聖天子が東京エリアトップクラスの民警達に七星の遺産奪取の依頼を出した直後、レンは菊之丞に呼び出しを受けた。
普段であれば緊急時避難通路を用いて聖居へ招かれる。それは単なる民警であるレンが不定期とはいえ聖居へ頻繁に出入りしていることを隠す為に。
しかし今回は第一区に建つ天童家本家への呼び出し。これは聖居への呼び出し以上に稀なことだが、それでも初めてではない。
聖居ではなくこちらへ呼ばれるときは、菊之丞が聖天子にさえ隠したい話をするときだ。例えば、天童民間警備会社へ蓮太郎と木更、2人を監視する為に潜入するよう命じたときのように。
兎に角、そうして呼び出されたレンだったが、すでにその足は帰路についている。
菊之丞からの命令はたったひとつだった。
『今回の案件については手を出すな。ケースはあの男に奪わせろ』
それは聖天子の依頼とは真逆の内容であった。そして、それに対するレンの返答は当然、了承の一択。
疑問がないわけではない。菊之丞の聖天子への忠誠は本物だ。しかしそれは決してあの男がなにもかも聖天子の言いなりで動く、という意味ではない。
菊之丞は彼女の意志に反するときがある。だがそれは全て、彼女の為に。
だからきっと、
「やあ、昨日ぶりだね。民警君」
「蛭子 影胤」
「おや、私の名前を覚えていてくれたのかい。嬉しいね」
昼間でも薄暗い路地に怪しげな光が灯る。光は不吉に笑った。
「少し君と話がしたいんだ。付き合ってもらえるかい?」
尋ねているくせに路地からは常人であれば吐き気を催すほどの殺気が放たれている。断れば公然の場であろうと影胤はレンを殺すだろう。躊躇いなく。
レンはそんな殺気を受けるも表情に一切変化を見せないまま路地へ足を踏み入れた。
誘われたそこは路地の奥地。昼間でもほとんど光は届かず、人の気配も一切無い。
廃墟に等しいそんな場所でレンはふと足を止める。
前方に現れた、いや待っていたのは、紳士然とした正装に身を包む仮面の男、蛭子 影胤。そして彼に並び立つ小柄な少女、影胤の娘。たしか名前は小比奈だったか。
レンは影胤の姿を認めたのを確認すると、影胤はシルクハットのつばを摘んで腰を軽く折る。
「よく来てくれたね。嬉しいよ」
「別に。特に用事もないから」
「そうかそうか。ならばゆっくり話すとしよう。なにせ一時とはいえ私達は同僚なのだから」
レンの天然発言にも動じず返す影胤は、発言の最後の部分を強調するように言った。
影胤と菊之丞は繋がっていた。やはり、というほどのことではない。
天童家を出る前から影胤の気配はあった。それはつまり影胤もあの屋敷にいたのだ。
そして、まったくの他人を、それも聖天子にとっての敵を易々と懐に入れるほど菊之丞は衰えてはいない。
ふと、影胤は今思い出したというようにわざとらしく『そういえば』と前置いてレンを直視する。
「君の名前は?」
「明星 レン」
「明星君。うん、いい名だ」
「ありがとう」
聖天子に貰った名を褒められたことに素直に嬉しくなったレンの言葉。影胤にしても社交辞令なのか本心から出た言葉なのか、その態度から窺うことは出来ない。
異様な空気だった。
「ねえパパ、つまらない。暇だからあいつ斬っていい?」
今まで大人しくしていた小比奈が無垢な顔で影胤に伺う。表情とは裏腹に、発言の内容は彼女の狂気を表していた。
「よしよし。だがまだ駄目だ。話の途中だ」
「うぅー」
可愛らしく小比奈はむくれてしまう。
そんな会話にレンは困り顔で声を挟む。
「まだもなにも、斬られるのは困る。斬られると痛いんだぞ?」
「ヒヒ、小比奈に斬られて『痛い』で済めばいいがね」
肩を揺らす影胤は小比奈を一歩後ろへ追いやる。
「それにしても」影胤は顎に手をあてて「昨日も感じたことだが、君は少しばかり妙な人間のようだね」
「……蓮太郎達にもよく言われる。俺って変か?」
「この私を相手にそんな質問をしてくる辺り十二分に」
レンとしては普通のことを普通にやっているだけなのだが。中々不本意な気分だった。
「私が恐ろしくはないのかな?」
「なんで?」
さすがの影胤も虚をつかれたようで、次に口を開くまで一瞬間があった。
「そう問い返されるとは思っていなかった。そうだね――――言い方を変えよう。この見てくれは怖くないかな? 自分で言うのもなんだがかなり不気味ではないかな?」
「変な格好だ」
「言ってくれる」
「パパ、あいつパパを馬鹿にしてる。斬っていい?」
「駄目だと言ってるだろう。愚かな娘よ」
「うぅー! パパ嫌いー」
父を侮辱されたと思って怒ったのか、小比奈の純粋な殺気は確かに強くレンに向いていた。
それを制止していた影胤はそこでふむ、と唸った。
「では小比奈はどうだい?」
影胤は娘と呼んだ少女を示した。
「この子は私の研究成果でね。『呪われた子』を知る為に誘拐した女に対外受精とガストレアウイルスを施して産ませた私の子供だ。実は小比奈の他にも何人か同じように子供を産ませていてね。5年間の洗脳とトレーニングの後、子供達で殺し争わせて生き残ったのがこの子なんだ」
狂気の沙汰としか思えない所業を自慢するように堂々と語る影胤。
異常だった。異形だった。
影胤という男はすでに人の形をしていながら人の枠を踏み越えてしまっていた。
「見た目の無垢さからは想像も出来ないかもしれないが、小比奈はすでに何十何百という命を奪っている。人の命を、ね。私が命ずれば今すぐ君も殺すだろう。天使のように笑いながらね」
小比奈が腰にさげた二刀を見せつけるように少し抜く。影胤の言う通り、『殺せ』とひと言告げるだけで彼女は一切の躊躇いなくレンの首を落とすだろう。
その相手がたとえレンではなく女子供であろうとも。
先ほどの影胤への暴言が原因か、小比奈は隠しもせず殺気を放ちながらレンを睨んでいる。
それを正面から見据えながら、レンは答えた。
「俺にはわからない」
「わからない、とは?」
「わからないんだ。『呪われた子』とそうでない子供の違いが」
それはレンの本音だった。
瞳が赤い。身体能力が高い。
『呪われた子供たち』と他の子供の違いはそれだけではないのか。
瞳の色が違うことなどままある。蓮太郎や木更、菊之丞のように鍛錬の末、ガストレアに対抗出来るまで肉体を高めた者はいる。
体内にガストレアウイルスを保有している。やがてガストレアになる可能性を持っている。
一方で、ガストレアに遭遇してガストレア化する者がいる。不運な事故であるが、結果だけみれば同じだ。
ならば、皆がそこに感じる差とはなんなのだろうか。
瞳の色。尋常でない肉体。ガストレア化。
世間が、人間と『呪われた子』を分ける決定的な理由とはなんなのか。
レンにはそれがわからない。
「ふむ」
影胤から初めて道化のような軽薄さが消えた。
ギラついた瞳は真っ直ぐレンを見ていた。
「君は異端のようだ。私とも違った、ね」
興味深そうに影胤はレンを見やり、不意に白手袋の右手を伸ばした。
「どうかな明星君。私と共に来る気はないか?」
「今一緒にいるだろ?」
「そういう意味ではないよ。民警を、この世界を裏切ってこちら側に来ないかと訊いているんだ。実をいうと君にはそれほど興味はなかったのだが、いやはや君という存在は中々に面白い。是非とも一緒に来て欲しい」
冗談、ではないようだった。
おどけた調子は戻っているが影胤の誘いは本気だった。
「それはつまりお前と一緒に東京エリアを壊すのか?」
「ああ。東京エリアだけではない。いずれ世界の全てを混沌に叩き落とすのだ」
「断る」
静寂が落ちる。
両の手を広げて演説していた影胤はカクンと首を横に倒してレンを見る。
「何故?」
「
あの白い少女はみんなを幸せにしたいと言った。その『みんな』にはウルや延珠達のような子供達も含まれている。
その願いを叶える為にはここを壊すわけにはいかない。
そんなことを考えていたレンはふと思い出す。
「そうだ影胤」
「なにかな?」
「お前――――あいつを無能って言っただろ?」
直後、影胤は腹部が爆発したかのような錯覚に襲われた。
衝撃が影胤の胴体を吹き飛ばし、手足が遅れて引っ張られる。そのまま為す術なく背中からコンクリートの壁面に突っ込み、縫い付けられたようにしてようやく止まった。
「が、ふっ……」
「パパ!?」
仮面の口から赤い血が流れる。
悲鳴のような声をあげて小比奈が駆け寄る。
不意打ち、といえば確かにそうだった。しかし仮にも影胤は東京エリアを敵に回す男。いつ如何なる場面で敵に襲われても対処出来るよう常に警戒を解きはしなかった。それは今も同様である。
しかし、反応出来なかった。今の一瞬、レンの動きを影胤は追うことが出来なかったのだ。
「あいつは俺なんかよりずっと頭が良い。色んなことを知ってる。体は強くないけど、いつも夜遅くまで頑張ってる。誰より頑張ってる。――――だから、馬鹿にするな」
レンは怒っていた。
記憶を失い、感情というものを失いかけていた彼が、明確に怒りを露わにしていた。
「お前――――ッ!」
己の父を傷付けられた怒りによって小比奈の瞳が赤く赤熱する。同時に腰にさげていた二刀を抜いた。
ガストレアウイルスによって得た超人的な力を爆発させようと膝を曲げて力を溜めて、
「やめるんだ小比奈」
寸でのところで差し出された手によって止められた。
「でもパパ!」
娘の訴えにも影胤は取り合わない。
ダメージを引きずっているのか体をよろけさせながら、しかし両の足で立つ。
「――――ヒヒ」
俯き気味だった仮面が小さく揺れた。小刻みに、やがて大きく仰け反るようにして哄笑をあげた。
「ヒハハハハハハ! まさかここで、君を相手に、こんな楽しい気分にさせられるとは思わなかったよ!」
「なんだ? お前、痛いのが好きなのか?」
「――――ああ、私は闘争が好きなのだよ」
「変わってるな」
「よく言われるよ」
似た者同士かな、と影胤はキキキと嗤った。
「だが残念。そろそろ時間だ。君にかまけてレースに出遅れては元も子もないからね」
言うなり影胤と小比奈は路地裏の闇に溶けるようにして消えた。
「――――あなたは……」
入れ替わるように現れたのは髪を三つ編みに編んだ少女。こんな薄暗い場所に似つかわしくない少女は、あまり感情の見えない瞳でじっとレンを見つめていた。
レンはどこか少女の顔に見覚えを感じつつ首を捻って、ポンと右の手を拳にして左手を叩いた。
「防衛省にいた変なイニシエーター」
「心外です」
少女、
閲覧ありがとうございます!
>と、こんな感じで影胤さんとはまともに会話をしましたとさ。
>現状妄想の展開では実は影胤さんとの絡みが少なくなってしまいそうで、ここで出なければいつ出るんだと頑張って登場させました。だがしかし、ハレルーヤを言わせてあげられなかった……!