大友家。元々は、相模国(現在の神奈川県)愛甲郡古庄の郷司の近藤能成(一説には古庄能成とも言われている)の息子、大友能直からの出自と言われている。そんな一族はほぼ無名でありながらも源頼朝による抜擢されて、一族はその後、興隆の因となった点では、島津と共通している。
そして、能直は鎌倉幕府成立後に豊後・筑後の守護職を任される。また、大友家は元寇の時も武功を上げて、大友家の基礎をさらに固めた。
南北朝時代、後の室町幕府初代将軍・足利尊氏が九州の地にやって来た時に共にして上京し、京都を占領して尊氏は京にて、武家政権(室町幕府)を成立させる。
しかし、大友は、9大、10代が南朝や北朝に与したため大友家は氏継系と親世系に分裂してしまい、内紛がおこる。15代目の大友親繁で、ようやく落ち着くが、彼の死後再び内紛が発生してしまう。この時には一時、滅亡の危機に立たされたが18代目が内紛を鎮めて、19代目には肥後(現在の熊本県)に進出を果たすなどして戦国大名へと飛躍した。
20代目当主義鑑の時には肥後や筑後などに進出する。ところが、義鑑は後継者で問題を起こしてしまう。
次期当主義鎮(宗麟)は、義鑑の言うことを聞かず、また義鑑が選んだ近習や守役を傍に寄せ付けず、逆に宗麟が好みの者だけ置かれている。さらに馬や弓といった稽古をさぼる一方、蹴鞠や歌に明け暮れるばかり、その様子を見て義鑑は、宗麟を軟弱で乱世に生き残ることは無理だと思っている。さらに他の家臣からも宗麟を奇行が見受けられ民から人望もないと見られてしまう。
もちろん、宗麟をかばう家臣もいるが、武を磨く気のない当主では家を守れないと思っている。
それで、義鑑は、宗麟より溺愛している嫡男の塩市丸に家督を譲ろうとした。
しかし、大友家は代々長子が継ぐ決まりがあるが、家督の器のない者に家を任せるわけにはいかないと思っている。しかし、長子以外に継ぐのは争いの元で、反対する家臣も少なくない。しかし、それでも、武にさえていない宗麟より自ら懐き弓馬の稽古に励む塩市丸を好む義鑑。さらに、義鑑は「姉など存在せぬ、長子となれば」とこう発言し、宗麟を廃嫡させようとしていた。しかし、他の家臣からはそんな甘い響きではなく、宗麟を亡き者にしようとするのではないかとそう思う家臣は少なくなかった。
それに危機感を覚えた宗麟派の家臣達は立ち上がり逆襲にかかる。宗麟達が湯治に行っている間に宗麟派の家臣達は、大友義鑑の居館を襲撃、居館の2階にいた塩市丸ともに殺害された。
これが世にいう「二階崩れの変」である。
宗麟は、急ぎ湯治場から戻ると吉弘鎮理、戸次鑑連などとともに謀反人達を静粛させるため戦い続ける。
そして、ようやく敵を討ち、弔いも終えた大友家は、毅然とした態度に感銘し、大友宗麟を新当主として尽くすことになった。こうして、宗麟が21代目当主となったのであった。
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さて、ここは大友宗麟の居城の1つ、府内城。その軍議の間には、家臣一同がいた。そして、上座に座る金髪のロングヘアで、扇子を持つこの少女こそ大友宗麟である。
宗麟「さて、謀反人を静粛して、国がようやく落ち着くことができたわ」
宗麟がそう言うと家臣一同頭を下げる。
宗麟「だけど、ゆっくりしている暇はなさそうよ。龍造寺が肥前(現在の長崎県、佐賀県)を統一を目指して動き始めているいるわ。そして、島津は日向を取りに来て、南部分を支配下に置いた」
宗麟がそう言うと家臣一度はざわめく。
「静まりなさい皆の衆!」
静まるようそう言ったこの車イスに乗る少女こそ戸次鑑連、後の立花道雪である。
「けれど、義姉様。島津が日向の南を支配したとなると北をそろそろ取りに行くはず。そうなれば、島津と我が領内と接して攻めてくるかもしれません」
赤紙のロングヘアの少女――吉弘鎮理、後の高橋紹運が鑑連にそう言った。
鑑連「確かにそうです。伊東家では、勢いのある島津を止めれないでしょう。しかし、日向を完全に取るのには時間がまだあります。その間に兵を養って万全の状態で臨むべきだと私は進言します」
鑑連がそう言う。
家臣1「しかし、鑑連殿。それでは、相手に時間を与えてします。伊東家が島津を止められないなら、我々が伊東家に援軍を送り出して行き、島津と一戦すべきだと思います!」
家臣の1人が鑑連にそう反論する。
鑑連「そうしたいのは山々です。しかし、我々は先日まで先代の御屋形様を討った謀反人を静粛させるために戦いました。その戦いに体力をかなり消費しています。その状況で、島津と戦っても勝つ見込みはありません!」
「鑑連殿の言うとおりだ。まず、力を蓄えて、守りを固め、島津が我が領地に攻める準備を整えられる前に攻めて戦うべきだと思うぜ」
鑑連に同調する後ろ髪を縛る青年がそう言う。この青年吉弘鎮信、吉弘鎮理の兄である。
宗麟「その通りよ」
家臣2「宗麟様!?」
宗麟「鎮信の言う通りよ。戦っても疲弊している今の状況で大友が島津に勝つ見込みはない。ここは、国内を養い、相手が攻める前に攻め目ましょう。狙おうとする相手は、自分が狙われることには無頓着だったりするものよ」
宗麟が家臣達にそう言う。
「なるほど、宗麟様はそこまで考えていたとは、この蒲池鑑盛、感服いたしました」
宗麟に向けてそう言うのは、蒲池鑑盛で、大友家の中で義に篤い武将である。
宗麟「じゃあ、皆。国内を早急に回復を始める。いいわね。そして、回復したらとことん戦いましょう。相手が領地を狙うならこっちも狙い返して領地を広げましょう」
家臣達「ははあ!」
■
軍議を終えると家臣達は退出したが、宗麟、鎮理、鑑連、鎮信、鑑盛が残った。
鎮理「さて、宗麟様。国内回復を早急に行うけど、具体的にはどうするんですか?」
鎮理が宗麟に聞く。
宗麟「荒れ果てた土地を開墾して、石高を増やし、さらに南蛮との交易を活発的に行う。そのためには、港の整備は必要不可欠。そうすれば新しい武器や輸出入をすれば交易で得た利益から税を取り大友の疲弊を脱却できるわ」
鑑盛「なるほど」
宗麟の案に頷く鑑盛。
「姉上様。ここにいらっしゃいますか?」
襖からそう声が聞こえる。
宗麟「親貞か?」
「はい。失礼します姉上様」
そう言うと襖を開ける。そこに現れたのは、シスター服で年齢の少女とその隣にそのシスター服を着ている少女と同じぐらいと思われる少女。彼女の名前は、大友親貞。宗麟の妹である。
宗麟「親貞、また南蛮寺に行ったのね」
親貞「はい。疲弊しきった民に幸せが訪れるようにと祈ってきました」
宗麟の問いにそう答えた親貞。
鎮理「親貞様。民のことを考えるなら何かお知恵をください!それと千熊丸も親貞様にとがめるべきだろう!」
「ごめんなさい義姉上。私も何回言ったんですけど・・・」
親貞と年が近い少女、吉弘千熊丸にがそう言う。千熊丸は、吉弘家の実の子ではなく、養子である。千熊丸は、先の謀反の戦いにて初陣をして、宗麟から千熊丸という名をいただいたのである。
親貞「鎮理、千熊丸をとがめないでください。それに、そういう仕事は姉上様の仕事です。私には、そのような権限はないのです」
鎮理「しかし、親貞様――」
親貞「では、姉上様。失礼しました」
鎮理の問いただす前に親貞は、千熊丸を置いて出て行った。
鑑連「やはり、あの件が影響していますね」
宗麟「・・・・・・」
鑑連の言葉に宗麟は黙り込む。あの件、大友家のお家騒動、二階崩れの変である。
鑑連「二階崩れの変で、実の父――義鑑様が娘の宗麟様を亡き者にしようとした暴虐に反抗した家臣がお屋形様だけでなく、弟君の塩市丸様を殺されてしまった。その事件以降親貞は、南蛮信教に入り、深く信教してしまった。さらに、あのようなこともあり軍議の間はもちろん公の場や私的な場でも意見を言うことはしない始末です」
鎮理「しかし、義姉様。いくらお家騒動を引き起こさないためと言っても意見も言えない、軍議の間にもいかない。そして、南蛮信教に通い詰める。こんなことじゃあ、いつか家臣の中から親貞を・・・」
鎮信「鎮理!そんなことを言うんじゃない。思っていてもだ!」
鎮信が妹の鎮理にそう激怒をすると鎮理は黙り込む。
鑑盛「どうしましょうか宗麟様?」
宗麟「どうにかしたいのは、私も山々だけど、あれは親貞にとってあれは、悲しい出来事だったから。姉の私も大変よ。1日も早くあの頃の親貞に戻ってほしいんだけど・・・」
宗麟が鑑盛にそう言う。
千熊丸「(姉妹、ですか・・・)」
そんな話を聞いているうちに千熊丸は、あることがよぎった。そして、心の中でこう言った。
千熊丸「(兄様・・・)」