なのたばねちふゆ   作:凍結する人

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篠ノ之束の空飛ぶサーカス(Ⅴ)

「…………くそっ」

 

 傀儡兵と戦闘し、鮮やかな勝利を収めていざ庭園内へと突入したなのは。一連の行動は、海岸から俯瞰すれば豆粒のようにしか見えないが、目のいい千冬にはその全てを見て取ることが出来た。

 強くなったと思う。最初はへっぴり腰で自分の後ろに下がってばかりいたなのはが、ああまで自由に空を跳び、戦うとは。もちろん、手放しで喜ぶことは出来ない。本当なら戦いなんて知らなくてもいい、ごくごく普通の女の子なのだから。

 

 しかし、空を飛び戦うなのははとても生き生きとしていて、まるでずっと昔からそうしていたように自然であり、またそうあることが当然のようにも思えてくる。

 千冬の見る限り、なのはには趣味、というより、一つ飛び抜けて熱中しているものが殆どなかった。おしゃれや料理など女の子らしいことはひと通り出来るが、そこまで熱意を持っているとは思えない。ただ友達がやるから、母親に教えられたから習熟している程度のことだ。

 

 それがどうだろう。魔法を手に入れた途端、毎朝練習し、学校中も暇さえあれば脳内で訓練を繰り返し、毎夜ジュエルシードの探索を繰り返して。それで弱音一つ吐いていない。

 

 なのはには体力がない。碌に運動が出来ない所だけを見ていたので、千冬はずっとそう思い込んでいた。しかし、それは誤りであり、本当は他人が想像するよりずっと体力があって、なおかつ根気強かった。

 フェイト相手に、なのはは何回負けただろう。痛めつけられただろう。目の前でジュエルシードを持ち去られたことも一度や二度ではない。千冬にとっては苦く、悔しい敗北の記憶だ。

 自分が打ち込んだもので敗北するのは、初めての経験だろうし、打ちのめされてもおかしくはなかった。現に千冬など、最初に負けた時など変に気負って、一人きりで戦おうと無理な決意をきめてしまうくらいショックを受けたのだ。

 

 だが、なのははへこたれず、負ける度にいつも言っていた。もう少し頑張ろうと。

 成長しているんだな、と千冬は思う。魔導とか戦闘能力といった単純なものではなく、もっと根底にある言わば心の強さが、今のなのはには備わっている。

 いや、元から強くあったものが、魔法と戦いという非日常を触媒にして表に出たのだろう。

 

 いいことだ。姉代わりとして常々なのはの事を気にかけ、束の魔の手から救うなどして守ってやっていた千冬にとって、その成長は素直に嬉しく思える。

 

 だからこそ、自分の無力が情けない。

 

 今、千冬はユーノと一緒に、傷ついた魔導師と使い魔の治療に務めている。

 竹刀袋や学生鞄の中に治療用具を入れていて、だからこういった急場の手当てもできるのだが、そうし始めたきっかけが彼女ら強大な魔導師との出会いというのは皮肉だった。

 フェイトの全身に刻み込まれた傷は、それぞれは浅くとも多く、鮮血が白い肌を濁らせるようににじみ出ている。千冬に出来る事は、その一つ一つに消毒液を撒き、包帯や絆創膏で覆うだけだ。

 それは確かに大事な仕事だ。放っておいたら怪我した一人と一匹は、ひょっとすると息絶えてしまうかもしれないから。

 しかし、湧き出る無力感と無念さは、とても我慢できるものではなかった。

 

「私には」

 

 口が動いてしまう。

 

「この程度のことしか出来ないのか……今、なのはは海の向こうで、たった一人で戦っているというのに」

 

 改めて戦おうと決意したあの時、自分に課した務めは何だ。なのはを守ることだ。

 だのに、こうして後ろで、ただ彼女が戦う姿を見守ることしか出来ない。

 力がないなりにやることはある。例えばこうして怪我人の手当てを行い、管理局の突破を待って状況を伝えること。それだって必要で、為すべき立派な仕事だろう。

 

 しかし、高町なのはが空を飛ぶことに長け、それが性分になっているのなら。織斑千冬のそれは剣を振るうことにこそあるのだ。

 ひたすらに悔しい。そんな千冬を気遣ったのか、ユーノが慰めるように話しかけてきた。

 

「そんなに、悔しいのかい? なのはの隣で戦えないことが」

「ああ、悔しいさ! 悔しいとも! あいつを守るために私は今まで戦ってきたんだから!」

 

 千冬は怒鳴るように返した。

 ユーノは、なんとも言えないような目で歯を食いしばる彼女を見つめる。もちろん、倒れた少女と狼を治療する手を休ませることはない。フェレットの身体であっても、包帯を巻くことくらいは出来る。

 唇を噛んでしまうくらいに食いしばる口の力を緩め、自嘲するように息を吐いた千冬は更に続けた。

 

「まだ割り切れてないのさ。妹のような存在に、いつの間にか追い抜かれたってことをな。あの家に来てから……年下のなのはを守ってやること、それが私のやらなければいけないこと、いや、恩返しだと考えていたから」

「恩返し……? 千冬って、元からなのはの家に居たんじゃないんだ」

 

 ああ、と短く首肯して、ユーノの顔を見る。短い間だが苦楽を共にしてきた仲間で口も硬く、信頼できる男だ。時には轡を並べ、いや肩に乗ってもらって一緒に戦ったこともある。

 話してもいいだろう、と判断した千冬は、ゆっくりと口を開いた。

 

「いやな。身内の恥を話すようで恥ずかしいことだが、1年前、親に捨てられたんだ。それから師範に救われて、その後も色々とお世話になっている」

 

 流石にユーノも驚き手を止めた。

 千冬は何処か遠くに、在りし日の風景を投影させたのを見つめながら、淡々と話す。

 

「父は乱暴という概念を人の形に整えたような男でな。その横暴を一手に受けた母は、どこかに恨み節をぶつけたかったんだろう。目の前にある、自分より弱い者に当たるようになってな。そうなってからは、まあ負のループというやつだ。空気が荒んでいく度に父は荒れ、母もますます陰湿になり、歪みは全部私に押し付けられた」

 

 一息にそこまで語ると、彼女はほぅ、と溜息を付く。忌まわしい思い出のはずだが、不思議に心は熱くならず、石のように固く冷たく動かない。

 結婚してからずっといたぶられ続けていた母親の心はすっかり荒んで、千冬に対する扱いもどんどん非道になっていった。一人きりで部屋の隅に閉じ込められ食事もろくに与えられない。たまに外に出されると思ったら、殴られ、蹴られの繰り返しに苛まれる。

 

 父親も見て見ぬふりをするどころか、自分の娘が弱者の母親にも逆らえないか弱い存在であることに気づき、嬉々として虐待に加わり始めた。

 止めるものの居ない暴力行為は段々とエスカレートしていく。幼い千冬の肌には生傷と青アザが絶えず唇は常時切れていて、更には不潔なのでしばしば病気にかかり高熱を出しても病院にかかることすら出来ない。

 

「自分のことだが、よくもまああそこまで、ボロ雑巾のように扱われたものだと思うよ」

 

 ユーノは、悲惨な待遇を一言で纏めた千冬があまりにも悲惨に思え、その顔を直視することが出来なかった。

 幼い頃からずっと虐待されていて、それに慣れているのだ。だから、他の人から見ると思い出したくもないようなことだって、ごく普通に話せてしまう。

 ユーノも両親がおらず、スクライア族によって育てられてきた身なのだが、区別も差別もされずに他の子供と同列に扱われていた。才能を鑑みてのことなのだろうが、魔法学院にまで通うことだって出来たのだ。

 

「私も私で、なんというか、頑丈だろう、身体的に。だから、色々されてもあっという間に治ってしまって歯止めが掛からなくてな。『これ以上は流石に不味い』というタガが外れてしまうのさ」

 

 千冬は、幼い頃から身体が強かった。それもただ強い、と言う言葉では表せない程だ。普通の子供ならとても耐えられないような仕打ちに合っても、数日後には元通りに治ってしまう。骨折しても、添え木すら必要なしにいつの間にか骨がくっついている。高熱は3日も経たずに収まり、不潔な環境でも身体を崩すことがない。

 それは、篠ノ之束の幼少期に良く似ているとも言えよう。他の子供からかけ離れた能力と異常性。束は頭脳がそうだったが、、千冬のそれは肉体だった。

 千冬を弄ぶ両親にとって、それはもっけの幸いだった。なにしろいくら殴っても蹴っても、痛めつけた果てに何もせず放置しても向こうのほうで勝手に元に戻るのだ。鬱憤を晴らす道具としては最適だろう。

 独善的な大人二人と寡黙に耐える童女の間にあるのは、もはや親子の関係ではない。使うものと使われるもの。幼い頃の千冬は物言わぬ道具でしかなかった。

 

「千冬は――それで、大丈夫だったの? 身体は大丈夫でも、心は」

「物心ついた時からそうだったんだ。だから、あんまり不思議にも思わなかった。自分はそういうものなんだ、と諦めて、納得していたよ」

 

 誰にも頼れず甘えられない幼少期。想像するとユーノの気持ちは更に暗くなった。

 千冬の語り口は、他愛のない思い出を何気なく話すような口ぶりだった。千冬にとっては正しくそうなのだ。それ以外の道を知らず、他の価値観を知らなかったのだから。

 

「だがな」

 

 逆説の接続詞。それを聞いた途端、ユーノは目を見張った。今まで白けているようにも聞こえていた千冬の言葉に、はっきりとした重みが伸し掛かり始めた、と感じたからだ。

 

「弟が生まれた。冷え込んだ二人の間から、どうして生まれたんだろうな。とにかく、生まれたんだ。弟が。産婦人科には私も連れて行かれてな。まだ産毛も生えていないそいつを見て――弱い、と感じた」

 

 よく考えずとも当たり前のことである。赤ん坊は弱いに決まっている。

 だが、家庭という環境の中に、初めて自分より立場の弱いものが生まれた。その事実が千冬の心ににある感情を宿した。

 

 守らなければならない。この無垢で、か弱い自分の弟を。姉として。

 親は頼りにならない、というより寧ろ親から守ってやらねばならない。生まれた子供を見て、表面上は喜びながらも明らかに冷たく嗜虐的な目を向けた両親に対し、千冬は初めて憤りを覚え彼らを悪虐非道の存在だと判断した。

 それまでは、痛みや苦しみに対する個人的な怒りこそあれど、それが当たり前で仕方の無いことだと思って幼い胸の中で必死に封じ込めていたのだ。だが、そう出来るのはあくまで自分一人のこと。身体が強くて治りも早い自分だから、親の暴力を受け止めきれているからだ。

 しかし弟は――織斑一夏は余りに弱い。

 だから千冬は決断した。

 

「それで、両親が一夏を家に連れ帰ったその日、初めて親に反抗した。反抗期、というには少し早いかもしれんな……本当に、呆気無いものだったよ。手を振るえば簡単に押さえ込める。殴り返そうとしても余りに遅い。その時は神に抗うくらいの覚悟で挑んだのだが、反逆はあっさり成功して、二人は逃げた」

「それは――」

 

 捨てたというより、子供のほうで親を捨てたんじゃないか。

 そう言おうとした寸前でユーノは口を閉じた。話を聞く限り捨てられて当然の親だったろうし、千冬がそう言うのだから、やはり織斑姉弟は『親に捨てられた』のだ。子供に悪事を振るい、その反抗に耐え切れずに逃避した二人の男女に。

 

「それからと言うもの、私は一夏の世話にかかりきりになった。8歳の少女と赤ん坊のふたりきりはとても苦労した。だけど楽しい日々だった。何もかも自分でやらなければならないが、その代わり自由で、もう傷付けられることはないのだから」

 

 しかし、解放された二人は、社会から見ると余りにも異常な二人である。

 それを正常という枠に戻すための使者は当然やってきた。

 

「役所や児童相談所から毎日のように人が来た。二人だけだと辛いだろう。私たちが皆で楽しく生活できる場所に案内してあげようと」

「それで、どうしたの」

「決まっている。全員追い返した。私たちはこれでいいと思っていたからな」

 

 蒸発した親が残していった金はそこそこあったし、家もある。

 今思うと大きな間違えだったが、私たちは二人きりでいいのだと、そう信じて止まなかった。

 

「第一、情けないことだが、私は大人が怖くなっていた」

「虐待されたから?」

「……あの程度でトラウマになると認めたくはないがな。へそ曲がりになってしまっていたのは確かだ」

 

 トラウマになるほど痛めつけられたことより、寧ろトラウマを持っていたことを悔しがる千冬。常人とはかなりズレている反応は、やっぱり教授の親友なのかもしれない。

 ユーノは自分自身、変な所で納得していた。

 

「熱心に説得されようとも、半分強制的に連れだされようとも、私はこの腕で全て排除した。いくら大人とはいえ、優男や女を組み伏せるのは軽いものだ。もしかしたら、今でもあの家で誰もを拒否した二人暮らしを続けていたのかもしれない」

「でも今の千冬は、なのはの家で暮らしてる。ということは」

「そう。最後に来たのが私の師範。高町士郎だった」

 

 それこそ数時代前まで家系図を遡らない程の薄い間柄だが、高町家と織斑家にはたしかに遠縁がある。それが偶々近くに住んでいるということで、風の噂で事態を聞いた士郎が立ち上がった。

 無論、士郎にそうする理由は何もない。三人の子供、特に末娘のなのははまだまだ育ち盛りだというのにその中に見知らぬ二人を入れてどうなるかは分からない。

 もう少しドライなことを言えば、士郎の怪我も治り、店も回転してきて経済的には順調な高町家だが、二人の子供を養い、進学などもさせる程の余裕が有るかどうかは微妙なところだ。

 しかし、そんなことは抜きにして、高町士郎は飛び出した。目の前に困っている子がいて、自分がそれを助けられるならば放ってはおけない。迷うのも考えるのも二の次で、まずは飛び出せ。

 人に言えない影を持つ不破の血を継いでいる士郎。だがその性根は、どうしようもない程のお人好しだった。妻の桃子も、大学生になる恭也もそれを二十分に分かっていたし、寧ろ士郎に同調する程の気立ての良さを持っていた。

 という訳で、二人きりの空間を守ろうとする千冬と、士郎は相対した。

 

「師範はとにかく押しが強くてな。私が何度断ろうとも止まらなかった。ただ、無理に私を連れだそうという訳じゃないんだ。朝から晩まで暇さえあれば家に来て、翠屋のケーキや桃子さんの作った夕食をごちそうしてくれたり、一夏をあやしてくれたり、壊れたテレビや届かない新聞の代わりに、ニュースやサッカーの話なんかをするだけでな」

「なんだか、なのはにそっくりだね」

「あぁ……」

 

 ひょんなことから巻き込まれても文句ひとつ言わず、むしろ結構強引にジュエルシードを集めに協力してくれて、敵として戦うフェイトも放っておけず、戦う理由を知りたがり、そして今はその彼女や自分たちを守るため、悪の親玉たるプレシアの居城へ一人乗り込んでいく。

 そんななのはの父親だから、と思うと、ユーノはちらとしか見ていない高町士郎という人の人格を容易に想像できた。あの親にして、この娘ありである。

 

「優しい人だろう? だが、その頃の私はどうしようもなく捻くれていてな……」

「士郎さんを、受け入れられなかった?」

「ああ。今まで見たどの大人とも違って、私たちを否定するわけでもなく、強制するわけでもなく、只優しくしてくれる。それが、逆に怖くなったんだ。だからある日、今までのように叩きのめして出て行ってもらおうと手を出したんだが……甘かったよ」

 

 言葉尻と同時に苦笑する千冬はあの戦い、いや、戦いにすらならなかった只の子供の癇癪を仔細に思い出す。

 全力の攻撃。殺さないよう、両親相手にもにも出さなかった全力のパンチとキックを、士郎は意図もあっさりといなしてしまった。しかし自分からは一切手を出さず、舐められていると見て更に力を入れる千冬の攻撃もひたすらかわし続ける。

 その立ち振舞もさることながら、何より浮かべていた顔が千冬の記憶に染み付いて消えない。

 

 穏やかに笑っていたのだ。

 

 やんちゃ坊主がじゃれついてくるのにやれやれ、なんて呟きながら付き合ってやるように。

 

「その時に初めて、ああ、この人には敵わないなと感じた。親にも大人にも対抗して、たった二人でいびつだけれど生活出来て、私は内心調子に乗っていたんだ。だけど、師範がそれを突き崩してくれた」

 

 千冬は初めて、尊敬すべき大人に出会った。親であるという理由だけで苦痛を押し付ける両親や、仕事とはいえあくまで他人として付き合うことしかしない役所の大人たち。彼らと違い、士郎は千冬の全てを受け止めることが出来て、尚且つ間違いを正してくれる。

 そんな大人を尊敬できずに、一体誰を信じることが出来るだろう。

 

「いつの間にか、私は師範に抱きついて泣きじゃくっていた。今まで我慢していた怒り、憎しみ、悲しみ、憤り。師範は全て聞いてくれた。聞いて、それから、立派だね、頑張ったねと言ってくれたんだ……!」

 

 千冬は再び手を握り締め、血がにじむ程に力を入れる。

 それは、虐められていた幼少期について、只々事実を無感情に話していた時とは全く違う。千冬が語るのは最早、単なる昔の記憶ではなく、心に熱く刻みついた『思い出』になっていた。

 

 

「その日の夜に、私は高町家の門を潜った。桃子さんも恭也兄も美由希姉も、みんな歓迎してくれたよ。そして……なのはにも、出会ったんだ」

 

――えと、こんにちは。私、高町なのは。千冬ちゃんのことは、おとーさんから聞いてて……凄いなって思った! 弟、えと、一夏くんと二人で暮らしちゃうなんて!

――そんなに凄くない。ただ意地を張ってただけだ。

――そっか。でも、凄いよ。おとーさんが来るまでずっと、えと、意地を張ってた、んでしょ? なのはには出来ないな、そんなこと。千冬ちゃん、なのはよりずっと大人かも。

 

「あの時のなのはの目の色を、私は生涯忘れない。私のやったことの是非を問わずに、只私が何をしたかを見て、認めてくれたんだ。なのはは」

 

 千冬にとってそれは救いだった。何も分からず、大人を拒否しひねくれて、無駄なことをしてしまったのではないかと思っていた彼女の心のしこりを、ほんのり温かく溶かしてくれた。

 そして、士郎にもこう言われた。

 

――なのはと君とは同い年だけど、出来れば、君にはなのはの姉代わりになってほしい。美由希とはすこし年が離れているし、それに……

 

 実は結構入り組んでいる高町家の家庭事情には敢えて触れず、士郎は続けた。

 

――恥ずかしい話だけど、私と桃子、恭也と美由希ばかりが二人組になって、なのはの存在が、微妙に浮いてしまうこともあってね。だから、なのはが寂しくならないように、出来るだけ、一緒になって欲しいんだ。

 

 千冬にとって、身を呈しても守らなければならないものが、もう一つ増えた瞬間だった。

 

 

 

 

 

「なるほど。だから千冬はなのはと一緒に戦いたかったり、教授のイタズラから守ろうとしたりしたんだね」

「そういうことさ。最も今はこの有り様だ。たった一人で戦うなのはを、後ろから見守ってやることしか出来ない、弱者に成り果ててしまった……」

 

 思い出話を終え、一旦忘却した無力感がまた強くぶり返し、地団駄を踏む千冬であったが。

 ふと、この場に近寄る誰かの気配を感じ、背負っていた木刀を構え直した。

 

「どうしたの千冬!?」

 

 驚いたユーノも、フェレットになってしまった身体を動かし、千冬の肩へと乗る。いざ戦闘ともなれば、からっけつの魔力でもなんとかサポートしてみようという考えだ。

 

「来るぞ……」

「あのロボットが!?」

「違う! そうなら駆動音で分かる! こいつは気配だ。もっと深刻な……!」

 

 

「やだなぁ、そうカッカしないでもいいのに」

 

 

 場の空気に合わない間延びした声に、千冬もユーノも目を見はった。

 どうしてここに、彼女がいるんだ。デバイス整備に没頭していてアースラに居残り、きっと身動きが取れないはずなのに。

 

「束……」

「はいはい、束さんですよー。偽物でもコピーでもクローンでもない、正真正銘の束さんだよ!」

 

 篠ノ之束がそこにいた。

 いつものドレスといつものウサミミ。ただ目の下にに一際濃い隈と分厚いノートパソコンを引っさげ、今まで影に隠れていた謎めくウサギはあっさりと表舞台に姿を表した。

 木剣を下げた千冬だが、代わりに顔を近づけ、きつい雰囲気で詰め寄る。アースラが来てからというもの、妙な行動ばかりしていた束の突然の登場だ。なまじ敵が現れるよりも気が立つのは当然だった。

 

「どうして、どうやってここに来た! 何のために!」

「まあまあそんなことより。私、感動しちゃったよ」

「なんだとっ」

「それはもちろん、ちーちゃんの語るも涙、聞くも涙の物語にだよ!」

 

 んぐ、と妙な呻きを出して固まる千冬。

 唯でさえ恥ずかしい自分の昔話を、一番聞かれたくない奴に聞かれてしまった。

 

「両親に虐められ、弟とふたりきりで暮らしたい自分の気持ちも理解されない……あぁぁ、なんて可哀相」

「あっ……う、あ……」

「天才なのを誰にも理解されなかった私の苦しみと、はてさてどっちが重く、悲しいのやらぁぁぁ……よよよ」

「こ、こいつはっ……白々しい泣き真似なんかするな! 面白がってるくせに!」

 

 理解されなくてもどうでもいい人種なのに、わざと茶化すような事を言って煽る束の胸を、千冬は頬を赤らめ、半ば涙目になってぽかぽかと叩いた。

 全力でぶっ叩いているはずなのに、束の身体は小ゆるぎもしない。

 

「だからお前にだけは話したくなかったんだ! それを……!」

「最初っから私が伏せていたと気付かず、カコバナをしたちーちゃんが悪いのだよ?」

「うるさい! お前という奴はいつもいつも他人をコケにして!」

 

 その言い争いが余りにも下らなく聞こえたので、ユーノは千冬の肩の上で、がくりと力を抜いた。だがここに篠ノ之束が来るということは、どういうことなのだろうという疑問に対して、答えを求めなくてはならない。

 この少女が乗り出して来るということは、大抵そこが台風のど真ん中であるということだから。

 

「その、教授?」

「ん、どしたのユーノくん?」

「教授はどうしてここに? どうやってとは聞かないけど、何をやろうと……」

 

 言葉が続く前に束が取り出したのは、腕に巻き付ける二つのガントレットだった。

 

「これを渡しに来たんだ! ちーちゃん専用に調整してるんだよ!」

「なに? これはデバイス……なのか!?」

 

 初めて見た二人が、揃ってそう勘違いしたのも無理は無い。少し大きめだが、何やら機械的なアクセサリーというのはデバイスの待機形態そっくりだったからだ。

 しかし束は首を横に振り、これがデバイスなら魔力の無い千冬に渡すはずがないと否定した。

 

「なら、これは一体……」

「あぁ、名前はまだ決めてないんだ! でも、今まで私が作った発明品の中でも、文字通りの最高傑作だから! ほら、試してみてよ!」

「試す?……うわっ!」

 

 言われるがままに手にとった千冬。すると、ガントレットは手から離れ、勝手に千冬の前腕部へと巻き付いた。

 慌てて外そうとしても、ロックされていて出来ない。呪いでも掛かっているのかと憤慨した千冬だが、腕輪は彼女のいうことを聞かず、更に眩く光り出していく。

 

「おい束、どういうことだこれは!」

「大丈夫大丈夫、後20秒もすればセッティング完了だから! あぁ、ユーノくんは巻き込まれない内に離れといた方がいいよ?」

 

 束は手持ちのパソコンに何やら物凄い勢いでプログラムを打ち込みながら告げる。とにかく教授が言っているのだから、危険には間違いないと、ユーノは慌てて飛び降りた。

 

「初期化、最適化、一気に完了……パーソナルデータ『織斑千冬』記録完了っと」

「な、な……に!?」

 

 千冬の頭に、一瞬電撃のような感覚が走り――これが何か、今から自分に起こることが何か分かった。さっきまで外そうとしていたガントレットは、今は不思議と自分の手に馴染んでいる。

 

 これは何のためにあるのか――そうだ。これは。

 

 

 私の翼だ。

 

 

「な、な、教授、これって!?」

 

 千冬の両手首から、全身に薄い光の膜が広がっていく。そして、光の粒子が解放されるように溢れ再集結し、人型の、しかし巨大な脚部と大きな翼を持った白い装甲と、一振りの大剣が現れた。

 その異様な姿に、ユーノが叫ぶように問うも、束は目の前に映る光景とPCからの制御に夢中だ。

 

「一次移行、完了……っと。そんじゃまぁ、ちーちゃん! ぶぁーーっと行ってみよー!」

 

 束の言葉には、目的語が欠けている。しかし、千冬にはそれがはっきりとわかった。

 今から私は飛んで行く。無かった翼を与えられたなら、行くべき場所はただひとつ。

 なのはの所へ。

 今の千冬には分かっていた。あの禍々しい城塞の中で、なのはは苦しみ、追い詰められている。

 これは予感でも山勘でもない。白い鎧に包まれた千冬には、はるか遠くで起こっている戦闘が、はっきりと知覚できるのだ。

 

「束……」

 

 だが、ほんの少しだけ気になることもあり、一瞬後ろを振り返る。

 目に写った顔は、勝ち気に笑っていた。

 行け、ということだろう。今は何も考えず、なのはのために戦えということだ。

 ああ、全く癪に障る。これでは、何から何までお前の計算通りじゃないか。

 だけど。

 

「ありがとうな」

 

 これで、私はなのはを守れる。まだなのはの“姉”でいられる。なのはの痛みや苦しみを、共に背負って、一緒に飛んでいける。

 その感謝を一言に纏め、千冬は地を蹴り、未だ暗雲漂う空へと飛び出していった。

 

 

 

 

 

「……行っちゃった。教授。あれが、教授が夜通し作ってた物なんだね?」

 

「お察しの通り! いやー、大分切羽詰ってて、今日もギリギリまで調整しててね? 結局間に合わない所が幾つかあったから、今もこうしてノーパソで随時システムを組み立ててるんだけど」

 

「なるほど……今まで僕達の前に出てこなかったのは、それが理由だったんだ……で、あれってさ、一体何? なんだか、白い鎧を着た、騎士みたいだったけど」

 

「白騎士、かぁ……いいねそれ、頂き! でも、あれはまだ未完成の不完全、コアも初期段階で、まだまだ生まれたての赤ちゃんみたいなものだから」

 

「だから?」

 

 

 

 

 

「ちょっともじって、シロシキ、とでもしておくかな?」

 

 

 

 




リアルで来週忙しいので、続きは2週間後になりそうです。

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