プロデュエリストと言う職業は成るまでに大変お金が掛かる。何しろ基本となるデッキを揃えるだけでも一財産なのだ。もちろんデッキを作って”はいそれまで”とはいかない。デッキの弱点を埋めたり、さらに発展させたりと必要なレアカード数はどんどん増えていく。この学園の生徒の多くがデッキを一つしか所持していないのは、”こだわり”というよりも”経済的な問題”によるものだろう。
このデュエルアカデミアはプロデュエリストの養成機関である。
結局のところ、ここに入学できるのはある程度の経済的余裕を持った家庭の子女であり、それは所謂ところのお坊ちゃま、お嬢様方である。経済的基準の合格ラインに達しているかは入学試験の実技で試される。そもそも、実技試験は別に勝たなくとも合格は出来る。要するにそれなりのカードを揃えて来ていることを試験官に示し、その上である程度のプレイングができれば良い訳である。実際、実技試験で試験官に勝った生徒は全体の二割弱しかいない。
しかしいくら裕福な家の子女とは言え、お金を持っているのはあくまで親であって彼らではない。この学園で販売されている学園特別仕様のカードパックは、外で一般的に売られているものと比べて随分上級カードが出やすいのだが、それを買うのに使うお金だって親から毎月貰うお小遣いだ。
つまり何が言いたいのかと言うと――
「おねがいします!!」
夜。
翔は俺の部屋に訪れるなりジャンピング土下座をかましてくれていた。
決して頭を上げない土下座の姿勢。そこに両手を頭の上に持っていき、お手手のしわとしわを合わせ、すりすりしている。所謂究極的なお願いのポーズである。
される自分はまったく幸せではないのだが……。
「おねがいします!!
ブラックマジシャンガールちゃんを譲ってほしいっす!
そのためなら、僕は悪魔に魂を売る事も厭わないっす!」
「でもお金持ってないでしょ?
たぶん翔の月々のお小遣いだとぜんぜん足らないと思うけど……」
「おねがいします!!
お金は将来必ず返します! でもブラックマジシャンガールちゃんの絵違いカードは……今を逃すと、永遠に手に入らないっす!」
詰まる所、翔は【ブラック・マジシャン・ガール】の熱狂的かつカルト的なファンであったわけだ。お昼に俺のパソコンを見て驚いたのは、絵違いの【ブラック・マジシャン・ガール】に思考の全てを持っていかれたからであったらしい。
因みにお昼に教室に来た訳は、十代に「神のヤツも誘って一緒にお昼食おうぜ」と言われて探しに来たからだそうだ。なんとなく予想は付いてたけどね。
「おねがいします!!
神君が言うならなんでもします。鼻でスパゲッティー1皿を平らげても平気っす」
う~ん……。
マジシャンガールは絵違い含めて21枚持ってるから譲ってあげてもいいんだけど、悪しき前例を作る事になるしな。
ここは申し訳ないけど――
「翔、俺としてはここでこのカードを譲ってあげてもいい。
でもそうするときっと今の翔のように、俺のところに来て土下座をかますバカが一杯出てくることになる。だから――」
「な、なら条件っす! 何か条件を付けて欲しいっす!
何かみんなが真似したくないような条件をつけてくれれば……」
条件付けか……。
そうまでしてカードが欲しいその意欲は買うけど、特に翔にやって貰いたい事ってないしな……。
「おねがいします!! 本当にどんな事でもするっす」
翔は変わらず土下座の姿勢を貫いている。
まさか土下座されるのがこんなに居心地が悪いとは思わなかった。これはこれで一種の暴力だわ……。
う~ん……。
――――――。
う~~~ん……。
――――――――。
――――――――……よしっ。
実際そこまで惜しいカードでもない訳で、さすがにこれだけの熱意で頼まれたら断りにくい。
俺にとって数あるうちの1枚でも、翔の手に渡れば宝物になるだろうしね。
「男に二言はないな」
「もちろん!」
「……ちょっと待ってろ」
寝室に戻り、特注した金庫を開く。洋服ダンス程の大きさがある大金庫だ。
金庫内に仕舞われたカードケースを開き、中から目当てのカード2枚を取り出す。
リビングに戻ると、翔はまだ土下座の姿勢を崩していなかった。
「土下座はもういいよ。取り合えず顔を上げてくれ」
翔は上半身を起こし、地面に正座したままの体勢となる。
まず【ブラック・マジジャン・ガール】の絵違いの1枚を翔に見せる。サイトに写真を乗せたあれだ。
カードを見て、極上の笑みを浮かべる翔。
きっと幸せ最高潮の人間はこういう笑顔を浮かべるのではないだろうか?
あれ?
翔の周りにキラキラした幻覚のお花畑が見える……。
ゴシゴシと目をこすり……――
…………。
……うん。
どうやら気のせいだったようだ。
――さて、気を取り直して。
「お前の欲しがっているこのマジシャンガールなんだが、こいつはすでにオークションの商品として予約を入れてしまっている。
悪いけど、さすがにこれを翔に譲る事はできない。信用にかかわるからね」
実際には複数枚持っているわけなのだが、どうしてそんなに持っているかと聞かれて説明するのも面倒だ。
翔の表情が地獄に落ちたかのように歪む。
今度は周囲に荒野と枯れ木の幻影を連れてくる。
気のせいだけど気のせいじゃない!
う~ん、ソリッドビジョンいらず。これってひょっとしたら、何かの超能力なのだろうか?
「でもだ。実はもう1種類、マジシャンガールの絵違いカードを持っている」
1枚目を仕舞い、2枚目のマジシャンガールを翔に見せる。
右手で杖を頭上に掲げ、左手を腰に当てているカードだ。背景にはハートが飛び散り、どこか幼児向けの魔女っ子ものを思わせる1枚である。
翔の表情は再び勇気と希望に満ち溢れたものへと変わっていく。
「で……だ。
このカードでもよければ、さっき翔が言ったように条件付きで譲ってあげてもいい」
「もちろんっす! どんな条件でも飲むっす!」
おお、即答。
「それじゃあ、条件の説明だ。このカードは取り合えず今日のところ翔に渡しておく。翔は今日からこのカードの仮の持ち主となる」
「仮の?」
はてなを頭の上に浮かべる翔。
「そう、仮のだ。翔が真の持ち主になれかどうかを見るのは3年後の卒業だ。
で、ここからが条件だが――まず、翔は卒業するまで、定期試験の度に各教科の成績を俺に見せる事。そしてその中に90点以下の答案用紙が1枚でもあれば、【ブラック・マジジャン・ガール】はその場で没収だ」
「ええーーーー!?」
「つまりだ。
卒業までの3年間、全教科のテストで90点以上採り続けること。これが条件だ」
「い、いくらなんでも無理だよ! むちゃくちゃっす!」
「朝に言ったろ? テストの点数を決めるのはただ単純な勉強時間だって」
「で、でも――」
「いいから根性を見せろ! お前のブラマジガールに対する【愛】はそんなものか!?」
「!? ――ぼ、ぼくの……ブラックマジシャンガールちゃんに対する、【愛】……!」
翔の表情が徐々に引き締まっていく。
穏やかさと決意がない交ぜとなった彼の顔は、まるで菩提樹の元で悟りを得たブッタのようであった。
「でもそうだね……。さすがに3年間の定期試験、その全てを90点以上取るともなると、まれにケアレスミスで失敗する事もあるだろう。だからチャンスをあげよう。翔は2回だけ失敗することを許す。つまり卒業するまでに、2枚だけ90点以下の答案用紙があってもOKだ」
「――――!
――うん。わかったよ、神君。
僕、やるよ。……必ずやりこなして見せる!」
翔は少し考えた後、心を決めたようだ。
元々翔にとって選択の余地などないのだから、心を決めるしかないわけだが。
「それじゃあ、【ブラック・マジジャン・ガール】を渡す」
「はい!」
まるで王から褒美を授かる騎士のように片ひざを付き、頭を下げ、両手で【ブラック・マジジャン・ガール】の絵違いカードを受け取る翔。
「今日はこれで解散だ。
あ、そうそう、俺が神オクの管理人だってことは秘密にしておいてくれよな」
すでに俺がネットオークションを主催していることを話してある。
「うん、わかった!」
翔はそのままの姿勢でしばらくマジシャンガールのカードを眺めていた。一瞬「にへら~」としまらない笑顔を浮かべるも、すぐに頭を振って表情を引き締める。
そして傷つけないようカードを慎重に、そっと自分のカードフォルダへと仕舞いこんだ。
「神君、今日は本当にありがとうございました。僕はこれで帰ります」
「ああ、夜道に気をつけろよ。明日から勉強頑張れ」
「うん! それじゃあ神君、また明日っす」
翔はきびすを返し、去っていく。
その小さな背中は、本当に守るべき何かを見つけた一人の
「ふっ……がんばれよ……翔」
ニヒルにそんな背中に向かってつぶやく俺……って、何やってんだ俺は!?
まぁいっか。
これで翔は嫌でも遊ぶ誘惑を躱し、勉強に時間を充てなければならなくなった訳だ。これを機会に落ちこぼれから卒業できれば万々歳である。
俺はダブリのあるカードを1枚失っただけだし、結果的には誰も不幸になっていない。
さて。
腹も減ったし、晩飯でも食いに行きますか。
この事が後々厄介な大騒動を引き起こすきっかけとなるのだが――
それはまた