「最近、東の砦からの連絡が途絶えている…。何か良からぬことが起きたのか?」
レイドック城にある個室の中で、王が政務にあたる。
机の隅には小さなフランスパンをのせた小皿があるが、すでに腐っている。
そして、彼を包囲するかのように書類の山が気付かれている。
「ネルソン…」
自分をかばい、大けがをした兵士長の名前を口にする。
少なくともレイドックの制度を利用すれば、傷痍軍人として退役し、年金生活を送ることができる。
にもかかわらず、兵士長を辞任しただけで兵士として職務に服している。
理由として故郷に戻っても迎えてくれる家族がいないからと言っていたが、それは嘘で、彼には妻や娘、更には娘が産んだ3人の孫がいて、全員息災に暮らしている。
兵士選抜試験の後、彼は自ら志願して東の砦へ転属した。
その砦はムドーが住むとされる城、地底魔城がある孤島の西にあり、仮にムドーが行動を起こしたら真っ先に狙われる。
(東の砦を守るためにも早くラーの鏡を…)
「失礼します、陛下!!」
伝令役の兵士が部屋に入ってくる。
彼はひざまずくと、すぐに王が待ち望んでいた言葉を口にした。
「レックとハッサンがラーの鏡を持って、帰還してきました!!彼らは王座の間にて、陛下を…」
「おお…ついにラーの鏡を!!」
王座の間では、ソルディとレック、ハッサン、ミレーユ、バーバラが王が来るのを待っていた。
「くぅーーー!俺たち、大手柄だぜ!!」
「ああ、ここを出てもう4か月もたっていたんだ…」
レック達がラーの鏡捜索の任務を受けたのが4か月前。
その間にミレーユとバーバラに出会い、幻の大地こそが現実世界だと知った。
問題は王にそのことを報告すべきか否かだ。
「おお…お前たち、待っていたぞ!!」
部屋から出てきた王が喜んでレック達を出迎える。
「陛下、このレックとハッサン、そして2人の女性の活躍により、見事ラーの鏡を入手することに成功しました!」
ソルディの手により、ラーの鏡が王に渡される。
「おお…これがラーの鏡!!これさえあれば、ムドーの幻を払うことができる!!」
「陛下、それから幻の大地のことですが…」
「すまぬ、まだ政務が残っているのでな。その報告は今日中に報告書で頼む。今夜、ムドー討伐のための作戦会議を行うので、会議室で待機していてくれ」
鏡を持ったまま、王は急いで自室へと戻って行った。
「うわあ…すごくかっこいいけど、せっかちかも」
「すまぬな、バーバラ殿。王は四六時中政務と兵の指揮に追われておる」
「まさに、眠らずの王…ですね」
ミレーユ、バーバラと少し言葉を交わした後、ソルディが懐から手紙を出す。
「おお…そうだ、レック。昨日ライフコッドから荷物が城に届けられた。お前宛にだ」
「俺宛に…ですか?」
「そうだ。1階の倉庫に保管されている。お前の名前を出せば、すぐに出してもらえるはずだ」
差し出された手紙を読んだレックは目を大きく開く。
「そんな…これを俺に!?」
「おいおいレック、何が書いてあんだ?」
ハッサンが手紙を見ようとすると、レックは大急ぎで会談へ向かう。
「おい、ちょっと待ってくれよレック!!」
「速すぎだよぉ、レックー!」
「何があったのかしら…?」
3人もレックを追いかけるように走って行く。
(それにしても…幻の大地か)
1人残されたソルディはレックから聞いた言葉を思い出していた。
(レックの言葉が正しければ、我々の世界には実体が存在しない…ということになる。トム…私とよく似た男…。しかし、何だ?このトムから感じられる懐かしい心地は…?)
「うわーーー、きれい…」
「おいおい、なんだよこの鎧。こんなすげえ鎧見たことねえぞ」
「これがレックの故郷、ライフコッドの鍛冶屋さんが作った精霊の鎧…」
渡された鎧箱の中には白銀の色の良質な鉱石を厳選して作った鎧があった。
胸の部分にはライフコッドに伝わる山の精霊の紋章が刻まれていて、そこからはなぜか若干の魔力が感じられる。
「ターニア…」
レックは鎧を見ることなく、ただ手紙をじっと見ている。
手紙によると、いずれ兵士としてムドーと戦う時のために提供してくれたようだ。
丁寧な字で薄めのインクから、この手紙が妹の物だと名前が書かれていなくてもわかった。
代金は出世払い、ムドーを倒した後でレック自身が支払うことになっている。
「ねーねーレック、さっそく装備してみてよー!」
「ああ…」
手紙をしまうと、鎧箱から精霊の鎧を取り出し、ゆっくりと装備する。
高い耐久性があるにもかかわらず、鎧はかなり軽い。
装備しようと思えば、女性でも装備できそうだ。
「レック、こりゃあムドーと戦う時は頑張ら…」
「お前たち、少しいいか…?」
倉庫に入ってきたソルディがハッサンの言葉を遮る。
別れてから数分。
ラーの鏡が手に入ったという朗報が届いたにもかかわらず、なぜか表情が曇っている。
「兵士長、どうかしたのですか?」
「いや…王が急にお前たちを呼び戻してほしいと言い出してな。これから一緒に来てほしい」
「なんで俺たちを?」
「分からん…。とにかく来てくれ」
「う、う、うう…」
部屋の中で、王が苦しそうに頭を抱えている。
机の上にはラーの鏡が置かれている。
「陛下、レック達を連れて…!!?いかがなされたのです!?」
最初に入ってきたソルディが王に駆け寄る。
「陛下!!」
「もしかして…ずっと眠らなかったせいか!?」
「陛下!陛下!!」
何度もソルディは陛下と呼ぶが、王は首を横に振るだけだ。
そして、6回目に呼ばれた時についに異なる反応をした。
「ち…違う…」
「え?」
「私は…王では…」
「!!みんな見て!鏡が!」
王の以上に気を取られ、全員鏡の異変に気づいていなかった。
鏡が白い光に包まれていて、次第に王だけを包み込んでいく。
「陛下!!」
「うう…うわあああああ!!」
悲鳴と共に、次第に王の体が変化していく。
若々しい肌に皺が出て、頬にたるみが出てくる。
金色の髪の色素がわずかに薄まり、腰がわずかに曲がる。
変化が終わると同時に、白い光も消えて行った。
「う、嘘…?」
「陛下のお姿が…」
「はあ、はあ、はあ…やっと元の姿に戻ることができました」
優しげな雰囲気は変わらないが、声色は明らかに女性のものだ。
そして、姿は現実世界のレイドックで眠っている王妃と同じ姿だ。
混乱するソルディが彼…いや、彼女を呼ぶ。
「いいえ、ソルディ。私はレイドック王妃、シェーラ・ファルメル・レイドックです」
「シェーラ…ん?どこかで聞いたことのあるような名前だ…」
聞き覚えのない名前のなぜか懐かしさを感じ、混乱するソルディ。
そして、シェーラはレックをじっと見つめる。
「レック…たくましくなりましたね」
「え?」
まるで昔あったことが、レックにはシェーラと会った覚えがない。
そもそも故郷であるライフコッドに王族が自ら来ることがないのだ。
ムドーという脅威が存在しているならばなおさらそうだ。
「で、では…シェーラ様。本物の陛下はいずこに…??」
「そうですね…陛下はムドーの元に、地底魔城にいます」
「なんと!!?」
「もしかして、人質に…」
「それは直接向かえばわかること…。レック、お願いです。私を地底魔城へ連れて行ってください」
「な…!?」
シェーラの頼みに驚きを隠せないレック。
それはソルディも同様だ。
「無茶ですシェーラ様!!レック達だけでは…」
「では兵士たちに直接伝えるのですか?このようなことが漏れれば、大きな混乱が起こります。そうなれば国は乱れ、ムドーに隙を与えることになります。混乱を避けるためにも、私が城を出て、このことを隠す必要があるのです」
「…」
確かに、シェーラの言うことは正しい。
しかし、この状況でシェーラを守ることができるのはレック達4人だけ。
向かうのは魔王の拠点。
守りきれるかどうかは分からない。
「ソルディ兵士長、私を信じて…」
「…。馬車を調達します。その中に隠れ、城を御出になられてください」
「ありがとう、ソルディ兵士長」
馬車調達のために部屋を出たソルディを見送ると、再びレックに目を向ける。
「レック、お願いしますね」
「は、はい…」
「まあ、よくわからねえけど、腕が鳴るぜ!!いよいよムドーとの決戦だ!」
「うー…一体どうなってるのかよくわかんないよー」
「…」
何が何だかわからなくなるレック達だが、何時間その場で考えても答えが出るわけではない。
答えを知るにはシェーラの言うとおり、地底魔城へ向かうしかないのだ。
レイドック東にある街道整備すらされていない山地。
赤い鬣を持つ若い白馬、かつて初任務としてレック達が捕まえた暴れ馬が馬車を曳きながら、その険しい土地を進んでいく。
「へへ…まさかこいつが馬車を曳いてくれるなんてな」
「うん。俺たちの言うことをちゃんと聞いてくれる。よろしくな、ファルシオン」
手綱を掴み、馬車をひく馬にレックが呼びかける。
ファルシオンは意外なことにハッサンが付けた名前で、北の国で鋳造されている儀式用の刀の名前を取ったというう。
馬車の中ではミレーユ達女性陣が待機する。
偽装のため、連絡の取れない東の砦の近状調査任務という形になっている。
城から離れてすでに4時間経過する。
その間に何度か魔物からの襲撃を受けたものの、力量が上がったおかげか、大したことにはならなかった。
最後の山を越えて、レックは目を大きく開く。
「あ…あああ…」
「砦が…」
崩れた壁と燃える旗、そして鼻につく不快なにおい。
砦の中を馬車から降りて確認すると、床は血でぬれていて、各所には兵士たちの死体がある。
死体の中には一部腐乱しているものがあり、中には獣か魔物に捕食されているものもある。
「ひでえ…」
「これもムドーの仕業だったら、絶対に許せないよね」
「これが…連絡が来なかった理由…」
「みんな来て!!まだ息をしている人がいるわ!!」
ミレーユ声を受け、全員が砦の南出口手前へ向かう。
「この人は…」
ミレーユから回復呪文を受けているのは試練の塔で会ったネルソンだった。
義足は既に砕かれていて、体中が自分と倒した魔物の血でぬれている。
また、左腕は肘から先が無くなっていた。
「ネルソン試験長!!」
レックも回復呪文を唱えようとする。
しかし、いくら回復呪文を唱えても傷が一向に治らない。
「ミレーユ、なんで治らないんだ!?」
「回復呪文は生命力を促進させる呪文。つまり…」
「もう…生命力が残されてないということ…?」
バーバラの言葉にミレーユは何も言わずにうなずく。
「う、うう…」
口から血を垂れ流しながら、ネルソンが目を開ける。
あまりにも多く血を浴びすぎたのか、その眼は真っ赤に染まっている。
「あ、ああ…陛下…」
「ネルソン…」
シェーラが静かにネルソンの前へ行く。
血のせいかもはや死ぬ寸前であるためか彼の視界はぼやけていて、シェーラを王と誤認しているのだ。
まあ、彼女が眠らずの王として国をずっと治めていたため、一概に違うとは言えないが。
「陛下…地底魔城から魔物が侵攻し、なんとか食い止めました。将兵たちは…みな勇敢に戦い…」
「…よくやってくれた。お前たちの忠勤に心から感謝するぞ」
なんとか声色を王の姿になっていたころのものにしてしゃべる。
ねぎらいの言葉を聞いたネルソンの目から涙が出る。
「陛下…私も、共にムドーと戦いたかったのですが…もはや、これまで…です…」
「安心しろ、お前たちの死は決して無駄にしない。お前の家族のことは…任せてほしい」
「陛下…ありがとう、ございます…。また、来世でも…あなた様にお仕、え…」
静かに目を閉じ、肉体からぬくもりを消していく。
「ネルソン…」
シェーラが静かにネルソンの眼を閉じられる。
そして、そばに置かれていた彼の大剣を手に取る。
「行きましょう、レック。彼らの思いを無駄にしないために…」
馬車へ戻るシェーラの目には涙がたまっていた。