心の軌跡~白き雛鳥~   作:迷えるウリボー

97 / 101
28話 空を見上げて③

 

 根源区画の祭壇で、二人の剣士が剣戟を刻む。

「行くぞ、確実に仕留めろ」

「うん、レーヴェ!」

 双剣と大剣を持つ二人の執行者がそれぞれの強みを活かして戦う。ヨシュアは手数を活かした連撃で、レーヴェは全力ではないものの、力強さと圧倒的な畏怖を呼び起こす剣技を持って敵を叩きのめしていく。

 その兄弟の連携に苦しむのは、蛇の使徒が一柱、白面のワイスマン。

「くぅ……!」

 杖を掲げての防御、教会から盗み出した秘術やそれを基にした外法。様々な法術は、本来であれば並の人間などいとも簡単に死へ至らしめることができる筈だった。

 だが剣帝の称号を持ち、全力であれば

使徒すら凌駕しうるレーヴェに、過去の闇を乗り越えて剣聖の心得と暗殺術を組み合わせることのできたヨシュアがいるのだ。二人の執行者による連携は伊達ではなく、堅実な攻撃で確かにワイスマンを相手取っていた。

 ワイスマンの得物に頼らない魔眼などの攻撃は協力、しかしそれをレーヴェが見逃さず着実に無効化し、あるいはワイスマン自身を牽制することでいなしていく。

「小僧どもが……」

 しかし、ワイスマンの行動を御せているのはヨシュアとレーヴェの力だけではなかった。

 輝く環の光臨を望むことができるのは、何も祭壇の、環の直下でなければいけないわけではない。

 夏場の蚊のように群れを成して、エステル、カイト、ケビンに襲い掛かるワイスマンの眷属。

 人形兵器のように自律して動く。飛び回りながらこちらへ攻撃をしてくる執拗さも結社の小型兵器と似ているが、その見た目はまるで違った。機械の外見とは似つかず、陶器のような柔らかな質感を想起させるフォルム。一つ目のような黒の球体でこちらを観察し、不意にエネルギー弾を飛ばしてくる。

『ワイスマンの使役する特殊兵装《戦術殻》だ』

 戦線が前衛と後衛に分かれる前、レーヴェが説明してくれた。

『機械のくせに機械らしい弱点のない厄介な蝿だ。連携して叩きのめせ』

 叩きのめせとは、修羅の道を歩いてきた剣帝らしい安直な指示だ。困った返事をしながらも、気合を入れて()()()()()ことを誓う少年少女であった。

 そして十数体の戦術殻が、何度も何度も三人を追い立ててくる。だが、三人ともその程度の苦難に根を上げる器ではなかった。

「──はっ!」

 カイトが並戦駆動を駆使して、エアリアルやダークマターで戦術殻の動きを着実に弱らせていく。

「せぇい!」

 多少手こずらされるものの、その隙をエステルが見逃さず着実に棍を振り回して一体一体確実に仕留める。

「──そら!」

 その取りこぼしを、ケビンがボウガンで防ぐ。

 戦術殻一体の戦闘力はそれほど高くはない。精々が時間稼ぎ用のものらしいが、結社の人形兵器も今回ばかりは分が悪い。気合の入った仲間たちの前に、たかが機械はなす術もなかった。

「……ヨシュア、援護するよ!」

 戦術殻の隙をついて、時折カイトがワイスマンに向けて火薬式の弾丸を放つ。

 一弾だけでは、ワイスマンの行動を封じるには至らない。しかしワイスマンの相手をしているのはヨシュアとレーヴェであり、この二人は何でもない一撃を必殺の伏線へと変える技術を持っている。カイトが細かいことを考えなくとも、少年の一弾は確かに仲間の助けとなっている。

「くっ……まさか貴様らごときがここまで食い下がるとは……!」

「はあはあ……教授ってばどんどん口調がぞんざいになってるんじゃない!?」

 近くで戦うことが敵なくとも、威勢のいい声をあげてエステルが挑発した。

 ワイスマンにとってヨシュアがエステルの側へ戻ることが予想外であり、ましてやレーヴェがいるこの状況も想定外だったのだ。

 レーヴェが着実にワイスマンを足止めし、そしてヨシュアの双剣がワイスマンを薙ぎ払う。戦闘開始前につけた肩の傷も拍車をかけた。

 幾度も繰り広げられた、息を継ぐ間もない連続攻撃。その末に、遂にヨシュアの攻撃がワイスマンを強く後退させる。

「ぐぅっ……!」

 同時。下層の三人もまた、銃撃と殴打によって最後の戦術殻二体を屠ることに成功する。

「ワイスマン、確かに貴方の言うことは間違ってはいないかもしれない」

 ヨシュアは言った。その隣にレーヴェが佇み、さらに祭壇の上に後衛で戦っていた三人が登ってきて背を守る。

「人の歴史は、闇の歴史。そう言った側面があるのは否定しきれない事実だし、光があることを理解したうえで闇に生きる人もいるだろう」

 跪いたワイスマンに向け五アージュの距離を保って、ヨシュアが双剣の切っ先を向ける。

「でも貴方は光ある現実から逃げているだけだ。現実を直視せず、自分の思う可能性にすがるだけ……」

 訣別の宣言を言い放つ。

「そんな貴方に、僕らが負けることはあり得ない! このまま、リベールから退いてもらう!」

「人形ごときが……!」

 どこまでも憎々し気な声。ワイスマンは立ち上がる。

 その様子を見ながら、レーヴェは大剣を構えた。

「いくらでも言うがいいだろう、もはやその程度の戯言で揺らぐヨシュアではない」

「くっ!」

 ワイスマンは、一度杖を掲げた。転移の光が灯されたが、撤退をというわけではなかった。

 現れたワイスマンは、輝く環のが渦巻く回廊の中心に現れ、そして浮いていた。

「なに?」

「これは……」

 ヨシュアとレーヴェの今までの攻勢に、どこか陰りを帯びる。

「このまま盟主に献上するつもりだったが気が変わった。貴様らが歯向かった相手がどのような存在か……思い知るがいい!」

 何かを察したレーヴェが零ストームを放つ。カイトも銃弾を放ったが、全身を切り裂き肩口を穿っても、それでもワイスマンの浮遊を止めることはできなかった。

 浮遊都市が出現したときと同じ。神々しく、しかしおぞましさを感じさせる根源の太陽が周囲一帯を照らし出す。

「な、なんなの!?」

「まさか、環と融合しとるんか!?」

 誰も、レーヴェすらも気を失いそうになるほどの光臨。意識を振り絞って目を瞑り、凄まじいまでの霊圧を耐える。

 たった一秒にも、一分以上にも感じた気の遠くなるような時間。やがて光とその熱が収まると、人間たちはわずかに目を開け、そして目の前の光景に絶望する。

「これは……」

 カイトは二の句が継げなかった。

 トロイメライも、ストームブリンガーも、パテル=マテルも。どれもその巨大な存在は常に少年に肝を冷かせてきた。

 だが、目の前の存在はそのどれとも違った。

 鈍く光る銀色の体躯。最早人の体ではなく、どこか蛾を思わせるような丸々しいそれは陶器のような質感ながらも触手のように妖しく揺蕩(たゆた)う。背に五対のヒレを持ち蛾の腹のような胴体には縦瞼の切れ目。腕と思わしき場所にある、しかし腕とは思えない三対の長い何か。化け物としか故障できないような異形の面。

 (おお)きい、そして限りなく禍々しいその存在が、輝く金色の奔流を滲ませながら蠢いている。

「……化けの皮が剥がれた、とでもいうべきか」

 疲労と激痛が襲う体に鞭打って、レーヴェが張り詰めた声で言う。辛うじて言葉を発することができたのは彼だけで、後は皆、声もなくただ見上げることしかできなかった。

『グオオオオオオオ』

 それはどこから聞こえた音か、まるで根源区画のすべての壁から這い出るような咆哮。

『この感覚……思った以上に悪くない』

 咆哮に交じる、辛うじて判る卑しい人の声。先ほどまで自分たちと戦い、劣勢を強いられていた白面の声だった。

 だが、もはや目の前の存在はワイスマンではなかった。人々が恐れて畏敬の念を抱く、神々しいまでの力によって絶望を生む、堕ちた能面の天使(アンヘル・ワイスマン)

『さて、まずは試させてもらおう。人を新たなる段階へと導く《天使》の大いなる力をね……!』

 瞬間、金色の奔流が胴体に収束し、異形の面の眼前から赤白い光が迸る。

「避けろ!」

 レーヴェの声が仲間たちの鼓膜を貫いた。考える暇なんてなかった。

 仲間たちが油断なく立っていたその場所に、十字を象った光の槍が何本も放たれる。その一本一本が雷のような威力を伴って、避けたはずの仲間たちに凄まじい風圧を与えた。

 誰もが驚く。凄まじいほどの力であっても人間の域を出なかった先ほどまでの白面とは違う。

「くっ」

 カイトが集中の後にブルーアセンションの水牢を放つ。しかし水が解き放たれ確かな痛手を当てたと思っても、まるでそれを感じさせない。手ごたえは確かにあるのに。

 その様子を見ていたケビンが呟く。

「こ、こいつは反則やね……」

 ブルーアセンションは決して弱い魔法ではない。むしろ使い方によっては相当な威力となる魔法だ。例え敵が巨大すぎるといっても痛手がないわけではないのに、意に介した様子がないのだ。

 魔法が対して聞く敵ではない。かといってそう簡単に得物で攻撃できるわけでもない。

『おや、今までの威勢はどうした?』

 変わらず、くぐもった声が聞こえてくる。こちらの神経を逆なでるような物言いだが、今は何も言い返せない。

 先ほどの白面とはまるで違う、至宝という力を取り込んだ次元の異なる存在なのだ。

『来ないのであれば、こちらから行こう』

 腕のような何かを掲げる。一秒もしないうちに、仲間たちの頭上に赤黒く光る小さな太陽が現れた。

 今度は躱す暇すらなかった。禍々しい星のようなその球体はゆらりと降り注ぐと、無音の爆発を起こし周囲全てを圧する。

 仲間たちは今度こそ吹き飛ばされ、祭壇の外へ弾き飛ばされた。壁に背を叩きつけられた者もいる。

『やっと思い知ったようだね……これが力というものだ。希望や絆といった紛い物ではない、真に人を高みへと導く力だよ』

 圧倒的存在を前に、とうとう仲間たちの心が折れかける。

 巨大な槍、原始の爆発。勝てないことが決められているかのような、これに勝つことは女神の意志に逆らうことだ、とでもいうような出鱈目な力。

「ワイスマン……貴方は……」

 ヨシュアが瞑目し、やっとの思いで立ち上がりながらワイスマンだったものの存在を見据える。

 未だ倒れないかつての人形を見て、異形の存在は体全身を震わせた。

『その目、やはりお前は殺すには惜しい。じっくり調整しながら再び聖痕を埋め込んでやる』

 おぞましい提案だが、今の仲間たちにはその未来が幻視できてしまった。

 諦めに似た思いが、仲間たちの心を支配してしまっていた。

『そしてまた希望を与えてからその芽を摘み取ってやろう。希望が絶望に代わる表情……今から楽しみだよ』

 元々、仲間たちは数多くの戦いを経てこの場に来ていた。四人の執行者たちとの激戦、剣帝レーヴェとの死闘、そしてトロイメライ=ドラギオンを掻い潜り、さらにはワイスマンとも相手をしていた。そもそもが限界に近かった。唯一体を奮い立たせる心が折れてしまうと、それで体は動かなくなってしまう。

 ケビン、カイト、エステル、ヨシュア。もはや四人は、立ち上がるのが精いっぱいだった。

「……もはや悪趣味というより病気と言った方がよさそうだな」

 だが、レーヴェだけは違った。希望だけでなく、希望と共に剣帝としての修羅の覇気を持つ青年は、どれだけの強い意志も強大な恐怖も意に介さない。

『さすがに倒れないか、しぶとい。あの時止めを刺しておけばよかったか』

 憎らし気なその声に抗うように。ただ一人、レーヴェは前に出た。

 エステルが弱々しく吐く。

「レー、ヴェ……?」

 カイトが言った。

「む、無茶だ……」

 一人でなんて、いくらレーヴェでも無謀過ぎる。一体一人で何ができる。

 異形の存在も、まだ自分の前に立ちはだかるただ一人を見据えて笑う。

『なら見世物として丁度いい。まずは貴様から葬ってやろう』

 その言葉に、青年は間髪入れずに返した。

「貴様のような半端者に負ける俺ではない」

『半端者だと? 何を見てそうほざく?』

「目の前の、至宝の力に頼らねば事を成せぬ弱者を見た」

『……負け犬らしい遠吠えだ。これ以上わめく前に死ぬがいい』

「断る」

 蛾の胴体から光が迸る。再びの神の裁きが如き白の大槍がレーヴェを貫かんと迫る。

「レーヴェ!」

 ヨシュアも、エステルも、カイトでさえ叫ばずにはいられなかった。五人いたからこそ威力が分散されたそれは、根源区画の地面を貫いておびただしいほどの光を生み出した。

 爆発のような刺突音が鼓膜を震わせ、少年少女はその光の中で起こっているであろうことに言葉を失った。

 三秒後、光が収まり青年の行方が確かとなる。

「エステル・ブライト」

 仲間たちは絶句した。レーヴェは剣を振り下ろした姿勢のまま、静かに佇んでいる。象牙色のコートは見るも無残に貫かれているが、体は不思議なほど無事だった。恐らくはあの一瞬で、あれだけの威力の攻撃をすべて弾いてみせたのだ。

「お前たちの絆はそんな脆弱なものなのか」

 その言葉を紡いだせいで、開いた口から血が漏れ出る。

「カイト・レグメント。お前の資格はその程度の弱さだったのか」

 ヨシュアとの死闘で疲弊し、ワイスマンの襲撃で傷ついた体は、着実に限界が近づいている。だが、レーヴェは倒れない。

「ヨシュア」

 血反吐を吐いても、どれだけの傷を負っても、諦めることのできない可能性を見つけることができたから。

「人の可能性は、たかが至宝の力に負ける程度のものなのか」

 その言葉の数々は全て、少年少女がレーヴェに示し証明したもの。一度は敵対し、しかしそれを認めた青年は、文字通り命を懸けて少年少女たちを守ろうとする。

 現実は非情だ。常に挫折が付きまとい、人を絶望に誘おうとする。数多くの苦難を前に希望を紡いできたカイトたちは今、初めて全員が同じ絶望に負けようとしていた。

 だから、レーヴェは強く終えを張り上げた。

「立て……! 俺を倒したお前たちは……何のためにここに来た……!?」

 絶望を奏でる金色の波動に対し、獅子が如き波動は凍てつきを与え、むしろ絶望を砕き散らす。

 大気が──絶望が薄氷のように砕ける音を、確かに聞いた気がした。

 不思議と、先ほどまでの体の重い感覚が消え去る。

『……フン、死にぞこないの気が移ったか』

 四人は立ち上がった。それぞれの得物を携えて。

 何のためにここに来たか? そんなことは決まっている。

「……遊撃士として」

 カイトが言った。未熟であっても、確かにこの場に立つ資格を得た遊撃士として。

「リベールの市民として」

 エステルが言った。たくさんの絆を育んだ、リベールの市民として。

「何よりも、人として……!」

 ヨシュアが言った。共に在って、無限の可能性を広げる人間として。

 三人は同時に叫んだ。もはや、想いとなった言葉は重なった。

『ワイスマン! 貴方を倒すためにここに来た!』

 絶望など関係ない。強大な敵など関係ない。不可能など関係ない。

 平和のために。ただ、ひたすらに前へと進むためにここに来た。

『まあいい……今度こそ、貴様らに絶望を味わわせてやる……』

 ワイスマンだったものが、三対の腕を掲げた。幾多の電撃が出鱈目に明滅する。その全てを避け五人は動き出した。

 レーヴェが素早い所作でそれを躱し、大剣を両手に構え大上段から胴に向けて振り下ろす。ヨシュアはその隙に背後に回り込み、背部から何度も奇襲と回避を繰り返す。ケビンのラ・フォルテで力を底上げすると、エステルは正面から棍を振り回した。カイトは必死の思いで電撃を避け続け、そして集中の果てにグランストリームの大暴風を生み出した。

 攻撃が殆ど効かないなど、そんなことは関係ない。ならば消耗するまで、何度でも何度でも攻撃を続けるのみ。

『たかが人間ごときが小癪な……』

 圧倒的に弱く、しかし圧倒的な手数を持つヨシュア。例え大した傷をつけることができずとも、ワイスマンの意識を高ぶらせることで正面に戻ってきた。

 その瞬間化け物が腕を天に掲げ、その先から赤黒い小さな太陽、禍星シャバト。

 覚悟を決めると、人の動きは精密さも激しさも増す。故に、死をも厭わぬ所作となる。

 レーヴェとヨシュアは、むしろその星に近づいた。

 無音の爆発。人間程度の質量など容易く吹き飛ばすそれは、当然二人をも吹き飛ばし。

 しかし姿勢を何とか保つ二人は、勢いそのままにそれぞれの剣を胴体に突き立てた。

 ただの斬撃ではなく、自らの攻撃によって生じた力による刺突がその肉体に刃を潜りこませた。

 確かな一撃、しかし並みの魔獣とは違い、やはり焦りを全く感じられない。青黒い液体が放出されても、天使の動きは全く変わらない。

 女神の意志が如き槍、神槍イナンナ。むしろ天使に張り付く二人より、後方から援護を続けるカイトとケビンに向け光の槍が襲い掛かる。

 その一つ一つを避け続け、ケビンは祭壇の天使を視界にいれつつ横に駆ける。

「……人として、か」

 少しの哀愁を漂わせ、ケビンはボウガンを手に戦場を駆ける。

 レーヴェの鼓舞、それに対する少年少女の万感の想いを込めた言葉の数々。その清々しさや頼もしさに感動を覚えても、それでもどうしても、言葉を共にすることはできなかった。

「俺にその《資格》は、あんのかねぇ」

 仲間として、しかし星杯騎士一員として動く彼は、どうしても少年少女と同じ目線で叫ぶことができなかった。本当に自分にその言葉を叫ぶ資格があるのか、どうしても判らない。

「ま、今はただ……」

 だが、迷いはともかく自分がなさなければならないことははっきりしている。今はただ、後顧の憂いを断つために一先ずは少年少女に協力するのみ。

「平和のため、目の前の障害を《狩らせて》もらうかね」

 かつて教会を抜けた破戒僧に、教会の鉄槌を振り下ろす

「だからもう、茶番は仕舞いにしよか!」

 転瞬、ケビンは急激にワイスマンへ接近した。

「ヨシュア君、剣帝! 避けや!」

 二人が遠のいた瞬間ケビンが消え、直後天使の体にいくつもの斬撃痕が衝撃と共に生まれる。同時に祭壇に現れる淡い魔法陣。

「ケビン、さん!」

 ただならぬ雰囲気を醸し出す不良神父、しかしエステルはそれに戸惑うことなく、歓迎する。

 もはや、何もかもが関係ない。全てはワイスマンを倒すため。今までと同じ、しかし勢いの違う声をもってケビンに言う。

「行っちゃって!」

 ケビンは笑い、その勢いのままに放つ。

「……滅!」

 神槍イナンナとは違う、大剣のように力強い灰白の槍。それらが十数もの下から雨あられのように天使を貫いた。

『……その術、貴様は』

「出番やで、カイト君」

 天使の言葉を遮って、ケビンが少年に襷を繋いだ。ケビンと同様、少年は神槍イナンナを避け続けて駆動を保っていた。レーヴェほどではないが、カイトの体力もまた限界に近づいていた。難度の高い並戦駆動で大規模アーツを放つ、怪盗紳士、剣帝、そして白面との三連戦でそれができているのは半ば奇跡に近い。

 いや、だが奇跡のみでもなかった。カイト一人ではできなかったそれを成し遂げていたのは、人の間にいることで生まれる気力、剣帝の鼓舞に打ち震える心、そして仲間と共に勝利を求める意志があったから。

 だから、グランシュトロームは発動した。ケビンの大槍が作った傷をえぐるように水刃が天使の胴体部を駆け巡る。

 今まで未熟者だった少年は、しかしもう未熟者ではない。仲間たちと同じように、自信をもって勝利のために動くのみ。

 ハーメルの兄弟の魂こもった一撃、ケビンがここへ来て見せた法術、そしてカイトの魔法。決定打ではない、しかし確かに最初とは違って天使の体に傷を作る。

『グオオオオオオオ』

 天使の体が傾げ、震える。

『まったく苦痛などない。だがしぶとい奴らめ、人ではなく蝿と呼んだほうがいいな』

 天使を中心に、再び金色の霊気が吹き荒れる。

『……だが、無駄なことだ!』

 光が溢れる。再三仲間たちを震え上がらせた光は、何故か涙が出そうになるほど神々しかった。

「……これは」

「……どういう?」

 カイト、エステルが呟く。天使を取り巻く霊力が爆発的に高まった、それは判る。しかし、それ以外に何かが変わったようにも見えなかった。先ほどまでの攻撃で受けた傷が治癒したというわけでもない。

 まず動いたのはヨシュア。先ほどと同じように圧倒的なスピードを持って攪乱。

 レーヴェがそれに続き、油断のない動きで再び斬撃を与えようとする。

 天使が出したのは紺碧の波だった。アーツ駆動の時と同じそれだが、それよりも圧倒的に早く波は収束し、そして祭壇の上が氷の世界となる。いくつもの氷の山々が生み出され、それはすぐに溶けない。

 それは牽制にはなったが、それでもヨシュアとレーヴェの動きを止めるまでには至らなかった。氷の世界に着地したレーヴェは即座に体を翻し鬼炎斬を繰り出し、ヨシュアは人間の骨を断つほどの威力を伴う一撃を見舞う。

 並みの魔獣ではその体を両断され、天使も先ほどは傷を作った攻撃。その攻撃は、今度は全く効かなかった。

「なっ」

「……まさか」

 ヨシュアとレーヴェは苦悶する。感じたのは、木で鉄を弾くような空虚な感覚。

 アーティファクトを回収する星杯騎士団に属するケビンは、誰よりも早く答えに気が付いた。

「輝く環の至宝としての力……空属性の《絶対障壁》か!?」

 七の至宝とは、すなわち七耀の属性に対応した大いなる女神の秘蹟。輝く環は上位属性である《空》の至宝、空は空間を司り支配する。アースガードなどの地属性による限定的な防御ではない、そもそもの攻撃が放たれる空間自体を支配ずる《絶対障壁》。

『クククク……そういうことだ。もはや私と君たちとでは存在の次元が違いすぎるのだよ』

 もはや、攻撃事態が届かないことを意味する。

 レーヴェの鼓舞以降収まっていた恐怖や絶望という足枷が再び浮上してくる。

 絶対障壁、物理的な衝撃も魔法的な攻撃も、()()()のすべての事象を無に帰すことができる神聖な境界線。同じような女神の奇跡でもなければ、それはもはや立ち向かうリベールを救おうと奮起する遊撃士たちに何の手立てもないことを物語っていたはずだった。

 ただ一人、たった一人の例外を除いて。

 絶望する仲間たちを鼓舞する。何度も、何度でも。

「俺が奴を殺す」

 小さく放たれた決意の言葉。耳に届けた仲間たちの中で、ただ一人少年だけは中枢塔頂上でのあの言葉を思い出した。

『奴の埒外の力を殺すのは、俺の役目だ』

 手がある。この絶望的な状況をひっくり返す一手が。

 またその事実に気が付かずとも、他の仲間たちもレーヴェの意志が死んでないことは理解できた。

 そしてただ一人前に出ようとする姿は、自己犠牲という名の四文字を想起させる。

 ヨシュアが、悲しみに打ち震えて叫んだ。

「まさか……そんなの、ダメだよ!」

 直後、眼下の人間たちの姿を笑うワイスマンの声。

『犠牲か……私の求めていた答えとは違うが、甘言に流されない感動的な選択だ』

 どこまでも人の神経を逆なでするもの言いも、しかしレーヴェは意に介さない。

「望み通り、正面から散ってやる」

 レーヴェをある程度とはいえ動ける状態でこの場に連れてきたのはカイトだった。その時点でのレーヴェの様子を見るに、カイトもこうなることを理解はしていた。だがいざこの状況に陥ると、少年は苦しさのあまり口をつぐむことしかできなくなる。

 ケビンは少年少女と違いその判断力と知識で、レーヴェの状態や彼がとろうとしている選択は理解できた。悲しすぎるこの状況で、不良神父は理性と感情のはざまに揺れ、レーヴェを否定しない選択をとる。

 エステルとヨシュアだけが、まだ納得できていなかった。

「そうなったらレーヴェが……!」

「せっかく仲良くなれたのに、そんなこと……!」

 やっと笑顔を交わすことができるようになった兄貴分、判り合うことができた恋人の理解者。他に打つ手がないとしても、どんな絶望的な状況であろうとも、その覚悟を決めようとしても心がついてこない。

 だが、世界は希望に溢れるとともに変革を余儀なくされる。次代を担う英雄たちに、最後の試練を課してくる。

「拾われた命だ……この命を使って、国を救って見せろ!!」

 レーヴェが、誰よりも大きな咆哮を震わせて叫んだ。根源区画の祭壇、天使が佇むその空間に向け、自らの意志を込め大剣を両の手で握る。文字通り全身全霊の気迫をもって《絶対障壁》、薄氷のような理の境界線に向けて大剣を突き立てた。

 金属と金属が弾き合う音がして、それでもレーヴェは障壁に剣を突き立てたまま動かない。

『フフフフフ、勇敢なことだ……しかしレーヴェ、例え君のような実力者だとしても、環の障壁を破ることは不可能だ』

 これ以上ないほどおかしなものを見るような嘲笑が響く。血を吐き、それでもワイスマンの目に道化として映るレーヴェは、まだ攻撃の姿勢を変えない。

「だろうな……ところで、ワイスマン」

『なに?』

「一つ聞いておきたいことがある。《ハーメルの悲劇》……貴様はどの程度関与していた?」

 変えないままに、レーヴェは天使に詰問する。当のワイスマンは変わらずに笑い声を上げ続けていた。

『人聞きの悪いことを言わないでくれたまえ。あれはあくまで帝国内の主戦派が企てた事件だろう?  どうして私が関与するのかね?』

「それは貴様が《蛇》だからだ」

 ワイスマンは、この《福音計画》を実行するにあたり、浮遊都市の出現までずっと事件の裏側にいた。クーデター事件では《アルバ教授》として事件の場所にいながら決して招待を晒すことなくリシャールやドルン、ダルモアといった関係者を駒として扱っていた。

「弱みを持つ人の前に現れて……破滅をもたらす計画を囁く。そして手を汚すことなく……自らの目的を達成してしまう……それが貴様のやり口だろう」

 カシウスを国外へ退去させる時すら、ワイスマンは自らの手でなくジェスター猟兵団を利用して剣聖を足止めしたのだ。帝国での遊撃士協会支部襲撃事件、各地の実験や導力停止現象。目の前の白面が犯人であるというのは、本当にごく一部の人間しか知らない事実になってしまっているだろう。

 そしてその手口を見て、レーヴェは考えていた。

「実際主戦派の首謀者たちは……当時あったという政争に敗れて後がない者たちばかりだったと聞く」

 かつて自分とヨシュアを破滅に導きリベールの軍事状況を知り一変させた《ハーメルの悲劇》と《百日戦役》。一部の主戦派がこの愚かなまでの計画を立てるまでに、()()()()()()が関わっていたのだとしたら。

「もし十年前の戦争すら今回の計画の仕込みだったのなら……全てのことに説明がつくと思ってな」

 確証はなく、しかし不思議とそう考えてしまう可能性。レーヴェの推理を聞いたワイスマンは。

『おおむね君の指摘通りといえるだろう』

 否定をしなかった。

『もっとも私がやったことは、彼らに猟兵崩れを紹介してハーメルの名を囁いただけさ。それだけで事態は動き出し、瞬く間に戦争へと発展してしまった。人間の業を感じさせる実験結果だったよ』

 エステルの母レナが死んだこと。カイトの両親が死んだこと。その全てに、ただの死ではなく絶望を生む悲劇に、目の前の存在が関わっていた。仲間たちは吐き気を隠せなくなり、洒落にならない事実に言葉を失った。

 一人、冷静に真実を手に入れた青年を除いて。

「大方……予想通りということか」

『意外と冷静だね。私としてはもう少し憤て欲しいところではあるが。……だが、死にゆく前に真実を知れたのは冥土の土産となっただろう』

 ようやく溶けかかっていた氷の大地が、再び凍てついてレーヴェの脚を包み込んだ。

『その惨めな姿を笑うのにも飽きた。いい加減、死ぬがいい』

「ぐぅ……!」

 襲い掛かるのは冷たい痛みだけではない。絶対零度が生み出す、眠るような、形だけは安らかな死への誘い。

 それでも、鋼の男は屈しない。

「修羅に……堕ちるのは、当に決めている。故郷への土産として、真実を知れたのも悪くない……」

 眼が、かっと見開いた。閃光のような、一瞬の光を生んで。

「だが、剣帝としての汚名はまだ返上していない」

『何だと……』

「貴様に背後から昏倒させられた屈辱、その借りだけは返させてもらうぞ」

 もはや足元は氷漬け、感覚も乏しい。しかし地に固定されている以上、どうあってもこの場に耐えるために地を踏みしめる必要がないのは幸運だった。

 ワイスマンとの会話の間もなお、大剣は絶対障壁に突き立てられていた。

 その剣の切っ先が今、亀裂音と共に透明な壁に()()()()()()()()()()()

『ば、馬鹿な……環の絶対障壁が……』

 あり得ないと、ワイスマンは困惑する。

 七の至宝の一つである輝く環の絶対障壁、それはただの導力の障壁とはかけ離れた正真正銘の奇跡、女神の力。この世の理では絶対に穿つことの叶わない壁だ。

 それを打ち破るなど、この世に存在しない理でなければ──。

『そうか、その剣は!』

「そう、俺が盟主より授かった剣……貴様の杖と同じく、《外》の理で造られた魔剣だ」

 飛び出た言葉の数々は、少年少女には理解できない。だが目の前で生じている透明な障壁に白い亀裂が浮かび上がる光景と、天使が怒れるように震える醜態と、そしてワイスマンの憤怒のごとき声色が、絶望が希望に変わりつつあることを物語っている。

 一人の犠牲と引き換えに。

『離れろ! ええい、離れろこの痴れ者がッ!』

 神槍イナンナの連撃が、避ける間もなくレーヴェの体を貫いた。

「ぐぅぁ……!」

 血が吹き出ても、力が少しずつ入らなくなっても、レーヴェは倒れなかった。レーヴェの脚は氷に包まれ、ワイスマン自身の手によってその障壁の前から抜け出せなくなっている。

「……もう遅い……」

 何発目かのイナンナが、ついに真正面からレーヴェの腹を穿った。瞬間絶対障壁が、薄氷が爆散して、同時にレーヴェ足元の氷もすべてが吹き飛ぶ。

「ああ!」

「レーヴェェ!!」

 エステルとヨシュアの慟哭が根源区画に響いた。血塗れの青年が大きく宙を舞い背中から仲間たちの遠くに落ちる。彼に遅れて数秒、金属音を響かせて二つの剣の残骸が少年少女の目の前に転がった。

『やってくれたな……! まあいい、絶対障壁など環の力の本の一端だ』

 ワイスマンの憤怒は続く。今、天使の周囲にはただの空間が広がるのみ。

「いや……これで……貴様も終わりだ」

『なに!?』

 仲間たちが見る先の天使は、未だに圧倒的な威容を出し続けている。まったく衰えていない。

 だが。

『な、なんだ、環が、私の中の輪が!?』

「環の……絶対障壁により、貴様自身も環の干渉から守られていた……」

 もし天使を魔獣と呼ぶならば。天使は今、高揚しているようにも見える。

「その加護がなくなれば……杖でなく体と融合した環は……間違いなく貴様を侵食する……」

『グオオオオオオオオオオ!!』

 中心の瞼が開いた、赤みの金色に光る。背のヒレからは淡く翡翠に煌めく羽が生える。腕のような何かは正真正銘胴の何倍もの腕となり、三つ指が妖しく動く。胴と腕のいたるところから目玉がいくつも見開かれ、仲間や空間の全てを凝視した。

 上空から突如として降下した《蛇》のような銀体が降りてくる。やがて胴の下腹部にかみつくと、蛇は尾となって荒ぶる。

「自我を侵食された以上……貴様は、最早ただの器、だ」

 レーヴェの読みの勝ちだった。自分の全てを犠牲にした青年は、満足げに笑ってから少年へ語り掛ける。

「行け……ヨシュア……!」

「で、でも……」

「甘えるな……拓いた道を……お前たちが踏みしめろ!」

 レーヴェは判っている。自分の命の灯、その残り香を。

 ワイスマンの自我がない、純然たる輝く環との対峙。そのわずかなチャンスをとれば、一縷の望みに集中攻撃をしようとすれば、レーヴェがどうなるかが判らない仲間たちではない。

 けれど。

「……行くで!」

「……うん!」

 ケビンとカイトが得物を構えた。様々な想いを双肩に乗せた。それと同じように、青年の想いに報いるために。

「──ヨシュアッ!」

 顔をぐしゃぐしゃに歪めたエステルが、それでも体を奮い立たせて大切な人の背を押した。共に、青年が託した希望をつなげるために。

 そして、ヨシュアは青年が持っていた大剣の残骸を手にした。

 《魔剣ケルンバイター》。半ばから折れてしまってもなお圧倒的な輝きを保つ金の刀身を構えた。

「──うわああああ!!」

 肉親が死ぬ。その限りなく精神を揺らがす絶望を乗り越え、己の成すべきことを成すために。

 輝く環を、アンヘル・ワイスマンを止めるために。

 

 

 

 

 







次回、第五章最終話。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。