――キセキの世代。
中学バスケ界で完全制覇を果たし、十年に一人の逸材と呼ばれた彼らの呼び名を、バスケに通じる者ならば知らないものはいない。
その天才達と称された者の中でも、青峰は他の4人と一線を画している。『キセキの世代のエース』と呼ばれているその実力は彼の以前の仲間達も認めていた。
誠凛と秀徳の東京都ブロック予選決勝後、夕食の際に偶然鉢合わせた黄瀬と緑間は火神と会話し、青峰の強さを高く評価した。
黄瀬は『己の目標であり、自分がバスケを始めた切欠の選手である』と。
緑間も『不本意だが間違いなく最強のスコアラーである』と不満げに口にしていた。
二人とも火神が死闘の果てにようやく競り勝つことができた強者。その彼らでさえも絶賛する猛者の存在に、火神は胸を躍らせていた。
確かにまだ見ぬ実力者に対する恐れもある。だが現に火神はここまで“キセキの世代”を擁する高校二校に勝利を収めた。だからこそ今度もきっと勝てるはずだと心のどこかでそう思っていた。
それは火神だけではなく、黒子を含めた誠凛の選手達、監督のリコでさえも同じであった。今回も火神ならなんとかしてくれる。きっと青峰を越えてくれると。
「くだらねえ。やっぱりこの程度か。……お前のバスケじゃ、勝てねえよ」
そして彼らは知ることになる。
自分たちの考えの甘さを。“キセキの世代のエース”とまで呼ばれた男の圧倒的な実力を。
スターターとして出場した青峰に対し、誠凛は火神のマンツーマンで対応しようとしていた。これまで同様、キセキの世代に対応できるとしたら火神のみ。そう判断してのことであった。
「緑間に勝ったって聞いてどんなもんかと思えば。やっぱお前じゃ無理だ」
「なんだと……!?」
「お前の光は淡すぎる。そんなんじゃ満足にテツの力を引き出すこともできねえ!」
しかし試合開始早々、青峰はその力を惜しむ事無く発揮した。
ゆったりとした動作から突然目にも止まらぬスピードで火神の横を抜き去っていく。あっさりとドリブル突破を果たした青峰はそのままゴールへ向かう。
水戸部と黒子の二人がヘルプにでるが、青峰はお構い無しにシュートモーションに入る。そして二人のブロックをかいくぐる様に上体を無理やり横に倒し、ボールを斜め上空へと撃ちあげた。
「なっ!?」
(上体が崩れたままシュートを放っただと!?)
「なんだよ、そのシュートは!?」
本来ならばシュートが上手い選手ほどシュート時のループの高さは決まっており安定しているものだ。しかし物心がついた時からバスケットボールと時間を過ごし、大人に混じってプレイをしてきた青峰のシュートには決まった型がない。異常なほどのボールハンドリングと無限のシュートの形を持つ、
従来のセオリーを無視した青峰のストリートバスケのスタイルを前に、誠凛は手も足も出なかった。
「ぐっ!」
「なんてやつだ……」
「とにかく一本だ! 少しずつ返していこう!」
点差は時間の経過に比例して大きくなっていく。悪くなる戦況下、誠凛の選手達は歯を食いしばるしかない。
今誠凛にできることは逆転の目を摘むまで点差の広がりを抑え、堪えること。まず一本を確実に決めることだ。それを理解している伊月は慎重にゲームを組み立てる。
(しかし……!)
「君らの考えとることは百も承知や。けど、させんで!」
「こいつ!」
彼の前に桐皇の主将・今吉が立ちはだかる。伊月の思考を読み取り、彼の行く手を阻む。
青峰だけではない。桐皇のレギュラーは一人一人の選手能力が高く、誠凛の選手達を圧倒していた。
ショットクロックの残り時間が10秒と迫る中、伊月は強引に中央へパスをさばく。
(ミスか? もらった!)
水戸部へのパスルートであろうが、しかしそのすぐ近くに諏佐がポジション取りをしていた。体を反転させ、手を伸ばす。だが直後、ボールが寸前で軌道を変えて外へと向かっていく。
「なにっ!?」
「黒子か!」
「お返しだ!」
マークマンの諏佐の不意をついた黒子だった。
ボールの行く先はシューターである日向。掴むと同時にシュートモーションへ。不意をついたスリーポイントシュートだったものの、マークの桜井の指がボールに触れる。
「ぐっ!? また……!」
「リバウンド!」
相手のオフェンスの動きを読むかのように常に桐皇は先読みして動いている。そのために満足にシュートを決めることができなかった。
「っしゃあ! リバウンド、任せろーい!」
「……!?」
(だめだ、ゴール下も強い! リバウンドが取れない!)
さらに桐皇にディフェンスリバウンドを取られてしまう。
センターの若松はとりわけて身体能力が高く、水戸部はあっという間にポジションを奪われていた。
オフェンスもディフェンスも桐皇は基本一対一。個々の身体技で試合を優位に進めていく。
「……まずいわね。このままじゃ、攻略の糸口を見つける前に試合を決められてしまう!」
バスケに一発逆転はない。ゆえに逆転が不可能な点差に広がってしまえばもう打つ手はなくなってしまう。
なんとかしなければならない。しかし何も出来ない現状を目にして、リコは歯軋りがとまらなかった。
「すみません!」
「なっ……!」
(こいつ、ブロックに跳ぶ前に撃ってきやがる! タイミングが取れねえ!
というか、謝るくせにしっかり撃ってくるんじゃねえよ!)
今度は桜井のスリーポイントシュートが放たれた。タイミングが早いクイックリリースの持ち主で、日向はブロックのタイミングを計りかねている。
シュートはリングに弾かれたものの、すかさず諏佐がチップイン。再び桐皇の得点となった。
「つ、強い……」
「全員がひたすら個人技で勝負してくる。これが桐皇のバスケットスタイルか!」
桐皇にチームワークという意識はない。むしろチームワークを徹底的に排除し、選手達の個人技のみで勝負するのが彼らのスタイルだ。
選手の質も高いために一対一で押し勝つことも難しい。
加えて、誠凛を苦しめているのは選手の実力だけではなかった。
「もろたで!」
「しまった!」
「スティール……!」
日向から伊月のパスコースを今吉が読み取り、ボールを奪い取る。
誠凛は得点することはおろかシュートを撃つことが出来ないままボールを奪われてしまった。
「……なるほど。これがあのマネージャーの仕事ってわけね」
「え? どういうことだよ、カントク?」
「あの桃井って子、ただのマネージャーじゃない。おそらく彼女は諜報部員として情報を収集し、選手達に伝えているのよ」
厄介ね、とリコは相手のベンチにいる桃井をにらみつけた。
桃井は情報収集力に長け、相手選手の力を分析した行動対策、加えて選手の成長まで予測し、対策を練っていた。
彼女の情報を得た桐皇部員達は誠凛の動きを先読みし、攻撃を無力化してしまう。
「どうした? もう終わりか?」
「うっせえ! まだだ、まだこれからだよ!」
「……威勢の良さは褒めてやるよ。だがそれだけだ」
今吉からパスをさばかれたのは、この日すでに二桁得点を記録しているエース・青峰。
対峙する火神は闘争心こそ消えていないものの、すでに息は絶え絶えで、疲労が見え隠れしていた。
必ずや止めてみせるという意気込みが見受けられる姿勢だった。しかしその思いを引き裂くように青峰は彼の横を素通りしていく。
「ぐっ!?」
(くそっ。一瞬の速さならあいつの方が速かった筈だ。それなのに、体があいつよりも早く感じる!)
以前火神は速さに特化した選手の動きを見て、対応できるように体を鍛えていた。だが青峰のスピードはそれと同等、あるいはそれ以上に感じてしまう。
原因は青峰の急激なスピードの変化、すなわちチェンジオブペース。瞬時に最低速度から最高速度にいたる加速力と最高速度から急激に停止する減速力、すなわち敏捷性。
速度差による体感速度は常人とは比べ物にならず、火神はあっさりと突破されてしまった。
「待てよ青峰!」
だが負けじと火神は青峰の後ろを追う。
青峰が跳んだ後、一瞬遅れて火神は跳んだ。死角である背後から、しかも青峰の腕を大きく越える跳躍だった。
「なっ! 高っ!」
「とめてくれ、火神!」
「あーあー、確かにその跳躍力はすげーよ、賞賛ものだ。けど、俺には通じねーんだよ」
他の桐皇の選手達が驚愕し、誠凛の選手達が必死に願う中、青峰は冷静に言い放った。
ボールを持っていた右腕を下げて背面へ回し、手首の力で放り投げる。
結果、ボールは綺麗なループを描き、リングの中へと落ちていった。
「なっ……!?」
(背面からのシュートだと!? しかも火神のブロックもあったというのに、リングに触れることさえなく決めやがった!)
まるで何事もなかったかのような、鮮やかなシュートの軌道だった。
もはや青峰にとって障害など何もないのかもしれない。そう感じさせるほど、彼はバスケット選手としてはるか高みに存在していた。
「火神君」
「ちっ。わかってるよ、まだ勝負はついてねえ!」
「いえ、そういうことではありません。次、あれをやろうと思います。行けますか?」
「あ……?」
突然の黒子からの提案。一瞬火神は何を指しているのかわからなかったが、すぐに秀徳戦で見せていた切り札のことだと理解する。
「へっ。お前も我慢できねえってわけか。ああ、任せとけ。そのまま決めてやるよ!」
「はい、お願いします!」
理解した後は早かった。火神は笑みを浮かべ、超えなければならない青峰の姿を見据えた。
リスタート後、伊月がボールを運び、組み立てを模索していると黒子からアイコンタクトが送られる。
(一発決めようってか? ……いいぜ、お前達で流れを掴んでくれ!)
黒子の行動が意味するのは黒子と火神の連携、それも一段と強力な物。
前半戦で使ってよいものかどうか判断に困るところだが、伊月決断は早く、黒子へのパスコースを選択する。
(イグナイトパス!)
パスの向きに対して垂直に体を向けて右腕を引き、力を溜め込む。
帝光時代にも何度も見受けた光景を目にし、青峰の表情が一瞬硬直した。
「……成程、それかよ。変わらねえな、テツ。本当に」
幾度も黒子の相棒としてパスを受けてきた青峰だからこそ黒子の行動を知ることができた。だからこそ、彼の行動の結果も察することができた。
「そんなので勝てると思ったのかよ? ……お前のパスを一番受けて来たのが誰だか忘れたのか? 俺はお前のパスなら全て知ってんだよ」
青峰の腕が黒子と火神のパスコースへ向けられる。
「お前のパスは俺には通じねえ!」
そして渾身の力が込められたイグナイトパスが、青峰によって止められた。
「えっ……」
「嘘だろ!?」
「そんな……」
「秀徳・高尾だって打ち破った黒子の切り札が、こうもあっさりと!」
黒子の切り札が破られた衝撃は大きかった。
だが悲観に暮れている暇を与えてくれるほど青峰は優しくない。
すぐさま青峰の速攻が始まった。
まず伊月をクロスオーバーで抜き去ると日向と水戸部を緩急と切り返しを駆使して突破。一瞬で三人を蹴散らしてしまった。
「待てよ、こんのっ!」
「青峰君!」
最後に火神と黒子のルーキーコンビが立ちはだかる。
すると青峰は彼らの目の前でボールを大きく地面にたたきつけた。
「なっ!?」
「何を……」
「邪魔だ、テメエじゃあ俺には太刀打ちできねえ」
驚く二人の間をかいくぐり、青峰はゴールに迫る。そして宙に浮かんだボールをリングへと強引に叩きつけた。
「俺に勝てるのは、俺だけだ!」
そして全員に見せ付けるように、己の力を発揮した。
青峰の五人抜き。もはやお前達に勝ち目はないと言わんばかりのプレイだった。
――――
「……どう思うっすか、緑間っち」
「ふん。聞くまでもないだろう」
桐皇対誠凛の試合が行われている中、観客席にて黄瀬と緑間の二人はその行方を見守っていた。
だが緑間は勿論のこと黄瀬でさえ表情は硬く、試合の厳しさを物語っていた。
「青峰が出ている以上、こうなることはわかっていた。これほどまで一方的では、試合を覆すなど無理なのだよ」
第二Qが始まり、得点は(誠凛)11対30(桐皇)。選手一人一人の力の差がそのまま得点に現れていた。誠凛も必死に食いついてはいる。だが、結果がついてこない。
「しかも誠凛は黒子のパスを使っているというのにも関わらず、だ。イグナイトパスが破れ、火神が青峰に届かない以上は……」
「誠凛に勝ち目はない、ってことっスね」
「ふん。気にくわんがな」
二人とも誠凛には借りがある。その借りを返すまでは負けて欲しくはない。
そう思うものの、二人の視線の先ではやはり、青峰が誠凛を打ち破る光景が繰り広げられていた。
――――
「まだやる気かよ? しぶといヤツだな」
「青峰!」
火神の必死の叫びも虚しく、青峰の縦横無尽な足運びに体がついていかない。
気がついた時にはすでに青峰は火神を抜き去り、さらに黒子や日向をもかわしていた。
「くそっ、待てよ! させねえ!」
咆哮と共に青峰の背を追い、ダンクを放とうとする青峰目指して跳んだ。
今度こそ止めてやるとそう確信して一拍置き、火神の体が大きく吹き飛ばされる。
「グァッ!」
「火神!」
技術だけではない。青峰は力も並外れている。火神の接触を受けてもなお青峰は軽々とダンクを決めていた。
日向達が心配そうに火神を覗き込むと、彼らをさらに追い詰めるように笛が鳴り響く。
『ディフェンス、チャージング!
そして歓声が湧き上がる。青峰のバスケは誰もが見惚れるほどの領域にあった。
「思い知ったかよ? これが実力だ」
火神に一瞬視線を向けると、言い返す前に青峰は視線を戻し、フリースローラインへ歩いていく。そしてフリースローも難なく決め、得点を伸ばしていった。
(これが、“キセキの世代のエース”かよ。青峰は本物だ。アメリカでもこれほどの選手は見たことねえ。マジで化け物だ)
彼の背中を見て、負けず嫌いの火神でさえ一種の羨望を覚えた。
おそらく今の実力ではどう転んでも勝ち目はない。そうわかってしまっても、何故か純粋に悔しがることができない。それほどまでに青峰という選手は高みにいる。
「……でも、そんなことばかり言っていられるわけもねえよな!」
擦り減る闘争心を滾らせるように、火神は口にした。
たとえ勝ち目がないとしても火神は諦めるようなタイプではない。なんとしても青峰を越えてみせようと自分に言い聞かせた。
「舐めるなよ、青峰! 俺はまだ……」
『誠凛高校、
「火神!」
「え? ……は!? 交代? 俺が!?」
ユニフォームに着替えた土田が火神に呼びかける。横にいるリコも厳しい目つきで戻ってくるように目で訴えていた。
「ちょっ、カントク!? どういうことっすか! 何で俺が!」
「説明は後よ、早く戻って!」
「待ってくれよ! まだやれるんだ! 俺はまだ青峰を!」
「戻りなさい! これは命令よ!」
まだできると叫ぶ火神を、最後は監督命令で黙らせ、ベンチに引き上げさせる。
これほどまで強い口調のリコを目にしたのは初めてで、火神は渋々と従い、ベンチに腰掛けた。
「……やっぱり。火神君、もうこの試合あなたを出すわけにはいかなくなったわ。
痛めた足を無意識に庇っていたせいね。そのせいで逆足に大きな負担がかかってしまっている」
「無理はさせられない、ってことっすか?」
「当たり前でしょう! これ以上はこの先二試合にまで影響するかもしれない。それなのに、出させるわけにはいかない」
「……くそっ!!」
最もな意見に反対する言葉を火神は持ち合わせていなかった。
ベンチで見ていることしかできない己の不甲斐なさを我慢することができず、火神は右足を思い切り殴りつけた。
「……終わり、だな」
悔しがる彼の姿を青峰は寂しげに見つめ、その場を後にした。
――――
火神が交代した後も青峰を止める術は生まれず、得点差はさらに広がっていった。
加えて後半戦はミスディレクションの効果が切れかけた黒子もベンチに下がり、試合はより一方的な展開となっていく。
主力である二人を失い、厳しい試合が繰り広げられる試合展開は、まるで昨年の決勝リーグのようであった。
第四Q、ようやく回復した黒子が試合に復帰。チームの最後の希望を託すものの、もはや観客の誰もが誠凛の勝利を期待してはいなかった。この時既に桐皇は100点を突破していた。
「まだ出てくるのかよテツ? もうわかってんだろ。バスケに一発逆転はねえ。頼みの光はもう出場は不可能。お前のパスも通じない。点差もすでにかけ離れている」
未だに諦めない黒子を見て何を思ったのか、青峰は淡々と残酷な事実を述べていく。
どれもが否定できない現実。黒子も彼の言葉を遮ることができなかった。
「俺の勝ちだ、テツ」
高らかに自身の勝利を宣言する。青峰の表情に揺らぎはない。
「……まだ、試合は終わっていません」
「終わっただろ? もう逆転はありえねえ。お前達が勝とうだなんて、そんなのは……」
「諦めない限り、可能性は消えません。僕達が戦う限り、勝機は消えない。
どんなに絶望的な状況下であろうとも、自分から諦めたりはしない」
疲労によってどうしても俯いてしまう顔を無理やり上げて、黒子は笑みを浮かべた。
「……少なくとも、僕は帝光時代に、そう教えてもらいました。必ず約束を果たすと……!」
青峰の表情が、揺らいだ。彼の目線の先に、銀髪の少年の姿が現れる。
「……ハッ。どいつもこいつも、馬鹿ばっかりだ!」
勝手にこみ上げてくる笑みを隠す事ができず、青峰の表情に笑みが戻った。
直後、黒子の真横を青峰が通り過ぎる。
必死に手を伸ばした。だが届かない。
懸命に足を動かした。すでにシュートが放たれていた。
負けられないと自分にエールを送った。それでも点差が縮まることはなかった。
――――
栃木の大仁多高校の体育館では今日も練習が行われていた。
東京都では代表を決める決戦が行われているが、選手達は気にする素振りを見せず練習に励んでいく。
「……よし、スリーメン終了! 皆さんここで一度休憩を入れます!」
藤代の声により、練習が中断され、選手は各々休憩へ移る。
「あーっ! しんど! 最近の練習一段と厳しくねーか?」
「まったくだ。実戦練習も多いから全然気ぬけねーし」
神崎と本田が揃って不満を口にし、水分を補給していく。
IHに向かっての練習は彼らでさえ弱音を吐いてしまうほどの密度であった。
「その点あいつはやはり別格だよな。個人的にもやるところあってキツイはずなのに」
「……ああ、そうだな」
「どうした? 難しい顔して?」
「本田。お前、気づいてないのか?」
「何をだよ?」
「――要の様子、だよね」
「ああ、そうだよ」
話を聞いていたのか、光月が答えを言い当て視線を話題の選手、白瀧へと向けた。
今は休憩中であるにも関わらず、いつもの接しやすい雰囲気は消えうせ、闘争心がむき出しになっていた。休憩中でさえこうなのだから、練習中はもっと酷かった。おそらく白瀧自身は気づいていないだろう。それゆえに余計に神崎達は不安に思った。
「……多分、東京都の試合が気になるんだろうな。そろそろ試合が終わってもいいころだけど」
スポーツドリンクを流し込み、今日の試合のことを思い出す。
誠凛対桐皇。白瀧にとってはどちらも因縁のある相手であった。当然ながらそれを気にせずにはいられないだろう。
「……おや? 成程。皆さん、一度集合してください!」
すると藤代が携帯に目を向けた後、表情を厳しくして選手達を集めた。
「なんだろ? まさか休憩終了とか言わないだろうな……」
「さすがにそれはないだろう。だが、何かあったのか?」
嫌な予感がしたのか、山本は苦々しく呟く。
さすがにそのようなことはしないと監督の性格を知る小林は彼の言葉を否定しつつ、しかし意図を理解できず首をかしげた。
「……皆さん、先ほど偵察部隊の方々から連絡が届きました。
東京都の決勝リーグすなわち代表を決める初日の試合が、全て終わったそうです」
「なっ!?」
「ついに、終わったか」
それは激戦が終了したという知らせ。
誰もが記憶の片隅に置いていたその報告を耳にして、選手達は硬直した。
「まず先に終わった泉真館対鳴成は大方の予想通り泉真館の圧勝。終盤はレギュラーも温存させて磐石の態勢だそうです」
「三大王者の中で唯一勝ち残った泉真館、か。やはり強豪だな」
「そして少し遅れて終了したという誠凛対桐皇学園なんですが……」
泉真館対鳴成の試合結果は想定していたこともあって驚きはなかった。
続くもう一試合、誰もが気にしていた誠凛対桐皇学園の試合。しかし藤代は中々口にせず、選手たちの疑問が膨れ上がる。
「……154対39。桐皇学園がトリプルスコアで誠凛を破ったそうです」
ようやく紡がれた報告は、大仁多の選手達を戦慄させた。
「と、トリプルスコア!?」
「秀徳を破った誠凛がまさか、そんな!」
「それほどだというのか、“キセキの世代のエース”というのは!」
どちらも大仁多が注目視している学校だった。それなのに桐皇学園が誠凛を一歩も寄せ付けなかったという結果で終わった。選手達の衝撃は大きく、どよめきは止まることはなかった。
「……青峰さん、どうやら最初から本気でやったみたいですね」
「そう、か」
「え? 白瀧さん?」
「駄目だったか。青峰……」
西村が心配そうに覗き込むが、白瀧は一人目を瞑り、勝者であるはずの青峰の名を寂しげに呟いた。
気にかけるならば敗者である誠凛のはずなのに、なぜ青峰の名前を語るのか。西村にはわからなかった。
――――
その頃、試合を終えた桐皇の控え室では若松が勝利の雄叫びを上げていた。
「よっしゃー、まずは決勝トーナメント初戦、圧勝――!!」
「……ちーと黙れや若松。うっさいわ」
「っ!? 何で皆そんな普通なんすか!?」
煩わしそうに今吉が適当に手を振ってあやす。今吉をはじめ、桐皇の選手達は喜ぶことでも驚くことでもないのだと平然と片付けの準備を進めていた。
それは青峰も同じこと。彼は何も言葉にすることなく、ただ手を動かしている。
桃井だけは試合が終わって緊張の糸が切れたのか、安心して息を零していた。
「海常を倒して三大王者を連続で撃破したって聞いたからヤバイと思ったけど、それほどでもなかったな」
そんな中、控えの選手達の対戦相手である誠凛を蔑む耳障りな声が響く。
「ふたあけて見れば圧勝だからな。点で話になってねーよ。向こうの11番とか最後の数分は完全に腕が上がってなかったじゃねーか。それなのに最後まで無様にやってるし」
「さっさと諦めちまえばよかったのにな」
その直後だった。無表情を貫いていた青峰がいきなり会話をしていた部員の首元を掴みあげた。
「なっ!? お、おい!」
「……うっせーんだよ。試合に出てねえやつが偉そうに何を騒いでやがんだ。
何も知らねえやつがピーピー喚いてるんじゃねえよ!」
「ぐっ、が……」
「おい、やめろ青峰!」
殺意を醸し出し、今にも締め上げてしまいそうな青峰を、諏佐達が説得し、ようやく部員は苦しみから解放された。
青峰はその後何も言う事無く荷物を手にして控え室を後にした。
(……青峰君)
桃井は彼の後姿が見えなくなるまでずっと見つめていた。
――――
一方、誠凛の控え室では火神が怒りを抑えられず、壁を殴りつけていた。
「……くっそぅ」
「火神! 切り替えろ。まだ終わりじゃねえ……」
「皆! 確かに今日は負けてしまったけど、まだ決勝リーグは二試合残っているのよ!
その二試合に勝てばまだIHへの出場の可能性は残されている! しっかり!」
リコは日向たちに諦めないよう、必死に声を張った。
だが彼女の言葉ではこの場の雰囲気を一蹴することなどできなかった。
(わかってる。今日の試合を引きずってはいけないことくらい。でも!)
(今日の試合もトリプルスコア。昨年を思い出させるような、嫌な印象が残っちまった)
(しかも青峰には黒子のバスケも通じなかった。火神も万全じゃない。これじゃあ……)
彼らの脳裏に昨年の暗い影が映し出される。三大王者全てにトリプルスコアで敗れたという悪夢のような試合が。
正邦・秀徳を倒した今年こそ、そう思っていた。
“キセキの世代”に対抗できる火神がいれば大丈夫、そう期待していた。
黒子のパスがあれば勝てる、そう確信していた。
それら全てがたった一試合で全てひっくり返され、彼らの思いは沈んでいく。
「とにかく! 今は片づけが先! 火神君も病院に真っ直ぐいくからね!」
「……うっす」
これ以上は無駄だと判断したリコが指示を出し、選手達はそれに従い行動していく。
だが行動はいつもより鈍く、試合の影響が大きいことを表していた。
「なあ、黒子」
「はい? なんですか?」
ようやくまとめが終わり、他の部員達が先に部屋を後にする中、残っていた黒子に火神が声をかける。
「俺は青峰とも渡り合えると思ってたよ。だけどその結果がこれだ。
……ベンチで見ていたけど。正直、もうわかんねえよ。ここから先、今のままじゃあ、ただ力を合わせるだけじゃ何度やっても勝てないんじゃねーか?」
まるで黒子を突き放すような言葉だった。
火神はそう言い残して日向たちを追って部屋を後にする。
「……くそっ!」
少ししてようやく黒子は立ち上がり、火神達の後を追う。握り締めた拳を解き放つことは、どうしてもできなかった。
――――
それから数時間後。
大仁多高校の全体練習が終了し、選手達が個人練習に移っている時。
白瀧は今日も体幹のトレーニングを行っていた。
一区切りついたところで休憩を入れていると彼の携帯が振動していることに気づく。
誰かから連絡がかかってきたことを理解し、白瀧が携帯の画面を開くと、その相手を見て目を見開いた。
「……お前か」
だがそれも一瞬のこと。
すぐに表情を戻し、白瀧は相手と通話を始めた。
――黒子のバスケ NG集――
「……成程、それかよ。変わらねえな、テツ。本当に」
幾度も黒子の相棒としてパスを受けてきた青峰だからこそ黒子の行動を知ることができた。だからこそ、彼の行動の結果も察することができた。
「そんなので勝てると思ったのかよ? ……お前と一番パスを受けて来たのが誰だか忘れたのか?」
「少なくとも、青峰君ではないことは確かですね」
「……え?」
元相棒からの思わぬ裏切りに、青峰の表情が強張った。
「青峰君は中学二年の全国大会の途中からずっとパスをさばいていませんからね。練習にも顔を出していませんし」
「ちょっ、おいテツ!?」
「それまでは圧倒的に青峰君でしたけど、もう違うと思います。ひょっとしたら緑間君とかの方が多いんじゃないですか? 緑間君は君と違ってずっと練習に参加していましたし」
「おい! あんなヤツに負けてるとか嘘だろ!? 嘘だと言ってくれ! テツ、テツ――!!」
しかし黒子は嘘とはいわなかった。
青峰、一つだけ言おう。こればかりはお前が悪い。