結衣と別れた梢は、昨日魔女に襲われた並木道までやってきた。昨日と同じように木漏れ日が気持ちよい。この場所に来たのはキュゥべえの指示だった。梢は視線を地面に落とす。そこに白い色彩が入り込んできた。
「で、魔女捜しってどうするの?」
訊ねられた足元のキュゥべえは梢を見上げる。
「ソウルジェムを指輪から宝石に」
「ん……」
梢は頷いて手を前に差し出す。中指のシルバーリングが光に変わり、形を変える。指からするりと抜けて手の平で卵型に固まった。卵型の光は赤瑪瑙色のジェムとなる。流れ込んでくる、魔力の使い方。宝石が鈍く明滅を始め、梢の瞳がその光を反射する。梢は宝石を乗せた手の平を空中で滑らせて反応の強いほうを探っていく。いわゆるダウジングと呼ばれる探知技法だった。
「……反応、薄いわね」
「一日経ってしまっているからね」
しかし、期待したほどの変化はない。どの方向に向けても同程度の反応に溜息をつく梢にキュゥべえは言う。それでも強いかなと思える方へと梢は歩き出した。キュゥべえも遅れないように足を動かす。
昨日結衣と歩いた道を、今日はキュゥべえと歩く。たまに人とすれ違う事もあるが、梢とキュゥべえに注意を払う者はいない。道中の公園では何人かの子供が駆けまわって遊んでいて、キャーキャーと甲高い歓声を上げている。それをチラリと確認して、ジェムを向けた。光の強さは変わらない。梢は止めていた足を再び動かした。何人かの通行人とすれ違い、並木道が終わりを告げる。
突き当たりは丁字路となっていて、そこは大通り。並木道と違って人通りも車通りも多い。分かれ道に立つと、ついにジェムの反応に変化が出た。望んでいた変化ではない。今まで鈍く、それでも一定間隔で明滅を繰り返していたジェムの光が途絶えてしまったのだ。
「……反応が……」
梢は慌てて左右の道へとジェムを向ける。一方の道で反応が戻って、小さく息をつく。そちらへと歩を進める梢とキュゥべえ。今度の反応は顕著だった。進むにつれて、明滅が激しく、光も強くなっていく。
「近いよ」
「ええ!」
キュゥべえの言葉に、梢の足が速くなる。光に導かれて大通りから脇道に入り、何度か曲がり角を曲がって梢はそこに辿り着いた。ビルとビルの間で取り残されてしまったような空間。漂う寂れた雰囲気。ジェムの反応は、そのビルの内の一棟を示していた。寂れた雰囲気が一番強く、掃除すれば何とか使えそうな他の建物とは違い、そのビルだけは使えそうにない。なぜならば、建設中のまま放置されているからだ。忘れ去られてしまったかのような中途半端に作られた壁に、中途半端に覆われたブルーシート。雨風にさらされ続けていただろうそれらは、もし建築が再開されることとなっても取り壊す所から始めることになるだろう。塞がれていない窓や入り口は風化を始めていて、既に廃墟といっていいような有様だった。
ポッカリと開いた入口から建物内へと足を踏み入れる。ビル内に灯りはないが、黄昏時という事もあって入り口や窓になる筈だった穴から外からの夕陽が射しこんでいるので見えないという事はない。天井は作ってあるが、中途半端に穴が開いている所がある。おそらく、二階への階段かエスカレーターがそこに来るはずだったのだろう。風に運ばれたのか中の方にまで砂が入ってきていて、梢が歩くとジャリジャリと音がする。くっきりと浮かぶ足跡。足音こそしないものの、それに付いて歩くキュゥべえも足跡だけは砂に刻んだ。
梢とキュゥべえは辺りを見回す。建設途中という事で建物内の壁は作られていない状態だが、何もないわけではない。柱に、建築資材。ハンパに組まれた足場。梢はその足場の傍に何かの影を見た。子供ほどの大きさの、影。
「……誰か、いる?」
呟いて梢は足場に近付くが、すぐにその影が子供ではない事に気付いて足を止めた。足場に引っ掛けられ、垂れた縄。ギシギシと風に揺られて重量のかかっているそれが音を立てている。縄に重量をかけているのは人の体だった。先端が輪になっていて、喉元を締め付けている。
「……っ!」
その姿が夕陽に照らされてハッキリと梢の目に飛び込んできた。梢は息を呑んでそれに駆け寄る。子供ほどの大きさに見えた影だが、子供ではない。成人女性だ。ただし、両手両足がない。それが女性の影を子供のように小さく見せていたのだった。
「……これは…もう……」
「うん、もう死んでるね」
梢の言葉に、キュゥべえは当然のように言って頷く。女の顔には血の気が無く、目は虚ろで濁っており、絞まった首にはどす黒いあざが見えている。両手足の切断面は無理矢理引きちぎったかのように歪で、床に落ちた血だまりは既に乾ききっていた。これほど分かりやすい死体はそうないといえるレベルだろう。
「そんな……! な、治せないの!?」
それでも梢は諦めきれないのか声を上げる。
「無理だよ。死者は蘇らない。そんなに簡単に蘇るなら、ユイを助ける為って君との契約を急かす必要なんて、ないだろう?」
しかしキュゥべえがそう言うと、梢は沈痛な面持ちで顔を伏せた。重症の結衣をあっという間に治してみせた魔法の力。だが、魔法は万能ではない。そんな事、魔力を実際に振るう事が出来るようになった梢は理解している。それでも、訊かずにはいられなかったのだ。手の中のジェムを握りしめる。
「…………」
「コズエ、首元を見てごらん」
「首元……? 何あれ。刺青?」
俯く梢にキュゥべえが声をかける。チラリと梢はキュゥべえを見下ろして、次いでキュゥべえの視線を追って首吊り死体の首元を見た。縄に絞められたことで出来た痣。それとは別に何か模様のようなものが刻まれているのに梢は気付いた。梢が気付いたのを視線で確認してキュゥべえは話を続ける。
「あれは魔女の口づけと呼ばれるものだよ」
「魔女の口づけ?」
「魔女の植えつける呪い、災いの種。それが、魔女の口づけ。魔女のターゲットとなってしまった人間に刻まれ、受けた人間は……」
昨日聞いたばかりの話。キュゥべえが意味深に言葉を途切れさせても、梢にはその先を簡単に想像できた。
「自殺したり、殺人を犯す……」
「そうだよ」
よく出来ました、といった様子でキュゥべえが頷く。梢は眉根を寄せて再び俯いた。視界に映るのは、スカートと靴のつま先、キュゥべえの後頭部。そして床にばらまかれた赤い色。その赤い色が滲んで、梢は目を細めた。
「私の、せいだ……」
「コズエ?」
呟く梢の声に、キュゥべえはそちらを見上げる。
「昨日…私が魔女を取り逃がさなければ……」
唇を噛みしめる梢の瞳が揺れていた。水分が瞳に膜を作っている。キュゥべえは一度瞬きをした。
「コズエのせいではないよ。昨日逃がさなかったとしても、この人は助からなかっただろうから。死後一日は確実に経ってる。コズエが魔法少女になった頃には、この人は既に死んでたみたいだね」
「え……っ?」
梢とキュゥべえの目と目が合う。梢の目が見開かれ、水分が少し落ち着くのがキュゥべえには分かった。
「この魔力の感じだと、ここにいるのは使い魔かな。この人は首を吊った後に魔女の手下…使い魔にでも喰われたんだろうね」
「使い魔?」
「魔女が生み出す呪いの欠片のことだよ。使い魔は生み出されてしばらくは魔女の元で割り振られた役割をこなす。そして呪いの力が強まると独立するんだ。最終的には親元と同じ魔女になる。昨日のトラバサミも使い魔だよ」
キュゥべえが説明すると、梢は死体をもう一度見る。そして、昨日襲ってきたトラバサミを思い出した。肌に噛みつかれた痛み、付いた歯型。金属の鋭い牙。噛みつかれた時、梢は魔法少女として魔力を纏っていたからあの程度の怪我ですんだが、抵抗できない状態で噛みつかれたとしたら。
「トラバサミ…… この噛み痕…もしかして……?」
「その可能性はあるね。見てごらん」
背筋に寒気が走って肩を擦りながら梢が言うと、キュゥべえは少し考える素振りをしてから同意した。そして、視線で近くの壁を示す。窓となる筈だった穴から差し込む夕日に紛れて今までは気付かなかったが、そこには光で描かれた模様があった。縦に長い楕円形の模様で、その色鮮やかさはまるでステンドグラスの影を見ているよう。梢は振り返るが、もちろんそこにステンドグラスなどはない。
「光の…模様?」
「魔女の結界だ」
もう一度壁の模様を見て梢が首を傾げると、キュゥべえは簡潔に答えた。魔女の結界。昨日、結衣と紛れ込んでしまった異界。その向こうに、魔女がいる。
梢は眉尻を吊り上げて手に握ったままのジェムに意識を集中させた。ジェムから漏れた光が梢を包む。光が通り過ぎていった部分からセーラー服が魔法少女のコスチュームへと変換されていく。最後にソウルジェムがリングガーターとなって太ももを包み、変化を終える。まだ慣れていない短すぎるスカートの裾を手で引っ張り下ろして梢は結界の入り口を睨み付けた。
「……行くわよ」
「分かった。あの模様を潜れば、そこが魔女の棲み処だ」
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「……あれ?」
結界に足を踏み入れた直後、梢は戸惑いの声を上げた。風景は一変している。廃ビルの灰色から、クレヨンで力強く、言い方を変えれば乱暴に描かれたような線が彩る空間へ。上から下へ振り下ろされたような軌跡の茶色が左右に並び、縦線の上の方で緑色がぐりぐりと円を描くような軌跡で走っている。一見して森の小道のように見えるが、その内のいくつかの緑の中から赤い縦線が垂れ下がり、その先の肌色で描かれた丸と楕円を繋いでいた。それは先程の首吊り死体をデフォルメして絵にしたかのようで、肌色の楕円には所々赤色が混じっている。現実味のない不気味な風景。だが、言えることが一つある。それは、この結界が昨日結衣と共に巻き込まれたものと同一ではない、ということだ。
「昨日のと…違う?」
「どうやら、全く別の魔女結界のようだね」
「…………」
キュゥべえの言葉に、梢は顔をしかめる。見上げてその表情の変化に気付いたキュゥべえは、素直に頭に浮かんだ疑問を彼女へと投げかけた。
「喜ばないのかい? 本格的にキミのせいじゃなくなったのに」
「……喜べるわけないでしょ。あんなことが出来るのがその辺にゴロゴロしてるって言われてるようなものなのよ」
「ふうん?」
首を傾げて、不思議そうにキュゥべえは呟く。何人かの少女と契約して共に過ごしてきた彼には、梢が負の感情を抱いているということを気付くことが出来た。それが怒りや憤りと呼ばれているという事も知っている。だが、何故そういった感情の動きが発生しているのかは分からなかった。
梢は目線を外すキュゥべえに構わず、クレヨンで描かれた草木を左右にかき分ける。ざあ、という本物の葉が擦れるような音がして道が開かれた。今までの小道とは違う、円形の広場のような空間。気配を感じて梢は近くの茂みに身を潜めた。キュゥべえも姿勢を低くして梢に寄り添う。その広場の真ん中で、何かが蹲っていた。
「……いた!」
くっきりとしたアーモンド形の目を険しくして、小さく梢は叫ぶ。キュゥべえも相手の姿を確認する為に茂みから顔を出した。視界はそれ程よくないが、相手の姿はハッキリと見て取れる。
「あれは……やっぱり使い魔のようだね」
キュゥべえの報告を聞きながら、梢も蹲ったモノをよく見ようと目を凝らす。蠢く影は、人のような
「ぅぇ……」
梢はグロテスクなその光景に小さく呻いて手を口に当てる。吐き気は何とか堪えたが、眉根が寄ってしまうのは仕方のない事だろう。なるべく直視しないようにして、梢は腕の中に注射器を呼び寄せた。
「でも、考えようによっちゃ、今がチャンスよね……」
「……! コズエ!」
「な、何……!?」
身構えた梢にキュゥべえが声をかける。焦っているのか、その声は鋭く、早口だ。その理由はすぐに分かった。
「ぁあ…ぁ……っ」
ベキ、ボキ、ブチ、と何かを壊して潰して無理矢理に、且つ乱雑に作り変えていくような怪音。それは、人狼の膨らんだ腹の中から聞こえてくる。元々膨らんでいた腹が歪に形を変えながら更に膨れ上がっていく様を視界に収めたまま、梢は口元を先程よりも強めに押さえた。顔を青くし、目を見張る。腹は骨と皮ばかりの痩せ細った狼とは思えない程に膨らんだ後、ついには弾けた。裂け目は、繊維が千切れるような音と共に胸側から肛門側に向けて一直線に走る。その線に沿って血がぶちまけられた。赤の中に、濡れぼそった獣の前脚が覗く。重たい水音が二回して、大きな塊が血の水たまりに落ちた。一つはその身を起こし、もう一つはピクリとも動かない。
身を起こした"それ"は、今まで死肉をむさぼっていた使い魔より幼さない印象を受ける人狼だった。腹を裂かれ、中身を失くしてくずおれた使い魔よりも小さな体格、幼い顔。だが、離れていても感じる醜悪さは使い魔と比べ物にならない。死肉を食んで鼻面を真っ赤に染めていた大きな人狼よりも、全身が血と羊水に塗れた仔狼の方が余程禍々しく感じられる。結界内のクレヨンで殴り書きされたような木々の間から覗く、日の射さない空を見上げて仔狼は口を開いた。涎と羊水と血がボトボトと零れ、空気が混じって泡が立つ。幼い顔立ちから想像できない程大きく裂けた口から吐き出されるのは、産声。
グリーフシードを孕み魔女となった使い魔は、分裂元となった親の名前を踏襲する。結界内に文字が降り注いだ。梢のシルバーリングにも刻まれている魔法の文字。それは空気に溶けるようにすぐに消えてしまったが、魔法少女として魔力に目覚めた梢には難なく読み取ることが出来た。――曰く。
お久しぶりです!
ようやく新車が来て代車から解放されました。
皆さん、運転する時は気をつけてくださいね……(切実
お祓いした方がいいかもしれない (´・ω・`)