魔法科高校の劣等生 死を視る者   作:ノッティ

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第11話

何度も言うようだが深雪にとって兄は『絶対』である。生まれた時からと言うのは誇張にもほどがあるが、それでも幾分前から彼女はそう信じて疑わなかった。今現在に至るまでその思いを曇らせることは一度たりともなく、これからも摩耗する事のない彼女の根幹を形作る感情と言っても差支えない。兄はその特異性からよく周りの人間には、煙たがられたり、時には面と向かって侮蔑の言葉を投げられることも少なくはなかった。

 

内心そんなことが起こるたびに深雪の心中は穏やかでなく、沸々と湧き上がる言いようのない嫌悪感と、激情が自分を支配していた。しかし、いくら彼女が兄の代わりにその感情を吐き出したとしても、当の本人が「気にしない」と言ってしまえば深雪としてはそこで引き下がるしかない。とある事情から兄がそんな安っぽい、けれどいかにも人間らしい感情を感じて表に出すことがほとんど出来なくなってしまったのは理解している。だからこそ、兄にどこか崇拝するようなまでの想いを寄せてしまっているのも事実だ。

 

もしも、兄が現在と同じ状況で人らしい当たり前の感情を持っていたとしたら、深雪は感謝と尊敬こそすれ、ここまで兄を高次の存在として見るような事はなかったかもしれない。深雪自身自分の兄に抱く『兄妹愛』が世間的にも異常であることには気づいていた。しかし、あくまでそれは世間一般と言われる杓子定規で測られた評価に過ぎない。深雪はそんなものを気にしないとまでは言わないが、絶対視もしていない。自分(みゆき)は深雪としてこの感情と付き合っていくだけだと割り切っている。

 

だからこそ、兄が是とするなら是、非とするなら非としてきた。客観的に見れば病的で何処か呪いめいたその彼女の感情は少ない人生の中で深雪が転機となるその日から貫いてきた己の矜持であった。

 

深雪は自身のそんな根源が大きく揺さぶられたように感じていた。たった今、目の前にいる男のただの一言で、である。

 

兄への蔑みの言葉の大半は『魔法師としての実力がない』ということだった。もちろん、その考え自体が間違いである事は、兄自身が身を持って証明している。しかし、兄が通常の魔法をほとんど使えない事は事実であり、そういった色眼鏡を通して見られるのは今の世の中である程度は仕方のない事である。もちろん、深雪の心はそんな言葉の一つ一つにささくれ立ってしまうのだが。

 

しかし、目の前の男の放った言葉はそれには当てはまらなかった。

 

先ほどまで不遜なまでの笑みを浮かべていた表情は、その面影すらも見せずまるで別人のようだった。ただただ、気味の悪い雰囲気を身に纏いながら、何処か怒りすらも感じさせる声色で目の前の男は、明らかに兄の人格(・・)を否定したのである。

 

今までにない沸々とした抑えきれないような感情が自信を襲うと考えていた深雪は、自分が存外冷静であることに多少の驚きを感じた。しかし、その驚きも急速に冷たく、心の奥底に沈んでいった。胸に去来するのは自分が今まで感じた事のない異常な冷たさ。人間は冷気を感じ続けると感覚が麻痺して、まるでその冷たさが温かく感じてしまうようなこともある。それは恐らく人間が自分を保つための自制の行動のようなものなのだろう。正反対の感覚で必死に自分をごまかそうとしているのかもしれない。

 

だが、深雪の感じた冷たさはそんなごまかしすら受け入れようともしなかった。麻痺など感じさせない速度と質でおよそ自分が感じた事のないようなぐちゃぐちゃなままで心を蝕んでいくようだった。

 

そう。と、心が冷えていく中で深雪は唐突に理解する事ができた。今まで自分が感じてきた沸々としたものの正体はこれだったのだと。兄のために、何より自分が一番に慕う兄が心無い言葉で貶められた事への理不尽さ、そしてそれを否定したい気持ち。兄が何時も止めるからこそ抑え込んで、いつの間にかこの冷たさに慣れて、自分の心が麻痺してしまっていたのだと。そして、これこそがこの冷たさこそが何時も私が感じていたもの真の姿なのだと。

 

 

これが本当の怒りなのだと。

 

 

「消えてください」

 

 

「……深雪?」

 

深雪の様子と普段聞くことのない粗暴な言い回しに達也は思わず目を見開く。達也は深雪が志貴の言葉を聞いて、自分のために怒ってくれているのだろうという事は分かっていた。しかし、何時もなら自身が怒らないでくれと頼んだ以上、深雪が露骨に言葉や態度に表すことは極力避けていることを薄々ながらも経験から感じ取っていたため、今回も同じように振る舞ってくれるのだとたかをくくっていたのだ。

 

もちろん深雪がどれだけ出来た人間であるとはいえ、限界も存在するだろうことは想像できている。兄である自分の言葉をどこまでも忠実に全うする妹を信頼しきっていたからこそ、達也は今回の深雪の行動に自分の中に残った少ない心が動揺で震えるのを感じていた。

 

達也は妹である深雪の異常なまでの献身の姿勢に、普段から疑問と一抹の悲しさを感じていたのは事実である。信頼はもちろんしていたが、それ以上に自分の言葉に必ず従うなどまるで奴隷のように思えて仕方なかったからだ。深雪にとっても、そして達也にとってもそんな卑しい気持ちは全くないものの客観的な立場から見れば、どうあっても異常な関係には映ってしまうだろう。達也は自分がどう見られても構わないと思っていたが、深雪がそれに巻き込まれてしまうのだけは常日頃からどうにかしなければならないと考えていた。

 

けれども、いざ彼女にその事を伝えたところで、それも妹に対する言葉になってしまう。だからといって、深雪を突き放す事は自分の使命と心が許さなかった。離れたくても離れられない、されど離れねばならない。そんなどうしようもない矛盾が達也には付きまとっていた。解決策はただ一つ、深雪自身が殻を破り、今の状況を変えるよりほかなかった。

 

そして、その時がいざ起こって見れば自分がこれほどまでに動揺していることに達也はどうにもならない複雑な気分であった。しかし、断言できるのはきっとこういった形で起こるべきものではないということである。常人の動揺とは比べ物にならないぐらいの微かな動揺を達也は瞬時に抑えてそう判断した。

 

「申し訳ありませんお兄様。しかし、私は目の前のこの男だけはどうあっても許せないのです」

 

深雪はどこまでも冷たい、そして暗い瞳を志貴に向けている。達也はその妹の一言にどうする事も出来なかった。こんな妹はかつて見た事がなかったからだ。いくら知識が広く、深い見識を持つ達也でも未知のものに対してはどうしようもなく無力で、そんな自らを悔やむように目の前の男に視線を向けた。

 

そこで達也が見たのは変わらず無機質な表情で、黒いレンズの越しに自分を見続ける志貴の視線。

 

何故、お前は深雪ではなく達也(おれ)を見ている?

 

異常だった。深雪は魔法による事象干渉能力がとても強い。それはそれだけ自身の魔法力つまり想子(サイオン)個別情報体(エイドス)に与える影響が強いという事である。それは、感情の昂りや発露によって無意識に放出した想子にも言える事で、深雪の場合は本人の特性も相まって意図した魔法式を展開しない場合だと情報体の内包している温度を氷点下にまで下げてしまう。昼に生徒会室に呼ばれたとき、深雪が生徒会メンバーや自身の食事を凍らせてしまったのも、これが原因である。

 

現に今、深雪を起点として徐々に地面に氷が出来始め、大気が白く凍てつき始めている。そして、深雪自身からはおおよそ普段の彼女からは想像できないような冷たい威圧の視線が注がれている。

 

そんな自身の命すら脅かすような状況にも関わらず、その元凶に目もくれず、佇まいも変化する様子もない。深雪など既に眼中にないといった様子でこちらを見続ける志貴はどう考えても異常で異様な存在であった。

 

達也はふと、入学式の前に彼に初めて会った時の言葉を思い出す。

 

『君はそれなりの修羅場を潜り抜けてきたんだろう。とても隠すのが上手い。答えは単純。君よりも多く見てきた、それだけさ』

 

その言葉がこの状況でようやく重みをもって達也の中に響いてくる。危険だと警戒はしておきながら、なんて様だ。相手の出方を待つのは手段として間違ってはいない。しかし、こいつは例外だった。こいつだけはなりふり構わず排除しておくべきだったのだ。

 

達也はそこまで考えて、シルバー・ホーンを躊躇なく、今一度抜き、すぐさまその引き金を引いた。その動作と呼応するように隣の深雪も既にCADを操作し、魔法式を展開し終わっていた。手抜き一切なしの魔法の発動、深雪はともかく達也は今までの考えをすべて横に置き、目の前の異物を排除するために行動を起こしていた。こんな場所で魔法を使った時点で、後々厄介事にはなりそうだが、それを差し引いてもこの男は排除しておかなければならない。

 

どこか使命的な達也の判断が唐突な行動に移らせた。そして、不可視の『分解』の魔法が志貴に命中し、彼を消し去ろうとした、その時――

 

突如異物が彼らの前に落ちた。




こんな話の流れにするつもりなかったのですが、勢いって怖いですね(笑)。
これからは、一話の文字数を少なくして、更新頻度を少しずつあげられたらと思っています。

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