魔法科高校の劣等生 死を視る者   作:ノッティ

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第12話

落ちてきたのは人影であった。しわだらけのくすんだ白いシャツを着て、紺色のネクタイをだらしなく緩めた以外はどこにでもいそうな細身の中年ビジネスマンだった。達也が確認できたのはそこまでであった。自身が放った『分解』の魔法でそのビジネスマンはあっけなく消え失せた。当たり前のように、何の感慨もなく一人の人間の命が瞬く間に消え失せた。

 

それは達也にとっては当然の結果であったし、慣れてしまった自分には人が自分の魔法で消え失せた事には特別な感慨が浮かんでくることはなかった。しかし、こんな住宅地でしかも自分の仕事とは関係なく第三者を犠牲にしたことに関しては、今後の後始末や自身の周りの人間へ頼む労力を考えると少なからず複雑な気分になっていた。

 

しかし、と達也は自身の思考を切り替える。そもそも自分は誇る事ではないが実戦の経験は何度もある。視界に入っているものならば、自身のこの眼が乱入者の存在を知覚できないはずがないし、たとえそうではない今回のような状況でも、培われた戦闘の経験から何かしらの気配や空気を察してもいいようなものである。もちろん気配や空気の感じ方なんてものは結局の所、個人の勘の域を出ないものであり不完全なものであることは達也自身分かっている。

 

自信の師である九重八雲のような自分の気配や存在の濃度を自在に操れたり、格上の実力者が奇襲を仕掛けてくるような状況では、自身の勘は驚くほど当てにならない。それほどまでに自分は未だ未熟であるし、不完全だと達也は自分をそう認識している。もちろん、一般的な人の基準からは逸脱しているのは確かである。そうでなければ、尾行してきていた志貴の存在を感じ取ることも出来なかったであろう。

 

だが、今文字通り『分解』されてしまった中年の男は、眼を通してそういった手練れであるどころか魔法の力も持っていない何の変哲もない一般人であったことを考えると、達也はいきなり空から人間が降ってきたという異常な状況も相まって、多くの疑問を持たざるを得なかった。

 

突然の出来事にあれほどまで激昂し、ほとんど同じタイミングで志貴に対して魔法を放った深雪も絶句している。自分が放った直線状に放たれる魔法の行使と違い、深雪の魔法は座標地点を直接設定した魔法式であった。しかし、その魔法は対象である志貴の身体一つ分ほど右にずれており住宅街に似つかわしくない幻想的なまでの透明度を誇る氷柱が彼の隣に鎮座している。

 

唐突な乱入者に命を救われた志貴はどんな顔をしているのか、と達也が既に次の魔法を放つだけの段階にまで整え、CADの先をずらすことなく見ると

 

「……くそが」

 

苦虫を噛み潰したような表情で、これみよがしに舌打ちをしながら視線を上にあげていた。

 

体勢を変えることなく志貴の視線を追うようにちら、と目を向けるとそこには数人の人が住宅街の屋根の上に立っていた。達也はCADの照準を志貴から外すことなく、今度は正中で確認するため、顔をそちらの方向に向けた。

 

その場に立っていたのはたった三人。しかし、それらは何の統一感もなく、共通性もないバラバラの三人組だった。いや、“組”と言うのもおかしなほどにその三人の様子はそれぞれが異なっていた。

 

一人は、スーツを着た若い男性。ボサボサの頭髪に品のないピンクのネクタイをつけたその男は、生気のない顔で腕をだらしなくゆらゆらさせながらこちらを見ている。もう一人は老人だ。グレーのパンツに肌色のカーディガンを着ており、こちらは視線はこちらにあるものの何処か焦点が定まっていないようで眼球がギョロギョロと動かしながら、狂ったように首元を掻きむしっていた。

 

「……あれは」

 

と達也は顔を険しくする。残る一人は達也達と同じ一高の制服を着た女生徒であった。彼女はCADをでたらめにいじりながら何やらぶつぶつと呟いている。

 

「お兄様……あれは」

 

深雪は既に自身の感じた冷たい怒りが急激に引いており、視線を向けた目の前の三人組の異常さと、幾ら激怒していたとはいえ自分が正当な理由なしに人を殺めようと魔法を放ってしまったことに困惑を禁じ得なかった。

 

達也は深雪がそこまで精神的に弱い人間ではない事を知っている。にも関わらず、そんな彼女をここまで困惑させている状況に緊迫した雰囲気をひしひしと感じ取っていた。深雪を落ち着かせるように彼女の肩に手を置く。

 

「深雪、落ち着け。あれはおそらく最近の失踪事件の犠牲者達だ。先ほどの落ちてきた男と今そこにいる二人の青年と老人は分からないが、あの一高の制服を着た生徒は学内の掲示板にも情報提供のために顔写真が掲載されていた」

 

「では、もしかして……」

 

と、深雪は恐る恐るといった様子で志貴に再び視線を向ける。志貴は相も変わらない様子で表情を歪めている。

 

「いや、アイツの様子からして事件の犯人という訳ではなさそうだ。さっきの男に救われたのも偶然のようだ」

 

達也はそう説明すると、三人の様子がその場から動かずこちらを伺っているような状況を見て、警戒を緩めることなく志貴に問う。

 

「知り合いか?」

 

「……広い意味で言えば、な」

 

志貴はふう、とため息を吐くと切り替えるように眼光を鋭くする。

 

「取り敢えず、二人とも。面倒に巻き込まれたくなかったら、“魔法式を展開させるなよ”」

 

と言って、志貴は懐に手を入れる。達也はその志貴の行動にCADを強く構え、深雪を自身の胸元に抱き寄せた。

 

「きゃ……っ、お、お兄様?」

 

深雪は突然の事に驚きつつも、次に来たのは場に似つかわしくない羞恥の感情だった。体温が上昇し、顔が自然と熱くなってしまう。そんな妹を見て達也は意識を志貴に向けながらも、先ほどまでの見た事のない妹の様子が何時もと変わらない愛おしいものに戻った事に内心安堵していた。

 

そうして、志貴が取り出したのは鞘に納められた一振りの短刀だった。木製の柄と鞘に納められたまるで一昔前の極道物の映像作品にでも出てきそうなそれは、特にこれといった特徴のない物にも見えた。

 

少なくとも、魔法の要素は眼を通して見ても一切感知できない。武装一体型のCADにしては機械的な機構が一つも見受けられず、材質も特殊な物を使っているようには思えなかった。

 

志貴はそれを鞘から引き抜くと、明後日の方向に鞘を下手に放り投げた。乾いた音が地面を叩くように小さく響く。屋根の上の三人はその音に見向きもせず、こちらをじっと見続けていた。

 

「ホント、空気よめないよなぁこいつら。まぁ、そんなこと言っても無駄なんだろうけどさ。物事にはタイミングってもんがあるだろう? これはあまりにも出来過ぎてて、最悪だ」

 

志貴はそう言って、少し身体の重心を下げる。まるでその姿は獲物に飛び掛からんとする獣だ。達也はそんな臨戦態勢をとった彼に対して声を掛ける。

 

「何をするつもりだ」

 

「見ればわかるだろう? 殺すんだよ」

 

達也の問いに何の迷いもなく志貴はそう答える。

 

「自分が事故的なものとはいえ、一人消しておいて言うのもなんだが、あれは人間だぞ」

 

「戯言だね。達也のそういう所は嫌いじゃないが、例えお前がさっきの中年を殺していなくても、その忠告は申し訳ないが意味がない」

 

「……どういう意味だ」

 

まるで人を殺すことが当たり前とでも言うような志貴の言葉に達也は顔を曇らせる。もちろん、自分も多くの血を流してきた。そして、今現在も名前も知らない一人の人間の命を奪ってしまった。絶望するほどに心は揺らがないものの、自分はそれを一度たりとも是とはしていない。人を殺すのは何時の時代も禁忌だ。自分の行動はその禁忌を幾重にも破ってはいるが、その状況を当然とは思っていない。自分には守るべきものがいて、そのために血を被って、重責を背負っているという最低限の理由がある。

 

志貴に向けての『分解』は、達也の個人的な感情と判断ではあるが、それは少なくとも自分の身が危険だからではなく、守護者としての自身の使命ゆえのものである。それは確かに行き過ぎたものではあるかもしれないが、そうして当然とは考えていない。

 

最終的な手段としての排除――殺人である。それは、達也の中では揺らぐことのないものである。

 

しかし、志貴はそんなものはないと暗に言い切ってみせた。さも、当然のように最終の手段ではなく、極日常的な当たり前のものだとしている。

 

「それは生きている奴に対して言う言葉だからさ」

 

と、志貴はそんな言葉を口にした。達也がそんな思いがけない言葉に面食らっているその一瞬。志貴は跳躍した。

 

塀や障害物を使い、屋根に駆け昇ろうとする。そんな志貴を見て、男二人が動き出した。重力に逆らわず着地も考えないがむしゃらな動きで駆け上ってくる志貴に対して飛び掛かる。志貴はそんな相手を見て、すかさず自身のサングラスをずらした。

 

振るわれたと思われる複数の剣線は、次には青年の胴を、老人の首を切断していた。一飛沫の血が志貴の頬を濡らす。交差するようにして切り離された彼らの身体が塀の向こう側に落ち、志貴は屋根の縁に片手をかけると、くるりと前向きに回転しながら自分の身体を引き上げた。

 

回転の勢いそのままに屋根を駆け上ると、そこには一高の女生徒がCADをこちらに向け、今にも魔法を志貴に放とうとしていた。


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