心の軌跡~白き雛鳥~   作:迷えるウリボー

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27話 銀の意志、金の翼①

 

 

「これが……中枢塔(アクシスピラー)

 茶髪の少年が呆然と呟く。

 見上げても頂を視界に収めきることができない。四輪の塔が幼く見えるほど、それほどに大きな大きな塔だった。

 総勢十一人。大所帯となったアルセイユのメンバーたちは今、仲間たち全員で困難に打ち勝つべく、中枢塔の前にいた。

 アルセイユには艦長であるユリア大尉と、最低限の護衛を引き受けたミュラーと、ラッセル博士や整備員、親衛隊員などがいる。彼らは今頃、滞りなく修理を続けているはずだ。何かあった際の連絡はミュラーまたはユリア大尉が行う手筈となっている。

「皆、準備はいい?」

 一同の先頭に立つエステルが問うた。だが、ここまで来て待ったをかける人間はここにはいなかった。

 全員が一言も発する事もなく、しかし沈黙に負けることなく決意に満ちた顔つきで頷く。

 この先に待つのは因縁を持つ執行者たちと、そして事件の黒幕である教授。それほどの強敵を前にしても膝が震えないのは、この仲間たちを信頼しているから。

「それじゃあ、いきましょう!」

 中枢塔の内部も、ただただ広い。機械仕掛けの文明のようま無機質な地面と壁。通路の下に広がる高圧の導力が含まれる水路。出入口から近い広場を見渡すと、視界の左端に狭い通路が見える。全員で調べてみるも、仕掛けのようなものは何もなかった。この十一人でも判らない仕掛けがある可能性も否定できないが、一先ず目指す道は一つだと思っていいだろう。何しろ教授が示した《ゲーム》は迷路でなく対峙なのだから。

「本当に、常識はずれ過ぎて感想も何もないんだけど」

「元々、この浮遊都市の中枢を司る塔だ。僕たちにその用途が判らなくても仕方ないよ」

 少年二人がぼやいた。狭い通路といったが、それでもこの塔自体が広すぎただけの話で、実際は十一人が通っても余裕のある幅があった。側溝には変わらず高導圧の水路が通っているので、危険なことに変わりはないが。

 気になったのは、通路に存在する魔獣が軒並み倒されていることだった。それが意味することは単純明快だが。

 だがそのおかげでというべきか、待ち受ける敵に会うまでに疲れることはなさそうだった。感謝していいのか判らずに、一同は一歩一歩塔を登っていく。

 通路だけの風景が変わるのにも、それなりの時間を要した。通路から小規模な部屋へと変わり、二手に分かれる。一方は通路だが、何某かの導力機構により封印されているようで通れない。そして他方は、外からの風と光が舞い込んでいた。

 戦いを重ねた者たちだからこそ、何も言わずに己の装備を確認し始めた。全員が判っているのだ。もう、本当に後戻りはできないのだと。

 エステルと、ヨシュアが口を開いた。

「……行きましょう」

「……行こう」

 部屋から、外へつながる扉をくぐる。その先は、歪な円形を模した踊り場となっていた。直径五十アージュか、大規模な戦闘を行ったとしても支障がないほどの広さを持った踊り場だ。

 ──そして、そこには四人の人の影があった。

「やあ諸君。久しぶり……と言っても、それほど間も空いてないな。一先ず、歓迎させてもらうとしよう」

「ハッ、ずいぶんと大所帯で来たもんだぜ。こうも多いと騒がしくて仕方ねえ」

「でも、今回の件に関係している人ばかり、といったところかしら」

「うふふ、こんなに殺されに来てくれるのは、レンとしては嬉しいわ」

 《怪盗紳士》ブルブラン。《痩せ狼》ヴァルター。《幻惑の鈴》ルシオラ。《殲滅天使》レン。

 王都襲撃でも見せた、畏怖を呼び覚ます圧倒的な布陣。踊り場のそれぞれの場所で、四人は己の得物を携えている。ルシオラは踊り場の中心に立っていた。ブルブランは踊り場の、奥まだ用途も判らない台座の近くに佇んでいた。ヴァルターは踊り場と外界を分ける柵としての柱にもたれかかっている。レンはその柱の上で、可愛いらし気に腰を下ろしている。

「これは、なんとまあ」

「ずいぶんな歓迎だね」

 ブライト姉弟が嫌味を吐く。エステルは実験に立ち向かった者としての、ヨシュアは元同僚としての台詞だ。

 教授の言ったゲーム、それは執行者たちとの対峙に他ならない。遅かれ早かれそれぞれの因縁を持つ者とまみえることになるとは思っていたが、最初から四人、というのは驚くばかりだ。

 だがそれでも、遊撃士たち希望の翼は怖気づいてはいなかった。緊張はしていても、どれだけの困難が伴おうとも、行脚を止めることはない。そんな一同の決意を組んで、エステルが挑戦的な言葉を放つ。

「この面子……ここでいきなり雌雄を決しようとか言うの? なら、レーヴェがいないみたいだけど」

 確かにエステルの言うとおり、この場にいる執行者が全員というわけではなかった。《剣帝》レーヴェ、クーデター事件の時から仲間たちのほぼ全員に並々ならない感情を植え付けた彼がいない。それに全員ではないが、カイトやアガットなどが遭遇した《道化師》カンパネルラがいなかった。

 もっとも教授が指名した執行者が五人となっていた以上、ここにいない最後の一人はレーヴェだろうとカイトも考えているが。

 エステルの問を受けたブルブランは、しかし大方の予想を否定した。

「いや、最初はそのつもりだったがね。この広さだ、全員での戦争というのも楽しめると思ったが……」

 どうやら、元からこちらが大人数で来るということは予想していたのだろう。そのための舞台を用意するというのも、リベールの混迷を呼び起こした教授らしい性格ともいえる。

 だが、ブルブランは違うという。それは、執行者にも彼らの事情があるからに他ならない。

「多数対多数。そうはいかないと、言う者がいるものだからね」

 執行者四人の中でただ一人。にこやかだが油断ならない他三人の声ではない。明確な敵意を持った男が、殺意に痩せ飢えた狼が、柱を背中で押して前に立つ。

「待ちくたびれたぜぇ、ジン」

「ああ……随分と回り道をしてきたもんだからな」

 ジンが前に出た。武闘家もまた普段の年長者としての温厚さを掻き消した、純然な勝利を求める戦人としての立ち振る舞いとなっている。

 ヴァルターは続けた。

「少し上った先に、ここと同じ場所がある。教授の指名なんか知ったことかよ、二人だけで納得いくまで殺り合うとしようぜぇ」

 ジンとヴァルターは、同じ泰斗流れの同門だった。ヴァルターは、二人の師を殺していた。ジンは、その真意を確かめるために、ヴァルターとの対峙を心待ちにしていた。

 そして今、その瞬間はすぐそこに迫っている。

「いいぜ。……みんな、すまないがこれだけは譲れない」

 ジンは仲間たちに振り向いた。エステルとヨシュアが、他の仲間たちが頷く。

 ヴァルターがこちらへと近づいていた。仲間たちの後ろ、上層に続く道に向かうためだ。ジンも同様に後ろを振り返り、同様に上層の通路へ向かう。

 そんな中、カイトは言った。

「ジンさん」

 ジンは後ろを振り向かずに応えた。

「どうした?」

 すでにヴァルターは仲間たちを追い越し、そしてジンを追い越して進んでいた。

「……幸運を」

「任せておけ」

 お互いに一言。ともに帝国を旅した間柄の二人は、その言葉だけで十分だった。

 二人の武術家は、最初に上層へと消えた。仲間たちは向きを直し、残る三人へ目を向ける。

「……とまあ、ヴァルターが《不動》との決着を望んだものだからね。王都襲撃の時と同じ、必ず四人で倒せというものでもないから、こうして彼の我が儘を許したというわけだ」

 ブルブランは、自分の手元にあった台座に手をかけた。空属性の金の光が迸り、二人の武術家が消えた塔内部から重い音が響いてくる。

「踊り場には台座がある。これを起動させれば扉は開く。上の階に行く気概があるのなら、上層でも同じことをしたまえ」

 そう言って、一度ブルブランはこちらを見た。

「さて、これで準備は整った。この台座に触れることを邪魔するなどと、そんな野暮なことはしないさ。十分に、己の意志というものを語り合うことで雌雄を決しようじゃないか」

 ブルブランの解説に続き、ルシオラが言う。シェラザードを見据えながら。

「私は……もちろん、貴女と話したいこともある。でも何人が相手でも構わない」

「姉さん……」

「意志と意志の戦いというのは、人数で決まるものではないから」

 執行者たちは、残り三人。対するこちらは十人だが、誰を相手取るとしても苦戦を強いられるのは明らかだ。

 そんな中、カイトは言い切る。

 その言葉には仲間たちのみならず執行者たちも、驚きを隠せなかった。

「なら、変態紳士。お前はオレ一人で相手をしてやるよ」

 

 

 

 

────

 

 

 

 

 技術少女を除いてはもっとも最年少にあたり、遊撃士の経験としても最も浅い少年の言葉。仲間たちはまだ、驚きに駆られて動けない。

「……フフ」

 一番早く反応を返したのは、当のブルブランだった。何も言わず、そして否定せず、嘲笑を浮かべて成り行きを見守っていた。

「ちょ、カイト、何を」

 エステルがようやく反応する。しかしまた、カイトは言う。

「変態野郎を相手にするのは、オレ一人でいい。皆はレンと、そしてルシオラの相手をして」

 それが何を意味するのか判らない仲間たちではない。確かにブルブランとカイトは、間接的な因縁を持つ相手同士だ。しかしジンのように直接対峙するほどの強い渇望ではない。

 何より仲間たちには、この少年の提案に自己犠牲としての側面を強く見た。

 確かにジンと同様、カイトが一人で一人の執行者を相手取るなら、残る二人への対処はかなり余裕を持てる。それは絶対に上層へたどり着かなければならない仲間たちにとってこれ以上ない案だったが、容認できるわけがなかった。

「だめだ、カイト。そんな無茶をさせるわけにはいかない」

 ヨシュアの説得。だがそれすら、今のカイトは聞き分けを持たない。それどころか、不敵な笑みを浮かべ続けている。

「大丈夫だよ、ヨシュア。オレだって、ヨシュアがいない間に成長したんだ。……それに」

 双銃を構えた。仲間たちの前に立って、右手の銃口を怪盗紳士の頭蓋に構える。

「変態一人ぐらい抑えられないようじゃ、支える籠手の紋章が泣くからね」

「ほう? 言うじゃないか、少年」

 今度こそ、ブルブランは笑い声を隠せなかった。何度も煮え湯を飲ませてきた未熟な少年が今、自身を一人で足止めしようとしていることに。それだけでなく、強がりでもなんでもなく本当に大丈夫かのような自然な声色であることにも。

「君の成長ぶりは中々目に泊まり、姫を守る騎士と呼ぶのも許せる程度ではあるが──」

 ブルブランはもまた、自身のステッキを構え、その先を少年の頭蓋へ向けた。

「この怪盗紳士を前に、どう戦うのかね?」

 両者が今、互いに互いを敵として見ている。

 ここに至って、カイトはブルブランに対して怒りや悔しさを向けず、ただただ冷静に言葉を重ねている。もはや、王立学園の地下で邂逅したときの様子とは大違いだった。

「お前は所詮ただの怪盗だ。人の大切な何かを盗む、それだけ。だから取り返すことも、警戒して奪われないことだってできる」

 少年が自分たちの命題を成し遂げるための提案は、まだまだ強気な発言として続いている。

「オレたちが取り返すのは、リベールの希望。結社によって顕現されたこの浮遊都市を探索して、導力停止現象を終わらせる……たったそれだけでいいってことだ」

 現状、すでにブルブランはこの階層の扉を開けたのだから、ここで無理にブルブランに力を割かなくてもいい。それは理屈としては間違いなく、代わりにもっと上層での戦いに戦力を充てるべきだ、というのは筋が通っている。

 だから、仲間たちは否定できなかった。未熟であっても一歩一歩成長していった少年の決意を汲むには、仲間たちは同意するほかなかったのだ。オルテガと戦うと言い出した時のエステルとアガット、赤獅子に立ち向かうと言った時のジンのように。

 だから、少年の提案を否定できたのは一人だけだった。否定しつつもその提案に自分の我を混ぜる、そんなことができるのはこの世界で、少年の姉貴分を務めるただ一人だけだった。

「なら私もここに残り、彼を討ちます」

 クローゼは凛とした佇まいで、カイトとともに先頭へ並び立つ。細剣を構える右腕は固いが、それでも緊張に震えているわけではない。

「姉さん、でも」

「姫として騎士に守られるだけじゃない……家族として貴方と共にいくことも、大切な私の役目だから」

 義姉弟は、一度道を分かたれた。白い影の調査の終わり、クローゼが自分の想いを打ち明けたことで。でもその時迷い、惑い続けたカイトの心は今、嘘偽りなく世界と少女のために戦うと前を向いている。

 その少年の心の輝きを見て、少女もまた前を向けるようになった。王太女として王国の民を導く。それ以外にも、姉として、家族として少年を守るのだと嘘偽りのない想いを掲げている。

「……判ったよ、姉さん」

 以前ならば、少年はそんな少女の想いに、家族を超えた男として見られないことに悔しさを感じていたかもしれない。だが今は違う。その想いを、自分の想いを否定せずに受け止めることができる。

 だからカイトは、クローゼと共に戦うことを了承した。また変態紳士の毒牙が姉に降りかかるかもしれない、それでも自分が守ってやればいいのだと、一片の曇りもなく想えた。

 太陽と月の義姉弟ではない、それでもこの義姉弟は二対の翼のように、どんな境地にだってたどり着ける可能性を秘めていた。

 そしてそんな義姉弟の空気を読まずに乱入できたのは、少年と心からぶつかって、強い絆を得た一人だけだった。

「なら僕も……参戦させてもらうとしよう。怪盗紳士君と決着をつけるのも、そしてカイト君と共に戦うのも、互いの心をぶつけ合った僕だからこそできる役目だ」

 今度はオリビエが、不敵な笑みを浮かべながら前へ。

 口角をわずかに引き上げながらも、カイトはあえてオリビエを非難した。

「オリビエさん……結局均等な配分になっちゃうじゃないですか」

 だがオリビエは、少年の言い分など聞かぬと言わんばかりに、後ろの仲間たちへ問いかける。

「いいじゃないか、それで。アルセイユに戻るのは、誰一人かけることなく全員で。自己犠牲なんて考えてはいけない、そうだろう皆?」

 仲間たちは、一切の否定をせずオリビエを肯定した。

 ジンとヴァルターのように、ここは因縁を持つ者たちが対峙する舞台でもある。

 ブルブラン、カイト、クローゼ、オリビエ。ヨシュアとエステルを除けば、最も因縁のある組み合わせは当然とも言えた。

 そして、単に敵との関係だけでもない。この三人という組み合わせすら、仲間たちは納得せずにはいられない。嫌った侵略国の青年と被害者、恋破れた弟とそれに気づけなかった姉、帝国と王国の指導者たる若者。どれをとっても、途方もなく奇跡のように思える三つの絆。

 事の成り行きを見守っていたレンが、ここへきて柱から飛び降りた。

「フフ、いい感じでまとまったじゃない」

 そして突如として空間から大鎌を顕現させる。煩雑に柄を掴むと、急いでいるかのようにそれを振りかぶる。

「今度は私から指名させてもらうわ。エステル、ヨシュア。もちろん一緒に来てくれるわよね?」

 レンとエステル、ヨシュア。結社時代の縁に、エステルの太陽の決意。ジンと同じく絶好の機会だった。

「もちろん、乗らせてもらうわ」

「僕も同じく。行こうか、レン」

 ブライト姉弟に断る理由はなく、仲間たちもまた止めろと声をかける者もいない。唯一いたのは、共にという意味で待ったをかけた最年少の少女。

「……待って、レンちゃん!!」

 迷いなく仲間たちの横を通り過ぎようとしていた殲滅天使に、ティータ・ラッセルは投げかけた。

「私も……行く!!」

 それはクローゼと同じく、戦いへ参加するという決意の表明。ティータがエステルとは違う角度でレンとの関係性に悩んでいたことは、この場の誰もが知っている。

 レンは笑っていた。

「ウフフ、もちろんいいわよ、ティータ。一緒に楽しみましょう?」

 だがそれは、一つ間違えれば地獄への片道切符に他ならない。殲滅天使の力量はジョゼットを除けば誰もが知っている。暗殺力、純粋な戦力、知能、工作力。どれをとってもレンは天才的だ。

 だから、彼女のことを大切に思っているアガットは当然の言葉を投げかけた。

「おい、ティータ。無茶を言うんじゃねぇっ」

 そんな中、エステルは膝をかがめてティータと同じ目線になる。ヨシュアはレンに待つように促した。レンは少し頬を膨らませるも、律義に待ってくれていた。

「ティータ、私の目を見て答えて。本当に、レンと戦う覚悟はある?」

 エステルはアガットと違う考えを持っていた。どの執行者と相対しても危険極まりないこの状況では、むしろ行きたいようにさせてやることが、何より少女の決意と力を発揮する火種になる。

 ティータは、エステルの目を見る。

「……危険で危険で仕方ないかもしれない。それでも、私はレンちゃんと話しがしたい!」

 王都の街を共に回った、同世代の女の子。その正体が執行者だという衝撃。それでも、心を交わした以上、このまま別れるなんてことはできなかった。

 現状戦力として頼りないことは疑いようもない。その非力さを自覚したうえでの願いだった。

「お姉ちゃんたちの迷惑にならないようにする。危なくなったらちゃんと逃げるから、だから……!」

「──わかった」

 すべてを言い切らせずに、エステルはティータの肩をたたく。

「アガット、ティータのことは必ず守るから」

「……だがな」

 アガットも混迷のリベールを仲間たちとともにかけてきたのだ。ティータの気持ちはよく理解できている。それでも保護者としての性か、中々許せない。

 堅物の不良青年に提案をしたのは、同じく《不良》の言葉をエステルに想起されたことのある神父だ。

「ならアガットさん。三人のサポートは俺に任せたってください」

 ケビン・グラハム。《輝く環》、その正体を調査するためにやってきた教会の暗部が、ボウガンを取り出して頼りがいのある笑みを浮かべている。

「このままアガットさんがティータちゃんにつくとバランスが悪そうやし、数合わせは引き受けますよ」

「……頼んだ。俺はシェラザードを支援する」

 おそらく誰よりも少女を大切に思う青年は、苦虫を嚙み潰してそれでも的確な選択をした。

 そして四人の執行者たちにあまり縁がなくとも、それでも結社への借りを返すと決めた少女も。

「ならボクも、そっちの女の相手をしたほうがいいかな。サポートは任せてよ」

 ルシオラに対して、シェラザード、アガット、ジョゼット。

 レンに対して、エステルに、ヨシュア、ティータ、ケビン。

 そしてブルブランに対して、カイト、クローゼ、オリビエ。

 少し不均衡な戦力分布だが、自ら立ち向かうという意志の強さを考えればこれ以上ない程おあつらえ向きなものとなる。

 レンと、ルシオラが言った。

「それじゃあ、早く行きましょう。パテル=マテルが待っている場所は、中枢塔でも本当に上の方なんだもの」

「私たちもそれなりに上になるわ、シェラザード。時間はかかるけど、そこでゆっくりと話しましょう」

 二人の執行者は、待ちきれないというように塔内の通路へ消えていく。

 ここに残る仲間はカイト、クローゼ、オリビエの三人のみ。他の仲間たちは執行者たちと同じく塔の上へ歩いていかなければならない。

 次に会うのは、互いに因縁のある者たちを退けた後。たったそれだけのことが、とてつもなく困難な道のりだ。だから、仲間たちはただ一言だけを交わして遠ざかっていく。

「三人とも、また後で!」

 エステルははきはきと再会を約束する。

「ブルブランは強い。でも、今の君ならきっと……」

 ヨシュアはカイトに向け、同じ少年としてのエールを伝える。

 他の五人もそれぞれだった。ケビンはあくまでにこやかに、シェラザードとアガットは集中を保ったまま、ティータは緊張しながら、ジョゼットはぶっきらぼうに、言葉を告げて消えていく。

 カイトとクローゼとオリビエもまた、仲間との再会を願って彼らを見送った。

 そして、初層の踊り場に残ったのは四人のみ。

「フフフ……ようやく舞台も整ったか」

 台座の近くにいただけのブルブランは、今踊り場の中心に立っている。

「少年の幼気な覚悟を打ち砕く。それも余興としては嫌いではなかったが」

 怪盗紳士は笑っていた。それは考えるまでもなく、カイト以外の二人がいるからだった。

「我が好敵手に、そして麗しの姫が自ら私との演舞に参じてくれるとは、陶酔の至りだ……!」

 ブルブランは、麗しの姫であるクローゼに酔いしれていた。少女との接触の過程で、思わぬ出鼻をくじかれた演奏家にもまた、ある種の高揚を感じているように見えた。

 そんなブルブランにとって、カイトがいることによって生じたこの場は歓喜に震える以外の行動をとれない。教授が用意したこの舞台で、希望を胸に掲げてきた少女を、その希望ごと最高のメインディッシュとしていただく。

 それがブルブランが想像していた数分後の悦楽だった。

「……諸君らの希望を、諸君らを屠ることで盗む。さあ、覚悟はできているかな」

 どんなに発言が腐っていようとも、リベールを苦しめた執行者であることには変わらない。だからもし他の仲間たちが怪盗紳士と相対していたなら、最大限の警戒と覚悟を言葉に載せて立ち向かっていただろう。

 だが、茶髪の少年の隣に立つ少女は違った。

「今更、貴方のことなどに興味はありません」

 怪盗紳士にとって桃源郷ともいえる想像は、固くとも務めて冷静な声色によって防がれた。

「何……?」

「確かに、貴方にとっては私やオリヴァルト殿下との接触が大事でしょう。私たちもまた貴方の言うように、リベールの希望を掲げてここに来た」

 自分はリベール王国の次期女王、クローディア・フォン・アウスレーゼ。それは変わらないし、決意と恐怖も変わらない。

「しかし、今の私は王太女としてここにいるわけではない。大切な家族の隣に立つためにここにいるのです……。先ほど、この場で宣言したように」

 今ここにいるのは王太女という指揮官としてこの場にいるのではないのだ。ましてや、エステルと肩を並べる仲間としているわけでもなかった。大切な弟を支えるために、自己犠牲という選択をさせないためにここに残ることを選択したのだ。もし他の仲間がここに残るといっていたら、こんな心持ちでこの場に立っていることはなかった。仮にこの場に立っていたとしても、ブルブランが望むリベールの希望としてこの場に立っていただろう。

 今の自分は違う。クローゼ・リンツ、カイト・レグメントの姉としてこの場にいる。かつてダルモア市長邸で無茶をしたカイトを諫めるような、そんな心持ちで。

「なら貴方は私にとって、家族の邪魔をする障害でしかありません。ただ障害を打ち砕く。それだけです」

 迷いのない言葉。もはや興味すら感じない、それが明確に伝わってくる冷たい宣言は、ただ怪盗紳士の鼓膜を震わせる。

「……フフ、フフ」

 うつむき、虚空を見据える怪盗に、今度はオリビエが投げかける。

「僕としては、君との勝負は魅力的さ。この場で雌雄を決めたいとも思う」

 オリビエは、銃を構え言った。

「けど、大切な友人を死なせないために来ているからね。問答は、それを終えてからにしようじゃないか」

 オリビエもまた、好敵手との決着よりも友との共闘を選択した。それは、ただでさえ期待を裏切られた怪盗の感情に拍車をかける。

「そういうことだ、怪盗紳士」

 カイトが、とどめとばかりにたたみかけた。

「翡翠の塔で言っていたな。オレを騎士としては認めないだとか、姉さんのことを次は奪うだとか」

 カイトに手をかけるのは、本当の美を感じるその時だとも、あの時怪盗紳士は言った。

 怪盗紳士は確かに強い。常人の何倍も強い。だが今のカイトにとってただ戦闘で強い、それだけなのは心を震わせはしなかった。

「さっきも言った。お前は何かを盗む《だけ》しかできない。そんな人間にオレは、オレたちは負けない」

 今まで帝国を嫌っていた自分が、どれほど小さい人間だったか。そしてブルブランの陶酔の源が、自分と同じようにどれほど小さい人間だったか。それを、この忘れられない旅で理解することができた。

 今こそ、散々馬鹿にされてきた怪盗紳士に、引導を渡す時。

「オレたちは勝つ。勝ってみせる。御託はいい、とっとと決着をつけるぞ」

 三人が、それぞれ得物を構えた。

 エステルのようにレンを正そうともしない。シェラザードとジンのようにかつての同胞を問いただすわけでもない。ただ純粋に障害を跳ね除ける。そう宣言した。

「………………」

 怪盗紳士は、ただただ沈黙していた。心震わす相手たちからの、何よりの侮蔑の言葉。怪盗としても執行者としても、これほどの扱いを受けることは今までなかったのだろう。

 だからこそ、沈黙の後の声色は何よりも狂っていた。

 長く、むせ込む程の笑い声。

「ハァー、ハッハ!! 中々楽しませてくれるじゃないか!!」

 そして、カイトただ一人を見据えて叫びきる。美しいとも好敵手だとも思わず、ただ邪魔なだけだった少年を、ステッキの穂先で荒々しく捉えて。

「ならば、今ここで! 君を騎士と認めようではないか!!」

 怪盗紳士が、薄桃色の花弁とともに、強者としての圧倒的な殺気を滲ませた。

「そしてその上で、改めて奪うとしよう! 諸君らが無意味だと断じた、哀れな怪盗の手によって!」

 瞬間、三人の眼前にいたブルブランが消えた。

 困惑する二人、即座に叫ぶ一人。

「右だ!」

 オリビエの指示によって、意識が右へ。カイトの視界の端に、クローゼのものではない薄青の髪が広がる。

 突進してきたブルブランのステッキを、反射的にクローゼの細剣が弾く。それでも勢いを抑えきれず、カイトは双銃の弾丸を散らしてから避けた。

 ブルブランを中心に、攻撃を避けた三人が放射状に広がる。

 ステッキを振りかぶったままの体制で沈黙。三人が警戒する中、虚空を見つめながら再びの狂声。

「国家としての希望すら上回る、その美しき絆を奪う!」

 そして、両腕を天に向けて仰ぎ、体を震える。

「それをヨシュアたちへの餞として! 別れの時さえ奪われる虚ろ……それを与えるのもまた一興!!」

 天に見放された人間が許しを請うように、声高らかに叫んだ。

「さあ、それでは始めるとしよう! 甘美なる意志の防衛線を!」

 開戦の宣言。ここから始まる、執行者との決着。

 クローゼが叫んだ。

「行きます、オリビエさん!」

 オリビエが叫んだ。

「行くよ、カイト君!」

 そして、カイトも続く。

 ずっと追い続けてきた仲間の背中。今ようやく、他者に言われるのではく自分から、対等の力と信念を持つと言えるようになった。

 次の段階に踏み入る、恐れと喜び。それを力として、目の前の強敵に引導を渡してみせる。

「行くぞ──《怪盗紳士》ブルブラン!!」

 先に待つ仲間たちのもとへ、姉と友と共に至るために。 


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