心の軌跡~白き雛鳥~   作:迷えるウリボー

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28話 空を見上げて②

 

 

 浮遊都市リベル=アーク、根源区画へと向かう長距離昇降機が行き来する空間に、結社が開発した二機の人形兵器が対峙している。

 漆黒のトロイメライ=ドラギオン、レーヴェが駆りカイトも乗る機体と、無人の機体。両者はまったく同じ所作で拳を振りかぶり、そして右拳を衝突させた。

 戦闘用の機体はそもそも多少の衝突や傷程度で──弱点の関節部位などを除き──どうにかなるものではない。しかしそこに乗る人間は別だ。小さなカイトはぐわんぐわんと振り回され、レーヴェもまた本調子でないために乗りこなしに手こずっている。

「ええい、抱き着くな」

「だって、そうじゃないと吹き飛ばされる!」

 レーヴェは操作を変え、軌道は激しいものの敵ドラギオンを旋回し様子を伺う。

 こちらに人間が乗っている以上、余程の優位さがないと殴り合いの正面突破は悪手だ。関節部位を斬るプラズマによる斬撃も考えたが、自身の体でない以上精密な部位破壊は期待できない。

 だがこちらには人間がいる。その二人は、一つのアドバンテージを持っている。

「並戦駆動を使うぞ。奴の攻撃を掻い潜り、大規模アーツで機能不全に追い込む。俺の発動時間に合わせ駆動しろ」

「判った!」

 かつての王都地下でも、トロイメライを倒した方法は魔法連携だった。決定打はトロイメライ自身のエネルギー砲だが、魔法の恩恵を余さず受けるこの二人の連携であれば十分に通じうる。

「使える大規模アーツは何だ?」

水刃と濁流(グランシュトローム)雷と暴風(グランストリーム)炎の弾丸(スパイラルフレア)重力場(ダークマター)、だいたいその辺りだ」

 二、三秒の沈黙を経てレーヴェは言った。

「なら、そのグランシュトロームを使え」

「レーヴェは?」

「ラグナブラストだ。奴を感電させるぞ、機械ごとき相手にしている時間はない」

 共に、紺碧と翡翠の波を纏う。空中を縦横無尽に駆ける漆黒のドラギオンの上で両者の波が風に乗り交わり、どこか薄い白光となって白と黒のコントラストを生んだ。

 主の命に従い敵ドラギオンの攻撃をことごとく避ける機体は、負荷のかかる機動を繰り返してみせる。並みの使い手なら駆動が解除されるほどの揺れだが、それでも二人は駆動を保つ。

「行くぞレーヴェ!」

 先にカイトの紺碧の波が収束した。

 グランシュトローム。頼りにする地面がないため、ここでは少年は敵ドラギオンの上空に照準を合わせた。四点から生まれた間欠泉は水刃を生み水飛沫を中心に収斂させ、地上よりも小規模だが、それでも大きな水塊を出現させる。その水塊は膜を広げながら濁流となって昇降機が上下するこの空間を落下した。そこには敵ドラギオンがおり、どんな動きをしていようとも等しく突如生まれたこの瀑布に飲み込まれる。

 広すぎる範囲攻撃のせいで、攻撃性はなくとも大量の水がカイトとレーヴェが乗るドラギオンにかかった。

 自らも巻き込まれないために、二人が乗るドラギオンは急上昇する。

 そうして翡翠の波を収束させつつ、レーヴェはカイトに言い放つ。

「覚えておけ。戦術オーブメントが引き起こす現象は、限定的なこの世の理を紡ぐもの。使い方次第で、世界を如何様にも変えられる可能性を秘めていることを」

 アーツが発動する。ラグナブラスト、人一人など簡単に飲み込む白の雷撃が生み出され、超巨大なうねりを上げて敵ドラギオンに絡みついた。

 白の大蛇に捕らわれたドラギオンは瞬く間に全身に電気を溜め込む。グランシュトロームの水により体表面全てに帯電がなされ、みるみるうちに温度が上がり発熱、腕からは爆音が上がり、辛うじて落下は免れぬも痙攣した人間のように全身を震わせている。

「行くぞ、伏せろ!」

 レーヴェが叫んだ。カイトは従う。

 ドラギオンは隙だらけの敵ドラギオンに、今度は正面から突撃した。衝撃をものともせず敵ドラギオンを両の拳で押し込みやがて壁に激突させる。鈍い金属の音と礫が弾ける大音響の後に、敵ドラギオンは昇降路の壁にめり込み、感電の余韻と煙の臭いを残しながら完全に機能を停止させた。

「やった!」

 衝撃で吹き飛ばされそうになりながらカイトが快哉を上げる。

 レーヴェは上を見上げた。小さくなりつつある日の光に陰りはない。他に追いかけてくる機体はなさそうだった。

「時間を取られた、急ぐぞ」

 ドラギオンは再び降下していく。再び漆黒の機体が風を切り、豪風の中の静寂という不自然な空間が二人を包み込んだ。

 一瞬、前に乗る青年の体がぐらつく。

「レーヴェ」

「なんだ」

「本当に大丈夫なのか? オレが色々やっといて言うのもなんだけど」

 今の敵ドラギオンとの戦闘、カイトでさえ軽い酩酊間を覚えるものだった。もともと体に負荷をかけているレーヴェが感じる辛さはそれ以上のはずだ。

「それはこちらの台詞だ、カイト・レグメント。この先に待ち受けるのは俺が知る限り最凶の組み合わせの相手だ。犠牲を恐れるような生半可な覚悟では立ち向かえんぞ」

「ふざけるな」

 カイトがレーヴェにたてついた。

「仲間と一緒に生き残る覚悟があるから、弱いオレたちはここまで来たんだ。ヨシュアが言ったこと、もう忘れたのか?」

「……」

「もちろん、覚悟はしてるつもりだ。全力で立ち向かわなきゃならないから、レーヴェの心配をしてるんだ」

「……判った、すまない」

「その言葉、意識を取り戻したヨシュアに言ってくれ」

 ふと少年が上を見上げると、もう日の光は夜空の星程度の大きさになっている。かなり下まで降りた証拠だ。

「それに、レーヴェに聴きたいこともある。。レーヴェこそ覚悟の心配をするなら、勝つ可能性を高めるために話に付き合ってくれ。まだ、根源区画まで距離があるんだろ?」

「ああ、判った。何を聞きたいんだ」

 カイトはずっと気になっていたことを聞いた。

「《福音計画》って、そもそもなんなんだ? 《輝く環》を手に入れて、結社は何をするつもりなんだ?」

 カイトにとっては結社という存在すらも非日常の存在だった。エステルがレマン自治州での修行から帰ってきて、共に調査をする日に聴くまで、そもそも存在すら知らない組織だった。

 クーデター事件を影から操っていた可能性すらある組織。頭ではとてつもないと判っていても、どこかまだ実感が湧いていなかったという記憶がある。

 だが気がつけば、その実感のない組織は王国各地を震撼させ、国家規模の軍事力を見せつけ、仕舞いには導力停止現象を引き起こして王都を襲撃し、王家に伝わる古代の秘宝を手に入れようとしている。

 カイトは帝国を旅したことで、まだ見ぬ世界の等身大の実情をみた。それと反対に、結社のこれまでの道程にのような、まだまだ得体のしれない闇がこの大陸に潜んでいることを思い知らされた。

 その結社が手に入れようとしている輝く環。過去に教授が示していた《福音計画》、そして結社の目的。輝く環に辿り着こうとしている者として、遊撃士として知らなければならないと思った。

 レーヴェは言う。

「……俺は《執行者》だ。蛇の使徒の要請を受け工作や任務などをこなすが、あくまでも使徒とは対等な関係にある。例え《盟主》の言葉でさえも、その行動を束縛することはできない。それが身喰らう蛇の掟だ。

 逆に言えば、執行者に与えられる情報は使徒よりも少ない。俺の憶測も入るということを念頭にいれることだ」

「判った、それでも聞かせてくれ」

「……そもそも、お前はこの輝く環のことをどこまで知っている?」

 アルセイユの仲間たちにはリベール王家のクローゼや博識な大人たち、そして導力技術に精通するラッセル博士などがおり、仲間たちが四輪の塔の異空間で手に入れたデータクリスタルなども解析を進めていた。そして順次、仲間たちはその情報を共有してきた。だからカイトも仲間たちと同じだけの情報を知ってはいる。

「……輝く環の力が、人の生活を堕落させて取り返しのつかないところまで来た。だから一部の人間がそれを封印しようと動いた。そんなところぐらいなら」

「そうだ。俺がワイスマンから聞いた話と、それほど遜色ないようだな」

 レーヴェは語る。

「輝く環の本質、それはアーティファクト(古代遺物)だ。今まで大陸各地で出土された、大崩壊以前の導力機構を備えるという点では他のものと変わらない。ただ違うのは輝く環は女神によって人に託された《七の至宝》の一つだということだ」

 七耀暦の千年すら通り過ぎ、さらに遡ること今から数千年前。女神は人に七の至宝を授けた。それらは『世界の可能性』をそれぞれ異なる豊富で利用することで奇跡を起こすアーティファクトだった。さらに至宝ごとに七派に分かれた古代人たちは様々な形で理想を追い求めたのだという。

「……そんな、御伽噺みたいな話が」

「大崩壊以前の歴史というのは未だ謎に包まれている。それに、この浮遊都市そのものが『まるで御伽噺』を裏付けているだろう、ワイスマンの口ぶりから言っても、嘘ではあるまい。全て現実だ」

 七の至宝、無限の力を生み出し奇蹟へと変換できることのできる究極のアーティファクト。その中の一つが《空》を司る輝く環であり、理想を追い求めるために環を受け継いだ一派が建造したのが、この実験都市リベル=アーク。環を中枢のシステムとし、端末たる《ゴスペル》を通じることであらゆる願いがかなえられる空に浮かぶ理想郷だ。

「……一見、それでいい話だめでたしめでたしにも聞こえるけど」

「そうでない事など、今までの環の所業を考えれば判るだろう」

 無制限の快楽は人を堕落させる。人は苦難のない人工的な幸福に、次第に魂を蝕まれていった。

 導力停止現象やルーアンでの映像の投影、ツァイスでの龍脈操作。そうした力を持つ環による物質的な快楽。

 ロレントでの霧による人工的な夢、ボースで古代龍レグナートを操ったほどの精神支配。そこから見える、危険すぎる精神的な快楽。

 人は主体性を失い倫理と向上心を失い、精神的に失調していく。人としての本能が脅かされると、出征率は低下し戦争という人の業より醜悪な異常犯罪や自殺率が増え続ける。人ではなく社会という生き物が死へと向かい始める。

「それで……輝く環は止めなかったのか? 人間が危ないのに」

「環に危険だという認識や感情はない。そもそも意志がない。定められたシステムに基づいて、人に奇蹟を与えるだけだ」

「だから、クローゼ姉さんのご先祖様が……」

 データクリスタルに情報を残したのは、セレスト・D・アウスレーゼ。組織《封印機構》のリーダーであり、後に生まれたリベール王家の始祖にあたる人物。彼らが環を封印する計画を立てたのはそうした背景があってのことだった。

「これが、千二百年前にこのリベールの地で起こった真実だ。王都地下の封印区画、そしてデバイスタワーという名称だった四輪の塔。各地にその足跡と彼らの苦労を感じさせる」

「そんな危険な輝く環を、異次元からもう一度この世へ引きずり戻した。やっぱり、結社のやってることは全然笑えないけど」

「そうだな。考えるに、ワイスマンは外道そのものだが、俺と同じく人間という存在に絶望しているようにも感じる」

「? ……それは」

「《塩の杭》、世俗で言うなら《ノーザンブリア異変》か。奴を語るうえで外すことのできない存在だ」

「そんなの、聞いたこと……いや、待って。日曜学校で聞いたことがあるような……?」

「まったく……遊撃士であるなら世の時事程度把握しておけ」

「む」

 日曜学校の歴史の授業では、外国の歴史を扱うことは非常にまれだ。社会に出る大人や当時を知る人間、高等学校で学ぶ学生ならともかく、カイトが知らないのも無理はなかった。むしろ言葉だけでも覚えているほうが珍しい。

 千百七十八年、夏。ゼムリア大陸北部のノーザンブリア旧大公国は、突如として国土の大半が()に覆われるという大災厄に襲われた。当時の大公国の人口の八分の一が死亡し、五つある年の内三つの行政区が壊滅し、遂には旧大公国を破滅へと追いやった事件。

「詳細は省くが、ワイスマンはその事件による避難孤児だった」

「それって……」

「遊撃士協会や七耀教会、周辺諸国の助けがあったとしても、異変により大公国が立ち直れないほど人も物も交通も死に絶えた。それは人がちっぽけであるという物理的な証明にもつながるだろうが、旧大公国が現自治州となった直接の原因は民衆の暴動と軍事クーデターだった」

 事件の当時、大公国元首であるバルムン大公は隣国レミフェリアへと真っ先に亡命していた。その権力と権威と共に民を導き矢面に立つ指導者が、国内の別地域ならまだしも安全な隣国へと非難する。そしてそれを蔑み、首を取ろうとする大勢の民衆。

 白面は、その異変と人間の闇を経験した人間であった。確かに、人間という存在そのものに疑問を呈しているといってもおかしくはない。

「《福音計画》、それ自体は《輝く環》を手に入れる計画だと聞かされている。そこに間違いはないだろう。だが……」

「あの外道が、それだけで終わるはずがないってこと?」

「そうだ」

 獣のように牙を持たぬために、集団で生き文明を発展させる人間の業。自らのコミュニティを守るために他者のコミュニティを排斥する人としての性。そしてそれ以外のすべてを対岸の火事として見届ける薄情さ。

「古代人が輝く環によって得た繁栄と滅亡。それを現代社会の導力技術による繁栄と覇権争いに重ね、絶望している。その果てに待つ物質的・精神的な破滅を防ぐ。大方、そんな現実感の欠片もないことを考えているのだろう」

 人という存在自体を変えること。弱さを捨て、感情に揺らがない理性と堅実な選択を可能にする知性を手に入れること。その白面の目的を思い知らされたカイトは、思わず身震いする。

「……あり得ない」

「常人からすればな。だが奴は蛇の使徒の《白面》であり、その手には《輝く環》が握られている」

 白面の誇大妄想は今、現実になろうとしていた。

 止めなければならない。白面自身が弱いと主張する。人の力を信じる者として。

 絆を広げるエステルと、絆によってちっぽけな力を大きな翼に変えられたカイトと、人の間にある限り人間は無力ではないというヨシュアと、そのヨシュアによって決意を新たにしたレーヴェによって。

「……そうだ、そのヨシュアだ。外道野郎に操られたみたいだけど、大丈夫なのか?」

 今、ヨシュアの精神は白面に操られている。肩の聖痕が暗示するヨシュアの深層意識に刷り込まれた暗示の根深さ。いくらヨシュアが強さを手に入れたからと言って、ヨシュアにその意識がなければどうにもできない。

 だがヨシュアを誰よりも心配しているはずの剣帝は、どこか飄々としていた。

「お前やヨシュアや、エステル・ブライト自身が言っていただろう。『人は、大きなものの前に翻弄されるだけの無力な存在ではない』と」

「そりゃ、そうだけど……」

「ワイスマンは言うだろう、『ヨシュアの心はどこまで行っても作り物であり、自分の所有物なのだ』と。だが、ヨシュアは聖痕を消せる。お前たちが言った、絆の力とやらでな」

「ま、まあいいや。レーヴェに勝算があるっていうなら、オレはそれを信じて戦うだけだ」

 風の音の質が変わってきた。頭上の太陽の光はもはや見えなくなり、代わりにエステルとケビンが乗っていた金色の床が見えてくる。

 その床にドラギオンは降り立った。カイトとレーヴェは慎重に飛ぶ。

 カイトが着地、レーヴェも同時に着地するが膝を折る。

「レーヴェ!」

「……時間がない、行くぞ」

 二人は先を見据える。遠く、遠くに祭壇のような空間があり、金色に輝く幾重にも連なり無限の回廊を形成する光の環があった。

「あれが、輝く環……」

「そうらしいな。奴もどうやら、優雅に自分の妄想を教授していると見える」

 環の存在を確認できたのはそれが巨大すぎたからで、まだ人の影は辛うじて人だとしか判別できなかった。だがこの不可思議な空間故か、閉じられた物理的な構造故なのか、不思議と環の眼前で対峙する人間たちの()が聴こえてくる。

『過去幾度となく繰り返されてきた戦争という名の巨大なシステム……その狭間において、人の絆は無力な存在でしかなかっただろう?』

 カイトとレーヴェは走る。慟哭のように響く少女の声。

『──そんなこと、ない!』

 少しずつ、人間たちのシルエットが明らかになる。

『お母さんは戦火の中、命がけであたしを守ってくれた!』

 環の下には、白面と少年が立っている。

『そのことがきっかけで、あたしは遊撃士の道を志して、そして今……ここに立っている!』

 その前には、緑髪の神父と、そして太陽の少女。

『この異変を止めて戦火を未然に防ぐために! それでも……人は無力だって言えるの!?』

『フン……ああ言えばこう言う……』

 その少女の姿をはっきりと捉える。

 未熟者だった少年は、大きな声をあげた。

「同感だよ、エステル!!」

 

 

 

────

 

 

 

 根源区画。浮遊都市にリベル=アークの中心で、少年と青年が太陽の少女の下へと追い付いた。

 振り返った少女は、少しの戸惑いと嬉しさを同時に醸し出す。

「カイト……それにレーヴェ!?」

 聖職者であるケビンは、レーヴェの状態を見抜いたようだ。それでも一先ずは嬉しさを醸し出して、最強の助っ人の登場に喜んでいる。

「……いろいろあるけど、ともかく来てくれたんやね。カイト君、それに剣帝」

 二人に並び、少年と青年が前に出た。その様子を見届けた白面は、やはり無理やり仮面に貼り付けたような笑顔だ。

「おやおや……ずいぶんなイレギュラーが来たものだ。レーヴェ」

「貴様のような外道にルール違反を指摘されたくはないのでな。意趣返しに来ただけだ」

「ふん、満身創痍の体でよく言う……」

 少々の侮蔑を投げた後、白面はカイトに向き直る。

「それはそうと……少々グレーだが、君については歓迎させてもらおう。ようこそ、大いなる秘跡の源たる場所へ」

「外道野郎に歓迎されるようなことをした覚えはない。とっととヨシュアを返せ」

「クフフフ、ずいぶんと嫌われてしまったものだ」

「オレが言いたいのは、さっきエステルが言っていたことと同じだ」

 この場に来ても、やはりエステルは彼女らしく自分たちの可能性を敵である白面に伝えていたのだ。王都地下でのリシャールにそうしたように。

 ならば、自分もそれに同調しない手はない。

「オレも、百日戦役で孤児になった。お父さんとお母さんが、帝国の攻撃のせいで殺された。そんなオレを助けてくれた人がいる、クローゼ姉さんや、孤児院の先生たち」

 レーヴェもまた。

「ヨシュアの代わりに、言わせてもらおうか。ハーメルの悲劇。確かに見ていて絶望するような罪を背負った者もいる。だが、光で俺たちを照らしてくれたものもいた。俺はようやく、カリンの強さに気が付くことができた」

「何度でも言おう、そんなものは、無数に存在する人の中の《例外》だ。異常とすら言えるだろう。自らの身を省みないその様もいずれ、、人を破滅へと導く。結局、人間は無力でしかない」

 白面は、どこまでも白々し。

 いや、先のレーヴェが言った白面の経歴を考えれば、本気でそう思っているのかもしれない。

 そう考えると無性にやるせなさをカイトは感じた。

 自分が気付き、仲間たちが気付き、レーヴェでさえも変えることができた絆の翼。どれだけその光を訴えても、白面はそれに目を背け人間の無力さを信じる。

 エステルカイトも、何も最初から人間が素晴らしくて最高の存在だと言っているわけではない。数々の絶望が、白面と同じように人間の黒い一面を訴えてきたが、それを理解したうえで人間の可能性を信じることができた。

 だが白面は違う。人間の希望を理解したうえで絶望しているのではない。初めから絶望しか信じていない。

 カイトの意を組んだかのように、自身も同じ思いを抱いたエステルが呟いた。

「かわいそう、だよ」

「なに?」

「かわいそうな人だと思う。あなたが本気で人が無力だと信じてるのなら……だから進化させる必要があるんだと思い込んでるなら」

 にわかに、白面の顔に笑みでなく氷のような冷たさが宿る。

「信じあって、助け合うことの喜びを知らないんだもの。人があがいているのを見ることにしか喜びを見いだせないなんて……そんなの、寂しすぎるよ」

 リシャールは、最後には絆の可能性を信じてくれた。

 ヨシュアは、己の闇と向き合って戻ってきてくれた。

 レンは、少しは人の温かさを感じて戸惑ってくれた。

 レーヴェも、人の強さの可能性を信じてくれたのだ。

 だが、目の前の白面は何も信じない。病的なまでに、己の信じた道を歩き、それに人を巻き込もうとする。

 その様子は、とても悲しかった。エステルにとって、寂しいものでしかなかったのだ。

 数多くの非難や諦めの侮蔑を受けてきた白面は、しかし悲しい目線を受けてきたのはこれが初めてだった。だから、おおよそ静かな怒りに震えるというのもこれが初めてだった。

 瞬間、白面と対峙する三人は、同時に一つの醜悪な目玉を幻視した。その瞬間には、もう体がすべての命令を無視して動かなくなる。

 レーヴェが、感情の見えない声色で呟いた。

「魔眼、か」

 ヨシュアも使っていた、行動封じの暗技。だが少年のそれとは比べ物にならないほどの凄まじい気当たりは、恐怖という感情すら置き去りにされていくような感覚を生じさせた。

「無知な小娘が大層な口を利く。ならばその身をもって己の言葉を証明してみたまえ」

 ただ一人、魔眼に飲まれなかったエステルは、慌てて棍を構えるもすでに遅い。

「ヨシュア、少し彼女を無力化したまえ」

 瞬間、白面の隣に立っていたヨシュアが消えた。

 慌てて反応したエステルは、驚いて後ろを見る。彼女と仲間三人の間に現れたヨシュアが剣を振るったのだ。

 棍が辛うじて双剣に当たるも、ヨシュアの速度にエステルがついてこれることはなかった。巧みに剣先を翻してエステルの手から棍を弾くと、すぐさま肘で鳩尾を穿って彼女を転倒させる。

「あうっ!」

「エステル!」

 ヨシュアはエステルに馬乗りになり、自身の両の脚と左腕で彼女の四肢を拘束した。手持ち無沙汰な右腕には、変わらず双剣の片割れが握られている。

 予想するまでもなく、ヨシュアの圧勝だった。エステルも当然成長してはいるが、現時点で本気を出したヨシュアに勝てるはずがないのだ。

 白面が、清々したかのように卑しく笑う。

「フフフフフ、どうやら君では人の強さを証明できないようだね」

「ワイスマン……てめぇ!」

「ヨシュア君! 目を覚ませ!」

 カイトとケビンの叫びも虚しく空気に響くのみ。

「外野は黙っていてもらおうかね? ……さて、私も学者の端くれとして実証の必要性は理解しているつもりだ。だから君の代わりに……ヨシュアに証明してもらうとしよう」

「……え……」

「なに、簡単な実験だ。このままヨシュアに君の息の根を止めてもらう。しかる後暗示を解いて元に戻してあげるというだけさ」

 それは、確かに弱かった人に強さを問う流れであるもの。だが同時に人の大きな原動力である大切な人を奪う、どこまでも非道なもの。

「果たしてヨシュアはどんな表情を浮かべるのだろう? ゾクゾクするとは思わないかね?」

 エステルの顔が、何より悲しそうに歪む。大切な人に最もさせたくない行為をさせてしまうという悲しさ。

「ふ、ふざけるんじゃないわよ! そんなことになったらヨシュアは……ヨシュアは……!」

「ははははは、今度こそ完全に心が砕け散ってしまうかもしれないね。だがまた私が新たな心を作ってやれば済むことだ。そしてもう一度、同じように人に戻るチャンスを与えるとしよう。フフフフフ……今から楽しみだよ」

 まだ、外道は壊れた機械のように笑う。誰も、何も言うことができなかった。

 だが沈黙ゆえに、白面は気づく。

「どうした? レーヴェ。ずいぶんと余裕ではないか」

 エステルと同じく弟の身を案じているはずの男が、カイトやケビンよりも平静を保って沈黙している。それが白面は気になった。

 レーヴェは言う。白面自身が言うように、鞭打った体に余裕を保ったまま。

「全開でないのは事実だが……怒りにまみれたせいで冷静さを失くしたようだな。俺が何の確証もなしに、貴様の魔眼に甘んじるとおもったか?」

「なにぃ?」

「俺に可能性を証明したヨシュアが貴様の聖痕なぞにただ呑まれるはずはない。確かに人は一人なら無力だ。だが、ヨシュアは一人ではない」

「くくくく、何かと思えば貴様まで助け合いごっこに応じるとは……なら弟の精神の崩壊という傷心を、新たなお仲間とともに慰め合いたまえ」

 一しきり狂ったように笑ってから、白面は告げた。

「それではヨシュア。止めを刺してあげたまえ」

 ヨシュアが天高く双剣を構え、目を瞑った。

 それをもはや何もできずに、大切な存在の最も近くにいる少女は笑う。

「ごめんね……絶対に死なないって言ったのに」

 いつの日かの、夕暮れの浜辺。

「ごめんね……一緒に歩くって約束したのに」

 分かたれた絆が交わった時を思い出した。

「あたしは信じてるよ。ヨシュアは絶対に負けないって。あたしが居なくなっても、現実から逃げたりしないって」

 歴史が繰り返すというのなら。きっと、自分たちはまた会える。ヨシュアはきっとまた、光の世界に戻ってこれる。

 だが、そんな少女の涙の搾りかすは、青年の務めて平静な声に邪魔された。

「何を言っている、エステル・ブライト」

 うるさいなと、エステルは思う。絶望に負けないために、精一杯の笑顔を浮かべているのに。

「俺の弟が、そんな道を選べるわけがないだろう」

「そうだね、ちょっと自信はないかな」

 青年の後に聞こえた声は、予想外なことに少女の目の前から聞こえた。

「え?」

 エステルが拍子抜けした声を上げたその時。

「行け、ヨシュア」

 レーヴェの力強い声と共に、ヨシュアがエステルの前から消えた。

 カイトが驚く。白面の眼前に現れたヨシュアは、その双剣を閃かせて白面の肩を切り裂いた。

「ぅぐっ!」

 ワイスマンは呻き、しかし反撃とばかりにヨシュアへ杖を振りかざす。ヨシュアはたまらず後退し、しかし確かな手応えをもってエステルの元へと戻ってきた。

 その変化がもたらした恩恵は仲間にも波及する。魔眼の檻は術者たるワイスマンが平静を乱したことにより消え、仲間たちは傍観者から解放されたのだ。

「へへ……金縛りが解けたか」

「ああ、やった!」

 カイトとケビンが満面の笑みを浮かべ、各々の得物を手に構えてヨシュアとエステルに近づく。

 エステルは、遅れて膝を震わせながら立ち上がった。根を持ち、涙を浮かべた瞳の先には、琥珀の瞳に輝きを取り戻した恋人がいる。

「ヨシュ、ア……?」

「ごめんエステル。ずいぶん辛い思いをさせてしまったみたいだね」

 もはや、傀儡でなくなった少年は、優しい笑みを少女に届け、そして嬉しさと少しの腹立たしさを含んだ笑みを青年に向けた。

「レーヴェは……わざと魔眼に捕まるなんて、酷いなぁ」

「そのリスクを負わない限り、お前の呪縛は消えないだろうからな」

 青年は、これ以上ない笑みを浮かべながら仲間たちの下へ歩く。

 ヨシュアが遂かえって来たのだ。そのことに喜ばないはずがない。

 唯一心を乱させるのは、初めて真っ当な表情、驚愕の顔を見せるワイスマン。

「馬鹿な……あの状態から意志を取り戻せるはずが……!」

 そのワイスマンは少年のある一点を見た。

「待て! お前……肩の聖痕はどうしたのだ……!?」

 先ほどワイスマン自身が悦に浸って語っていたヨシュアの聖痕。それが、肩からきれいさっぱり消えている。

「……もう僕の深層意識に貴方が刻んだ聖痕はない。たった今砕け散ったからね」

 驚愕に目をむくワイスマンが見つめる先、彼に操られていた少年は強い意志を持って言い切った。

 聖痕のある一点に暗示の楔を打ち込んだのだという。そしてその一点に負荷がかかった時、聖痕が崩壊するような自己暗示を僕はずっと繰り返してきたのだとも。

「大方、俺と戦うよりも前から仕掛けをしておいたんだろう。そうだな、ケビン・グラハム?」

「へへ……やっぱり気づいてたか」

 まったく危機感を感じさせなかった青年の本心が判った。同じく三味線を弾いていた緑髪の不良神父も。

「相談されたときはどないしようかと思ったわ。正直、その一点を外したら取り返しのつかないことになる可能性が高かったからな。でもヨシュア君、見事賭けに勝ったやないか!」

 ヨシュアが浮遊都市での探索前、準備をしていたのはこれだったのだ。

「はい……本当にありがとうございました」

 ワイスマンは歯を立てて教会の騎士を睨んだ。

「ケビン・グラハム……騎士団の新米と侮っていたが、小癪な真似をしてくれる……!」

「ま、これも女神の導きやろ。教会から脱けたアンタには分が悪かったかもしれんな」

 ケビンの言葉は、カイトに少々の思索を与えた。先ほどレーヴェが言ったワイスマンの出自に、そしてケビンが明かした彼の半生の一端。ケビンがこの場にいるのも、かつての同郷の罪を償うためなのかもしれない。

 ケビンはニヤリと、ここ最近で初めて満面の笑みを浮かべた。

「それに俺は手伝っただけや。助言者は他におるさかいな」

 更なる後ろ盾がいることに驚く。レーヴェは穏やかに驚いた。

「ほぅ」

 そして、カイトやエステルのみならず、ケビンもレーヴェもワイスマンの読みすら出し抜く人物など、一人しかいない。

「まさか、カシウス・ブライトの入れ知恵か!」

 エステルとカイトは思い出す。帝国軍の侵略を退けた後、アルセイユに乗り込む前にカシウスから手紙を預かったヨシュアを。

『お前の呪縛を解く鍵はケビン神父が持っているだろう。だがその鍵をどうやって使いこなすかはお前自身の問題だ。ワイスマンとやらの行動を見抜いて自由を勝ち取ってみせろ』

 それが手紙に書かれていた内容の要約だ。

 その伝言を受けて、ヨシュアはある一点に賭けてみた。ワイスマンがヨシュアという人形を再び手に入れるために、ヨシュアが最も恐れることをヨシュア自身の手で行わせる可能性に。

「そして貴方はその通りに命じ……結果的に聖痕は砕け散った。もう僕は完全に貴方から自由だ」

 ヨシュアは毅然と言い放った。もはや、今までのヨシュアとは違う。十年の時を経て、今度こそヨシュアは完全に立ち上がることができたのだ。

 ワイスマンは今までの余裕な表情と打って変わって、憎々し気に叫ぶ。だがそれすら、ヨシュアは何の動揺もせずに告げるのみ。

「愚かな……このまま私に従っていれば、遥かな高みに登れたものを。新たなる段階へと進化させてやったものを……!」

「エステルと同じく、僕もそんなものに興味はない。それに道というのは、他人から与えられるものじゃない。暗闇の中を足搔きながら自分自身で見出していくものだ!」

「はははは! それができれば世話はない! 人の歴史は、闇の歴史! 大いなる光で導いてやらねばいつまで経っても迷ったままだ!」

「違う! 人は暗闇の中でもお互いが放つ光を頼りにして共に歩んでいくこともできる! それが今ここにいる僕たちの力だ!」

 ヨシュアが双剣を掲げた。物理的な束縛を断ち切った今こそ、ワイスマンを下し、乗り越えることで真に精神的な呪縛から放たれる時だ。

「ヨシュア……!」

 感激して涙を浮かべ、エステルもまた棍を構えた。少女が言いたいことは自分も既に言い切った。ヨシュアと同じく、彼に引っ掻き回されたリベールの民として、正面から彼に引導を渡す。

「その話、乗ったよヨシュア!」

 カイトは火薬式拳銃を構えた。少年はエステルとヨシュアを中心とした絆の輪を体現するものの一人だ。ワイスマンとの直接の因縁はなくとも、ヨシュアが得た力の一つとなって、正面から外道を叩きのめすのみ。

「へへ、遅ればせながら俺も助太刀するで!」

 ケビンもまたボウガンを突き出した。どちらかと言えば外側からの協力者寄りの空気を醸し出すケビンだが、しかし仲間たちはそんなことは毛頭考えていない。純粋な《仲間》として彼を頼ろうとしている。

「……」

 そして、絶望に誘われ修羅を歩き、その茨の道の果てに大切な存在の光を認めることのできた青年も。

「先ほど昏倒させられた借り……返させてもらうぞ!」

 新たに信じる者のため。無茶を承知で、次代を切り開くために、自らを蛇へと招いた使徒へと立ち向かう。

「出来損ないの人間たちがずいぶん大きな口を叩く……」

 ワイスマンもまた、杖を掲げた。人形兵器とも質の異なる異形の兵器がワイスマンの周囲に現れる。

「ならば見せてみるがいい、闇の中でも輝くというお前たちの光とやらをな!」

 見どころがあった、しかし最早目も当てられない愚か者となった人形やそのお仲間たちを更生させるために。

「盟主の忠実なる僕。蛇の使徒が一柱──」

 人間の希望を信じる者、そして絶望を信じる者の戦い。

「白面の力、今こそ見せてやろう!」

 最後の戦いが、始まる。

 

 






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羽田空港「やべえよ……やべえよ……(歓喜に打ち震えている)」

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