公爵家の片隅で   作:FTR

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第7話

 季節は巡る。春が過ぎれば夏が来る。

 トリステインの辺境にあるヴァリエール地方にも、そんな夏が来た。

 

「うひゃ~、やっぱり外は暑いなあ」

 

 お茶配り担当の午後、庭を歩きながら降り注ぐ日差しに私は空を見上げた。

 『おりゃー』っとばかりに天空のど真ん中で存在感をアピールしてる太陽が、これでもかとばかりに熱気をぶつけて来ている。夏は暑いものだけど、これはさすがに少しは手加減して欲しいよ、お天道様。

 

「夏服でも暑いね」

 

 隣で襟元をパタパタしながらシンシアも同意して来る。この時期は半袖の着用を認められているけど、シンシアが言うとおり夏物を着ても暑いものは暑い。降り注ぐ日差しがじりじりと半袖の腕のあたりを焼いているのを感じる。そんな季節でも私たちメイドの中には半袖だと日焼けするという理由で長袖で通す剛の者もいたりもするし、色白は七難隠すと聞くけど、私くらいの年齢なら多少日焼けしてた方が可愛く見えるんじゃないかと思ったりもする。健康美だって女の子の魅力の一つなはずだ。

 

「夏はやっぱりシンシアの髪が羨ましいわ」

 

「何で?」

 

「だって、黒髪って暑いんだもん」

 

 ブロンドのシンシアと違い、私の髪は強いブルネット。カラスみたいに真っ黒だ。キャップを被っているとは言え、頭全体を覆ってくれるわけじゃない。外に出るとそのキャップから外れた髪が日差しの熱を吸収して、これがまためちゃくちゃ暑い。

 

「そんなことないよ。私だって暑いものは暑いよ」

 

「そうかなあ。試しに今度染めてみる?」

 

「髪染め持ってるの?」

 

「いや、炭か何かで」

 

「……ナミが白くするなら付き合ってあげる。暖炉の灰で」

 

「そ、それはやだなあ」

 

 

 

 そんなことを話しながらお茶を配り終わり、母屋に向かって帰っている時だった。

 

「おりょ?」

 

「どうしたの?」

 

 ふと目にしたものに興味を惹かれて私は足を止めた。

 池の端に、画材が置いてあった。イーゼルにキャンバス。キャンバスを見てみると、木炭の綺麗な線で女の子がうたた寝している情景が描かれている。一目見ただけで『午睡』というフレーズが浮かびそうな絵だった。

 見れば、池の向こうにある東屋の椅子で、ルイズお嬢様が静かに寝息を立てていた。なるほど、あそこは確かに涼しくてお昼寝にはもってこいだ。可愛らしいルイズお嬢様は、当然寝姿も可愛らしい。シンシアはもとより、私まで変な発作が起こりそうな愛らしさだ。そんなルイズお嬢様をそのまま写実的に描いた目の前の絵は、絵心がない私が見ても判るくらいすごく丁寧に描かれていた。本当に上手いと思う。図柄を通して描き手の几帳面な性格が伺える、今にも動き出しそうな感じの見る物を引き込む何かを感じる絵だ。

 でも、私が目を引かれたのは、その絵のせいだけじゃなかった。私の視線を追いかけてそれを見たシンシアの目に星が輝き始めている。

 その絵を傍らにあるベンチの上に座ってじっとキャンバス見ていたのは、一匹の猫だった。

 全身真っ黒けっけな、絵にかいたような黒猫。

 まるで哲学者のような雰囲気で絵を見つめる黒い猫。何だか不思議な雰囲気だ。

 

「かわいい~、どこから入って来たのかしら」

 

 緩みまくった顔でシンシアは件の猫を抱えあげた。人馴れしている気配と毛艶からして、恐らくは飼い猫だろう。

 インクで染めたみたいに黒い子だった。肉球も黒い。完璧だ。きっと夏場は私同様に暑いことだろう。毛並みが良く、顔だちも気品がある。すごい美人さん、いや美猫さんだ。

 思わず私も顔がゆるむ。青いつぶらな瞳が何とも言えない。まだ大人にはなりきっていないところがまたかわいい。

 

「かわいいね~。私にも貸して」

 

 そんな猫をシンシアから受け取って抱っこする。抱っこすると、やっぱり黒い毛皮はほっこりと温かい。

 

「こら、にゃんのすけ。どこから来たんだ、お前」

 

 う~ん、柔らかい。これぞ猫、という感じだ。それにしても大人しい子だなあ。じっと体を丸めて抱っこされたまま、すべてを抱き手に委ねている感じだ。よっぽど抱っこされ慣れているのだろう。

 おっと、肝心ことを確認せねば。どれどれ。

 

「あ、オスだ」

 

「ど、どこを見てんのよ!」

 

 私の呟きに、シンシアが顔を真っ赤にして大きな声を出した。

 

「どこって、タ……」

 

「こら~っ!」

 

「別にいいじゃない、猫なんだし。ほら」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王都のとある商家で、帳簿をつけていた店主が弾かれたように顔を上げた。

 

「どうしたの?」

 

 そんな様子に、棚に上って商品の整理をしていた彼の妻が声をかける。

 

「いや、今、ナミの悲鳴が聞こえたような気がしたんだ」

 

「ナミの?……気のせいじゃない?」

 

「君には、聞こえなかったかい?」

 

「何も?」

 

「そうか……ちょっと疲れてるのかな」

 

「ちょっと~、無理しないでよね。疲労回復の薬でも作ろうか?」

 

「い、いや、それはまたの機会に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シンシアひどいよ~」

 

 頭から突っ込んだ植え込みから這い出す私を睨んで、猫を抱っこしているシンシア。

 

「ふん、だ。謝らないからね。おお、よしよし。本当にえっちなお姉ちゃんよね~」

 

 この子は何気にこういう冗談は苦手だということを再確認した。制裁にも手加減がないよ、まったくもう。杖まで出すとは思わなかった。

 あ~あ、植え込み乱れちゃったよ。ミスタ・ドラクロワに怒られるかな、これ。

 そんなやりとりをしていると、足音が聞こえた。次いで驚いたような声。

 

「あ、見つかっちゃったかな」

 

 柔らかい、落ち着いた男の人の声。そこにアランが画材を抱えて困った顔をして立っていた。追加の画材でも取りに行っていたのかな。

 

「やっぱりアランのだったんだ」

 

 私の周囲で、絵を描く人は一人しかない。たぶん彼のものだろうとは思っていた。

 

「はは、バレてたみたいだね」

 

「今日はお休み?」

 

 私の問いにアランは苦笑いしながら頷いた。

 

「天気もいいから、絵筆を執ろうと思ってね。うろうろしてたら素敵なモチーフを見つけたから、ちょっと描いてみようかと」

 

「素敵なのは同意だけど、さすがに無断で描いちゃまずくない?」

 

 その点は彼も気にしていたらしい。人差し指を口に当てて顔をしかめる。

 

「できればここだけの話にして欲しい。色を入れるときはアレンジするから」

 

 とぼけたような仕草だけど、その眼差しに、何となく彼の中にある絵に対する情熱が感じ取れた。

 彼が絵を描くことは知っていたし、お給料のほとんどを画材に費やしていることはジャンか聞いたことがあった。聞けば、画材というのはすごく高いらしい。信じられないことに、絵具なんかは上を見たら一匙でお給料が吹っ飛ぶこともあるくらいの値段なんだそうな。無駄遣いの話とか聞いたことないし、お給料、ほとんど絵に注ぎ込んじゃってるんじゃないかな、アランって。それだけ何かひとつのことに打ち込めるというのは、何だかちょっと羨ましい。

 

「でも、さすがに上手だね~」

 

「まだまだだよ。これくらいじゃ買い手はつかないと思う」

 

「そうなの?」

 

「売れても二束三文だろうね。もっと丁寧に描きこまないと」

 

 噂話で聞いたことがある。アランの家は下級の貴族なんだけど、絵ばかり描いているから家と折り合いが悪いんだとか。恐らく、三男坊なりにしっかりした身の振り方を考えるべきなのに絵に情熱を傾ける彼を、家の人は快く思っていないのだろう。確かに、画家を志すような人は貴族の社会では変わり者だと思う。

 そんなアランの絵だけど、彼は謙遜しているけど、私の主観ではルイズお嬢様の魅力を十二分に引き出しているように思う。思わず顔が緩みそうな微笑ましい絵だ。これでもダメだというのだから、プロの世界というのは恐ろしいところなのだろう。

 

「アランって子供好きなの?」

 

「好きだよ。可愛いしね」

 

 彼の名誉のために言えば、この場合の好きというのは小児性愛のそれではなく、犬猫を愛でるような意味の可愛さを感じるという意味だろう。その目線の優しさも、何だかお兄さんやお父さんみたいな感じだ。

 

「大人の女の人は描いたりしないの?」

 

「そりゃ、いいモデルがいれば描いてみたいよ」

 

「描いてるじゃない、いいモデル」

 

 聞こえたシンシアの声に振り返ると、彼女がベンチに置いてあった数枚のスケッチを手にしていた。彼の習作の束だろうか。

 

「こ、こら、それはダメだよ!」

 

 慌ててスケッチを取り上げるアランだけど、今更隠してももう遅い。私たちは見てしまった。

 スケッチはどれもこれも、みんなミリアム女史の姿を描きとめたものだった。きちんとモデルとして描いたものではなく、彼女の日常の一コマを切り出したようなスケッチだ。一目見たそれを、瞬時に絵にしているのだろう。

 

「うわ~、大変な秘密を知ってしまった」

 

「ずいぶん美人に描かれているよね~。教えてあげたらメイド長喜ぶかなあ」

 

 公然の秘密を初めて知ったように意地悪く言う私たちに、アランが苦い顔をする。

 

「君たち、交渉の余地はあるのかな?」

 

「私は甘いものがいいなあ。シンシアは?」

 

「右に同じ」

 

「判った。善処する」

 

 懐具合を知ってるだけに、あまり高いものをたかるのは気が引ける。お茶菓子くらいで手を打ってあげよう。

 でも、今のスケッチ一枚でもメイド長絶対にいちころだと思うんだけどなあ。下手なラブレターより効果があると思う。スケッチだけど、絵に込められた熱量の凄さは私にも判るくらいだ。いやはや、女冥利に尽きるね、メイド長も。さっさとくっついちゃえばいいのに。

 

 そんなやり取りをしていると、シンシアの手の中から黒にゃんこがするりと抜け出した。てってけて~と走って行った先に立っていた人物を見て、私たちは全員息をのんで背筋を伸ばして直立不動の姿勢を取った。

 靡くブロンドヘアー。猫を抱っこしながら、メガネの奥から鋭い視線を向けてくるお姫様。

 

 何故にここにエレオノール様がいるのだ?

 

 私は乾きかけてもつれた舌を必死に動かした。

 

「お、お帰りなさいませ、エレオノールお嬢様。気づかずに申し訳ありません。いつお戻りに?」

 

「今朝よ」

 

 帰ってくる言葉の温度が妙に低い。ご機嫌がだいぶ傾斜しているような気がする。慌ててシンシアに視線を向け、『目と目で通じ合う』私たち。

 

『シ、シンシア聞いてた?』

 

『知らないよ~。朝礼でも言われてないし、今朝も集合かからなかったし』

 

『だよね~。お出迎えとかどうしたんだろう』

 

 そんな私たちから視線を外し、ずんずんとエレオノールお嬢様はアランの絵に近づいた。メガネを直しながら、食い入るような視線を向けている。これはまずいかも。勝手にルイズお嬢様の寝姿を描いているんだから、ばれたら絶対怒られるだろう。アランを見ると、蒼白の顔面に滝のような汗を流している。脂汗とか冷や汗とか、体の水分が全部出てっちゃって、そのうち体がぱさぱさになりそうな感じだ。

 そんな私たちの心中を知ってか知らずか、エレオノールお嬢様が抑揚のない声で訊いてきた。

 

「これを描いたのは誰?」

 

 その言葉に直立不動の姿勢でアランが答える。

 

「私です」

 

「ふ~ん……」

 

 再び視線を絵に注ぎ、唸り声をあげるエレオノールお嬢様。まじまじと、それこそキャンバスに穴が開くほどじっくりをその絵を検分している。沈黙が重い。アランの顔は、まるで処刑直前の死刑囚みたいだ。

 

「あの……ルイズお嬢様を勝手にモチーフにしてしまったことにつきましてはお詫びいたします」

 

 そんな感じに必死に弁解するアランの言葉を、エレオノールお嬢様は聞こえたなかったみたいに流した。

 

「色が入るまでどれくらい?」

 

「はい?」

 

「絵が出来上がるのはいつかと訊いているの」

 

「は、はい。1週間もあれば」

 

「そう……なら、出来上がったら私のところに持って来なさい」

 

「え?」

 

 予想もしていなかった言葉にアランも私たちも言葉が出なかった。

 

「間抜け面してるんじゃないわよ。どうせ買い手もつかない絵でしょうけど、この程度の絵でヴァリエールの娘だと言われても困るのよ。外に流れてもらっちゃたまらないわ。仕方がないから、私が引き取ってあげると言っているの。多少の手間賃は出してあげるわ。ありがたく思いなさい」

 

 その言葉を理解するまで数秒かかり、アランは安堵のため息と一緒に頭を下げた。

 

「か、感謝を」

 

 低頭するアランを見ながら、私は自分の笑顔が引きつっているのを感じた。

 許してくれるのは嬉しいことだけど、でも理由が変ですよ、エレオノールお嬢様。そういうことなら絵を描くのやめさせればいいだけなのに。その辺を追及するのは、きっと無粋というものなのだろう。

 

 絵に関する騒動はそもかく、気になるのはエレオノールお嬢様の腕の中にすっぽり収まっている黒にゃんこだ。

 

「あの、エレオノールお嬢様」

 

「何?」

 

「その猫は、もしかして……」

 

「そう、私の使い魔よ。名前はノワール。覚えておきなさい」

 

 私とシンシアは目を丸くして驚いた。

 エレオノールお嬢様の使い魔は、黒猫だったのか!

 土の属性と聞くエレオノールお嬢様のことだから、てっきりモグラみたいなイメージでいたよ。猫かあ……考えてみれば地水火風の属性では土以外の他の属性と結びつかないし、地を駆けるという事なら確かに属性は土っぽい、かな。

 

「素晴らしいです。何て素敵な使い魔でしょう。ああ、羨ましゅうございます」

 

 目に星を散らしながらシンシアが素直な感想を言う。お世辞のようにも聞こえるが、緩みきった表情が雄弁にそれを否定している。間違いなく、これはこの子の魂からの本音だ。恐らく頭の中で考えていることがそのまま漏れ出しているのだろう。

 

「そうでもないわね。見た目は悪くないけど、これと言って得意なことのない子よ」

 

「そんなことありません、そんなにかわいいではありませんか」

 

 怖いほどの気迫をまき散らしてシンシアが拳を握って力説する。

 

「まあ、かわいいことは確かね」

 

 シンシアの言葉にそっけない感じで答えるけど、エレオノールお嬢様の表情は今にも緩みそうだった。隠しきれないくらい全身から『溺愛してます』という雰囲気が滲み出ている。褒められて悪い気はしないのだろう。何かいいな、こういうのって。

 それにしてもノワールって……そのまんまな名前だけど、それだけに実に相応しい名前な気もする。

 じっとノワール君を見ると、真ん丸な目で私を見返してくる。

 う~ん、確かにかわいいぞこの子、ってそこで不思議そうに首傾げるな、かわいいから。私まで発作が起きそうだ。

 

「それはそうと……」

 

 そんな私に、エレオノールお嬢様が鋭い視線を向けてきた。射抜くような鋭い視線だ。な、何で?

 

「ナミ、あんたさっきこの子に変なことしたでしょ?」

 

「え?」

 

 何故それを、と思いかけて、前に聞いた使い魔に関する話を私は思い出した。

 メイジと使い魔は一心同体。その感覚も共有できるとか。つまり、ノワール君が見たものはエレオノールお嬢様も見ているわけで……。

 それを理解した瞬間、私の全身の血の気が引いた。

 私が逃走を選択するより早く、エレオノールお嬢様の手が私の耳たぶを捕らえていた。

 

「ちょっと来なさい」

 

「ご、ご勘弁を!」

 

 

 

 

 

 

 

 王都のとある商家で、一休みに妻と差し向かいでお茶を飲んでいた店主が再び顔を上げた。

 

「まただ」

 

「またナミの悲鳴?」

 

「君には、聞こえないのかい?」

 

「聞こえないわ」

 

「おかしいなあ」

 

 首を傾げる店主の前で、彼の妻の柳眉が逆立つ。

 

「ねえ、旦那様?」

 

「何?」

 

「今、ここにいるのは誰?」

 

「……君だよ?」

 

「二人きりよね?」

 

「そうだね」

 

「それなのに、娘とは言え、違う女に意識を奪われてるっていうのはどういうことかしらね?」

 

「ごめん、悪かった。悪かったから杖はしまってくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 夜、鏡を見ながら私は何度もほっぺたをさすっていた。

 

「う~、まだ腫れぼったい感じがするよ……」

 

 自分で治癒魔法をかけたけど、まだほっぺた全体がぼわーっと熱を持ってる感じがする。

 

「ねえ、もう腫れてない?」

 

 そんな私の隣で、ご機嫌でシャンパンを舐めている同居人に訊いてみる。

 

「大丈夫よ。いつもどおり」

 

 む。適当に答えているな、こいつ。

 

「よく見てよ~」

 

「大丈夫だってば」

 

 涙目の私のほっぺたを両手でぺちぺち叩いてシンシアが笑う。笑い事じゃないよ。

 

「うう、最近手加減してくれない人が周りに多い気がする……」

 

 我が事ながら、人間のほっぺたがあんなに伸びるものだとは知らなかったよ。

 

「自業自得。かわいいノワール君に変なことをするからよ」

 

「だって~」

 

 そんな私たちを見ながら、一緒に飲んでるソフィーが笑う。

 こういう部分で微妙にシンシアとは価値基準が合わないけど、その間にソフィーがいると不思議と笑い話で終わってしまうから不思議だ。何だかんだで私たちはソフィーがいてくれるからうまくいっているんだと思う。

 そのソフィーの一言が、話の流れを変えた。

 

「災難はともかく、悪い話ばかりではなかったんだろう?」 

 

「そうよ。未来のメイド長様」

 

 私の頭をわしゃわしゃするシンシアだけど、私の気持ちは複雑だ。

 

 そう、私が呼び出されたのは折檻のためだけではなかった。

 

 

 

 

 エレオノールお嬢様の居室に引きずり込まれた後、折檻に続いてノワール君に謝りを入れて、ようやくエレオノールお嬢様が話題を変えて下さった。

 

「何故私が帰省したか、知ってるかしら?」

 

 ほっぺたを腫らして太い涙を流しながら壁際に立つ私に、物憂げな感じで椅子に座ったエレオノールお嬢様が切り出してきた。

 

「いえ、伺っておりません」

 

 帰省のお話も聞いていなかったくらいだ。当然理由も知らない。

 首を振る私に、エレオノールお嬢様はため息を一つついて口を開かれた。

 

「縁談よ」

 

 え、縁談!?

 不意に飛び出した馴染みのない言葉に、私は声が出ちゃいそうになった。

 確かに生まれたときから許嫁がいても貴族なら不思議じゃないし、ヴァリエール家くらいの家格になれば相手には困らないだろうけど、私が知る限りではエレオノール様に縁談が来るのって初めてじゃないかしら。

 

「それは素敵なお話ですね」

 

 素直に感想を述べたけど、エレオノールお嬢様の表情は曇ったままだ。

 

「いい話とばかりは言ってられないわ。相手もそれなりの家格だそうだけど、家柄だけすごくてもしょうがないのよ。私の伴侶となるならヴァリエールの家名だけを背負ってもらう訳じゃないから、私が求めるハードルは割と高いのよ」

 

それはそうだろう。

 

「はい。エレオノールお嬢様を幸せにしていただける方でないと、私たち使用人としましても困ります」

 

 公爵家に入るからには、エレオノールお嬢様のことも大切にしてもらわないと。でも。

 

「馬鹿おっしゃい」

 

 エレオノールお嬢様はばっさりと私の言葉を断ち切った。

 

「男に幸せにしてもらおうなんて思わないわよ。それくらい自分で何とかするわ」

 

「し、失礼しました」

 

 謝る私を見もせずに、もう一度ため息をつかれるエレオノールお嬢様。幸せがどんどん逃げて行っちゃう感じがする。そんなため息混じりではあるものの、続いて聞こえたエレオノールお嬢様の言葉は、ある意味すごくエレオノールお嬢様らしいものだった。

 

「私のことより、あの子たちよ」

 

「はい?」

 

「カトレアはあの様子じゃこれからもいろいろあるでしょうし、ルイズも魔法があれじゃ、将来どうなるか。だから、この家を継ぐ男には、あの子たちのこともまとめて守ってくれるくらいの器量がなくちゃ困るのよ。贅沢を言う訳じゃないけど、私の夫になるということは、そういうことだわ」

 

 窓の外を見ながら、まるで苦しい胸の内を吐き出すように言うエレオノールお嬢様。

 ああ、この人は本当にご家族のことが好きなんだな、と思った。貴族としての誇り、長女としての責任感、姉としての優しさ。そんないろんなものが複雑に絡み合ってエレオノールお嬢様の裡で燻っている感じがする。それでも、名家の長女故に背負わなければならないいろんなものを背負って歩く決意が、言葉の端々に伺えた。物憂げなその表情が、私にはとても神聖なものに見えた。目の前のお姫様が、年齢以上に大人に見えた。

 

「ご立派だと思います、エレオノールお嬢様」

 

 心から述べる感嘆の言葉。でも、返ってきた言葉は私の予想の範囲を超えていた。

 

「何を他人事みたいに言っているのよ」

 

 私に鋭い視線を向けるエレオノールお嬢様。この辺は本当に奥方様ゆずりだと私は思う。受けてみて初めて判ることだけど、エレオノールお嬢様の眼力は本当に強い。ギロッと睨まれると、大げさじゃなくて体にバスッと風穴が開く感じがする。鉄砲で撃たれるとこんな感じがするんじゃないかしら。

 

「私が公爵位を継いだら、私の伴侶はあんたの主でもあるでしょう。私の代になる頃までには、あんたもメイド長になれるくらいには腕を磨いておきなさい」

 

「へ?」

 

 いきなり飛び出した言葉に、私の頭蓋骨から目玉が落っこちそうになった。

 

「わ、私がメイド長ですか!?」

 

「間抜けな声出すんじゃないわよ」

 

「ですが……いきなりそんなことおっしゃられましても」

 

「つべこべ言うんじゃないわよ。まだ時間はあるでしょう。ルイズが一番なついてるメイドはあんたなんだし、どうせ使用人やってるならそれくらいのレベルになって見せなさい。いいわね」

 

 

 

 

 

 そんなエレオノールお嬢様の言葉を相談すると、最初はソフィーもシンシアも目を丸くして驚いていた。

 そりゃ普通は驚くよね。

 

 混乱する私に最初に意見をくれたのはソフィーだった。

 

「確かに、腰を据えて使用人の道を行くのならば、上を目指すのもいいのではないか?」

 

「上?」

 

「それこそメイド長や家政婦とかな。お嬢様付きの使用人というのもあるのではないか?」

 

「それはいくらなんでも難しいよ。絵に描いたみたいな凡人だもん、私」

 

 表に出る使用人は容姿優先だ。残念ながら私の容姿は人並みだし、能力だってミリアム女史の足元にも及ばない。ヴァネッサ女史クラスとなると実務ももちろんだけど魔法のレベルが全然違う。ヴァリエールは対ゲルマニアの最前線。場合によっては使用人で組織する守備隊の指揮官になる必要があるのが家政婦や執事といった使用人のトップの方々だ。とてもじゃないけど私には無理だ。

 

「そうでもないんじゃない?」

 

 シンシアが首を傾げて言う。

 

「エレオノールお嬢様、それを補って余りあるものをナミの中に見出したんじゃないかな?」

 

「私にそんなすごいものないよ」

 

「ナミが自分じゃわからないだけだよ。ナミにもいいところたくさんあるし、主家のために命を賭けられる子だってところも評価されて当然だと思うよ、私」

 

 シンシアが言うのは、恐らく蜂の巣事件のことだと思うけど、あれは別に主従関係があるから体を張ったわけじゃない。忠誠心がどうこうじゃなくて、幼気なルイズお嬢様を守らなきゃって思っただけだし。

 悩む私に、ソフィーが違う切り口で話題を出してきた。

 

「でもな、理由はどうあれ、これは好機だぞ、ナミ。お前の人生の転換期なのかも知れん」

 

「好機?」

 

 諭すような口調で、ソフィーが言う。

 

「考えてもみろ。エレオノールお嬢様がおっしゃったのは、押しも押されぬ大貴族、ラ・ヴァリエール公爵家のメイド長のことだぞ。なりたくてなれるものではないだろう。そのメイド長に、努力次第でなれる道があるとおっしゃって下さったのだ。成功したら、すごい出世だと思うぞ」

 

「でも、私一人っ子だよ」

 

 一応これでも商家の一人娘だ。婿を取ってお店を継ぐのが私の生き方だと漠然と思っていた。

 

「そっちは旦那にでも任せればいいだろう。国をまたぐわけじゃなし、2日で会いに行けるなら近いものだろう」

 

「遠いよう」

 

 別居してて旦那さんに浮気されたら嫌だ。

 

「なら、こっちで旦那を見つけて、店の方は人を雇って任せるとかいろいろ方法はあるだろう」

 

 う~、それは確かに。番頭さんなら笑って引き受けてくれそうな気がするけど……。

 

「ナミにしては歯切れが悪いわね」

 

 シンシアが呆れたように言う。

 

「そりゃ私だって考え込むよ。人生の選択だもの」

 

「なあ、ナミ」

 

 不意にソフィーが声のトーンを落とした。

 

「こういう言い方は卑怯かも知れないが、お前は、いかに自分が恵まれているかをまず考えるべきだ」

 

「私が?」

 

「今のお前には、選択の幅がある。これはすごく幸せなことだと思うぞ?」

 

「そ、そう?」

 

「考えてもみろ。私もシンシアも、貴族というだけで選択肢はないんだ。それが嫌なら出奔でもするしない」

 

 その表情に、微かに戸惑いが見えたのは気のせいだろうか。

 

「私たちは貴族だ。貴族であるからには、自分よりもまずは家を大事にしなければならない。将来を選ぶことはおろか、伴侶を選ぶ自由もない。私の家のような傍流であってもだ。相手の家格によっては、親ほども歳が上の相手の側室になることも珍しいことではない」

 

 考えたくはない事実だけど、本当に珍しい話ではないらしいことは私も聞いている。相手の財産を狙って娘を送り込むようなことは、貴族の世界では普通にあることなのだそうだ。

 

「で、でも、ソフィーは自分で領地の再建に乗り出したいんでしょ?」

 

「そうなればいいとは思うが、主家の都合もあるだけにどこまで私の要望が通るかは判らない。それに、所詮は政治というのは男の世界だしな」

 

「じゃあ、ソフィーの努力はどうなるのよ?」

 

「無駄にしたくはないが、無駄になるかどうかは私がどうこうできることではない。残念ながらな」

 

「そんなのって……」

 

 言葉に詰まった。ソフィーがどれほど頑張っているかを知っているだけにそういう言葉は聞いているだけで辛い。

 

「私も承知でやっていることだ、お前が暗くなる必要はないぞ。貴族というのはそういうものなんだ。その代わりに多くの権利が与えられている。仕方がないんだよ」

 

 トリステインは貴族本位の社会だ。それは私にも判る。でも、やりたいこともできないって、やっぱり、言葉にするとすごく重い。今一緒に毎日を過ごしているソフィーも、シンシア、いや、この二人だけじゃない、メイド長や、ヴァリエールのお嬢様たちも、もしかしたら望まない人生を押し付けられて、息を殺すように生きていかなければならない日が来るのだろうか。

 憐れんだりしたら絶対に彼女たちは怒るだろうけど、それでも私は心からそんな人生を肯定できない。

 子供っぽいことを言っていることは判っているけど、でも、そこに幸せはあるんだろうか。

 そんな私に、ソフィーの言葉が、まるで姉のように紡がれる。

 

「だからこそ、お前のように選択の幅があるのなら、選ぶことができるうちに将来のことを考えることを私は勧める。家業を継ぐのも立派な選択だと思うが、今日判ったように、それとは違う道でお前を認めてくれている人もいる。無理に新たな道を探せという訳ではない。だが、この機会に、自分が流されて生きていないかを考えてみるのも有意義ではないか?」

 

「……うん」

 

「我々も、もう童女と言う年齢ではない。そろそろ、大人になる支度を始める時期だと私は思う」

 

 いきなり降って涌いた難題に、私は頭から煙が出そうだった。

 将来……確かに漠然と考えていたなあ。

 おじいちゃんが始めたお店を継いで、次の世代に託すのが当たり前の生き方だと思っていただけだった。

 

「まあまあ、二人とも。今日はそれくらいにしておこうよ。ほら、ナミも飲みなって」

 

 考え込む私のグラスに、シンシアがお酒を注ぐ。

 その笑顔にもまた、少しだけ影が見えたような気がした。

 

 いつもは宝石を溶かしたような澄んだ味がするシャンパンが、ちょっとだけ苦く感じた。

 

 

 

 

 そんな、ちょっと複雑な一日。


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