広場の北側にある教会で、レック達は赤い毛布の椅子に座り、静かに両手を組み、眼を閉じて祈りを捧げていた。
一番前の席にはハリスと彼の妻と思われる、若干色素の薄い黒のロングヘアーの女性が座っていて、その1つ後ろにアモスがいる。
彼らだけでなく、町の住民の数人も参加しており、中には幼い少女が鳴きながら祈りを捧げている姿もあった。
「天におわします神よ、今この場にあなたの元へ召されたジョン君のために皆さまが集まりました。どうか、あなたのもとで安らぎが与えられますように…」
初老の神父が後ろに置かれている天使の像の前で祈りの言葉を口にする。
足腰が弱いのか、杖で体を支えていた。
「神父様…私の息子は、ジョンは本当に幸せだったんでしょうか?」
祈りの言葉が終わるとともに、ハリスの妻、マゴットが立ち上がり、神父に問いかける。
止めようと立ち上がろうとしたハリスだが、その質問は彼自身も問いたかったもので、止めるためにつかもうとした手を止める。
「生まれてすぐに病気で寝たきりになって…そのまま神に…召される…なんて…」
あふれる涙が止まらず、マゴットはつまらせながらも死んだ息子の薄幸と自分の無力を嘆く。
生きている人間であるハリスとマゴットには死んだジョンが幸せだったか否かを聞くことはできない。
しかし、彼女には息子が幸せだったようには思えなかった。
「あの子はまだ10歳でした…。幸せだったと思えません…」
息子の葬儀の際に神父が言っていた言葉を今も覚えている。
彼が幼くして死んだのも神から与えられた運命。
その運命が幸せだったか否かを決めるのはジョン自身だと。
「…ジョン君のことは、私も残念でなりません。自分よりも若い人が先に逝くようなことは本来ならあってはならないことです…」
神父は若いころの勉強の中で見つけた『親死子死孫死』の言葉を思い出す。
最初は何て不吉な言葉だと思ったが、師匠からその順序で死んでいくことこそがありがたいことであり、その逆となるのはあまりにも辛いことだと教えられた。
「しかし、あなた方を見ていると思うのです。こんなにも両親に愛されたジョン君は実はとても幸せであったのではないかと…あなた方の愛情はきっと、ジョン君にも通じていたはずです」
「神父様…」
「マゴット…」
ハリスがマゴットの両肩に手を置いていると、隣の部屋からシスターが花束を持ってやってくる。
「新しい花です。これをジョン君の墓に供えてあげてください」
「はい、ありがとうございます。神父様…」
花束を受け取ったマゴットはハリス共々、深く頭を下げた。
「すまないな…せっかくの再会だというのに、こんな悲しい空気になっちまって…」
祈りが終わり、町の北東にあるハリスの家に案内されたレック達にハーブティーが差し出される。
ハリスの家は代々ハーブの栽培を行っており、ハーブティーに手を出し始めたのはハリスの代からだ。
街の片隅で細々とやっているものの、その味は良く、いつかは広い農園を作ってハーブティーの輸出もしたいらしい。
「いや、いいさ。それにしても、あんなに嫌がっていたハーブ農家を継いでいたとはな…」
「ま、時が流れれば考えも変わるってことさ。それに、100%継いだわけじゃない。俺なりのやり方も入れてるさ」
「そういうものか…」
ハーブティーを飲みつつ、アモスは町を出ていった時のことを思い出す。
父親と大喧嘩し、何度も殴られたことがきっかけで感情が爆発し、自分の生き方を探すと言って飛び出してしまった。
質屋商人である父親が自衛のために剣術などを学んでいて、それをアモスら子供たちに教えていた。
そのことが幸いし、ハンターや護衛の仕事を受けることでどうにか生計を立てることができた。
だが、肝心な生き方探しはなかなかうまくいかなかった。
商人をやるにしても、肉体労働をするにしても、それらに何の魅力も持つことができなかった。
そんな中で両親の死を知り、葬儀にも行けずに、気が付いたらモンストルで魔物退治をして、村の英雄となり、レック達と共に旅をしている。
2人が話している間、レック達は口を挟める空気ではなく、マゴットが出すハーブティーで一服した。
そして、話は2人の若い時のことからジョンのことへと変わっていく。
「…息子のこと、残念だったな」
「医者に見せても、できたのは延命措置くらいだ…。覚悟はしていた」
マゴットと結婚して3年、待望の子供に大喜びしたのをハリスは覚えている。
しかし、4歳の頃にジョンは急に倒れ、医者の元へ駆け込んだ。
町一番の医者でも、分かることは今のどんな呪文でも薬草でも治すことができないということだけだった。
その日から、ジョンの寝たきり生活が始まった。
外遊びが大好きで、ペットの犬とじゃれあっていた彼にとってはどんなにつらいことだっただろうか。
定期的に延命のための苦い薬草を飲み、胸や骨などの痛みに耐える日々。
「私たちは…あの子に何もしてやれなかった。ジョンが死んでから、妻はすっかり気落ちしてしまったよ…」
ジョンの死後のマゴットはたまに教会に通い、ジョンの墓の花を供える以外に外出することがめっきりなくなってしまった。
神父からいろいろ助言をもらっているが、それでも心のどこかにジョンのことが引っかかり続けている。
「せめて、何かジョン君のために今でもできることがあれば、きっとマゴットさんは…」
「ジョンのため…か…。そういえば…アモス、少し待っていてくれ」
立ち上がったハリスは急いで2階へ上がり、1枚の紙を持って降りてくる。
それには金髪で口ひげをつけた男性がトランプを持ち、大玉に乗っている姿が描かれたイラストがあり、下には『クリアベールにパノンがやってくる!!』と大きな文字で書かれていた。
「パノン…?あの旅芸人パノンのことか?」
「ああ…あの子が死ぬ1週間前にクリアベールで芸をしてくれて、あの子はすっかりパノンさんのファンになった…」
「あの…そのパノンさんって、有名な人なんですか?」
レックの素朴な疑問を聞いたアモスとハリスが驚いたようにレックに目を向ける。
知らないのかと言いたげな目に徐々にレックは小さくなっていった。
「パノンさんは世界一の旅芸人って噂の人だ。それに、団体に所属することなく、常に1人で笑いを探求しながら旅をするのさ。その人がジョンと約束したのさ。病気が治るように、勇気の欠片をプレゼントするってな」
「勇気の欠片…運命の壁か…」
アモスの脳裏に現実世界のクリアベールの北東に位置する絶壁、運命の壁の光景が浮かぶ。
そこは元々は巨大な鉱山で、大昔に起こった地震の影響でその三分の一が崩れた結果、絶壁に変貌した。
昔はそこから良質な金属や宝石が取れることから多くの人が作業をしていた。
そんな中、この鉱山の頂上に緋色の鉱石、ヒヒイロカネというオリハルコンに匹敵する優れた金属の鉱脈があることが判明した。
1人の男性がそれを手にし、持ち帰ったことがきっかけで多くの人々がそれを手に入れるために鉱山を上った。
しかし、断崖絶壁を上るという危険な行為である上に魔物が魔物も出没することからほとんどの人が失敗して負傷、もしくは死亡することとなった。
魔物の活性化と採掘量の減少から閉山が決まった後も、噂を聞いてヒヒイロカネを手にしようと挑む冒険者がいることから、ヒヒイロカネはいつしか運命の壁を制した勇者の証として、勇気の鉱石、勇気の欠片と呼ばれるようになった。
一説によると、その『勇気』は賞賛の言葉ではなく、無謀な挑戦をしたこと人物への皮肉が込められているらしい。
「だが、パノンさんはクリアベールに戻ってくることはなかった。おそらく、運命の壁で…」
「分からないな。なぜ、勇気の欠片をプレゼントするって…」
「きっと、不可能はないことを証明したかったのかもしれないな」
「不可能はない…か…」
「実際、最後の1週間、ジョンは治ろうと必死になっていた。本気で生きようとしていたよ」
「…その、勇気の欠片が手に入ったら、2人の気持ちも区切りをつけることができるか?」
「お前、まさか…やめておけ!あの壁が危険だということは分かっているだろう!?」
戦士として鍛え抜かれたアモスの体はやわではないということは分かっているが、運命の壁はそのような肉体を持つ男でさえ奈落へ突き落した。
幼馴染である彼をそのような死地へ行かせるわけにはいかないと、ハリスは机を叩き、強い口調で反対する。
「分かっているさ。だがな、お前とお前の奥さんをこのまま放っておくわけにはいかない」
モンストルに待っている人がいて、今ここに仲間のいるアモスは死ぬわけにはいかない。
しかし、友人であるハリスとその妻のマゴットのためにできることがしたいという気持ちが勝る。
「しかし…」
「アモスさんだけでは不安だとしたら、俺たちも行きますよ」
「レックさん…」
「じゃ、じゃあ…レックが行くんだったら、あたしも!」
「私も行きます」
「仕方ありませんね。私もお供させていただきます。
「そういうこった、アモスさん。誰もあんた1人で行かせねえよ」
レックを筆頭に仲間たち全員が運命の壁へ挑むアモスの助けになろうと名乗り上げる。
自分のわがままに付き合わせるつもりはないと、1人で挑むつもりだった。
だが、こんな自分のために自ら助けになろうとしてくれたレック達のことがうれしくて、アモスの眼に涙が浮かぶ。
「…いい仲間を持ってな、アモス」
「ああ…」
「俺が行っても止められねえみたいだな。けどな、必ず生きて帰って来いよ。勇気の欠片以上に、幼馴染のお前の命が大切に決まってるからな。それから、これを持っていけ」
ハリスは本棚から古びた1冊の本を出し、それをアモスに渡す。
ページを開くと、そこには手書きの地図が書かれていた。
「これは運命の壁の中の坑道の地図の写しだ。内容は100年前のものだが、閉山した日と重なるから、大した変化はないはずだ。それから、1つ言っておく。勇気の欠片は並みのつるはしでは採掘できない代物だ。何しろ、ダイヤモンドよりも硬いからな。上物のつるはしが必要だが…」
「つるはし…当然、この町にはないな」
ヒヒイロカネを採掘するには、従来の鉄製もしくは鋼鉄製のものではなく、魔力で鍛えられたものが必要になる。
しかし、運命の壁に挑む人間がこれ以上増えないように、クリアベールではそうしたつるはしの生産が制限されており、仮にあったとしても貸し出すことはできない。
「おそらくは、運命の壁の中にあるかもしれないな。嫌じゃなければ、犠牲者のものを拝借するとかか…」
「確かに…あまりいい思いはしないが、ジョン君のためだ」
(それにしても、あの夢のクリアベールのあの人は…)
2人の会話を聞きながら、レックは夢のクリアベールからここへ飛ばした彼のことを思い出す。
おそらく、彼の言っているご主人様がジョンのことだろう。
この家に入る際、そばにあった墓には常に飼い犬がいた。
おそらくはその犬があの若者の正体だろう。
だが、分からないのは空飛ぶベッドだ。
それとジョンに何の関係があるのか、今のレックには分からなかった。