黒子のバスケ 銀色の疾風   作:星月

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第三十二話 勝敗

「俺が勝たなければ何も変わらない、誰も変えられない!」

 

 緑間は高尾からすれ違いざまに手渡しでパスを受ける。

 交差することで高尾が壁役となり、伊月をかわすことに成功した。

 

「させるか!」

「……邪魔を、するな!」

 

 しかしマークマンの火神が進路方向を予測して立ちはだかる。

 緑間は最高速のドライブで火神をかわし、ハーフラインでストップ。即シュートを放った。

 背後からシュートを叩き落とそうと火神が跳躍するが、わずかに遅かった。彼の手は虚しく空を切る。

 

「何も知らずに、ただ声高に『日本一』などと叫ぶやつに俺は負けん!」

 

 緑間の悲痛な叫びと共に、ボールはリングをくぐる。

 ここに来てもまだ緑間のシュートは落ちない。(誠凛)55対65(秀徳)、再び点差は二桁になる。

 

「……なんだとテメエ!?」

 

 自らの目標を否定する緑間に、火神は声を荒げた。

 息も絶え絶えで火神の足にも限界が近づき始めているが、それを敵に察せられないようにと。

 

(一体どうなってやがる? 今のシュートはタイミング的にブロックできたはずだ。緑間の高さでもあの距離ならたしかに間に合ったはずなのに……)

 

 しかし内心穏やかではない。今の攻撃を止められなかったことが気がかりだった。

 一度抜かれはしたものの火神はすぐに体勢を立て直しブロックに跳んだ。火神はここまで緑間と対峙して彼のシュートモーションを、シュートまでの時間を把握していた。その上で止められるタイミングだと判断したからこそ跳んだはずなのに。それなのに緑間はその上を行った。

 

「火神君の高さが落ちたからではない。まさかここに来て緑間君のシュートモーションが早くなっている!?」

 

 同じことを疑問に思っていたリコが一つの結論に至った。

 緑間が長距離のロングシュートを撃ち続けることにより、精密な動きがより精錬されたのだろうか。これまで以上の早さでシュートを撃たれたらそれこそ緑間を止めることは困難になる。

 

(しかも集中力がいつ切れてもおかしくないこの終盤に、一人でシュートを決めてきた。一体どんな精神力をしていると言うの!?)

 

 第四Qにきても緑間の力は衰えるどころか凄みを増していく。

 やはり“キセキの世代”は伊達ではない。伊達に全国を制覇してはいなかった。真に常軌を逸した存在だと感じられた。

 

「ドンマイ! 切り替えていくぞ!」

 

 日向のスローインで試合が再開される。

 伊月がボールを受け取り、そしてすかさず――

 

「頼むぞ、黒子!」

「はい! ください!」

 

 マークが厳しくなる前に奇襲をかける。

 広い視野で黒子と周囲の敵選手の位置を確認し、チェストパス。

 黒子は片手を伸ばしてそのボールを掌に収めると、そのまま右足を軸として大きく回転。生まれた遠心力を利用して、ボールを一気に前方へと打ち出した。

 失点後、すぐに走り出した火神に向けてのパス。前半戦も火神に渡ったパスであった。

 

「そうはさせるか!」

 

 秀徳の選手達もその勢いに、対応の早さに反応できなかったが、ただ一人――緑間だけは違った。

 緑間は火神とボールの間に割って入り、ボールを叩き落とす。

 

「なっ!? 黒子の回転式長距離パスを」

「叩き落とした!?」

 

 バスケットボールとは思えないほどの球速であったというのに。

 黒子の新技さえも力ずくで破る緑間の荒業に、誠凛の選手達は息を呑む。

 

「アウトオブバウンズ。誠凛()ボール!」

 

 ボールは転々としコートの外へ。

 緑間はボールの行方を確認すると、ディフェンスに戻りながら黒子の姿を探し当て、呼びかけた。

 

「……当然ながら黒子、お前にもだ」

「緑間君……」

「やつの結末を知りながら、それでも未だに『仲間と助け合えば』などと戯言をぬかすお前に。俺は負けないのだよ」

 

 鋭い視線が黒子に向けられた。

 緑間はかつての出来事を後悔し、変えようと思った。しかし目の前に立つ黒子はそれをしようとしない。力がありながら強豪校に進学することさえ怠った。

 緑間からすれば、黒子が前から何も変わっていない、何も学習していないように思えた。そのような相手に負けることを許せるわけがない。

 反論の余地さえ与えず、緑間は黒子の横を通り過ぎていく。

 

「……わかっていますよ」

「むっ?」

「白瀧君の事は十分理解しているつもりです。彼を良く思わない相手に傷つけられたことも、圧倒的な力の前に挫折したことも」

 

 声に反応し、振り返った緑間に面と向かって黒子は言った。

 苦しげな表情を見せつつも、視線から目を逸らす事はしない。

 

「知っていてなお、お前は何も思わなかったとでも言うのか!?」

「ですが僕は、それでも白瀧君が再び立ち上がったことを知っている!」

「なっ――」

「もう一度皆を信じて戦うことを選んでくれたことも知っている!」

 

 緑間の激しい怒りに、黒子もまた強い意志で答えた。

 

「それなのに、僕達がその道を閉ざすんですか!? 白瀧君が戦っているのに、僕達が諦めるわけにはいかないでしょう!」

「ッ……!」

 

 一度はチームプレイを狙われ、そして仲間との力の差に絶望した。それでも白瀧は諦めることなく戦い続けた。

 だからこそ自分も仲間の為に戦い続けるのだと黒子は緑間に強く訴える。その黒子の姿が、

 

『これ以上お前はチームのことを考える必要はないのだぞ? お前はもう十分すぎるほど帝光に貢献した。それが誰もが認めることなのだよ』

『そう言ってくれるなよ緑間。……この前さ。ある人と話して、こんな俺をまだ頼って信じてくれる人がいるってわかったんだ。信頼されているのに俺が諦めるわけにはいかないだろ?』

 

(白、瀧……!)

 

 緑間には、昔の白瀧の姿と重なって見えた。

 かつて白瀧の怪我が治った時に、コートに戻ってきた時に見た姿と一致したのだ。

 あの時はその言葉を耳にして余計に痛々しいと思った。

 だが今は、違った。言葉が身体の隅々まで浸透する。白瀧の、そして黒子の強い覚悟がただ身に染みこんだ。

 

「本当にお前達は、何も悔やんではいないのか……!」

「走れ――!!」

「やべっ、ぼっとしてんな真ちゃん!」

「ぐッ……!」

 

 高尾に諭されて緑間は呆然としかけた意識を覚醒させる。

 ボールをコートに戻した誠凛は突如五人が一斉に走り出した。しかもチーム全体でボールを早く動かし、マークをかわしていく。

 ――ラン&ガン。誠凛は得点するために速い展開で勝負しに来た。

 

(しかも中々速い。連携の上手さが出たか……!)

 

 全国を知る大坪から見ても、誠凛のオフェンスは見事なものだった。

 巧みなパスワークであっという間に誠凛ディフェンスはゴールへと襲い掛かる。そしてついに、ゴール下で火神へとパスが通った。

 

「やはりフィニッシュは火神か!」

「とめろ、緑間!」

「言われずとも……!」

 

 エースで勢いづこうとしているのだろうがそうはいかない。

 ボールを取り、火神は即シュートフォームに入る。緑間はシュートは撃たせまいと即座に火神との間を詰めた。

 だがそれはフェイク。火神は跳ばずにバウンドパス。水戸部に渡った。

 

「水戸部……!」

「囲め! シュートを打たすな!」

 

 秀徳ディフェンスが再び動いた。大坪と木村が三戸部に迫る。

 

「いいえ、まだです!」

 

 だが、それでもまだ誠凛にはパスがある。

 水戸部は裏をかいて伊月へパスアウト。……したはずのボールは黒子という中継を得て、日向へと渡る。

 

「なっ、外……日向!?」

 

 絶妙のタイミングで日向へボールが渡る。

 ボールを受け取るはずだった伊月がスクリーンとなって宮地を引き剥がし、日向はスリーを決めた。

 (誠凛)58対65(秀徳)。

 

(なんで黒子があんなところにいるんだよ!? 駄目だ、もう全然目が追いつけねえ!)

 

 黒子を見逃すという失態を犯してしまった高尾が悔やむ。

 もう大丈夫だと思い込んでいたところに連続で黒子にしてやられた。高尾も精神的に厳しくなっていた。

 

「まだよ! 皆、当たって!」

 

 だが誠凛はここで追撃の手を緩めない。誠凛のベンチから監督のリコが指示を飛ばす。

 ここで流れを完全に引き寄せようと勝負に出たのだ。誠凛はオールコートを仕掛けた。

 

「ちいっ!」

 

 木村が悪態をつきながらも、マークをかわしてリスタート。ボールが宮地の手に渡る。

 日向のマークをかわしながらボールを運ぶ。すると高尾が緑間のマークについていた火神をスクリーンで引き剥がした。

 

「緑間!」

 

 その機を逃さず宮地は緑間へパス。

 危なげなく緑間がキャッチするはずだったが……そのボールを黒子が叩き落とした。

 

「なっ!?」

「黒子のスティール!」

 

 秀徳は緑間にボールを集めすぎたがために、黒子にパスコースを読まれてしまった。

 近くにいた伊月がボールを確保する。

 誠凛のカウンター。

 大坪と宮地の二人が先にディフェンスに戻り、伊月・水戸部との二対二の形になった。

 

「宮地、五番(伊月)につけ! 俺が八番(水戸部)につく!」

「わかった!」

 

 敵が攻め寄せる前に大坪が宮地に指示を出す。

 その言葉通りドリブル突破を図る伊月に宮地が、ゴール下に駆け込む水戸部には大坪がついた。

 伊月はミドルからジャンプシュートを狙う。宮地が後だしで跳ぶ。すると伊月は宮地の股下を通すように、ゴール下へボールを叩いた。

 

「水戸部!」

「なっ!?」

 

 冷静に広い視野を持ってパスをさばく伊月に宮地が驚愕する。

 ボールは水戸部へ。水戸部はバスケットに対し半身開いた態勢でシュートを狙う。

 

(フックシュートか!?)

 

 その動きで相手の狙いを悟った大坪が跳ぶ。

 

「……ッ!?」

 

 しかし、大坪の指の先をボールが越えていき、ネットを揺らした。

 (誠凛)60対65(秀徳)。第四Qを7分残し、誠凛が二本差にまで追い上げる。

 

「くっ……」

「まさか、大坪!?」

「大坪さん!」

 

 膝に手を置き、息を整える主将の下に仲間が駆け寄る。

 ……ここにきて、秀徳の大黒柱・大坪の高さが落ちてきた。前半戦から続いた徹底的なマークがようやく効果を発揮してきたのである。

 ブロックショットにリバウンド、大坪はここまでゴール下で果敢に戦った。だが彼の予想以上に疲労が蓄積していた。今も水戸部のシュートを簡単に許してしまったように。

 

『秀徳高校、タイムアウトです!』

 

 これを見た中谷はタイムアウトを申告した。

 事態の深刻さを敏感に感じ取ったのだろう。流れを止めるために選手達をベンチに呼びよせる。

 

「……どうですか、緑間君」

「……」

 

 コートに引き上げる途中、今度は黒子が緑間に呼びかけた。

 

「やはり一人で何もかも背負うなんてできないんですよ。

 僕だって火神君や先輩達と協力することでようやく秀徳と戦える。

 これはチームが一丸となって戦うからこそできることです」

 

 そう言い残して黒子は背を向け、誠凛ベンチへと歩いていく。

 

「少なくとも……白瀧君は自分のせいで緑間君が思い悩むことを望んでいないはずですよ」

 

 その一言が、なぜか異常なまでに緑間の心に重くのしかかった。

 それくらいはわかっている。白瀧とて言っていた、『俺のことは気にかけなくていい』と。

 ……それでも、それでも緑間は全てを受け入れることはできなかった。あの結末を後悔せずにはいられないのだ。

 

 

――――

 

 

 タイムアウトにより、1分間試合が中断される。

 会場の熱はそれでも冷めることはない。この間試合を見ている者達は『果たして試合がどう動くのか』と様々な予想を繰り広げ、試合再開はまだなのかと会場は期待に満ちた空気に包まれていた。

 それは小林達も同様で、秀徳の、誠凛の選手達を眺めている。

 

「……大坪ももちろんそうだが、両チームとも疲労が激しい。

 特に誠凛はゾーンディフェンスで相当体力を消耗したはずだ。さらにこの場面でオールコート。もはや気力の勝負だな」

 

 ベンチに戻り、監督の指示を耳に入れつつ補給を済ませる誠凛の選手達の姿は、見るからに疲弊していた。

 ゾーンディフェンスはマンツーマンよりも疲れが激しい。体力的にも、精神的にも。

 前列は高尾や宮地の揺さぶりに対応し続け、後列とて大坪・木村のインサイドを相手に戦っていた。火神は緑間と一対一。五人とも疲労はピークに達している。

 追い上げる形で、唯一流れが誠凛に向き始めていることだけが救いではあるが……

 

「両チームともそれは同じでしょう。ただ誠凛の問題は、残りの時間をどう凌ぐかですね」

 

 その流れが変わらないのだろうかと問われれば、答えは否である。

 白瀧は落ち着かないのか、秀徳のベンチ、誠凛のベンチと視線を右往左往した。

 

 

――――

 

 

 一分が経過し。両チームの選手達がベンチから出てくる。選手の交代はない。最後までこのメンバーで戦うという気持ちの表れだろう。

 日向は深く息を吸い、一度全ての緊張を空気と一緒に吐き出した。

 

「一瞬たりとも気を緩めるな! 当たるぞ!」

 

 そして再び気合を入れなおし、叫ぶ。誠凛はオールコートで当たった。

 

「宮地!」

 

 スローワーの木村から宮地へとボールが渡る。

 

「負けるものか! 走れ!」

 

 すると高尾・緑間・木村・大坪が一斉に走り出した。誠凛の選手達も並走してその姿を追う。

 あっという間に秀徳のコートは宮地と伊月だけの二人となった。

 

「ふうっ」

 

 宮地は一つ息をこぼす。ドリブルで伊月を左右に揺さぶる。

 タイミングを計っているのであろうが、伊月もフットワークを活かし、進路を塞ぐ。

 

(良い集中力だ。だけどな……!)

 

 しかし、秀徳レギュラーは伊達ではない。

 

「こっちだって意地があるんだよ!」

 

 一瞬のクロスオーバーで伊月を抜き去った。

 伊月が追いかけ、さらに日向が待ち構えるが、宮地は急停止からレッグスルーで突破しフリーの高尾へ。

 宮地の個人技でオールコートを突破する。

 

「ナイスパス!」

 

 高尾は黒子のスティールを防ぐため、高いパスを木村へと送る。

 木村はそのままミドルレンジからシュートを沈めた。

 

「よっしゃー!」

 

 (誠凛)60対67(秀徳)。秀徳はあわてることなく攻撃に成功した。

 

「落ち着いて! きっちり返していきましょう!」

「行け行け誠凛! おせおせ誠凛!」

 

 リコが選手達に激を飛ばし、選手達も声を張り上げる。

 まだ時間は残っているのだ。相手が歴戦の猛者だということは周知の事実。焦ることはない。

 誠凛は伊月がボールを運ぶ。ドリブルをしながら鷲の目(イーグルアイ)で冷静にコートを見渡す。

 マークの木村をドリブルで揺さぶり、突如トップから誰もいないはずの左45度へとパスを出す。

 

「まさか、黒子か!?」

「取ってください、火神君!」

 

 左45度にいたのは黒子。掌でボールを押し出すように叩く。大きな音と共に、ボールは打ち出された。

 ――加速する(イグナイト)パス。ボールの方向を変えるだけではなく、急加速がかかったそのボールは高尾が弾くことを許さなかった。

 バチィッと激しい音を立てて火神の手に収まる。

 

(なんだよそのパスは!? 速過ぎる……ってか、火神もあれ捕るのかよ!?)

「緑間っ!」

 

 初めて目にした凄まじいパスに戸惑いつつ、高尾は火神のマークにつく緑間を呼ぶ。

 

「行かせんぞ、火神!」

「うぁぁあああああ!!」

 

 手を上げ、火神の前に立ちふさがる緑間。

 火神の足はすでに限界だ。オフェンスにも参加は控えるように言われている。

 

(チームの期待に応えるのがエースだ!)

 

 しかしそれでも、火神は退かなかった。

 火神はありったけの力を込めて跳び、ボールをリングに叩きつけた。

 ブロックに跳んだ緑間の上から、火神のダンクシュートが決められた。

 (誠凛)62対67(秀徳)。誠凛、再び二本差に点差を縮める。

 

「……う、うぉぉおおお! す、凄え!」

「誠凛の10番、あの緑間からダンクを決めやがった!」

 

 一瞬の静寂の後、観客が今まで以上に沸きあがった。

 

「……馬鹿な」

 

 それに対し、秀徳の選手達は目を見開く。

 

「……おい黒子」

「はい」

 

 火神は驚く敵を他所に、黒子を呼んだ。

 

「監督の言うとおりだ。足が、厳しい。多分もうさっきみたいに跳べねえ、と思う」

「……はい」

「だから、お前も頼む。俺も監督に言われた通りに動くから」

「わかっています。僕もみんなの皆の期待に応えたいですから」

「そうかよ」

 

 ニッと笑みを浮かべ、火神は緑間のマークにつく。

 この時、たしかに試合の流れは変わった。

 

 

――――

 

 

「緑間の上から、ダンクを……」

「……緑間が吹っ飛ばされるとは、思いもしなかったな」

 

 周囲が湧き上がる中、光月や神崎は呆然として火神の姿に釘付けになった。

 練習試合、緑間の――“キセキの世代”の力を身をもって知った彼らにとって、今のプレイは信じがたいものだった。

 

「でも、ダンクなんてやって、最後までもつんですか!?」

「……少なくとも、もうあれだけの跳躍をする体力は残っていないはずだが」

 

 しかしダンクは体力を激しく消耗するプレイである。

 ただでさえ疲労していたというのに、このようなことをして大丈夫なのかと西村は不安げに呟いた。

 小林も彼に同意するが、しかし同時に火神のプレイを褒め称えた。

 

「だが、チームに勢いをもたらすという点では大成功だ」

 

 大坪が疲弊している今、秀徳にとって火神のゴール下は天敵。

 しかも緑間を越えてダンクを決めた。これはチームには勢いを、敵には大きな不安を残すことになった。

 秀徳の背中を追う誠凛を勇気付けるこのプレイは、少なくとも無駄ではない。

 

「……緑間」

 

 白瀧は一人、緑間の姿を視線で追う。ダンクを決められた直後からずっとだ。

 幾分か気落ちしている素振りが見られる友の姿を見て、酷く嫌な気分になった。

 

 

――――

 

 

「緑間で勝負しろ! すでに火神は限界だ!」

 

 中谷はベンチから選手達に声をかける。

 その視線の先では緑間に対して黒子と火神がマークについていた。

 このままでは緑間に回してもスリーを決めることは容易ではない。

 しかしそこに大坪が回りこみ、ディフェンスについていた黒子をスクリーンで引き剥がした。

 

「今だ! 行け!」

「頼むぞ緑間!」

 

 黒子のマークを外せば、今の火神だけでは緑間を止められない。

 高尾から緑間にパスが通る。すかさず緑間はトリプルスレットポジションからシュートを放とうとするが……

 

「させっか!」

「むっ!?」

 

 緑間の左腕を、火神が叩いた。

 

「ファウル! 誠凛()、10番!」

 

 審判に宣告され、火神は右手を挙げる。

 ディフェンスファウル、これで一時的にプレイが止まった。

 

「貴様……」

「俺もあんまり好きじゃねえけどな。でもま、お前を止めるのが最優先だ」

 

 緑間は火神をにらみつけるが、火神はその怒りを流すような素振りを見せる。

 おそらく、今のはわざとなのだろう。シュートを撃たれてはとめられない、だからこそシュートモーションに入る前にファウルで止めた。

 

「くっそ! いちいちムカつかせてくれるぜ、誠凛!」

 

 攻撃のリズムが悪くなり、宮地は苛立ちを覚えた。

 早く点を取り返したいところなのに、攻撃の組み立てさえ難しくなるとは。

 

(とにかく突き放さねえと、ますます相手を調子にのらせちまう)

 

 高尾からボールを受け取り、宮路は心を落ち着かせた。

 宮地は伊月をかわしつつ、再び緑間へパスを出す。……が、そのボールを黒子が叩き落とす。

 

「なっ……!?」

「黒子!」

 

 秀徳が緑間にボールを集めはじめたことから、パスコースを黒子が先回りしていた。

 しかも先ほどと火神がファウルでとめた時と違って、今度は緑間はスリーポイントライン付近にいた。範囲が狭まったことでスティールもしやすくなったのである。

 ボールを確保すると黒子は日向へボールを渡す。

 

「よっし! もう一本行くぞ!」

 

 秀徳からボールを奪い、波に乗る誠凛。

 日向から伊月へボールが渡る。再びインサイドの警戒が深まる中、伊月は左45度に立つ火神にボールをゆだねた。

 

「勝たせてもらうぜ、緑間!」

「……好きにはさせん。俺は負けるわけには……!」

 

 火神が切り込む。緑間がその動きを追い、必死に食らいつく。

 外からハイポストまで侵入するが、高尾のヘルプもあって迂闊に動くことができない。攻めきれないと感じ、火神は一時停止。ドリブルをしつつ態勢を立て直す。

 右に左に巧みにボールを操り……そして突如大きく腕を右方向に振るい、ボールを手放した。

 

「なっ……!?」

 

 ボールの先にいるのは黒子。そして黒子から水戸部へ、ローポストへボールが渡る。

 大坪をかわした水戸部がゴール下から確実にシュートを決めた。

 (誠凛)64対67(秀徳)。ついに誠凛は1本差まで追い詰める。

 

「もう少しだ! このまま攻めるぞ!」

 

 勢いに乗る誠凛は手を緩めない。

 得点の喜びもそこそこに、またオールコートでボールに迫る。

 

「勝つんだ! 絶対に!」

 

 

――――

 

「……誠凛は強いな。攻め時を理解している」

 

 勢いを活かし、怒涛のごとく攻め寄せる誠凛。このオフェンス力はもはや脅威だ。

 そしてこの勝負強さ。土壇場でここまで力を発揮することは難しい。

 

「これは、決まったな……」

 

 小林が試合の行く末を察し、静かに目を閉じた。

 第四Qに来て、流れは完全に誠凛のものであった。

 黒子のミスディレクションは高尾の鷹の目(ホークアイ)を完全に出し抜き、秀徳はターンオーバーが連発した。

 さらに執拗なオールコートで秀徳のボールを狙い、良く守り、良く攻める。

 

「……秀徳が、東京都の王者が……緑間が……」

 

 神崎も最後の攻防を見ながら、恐る恐る呟く。

 ボールは高尾から緑間へ。黒子のスティールを食らうも、必死にボールを追いかけ再び手に取る。

 残り時間は2秒。無理やり上体を起こし、緑間は自陣から最後のシュートを放つ。

 

「うああああ!」

「うおおおお!」

 

 そしてそのシュートは――火神の渾身のブロックによって、叩き落とされた。

 

『試合終了――!!』

「っしゃああああ!!」

「やったあ!!」

「勝った、勝った、勝った!!」

 

 この瞬間、勝者と敗者。命運がはっきりわかれた。

 試合終了の合図と共に歓喜の声を上げたのは、誠凛。

 五人がこの勝利を祝い、満面の笑みを浮かべて抱き合った。

 

「……負けた、のか……」

 

 緑間は誠凛の喜ぶ姿を見て、自分が敗れたのだという事実を理解した。

 しかしその呟きには感情がこもっておらず、咄嗟にでた言葉だったようだ。

 大坪は言葉には出さず口を閉ざし、現実を受け入れる。

 宮地や木村、高尾は信じられないのか、呆然と立ち尽くす。

 中谷やベンチメンバーも立ち上がり、コートを見つめるだけで、動けない。

 

「……終わった。整列するぞ、お前達」

 

 それでも、大坪の一言で全員が動き出す。

 

「78対75で誠凛高校の勝ち!」

『ありがとうございました!』

 

 誠凛が接戦を制し、決勝リーグへと駒を進めた。

 Aブロックで大本命と呼ばれた秀徳は、決勝戦で敗北を喫する。

 この瞬間、大仁多高校と秀徳高校の夏の再戦は、完全になくなった。

 

「……行くぞ、お前達」

「あの、大坪さんに声かけなくていいんですか?」

 

 試合を見届け、小林は早々に立ち上がり、その場を後にする。

 しかし好敵手が敗れたのに、何も話さなくてよいのだろうかと西村が小林に問いかける。

 

「いいさ。一番悔しいのは、俺ではないからな」

 

 小林は今一度秀徳の選手達の姿を見て、その必要はないと判断した。

 そう、一番悔しいのは負けた本人なのだから。だからこそ、小林は何も言わない。

 

「……すみません。ちょっと抜けてもいいですか?」

 

 だが白瀧はそうは思わなかったのか、不安げな表情で小林にそう言った。

 

 

――――

 

 

 体育館から一歩外へ出れば雨が降っていた。

 おそらく試合中に振り出したのだろうが、雨脚が強い。

 傘をささなければ外に出歩こうとは思えない。……そんな中、緑間は一人傘も差さずに立ち尽くしていた。

 

「……」

 

 何もせず、ただ空を見上げている。

 緑間は試合終了後、チームメイトと別れてずっとこの調子であった。

 負けて何も思わないわけがない。緑間は心の整理がついていなかった。

 見上げているため、顔にも雨が次々と降り注ぐ。

 ジャージまで濡れてしまうが、今は別に構わないだろう。そう考えていると――

 

「こんな雨の中、傘もささずに外にいたら風邪ひくぞ」

「……」

「ほら、やるよ」

 

 視線の先が、透明なビニール傘に変わった。

 そこにいたのは白瀧だった。白瀧は自分がさしている傘とは別のビニール傘を緑間に手渡し、使うように促す。

 

「……必要ないのだよ」

「馬鹿。らしくないぞ。人事を尽くすなら、こんなところで風邪をひいていられないだろ?」

 

 もはやいつものように言い返す気力もないのか、緑間は言われるがままそっと傘をさす。

 

「一つだけ聞かせろ、白瀧」

「……なんだ?」

「お前は後悔していないのか? あの結末について、何も思うところはないのか?」

 

 視線を白瀧に向けることはない。背を向けたまま緑間は白瀧に問いかけた。

 試合の最中から、黒子に過去のことについて話をしたときから気になっていたことを。

 緑間とて黒子の言うことは理解している。だが白瀧の口から直接答えを聞かなければ、到底納得できなかった。

 白瀧は何があったのかはわからないが、彼の言いたいことを理解し、口を開いた。

 

「後悔はしていない。

 たしかにかつての状態に戻りたいという願いはある。皆ともう一度戦いたいという思いはある」

 

 だけど、とそこで白瀧は言葉を区切る。

 

「俺はここまで本気で戦ってきた。その一瞬に対して常にベストの選択をしてきた。

 それでも、それでも結果として失敗したのならば、敗北したのならば。……それは逃れようのない結末だったということだ。

 だからこそ、俺はその結末を後悔はしないと決めたよ。過去を悔やむことで、今このときを後悔しないために」

 

 白瀧は怪我のことを悔やんではいない。あれはどうしようもないことだったのだと割り切っている。

 それよりは今が大切なのだと語る白瀧。その声に迷いは一切なかった。

 

「そうか。……それがチームを背負う者の覚悟か」

 

 答えを聞いた緑間はそのまま歩き出す。

 表情が窺えず、白瀧は心配になってもう一度呼びかける。

 

「おい、緑間!?」

「気にするな。問題はない、すでに結論は出たのだよ。……後は人事を尽くすのみ」

 

 緑間は立ち止まり、そう語った。

 

「……緑間?」

「お前も言っただろう、白瀧。――俺のことは気にするな。お前は先に進め」

「ッ……!」

 

 ようやく緑間は白瀧の方へと振り返り、口角を上げた。

 そしてかつて白瀧が緑間に言った言葉を、そのままそっくり白瀧に返した。

 

「今回は誠凛(やつら)に譲るとしよう。だが、次はこうはいかないのだよ。……冬だ。WC(ウィンターカップ)には秀徳(俺達)が進む。必ずな」

 

 表情に浮かんでいたのは殺伐としたものではなく、穏やかな笑みで。まるで中学時代、共に過ごしていた時のようなものだった。

 『俺が勝つ』ではなく『俺達が勝つ』と、そう言う緑間の姿は、負けた後とは思えないほど爽やかなものだった。

 

「……そうか。じゃあ、インターハイでは俺達が代わりに戦ってきてやるよ」

「ああ。お前も精々頑張るのだよ。……次は必ず、このような姿は見せん」

 

 緑間は今度こそ去っていく。おそらくチームと合流するのだろう。

 それを見て、もう大丈夫だと判断した白瀧も小林達がいるであろう待ち合わせ場所に向かう。

 

「誠凛か。まさか緑間を倒すとはな。おかげで秀徳との再戦がなくなった。

 黒子に、火神。……待っていろ。もうお前達は俺達の標的だ。必ずや、倒す……!」

 

 その胸に、激しい怒りと闘志を抱いて。


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