「三流喜劇もここまでくると笑えてくるものだね」
『誰です』
パネル向こうの聖天子が、部屋にいる全ての人間の視線がその声の方へ集まる。
一体いつからそこにいたのか。テーブルで唯一空席だった『大瀬フューチャーコーポレーション』の座席に足を投げ出して座る男がいた。
血のように赤い色の燕尾服。舞台役者の衣装のようなシルクハット。そして、不気味な笑みを象る仮面。
不吉を凝縮したような男は、仮面の向こうでキキキと笑いながらテーブルの上に土足で立った。
『名乗りなさい』
部屋の人間達が唖然とする中、聖天子は気圧されることなく問いかけた。
仮面の男は格好に相応しく仰々しい動作で腰を曲げる。
「これは失礼。私の名は
仮面の奥でギラついた目が歪に笑んだ。
「お前……っ!」
「フフフ、元気だったかい里見君。我が新しき友よ」
仮面の男、影胤の登場に反応を示した蓮太郎。応対する影胤を見ても、どうやら2人は顔見知り程度の間柄ではあるらしい。
レンは影胤に気を配りながら隣りの蓮太郎に訊ねる。
「こいつ誰だ蓮太郎」
「昨日出会った糞野郎だ」
「おいおい、その言い方はあんまりじゃないかな?」
喉奥で笑いを零す影胤。
「気を付けろ。こいつは昨日だけでも警官を2人殺してる」
蓮太郎が小声で注意を促してくる。声には強い緊張が感じられた。
「どっから入ってきやがった!?」
「その質問にはこう答えよう。正面から堂々と、ね。途中集ってきた五月蝿い蝿は何匹か殺したが……まあそれだけだ」
ゾワリ、と部屋の人間達の肌が泡立った。
影胤の声に緊張は見られない。高揚も、怒りも。
言葉の通り、この男はただ目障りだからと建物の人間を虐殺してここまでやってきたのだろう。
「おおそうだ。丁度いいタイミングなので私のイニシエーターを紹介しよう。おいで、
「はい、パパ」
蓮太郎の脇をするりと抜けていく小さな影。
気付けなかった。声がするまで、この少女が背後にいたことに蓮太郎は気付くことが出来なかった。
フリルをあしらった黒いワンピースを揺らし、ウェーブがかかった短髪の少女は父と呼んだ男の元へとてとてと進む。自分の目線ほどの高さのテーブルを四苦八苦しながらのぼり、ようやく影胤の横に立つと裾を摘んでまるで貴族のように粛々と頭を下げた。
「蛭子 小比奈。10歳」
「私のイニシエーターにして娘だ」
少女をイニシエーターと紹介する影胤。ならば彼自身はプロモーターだとでもいうのか。
無言の問に答えることはなく、影胤の仮面はパネル向こうの聖天子へ向いた。
「このレース、私もエントリーさせて貰おうか。無論」影胤はニヤリと笑って「得た賞品を――――《七星の遺産》を渡すつもりはないがね」
「《七星の遺産》?」
影胤の口から出たワードを蓮太郎が無意識に繰り返す。
誰もが聞き覚えのない言葉に困惑を示し、しかし聖天子だけが表情を険しくさせた。
それがおかしくて堪らないとばかりに体を捩らせ哄笑をあげる影胤。
テーブルの上でクルリと反転して両の腕を広げた。
「諸君! ルールの確認をしようじゃないか。私と君達、どちらが先に感染源ガストレアを見つけ出し遺産を得られるか勝負といこう。なに、おそらくケースはガストレアの体内に入っているだろうから殺せばいい。――――
「ぐだぐだとウルセェんだよ! テメエをここでブッた斬ればいいだけだろうが!」
背中のバスターソードを抜いて飛び掛かったのは将監。
誰もが影胤の作り出した空気に呑まれていた中、飛び出したのは、いや飛び出せたのは彼の肝が座っていたからか。
そして、飛び出せたのはもうひとりいた。
「!」
将監とほぼ同時。同じく一足で飛び掛かったレンを、将監は一瞬煩わしそうに睨むものの、今は影胤への攻撃に集中すべきと切り替える。
巨漢である将監の身の丈に迫る漆黒の大剣。丸太のような両の腕でそれを操り、渾身の一撃を叩きつけた。
一方でレンは引き絞った拳をただ真っ直ぐ突き出す。しかしガストレアの突進を真正面から受け止めたその華奢な体からは想像もつかない膂力で放たれる拳はコンクリートの壁を砕けるほどの威力がある。
2人の攻撃はほぼ同時に、影胤の横顔目掛けて放たれた。
だが、雷鳴と共にレンの拳も将監の剣も影胤に届くことなく止まってしまう。
「なに!?」
見えない壁。ギリギリと押し付けられた剣は、しかしそれ以上進むことはない。
「ざーんねん」
将監の目が見開かれる。仮面の奥で殺意が光った。
「下がれ将監!」
「下がってレン君!」
三ヶ島と木更が叫ぶ。
それを聞くやいなや、レンは連撃を加えようとモーションに入っていた将監の胸板を蹴って左右にバラける。
将監の怒声は、次の瞬間部屋中の人間が放った銃声に掻き消された。
レンは床を転がりながら体勢を立て直して影胤を見る。
部屋にいたプロモーターはもちろんイニシエーターや代表達、全員が撃ち尽くした弾丸は、しかし影胤に1発たりとも届いていなかった。全てレンの拳を止めたときと同じ、見えない壁に止められていた。
「バリア……?」
「斥力フィールド。私はイマジナリー・ギミックと呼んでいるがね」
驚愕する蓮太郎の呟きに、満足気に影胤が答えた。
「お前、本当に人間か?」
「勿論だとも。最も、これを発生させる為に内蔵のほとんどを摘出してバラニウムの機械に詰め替えているがね」
「内蔵を、機械に……?」
「改めて名乗ろう里見君。私は元陸上自衛隊東部方面隊第七八七機械化特殊部隊『新人類創造計画』蛭子 影胤だ」
「新人類創造計画?」
これまた聞き慣れない言葉にレンは首を傾げる。
しかし部屋の人間は、特に蓮太郎の表情は、影胤があの不可視のバリアを発生させたとき以上の驚きをしていた。
困惑する皆を代弁するように、三ヶ島が呻く。
「七八七……ガストレア戦争が生んだ対ガストレア用特殊部隊だと? 馬鹿な! 本当に実在するわけが」
「信じる信じないは君達の自由だ。――――ああ、それとこれは」
影胤は右手を掲げて、指を鳴らした。
「返そう」
「――――蓮太郎、木更伏せろ!」
影胤の指が高らかな音を立てると同時に空中で停止していた弾丸が、再び凶器となって無秩序に散らばった。
自分達で放った弾丸に襲われて民警達が倒れていく。
まるで戦争でもあったかのように荒れ果てた部屋の中心に立つのは影胤だけだった。
影胤は木更を庇って伏せていた蓮太郎に何事かを呟きながら小箱を渡し、小比奈と共にガラスを突き破って部屋から消えた。
「無茶苦茶だ」
レンはその背を見届けて珍しくぼやく。
「苦しいです」
はたと声に気付いて下を見る。可愛らしいつむじが見えた。
影胤が弾丸を跳ね返す直前、咄嗟に近くにいたこの子を庇っていたらしい。
掴んでいた肩を解放すると少女の抑揚のない瞳と目があった。
「…………」
「?」
基本口下手なレンだが、少女もまた似た者らしい。無言のまま、表情の無い顔を突き合わせている。
「あの仮面野郎がふざけやがってッ!」
傷付いた者達の呻き声の中で怒声が響く。見れば将監が荒れた様子で大剣を床に叩きつけていた。
こめかみから血を流している辺り、将監も傷を負っているようだったがあの様子ならかすり傷なのだろう。
「将監さん」
呟くような小さな声で少女が将監の名を呼ぶ。彼の元へ歩き出すところを見るに、どうやら彼女が将監のイニシエーターのようだ。
別段止める理由もなく離れていく少女を見送るレンだったが、ふと少女の足が止まりこちらを振り返った。
「何故、私を助けたのですか?」
声は、表情と同じように平坦なもので落ち着いていた。
しかし口調とは裏腹に瞳には揺らぎがあった。
困惑。動揺、だろうか。
少女に問われたレンは腕を組んで唸りながら首を捻る。
「助けるのに理由がいるのか?」
その答えに今度こそ少女の黒目がまん丸になった。
だがすぐにそれは虚ろなものに戻り、ふいと顔をそらして己の主のもとへ行ってしまう。
「変な奴だな」
多分、少女がこれを聞いていれば『あなたに言われたくない』と反論したことだろう。
閲覧ありがとうございますー。
>連日投稿なんていつぶりでしょうか。もう少し話を進めたら他の作品を書くのでまた少しストップですが。
>てなわけで、現状中々出番の多い将監さんと、まだ名前すら出てない夏世ちゃんです。夏世ちゃん可愛いぜ!原作でも好きだったぜ。でも最後は……ああ……。
そして小比奈ちゃんも登場したわけですので、1巻のロリっ子達はこれで全員登場しましたかね。ほんとこの作品は文字通りの女の子達が可愛いから困ります。しかもみんないい子なのだもの。
新しい扉が開いてしまった方も多々いたかと思われます。お気持ちお察しします。