なのたばねちふゆ   作:凍結する人

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戦い済んで日が暮れて(Ⅱ)

 海鳴市海上。つい一週間前に最終決戦が行われた場所には、ビルを模した形の訓練用のレイヤー建造物が立ち並んでいた。所々で半分沈んでいたり傾いていたりもするので、たった数時間で構築されたと知らずに見たら、洪水で水没した都市のように見えるだろう。

 その中央に、他のビルとは明らかに形の違う一際高い構造物があった。どこまでも四角四面な周りと違い、その天井にはガラス張りのドームが作られており、そこに二人の少女が、それぞれの戦装束を着込んで相対している。

 

「……」

「……」

 

 二人、言葉は交わさない。それも当然のこと、どちらも得物を握り締めて相手に向けているのだ。抜き打ちと言うより、既に抜いて狙いを定め、後は撃つだけという所か。こういう場合は先に動いたほうが不利になるので張り詰めた空気は淀みなく、しかし凍りついたように止まっていた。

 だが、なのははその硬直をあえて破り、問いかける。

 

「ねえ、フェイトちゃん」

「……」

 

 向かい合うフェイトの持つ斧が展開し、鋭い刃の鎌へと変わる。一手損した。

 

「あの時は最後まで言えなかったから、もう一度言うね」

「……」

 

 魔法陣が展開し、これで二手損。それどころか、既に一撃食らってしまっていても何ら不思議ではない間合いと隙を晒してしまっている。しかし、フェアを貫くつもりなのかフェイトはあえて攻撃してこない。だからなのはは続ける。戦う前に、せめてもの言葉を。

 

「私、フェイトちゃんの友達になりたい。伝えたいこと、話したいことがいっぱいあるから」

 

 それがなのはの戦う理由だ。力を競うためでも、打ち倒すためでもない。

 なのは自身、なんだか昔と全然変わってないなぁと呆れてしまう。三年前、生きているのが心底嫌そうだったある女の子にぶつかっていった時の拡大再生産。まっすぐぶつかるその方法が、自分のげんこつから魔法に変わっただけだ。

 不器用な自分にはそういう不器用なことしかできない。だからこそ、手は抜けないし、抜くつもりもないし、抜きたくなかった。いつだって、どんな時だって、全力全開でいたいから。

 

「だから、来て。まずは戦って、決着がついたら、答えを聞かせて」

 

 杖を構えただけのなのはの懐へ飛び込むのを、フェイトは最後まで躊躇していたようだったが、この一言に押されて地を蹴り前進する。

 否、その行為に前進という表現は適さない。短距離ながら全てのマルチタスクを移動術式の構築に回して眼前の敵へ迫るそれは、正に瞬転。

 

(取った!)

 

 フェイトは確信する。相手の思考はまだ、眼前にあるフェイトの存在すら掴めていないだろう。

 そのまま、両手で振りかぶり、防御の整う遥か前に回避不能のゼロ距離攻撃を、相手の杖と身体の急所へと叩き込む。フェイトが持つ早さを最大限活かした一撃離脱戦法だ。相手は所詮砲撃型の魔導師なのだから、反応速度の面でこれに対応出来るはずがない。

 しかし、そうはならなかった。

 

「っ!」

「なっ!?」

 

 魔法刃と金属がぶつかる、耳障りで、だけど澄んだ音。フェイトの目が驚愕に見開かれる。彼女が今手に感じているのは確かな手応えではなく、防がれた後に押し返される抵抗だ。なのはの杖と魔導服を同時に切り裂くはずの一閃は、短く持たれた杖の、先端部分にある黄色い頑強なフレームで受け止められていた。

 剣術に、後の先、という言葉がある。

 相手が技を放ってきた時にその攻撃を防ぐかあるいは先読みし、切り返しの技で反撃するという戦法だ。この時なのはが目論んだのは、正しくそれだった。

 元からフェイトの早さに、なのはは追いつけない。どんなに鍛錬しようと経験と速度の差は明らかだ。ならば先の先、そして先を取ることは捨てて、後の先で攻めることに集中する。

 戦闘前に話しながら、なのはが構えの状態をあえてある程度しか進めなかったのは、フェイトに確実に先を取らせるための布石である。過剰に防備を固めれば警戒して逆に様子を見てくるかもしれず。ならばわざと隙を作り、その隙に潜り込むような一撃を、確実に返す。

 

「えぇい!」

 

 なのははそのまま身体全体を左側へ寄せ、刃の正面から自らを外す。当然体勢はよろけ崩れて、受け手を失ったフェイトの鎌は振り下ろされる。しかしその軌道上からなのはは既に外れ、渾身の一撃は虚しく宙を切った。

 

「今!」

 

 ここしかない、と自分の脳髄までに叩き込み確認させるような叫び。その間に右手で行っていた

魔力のチャージが終わる。さっきまで杖を持ち支えていたのは、あくまで利き腕の左腕だけだった。なんと、運動苦手で非力なはずのなのはの腕力が、速度と重心の乗ったフェイトの一撃を数秒間押さえ込んでいたのだ。

 開いた手から放たれるのは、ごく単純なシュートバレット。しかし無防備かつ隙を晒した魔導師に撃ちこむにはそれだけで必要十分。

 そして、爆音。

 単純とはいえ、なのはも可能な限り魔力を詰めた。直撃の余波で煙をまき散らし、建物の床を抉るくらいの威力がある。そのせいで視界が不明瞭になったので、攻撃を終了したなのははプロテクションを展開し、十全の体勢で相手を伺った。

 

「ありがとう、レイジングハート。でも」

 

 でも、油断は禁物。こうして不意の一撃を取れるまでに肉薄したとしても、鍛錬や経験は向こうのほうが圧倒的に上なのだから――

 

「上手いね」

「……にゃはは」

 

 危惧は的中した。いや、危惧というよりはむしろ当然の予測だと言えるかもしれない。それほどまでに、なのはにとってのフェイト・テスタロッサは大きく、超えるべき壁であった。

 耐えている。

 発射と弾着。2つの事象の隙間には、あの距離だと一瞬も存在しないであろう。だのに、フェイトはそれだけの時間でディフェンサーによる防御を行い、ふっ飛ばされながらも体勢を立て直し、今また再びバルディッシュを構えて立っていた。

 直接射撃を受け止めた右手の手袋こそ僅かに焦げているものの、ダメージも魔力消費も最小限に留まっている。なのはが費やした魔力と体力、そして集中力からしてみればこの結果は費用対効果が余りに低いといえるだろう。

 しかし、なのはの顔は自信に満ちていた。

 

(これで状況は三手得。差し引き一手、こっちに有利!)

 

 なのはがそう考えたのは、この状況下ではフェイトもクロスレンジでの戦闘を捨てるだろうと判断したからだ。初手の不意打ちを防がれて、しかも今度は万全の防御態勢を整えている所に突っ込むような無茶を、彼女はしない。

 その代わりに、近接以外で自らの利点を最大限に活かせる空中機動の射撃戦に移行してくる。そうなれば、射撃が得意ななのはにしても望むところだ。素早い動きで近接のみに固執されたら、どうにもならないうちに負けてしまうのが現時点の高町なのはの限界だった。

 そうならないためにも、まずはフェイトをこちらから引き離す必要があった。七割の確率で考えられた初手の強襲をかわすにしても、こうして反撃を仕込まなかったら回避を続けて段々と互いの距離を伸ばすしかない。それに費やす時間と魔力と後の先を取る苦労を比較すれば、後者の方が効率良く有利な状況に持っていけるのだ。

 

「バルディッシュ、ランサーセット!」

 

 なのはの予測は正しく、フェイトは自らのデバイスに呼びかけて高速離脱した。それと同時に、詠唱不要の射撃魔法を用意し、目下で防御を固めているなのはに対して放った。なのはもフライヤーフィンを展開して飛び上がり、距離を離すまいと偏差で撃たれた二発目、そして三発目も初速をつけて強引に振り切る。

 かくして地面から離れて、空に舞う二人。互いの魔導を競い尽くす戦いは、たった今その第一幕が上がりきったばかりだ。

 

「ディバイン!」

「ランサー!」

 

 二人の周りに次々と光が生じていく。桜と光、それぞれに高まり輝くのは、少女二人が持つまっすぐな心をそれぞれの端末が魔力によって具現化したものにも見える。

 

「シュート!」

「ファイア!」

 

 杖が振り下ろされ、射撃は飛翔し相手に向かう。それぞれに並の魔導師なら呆気無く撃ち抜かれてしまうほど高い攻撃力を持ったそれらは、あくまで他人を攻撃する魔力弾であり。

 だから、互いにぶつかり合って消えていく。真っ直ぐ向かうフェイトの弾幕をなのはの迎撃誘導弾二発が捉えて叩き、残り二発がフェイトへ向かう。思念制御で確実に死角を狙って襲い来るそれらをフェイトは紙一重でかわしていき、内包した魔力が時間経過で弱まった所を見て、斧で直接叩いて潰した。

 交わらない二人の魔法はそれぞれにぶつかり合って、そして空へと溶けるように消えた。しかしその、二人それぞれの想いの結晶と呼ぶべきエネルギーは決して消えてはいない。ただ限りなく薄くなって、空中に漂っているだけなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だから。

 

「なのはは負けん」

 

 レイヤー建造物の内の一つ。戦闘領域からある程度遠くに離れて建っているビルの屋上で、織斑千冬はそう断言できるのだった。

 

「そうかねぇ」

 

 突然の断言に、隣で座っていたアルフは苦言を呈す。自分のご主人が負けると言われて当然いい気分にはならないらしく、眉をひそめながら言い返していく。

 

「近接戦なら言わずもがな。でも単なる空戦でも、やっぱりフェイトの方が上さ」

 

 アルフの理論は、何度かの実戦によって証明されていることだ。なのは一人とフェイト一人では明らかにフェイトが勝る。だからなのはは千冬、そしてユーノにも助力を頼み、三対ニの状況で今まで戦ってきたのだから。

 

「だが、なのはも前に戦った時から随分と鍛え直してきた。さっきのやりとりを見ただろう?」

 

 千冬の何処か自慢げな言い回しから、アルフはあることに感づいて恨めしそうに千冬を睨んだ。

 

「……あのカウンター、アンタが仕込んだのかい」

「その通り」

 

 初撃決めの可能性を読み、あえて防御を薄く見せることでそれを誘い、想定通りに振ってきた所を避け、返す刀で無防備な相手へ強烈な一撃を叩きつける。半ばで失敗したものの、もし決まっていれば防御の薄いフェイトを即座にダウンさせることが出来ただろう。

 しかし射撃と砲撃、それから防御だけに集中していた今までのなのはから見れば実にらしくない動きと、リスキーな作戦だ。あえてフェイトの高速に対抗するくらいなら、防御を固めて強烈初撃がやってきたにしても耐え切るのを目指すのが安牌だろう。

 

「だが、別に私の入れ知恵という訳じゃない。なのはが自分で決めて、自分で頼ってきた。私がやったのは訓練だけだ」

 

 だから、アルフはあの行動と、それから今の言葉にも驚いた。ある種賭けのような作戦を、目の前にいる骨の髄まで接近戦思考の少女が考えて薦めたのなら分かる。しかし、まさかあのおとなしくて、へなちょこそうな女の子の方から考えだしたとは。

 

「意外だねぇ」

「意外さ」

 

 近接戦闘の訓練事態は、前から行っていたことではある。しかし今回は、その量が尋常ではなかった。なにせ万全の状態のフェイトが放つ、音よりも早いだろう攻撃をかわして更に射撃魔法を撃つのだ。運動神経未発達のなのはがその領域まで行き着くには、文字通り昼夜を問わぬ猛特訓が必要だった。

 千冬が行う鍛錬は文字通り「鬼」である。その奥に確かなトレーニング理論と熱い思いが篭っているにしろ、彼女は容赦なく叩き、容赦なく叱り、容赦なく潰す。

 そんな鬼の特訓を、なのはは事件が終わって回復してからの丸一週間ずっと受け続けていた。一回も弱音を吐かずにやり通した。それはいかにもなのはらしい一途で愚直な努力だったが、同時になのはらしくないことでもあった。

 

「なのはも、昔はあれで結構悩みこむタイプだったからな」

 

 千冬が回想するのは、一年前に出会った直後のなのはだ。その頃のなのはは今よりちょっとだけ引っ込み思案で、例えばアリサやすずかから何かを薦められても、遠慮して一歩後ろから見つめるだけになってしまうような、そんな性格だった。

 いつか師範から聞いたことには、昔のなのははそれよりもっとずっと、おとなしかったらしい。誰かに頼るのが苦手で、親の前でもその忙しさを目の当たりにしていたからか、いつも「良い子」として目立たないように、おとなしく振る舞い続けていたという。

 それは、かつて弟のために親に反抗した千冬と正反対のようで、どこか似ている。

 どちらも、一人。一人ぼっちになるしかなかった。

 

「だが、魔法を知って、戦うようになった時、なのはは私を頼ってくれた。一緒に戦おうと言ってくれた」

 

 握った手の中に、なにか暖かいものを取り込んだような朗らかさを胸に千冬は語る。

 一年前、そしてそれ以前のなのはなら、目の前に迫り来るジュエルシードという困難を、自分一人で解決しようとしただろう。

 一人ぼっちで戦う。その辛さを、千冬は良く知っている。もしそうしたら、いくら心の強いなのはだって、もしかすると耐え切れなかったんじゃないかとも想定出来てしまう。

 だけど、今ここにいる高町なのはは、昔のなのはからずっと変わってきている。千冬と共に戦い、頼り、訓練して欲しいとも言って来てくれた。そしてだからこそ、なのはは今空を飛んでいる。初撃でいきなり叩きのめされることなく、思うままに空を飛んで、戦っているのだ。

 なのはは、一人じゃない。

 

「だからなのはは負けない。一人じゃないから。私も、ユーノも……あいつも……ついてる」

 

 千冬の確信に満ちた言葉に、アルフも負けじと言い返す。

 

「それはフェイトも同じさ。あたしがいる。リニスっていう、優しい先生だっていたんだ」

「そうか」

 

 その言葉を聞いて、千冬は何故か安心した。向こうで戦っているなのはには届かない言葉だったが、もし届いていたらなのはも同様に安心するだろう。

 フェイト・テスタロッサが一人じゃないことに。彼女を思い、守ってくれる人がいることに。

 

「だったら後は、どちらの思いがより強いかだな。知恵と戦術は両方フル回転だろうから、最後は精神力の勝負になる」

「じゃあ当然、あたしらの方が上だね」

 

 勝ち誇って大きな胸をでんと張るアルフ。ムスッとした千冬が負けじと言い張る。

 

「いや、私たちの方が絶対に上だ」

 

 二人、無言のままで暫く見合う。

 

「そういや、チフユ、だっけ。アンタとは、まだ決着がついてなかったね……」

「同感だな、使い魔のアルフとやら」

 

 やがて片方が牙を向き、片方がどこに隠していたのか竹刀を持ちだして構えたその時。

 

「はいはい。ふたりともそこまで。場外乱闘はやめてよね」

 

 二人から離れて立っているユーノが止めに来た。

 そのいかにも面倒でどうでも良さそうな声色に毒気を抜かれたのか、二人それぞれ武器を下ろし、落ち着きを取り戻した。

 

「すまんなユーノ。しかしお前……そんなになって何をやってるんだ?」

 

 刀を収めた千冬だが、今度はユーノの一種異様にも見える様子を気にして問いかけた。

 アースラでの回復治療によりすっかり人間形態に戻った彼は、何重にも術式を展開し翠色の眩い魔力に包まれている。折角戻った魔力を使い潰してしまうくらい多重に発動させている魔法は、全部が全部観測用の魔法である。

 

「何って、ほら、二人の戦いの記録だよ。大事でしょ」

 

 だからユーノは何のこともないように言い返したが、今度はアルフが突っ込んだ。

 

「アンタさぁ。確かに分かるけど、でも……そんなには必要ないだろ!」

 

 怪訝な顔を浮かべて突っ込むのも無理はない。現在ユーノが展開している録画式の記録魔法、その数なんと17個。しかもそのうち幾つかは定点式ではなく、なのはとフェイトの機動を追尾している。通常、一人の魔導師が制御できる個数ではない。いくらマルチタスクと魔法の制御に長けたユーノとはいえ、相当に無茶をしている多重展開だった。

 

「それが必要なんだ」

「なんだい。記録がほしいなら、管理局にでも頼めばいいじゃないか」

 

 アルフがいうことは正論である。たった二人の為に組まれた予定だが、これはあくまで『能力確認のための模擬戦』なのだから、アースラスタッフとしては念入りに記録しないと給料をタダ取りしていることになってしまう。

 

「それだけじゃダメなんだって。勿論アースラのデータも貰うけど、それだけだと満足出来ないと思うから……」

 

 自分が、ではなく、どこかの誰かを指すするような言い草を聞いて、千冬はある可能性に思い当たった。しかしそれは、とても信じがたいことでもあり、だからユーノに問い質す。

 

「おい、ユーノ。……確かに束はここには居ない」

「うん」

「だがな、あいつの事だ。ここに居ないだけで、いくらでも見る方法はあるだろう」

 

 あの時と同じく、結界内にこっそり忍び込んでいるかもしれない。アースラの中で記録カメラを現在進行形で覗き見ているかもしれない。ひょっとするとラボの中、なのはの勇姿を目にしてとても世間には見せられないような顔で悦楽に浸っているのではないか。

 千冬にはそうとしか考えられなかった。あいつが、まさか。こんな晴れ舞台を逃すはずがないじゃないか。

 しかし、ユーノははっきりと、加えて言えば魔法の制御を邪魔されて少し煩わしげに答えた。

 

「いや、教授はこの戦闘、見ていないよ」

「なに……!?」

 

 その時千冬が抱いたのは、とてつもない驚愕と、それから恐怖であった。あの束が、篠ノ之束というなのはフリーク少女がなのはの戦いを見逃すだなんて。天変地異の前触れか、それとも。

 もしかすると、なのはのことすら押しのけるほどの何かに取り組んでいるのかもしれない。千冬が一週間前に着装した勝利の鍵、『白式』以上に超常的な何かに――

 

「ユーノ、今すぐ止めるぞ! このままでは地球が危ない!」

 

 そう思った千冬は顔色を豹変させて束のもとに向かおうとした。が、ユーノは何ら慌てることなく、むしろ何処か呆れたような表情で千冬の興奮を受け流す。

 

「何をしているユーノ! あいつが暴走するとどうなるか分かっていないお前じゃ「違うって」

 

 ユーノとしては説明するのも馬鹿馬鹿しすぎてやりたくないのだが、そうでもしなければ千冬は止まらない。観念して、束が今何をしているのかを一言だけ、口に出した。

 

 

「寝てる」

 

 

「へ?」

 

 千冬らしくなく女の子らしい、というより子供らしい間の抜けた声。

 

「だから寝てるんだって。ここ何週間も徹夜続きだったから。三日前管理局に呼び出されて帰ってきてからずっと寝てる」

「ずっと?」

「そう、ずっと」

 

 アルフも黙りこみ、ビルの屋上で無言の時間が流れる。

 

「……ふは」

 

 その静寂を破ったのは、腹の底から出ているだろう、ひょうきんな笑い声。

 

「ぶっ、わはははは!! あは、ははははははっ……げほっ、ごほっ」

 

 千冬が笑うことは滅多になく、あったとしても精々微笑むくらいである。それが一気に決壊して爆笑し、表情筋が無理に動いたせいか、笑いすぎで呼吸困難にまでなってしまっていた。

 この一戦は、言わば高町なのはが今まで鍛えた魔導の集大成である。それは当然なのはが一番輝ける時だというのに。

 寝坊しているだと? あの天才が? なのはに関することなら誰よりも知っているあの天才が?

 

「そう、寝てるの……ふふっ」

 

 内心、ユーノも馬鹿らしく思っていたようだ。千冬の破顔爆笑に釣られ、腹を抑えて笑い出した。それでも監視を絶やしていないというのが、彼の助手根性とでも言うべき律儀さを如実に表しているが。

 

「た、タバネって、あんたらの仲間で、ウサミミを付けた、あいつだろ……?」

 

 一方アルフは束の名を聞いて、身もすくみ上がるような思いだった。アースラで精密検査を受けた結果、寄生虫型の監視メカを体内に仕掛けられていたことは既に周知の事実である。気付かれないうちにそんなことをされたのだから、アルフにとって束という得体のしれないマッドサイエンティストは、ただ恐怖でしかなかった。

 

「あぁ、あいつだよ、あいつだ……ぶっ、くくくく」

「そうそう、人呼んで天才科学者、なのは大好きの教授が……あっ、は」

 

 その怖気づきようも、今の二人にとっては爆笑の炎に薪をくべるだけでしかない。思えばニ人して、束一人に散々弄ばれ、一挙一頭足に冷や冷やさせられてきた。その憂さ晴らしというのも、あるのかもしれない。

 

「ゆ、ユーノ、お前、知らせたんだろうな? ふふっ、そうじゃなかったら酷い目に合うぞ?」

「そりゃもちろんっ……でも寝てる……いくら起こそうとしても無駄だったんだ……ぶふっ」

「本当か……? ふ、ははははは」

「それがホントなんだって! 部屋にあった、なのはボイスの目覚まし時計でもさっぱり!」

 

 実際、ユーノは人事を尽くしたと言える。

 地下で机に突っ伏し、死んだように眠る束をまずはラボ備え付けのベッドまで持って行き、あらん限りの大音量を出して起こそうとした。それでピクリとも動かないのだから、今度はなのはの声真似からなのはの声を録音した目覚まし時計、果ては対決前のなのはに頼んで、携帯電話を通じた肉声まで提供してやったのだ、

 それでも起きないのだから、いよいよ諦めざるを得ない。ユーノとしてもなのはとフェイトの戦闘は見たいし、後はせめて、ベッドの上に走り書きのノートを残し、二十分に録画するくらいしかできなかった。それ以上を求めるのはむしろ酷である。

 

「この事、なのはは何て?」

「眠いんだから仕方ないよ。いっぱい頑張ってくれたから寝かせといてあげよう、だって。ホント優しいよねー、なのはは……」

「全くだ、それに比べてあいつは……くふっ、当代一の薄情ものだな!!」

 

 あはははははは、と胸がすくまで笑い続ける二人。呆然とするアルフ。

 三人をモニタしているアースラブリッジからも、そこかしこで失笑が起こる。その度合は様々あれど、皆、束の好き勝手な所業には何か良からぬ気持ちを抱いていたのだろう。

 そして、他所の椿事はつゆ知らず、砲撃を撃ち合い乱舞して、いよいよ熱いなのはとフェイト。

 

 

――ぐぅ、ぐぅ……ダメだよなのちゃん、私たち女の子どーし……あ、べつにいっかぁ、どうにかならないことはないし……じゃあなのちゃん、一緒に……えへ、えへへへへへ――

 

 

 遥か遠くで起こったそんな喧騒などつゆ知らず。束は眠る。

 天才である彼女のこと、なのはとフェイトが決着をつけるこくらい、とうの昔に予測できていたはずなのだが。

 天才だって所詮は人間。明日への睡眠は必要なのだった。

 




だめだこりゃ。

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