ガストレアウイルスは主に血液感染、或いはガストレアに襲われ直接ウイルスを注入されることで生物はガストレア化する。一般的に空気感染はしないといわれているが、一部例外が存在した。
口から体内に入ったウイルスは本来ならば定着することもなく体内で死滅するのだが、それが妊婦の場合、体内に蓄積され稀に腹の中の胎児に感染しそのまま生まれてくることがあるのだ。
そうして生まれた赤子は皆ウイルスに対する抑制因子を持っており異形化することこそないものの、いくつか共通点を持っている。
ひとつは協力なウイルスが遺伝子にまで作用した結果、生まれてくるのは皆少女だった。そしてもうひとつの共通点は、異形化ガストレア達と同じ赤い眼をしていることだった。
姿形はヒトなれど、彼女達はやはり産んでくれた母、父とは違う『なにか』だった。故に彼女達はこう呼ばれる。
――――呪われた子供たち、と。
★
「死ぬ前になにか言い残したことはある?」
そんな物騒なことを
花の女子高生の口から真っ昼間から出てくる言葉とは思えない。しかし彼女の目は本気だった。
陶器のような白い肌。対称的に生まれてこの方染めたことなど一度もないであろう艶やかな漆黒の髪。美和女学院の黒いセーラー服姿で、木更は事務所の内で最も立派な社長机に腰を下ろしている。
木更の前で直立させられている蓮太郎は耐え切れず目を逸らした。
「す、過ぎたことはしょうがねえだろ」
「この――――お馬鹿!」
「うおぉっ!? 危ねえ!」
「なんで避けるのよ腹立たしいわね!」
わーぎゃーと机を挟んで幼稚な攻防を繰り広げる2人を眺めて、事務所の応接用のソファーに座ったレンはひと言。
「2人はいつも仲が良いな」
「「よくない!」」
見事にハモった。
「大体レン君? 貴方も里見君と同罪なのよ!」
「そうだぞレン! なんで俺ばっかり木更さんに怒鳴られなくちゃいけないんだ!」
「お黙りなさいです根暗コンビ。わたしのレン君に罪などあるはずがねえです。あれはそこのマヌケ三白眼がおマヌケだっただけです」
矛先が一斉にレンへ向く。それを一喝で制したのは、現在レンの手にせっせと包帯を巻くウルだった。
ちなみに、すでに人を撲殺出来るくらい幾重にも巻かれた包帯は、少女の心配が目に見えて現れているようだった。
「それにあそこには貴方が助けた警察がいたんでしょう? 連絡を入れれば報奨が出るんじゃないですか?」
「それだ!」
どうでもいいと投げやり感たっぷりのウルの言葉だったが、蓮太郎はその意見を解するとすぐに携帯を取り出して警察へ電話をかける。
ワンコール待たず出たオペレーターの女性に多田島という警部の名を伝える。
しばらくして、壮年の男の気怠げな声が電話に出た。
『もしもし。多田島ですが?』
「多田島警部か? 俺だ! 民警の里見 蓮太郎だ」
『おー、先程はどうも。民警殿』
どこか皮肉ったような多田島。しかしそこに多くの警察が抱くような心からの嫌悪はなく、旧友との挨拶代わりのような印象が受けられる。
元々現場を踏み荒らす民警を、ほとんどの警察は好んでいない。現場の末端とはいえこうしてパイプが出来ることは蓮太郎にとって有益なことであった。
だが今はそんなことはどうでもいい。
「警部、悪いがさっき仕留めたガストレアの報奨をまだ受け取ってないんだが……」
電話向こうで多田島はしばし沈黙した。何故か、蓮太郎の脳裏に嫌な予感が過る。
『んんー? おっしゃってる意味がわかりませんなぁ、民警殿?』
「――――な、あんたしらばっくれる気か!?」
『いえいえ滅相もない。我々警察は誠実がモットーですよ』
思わず素の言葉遣いが出てしまう蓮太郎。
対して多田島はまるで敬っていない敬語を、しかも煙草を吸いながら応対しているのかわざとらしく息を吐く音を聞かせてきた。
『ただねえ』
紫煙をくゆらせる中年オヤジのにやけ顔が浮かんだ。
『ガストレアの死体などどこにもないので本当にいたかどうか』
「そんなわけ――――」
蓮太郎は言いかけて思い出す。ウルの拳で分子レベルまで粉微塵にされたガストレアの最期を。
『よしんばいたとして、本当に貴方が倒した証拠がないとねえ。申請は出しとりますか、民警殿?』
「……地獄に落ちろ」
『まあ過ぎたことだし今回はサービスってことにしようや。次の事件の時は優遇してコキ使ってやるからよファハハハハハハハ――――』
ガチャリ、と電話は切られた。
蓮太郎はしばらくツーツー、と鳴る携帯を耳に当てたまま固まっていた。
「里見君、なにか言い残したことは?」
満面の笑顔で木更はスラリと鞘から刀を抜いた。
天童 木更は天童式抜刀術と呼ばれる居合の達人である。何故このタイミングでそれを思い出すのかというと、これより身を持って知ることになるからである。
★
1階にゲイバー。2階にキャバクラ。4階には闇金という集客要素皆無なビルの3階に天童民間警備事務所は構えている。
社長の木更は元々の育ちの良さ故にか、絶望的に商才、特に接客能力が無いのである。彼女曰くそれは誇り高いというのだそうだ。
ほぼ毎日顔を合わせていれば立派な顔馴染みとなったキャバクラやゲイバーの従業員達にすれ違いながら挨拶をかわし、レンは東京エリアの街を歩いている。ウルは事務所で留守番中である。
東京エリアの街並みは、以前に比べればずっと賑わいでいる。それはガストレアが出現する前に近づきつつあるらしい。
――――らしい、というのには理由がある。
レンには5歳より前の記憶がない。
そしてそれは決して珍しい話ではない。
およそ10年前のガストレア大戦。多くの死者と共に、残された者達の心には深い傷跡を残した。友人。恋人。家族。
目の前で化け物に喰われる様を、或いはその化け物となっていく姿を目の当たりにして正気を失う者は多くいた。
防衛本能が心を守る為に記憶を消すこともやむないことだった。
おそらくはレンもそんな犠牲者の1人だったのだろう。
「…………」
賑やかな大通りから、レンの足は少しずつ人通りの少ない路地へ向く。
しばらくして、完全に人がいなくなったのを見計らったかのようなタイミングで1台の黒塗りのリムジンが横付けされる。
後部座席の扉が自動で開かれ、レンもまた躊躇いなく車に乗った。
車が揺れる。どうやら走りだしたようだ。
外からもそうだったように、扉のガラスは内側からでも外が見えないようになっていた。おまけに運転席との間にまで分厚いスモークガラス。
広いスペースも相まって、さながら檻のようだ。
そうして外の見えない車に揺られること数十分。揺れが止まった。
乗ったとき同様勝手に開いた扉から降りると、リムジンは静かに発車して薄闇に消えた。
降ろされた場所は中々に広い空間だった。ただし人気はおろか物ひとつない。足元から天井までぐるっとコンクリートの壁に囲われた殺風景な景色。例えるならビルの地下駐車場だ。
レンは車が去っていった方向とは逆の道を歩き出す。
一本道とはいえ淡々と歩くレンの歩調を考えれば、今ここにいる建物の全貌がかなり広いものわかる。しかし相変わらずそこがどこなのか、わかるような目印はない。
やがて、道の終わりに階段が現れた。
螺旋状の階段を、これまた昇ったり降りたりを繰り返すことしばらく、ようやく永遠に思える灰色の世界に変化があった。
重厚そうな扉をレンは包帯の巻かれていない左手であける。
「――――――」
人が、待っていた。
レンが辿り着いたのはおそらくは執務室。
部屋の立派さに反して絵画や装飾品といった遊び気が一切なく、あるのは資料が収まる大きめの棚と机くらい。部屋の寂しさでいえば先ほどまでと変わらない。
そんな部屋の主は執務机について、部屋唯一の椅子に腰を落ち着け仕事をしていた。
全体的に洋風な造りの部屋でありながら本人の格好は袴姿と、かなりの違和感を覚える――――が、部屋の主、天童
キィ、とキャスターが軋む。椅子に座ったまま菊之丞はレンを見やる。
「始めろ」
菊之丞の有無を言わさぬ物言いに、しかしレンは口答えすることなく話す。
天童 木更。そして里見 蓮太郎の
閲覧ありがとうございますー。
>投稿してから思いました。あれ?主人公は??
>本当ならば聖天子様の登場までいきたかったのですが、それを合わせると少しばかり長くなりそうだったので短いながらここで投稿致しました。
次の更新はこっちか問題児か……。今なお悩んでおります。