京香達と別れ、艦娘達と話をしていた群像と合流し、イオナは「話がある」と二人を自室へと連れて歩く。二人がそれぞれ椅子やベッドに腰を落ち着け、話を聞く体勢が整ったことを確認して、少女は明石から預かったタブレットに、自身のナノマテリアルで生成したメモリーカードを差し込んだ。
「イオナ姉様、話というのは……」
「一つ、確認してもらいたいデータが有る。二人はこれに心当たりはあるだろうか」
イオナが画面に指先で触れ、メモリーカードを介して送ったデータをそれぞれ開いてゆく。日時、場所、会話記録などの文章データと、誰かの視界を介して保存されたと思われる動画が一つ。イオナの指がその動画を再生したその直後、二人の目が驚愕によって見開かれた。
「コンゴウ……?!」
「それにこの声と視点、イオナの記憶データなのか……これは」
「そうらしい。その様子だと、やはり二人もこの事は知らないようだな」
イオナがタブレットを介して二人に見せたのは、群像やヒュウガ、そしてイオナが、黒の艦隊旗艦である大戦艦コンゴウのメンタルモデルとテーブルを挟んで会話をしている姿。さらにその会談の場として使われていたのは、あろうことか彼等の拠点である硫黄島の基地内部であった。
「メモリー上では、この画面に映っている人物やメンタルモデルが我々であると記録されている。だが、三人が知る硫黄島ではこのような事態は発生していない。……なら、ここにいる私達は、映像に映るあれは誰だ?」
自分と殆ど変わらぬ姿をした誰かが、自分達の知る人物によく似た誰かと話すだけの動画。『イオナの記憶』として存在するそれは、彼女らにとっても、彼女らをよく知らない京香や艦娘達にとっても、異物に他ならなかった。
【Depth.009】
「司令官、アンタ宛に文書が届いてるわよ」
まったくなんで今時アナログ媒体なんか使ってんのかしら、とブツブツ文句を言いながら叢雲が手渡してきた封筒を受け取る。早朝から表に出ての受け取りを運悪く押し付けられたらしく、その手先や耳に血液が集中して紅潮しているのが見受けられる。
軽く労いの言葉を掛けつつコーヒーを手渡し、京香はその包の封を切った。
「普段はメールなんだけど、イオナたちの進言で今回はちょっとね」
「何それ、傍受されてるってこと?」
「可能性の話よ」
現に402、400かも知れない『誰か』は戦闘中を見計らってこちらにコンタクトを取ってきた、と京香は呟き自分のマグカップを揺らす。
「全部を覗かれてるわけじゃないだろうけど」
「そこまで行くとちょっと洒落にならないわ」
「始めっから洒落になってないのよねー」
二人揃ってのため息。そうこうしている内に京香は取り出した文書に一通り目を通し終わっており、それを叩くように机へ放り出す。
「それで内容は?」
「……函館を出る予定の輸送隊から。護衛艦の編成変更、通常編成及び乙種艦娘『摩耶』を名乗る者の援護を受けて横須賀へと向かう、だってさ」
「……乙種、って」
京香は、401を対タカオ戦に組み込む際に横須賀の本営へと二つの要請をしていた。一つは、他の艦隊、駐屯地などから艦娘や艦艇などの通常戦力を出さず、第五艦娘駐屯地の戦力のみで対応行動に出ること。そしてもう一つは、『霧』と名乗る彼女らを便宜上艦娘の亜種として扱い、民間へその存在が認知された際の混乱を可能な限り抑える事。
そうして用意された呼び名が『霧の艦隊』改め『乙種艦娘』というものであった。そして、イオナとタカオ以外の接触が無い現状では、『霧』や『メンタルモデル』という呼称を使用する京香らにとっては書類上のものでしか無く、ましてや当の『霧』本人がその呼称を使用するなど考えてすらいなかったのだ。
「されてるかも、じゃなかったわね」
「そうみたい」
「仕方ない。『霧の艦隊』と思われるマヤへのコンタクトを取りましょう」
「大丈夫? 罠じゃないの?」
叢雲が眉根を寄せて京香を睨む。
「その可能性も考えてはみたけど、輸送隊を人質に取られてる以上こっちから打てる手もそんなに思いつかないのよね……それに意図的に呼称をこちらに合わせてるのなら、目的はどうあれ交渉の余地があると考えた方が建設的かと思うのよ」
「難儀だわ……」
「一応イオナや千早君達にも話はしておいて。霧に関してはあの子達の力を借りるのが一番確実だし、一旦ミーティングはしておきましょ」
「了解。一体何が目的なのやら……」
ぶつぶつと文句を言いながら部屋を去る叢雲を見送り、京香は再び机の上の封筒を手に取る。先程机の上に置いた一枚とは別に、その中からもう一枚の文書が出てきた。
そこに書いていたのは『ハルナ』と名乗る少女が熊のぬいぐるみを連れ『刑部蒔絵』という少女を探しながら南下している、という注意喚起。現時点では敵性行動は認められないが、軍事拠点を中心に聞き込みを行っていることから一応の警戒を、という旨の文面であった。
そして、マヤの行動タイミングと『ハルナ』の大凡の移動速度、目撃情報の一覧から、その双方が第五艦娘駐屯地、ないし此処にいるイオナや千早群像などを標的としている可能性がある事も明白であった。
「うーん、陸上戦に慣れた艦娘ってウチ居ないし、街中でドンパチやるわけにも行かないし、どうしたものかしらね……」
手にしていた書類を机上に投げ置き、丸まっていた背筋をぐぐ、と伸ばす。机にかじりついていたところでいい案が浮かぶわけでもなく、かといって群像らを呼びに叢雲を向かわせた手前、気分転換に営内を歩き回ろう、ということもできず。京香はひとしきり悩んだ結果、大人しく茶でも淹れながら彼等を待とう、という結論に至った。
「華見司令。いきなりで済まないが話がある」
「イオナ? どうしたの急に」
そうしてしばらく時間を潰していると、ノックもおざなりに扉を開けてイオナが執務室へと足早に入ってくる。彼女の背後に視線を向けてみても群像らの姿はなく、どうやら彼女は何らかの目的があって一人きりで此処に足を向けたらしい。
「重巡洋艦マヤ、戦艦ハルナらのメンタルモデルがこちらに向かって来ている事は知っているな」
「なんでそれを……」
「別に難しい話ではないよ。厄介な話ではあるがね」
眉をひそめ、露骨に嫌そうな表情を浮かべる京香を気にする素振りなど微塵も見せず、イオナは悠々とソファに腰を下ろす。次いでその口から出てきた言葉に、京香はマッサージでもしなければ取れないのではないか、という程に深い皺を眉間に彫り込む羽目になった。
「ハルナの方から接触があった。マヤを函館の輸送隊に付けてこちらに向かわせたという旨と、本日夜から明日の朝に掛けてのタイミングでハルナ、キリシマが陸路から此処に到着する、とな」
「用件は?」
「……話がしたいそうだ」
「……渡りに船といったところかしら」
「何のことだ」
「こっちの話」
イオナの問いに簡潔に答え、京香は先程まで読んでいた書類をイオナに手渡す。渡されたそれを一通り検め、彼女はふむと小さく唸った。
「なるほど。それでコンタクトが取れれば、と考えていたと」
「ええ。イオナに向こうから接触があったのなら好都合だわ。私と一緒にハルナの方に対応してくれない? マヤにはタカオと何人かの艦娘を当てるから」
「それは構わないが、いいのか?」
「何が?」
間髪を入れずに問い返してくる京香の言葉に、イオナは少し考え込む。私は何と答えれば、彼女がこちらの質問に答えを返してくるだろうか、と。
京香の表情を見てみれば、本心から疑問を持っている風でもなく、十中八九何かしらの意図をもっての問いかけなのだろう、とは思える。
「……質問を変えよう。確かにタカオは私の監督下にあるが、彼女を一人艦娘たちの中に残すことに対して警戒や不安の類はないのか?」
「そりゃあ不安もなくはないけど、メンタルモデル三人を一か所に固めて片方を手薄にはしたくないし。かといって戦艦榛名のメンタルモデルの方にイオナだけ、っていうのは少し戦力的に不安があるじゃない」
ならばヒュウガを連れ、私をタカオの監督者にすればいいのではないか、そう言うイオナに対してうーむ、と唸り声を上げた後、京香は小さく首を振った。それも考えはしたが、ハルナは恐らくイオナ、千早群像らとの接触を望んでいるため二人を除外することは出来ないと言って苦笑いを浮かべる。
よって、イオナの麾下にあり反逆行為が不可能であるということを信用してタカオを残すくらいしか考えつかなかったという旨の科白を口にした。
「それに、同じタカオ型だし仲良くやれるんじゃないかなーって」
「……同型艦だったな、そういえば」
京香の投げやりな物言いに、イオナもまた投げやりな同意を返して手に持っていた書類を机上へと置いた。
そして同日の深夜。ほとんどの艦娘やスタッフが眠りにつき、宿直を担当する一部の者や、これまた一部の艦娘らが私用で起きているのみとなった頃。正面玄関を音もなく通り抜ける人影が一つあった。
照明の切られた室内、玄関扉にその人影がそろりと手を掛ける。
「こんな時間に散歩? 来客とはいえ外出届は出してもらわなくちゃ困るわね」
「……よく気付いたな」
驚いたような表情を見せて、少女は声の主の方へと視線を向ける。その先には、壁に背を預けてこちらを見て笑みを浮かべる京香の姿があった。数刻ほどこの場所に居たのか、彼女の眼は時折眠気に負けるように瞬きを繰り返し、そしてこうして話している最中にも、京香は欠伸を嚙み殺して首を振ってみせている。
開けようとしていた扉から手を離し、イオナは呆れたように肩を竦めた。
「何時間ほど待っていたんだ?」
「ざっと二時間くらいかしらね。一人で出ていくんだろうなとは思ったけどそれがいつかまでは分からなかったし」
「……一応貴方がたの世話になっている身だからな。もしハルナらが敵意を持っていたらと考えれば迂闊に前面に押し出す訳にもいかないだろう」
「まあそれは分からなくもないけど、だったらひと声掛けてって欲しいかなって」
それもそうか、と納得を示し、再びイオナが扉に手を掛けたところで京香は慌ててその手を遮った。小さく首を傾げる少女に、彼女は軽く声を荒げる。
「で、いきなりなんで出ていこうとする訳?」
「先の会話で、私は貴方に外出することを知らせた事になるだろう、なら出て行ったところで問題は」
「大アリに決まってんでしょ。ハルナとの接触は私も立ち会う、それは覆さないから」
「……何故そこまでリスクを背負いたがる?」
「……逆に聞くけど、霧って今回みたいな搦手を使ってまで個人を狙うほど人間を憎悪してるの?」
「それはないな、人類に対しての敵対行動はあくまでもアドミラリティ・コードに従ってのみの事だ。霧の各個体が明確に敵意を持って行っているものではない」
イオナの否定にほれ見ろと言わんばかりに頷き、京香は口角を上げて笑う。何かしらの意図はあれど、それらは私個人を狙ってのものではないだろうと。
あくまでも『偶然飛ばされた何処かの世界における、霧と接触を持った人間の一人』に過ぎない人物をわざわざ殺害する必要がどこにあるか、と考え始めた辺りで、その疑問は無駄なことだと悟る。
現時点で確認できるハルナらの行動自体が、元の世界に帰った時点で一切の関わりが絶たれるであろう存在を始末するためだけに掛けるような手間ではないのだから。
「それに、気付いてないかもしれないけど、最初に会った時とかなり話し方が変わってるからね」
「……何?」
「どういう理由かは知らないけど。この間言ってた精査したいデータっていうの、ひょっとしたら関係あるかもしれないでしょ」
「ああ、なるほど。ハルナとの接触で新しいデータが増えるかもしれない、という事か」
「そういうこと。だから出来る限り直接確認したいのよ、そちらも長居する気は元々ないでしょうし、こっちとしても『技術力に開きのある敵性艦』に長居されると困るって訳」
京香が話す内容を受けて、やがて諦めたようにイオナは首を振り、そして扉をゆっくりと開く。扉の隙間から吹き込む冷たい風に眉をひそめた京香が、街灯の下に佇む人影に気付くのに、さして時間は必要なかった。警戒心がごくりと喉を鳴らし、輸送隊の駐屯地到着を知らせるサイレンが、緊張感を耳から刺し入れる。
やがて街灯の光を抜けて歩いてきたのは、銅鐸のようなシルエットのコート姿。金髪ツインテールのその少女は、京香、イオナと数mの距離まで近づいたところでぴたりと足を止めた。
「霧の艦隊、大戦艦ハルナだ。お前が此処の指揮官か?」
京香の背筋を、恐怖心が強くなぞった。