ボクはマスコットなんかじゃない   作:ちゃなな

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04 貴方はどうしていつもそうなの

 梢の家は、キュゥべえが想定していたよりも若干大きな物件だった。小さな門を開けて敷地内に入った梢はポストから複数の郵便物を取り出す。ざっと封筒を繰って何処からの物か確認するが、ダイレクトメールだけだった。郵便物が落ちないように持ち直して、梢は通学鞄の脇の金具から鞄の中に伸びた紐を引っ張る。その先に括り付けられていたのは銀色の鍵。それを玄関の鍵穴に差し込んでいる梢の足元で、キュゥべえは不自然にならない程度に辺りを見回した。

 家の壁はあまり色褪せたり汚れたりはしていない。おそらく建ててそれ程経っていないか、塗り直したのだろう。だが、そんな家自体とは裏腹に庭は随分色褪せている。季節ごとの花が植えられているだろう花壇は手入れが行き届いておらず、茂ってはいるが花の数は少ない。葉の色も悪く、蜘蛛の巣も所々に見受けられた。キュゥべえが梢の家の規模をもう少し小さく考えていた思考の材料は結衣の着替えを用意する段階で知った梢の財布の中身だったが、もしかしたら家を建てた後あたりで彼女の親の仕事が上手く行かなくなったのかもしれない。それなら楽そうだ、とキュゥべえはチラリと考えた。

 

「……ただいま」

 

 キュゥべえが玄関を潜ると同時に閉じられた扉は鈍い音を響かせ、その音は家の中に反響する。その空虚さからか、それとも音量のせいか、梢の声もハキハキとした明るさや鮮やかさを失って、くすんで色褪せていた。結衣と歩いた木漏れ日の中で梢が感じていた春風の暖かさはそこにはない。ひんやりとした廊下を通ってリビングダイニングに入ると、梢はテーブルに郵便物を置いて、その横に置かれていたメモ帳に視線を移した。

 

 "夕食代です。母より"

 

 空白の多いメモ帳にはそれだけが書かれている。梢はメモを破ってくしゃりと丸めるとゴミ箱に向かって後ろ手に投げた。その行方を追う事もせず、一緒に置かれていたお札を財布に収める。

 

「部屋、こっち」

 

 声をかけて階段へと足を向ける梢の後をキュゥべえは追う。梢の自室は二階の階段のすぐ傍。ドアには梢の部屋であることを示す木で作られたプレートが下げられていて、開けるとドアと触れ合って軽い音を立てた。

 部屋に入ると、足の裏に感じるふかりとした感触。視線を下げたキュゥべえの目に入って来たのは、毛足の長いパステルカラーの絨毯だった。今は暖かくて気持ち良いが、恐らく来月中旬あたりで薄手の物か毛足の短い物に変えることになるだろう。扉を開けてすぐ右手には木をイメージしたコート掛けが立っていて、複数のショルダーバッグが掛けられている。梢はそのコート掛けに通学かばんを引っかけることなく、ドアから部屋の奥へ直進した所に置かれた勉強机の上に投げ出すように置いた。机の上にはブックエンドに立てかけられた参考書が数冊と、円柱型のペン立て、そして首を曲げて照らす角度を変えられるデスクライト。すっきり整頓されている。部屋の反対側にあるベッドのカバーも可愛らしいデザインで、いかにも年頃の女の子の部屋といった印象を受ける内装だった。

 キュゥべえが部屋を見渡していると、突然目の前が真っ暗になる。体にかかる重さ、やわらかさ。キュゥべえの上に、一抱えはある大きさのビーズクッションが乗っていた。飛んできたそれに潰されたのである。

 

「一体何だい?」

「寝る時、それ使って」

 

 クッションの下から顔を出しながらキュゥべえが問いかけると、梢はクッションを投げた体勢のままその問いに答えた。這い出そうともがくキュゥべえの横を通ってチェストから着替えを出し、そのまま梢は部屋を後にする。クッションから無事脱出するも置いて行かれたキュゥべえは、体をブルブルと揺らした後少し考えて、自身の上に乗っかっていたクッションに飛び乗った。前脚で寝床を整えてそこに丸まる。ビーズクッションは体の形に合わせて形を変え、やわらかくキュゥべえを包み込むように受け止めた。

 梢が戻ってきたのは、それから三十分程経った頃。外に行った様子はなく、ただシャワーを浴びただけらしい。服装はセーラー服からタオル地の部屋着になっていて、髪はドライヤーを当てた様子もなく生乾きで首にタオルを引っかけていた。梢は乱暴に水滴をタオルで拭うと、そのタオルを勉強机の椅子に引っ掛けてベッドに潜り込む。そのまま寝る体勢に移行する梢にキュゥべえも何も言わず、ドアが開いた時に上げた顔をゆっくりと下ろした。頬に感じるクッションの感触。キュゥべえはクッションに一度頬ずりをして再び目を閉じた。

 

/*/

 

 階下の音を拾い、ピクリとキュゥべえは片耳を震わせて頭を起こす。辺りは暗い。目を閉じた時はまだ夕方と言っていい時間だったが、今は夜のようだ。窓を覆うカーテンから日の光は入ってこないし、車の行き交う音もしないという事は真夜中だろう。聞こえる音と言えばベッドで眠る梢の小さな寝息と、その枕元に置かれた目覚まし時計の微かな秒針の音くらい。もう一度耳を震わせると、キュゥべえはするりとクッションから降りて、ドアノブめがけて飛び上がった。その動きに寝起きのような気だるさはない。夜目も利くので暗くても目測を誤ることもなかった。レバータイプのドアノブを体重で下げ、壁を蹴る。その反動でドアは開いた。キィという微かな音と、暗い部屋に差し込んでくる人口の灯り。電気がついているのだ。キュゥべえはドアノブから前脚を離して床に降り立つと、ドアの隙間から廊下へと身を滑り出させた。

 廊下の手すりの隙間から顔を出して、吹き抜けになっている階下を見下ろす。階下はリビングダイニングで、梢が郵便物を置いていたテーブルがよく見える。帰った時は誰もおらず、静かだったその空間に、今はテーブルを挟んで一組の男女が向かい合っていた。だが、二人仲良く食事を摂っているわけではない。確かに男性の前には食べる物が置いてあったが、それは缶ビールとチャック付きの袋に入ったツマミで、女性の前には何もない。そもそも、女性は椅子に座ってすらなかった。元々は座っていたが乱暴に立ち上がったらしく、椅子は机に対して斜めになっている。女性は手の平でテーブルの天板を思い切り叩いた。激しい音と共にビールの缶が跳ねて横倒しになる。中身はすでに飲み終わっていたらしく、しぶきを少しだけ飛ばして軽い音と共に転がった。

 

「……バンバン机を叩かないでくれよ。ビックリするだろう?」

 

 男が倒れた缶を起こしながら眉を八の字にする。バンバン、ということは女性がテーブルを乱暴に叩いて激しい音を立てるのは一度目ではないのだろう。キュゥべえの耳が拾った音はその時の音のようだ。困ったようにへらりと笑う男に女が目尻を釣り上げる。

 

「貴方はどうしていつもそうなの!?」

 

 ヒステリックな高い声で女が声を荒げた。テーブルの上で握られた拳は力がこもって真っ白になっている。男は苦笑いの表情を変えないまま、身を守るように両手で相手を留めるように胸の前で押すように動かした。

 

「落ち着けって。大体、部下を連れて飲みに行くなんてよくある事だろう?」

「へえ? 今度は別部署の子じゃなくて部下なのね。ふうん?」

 

 男の言葉に女は片手を腰に当て、馬鹿にしたように鼻で笑う。そして手元に置かれていたハンドバッグから横型のフタの大きな封筒を取り出した。写真屋のチェーン店のロゴが印字されている。男の口元が引きつった。

 

「だ・い・た・い! 飲みに行く場所がラブホってどういうことなのかしらねぇ?」

 

 封筒から取り出されたのは、束になった写真。枚数はかなり多い。使い捨てカメラ一個では足りないだろう。キュゥべえの位置からではどんな写真か見ることは出来ないが、想像はできる。

 必要な情報を集め終わって階下の騒ぎへの興味を失ったキュゥべえは部屋へと戻った。鼻先で押してドアを閉めると、暗闇が戻ってくる。階下の言い争い、もとい一方的な女性のヒステリックな糾弾の声はまだ続いているが、ドアを隔てた事で軽減され、随分とマシになった。暗闇の中、一直線にクッションに向かって歩き飛び乗ったキュゥべえは、その上で体を丸める。

 

(――ああ、本当に簡単そうだ)

 

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「おっはよー!」

 

 ニコニコと上機嫌に梢は前方を歩いていた結衣に声をかける。先程までとは随分様子が違う。結衣の後姿が見えなかった先程までとは。朝起きてから、キュゥべえは初めて梢の声を聞いた。家にいる間に梢の口から出た音は、机の上に置かれたメモを見て吐かれた溜息ぐらいしか聞いていない。

 声に気付いた結衣が振り返る。今日の結衣が来ているのは、梢とお揃いの冬用セーラー服ではない。黒に近い紺のセーラー服に身を包んでいる梢とは違い、結衣のセーラー服は白くて生地が薄く、涼しげだった。その上にカーディガンを羽織っている。一着しかない冬用のセーラーがダメになったので、夏用の半袖セーラーを着ているのだ。結衣は梢の姿を認めて嬉しそうに目を細める。次いで梢の肩に掴まったキュゥべえに気付いて目を見張った。

 

「おはよう。って、わ。キュゥべえ付いて来たの?」

「うん。てかホントに他の人には見えてないみたい。すれ違う人、誰も気付かないの」

「へえ……」

 

 結衣はキュゥべえの顔を覗き込んで、猫にするように顎の下を撫でた。キュゥべえは目を細める。そして心の中で呼びかけた。

 

『こんなこともできるよ』

「ふわっ!? 頭の中で声が響いてる……」

 

 ビクリと肩を震わせて、手をキュゥべえから話すと結衣は自身の頭に手を当てる。

 

『君たちも、頭の中で喋りたい言葉を考えてごらん』

 

 これは魔力というエネルギーを発見したインキュベーターや魔法少女が使う事のできる魔法の一つで、"念話"と呼ばれている。結衣は魔法少女ではないが、今はキュゥべえがアクセスポイントの役割を担っていた。一定距離内にいて対象を意識していれば、それで対象が伝えたいと思った言葉をキュゥべえ側で受け取り、更に伝えたい人に発信することが出来る。

 

『えーと… テステース』

『わ、すごい! 梢ちゃんの声が聞こえるよ!』

『おー、おもしろい』

 

 魔法少女になって使えるようになってはいたが、念話初体験の梢も頭の中に直接届く言葉を楽しむ。キュゥべえは小首を傾げて片耳をピコピコと動かした。

 

『この声はボクが中継しているんだ。普通の人にはボクの姿は見えないからね。人前で誰もいないところに話しかけるわけにはいかないだろう?』

『そだね。んー、便利便利』

 

 満足そうに梢が息をつく。しばらくそうやって静かなやり取りを交わしていた二人と一匹だったが、耳に届いたチャイムの音に顔を上げる。

 

「やっば、予鈴だ!」

「い、急ごう、梢ちゃん!」

 

 梢と結衣は慌てて通学路を走り出す。キュゥべえは振り落とされないように梢の肩にしがみついていた前脚に力を込めた。

 

『キュゥべえは授業中はどうするの?』

 

 息を切らせながら、念話で結衣が問いかける。こうして走りながらでも、念話なら言葉はしっかりと届く。少し考えてキュゥべえは念話を返した。

 

『校内を一通り見て回るよ。何かあったら心の中で呼んで。校内なら声は届くから』

『オッケ。放課後から魔女捜し開始ね。放課後…そうね、体育館裏で待ち合わせましょ。あの建物ね』

 

 校門を抜けて昇降口へと走りながら梢は校舎の端の方を指で示す。植木で隠れているが、そちらのほうに校舎のものとは違う屋根が少しだけ覗いていた。

 

『分かったよ。それじゃあ、また後で』

 

 キュゥべえは梢の肩から指で指された方へと飛び降りる。キュゥべえも、急いでいる梢と結衣も振り返ったりはしない。屋上に取り付けられたスピーカーから本礼のチャイムが鳴り響いた。

 

/*/

 

 梢と結衣が通っている中学は、どこにでもあるような鉄筋コンクリートの校舎一つ、そして渡り廊下でつながったプールと体育館があるだけのそれほど大きくない学校で、見て回るのにそう時間は掛からない。実際午前中だけで回り終わり、残り時間をキュゥべえは屋上から町を眺めることで消費していた。眼下の運動場では体育の授業が行われていて、トラックを体操着に身を包んだ学生たちが走っている。その中には梢と結衣の姿もあった。

 

(結局ユイ以外にはいなかったな。それでもこの学校で素質のある二人が近くにいて、思考と行動を誘導しやすいのはメリットだろうね…… 隣り町にも中学校はあるし、明日はそちらも調べてみよう)

 

 しっぽをユラユラと揺らしながらキュゥべえは心の中でそう呟く。視線は息を切らせて走っている結衣の後姿に固定されている。キュゥべえは、別行動の間に校内に魔法少女になれる素質を持つ少女を探していた。だが、結果は空振り。今現在校内にいる"素質があり、且つ魔法少女でない少女"は結衣だけという事になる。前にいたところのように、担当する魔法少女が魔女になる度に新しい魔法少女に乗り換えていく方法は使えない。

 昨日の様子を見る限り、梢を魔女に堕とすのは難しくはないだろう。むしろ簡単だと言っていい。放っておいても魔女化しそうな危うさが梢にはあった。難しいのは、魔女化させるタイミング。あまりにも早いと結衣と魔法少女の契約を結べない可能性がある。

 

(優先すべきはユイとの契約。コズエを堕とすのはその後。ユイに付いて契約の隙を見つけたいところだけど、コズエは脆そうだ。コズエの傍に居て、絶望をコントロールした方がいいだろうね)

 

 傍にあるスピーカーから、チャイムの音が鳴り響く。今日最後の終業チャイムだった。運動場で、教師が生徒を集めて整列させている。これから片付けとショートホームルームがあるならば、もう少し待たされることになるだろう。

 キュゥべえはゆっくりと起き上がると校舎から身を躍らせた。空中を蹴って、滑落するように降下する。着地は渡り廊下の屋根の上。足元の渡り廊下を生徒たちが数人走っていくが、キュゥべえに気付いた様子はない。そのまま屋根を隔ててすれ違い、キュゥべえは体育館へと辿り着いた。午前中に確認しておいたので道に迷う事はない。

 体育館裏は、体育館とプール用更衣室に挟まれた小さな庭だった。特に手入れもされておらず、ちらほらと雑草が生えているだけで特徴もない。キュゥべえは更衣室のエアコン室外機に座って梢たちを待った。

 

「おまたせ」

「ごめんね。着替えと片付けに手間取っちゃった」

 

 時計の長針が180度程動いた頃、黒と白のコントラストがキュゥべえの元へとやって来た。冬と夏のセーラー服。

 

「構わないよ。……早速だけど」

「あ、ちょっと待って」

 

 キュゥべえが室外機から飛び降りて梢に近付くと、彼女は手でその動きを押し留めて結衣へと視線を向けた。

 

「結衣」

「何? 梢ちゃん」

「魔女退治は危険だから、結衣は先に帰ってて」

 

 結衣は梢のその言葉に目を見張った後、通学鞄の取っ手を握り直す。

 

「えっ? で、でも……」

 

 狼狽えたような結衣の言葉。だが、梢が結衣に向ける厳しい視線は緩まない。それでも怯えさせないように、口調だけは優しげに聞こえるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「お願い。私もまだシロートだしさ。守り切れる自信、ないし。昨日みたいなの、もうヤなの」

「梢ちゃん……」

「ね、お願い」

「…………うん」

 

 ダメ押しにもう一度言われ、結衣は小さく頷いた。結衣の表情は暗いが、梢の表情は対照的に柔らかくなる。俯いた結衣の肩にポンと手を置く。

 

「ありがと。また明日ね?」

「うん…… また、明日……」

 

 結衣の返事に満足したように梢は頷いて、その場に結衣を置いて元来た道を引き返し始める。俯いて瞳を揺らす結衣。それが足元にいるキュゥべえにはよく見えた。

 

『ユイ』

『……っ!』

 

 キュゥべえが念話を送ると、結衣の肩がピクリと跳ねる。この念話はチャンネルを絞って彼女だけに向けたもので梢には聞こえていない。

 

『コズエのことが心配なんだね?』

 

 静かにキュゥべえが問いかける。返事は縦へと振られる首の小さな動き。

 

『そうだね。キミは、コズエの切り札になれるだろう。キミが願いさえすれば、魔法少女になれるのだからね』

 

 ゆっくりと白い尾が左右に揺れる。逆に不安そうに揺れていた結衣の瞳には落ち着いた光が戻ってきた。それを確認してキュゥべえは言葉を続ける。優しげに聞こえるように意識して。

 

『大丈夫。ボクに任せて。どうなってるのか、念話で中継してあげる。コズエに危険が迫ったら、すぐに教えてあげるから』

『……うん。お願い……』

「キュゥべえ、行くわよ!」

 

 付いてこないキュゥべえに気付いたらしい梢が片手を腰に当てて振り返る。

 

「ああ、今行くよ、コズエ!」

 

 呼ぶ声に返事をして、キュゥべえは結衣に背を向けた。大きな白いしっぽがゆらりと宙を撫でる。梢の後を付いて行きながら、チラリと背後に視線を送った。目に映るのは、通学鞄の取っ手を握りしめて、不安そうにしながらも梢の後姿から目を逸らさない結衣。キュゥべえは誰にも聞こえないような小さな声で呟く。

 

「……じゃあ、また後でね。ユイ」




今年最後の更新に間に合った……!
誰か私の分の睡眠取ってくれないかな。
最近夜更かしができない、したらしたで疲れが取れなくなってきた(´・ω・`)

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