「う…うん…」
「ふう、ようやく目を覚ましましたよ」
「神父殿、感謝する」
レックがゆっくりと目を開く。
清潔なベッドと銀の食器、そして蝋燭立て。
「ここは…?」
「目を覚ましたようだな、ここはマルシェの教会。君はここで1日中寝ていた」
「ソルディ…兵士長…?あ…あれ?」
沈黙の羊と戦ったときに追っていた傷が完全に消えている。
そして、腹部に触れると肋骨が折れた感覚がしない。
「神父殿とシスター殿が君に回復呪文を施したのだ。あとで礼を言うといい。では、私は失礼しよう」
「待ってください。ランドは…ランドはどこに!?」
レックのいうとおり、部屋の中にはランドの姿がない。
最悪な状況を予想してしまう。
「心配ない。彼はそろそろ戻ってくる。安心して待つがいい」
そう言い残すと、ソルディは部屋から出て行った。
そして、入れ替わるようにランドが入ってくる。
「レックーーー!!!良かった!!やっと目が覚めたんだな!?」
泣きながらレックの回復を喜ぶランド。
彼の手には精霊の冠が入った袋がある。
「精霊の冠…?」
「ああ!爺さんが助けてくれたから、代金はいいってさ!!せっかくだから、いろいろ買って帰ろうぜ!ターニアちゃんやジュディの土産をさ!!」
「ああ…けれど、祭りに間に合うようにしないとな」
レックとランドは神父たちに礼を言うと、そのままバザーの人ごみの中へ入って行った。
「…」
「あの、兵士長。いかがしましたか?」
マルシェ南東にあるレイドック城を目指す道中、考え事をするソルディに兵士が問いかける。
「いや、最近狂暴な魔物が多くなったと思ってな」
「そうですよねえ…この3年で沈黙の羊の目撃情報が増えましたし…」
「兵士の絶対数が不足していて、疲労がたまっています」
「今度の兵士採用試験で、どれだけ兵士を集めることができるか…」
3人の下級兵が口々に言い始める。
彼らは元々、レイドック城周辺のパトロールが主任務だったが、人員不足が原因でマルシェの西の森のパトロールを臨時で行うことになったのだ。
休日返上で働いているため、家族と一緒に過ごす時間がほとんどない。
しかし、ソルディは彼らとは別の考え事をしていた。
(それにしても…あの少年、本当にけが人だったのか?)
装備している鎧に手を当てる。
レックに突き飛ばされた際に彼の手が当たった部分がわずかに凹んでいた。
(沈黙の羊を銅の剣で貫くほどの力、一体どうやって…?)
「いやあ…今回の買い出しは大成功だな!!冠は最高だし、しかも鉱石も陶器とたくさん…」
「お前ら、どうやったらこんなに買えたんだ?」
「いやーーー!それがよぉ、俺と兄貴で力を合わせて、沈黙の羊を倒してさぁー…」
目覚めた日の夕方、ライフコッドに戻ってきた2人は酒場で準備の手が空いている人たちからねぎらいを受けた。
そして、誤って酒を飲んでしまったランドが酔っぱらって、自分たちの買い出しでの行いをかなり誇張してみんなに伝えている。
使い役であるターニアは村のしきたり上、夕方から夜まで人前に出ることは許されず、今は村長の家の中にいる。
村長とジュディは準備の指揮をしていて、大変忙しくしている。
「うぃー…遅すぎじゃわ、儂ならもっと早く…ブツブツ…」
万屋の弟は相変わらず酒を飲んでばかりだが。
(それにしても、あの穴…)
牛乳を口にするレックの耳にはランドたちの声が入ってこない。
今のレックを支配しているのは穴の中に存在した光景だけだ。
(おじいさんは穴の中は真っ暗だと言ってたな…)
ライフコッドを戻る前、レックは冠についての礼と穴のことを尋ねるためにビルデの家へ行った。
しかし彼は何度も森に足を踏む入れ、穴も見ているが、レックが見たような光景を今まで見たことがないという。
(俺の見間違いなのか?それとも…)
「おいレックーーー」
急にランドがレックの方に腕を回す。
アルコールのにおいが彼の鼻に伝わる。
「ランド、もうやめといたら…?」
「何言ってんだよー?お前も自慢しろよー」
(ああ…早く帰りたい…)
「ふう…」
ランドが酔いで眠りにつくと、レックはようやく解放され、帰宅することができた。
テーブルに置かれていた卵サンドを食べ、ベッドで横になる。
「疲れたし、祭りの時間まで寝よう…」
日没と同時に祭りがおこなわれる。
わずかだが、寝る時間はある。
そう考えると、急に睡魔が襲ってくる。
(もしかしたら、あの穴の中にもう1つの世界があるのかも…。行ってみたいなぁ…)
「う…ううん…」
「オエエ…オエップ…」
台所から聞こえる変な音を聞きながら、レックは目を覚ます。
「…迎えに来てくれたのか…?ランド…」
「お…おう、早く行こう…ぜ…オエエ!!!」
酒のせいで嘔吐するランドの背中をレックは何も言わずにさすった。
「うええ…気持ち悪い…」
「我慢しろよ、ランド。もうすぐターニアが来るよ」
村長の家への上り坂の前で村人たちが整列する。
家の前には案内役と子供が松明を持って立っている。
「精霊の使い、お迎えに上がりました。私が教会まで案内させていただきます。どうか、お姿を見せてください」
何度も練習したためであろう、すこし棒読みな感じのあるセリフののち、扉が開く。
すると、精霊の冠をかぶり、白い衣をまとったターニアが出てきて、そのあとの村長も出てくる。
「あ…」
「タ…ターニアちゃん…きれいだなあ…うう!!」
レックとランドはターニアの姿に見とれる。
毎日見ているはずなのに、今日は特にきれいに見えた。
「ターニアちゃん、きれいだよ!!」
「よ、村長男前!!」
ランドの父親と鍛冶職人の荒くれが声援を送る。
そんな中、3人は教会へ入っていく。
そして、彼らの後を追う形でレック達も教会へ入って行った。
教会の祭壇には女神像が安置されている。
その像の前で、神父とターニアが対面する。
「1年の時を隔て、今夜再び精霊の使いがこの村を訪ねてくださいました。精霊の使いよ!さあ、その冠を我々にお与えください」
ターニアは目を閉じ、神父に精霊の冠を差し出す。
「精霊の使いよ、冠は確かに受け取りました。そして、女神像を通してまた1年の間我らをお守りください」
神父の手により、精霊の冠が女神像のかぶせられる。
すると、像から不思議な光が放たれた。
「な…!?」
驚いたレックが立ち上がる。
しかし、他の全員は何もアクションを起こさない。
「なんだ…あの光!?みんな!!」
周囲を見渡すが、誰も動かない。
瞬きをしなければ息もしない。
それだけでなく、壁にかけられている蝋燭の火も動いていない。
「どういう…ことなんだ!?」
(レック…私の声が聞こえますね…?)
「あ…あああ…!!」
像の光が次第に青いポニーテールで白い肌の幼い少女に変わっていく。
その少女が着ているドレスはこの村では不釣り合いな高価な絹でできてい、精密な刺繍が施されている。
「き…君は…!?」
(今、あなたが見ている私はあなたの記憶の中に眠る存在を借りただけです)
「記憶…?」
レックはすぐ幼いころのターニアの姿を思い浮かべる。
ターニアがポニーテールになったことはない。
百歩譲ってそうであったとしても、あれほど豪華なドレスを今まで見たことも触れたこともない。
(レックよ…あなたは不思議な運命を背負い、生まれてきた者。やがて世界を闇が覆う時、あなたの力が必要となるでしょう)
「世界を…闇が…!?」
レックにはその少女が何を言っているのか全く分からない。
そんなことを気にせず、彼女はそのまま話を進める。
(その時が来るまでに解き明かすのです。あなたたちがあと少しで打ち破ることができたはずの魔王のまやかしを…。そして、あなたの本当の姿を取り戻すのです!!)
「俺の…本当の姿!?」
まるで、今の自分が偽りかのような言動にレックは混乱する。
(レックよ…旅立ちなさい。それがあなたに与えられた使命なのですから…)
「待て!!君は…いや、あなたは何者なんだ!?」
レックの質問に答えることなく光が消えていく。
そして、蝋燭の火が動き始める。
「おいレック、まだ儀式中だぞ。座れ」
「え…ラ、ランド…??」
「そうよ、早く!!」
赤毛のポニーテールでピンクのドレスを着た少女、ジュディがレックの腕を取り、強制的に座らせる。
(今…一体何が…??)
レックの記憶に眠る存在と称した少女、魔王、自分の本当の姿、旅…。
何が何だかわからないまま、儀式が終わるまで座り続けた。
儀式が終わると、花火が打ちあがる。
ある人は井戸の周りで踊り、ある人は酒に酔い、またある人は鶏や羊の肉、村で採れた野菜や果物に舌鼓を打つ。
そんな中、村長の家。
レックは村長にある相談をしていた。
「ほう…穴の中に世界が…」
「はい。ビルデさんは何もないって言ってましたけど…」
「うーむ、きっとそれは幻の大地かもしれんぞ」
「幻の大地!?」
両親がよく読んでくれた絵本を思い出す。
若者が神からのお告げを受け、仲間と共に自分たちが住む世界とは異なるもう1つの世界を旅する物語だ。
「古くからの言い伝えで、どうやら我々が住む世界とは違うもう1つの世界、幻の大地があるらしい」
「もう1つの世界…」
もしかしたら、あの穴の中で見たのはその幻の大地なのかもしれない。
「実は、儂も若いころ幻の大地を探すため、世界中を旅したんじゃよ」
「え…村長が!?」
「ああ。だが、見つけることはできなかった。レック、幻の大地について知りたいと思わないか?」
「…」
あの少女は言っていた。
自分には与えられた使命があり、不思議な運命を背負っている。
もしかしたら、それと幻の大地が関係しているのではないか?
「レック、これを…」
何らかの文章が書かれた羊毛紙が手渡される。
「これは…?」
「レイドック城へ入るための通行証じゃ。今、あそこは兵士不足で人の通行を一部制限しておるからな。持っていくといい」
「村長さん、それって…!!」
「旅立て、レックよ」
「でも…」
自分には村の仕事がある。
ランドやターニアといった大切な人たちがいる。
今の自分がここを離れては、故郷を捨ててはいけない。
そんな考えが浮かぶ。
「レック、世界を見るんじゃ」
「世界を…?」
「そう、書物がもたらした知識や常識に囚われてはいかん。自分の足で大地を歩き、自分の耳で風の音を聞き、自分の目で世界を見るんじゃ」
そう言いながら、村長は戸棚から麻袋を引っ張り出し、レックに渡す。
「え…?」
「これはお前の父親が兵をやめたときに得た退職金じゃ。彼の頼みで儂が預かっていた。持っていくがいい…。ターニアちゃんなら大丈夫じゃ。あの子はお前が思っている以上に強い。それに、ランドもおるからの…」
「…」
麻袋を両手で持つ。
村長の言葉を聞いた瞬間、その袋がさらに重くなった気がした。
レックは頭を下げると、何も言わずに家を出た。
(レック…お前のような若者にとって、ライフコッドは狭すぎる)
祭りが終わり、一気に静かになったライフコッド。
ターニアが眠る中、レックは準備をしていた。
薬草、食料、包帯、丈夫な靴やランタン。
野宿が主となる旅では、必要なものが必然的に多くなる。
(足りないものはマルシェかレイドックで買えばいい。だけど…)
すやすやと眠りターニアを見て、レックの決意が揺らぐ。
(俺がいなくなって、ターニアはさびしくならないだろうか…?)
今だ抜くことができない剣を握りしめる。
(父さん…母さん…。僕はどうしたら…)
「おーい、お兄ちゃん起きて!!」
「うん…」
ターニアにに体を揺らされ、レックは目を覚ます。
「ほら早く!ご飯が冷めちゃうよ」
「う…うん、分かってる…」
この時間帯ではほとんど起きているレックだが、今日に限ってまだ寝たいと思っている。
結局、彼は悩み続けて寝るのが遅くなってしまったのだ。
テーブルの上にはサラダと牛乳、パン、そして目玉焼き。
いつも通りの朝食だ。
「きょ…今日はいい天気だな…」
「うん」
「明日も…その…いい天気だといいな…」
「そうだね」
旅立つことを告げることができず、ぎこちない会話になってしまう。
「な…なあ、ターニア…俺…」
「もう、早く朝ご飯食べて、忘れ物がないかチェックしないと!」
「え…?」
「今日出発でしょ?出発が遅れたら、レイドックにつくのが夜になっちゃうよ!」
「あ…ああ…」
食事を済ませると、ターニアは食器を洗い始める。
そしてレックはターニアの言うとおり、荷物の最終確認を行う。
「お兄ちゃん…」
「何?ターニア…」
「村長さんから聞いたわ。幻の大地について知るために旅に出るんでしょ?」
「あ…ああ…。その、ターニア…」
「何も言わないで、お兄ちゃん。男の子だもん、しょうがないよね…。けど…」
「けど…?」
「必ず…必ず無事に帰ってきてね。私、お兄ちゃんの大好物作って待ってるから…」
食器を洗うターニアの手にしずくが落ちる。
「ターニア…分かってる。必ず帰ってくるから…」
安心させるように、レックは彼女の後ろから優しく抱く。
「お兄ちゃん…」
こらえきれなくなったのか、ターニアは食器を置くとしばらくレックの手に触れていた。
「ターニア…」
村を出て、山肌の道を歩くレック。
ターニアのあの涙にぬれた横顔が頭から離れない。
「ああ…くそ!!どうして俺は…」
「どうしたんだよ、兄貴!」
「ラ…ランド…」
木の上で珍しく獲物を探っていたランドが降りてくる。
「全く勝手だよな、俺には何も言わずに旅に出るなんて…」
「わ…悪い…」
「冗談だ。ほら!」
レックの右手を強引に引っ張ると、彼の手にナイフを握らせる。
それはランドが矢を作るため、そして獲物から肉などをはぎ取るために使用していたものだ。
「こいつを貸すぜ、レック!だからよ、旅が終わったら必ず俺に返してくれよ」
「ランド…」
「あと、早く帰ってこいよな!そうしないと、いつの間にか自分の甥の顔を見ることになるぜ!」
そういうと、ランドはそのまま走り去っていった。
「必ず戻ってこい…そういうことなんだな…ランド…」
ランドが走り去った方向をじっと見る。
そして腰にナイフを差すと、ゆっくりと山を下って行った。
食器を洗い終えたターニアはそれを棚に置く。
「…。お兄ちゃんの食器、しばらく洗わなくてよくなっちゃった…」
そんなことを言いながら、窓から空を見る。
雲一つなく、太陽の光がまぶしい。
「お兄ちゃん…頑張ってね…。私も頑張るから」
旅立つレック。
彼は旅の中で何を見るのか…?
あと、お告げの時に現れた少女の姿については内緒ということで…。
内緒が多い作者ですみません(笑)。