【完結】ブラック・ブレット ━希望の星━   作:針鼠

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だから……

 天童 菊之丞。

 

 政界の怪物天童の君臨者にして、東京エリア国家元首補佐官。表と裏、どちらの世界をも牛耳る実質的な東京エリアの支配者。

 齢60を越えて尚眼光だけで人を竦ませる威圧感を持ち、実際天童式抜刀術免許皆伝という実力の持ち主。

 

 そんな男の太い白眉が怪訝にしかめる。レンから語られる2人の人物の、およそ1ヶ月の監視報告に対して。

 

 その2人とは天童 木更。そして里見 蓮太郎。

 前者は孫娘。後者については、続柄を語るにもどういっていいのかわからない。

 ただ言えることは、2人共に見込みがあった(・・・)ということだ。

 

 レンから語られた2人の監視報告はこれで4度目となる。今日までの2人の成してきたことを総じて、菊之丞は無駄であったと冷たく切って捨てた。

 

 己を含めた天童に復讐を誓った木更は未だ修羅になりきれず停滞している。

 蓮太郎も同じ。そんな木更を支えたいのか、それとも共に堕ちたいのか、まごついている。

 

 どちらも中途半端。それではなにも成せず。なにも掴めない。

 

 

(目的があるならば手段は選ぶなとあれほど教えたものを……)

 

 

 失望のあまり怒りすら湧いてこない。

 

 

「貴様を行かせたのも無駄であったな」

 

 

 菊之丞はそこで今日初めて呼びつけた少年へ目を向けた。

 

 言葉に労いのつもりはない。独り言に等しい単なるぼやきのようであった。

 しかし、

 

 

「そんなことはない。菊之丞にとってはわからないが、俺にとって蓮太郎達と一緒にいられることは無駄じゃなかった」

 

 

 ともすれば反論にも取れる言葉をレンは躊躇なく吐いた。実質日本の5分の1を支配する東京エリアの怪物へ。

 

 菊之丞への反論など、東京エリアに住む者ならほとんどの人間は青ざめる行為だ。ましてや政治家や軍関係者といった権力者ならば尚更。この場にいたならばさぞ肝が冷えたことだろう。

 

 鷹のような鋭い目つきでレンを睨む菊之丞だが、遂にレンに断罪が下されることはなかった。そも、菊之丞とレンはそういった関係ではない。

 

 出会いはそう、菊之丞が、6歳になった蓮太郎を引き取ってしばらくしてからのこと。

 かつての埼玉。現在外周区となったそこは、当時まだ瓦礫の山と生々しい腐敗臭がたちこめる地獄の一丁目であった。

 レンはそこで倒れていた。――――もっと正確にいえば、彼女(・・)が見つけたのだ。

 

 以来、菊之丞は彼女が願うままレンを育てた。名前以外のほとんど全てを失ったレンに一から一般常識を教え、戦い方を教えた。

 ただし、決してそれは菊之丞が蓮太郎にかけたような期待をレンに抱いたのではない。ただ彼女がそう願ったから。

 そしてもうひとつ思惑があったとすれば、万が一、レンが彼女の壁になれるように。

 

 

「――――ついてこい」

 

 

 不意に菊之丞は資料を机に置いて立ち上がる。相変わらずな物言いで命令すると、レンがついてきているか確認もせず部屋を出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ほどなくして着いた扉の前で菊之丞はようやく後ろの一度だけ見やって確認する。そうしてから扉をノックした。

 

 

「どうぞ」

 

 

 扉の向こうから返ってきたのは若い少女の声。しかし菊之丞は今までの高圧的な態度から打って変わって、開ける前の扉の前で恭しく一礼してから静かに扉を開けた。

 そこに儀礼的な意味や下心などはなく、少女に対するただただ真摯な姿があった。

 

 失礼致します、という菊之丞の言葉と共に開けられる扉。

 

 扉を開けるなり頭を垂れたまま動かない菊之丞の横を通り、レンは部屋へと入る。

 

 まず最初に目に入ったのは天幕のさがった大きなベット。次いで丸テーブルに2脚の椅子。他にはシンプルなデザインの化粧棚等など。

 そのどれもが眩むような白色を基調としていた。

 

 先ほどの声の主は、ベットでも部屋の中央のテーブルでもなく、窓際に佇んでいた。

 

 可憐な少女だった。

 

 歳は蓮太郎やレン達と同じくらい。しかし身に纏う雰囲気というのか、風格は比べ物にならない。

 部屋と同じ純白の服はまるでウエディングドレスのようにも見えて、或いは天の使いたる羽衣のようでもあった。木更も充分な美人だが、目の前の少女のそれはまた違う、どこか人間離れした美しさがあった。

 

 聖天子。

 

 東京エリアの国家元首にして、菊之丞の上に立つ唯一無二の人間。

 

 

「菊之丞さん、どうかなさいました――――」

 

 

 窓の外へと向けていた視線がこちらへ向く。

 透き通るような声音は、扉の前に立つ菊之丞、そしてレンを見ると不自然に止まった。

 僅かに聖天子の目が驚いたように見開かれ、急に俯いてしまう。

 再び顔を上げると、表情はすでに取り直していた。

 

 

「お久しぶりです、明星さん。今日は菊之丞さんとお仕事のお話ですか?」

 

「いいえ、もう終わりました」

 

 

 答えたのは菊之丞。相変わらず頭は下げたままだった。

 

 菊之丞は『では』と言ってそのまま部屋の外へ体を出し、音をたてず扉を閉める。

 部屋にはレンと聖天子が残された。

 

 しばし静寂。

 

 

「――――レンッ!」

 

 

 それを破ったのは無邪気な少女の声だった。

 なんとそれは先程まで菊之丞並の威厳さえ感じさせた聖天子の口から出たものだった。どころか、彼女は小走りにレンに駆け寄るなり無防備に抱き着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お久しぶりです! 本当に……久しぶり……。元気にしていましたか?」

 

 

 言葉の端々に、というか表情から行動まで満遍なく喜びを露わにする聖天子。その姿は歳相応の少女そのもので、普段の彼女を知る者達が見ればまず偽物だと思ってしまうほど今の彼女ははしゃいでいた。

 それは彼女自身自覚している。らしくないということも。

 しかしそれでも抑えきれない感情の爆発がこの一時、彼女に立場も義務も忘れさせた。

 

 

「元気だ。お前は相変わらず細いな。ちゃんと飯、食べてるのか?」

 

 

 言いながらレンは無遠慮に聖天子の体を触る。

 断じてそこに邪な気持ちはなく、レンにとって言葉以上の意図はない。

 

 

「ええ」

 

 

 故に聖天子も拒絶することはない。ただその白い肌はほんのり赤く染まって見えた。

 

 

「ならいい」

 

 

 ふっ、と安心したのか穏やかにレンは微笑む。

 

 絶世の美女と言って過言ではない聖天子に抱きつかれてもレンは動揺のひとつもない。拒絶することはなく、しかしそれ以上踏み込んだ行いも無い。

 だから、いつも最初も最後も聖天子の方から抱き着いて、また離れるのだった。

 

 それが少しだけ、ちょっぴり、かなり、彼女は気にしていたりした。

 

 

「? ――――レン、その手……!」

 

 

 離れ際の感触に違和感を覚えて聖天子が視線を落とすと、包帯でグルグル巻きにされたレンの右手が目に入った。

 急に青ざめた顔で聖天子は両の手でレンの手を包み込む。

 

 

「今日少し怪我をしただけだ。問題ない」

 

「見せてください!」

 

 

 有無を言わさず包帯を剥がしていく。やがて曝け出された手のひらに傷はなかった(・・・・・・)

 

 

「大丈夫だって言っただろ? お前はいつも心配性だ。俺はみんなよりずっと頑丈なんだ(・・・・・・・・・・・・・)

 

「…………」

 

 

 聖天子の表情が曇る。

 

 

「……包帯を巻き直します」

 

「もう治って――――」

 

「巻き直します!」

 

「…………」

 

 

 レンを無理矢理ベットに座らせて、聖天子は棚から救急箱を取り出す。箱の中から一度も使われた様子のない新品さながらの包帯を取り出して、聖天子はまるで跪くように床に膝を折ってレンの右手に包帯を巻き始めた。

 彼女を狂的に信奉する者達がみれば発狂ものの光景だった。彼女に傅くことこそあれ、彼女が誰かに傅くなどあってはならないのだから。

 

 しばらく、無言のまま聖天子の治療が続く。

 

 

「怒ってるのか?」

 

「怒ってません!」

 

 

 本当にわからないというようにレンは首を傾げる。それが聖天子は余計に腹立たしい。

 彼は昔からそうだった。

 

 レンと聖天子は幼いときから一緒だった。

 

 当時、まだ彼女が聖天子の名を継いでいない頃、彼女は菊之丞を供に現在の外周区を見回っていた。幼い頃より次代の聖天子として英才教育を受けていた彼女だが、心の内に元より秘める善なる魂は人一倍であった。

 ガストレアによって破壊された街々を知識として知るのではなく、実際にこの目で見て、臭いを嗅ぎ、触れることで国民の気持ちを一緒に感じたいという彼女の我儘であった。

 

 惨状は、彼女の想像を絶するものだった。

 建物は破壊され、至る所から腐臭が漂う。耳を澄ませば瓦礫の下から人の呻き声の幻聴が聞こえてくるほど生々しい地獄がそこにあった。

 だから、最初は彼の存在もまた幻かと思った。

 

 うつ伏せで倒れる子供がいた。毛布かなにかのボロ布を纏っただけの格好で、打ち捨てられたように路上に転がった男の子。

 投げ出された手がピクリと動いたように見えた。

 

 菊之丞の制止も聞かず駆け寄って抱き上げる。弱々しい呼吸音。しかし確かに生きていた。

 それが嬉しかった。

 この地獄で、これほどの地獄をいずれ変えねばならないことに折れかけて心が救われた。たったひとつの命の鼓動が、彼女にとってはかけがえのない希望だった。

 

 その後は菊之丞の迅速な手配で少年の、レンの命は救われる。しかし彼は記憶の全てを失っていた。言葉を話すことも出来ず、悲しむことも怒ることも、ましてや喜ぶこともない。ただ無表情で呻くだけだった。

 いや、ひとつだけ。彼はひとつだけ覚えていた。

 

 ――――レン、と。

 

 後に聞いたが、それが唯一レンに残された記憶だったそうだ。

 女性の顔。そして彼女が言った『レン、生きて』という言葉。

 

 その女性がレンにとって誰だったかなど考えるまでもない。

 

 

「記憶は、戻らないのですか?」

 

「ああ」

 

 

 レンはおかしなほどあっさりと答える。むしろ辛そうなのは聖天子の方だった。

 

 レンは、菊之丞と聖天子のおかげで今では日常生活に問題がないほど常識や教養といった知識を得た。しかし感情ばかりはそう簡単にはいかなかったのだ。

 感情が無いわけではない。ただレンは感情の起伏が普通の人よりずっと乏しい。

 故にレンは悲しむことが出来ない。それが聖天子には悲しくて仕方がない。

 

 

「なんでいつもお前の方が泣きそうなんだ」

 

 

 そっと差し出される右手が聖天子の頬を撫でた。

 

 

「俺には記憶が無い。でもお前が俺に名をくれた。菊之丞にも戦い方や知識をたくさんもらった。だから俺は寂しくない。だから……だから……」

 

 

 突然うーんと首を傾げ始める。多分、続く言葉が出てこないのだろう。

 

 クスリと聖天子は思わず笑ってしまう。何故なら困った様子のレンのその顔があまりにも子供っぽくて。

 

 

 ――――だから、泣かないでくれ。

 

 

 もしそんな言葉をレンが言いたかったのだとしたら。

 

 彼は感情が無いわけではない。ただ、他人より心を表に出すのが不器用なだけだ。

 

 

「はい、包帯巻き終わりましたよ」

 

 

 聖天子は立ち上がるなりレンへ背を向けた。今の顔を見せるのは、いくら幼馴染であっても……否、彼だからこそ見せられないと思ったから。

 

 

「…………」

 

 

 レンは包帯が巻かれた右手を見やる。まるで人を撲殺出来そうなほど何重にも白い布は巻かれていた。




閲覧ありがとうございますー。

>やっぱりノルマ的な執筆じゃなく書きたいときに書きたいものを書くと妄想……もとい、執筆も進みますね。まあ文字数がいつもの半分な感じなので結局分割しているようなもんですが。

>というわけで、乙女な聖天子様を書きたいというこの作品の最大の目標を達成致しました。
これ聖天子様に限ってキャラ崩壊タグを追加すべきか悩みどころです。

>ちなみに、聖天子様とレン君は便宜上幼馴染という言葉を使いましたが、実際どんな関係かというと、レン君に名前(苗字)をつけた人であり、菊之丞さんと一緒に言葉やらを教えてくれた人であり、命を救ってくれた人であり。
聖天子様からするとレン君は菊之丞とは違った唯一心許せる同い年の友達(友達以上?)であり、ガストレアが蔓延る地獄の中で見つけた希望です。

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