悟空TRIP!   作:足洗

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一話 GTinとある科学の超電磁砲

 

 

 

 

 その目を覚えている。

 子供達を眺めている(・・・・・)老人の目。

 

 

 苦しみもがき、顔中の穴という穴から赤い血を垂れ流す子供達を。ベルトで拘束され、それでも助けを求めて誰か(・・)へ手を伸ばそうとする子供達を。苦悶に血走った眼球から流れる血か涙かも判別できない液体で彩られていく子供達の顔を。遂には力なくぴくりとも動かなくなった子供達を。

 バイタルサインの喪失を報せるアラームが耳の奥にこびり付いて放れない。慌しく、けれどどこまでも淡々と計測データを報告する研究員達の姿が別世界の出来事のように遠い。

 

 

 そして、私の隣に立つ皺枯れた老人の、あのさも面白そうに輝く目が――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「木山君、確か教員免許持ってたでしょ?」

「は?」

 

 先進教育局小児用能力教材開発所、その研究室の一つに据えられたデスクの椅子に腰かけて、木原(きはら)幻生(げんせい)はそのようなことをのたまった。柔らかな笑みから冗談の気色は窺えない。この御老はあくまで真面目にこの突拍子のない話をしているのだ。

 

「私に教師の真似事をしろ、と……?」

 

 そんなことは無論彼女にも理解できた。今や学園都市において能力開発研究の先鋭として呼び声名高い木原幻生氏の下で大脳開発実験にまで携わる彼女――木山(きやま)春生(はるみ)の明晰な頭脳が、たった二言三言の文章論法を聞き誤る訳がない。

 しかし、話の内容が自己の性質とあまりにも乖離していた為に、彼女がそれを脳内で消化するには些かの時間を要した。

 

「今回の被験者からデータ計測を行うには教師という位置(ポジション)がもっとも効率的だからねぇ。何より実験対象をその目で直接観察することは重要だよ?」

「それは、勿論理解できますが……」

 

 研究室の窓からは研究所の前庭で遊ぶ子供達の姿が見える。男女合わせて十人ほど。初等部に上がったくらいの年頃だろうか。そもそも子供の外見年齢など春生にはよく分からなかった。

 木原の言う今回の被験者だ。

 児童向けの遊具、ボールや縄跳びなどの玩具も少々。おそらくここの研究員が与えたのだろう。思い思いに遊びまわり、子供らは無邪気な笑顔を見せている。

 

「統括理事会肝入りの実験だ。その陣頭指揮は是非、君に一任したいと考えている」

「! それは」

「期待しているよ、木山君」

 

 朗らかに笑んだ木原の言葉に、春生は居住まいを正す。

 それは春生が目指すもの。今回の実験を成功させれば己は科学史の新たな一歩に立ち会うことができる。どころか、自身でその(ページ)を開けるのだ。

 

「わかり、ました……」

 

 不承不承とした心持を押し殺して、春生はようやくその一言を発した。

 

 科学を己の生涯の伴と決めたのはいつの頃だったか。幼くして科学分野における非才を買われ、気付けば博士号を修めて研究漬けの毎日を送ってきた。何かしらの賞を授けた論文も一つや二つではない。そういった栄誉褒章に関心があったかどうかはさて置くとしても、それらは箔にはなるし春生の実力を示す一定の尺度にはなった。

 科学者として得た評価。それが今春生をこの場所に居させてくれているというなら、春生は心から感謝する。

 この『学園都市』という独立世界は科学の坩堝。科学史の未来と表現しても過言ではない。外界と比較しても三十年、一部の技術分野によっては数世紀、想像を絶する科学力の隔絶がこの地にはある。世に存在する科学者にとってここは夢のような場所だろう。未知に溢れ、それらをあらゆる分野から探求することを許される。その術もここには全て揃っている。

 おそらく、世界の真理とやらに人の身で肉薄できるのはここだけだ。

 中でも“超能力”というファクターこそがこの都市をもっとも異質なものにしていた。人間の脳が引き起こす自然法則にあらざる超常の現象。それを人為的に発現し、さらなる開発・進化を行うこと。それがこの学園都市の一般に知られる存在理由、至上命題である。

 この地に溢れる先端科学の数々もその目的の副産物に過ぎないというのだから、春生は一科学者として眩暈を覚えた程だ。

 同時に己は一科学者としてひどく幸運なのだ。

 飽くなき科学への探究欲を満たしてなお余りある知識と発見の氾濫。その中心地の、その先鋒で、開発実験にまで携わることができるようになった。

 

「……はぁ…………」

 

 幸運なのだ。だから、この溜息はきっとどうしようもない我侭だろう。

 局長室を後にし、所内を歩く道すがら、春生の溜息は止むことがなかった。この取り留めもない思考への埋没は正しく現実逃避に他ならない。

 科学への好奇心にあかせて歩んできた二十余年の道程で、木山春生という女はほとほと人間的な営みに無関心だった。それより何より目の前にある研究を優先する。春生にとって迷いなど差し挟む余地すらなかった。そうしていつしか、事感情という要素が強く介在する行為を春生は苦手としていた。

 友人関係は学生時代の同期や同僚の研究員などまだしも、恋愛? 恋? 鯉ならビタミンとミネラルも豊富に摂れるな。愛って何か栄養素あったっけ? 無いなら、要らないな。などと真顔で妄言を吐く。

 無頓着というより、必要としなかった面が大きい。自身の容姿に無自覚で己に言い寄る男をそもそも認識していなかったというのも理由の一つではある。

 その当然の帰結として、春生は子供が大の苦手だった。

 近寄ることすらおっかなびっくりで、会話をして、まして指導するなど想像だにできない。

 

「ハァ……やはり、早まったか……」

 

 本日何度目かの溜息をリノリウムの床に向けて吐き出した。

 いつの間にか通用口が目の前にある。両開きの自動ドアを潜ればそこは研究棟裏側の駐車スペースだ。春生の車もそこに停めてある。

 心持ち重みを増した肩に辟易しながら、春生は駐車場に出る。

 そうして外に一歩踏み出した途端、風が街路樹の合間を吹き抜けた。春先程の冷たさはなく、かといって夏の匂いはまだまだ感じられない。心地良い温度が春生のショートボブの髪を撫でる。

 

「ん……」

 

 乱れた髪を直そうと額に手をやった。だから視界が阻まれた。それはほんの一瞬の、ごくささやかな間であった。

 だのに、それは瞬きの内に。

 

「オッス!」

「え」

 

 視界が再び戻った時、そこに一人の少年が佇んでいた。

 妙に逆立った黒髪。上は紺、下は黄色の胴着。底が薄い無地の靴は所謂カンフーシューズだろうか。見れば見るほど奇妙な風体の子供だ。

 

(いつの間に……?)

 

 春生は無意識に周囲を見回した。

 この研究所は全域が高さ三メートルの塀で囲まれている。出入り口は正門か駐車場からすぐの裏門の二つ。しかしどちらも門扉横に詰所があり、深夜まで警備員が常駐している。

 

「君、いったいどこから入って来たんだ」

「どこって、そこの塀だぞ?」

 

 少年は背後のコンクリート塀を指差した。なるほど確かに塀の外に植えられた街路樹同士には隙間があり、子供一人通るのに差し支えないだろう。ただどちらにせよ塀をよじ登る必要がある。

 

「いや、でもどうやって」

「どうやってってそりゃあジャンプしてだ。ぴょーんってな」

「そ、そうか。結構な高さだろうに、すごいな……」

 

 少年の身長は先程見かけた子供達ともそう変わらない。三メートルの塀を跳び越えるのはなかなかに――――思考が迷走を始めている。

 

「いやいや、そうではなくて」

「今日はもう帰るんか?」

 

 少年は春生の言になど頓着しなかった。

 ぴくりと春生の米神が震える。

 

「……ああ、そうだが。君はどうしてここにいるんだ。というか、君は誰だ。研究員の身内かい」

「いや? オラの身内はここにゃいねぇなぁ」

「だったら……」

 

 きょとんと首を傾げる少年に、堪らず春生は米神を押さえた。だったら何故お前はここにいるんだ。

 ふと不法侵入という単語が春生の頭を過ぎる。研究施設に忍び込むような輩の目当てといえば研究資料かサンプルだろうが。

 少年を見る。自身を見上げる顔からは何かを企む悪意や害意のようなものは感じられない。その笑顔はいかにも晴れやかで子供らしく純粋だ。一見して特に何も考えていないように見える。悪く言えば……なんというか知性が足りない。

 

(単に迷い込んだだけ、か……)

 

 その結論が自然だった。春生はまた一つ大きめの溜息を零す。

 

「ここは関係者以外立ち入り禁止だ。君も早く出て行きなさい」

「えぇっそうだったんか。道理で門も閉まってる訳だ……すまねぇなぁ、勝手に入っちまって」

「いや、私に謝る必要はないんだが……」

 

 申し訳なさそうに少年の表情が曇る。

 妙に律儀な子供である。春生にとってはその程度の印象だった。

 

「……まあ、気を付けて帰りなさい」

 

 早々に区切りを付け、春生は少年に背を向けた。春生が受け持つ授業は明後日から。その為の準備や研究資料の整理など帰宅してからやることが山のようにあるのだ。いつまでもこの少々風変わりな少年に付き合っていられない。

 授業……考えるだに憂鬱である。

 そうして数歩、歩いたところで背中に声が掛かった。

 

「あんまし不安がることねぇさ」

「え?」

 

 思わず春生は振り返っていた。なんでもない言葉である。けれど、それはまるでこちらの心中を見透かしたかのようで。

 両手を後ろ頭に組んで、少年は笑う。

 

「おめぇが好きになってやりゃあ、あいつらもおめぇのこと好きになる」

「……君は、あの子供達と知り合いなのか」

「ああ、そうだぞ。へへへ、どいつもこいつも元気でよい(・・)子だ」

 

 何故か少年はとても嬉しそうだった。

 一瞬実験対象者の一人かとも勘繰ったが、春生が目を通した資料に目の前の少年のデータはなかった。これほど特徴的な容姿なら流石の春生でも見間違うようなことはないだろう。本当にただの知り合いなのか。

 

「ま、ガキの先生なんて初めてやるんだろ? 不安になるのも無理ねぇや」

 

 不安。確かに不安だ。子供の相手など人生でほんの数回、それも一瞬の偶然のよう出来事を経験しただけだった。

 加えて彼らは重要な実験対象である。成長データの収集や学業の面はもとより、未成年者の精神ケアなど春生には欠片も解らない。もし何か問題が起これば実験そのものが頓挫することもありえた。

 そうした諸々の不安感が、重圧として肩身に圧し掛かっている。

 

「心配すんなって!」

 

 ニカ、と少年に一際力強い笑顔が浮かぶ。子供とはこんな笑い方ができるのか。春生には到底真似できないものの一つだ。

 

「…………」

 

 束の間、春生はぼんやりと少年の顔を眺めた。特に何の思惑があるでもなし。ぐるぐると脳内を駆けずり回っていた思考も止めて。

 ただ、彼の笑顔はひどく――――そして突如、手のひらに衝撃が走る。遅れて乾いた破裂音のようなものも。

 

「きゃっ!?」

 

 咄嗟に手を引っ込めて視線を下げると、なにやら手を振り抜いた姿勢の少年。

 痛みと熱を発する手のひらを見やる。じわりと滲み出るようにそれは赤くなっていった。

 何のことはない。少年が春生の手を思い切りしばいたのだ。

 というか徐々に痛い。じんじんと痛みが響いてくる。

 

「な、なにをするんだ……!」

 

 目尻に涙まで溜めて、春生は当然の抗議を少年にぶつけた。片手では電流を浴びたかのように痺れる手を抑える。

 そして少年は当然のように頓着しやしない。出会い頭同様の自分勝手さで。

 

「頑張れよ」

 

 それだけ言ってさっさと踵を返すのだ。

 感情のふり幅が狭い春生といえど流石にそのまま無視はできなかった。

 すたすたと塀に向かって少年は歩き去る。それに追い縋るように、春生は声を上げた。

 

「ちょっ、待て! お前は結局誰なんだ!?」

「オラか? オラ悟空。孫悟空だ」

 

 自分勝手な少年は、けれど律儀に春生へ振り返って応えた。真っ直ぐに春生の目を見返すその黒い瞳に、春生は思わず面食らう。

 

「またな、春生」

「あ、あぁ」

 

 一言それだけ言い置いて、少年――悟空は塀の向こうに消えた。本当に一跳びで塀を跳び越して。少年が跳び去る時、何か細長いもの(・・・・・)が尾ていに見えたが。春生はそれが何なのか分からなかった。

 遠くビルの合間でカラスが鳴いている。そろそろ日暮れも近いらしい。

 駐車場に取り残された春生は一人途方に暮れる。

 

「…………本当に、なんなんだ。あいつは……」

 

 唐突に現れて好き放題言うだけ言ったかと思えば、これまた唐突に帰って行ってしまった。ただでさえ苦手とする子供にさんざ気苦労を揉まされ、現在春生の疲労感は相当なものだ。

 

「……」

 

 けれど、どうしてか。

 胸に蟠っていた不安が今はもうない。

 どうも先程のやり取りで吹っ切ってしまったらしい。あの会話で。あの痛みで。

 現金なものだ。現状に対する悲嘆など、それを上回る衝撃的な出来事を前にすればこんなにも簡単に消え去ってしまう。

 

(阿呆らしい……)

 

 何より右往左往していた自分が馬鹿らしくなった。さっさと帰って仕事を済ませよう。

 風が吹く。木々を薙ぎながら風は少々乱暴に春生の背中を押した。

 

「孫悟空、だったか。名前通り滅茶苦茶な奴だ」

 

 改めて口にすると、なるほど傍若無人というか豪放磊落というか、そんな春生の印象にぴったりとはまる(・・・)少年だった。

 偉人の名前を我が子に付けたいというのは解らなくもないが、しかし伝奇小説に登場する妖怪変化の名前そのままというのはどうなのだろう。まあ確かにインパクトは十二分だった。お陰で踏ん切りも着いてしまったのだし。少し癪だが、感謝しても罰は当たらない――――

 

「――――名前……?」

 

 春生は立ち止まる。アスファルトを叩くパンプスの音色もまた止まる。研究棟ではまだ研究員達が忙しなく作業に没頭していることだろう。塀の外にはこの街に住まう多くの人々が行き交っている筈だ。だのに、この空間はいやに静かだった。

 孫悟空と彼は名乗った。彼我は初対面であり、誰あろう己自身がお前は誰かと問うたのだから当然だ。

 では自分はどうだ。自分は名乗ったか。そもそもあの少年は自身の氏素性を尋ねもしなかった。

 

「私の名前を……いや、私が教師をやることまで……」

 

 それはつい先刻、木原幻生から突然に言い渡されたお役目だ。小学校への赴任手続きさえ明日中に終わらせろと命じられたのだ。幻生と春生以外に誰も知りえない事実。

 だが、最初から、当然のように、孫悟空は木山春生を知っていた。

 

「…………」

 

 振り返ってもそこに少年の姿はない。

 ただ、春生の胸にどうにも処理できない蟠りが残った。

 

 

 

 

 

 

 

 


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