ジスタート王国のライトメリッツ公国。
その公宮のとある応接室で、三人の女性が歓談していた。
一人は青眼に、白金の髪を横に纏めて流して、臍と背中を大きく開けた青い色調の服を身に纏っている。
その豊満な胸が傍目にも判る程ぴっちりとしたその装束は、今すぐにでも鎧を纏えると言わんばかりだ。
彼女は従者然とした姿勢を崩さず、主を立てるかのように、客人と対面する主の後ろに侍り、一歩引いて二人の会話に耳をそばだてている。
時折、失礼にならない程度に相づちを打ち、話し自体には加わっているようだ。
その彼女を侍らせている白銀の髪の少女は、従者と同じく青を基調とした、見るものに涼やかな印象を与える装いに、白い衣をを羽織っている。
凛とした紅の瞳は、会話の内容が面白いのか楽しげな光を宿し、表情には笑みを絶やさない。
側には、美しい銀の装飾がなされた、羽根を思わせる鍔の長剣が鞘に収まっていた。
銀髪の少女の対面に座る女性は、覗き込む者を包み込んでしまう程の優しさを湛えた緑眼を細め、対面する少女達より大きい、ふくよかな胸を揺らして嬉しそうに微笑んでいる。
祭事の際の踊り子でも通る服装は、清楚ながらも艶があり、その豊満な肢体に色香を漂わせ、その背に届く波打つ金髪を際立たせていた。
傍らには、不思議な造りの金の錫杖が立て掛けられている。
三人の歓談はそれから四半刻(三十分)程続き、銀髪の少女は話しの内容に興奮したのか、声を荒げてその時の様子を詳細に語る。
「……そうしたらサーシャが『君達は本当に懲りないね、同じ戦姫同士なんだから、少しは協調性を持ったらどうだい?』何て言うんだ!
私とあいつとの間に、そんなものが芽生える余地がない事ぐらい、サーシャだって分かっている筈なのに!」
「エレオノーラ様、アレクサンドラ様のおっしゃる通りです。
偶には、リュドミラ様に大人な対応をされてみては?」
「そうよ、エレン。合う度に角突き合わせていたら疲れてしまうわ。
そういう時は、貴女の方が大人にならないと」
「嫌だ!
私がそんな対応をとっても、あいつがあの態度を改めるとは思えない。
それになにより、大人な対応をするならあいつからするべきだ!
そうしたら私だって、今までのあいつの態度を寛大な心で赦してやらんこともない」
従者と金髪の女性の最もな指摘にも少女───エレオノーラ=ヴィルターリアは耳を貸さず、相手の対応次第では、赦す『かも』しれないと言う旨の発言を二人に返す。
主の発言に気付いた従者の女性はエレオノーラ──エレンに指摘する。
「赦すとは、断言なさらないのですね」
「当然だろう、リム。
まあ、私も鬼ではない。それ相応の謝り方をして、私の心が満足すれば赦してやるつもりだ。
無論、私の心は妥協しないがな」
「どんな謝り方なら満足するの?」
エレンは従者の女性──リムアリーシャの言葉に憤然とした風情で腕を組み、言い返す。
そんなエレンに、金髪の女性が困ったように笑いながら、どんな謝罪の方法なら赦すのか問い掛ける。
エレンは腕を組んだまま少し考えて、最初はおもむろに口を開いた。
「そうだなあ。
まず土下座は欠かせないとして……」
この時点で既に赦す気はないと判断した二人は、あれ得ない未来の光景を思い浮かべる必要はない、と判断しエレンの話を遮ろうとする。
しかし、エレンは徐々に考えが纏まってきたのか、滑るように言葉を紡ぐ。
「これまでの非礼と、暴言の数々。
そして、私に手を上げた諸々をすべてを謝罪し、もう今後二度と私に対して不愉快な言動はしない、という誓約書を書かせた上で『エレオノーラ=ヴィルターリア様、今まで本当に申し訳ありませんでした』と言う書き取りを……」
「もう結構です」
「何故だリム、まだ続くぞ。
その書き取りを五十……いや、百枚だな。
それから、ソフィーやサーシャにも迷惑を掛けたし、この二人にも同じ様に……」
「だからもういいわよ。
貴女、それ絶対赦す気ないでしょう」
金髪の女性──ソフィーヤ=オベルタスの言葉に、まだ言い足りないのか不満そうにするエレン。
リムアリーシャ──リムはそんな主に非難の視線を送り、苦笑するソフィーヤに対し感謝の念を送る。
味方はいないと判断したのか、エレンは不機嫌そうに鼻をならし、話題を変えた。
「それで、今日は何の用だ?
ルーニエなら厩舎にいるぞ。
私たちライトメリッツは、ブリューヌとの戦の準備で忙しいんだが」
何処か拗ねたようにエレンが今日の来訪の目的をソフィーヤ──ソフィーに問う。
主の態度はともかく、その発言にはリムも気になっていたのか、姿勢を正しソフィーの用件を聞く体勢に入る。
ソフィーも雑談はここまでと判断し、今日の来訪の理由を話し始める。
「そうね、その戦に関係があることよ」
「なに?」
「どう言うことでしょうか?」
思わず疑問の声が洩れる二人に、ソフィーは詳しい内容を最初から説明する。
「切っ掛けは四ヶ月前、ジスタートとブリューヌの国境のヴォージュ山脈で、竜を見たという話が上がった事なんだけど。
貴女達は知ってるかしら?」
「いや、私は知らないな。ルーニエのことじゃないのか?」
「私はルーニエとは別に、二度ほど侍女の数人から聞いています」
ソフィーの問いに初耳だったエレンはそう返す。
ルーニエとは、エレンがこの公宮で飼っている中型犬並の幼竜のことだ。時々、放して自由にさせているがそれが大袈裟に伝わったかと思ったが、自身の副官でもあるリムが話を知っていた事に驚く。
「リム! 何故、私に言わなかった!」
「二度目の時点で申し上げました。
最初は三月程前のことですが、噂話だと判断し報告には上げませんでしたが。
二度目の時である一月前も、エレオノーラ様は眠たげな声で『そうか』とおっしゃいましたので、それほど大事にはしませんでした。
それ以降は耳にしていないので、やはり噂話の類いかと結論していたのですが……」
エレンは思い出した。そういえばその時、ルーニエと戯れて疲れていたが、確かに耳にした。
山の方で竜の足跡を見た猟師がいるとの事だったが、噂話かもしれませんと言う彼女に自分は、ルーニエと同じ位の大きさなら飼ってもいいな、という旨の発言をした様な覚えがある。
何処か咎める様なリムの視線は、気のせいではない筈だ。
ソフィーはそんな主従の様子に苦笑して、話しを続ける。
「それで、わたくし興味が湧いてね。
ブリューヌに探りを入れたのよ。
勿論最初は、通いの商人や旅行者なんかに聞いてだけどね」
「お前が興味を持つのは分かるが……」
ソフィーは竜が大好きだ。
特にルーニエを気に入っており、エレンとソフィーが仲良くなれたのも、ルーニエの存在が一因と言ってもいい。
最もルーニエは、ソフィーのことを好いてはいないが。
情報収集を得意としているソフィーが、竜好きが高じて力を入れてもおかしくない、そう思い発言するエレンだったが、彼女は静かに首を振る。
「いいえ、そうじゃないわ。
確かに最初はわたくしの趣向が発端だったのは否定しないけれど。
初めの調査では、地方の領主の一人が竜を匿っている話し程度で、これについてはルーニエちゃんと同じ扱いなんじゃないかと判断したんだけれど、
途中から何だか胸騒ぎがしてね、もう少しブリューヌで詳しく調べてみたのよ」
何処かすっきりしない、という風なソフィーに二人は顔を見合せ、どうやら只事ではないようだと感じた。
「それで、どうだったんだ?」
エレンは微かに緊張を面に出しソフィーに問い掛け、リムも油断なく聞く。
「二人はテナルディエ公爵を知っているかしら?」
「ああ、知っている。
……あまり良い噂は聞かないが」
「私も、知っています。
此度の戦で、領民に重税と非道な行いを強いているようですが」
ソフィーの口から出てきたのは、これから戦うブリューヌ王国でも、有力な諸侯の名前だ。
知らず、その公爵の風評に、苦いものを噛み締めた様な表情が二人に走る。
ソフィーも好意を懐いていないのか、同じ様な表情をして話しを続ける。
「そのテナルディエ公爵の元に、竜を調教出来る者が居るらしいの」
「っ!」
二人は思わず息を呑んだ。竜を調教、つまり────
「それでは、ブリューヌ軍に竜が?」
リムは愕然とした表情でソフィーに問う。エレンも唖然とした面持ちだ。
しかし、ソフィーは首を振ってリムの質問に答える。
「いいえ、そこまでは分からなかったわ。
ただ、その可能性は低いと思う。
理由としては、テナルディエ公爵だって、少なからず喧伝する筈なのにまだそれをしないこと。竜が同道するのに、ブリューヌ兵の動揺が感じられないこと。
でも、絶対じゃないから、もしかしたら竜が出てくるという可能性も少なからずあるわ。
その可能性を、排除しないで欲しいのよ」
その彼女の言葉に、幾分か冷静さを取り戻したエレンは、ソフィーに情報の提供を感謝する。
「ソフィー、教えてくれてありがとう。
もし、知らずに対峙していたら、兵の動揺は避けられなかっただろう。
感謝する」
「いいのよ、気にしないで。
また、詳しい事が分かったら連絡するわね」
「ああ、私たちも調べてみる」
エレンには、竜具と竜技があるとはいえ、他の兵士には望むべくもない。確実に混乱しただろう。
真摯に頭を下げるエレンとリムに、ソフィーは微笑し鷹揚に頷き、この話しはこれでお仕舞いとばかりに手を打つ。
「さあ、後はルーニエちゃんに会わないと」
彼女はブレなかった。
その後、嫌がるルーニエを一日掛けて可愛がったソフィーは、自身の領地であるポリーシャ公国に戻るべく、ライトメリッツの公宮を去ろうとしていた。
「じゃあね、エレン、リム。武勲を期待しているわ」
「ああ、期待していてくれ」
「恐れ入ります」
ソフィーの腕には、別れを惜しむかの様にルーニエが抱き抱えられている。
ルーニエは、この一日逃げ回り本当に疲れたのだろう、ぐったりして死んだ魚の様な目をしていた。
「くれぐれも竜に気を付けて」
「大丈夫だ、私にはアリファールがある」
心配そうに声をかけるソフィーに、エレンと竜具アリファールは安心させる様に風を吹かせる。
続けてリムも安心させるかのように、ソフィーに声をかける。
「ソフィーヤ様。
エレオノーラ様には、私が決して無理をさせませんので」
「リム、アリファール、エレンをお願いね」
リムの言葉と、アリファールの微風に、少し不安が和らいだのか微笑を浮かべる。
別れの言葉を紡いでいく三人だが、徐々に言葉が少なくなっていく。
戦前ということで、少々湿っぽくなった空気を払うべく、エレンは二日前の歓談の中で、不思議に思っていたことをソフィーに質問する。
「ところで、竜を匿っている領地とはどこなんだ?
私は聞いたことがないのだが」
不思議そうにしているエレンに、ソフィーは少し困ったように微笑して、自身の知っている、あやふやな情報を教えるべきか迷う。
迷いを見せるソフィーに、リムは困惑し何か不味い事でも聞いてしまったのかと問う。
しかしソフィーは変わらず困ったように微笑し、
「わたくしも旅人や、商人から聞いたから、ハッキリしたことは判らないけれど、」
と前置きして、
「なんでも、普通の竜の二倍以上の体躯を持った赤い竜がいるとかで────」
───その竜はこのジスタートよりも東から来た。
───竜の背にはいつも一人の男が乗っている。
───その竜は喋る。
などと言った、自身でもあまり信じきれていない、情報を二人に伝える。
エレンは、話の信憑性に疑問があるのか顔に苦笑を顔に浮かべ、
「まあ、本当ではないにしろ、用心だけはしておこう」
とだけ返し、リムは訝しい視線をソフィーに向け、
「その吟遊詩人が歌ったかのような領地はどこなのですか?」
とまるっきり信じていないのか、疑問の声を上げる。
「確か、ここからそう遠くないわよ。
山一つ隔てているかどうか、じゃなかったかしら?
名前は確か────
────────アルサスだったような。
このあと二三話挟んで原作軸なんですが、この後の第九話が悩みものであまり良い出来ではありません。
話の筋は決まっているのですが、描写が難しくて第十話が先に出来てしまいました。
次回の更新はそう遠くないとは思いますが、あんまり早くは期待しないでください。