「よし…誰も、いねえな…」
真夜中になり、静まり返った浜辺へランタンを腰に掛けて歩いてきたロブは周囲を見渡し、誰もいないのを確認する。
魚の罠を仕掛けるために漁師がやってくることがあったものの、今は異様なほどの漁獲量の減少と嵐のせいで誰も漁に出られる状態ではない。
だが、今はその方が好都合だ。
ロブは小舟の板を叩き、強度を確かめる。
「こいつならいい…ちょいと借りていくぜ」
他の漁師の船であることが分かっているうえで、持っている荷物を入れて、繋いでいるロープをほどく。
そして、海へ向かって小舟を押していく。
怪我をする前まではそんなことはわけもないことだったが、義足になった片足とまだ直っていない傷のせいで今ではこんな簡単なことすら一苦労だ。
「はあ、はあ…ちくしょう…」
自分をこんな目に合わせた嵐への恨み言を口にしながら、海に到達した小舟に飛び乗る。
船の中にあるのは釣り竿と餌、そして魚を入れる籠だ。
素潜りも網を張ることもできないロブの唯一の魚を獲る手段だ。
ある程度沖に出たロブはさっそく餌となる小虫を釣り針に仕掛ける。
そして、竿を手にして海に向けて振り下ろした。
小舟で1人、波の音を聞きながら浮きが動くのを待ち続ける。
動かぬ浮きを見るロブは死んだ父親と一緒にこうして釣りをしたころを思い出す。
死んだ父親は釣りの名人で、幼いころのロブはそんな父親の釣りをしている姿をいつも見ていた。
「昔は釣りばっかしてたガキが村一番の漁師になって…また釣りに逆戻りか…」
今も父親程釣りは上手ではないが、素潜りや網を使った漁で才能を発揮したため、4か月前までは釣りからは完全に離れていた。
釣れる魚の量は少ないものの、それでも院のそのほんの少しの魚が命綱だ。
「よし…かかった!!」
珍しく、釣り糸を垂らしてから10分足らずで魚がかかったようで、浮きがふわりと動きを見せる。
嬉しさの余り、急いで引き上げようとする自分の心を落ち着かせながら、まずは魚が完全に食いつくのを待つ。
そして、浮きが完全に沈んだのと同時に引き上げた。
ピンク色の鱗をした大物が釣れていて、ロブは船の上で釣り針を外し、籠の中に入れる。
「良かった…これで、あいつも…うん??」
月と星の光で見える空を見上げたロブは違和感を抱き、ランタンを手にして空を見る。
雲の流れが異様に早く、風も出始めている。
それは4か月前のあの日と同じような状態だ。
「ちっ…これからだって時に…!!!」
1匹だけでは満足できないものの、この空になってしまったからには仕方がない。
いざというときには急いで村へ戻れるように距離は調整したものの、今のこの体では、嵐にあったら生きて帰ることができなくなる。
4か月前のような幸運が2度も起こるわけがない。
オールを手にし、ペスカニを目指す。
次第に雨が降りはじめ、風も徐々に強くなっていく。
塩の味が混じった雨粒が容赦なく小舟と体に当たり、バチバチと音を立てる。
「くそぉ!前よりも早く来やがる!」
まるで、待ち伏せにあったかのように突然起こる嵐に舌打ちする。
激しい波まで起こり、小舟が大きく揺れ始める。
「まずい…!!くっそぉ!!」
オールを手放したロブは船にしがみつく。
大きな波がいくつもロブを襲い、船が大きく揺れる。
ロブの目には自分と船を飲み込むほどの大きな波だった。
それは自分の片足と船を奪ったあの波とよく似ていた。
「うわあああああ!!!」
波を受けるとともに小舟がひっくり返り、海へ叩きつけられるとともにロブの意識が闇へと沈んでいった。
「う、うう…ディーネ…ぐう…!!」
かすかに木でできた天井が見え、次第に意識を覚醒させていったロブは体を起こそうと両腕をつけるが、激痛を覚えて再び横になってしまう。
痛みがあるということは、あの時みたいに失うようなことになっていないのだろうと思い、確かめるように両腕と片足を見る。
どれも健在で、義足のようにはなっていない。
生きていることは分かったが、問題はなぜ自分が部屋の中にいるのかだ。
助けられたのかもしれないが、問題は自分を助けた人間が誰かだ。
それによっては彼にとって、とてもまずいことになってしまう。
ドアが開き、中に入ってきたレックとバーバラをベッドの中でロブは睨むように見た。
「気が付きましたか…?」
朝食のおかゆを持ってきたレックは彼の目つきに一瞬震えたが、すぐにいつもの調子に戻り、彼のそばにある机におかゆを置く。
「ちっ…そういやぁ、船の修理でここに滞在するんだったな…」
「もぉー!なんでそんなことを言うの!?あたし達がせっかく助けてあげたのに!!」
まるで助けられたのが迷惑だと言わんばかりのロブの態度にバーバラが腹を立てる。
2人は夜、浜辺に傷だらけの状態で打ち上げられているロブを見つけ、急いで宿屋まで運び、手当てをした。
感謝されるべきことで、その行為そのものに非難を受ける余地はないはずだ。
「けど、どうしてあんなところで倒れていたんです?海には出られないはずじゃ…」
「てめえらには関係ねえ…ぐっ…!!」
「じっとしててよ。回復呪文かけて傷をふさいだばっかりなんだから!」
2人の会話を聞いたロブはうっかり口にしてしまった名前を聞いていないのだと思い、その点だけは安心する。
だが、今はここで寝ているわけにはいかず、もう1度起き上がろうとするが、結局は同じ結果だった。
(4カ月たっても生傷だらけ…。やっぱり、同じことを何度もやって…)
この村にも神父や医者がいて、神父は基本的な回復呪文を使うことができる。
片足を失う重傷を負っている彼だが、適切な回復呪文を施すことで1週間くらいで治すことができるはずだ。
にもかかわらず、4カ月たってもボロボロなままで、おまけに新しい傷を増やしている。
その原因は間違いなく、真夜中にやっていた漁だろう。
「もう、なんでこんあことしてたの!あたし達が助けなかったら、死んじゃってたんだよ!!」
「うるせえ!助けを読んだ覚えはねえ…」
そのようなことは、何度も漁をしてきたロブが一番よく分かっている。
夜の海が危険だということも彼ら漁師にとっては常識だ。
それに、あの嵐が起きるようになってからは余計にそうだ。
「ロブさん…どうしてそんな危ないことをしたんです?何か理由が…」
「理由なんてねえ!!ただ、昼に漁なんてしたらギャーギャーうるせえだけだ!!」
無理やり起き上がったロブは松葉杖を手にして立ち上がる。
「待ってください!!まだ怪我が…」
「どけ!!」
右手で無理やり正面に立っているレックをどかし、ロブは部屋を出ていく。
押しのけられたレックは倒れこんでいて、バーバラの手を借りて立ち上がる。
「んもう!!せっかく助けたのにぃ!!」
礼の1つも言わずに出ていったロブにバーバラは腹を立てる。
その一方で、押しのけられたレックはロブの反応が気になって仕方がなかった。
(嵐で大けがするだけで、こんなに人が変わってしまう物なのか…?)
レックは昨日の夕方にグズマから聞いた話を思い出す。
その時、レック達は少しでも旅費の足しにするために、村で募集されていた魔物討伐の依頼で村の外にいる魔物の討伐と食料の確保を行った帰りだった。
黄土色の肌となったバオーというような姿をしたキングイーターやキメイラ、ダークホーンなどを討伐し、その死体を持ち帰った。
いずれも解体して食用の肉にしたり、骨や角を船や漁の道具の材料にすることができるという。
特に、彼らが重要視しているのは食料で、肉は基本的に干し肉や燻製肉にして貯蔵するのが普通だった。
しかし、魚がほとんどとれなくなる日々が続き、非常食として食べていたそれらも底をついてしまっている。
だから、旅人や元気な漁師がそれらの魔物を倒して、持ち帰っている。
当然、冒険者がそれらの魔物を討伐し、その死体を持ち帰ったというなら報酬が支払われる。
魔物を討伐し、疲れたレック達が宿屋に戻っていると、そこにはグズマが待っていた。
「なぁ、旅人さん…ちょっと、中でオラの話を聞いてくれねえか?」
「んー?どうかしたんですか??深刻そうに…」
「ああ、あんまり外では話せねえ。村のみんなよりもあんたらに頼んだ方がええ…」
「なにか…言えないような事情ですか?」
チャモロの質問にグズマは何も言わずに首を縦に振る。
グズマはキョロキョロと周りを見渡し、周囲に村人がいないかを確かめた。
「やっぱり中でねえと安心できねえ。頼む…!!」
両手を合わせ、懇願するようにレック達に頭を下げる。
その姿を見ると、とても拒否することはできなかった。
部屋に入っても、グズマは深呼吸を繰り返すだけで何も話そうとしない。
宿屋の人には理由をつけて、グズマが帰るまでは部屋に入らないようしてもらっており、聞き耳を立てるような人がいれば、チャモロが気付く。
「あの…グズマさん。どうしても話せないならそれでも…」
「わ、悪い!!どうも緊張して…!!」
ミレーユから受け取った水をゴクゴクと一気に飲み干し、ようやく落ち着いたグズマはレック達を見る。
そして、口元を腕で拭った後で話し始める。
「頼みたいことというのは…昨日会ったロブのことだ。あいつがどうしてあんなになったのかを突き止めてほしいだ」
「ロブって…昨日俺らにつっかかってきた奴か?」
「嵐のあと、ロブは完全に変わってしまった…。んだが、それだけであいつがあんなになるとは思えねえ!あの嵐の中で…何かがあっただ!そうでねえとあんなになるはずがねえんだ!頼む、旅の方!!必ず礼はするだ!!」
「礼はいいけどよぉ、なんで俺らに頼むんだ。あんた、一応ロブさんとは友人なんだろう?」
「それができねえから、こうして頼んでいるだ。あいつに何度も聞こうとしただ。けんど、何も答えてくれねえんだよ!!それでズルズル4か月…!それで…見ただ。あいつが真夜中に漁をする姿を…!俺は何度も止めただが、無理やり漁に出ちまって…」
その時のロブの必死に漁に出ようとする顔を今でも覚えている。
昼は歩行訓練や旅人にケンカ腰に接するだけの日々を過ごしている彼だが、その時は違った。
何が何でも魚を取ろうという必死さが感じられた。
そのせいで、グズマはロブが漁に出るのを黙認するしかなかった。
「俺にはあいつを止められなかった…。けど、命がけでこんなことをする意味が知りてえ!!頼む!!」
そのグズマの話があったから、レックとバーバラは夜中に様子を見に行き、嵐で流れ着いたロブを見つけることができた。
今回助けることができたのは、偶然ロブがペスカニの浜に流れ着いたからで、仮にそことは別のところに流されていたら、助けられたかどうかは分からない。
なお、レックとバーバラがその役目に選ばれたのは2人とも基本的な回復呪文が使えること、そしてレックは破邪の剣が使えるためだ。
破邪の剣があれば、それに宿る破邪の力で弱い魔物を寄せ付けなくすることができる。
救助を行う際に、無駄な戦闘を避けることにつながる。
今回は村の中での救助となったため、破邪の剣の出番とはならなかったが。
「レック、あの様子だとロブさん、また夜に漁に出ちゃうよ…」
おそらく、正面から出て制止したとしても、彼は無理やりにでも行ってしまうだろう。
それだけの執念があるから、怪我が治り切ってもいないのに出ていってしまった。
「だったら、別の方法がある…」
「別の方法…?」
「グズマさんが言っていたよね。歩行訓練に洞窟へ行っているって…」
海で聞き出せないのであれば、次にヒントになるのはその洞窟だ。
聞いた限りでは、その洞窟では魔物と遭遇することはない。
「きっと明日、日課の歩行訓練をするはず。そこを狙ってみよう…」