黒子のバスケ 銀色の疾風   作:星月

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第三章 猛者集結
第五十一話 全国への挑戦


 審判の笛が鳴り響き、力を失ったボールがコートに落ちる。

 それは一つの長い戦いが終わりを告げる合図であった。

 

『試合、終了――!』

「大仁多高校8連覇達成! IH出場だ!」

 

 インターハイ栃木県予選、決勝。

 (大仁多)119対87(盟和)。

 勝者――大仁多高校。盟和の三度目の挑戦を退け、栃木の王者の座を守り抜いた。

 

 

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 IH出場の権利を手にし、大仁多の応援団は総立ちとなり歓喜の声を上げる。選手達も念願の勝利を手にした喜びを分かち合った。

 

「よっしゃあ!」

「やった! やったぞ小林! インターハイだ!」

「ああ。もう一度だ! もう一度インターハイで戦える!」

 

 ついに到達した頂への道。たとえ何度経験したことであろうとも、生じる喜びが減ることはない。

 最も大仁多の全国を知る小林、山本の両名もお互いの手を力強く握り締め、喜びを爆発させた。

 

「……勝った」

「何をぼんやりしてんだよ!」

「うわっ!」

「勝ったんですよ俺達!」

「ついにインターハイだ! もっと喜べよ!」

「みんな。……うん!」

 

 呆然とする光月に本田をはじめ、同級生が抱きついた。

 笑みを浮かべる三人。彼らの顔を見て光月もようやく勝利の実感が湧き上がった。

 試合の疲れを忘れ、仲間と共に騒ぎだす。

 

「ったく。満足そうにしやがって。……よかったじゃねえか」

 

 その光月の笑顔を見届けた荻野は早々に席を立ち、出口へと向かっていく。

 

「やった……! やったぞ!」

「白瀧」

「黒木さん! やりましたね! 俺達!」

 

 静かに、だが珍しく満足げに近づいてくる黒木。白瀧はすぐに意図を理解し、ハイタッチをかわした。

 彼らだけではない。ベンチでも喜びは尋常ではなかった。全員が立ち上がってベンチから飛び出し歓声に湧く。

 

「茜ちゃん!」

「東雲さん!」

 

 マネージャー二人も涙を浮かべて抱擁する。

 

「……よし、一先ずはよくやってくれました」

 

 藤代は一息ついて選手達の労を労った。

 大仁多の選手が、応援していた人達が歓喜する。

 だがこれは試合。誰もが笑みを浮かべるわけではない。嬉し涙を流すわけではない。

 宿敵が湧く姿を目にして表情が固まってしまう者達もいた。

 

「終わ、り? 負けた? また、負け……た?」

 

 目の前で繰り広げられている事が、かつて二度味わった屈辱と一致する。

 もう二度とこんな思いはしたくない。そう心に秘めて戦い続けたはずだった。だが、その思いが音もなく崩壊していく。

 そして勇作は己の敗戦を――三度目の戦いに負けたということを、認めた。

 

「あ、あぁ……! ああああああ!」

「勇作……」

「ああああ! あ、ああああ! ああああああ!!」

 

 胸の内から湧き上がる思いを耐えることなどできなかった。

 膝から崩れ落ちた勇作は腕をコートに何度も何度も叩きつけ、声を上げて嗚咽する。

 誰もその行為を止めることはできない。

 

「……」

 

 両目を瞑り、歯を軋ませ天を仰ぐ細谷。

 

「終わったか。知っていたけど、やっぱり、悔しいな」

 

 神戸は苦笑し、肩を震わせる。感情を押さえ込んでいることがよくわかる。

 

「ちっ。本当にやめろって、言ってるのに。……こっちまで、馬鹿になっちまうだろ」

 

 古谷はいつものように悪態をつく。しかし最後の言葉は細々としていて、目頭を押さえながら口にした。

 

「……ちっくしょう」

 

 力なくうなだれ、金澤は敗北の苦味を噛み締めた。

 

「ぬうっ……!」

 

 岡田は両の腕を足に叩きつけ怒りをあらわにする。

 ベンチメンバーは呆然と大仁多の選手達が喜ぶ姿を目にしていた。

 ――盟和のIHへの夢が、終わりを告げた。

 

「……さあ! 皆さん整列を! その後でもう一度祝いましょう!」

 

 藤代が声を張り上げ、指示を出す。

 ベンチメンバーは一言声をかけてベンチに引き上げ、レギュラー五人はコート中央へゆっくりと歩いていく。

 盟和の選手たちもそれに呼応して顔を上げ、整列へ向かった。

 だが、勇作だけは立ち上がることができずにいた。

 

「行こう、勇作」

「ぁっ……う、ぁっ……」

「……行こう」

 

 もはや声にもならない慟哭を上げながら、神戸の肩を借りて勇作も歩き出す。

 両校の選手達が整列した。審判も十人が揃ったことを確認し、試合終了を宣言する。

 

「119対87で、大仁多高校の勝ち! 礼!」

『ありがとうございました!!』

 

 再びコートは大歓声に包まれた。

 

「勇作……」

「……ああ」

 

 小林が勇作の元へ歩み寄る。それに気づいた勇作は自分の足で歩いていき、二人は無言で抱擁した。

 他の両校の選手たちも握手を交わし、健闘を讃えあう。

 

「やはり大本命、大仁多がIH出場ですね」

「ああ。盟和も前半は押していたのだがな。……後半の追い上げが凄まじい。特に最後の勝負時は」

 

 観客席、高尾の呟きに反応した大坪は最後の大仁多のプレイを思い返し、ライバルの成長を感じ取っていた。

 盟和の執念とも呼べるオフェンスを残酷なまでに粉砕した、大仁多のゾーンプレス。結局盟和は得点を決めることができないまま、大仁多の猛攻を受けることとなった。

 相手の矛を打ち破る強靭な武器。これは全国でもきっと通用するだろう。

 

「さあ、あとは表彰式だ。少し時間がある。それまでは自由にしていいぞ」

「わかりました。真ちゃん、どうするよ?」

「そうだな。白瀧に声をかけようと思ったが、それはこの大会が終わってからでも……」

 

 構わない、そう続けようとして緑間の表情が固まった。

 周りを確認しようと首を振ったその先で彼が目にした女性。それは彼の注意を引くには十分すぎるものだった。

 

「はい。白ちゃん、じゃなかった。白瀧君のデータも取れました。はい。……はい、わかりました。失礼します」

 

 内容は聞き取れないが誰かと連絡を取り合っていたのだろう。彼女は携帯電話を切り、視線に気づく事無く桃色の長髪を揺らして出口へと向かっていく。

 

「いや、どうやらその前にもう一人。声をかけておくべき相手がいるようだ」

 

 「やはり来ていたのか」、確信を抱き緑間は彼女の後姿を追った。

 

 

――――

 

 

「……色々思うところがあるだろう。だがこの後には表彰式が控えている。

 まずは荷物の片付けだ。全員速やかに作業に移れ」

 

 気落ちする選手達に向け、岡田は淡々と指示を出した。

 彼らの気持ちはわかるがいつまでも愕然としているわけにもいかない。

 それを理解している選手たちもすぐさま作業に移る。

 大仁多のベンチも同様に行動を始めている。しかし橙乃は相手のベンチの兄・勇作を目にして、手が止まっていた。

 

「やはりお兄さんが気になりますか、橙乃さん」

「え? あ、いえ。すみません」

「行っても良いんですよ」

 

 諭すような口調の藤代に謝罪し、橙乃は片付けに戻る。

 しかしその手を押さえて藤代は続けた。

 

「こちらは大丈夫です。行ってあげなさい。大仁多のマネージャーとしてではなく、一人の妹として。

 ……表彰式が始まるまでに大仁多のマネージャーが揃っていればこちらは構いません」

 

 声をかけたい、その思いがないわけではない。提案を受けて心が揺れる。

 さらに東雲にも「後は任せておいて」と背中を押されて思わず頬が緩んだ。

 

「ありがとうございます」

 

 頭を下げ、橙乃は兄の下へ向かった。

 勇作は頭からタオルを被り黙々と手を動かしている。

 

「お兄ちゃん」

「ッ!?」

 

 懐かしい響きが耳に入り、手荷物へ伸ばしていた手が止まった。

 声の主へと視線を上げる。……今一番会いたくて、同時に会いたくなかった妹の姿があった。

 何を言えば良いのか、どうやって妹の呼び声に応えれば良いのか。

 それさえわからず思考を巡らす。すると黙り込んでいる兄を見かねたのだろうか。

 軽い衝撃が起こる。橙乃に抱きつかれたということに気づいたのは、数秒たってからだった。

 

「お疲れさま」

 

 背中をさすりながら優しく呟いた。

 たった一言だったが、その一言によって再び勇作の目から涙が溢れ出した。

 勇作も彼女の体を抱き返す。泣いている姿を見られないように力を込めた。

 

「茜! ……茜!」

「うん、お兄ちゃん」

「ごめんな。ごめんな!」

「大丈夫、わかっているから」

「違う! 違うんだ!」

「……?」

 

 小さい子供をあやすように橙乃は先を促した。

 まさか彼女の中でいくつものピースが繋がるとは、思ってもいなかった。

 

 

――――

 

 

『間もなく表彰式を行います。選手の皆さんは集合場所にお集まり下さい』

「あ、いけない!」

 

 長話をしてしまい、気がつけばもう表彰式が始まろうという時間になっていた。

 兄と別れた橙乃は駆け足で大仁多の集合場所へと向かう。

 しかし各校の選手達が一同に会し、中々目当ての場所へたどり着けない。

 

「……いた! 橙乃! こっちだ!」

「え? あ。白t、瀧君」

「探したぞ。さあ、行こう」

 

 すると彼女を探していたのだろう、白瀧に呼ばれた。

 出かかった言葉を飲み込み、橙乃は彼に手を引かれて歩き出す。

 試合の後で疲れている事を考えると申し訳ない気持ちで一杯になると同時に、複雑な気分になった。

 

「勇作さんとは、きちんと話せたのか?」

 

 表情から何事かを察したのか白瀧が問いかける。

 変な不安でも感じさせてしまったのだろうか。

 

「うん。前から気になっていたことも話せたし。多分もう大丈夫だよ」

「そっか。橙乃が言うんだからきっとそうなんだろうな」

 

 「あの人はそういう人だし」と笑って続ける。

 きっと白瀧も気にかけていてくれたのだろう。試合の後、誰よりも悲しみに暮れていたエースのことを。

 同じ立場でもあるからこそ尚更だろうか。

 

「そういえば前から気になっていたことを話せたって言っていたけど。……インターバルの時、試合後に俺に話したいことがあるって言っていなかったか?」

「ああ、その話?」

 

 キーワードを耳にして思い出したように問いかけられた質問。若干気恥ずかしそうに見えるのは気のせいではないはずだ。

 橙乃は数秒考えた素振りをして、その後笑みを浮かべて問いに答えた。

 

「ごめん。前に言ってた話なんだけど。やっぱり、なんでもなかったよ」

「……は?」

 

 予想外の答えを受け白瀧が硬直する。

 

「でも、この前かなり深刻そうに話していなかったか?」

「うん。だけど解決しちゃったから、もう大丈夫」

「解決?」

「うん」

 

 白瀧は理解できず首をかしげる。対照的に橙乃は満足そうに頷いた。

 てっきり自分に関することだと考えていたため、白瀧も身構えていたものの彼女の笑みを見て、気が削がれるような思いになった。

 どちらにせよ問題が解決したならばこれ以上自分が口を挟む必要はないだろう。

 

「そっか。まあ、橙乃がそう言うなら別に構わないよ」

 

 そう一言述べてこの話題を終わらせようとした。

 

「……いいの?」

「いいって、なにが?」

「白瀧君にとっても大事な話かもしれないよ。私が意地悪しているだけかもしれないよ。それでも、聞かなくていいの?」

 

 だが橙乃が問いかけた。

 白瀧とて気になっていたはず。それなのに聞かないまま終わらせてもよいのかと。

 その問いに彼は迷う事無く答えた。

 

「ああ。それならそれで構わない。橙乃が関することで、そして俺にとって大事な話でも、橙乃が話したくないと感じたなら。

 俺よりも詳しく知っているんだろうし。……それに意地悪をするような理由なんてないだろ? 少し抜けている一面もあるけれど、橙乃が大切な時に意地悪するような性格には思えない」

「……そうだね。理由なんてない、ね。白瀧君には敵わないな。あはははは」

「ああ。だからもしも話したくなったら話してくれ」

「わかった。……まあ、抜けているというのは白瀧君に言われたくないけど」

「なんで?」

 

 そんなことないと言いたげな白瀧に、「なんででしょうね」と橙乃ははぐらかす様に口にした。少し表情が柔らかくなったように見える。

 

「おい、白瀧!」

「あ、悪い。小林さんに呼ばれているから、ちょっと先に行くぞ」

「う、うん」

 

 抗議しようとする白瀧だったが、小林に呼ばれて大仁多の列の前方へと消えていく。

 別れた橙乃は遠くなっていく背中を寂しげに見つめていた。

 

「たしかに意地悪する理由ならないけど。……言わない理由なら、あるんだよ。言いたくないって理由が」

 

 その呟きは誰にも聞こえることなく空中に消えて行った。

 

 

――――

 

 

『優勝、大仁多高校!』

 

 チームの代表として主将の小林がトロフィーを、副主将の山本が賞状を受け取った。

 拍手が湧く会場。再び全国へ挑む強者への激励の思いが込められていた。

 続いて準優勝、盟和高校。三位に入賞した聖クスノキ高校と次々に表彰が行われていく。

 そして団体の表彰が終わると、続いて個人の表彰へと移る。

 激戦が繰り広げられた今大会。その中でも特に活躍した選手達へ。

 

 

 最優秀選手賞(MVP) 小林圭介 大仁多高校(三年) 

 

 最優秀新人賞 白瀧要 大仁多高校(一年)

 

 得点王 白瀧要 大仁多高校(一年)

 

 ベスト5 小林圭介 大仁多高校(三年)

      白瀧要 大仁多高校(一年)

      橙乃勇作 盟和高校(三年)

      ジャン・ディア・ムール(Jan Dia Mour) 聖クスノキ高校(三年)

      楠ロビン 聖クスノキ高校(二年) 

 

 

 こうしてIH出場を賭けて代表校を決める栃木県大会は終わった。

 栃木のIH出場権は大仁多高校が8年連続で手にする。

 多くの選手達の思いを背負い、戦いの舞台は――全国大会・IHへ。

 

 

――――

 

 

 表彰式の後、取材から解放されようやく自由になった白瀧。

 彼はチームの下へ戻る前に、一人の選手へ声をかけた。

 

「楠先輩!」

「うん? ……なんだ、IH出場校のエースが、俺に何のようだ?」

「少し、お時間をお借りしてもよろしいでしょうか?」

 

 相手は準決勝で戦った聖クスノキのエース、楠。彼が苦戦を強いられた強敵である。

 突然の誘いに「いいだろう」と許可を得ると二人でゆっくり話せるようにと部屋を出て廊下に出る。

 楠は柱に背を預け、用件を伺った。

 

「試合が終わった今さら、俺に何か話すことでも?」

「はい。IHが始まる前にあなたに教えて欲しいことがありました」

 

 前置きはもう必要ないだろう。そう判断すると簡潔に述べた。

 

「ジャンピングシュートのコツを教えて欲しい。お願いします」

 

 突如頭を下げられ、しかもシュートのコツを教えて欲しいと言われ楠は困惑する。

 

「いきなり何を言っている。……わかっているのか。俺はお前の敵だぞ。

 それに加えて俺はお前に昨日負けた身だ。それなのに何故俺に聞く?」

「たしかに試合では俺達が勝ちました」

「それならば……」

「しかしシュート技術ならば俺よりもあなたの方が上だからです。

 楠先輩があの試合でどう感じたかはわかりませんが。俺はあなたのような選手と戦えたことを誇りに思っている。

 その相手とプレイについて話を交わすことは、嬉しく思うことはあっても躊躇うことは何もない」

 

 負けたばかりの敵に教えられるわけがない。そう楠は言うものの、白瀧は迷う事無く断言した。

 普通ならば敵選手に聞けるようなことではない。しかも負かした相手を「自分よりも上である」と認めるなどプライドが許さないだろう。

 だが白瀧はそのようなことを微塵も感じていない。それどころかこうして話ができることに嬉しささえ覚えているという。

 

「ッ……!」

 

 楠が右腕を柱に叩きつける。

 

「楠先輩?」

(腹が立つな。そんなことを考える自分に)

 

 技術を磨くためならば敵に頭を下げることを躊躇しない。勝利への貪欲さが普通ではない。

 その姿勢を目にして、『敵に教えるわけがない』などと考えていた自分が恥ずかしくなった。

 疑問に思い名前を呼ぶ相手を制して楠は口を開いた。

 

「……プレイについて話を交わすことをお前は戸惑わないと言ったな」

「はい」

「ならば先に俺から一つ聞いてもいいか?」

「なんでしょうか?」

「怪我から復帰後。治療期間が長引いて体力が低下した際には、その選手はどういう練習をすればいいと思う?」

 

 それは自分が抱えている課題。楠も怪我に泣いた選手。大会でもプレイに制限がつき、常時活躍することはできなかった。

 だからこそ楠は問う。自分も前に進むために、少しでも意見は聞いておきたい。

 意図を察したのか白瀧は淡々と思いつく限りの案を出していった。

 

「その選手がどれだけの治療期間を過ごしたのか、また治療中にどのような生活をしていたのかわからないため正確なことは言えませんが。

 まずは他の選手たちとは別メニューとなったとしても、軽いランニングや基礎トレ、そして実戦形式のメニューを取り組むべきかと」

「チームメイトと同じペースでやるのは得策ではないと?」

「悪いとは言いません。ですが体力はどうしても必要なもの。できれば真っ先に取り戻したい。ならば下手に周囲とペースをあわせるべきではないかと。

 そして先ほど述べた軽いランニングを――できればアスファルトではなく地面が柔らかい場所で長時間やるのが適切です。その後インターバル練習などをいれ、慣れてきたら徐々にダッシュも加える。

 同じように試合に出れなかったために失われた試合感を取り戻すこと、それが重要だと俺は考えます。それを繰り返し、徐々に調子を取り戻して来たというのならばそこから……」

「いや、もういい」

「え?」

 

 考えられる効率の良い練習法を言葉にしていく白瀧に、「それ以上は大丈夫だ」と楠はとめた。

 

「まさか本気で答えてくれるとは思わなかった。

 お前は敵であろうとも教わることを躊躇わないだけではない。たとえ敵であろうとも迷わずに教えることができるんだな」

 

 試す意図も含んだ問いに、精一杯答えてくれた。その潔い性格を羨ましいとさえ感じた。

 力を込めていた握りこぶしを解放し、楠は笑みを深くして続けた。

 

「……ジャンピングシュートを習得したいならば、まずは体幹を鍛えることだ」

「ッ!」

 

 それは白瀧が欲していた彼の技術の習得方。

 自分だけ相手から教わりながら教えないわけにはいかない。その意図が伝わったのか白瀧も余計な口は挟まずに、彼の言葉に耳を傾けた。

 

「ジャンピングシュートに求められるのはボディバランスだ。

 だが一言でボディバランスと言っても、瞬発力と体幹が均衡していることが重要になる。

 今のお前は瞬発力が強すぎるために、かえって瞬発力が一人歩きしている。

 だからこそまずは体幹を鍛えろ。それにより安定性が増せば、シュートの際に体が崩れることもなくなる」

「そうすることで空中での体勢は保てる、と。他にも何か?」

「後は肘と手首の連動性だな。要求されるタイミングと早さを獲得するために。

 この二つを自分のものにすることができれば、ジャンピングシュートも極めることができるはずだ」

 

 瞬発力に負けないだけの体幹の強さ。

 そしてジャンプの勢いを殺さないための腕の動きの連動性。

 この二つを鍛えるようにと楠はレクチャーする。

 考えて動くタイプであるのか、言葉で伝わりやすく説明したおかげで理解できたのだろう。白瀧も満足げに頷いていた。

 

「ありがとうございます。IHを前にどうしても身につけたかったので、本当に助かりました」

「礼はいらないさ。先ほど俺もお前に教えてもらったんだから、今回の件は交換条件だ。俺にとっても得はあった」

「いいえ。あなたならば俺に聞かずとも答えを出せたでしょう。自分の力だけでも出来たはず。

 だが俺は違う。元々あなたに聞くためにここに来ました。だからこそ礼を言わせてください。……ありがとうございました」

 

 再び白瀧は頭を下げた。

 決して相手に嫌な思いをさせることはない。清々しささえ覚えるほどだった。

 一体どうしてここまで我武者羅に強さを求め、相手を尊重することができるのか。その一点が楠にはわからなかった。

 

「本当に、お前と言う男がわからないな。敵だというのに、正直だというか真っ直ぐというか」

「……理解していただけなくても構いません。

 中学時代の三年間、行動を共にした仲間達とでさえ、俺は最後までわかりあうことはできませんでしたから」  

 

 白瀧の表情が曇る。「わからない」という単語に過敏に反応した。

 それは、中学時代のチームメイトと関係を修復することができず、お互いを理解することができなかったという悔しさからきているものだった。

 

「――『キセキの世代』、か」

「はい。全国に名を轟かせた本物の天才達です」

「お前が俺に技術を乞わなければならないほどの敵なのか?」

「それでも勝てるかわかりません。あいつらの前では、どんな強さも霞んでしまいますから」

「それほどか……」

 

 楠にとっては戦ったことはなく、噂でしか聞いたことがない遠い存在。

 だが自分達に勝利を収めた白瀧の台詞を聞き、楠は警戒心を強くした。

 彼らと対戦し、心が折れてバスケを辞めるほどに追い詰められた者さえいるという。

 果たしてそのような天才達に本当に勝てるというのだろうか。白瀧の強さを知っているとはいえ、楠はそのことが気がかりであった。

 

「本当に勝てると思うか?」

「勝てる、勝てないの話ではありません。勝つしかない。

 もう負けるわけにはいかない。……俺は今度こそ約束を果たす」

 

 だが不安を抱いて聞いた問いに、白瀧は激しい闘志で答えた。

 意志だけではない。まるでそれが自分の義務だと言わんばかりに。

 

「そうか。たしかにその心意気は立派だ。

 しかし俺が言えることではないが、お前の考え方では……いずれ壊れるぞ」

 

 背負いすぎれば碌なことにはならない。無理をすればその先には必ず限界が待っている。

 かつて楠も『自分が戦わなければ』と体を酷使して故障してしまった。

 だからこそ同じ思いはしないで欲しいと白瀧に警告する。

 

「ご忠告、感謝します。ですが俺にはこういう戦い方しか出来ません」

「……ああ、そうだったな」

 

 無駄な発言だったなと楠は心中で察した。

 試合中でわかっていたことだった。自分と目の前に立つ相手は似ていると。

 プレイスタイルの話ではない。性格の話だ。

 一度戦うと決めたならば誰にも譲らない。もはや執念とも呼べる揺るがない覚悟の強さ。それを持っている。

 ならばこれ以上は止めても何も意味をなさないだろう。

 

「ならば勝ってこい。結局俺達は戦いの中でしかお互いを本当に理解することはできない」

「……ええ。わかっています」

「俺達の分まで頑張ってくれ。――応援しているぞ」

「はい、ありがとうございます!」

 

 だからこそ彼の背中を後押しすることにした。

 ――見てみたいと思った。果たして『キセキの世代』と呼ばれる者達がどれほどの強さであるというのか。そして白瀧がどのように立ち向かうのかを。

 出来ることならば、県予選のように逆境も跳ね除けて欲しい。そう思いを込めて声援を送った。

 白瀧から感謝の言葉を受けると、楠は手を振って彼とわかれた。お互い収穫があり、幾分か気持ちが上向いた気がした。

 出来ることならばもう一度戦いたい。叶うならば今度は同じチームで共に戦いたいと。

 

「あー! いたいた!」

「ん?」

 

 チームメイトの下へ戻ろうと足を進める白瀧。

 だが突如背後から誰かの呼び声が聞こえた。

 気のせいだろうか、聞き覚えがある声だった。自分に対するものなのかはっきりしないまま、白瀧は振り返る。

 

「久しぶりだね。白ちゃん!」

「まったく。一体どこで油を売っているのかと思えば。どうせならもっと騒いだりしたらどうなのだよ」

 

 話しかけてくる二人を見て、驚愕のあまり思考が停止した。

 

「……え!? 緑間に……も、桃井さん!? なんで!? なんで二人が栃木に!?」

 

 中学時代同じチームで共に戦った緑間。そして帝光時代のマネージャーであり、同時に白瀧が焦がれている相手、桃井の姿があった。

 ここにいるはずのない二人との再会。会うならばIHの会場で、と思っていたという理由あったから尚更だ。

 

「ふん。ただ偵察に来ていただけなのだよ。夏は無理だが、冬では大仁多と戦う可能性もあるのだからな」

「てことは試合の応援に来てくれたのか。嬉しいよ、ありがとう!」

「何故そうなるのだよ!? 偵察だと言っているだろう!」

「俺が勝つと思ったからこそ見に来たんだろう? じゃあ応援に来たのと殆ど同じじゃん」

「お前はどうしてそういう捉え方ができるのだよ……!」

「今日の決勝戦も大活躍だったよね。まずはIH出場おめでとう!」

「あ、ありがとうございます……」

 

 いまいち話が噛み合わないものの、喜びが見え隠れしている緑間。

 純粋に祝いの言葉をかけてくれる桃井。

 たった二人とはいえ、少しだけ昔に戻れたような感覚を覚え、白瀧の笑みは絶えることがなかった。

 

「そうか。二人とも見に来てくれてたのか。……なるほど。緑間、ちょっと耳を貸せ」

「む? なんなのだよ?」

 

 だが二人が来ているという事実からある結論に至り、白瀧の笑みが消えうせた。

 桃井に「ちょっとだけ緑間と話があるので」と言って、彼女に聞こえないように耳打ちした。

 

「まさかお前、今日の試合桃井さんと二人っきりで観戦してたのか?

 年上が好みのタイプとか俺達に言いながらも実は桃井さんと……?」

「違う! 桃井とはたまたま会場で会っただけだ! 大体、今日は主将に言われて仕方がなく来ただけなのだよ!」

「あ、そうだったのか。じゃあ大丈夫か」

 

 自分が知らぬ間に緑間と桃井の仲が進展していたのでは? と考えたものの、緑間に否定されて自分の勘違いだったと思い至った。

 元々桃井は緑間の好みのタイプではないし、本当に桃井とは別行動だったのだろう。

 「そう言いつつ、誘われなくても偵察には来たんだろうな。こいつ素直じゃないし」とは口に出さず、心の中に秘めておくことにした。口にすればすぐ拗ねてしまうことは中学時代でわかっていることだ。

 

「……えっと、話は大丈夫そう?」

「ええ。俺の勘違いでした」

 

 先ほどまでの緊迫した表情から一転、顔に笑みを貼り付けて桃井に話しかける。

 その変わりっぷりに呆れつつ、やはりあの頃から変わっていないと緑間は感じていた。

 

「まあこれで俺もようやく全国を決めた。確か、他の高校も……」

「うん。赤司君、むっくん、きーちゃんの三人もIH出場を決めたみたい」

「ゆえに後は東京都代表、桐皇がどうなるかなのだよ。忌々しい話だがな」

「……誠凛、がいるからな」

 

 栃木も大仁多が勝ち残ったことにより、IH出場校も続々決まっていく。

 数々の強豪校が全国へ名乗りをあげる中、今年最もレベルが高いとも噂される、東京都はまだ戦いが残っている。

 ――桐皇学園高校。青峰と桃井の二人が所属する高校。そして黒子と火神が加入した誠凛高校。

 三校が出場できるとはいえ、まだどこが勝ち残ってもおかしくない状況である。

 

「うん。でも大丈夫だよ。たとえ誠凛がどう戦ったとしても、青峰君が全国で皆と会うことは確実だから」

 

 それは負けるわけがないという自信に満ち満ちた台詞。

 だが桃井だけではない。白瀧も緑間も彼女の言葉に頷いた。桐皇が負けるとは微塵も思っていなかった。

 

「そうですね。俺も今から楽しみにしています。……きっと今日取れたデータも無駄にならないと思いますよ」

 

 もっとも白瀧もただ圧倒されるわけにはいかない。

 桃井に「しっかり対策してくださいね」と言外に語り、口角を上げた。

 間違いなく研究されている。しかしそれも越えて見せようと。敵となってしまった想い人に宣戦布告する。

 

「やっぱり、わかっちゃう?」

「当たり前ですよ。桃井さんは敵となったならば誰が相手でも容赦しないでしょう。

 ですがそれで構わない。……それでも俺はあなたと交わした言葉を実現させるまで、負けない」

「……白瀧?」

 

 険しくなった表情を見て、不審に思った緑間が問いかける。

 当然だ。知っているのは当事者である白瀧と桃井だけ。

 ――これからも一緒にバスケできるよね?

 心に蘇るのは中学時代の記憶。白瀧が必ず果たしてみせると決めた誓い。

 それを今年こそ成し遂げてみせると言い切った。

 

「……うん。ありがとう」

 

 桃井もその時のことを覚えていたのだろう。一言礼を言ってニコリと笑みを浮かべた。

 その二人のやり取りをみて、緑間は中学時代と何も変わっていないのだと感じた。

 

「なるほどな。やはりお前はあの頃のまま変わっていないようだな」

「どういう意味?」

「いや、以前黄瀬を見た時に思ったのだが。――多くのものは昔と人が変わるものだ。

 元に戻るパターンもあるようだが、しかしお前は変わっていないのだと思っただけなのだよ」

「そうか? あんまりそういうことはわからないけど」

「……そうだろうな。お前は知らないだろうから」

 

 何か言いたげな素振り。白瀧も彼が何かを伝えようとしていることは感じ取れた。

 

(だが、今は言う時ではない、か)

 

 しかし緑間は桃井に視線を向けると言おうとした言葉を飲み込んだ。

 桃井がいる前では言いにくく、白瀧も『キセキの世代』の誰かと本当の意味で戦った後でなければ、きっと理解はできないだろう。

 そう感じて緑間は『キセキの世代』全員が抱いている思いを言葉にすることはなかった。

 

「どうした?」

「いや、なんでもない。どうせ俺は全国へは出られない身だからな」

「……ひょっとして仲間はずれになって拗ねちゃった?」

「大丈夫だよミドリン。私達が頑張るからね」

「お土産何か欲しいのあるか?」

「違うのだよ! 余計な気遣いはするな!」

 

 勘違いも甚だしい。緑間は声を荒げて二人に抗議する。咄嗟に「キャー。ミドリンがキレたー」と口を揃える姿には本当に怒りを覚えた。

 

「ふん。今のうちに騒ぐがいい。俺とてこのまま終わる気はないのだよ」

「わかってるよ。その時を楽しみにしているぜ」

「ああ。お前も精々IHを勝ち上がるのだよ。

 ……今日の試合を見てもよくわかった。お前も人事を尽くしているということを。

 絶対にやめるなよ。人事を尽くしたならば、きっと何かあるはずだ」

「……おう」

 

 夏は終わった。だが緑間も冬に向けてすでに動き出している。きっと次戦うときは練習試合の時のようにはいかないだろう。

 「人事を尽くして天命を待つ」を信条とする彼は白瀧にも努力を続けるようにと言い聞かせる。

 自身が教えたスリーをはじめ、技術は問題ない。ならばそれを続ければ今度こそ天命も下るだろうと。

 白瀧も深く頷いて彼の忠告を胸に刻んだ。

 

「桃井さんも、まずは確実にIH出場を! 先に待っていますよ」

「うん。全国でまた会おうね。……そして、また一緒にバスケしようね」

「ええ。……絶対です」

 

 桃井とはもう一度約束を確かにした。

 全国の舞台で思いに決着をつける。理想を現実に変えようと、白瀧の思いが一段と強くなった。

 すると緑間が「そろそろ行ってやれ」と白瀧の後方を示した。

 ……白瀧の今のチームメイト、大仁多高校の選手達の姿があった。

 

「じゃあ二人とも。今度会えたらまたゆっくり話そう。……楽しみにしてる!」

 

 かつてのチームメイトと別れ、白瀧は駆け出した。

 

「……遅いぞ、白瀧!」

「すみません。つい長話をしてしまいました」

 

 小林に渇を入れられ、素直に謝罪する。

 仕方がないやつだと愚痴を零すと、藤代に全員が揃ったことを報告した。

 確認を終えると藤代は全員と向き合い、今年一番の笑みで選手達に告げた。

 

「皆さん今日はお疲れ様でした。これでようやく全国への挑戦を手にしたわけです。

 決勝戦で勢いはついたでしょう。――この勢いのまま優勝まで突き進みますよ!」

『――おう!!』

 

 全国の舞台でも暴れることを誓い、選手達は歩き出す。

 ――大仁多高校、IH出場決定。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――黒子のバスケ NG集――

 

 

「お兄ちゃん」

「ッ!?」

 

 懐かしい響きが耳に入り、手荷物へ伸ばしていた手が止まった。

 声の主へと視線を上げる。……今一番会いたくて、同時に会いたくなかった妹の姿があった。

 何を言えば良いのか、どうやって妹の呼び声に応えれば良いのか。

 それさえわからず思考を巡らす。すると黙り込んでいる兄を見かねたのだろうか。

 軽い衝撃が起こる。橙乃に抱きつかれたということに気づいたのは、数秒たってからだった。

 

「お疲れさま」

 

 背中をさすりながら優しく呟いた。

 たった一言だったが、その一言によって再び勇作の目から涙が溢れ出した。

 

(ちょっ、え、何これ。夢? 現実? 頬っぺたつねって……痛い。夢じゃない。マジか!? まさか試合で頑張った俺に対する神様のご褒美ですか。神様、マジありがとうございます。一度も信じたことなかったけど。ひゃっはー! 茜とこうして時間を共有するなんて何年ぶりだよ。最近は電話でしか声も聞いてなかったから滅茶苦茶心臓どきどきしているよ。やばいよ茜に聞こえてないかな? ……あ、シャンプーの匂い。ちゃんと髪の手入れもしているんだな偉いぞ。……待て、むしろ俺の方がやばくないか。試合の後で汗だくだけど「汗臭い」とか思ってないかな。もし茜に「お兄ちゃんくさい。洗濯物一緒にしないでね」とか言われたら泣く自信あるぞ。大体……(以下略))

 

 勇作はどこまでも通常運転だった。


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