白瀧は心が強いわけではない。しかし全てを放り投げるような無責任な人間でもなかった。
「……それは、お前にとっては重荷になるぞ」
「構わない。彼らの思いまでなかったことにはしたくない」
もはや迷いはなくなっていた。白瀧の目に強い光が宿る。
「そうか。お前がそう考えるならばそれで構わない」
「ああ。……ところで赤司。さっきお前言ったよな。『勝つということは踏み躙るということ』だって」
「それがどうした?」
「それは違う。――勝つということは背負うということだ」
相手の願いを、目的を、思いを。たとえそれが恨みだとしても。それでも勝者はそれを全て受け入れなければならない。そして彼らの分まで先へと進む。
「確かに俺達はこれからも多くの人の思いを踏み躙る。でもそれで全てが終わるわけじゃない」
「……それがお前の答えか」
「ああ。俺は戦い続けるよ。これからも」
予選で迷いを抱いていた白瀧が、決意を新たに大きな一歩を踏み出した。
この出来事は彼の思考にも大きく影響を及ぼすこととなる。そしてそれは彼のバスケットスタイルにも大きな変化を与えることにもなった。
――――
全中が始まり、帝光はやはり予選と同じローテーションで試合に臨んでいる。
各メンバーが練習以上の成果を発揮し、帝光は次々と全国の猛者を撃破していった。
特にその中でも、予選から急激な成長を遂げている選手が一人いた。
「――甘い!」
「うおっ!?」
シュートフェイクを見切り、カットインを仕掛けようとした相手からボールを奪い取り、さらに前に弾いたボールを確保する白瀧。
相手がいないことを確認すると全速力で駆け上がる。相手は横一線で並ぶのが精一杯でレイアップシュートをとめることなど困難だった。
「決まった! 白瀧のワンマン速攻!」
「いいぞ白瀧! その調子で攻め続けろ!」
得点が決まり、声援が強まる帝光ベンチ。ルーキーの奮闘は他の選手たちに良い刺激となっていた。
「やばいな。白瀧のやつ、全中になってディフェンスまで手がつけられなくなりやがった」
「今まではオフェンスに比べるとそうでもない、ってのが印象だったけど。最近はスティール数が次々と記録されていくぞ」
話題の的は白瀧に。
予選では得点、アシストに関してはチームでも最高レベルではあったものの、ディフェンスの数値は伸び悩んでいた。
しかし全中ではスティールが大幅に増え、さらに一次速攻を決める回数も増えた。
積極的に相手のチャンスを潰し、果敢に攻めていくディフェンス。これが相手にかかるプレッシャーは相当なものであった。
「赤司。一体何をしたのだよ?」
「俺は何も。ただあいつの思考が変わっただけのことだ」
急激な変化に戸惑う緑間。全てを知る赤司は予想外の、予想以上の変化を遂げた白瀧をじっと見つめる。
楽しいからこそ白瀧はオフェンスに重きをおいていた。だが自分の状況を再認識し、それだけでは駄目なのだとディフェンスも相応の練習を重ねた。その結果、生み出したのが今のバスケットスタイル。
「何れにせよ帝光にとってはプラスなんだ。文句は無いだろう?」
そう言われては緑間も不満はなく頷くしかない。
――この後、帝光は全中でも優勝を果たし、快進撃を続けていく。
そしてこの大会を切欠に“キセキの世代”という呼び名とは別に、白瀧のバスケットスタイルからこう呼ぶ者が現れた。――『神速』と。