「ど、ど、ど、どうなってんだ?壁が動いてねーか!?」
ゴゴゴゴと壁が動く音が全方位から聞こえて来て、周囲の様子がまるで分らないハッサンは困惑する。
しかし、チャモロは視覚に頼らず、聴覚によって今起こっている状況を見極め始める。
「おそらく…周囲に僕たちに近づいてきているのでしょう…」
「ええっ!?ということって…まさか…」
「はい。この試練には時間制限があり、突破できなければ壁に押しつぶされてしまう…」
チャモロの一言でレック達は騒然とする。
王位継承者のための試練と称しているものの、これまでの試練は一歩間違えば試練を受ける人間が死ぬようなものばかりだ。
一人息子のホルスを護衛をつけるとはいえ、このような危険な場所へ行かせる真似をしたホルテンの気が知れなかった。
だが、この試練を突破して帰らなければ彼に文句を言うことすらできない。
「こういう試練って、出口を探すのが王道ですよね!何か…何かヒントはーーー…」
「っていうより、アモスさんは変身して壁を止めてくれねーか!?」
「ああ、そうでしたね。では…行きますよーーーー!!!」
深呼吸をしたアモスは全身に力を込めていく。
理性の種のおかげで変身能力をコントロールできるようになったアモスだが、変身することになるのはこれが初めてだ。
こうすれば、体力が続く限りは自由に変身と変身解除をすることができるはずだ。
しかし、どれだけ力を込めても変身することができない。
「だ、駄目です!変身できません!!」
「ええっ!?なんでぇ??」
「まさか…!!」
ミレーユは壁に向けてイオを唱える。
しかし、いつまでたっても爆発が起こらない。
「まさか…この場所では呪文も変身もできねえってことか!?」
壁を抑えて時間を稼ぐ、壁を破壊するという選択肢がこれによって失われた。
「お、おい…!どこかで見てんだろ!?どうすりゃあいいか説明し…!?」
聞こえていない可能性が高いものの、幻影に対して文句を言いたくて叫んだホルスだが、持っているランタンの光に照らされた床を見て、言葉が止まる。
床にはホルストックの古い文字が石1つ1つに丁寧に書かれていた。
最初に入ってきたとき、床には何も書かれていなかったことを考えると、おそらくこのランタンの光に照らされることで文字が浮かび上がるという理屈だろう。
もしかしたら、この文字がヒントの可能性が高い。
(この床の文字がヒントだとしたら…何がある!?何があるんだよ…??)
壁の音が大きくなっていく中、ホルスは必死に床の文字から解決策を導きだろうとする。
古代文字がここまでヒントになるというのなら、もっと真剣にそれの勉強をすればよかったと後悔した。
(レーヴァテインを手にした王は仲間とはぐれ、1人竜が作りし迷宮の中に迷い込んだ。そして、ストームウィルムが生み出した狡猾な罠に落ちた)
「狡猾な罠って、これのことかよ!?」
(しかし、どのような罠にも必ず突破口がある。真実の名を名乗りしものだけが羽ばたく竜を追うことができる…。王は真実の名を名乗り、竜の後を追った…)
「真実の名…??」
その声が試練をクリアするためのヒントであることだけは全員が理解できた。
問題はその言葉の意味だが、気になる言葉の一つが真実の名だ。
「ホルスって答えりゃあいいのか?じゃあ…!!」
ホルスは頭の中で古代文字で書いた自分の名前を思い浮かべ、最初の文字を探す。
ちょうど右手側2メートル先にその文字を見つけたため、ホルスはその石の上に立つ。
立つと同時にその文字の光が消え、同時に壁の動くスピードが速まった。
「どうなってんだ!?動くスピードが上がったぞ!?」
「嘘だろ…?この文字じゃないのかよ!?」
焦りを覚えつつ、必死に頭の中で思い浮かぶ古代文字から自分の名前を書きだし始めるが、どう考えても今立っている医師に刻まれている文字しか思い浮かばない。
つまり、この試練の答えの文字はホルスではないということだ。
「じゃあ、なんだ?初代ホルストック王の名前を答えろっていうのかよ??」
もう1つの答えがあるとしたらそれだが、それも無理だということはすぐにわかった。
初代ホルストック王の名前はホルストックで古代文字にしても最初の文字はホルスと同じだ。
そして、話の中で彼の名前は初代ホルストック王、もしくはホルストックのどちらかでしかなく、それ以外の名前で彼が称されたことは一度もない。
「うう…何か、何かあるはずです!思い出してください!!私、まだペチャンコになりたくないんですーーーー!!」
「うるせーーー!少し、黙ってろ!!」
こんなところで死にたくないのはここにいる誰もが同じだ。
レックたちにはホルストックの古代文字の知識がない以上、頼ることができるのは少しでもそれを勉強したホルスだけだ。
(思い出せ…!何かある、何か…出てこい!!)
思い出そうと必死になればなるほど、底なし沼にはまったかのように思い出せないのが現実だ。
4分経過しても答えになるものが思い浮かばず、その間に壁がもう半分迫ってきていた。
「今のスピードですと…残りはあと4分から5分しかありません!」
今回ばかりは魔物マスターとして得た自分の能力を恨めしく感じ始めていた。
そのわずかな時間の中で正解を見つけ出さなければならず、それができる唯一の人物であるホルスに重いプレッシャーを与えることになる。
額から汗が流れ、だんだん考えすぎで頭痛が起こり始めていた。
そんな堂々巡りの中、急に半年前の授業のことを思い出した。
その時は夜更かしのせいで睡魔に襲われ、半分眠った状態で受けていたことから正確な記憶かどうかは定かではない。
そこで、ホルストックに昔存在したという本当の名前と魔よけの名前のことがテーマとなった。
「ホルス王子、昔の人は2つの名前をもっておった。本当の名前は親などの心から信頼できる人間にしか教えることが許されなかったのじゃ。本当の名前が心悪しきものに知られてしまった場合、そのものの人形になる恐れがあるからじゃ…」
その話は小さいころに母親から聞かされた昔話の中にもあった。
とある木こりの少年が偶然見つけた泉に現れた天使のような女性に魅了され、うっかり自分の本当の名前を彼女に教えてしまった。
それから、彼はその女性に心奪われてしまい、両親の手伝いをさぼるようになり、何度も何度もその泉に足を運ぶようになってしまった。
そんな彼を心配した両親は彼を部屋に閉じ込め、ドアと窓を木材で閉ざした。
水と食べ物は屋根に作った小さな扉から降ろす形で渡した。
それから1週間、彼は部屋の中でおとなしく過ごしていた。
しかし、嵐の日に悲劇が起こった。
その日は外に出ることができず、家の中で過ごしていたが、雷が家に落ち、それによって彼を閉じ込めていた部屋の壁が砕け散ってしまった。
そして、外へ出ることができるようになった少年は笑みを浮かべ、嵐の中外へ飛び出してしまった。
そのあと、彼の姿を見た者はだれもおらず、彼が見つけたとされる泉も消えてしまった。
そんな恐ろしい話だが、その2つの名前を持つ習慣が薄れたことで、ホルスを含めた今どきの子供たちはそれがただの作り話だと思っている。
そのため、その慣習について知っているが、特に興味を持っているわけではないホルスはそのまま睡魔に身を任せようとしていた。
「じゃが、そもそもホルストックの王家は今でも魔よけの名前を名乗り続けておる。じゃから、ホルス王子にも別の本当の名前があるのじゃ。それは確か…」
「…アル…フォンス…。そうだ!その名前だ!」
思い出したホルスはランタンの明かりを照らし、最初の文字を探し始める。
1つでも間違った文字の上に乗れば、またあの壁のスピードが上がる。
文字を見つけたホルスはジャンプしてその石の上に乗る。
もしそれでまたスピードが上がったら、一巻の終わりだ。
石の文字が消えるが、壁のスピードが上がった気配はない。
(よし…次の文字は…!)
正解を確信したホルスは次の、そしてまた次の文字の上に乗る。
6文字目でうっかりバランスを崩し、すぐ隣の違う文字の上に乗りそうになるが、何とか持ちこたえる。
「こいつで…どうだ!?」
そして、最後の一文字に乗ったことで、床に描かれた文字はすべて消滅する。
しかし、壁の動くスピードは元に戻っただけで出口となる場所が開いた気配がない。
「どうなってんだ!?真実の名は名乗ったじゃねえか!?」
「まだ…ここの試練は終わっていないということでしょうか…??」
「な、なあ…またここ…寒くなってきてねえか?」
妙な悪寒を感じ始めたハッサンはくしゃみをしてしまう。
その寒さは床の文字が消えるのと同時に徐々に強まっている。
「もしかして、外れってわけじゃねえよな!?」
「それはありえません。ですが…まだ残っている謎があります!」
「謎…??それって、何でしょうか!?ブアックション!」
「羽ばたく竜を追う、ね。それが、もしかしたら脱出のためのもう1つのヒントかもしれないわ」
「羽ばたく竜…羽ばたく竜…」
あの声は意味もなくその言葉を告げるはずがなく、必ず何かのヒントになることは分かっている。
その言葉に従えば、必ずこの第3の試練も突破することができる。
「羽ばたく竜…竜が羽ばたいたら…。羽ばたく竜は空を飛ぶ!!壁を登れ!!」
思いついたホルスは動く壁に向かって走り始める。
「あいつ…なんだか頼もしくなったな…」
「そんなことを言っていないで、俺たちも行くぞ!」
ホルスの後に続くようにレック達も走る。
ランタンの明かりを照らすと、壁にはかろうじて上ることができそうなでっぱりがいくつもついていた。
レック達はそのでっぱりに捕まり、上へ上へと昇っていく。
その間も壁はゆっくりと動いており、悠長に立ち止まることは許されない。
「あ…見て!!出口が見える!!」
上を見たバーバラは天井がゆっくりと開き、外の光が入ってくるのを見た。
これでようやく、ホルスの真実の名が正解だということがレック達も確信することができた。
「みんな、急げ!壁が閉じる!!」
先に一番上まで上がることができたレックとハッサン、アモスが遅れて到着した面々に手を貸し、外まで引き上げる。
「ほら、捕まれ!ホルス王子!!」
最初に上り始めたホルスだが、途中で疲れてしまい、結局一番最後にハッサンの手を借りる形で脱出した。
そして、数分後には開いていた場所は閉じた。
「ふうう…やれやれだぜ」
「怖かったけど、これで第3の試練も突破だね」
極限状態からの脱出で気が抜けたレック達は座り込む、もしくは体を横たわらせて全身の力を抜く。
登り切ったその場所は岩山のどこかで、太陽がまぶしく感じられた。
「少し、休憩したら移動しましょう。あとは…この道に従えばいいだけみたいですし」
横たわっていたチャモロはゆっくりと起き上がり、岩山には不釣り合いな、砂で舗装された上に左右の端には火のついた松明が並べられた一本道に指をさす。
その先から聞こえる水の音はチャモロの耳にしっかりと届いていた。