心の軌跡~白き雛鳥~   作:迷えるウリボー

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24話 混迷の大地①

 温泉での小休止から数日後、カイトたち遊撃士は再びルーアン地方を訪れていた。

 ポンプ装置の依頼の後もZCFでの依頼はいくつか行っていたため、ツァイスにはそれなりの時間滞在していた。加えてこの数日間で王国の関所・協会支部・国境の砦などの要所全ての通信が復旧したことで、カイトたちもまたグランセル地方やロレント地方、またカルバード共和国との境に位置するヴォルフ砦に駆り出されたりと、一層遊撃部隊としての役割を買われるようになった。

 そんななかカイトたちがルーアン地方に久しぶりに訪れた理由はいくつかある。導力停止現象以降まともに支部に顔を出していなかったこと、カイトの家である孤児院に顔を出していなかったりというのがそれなのだが、一番今行かなければなないという動機は今朝がたカイトたちに伝えられた一報だった。

「状況を確認しよう。ジェニス王立学園。そこを人形兵器用いた結社の手先が『占拠』している。それで間違いないな?」

 メーヴェ海道を走りながら先頭を行くジン。仲間たちは黙って聞くのみだ。『不動』の二つ名を持つ遊撃士が話しかけているのは、普段から共に戦う仲間ではなかった。

 ともに駆ける正遊撃士アネラスは、ジェニス王立学園へとカイトたちを導きながら、情報を伝える。

「はい。今日の時点で占拠されてからおよそ一日……状況は、未だ膠着状態です」

 情報を遊撃士協会に伝えたのは、学園生徒であるミックという少年だった。制服もボロボロになった彼は街道ではなく森林を駆け抜けたといい、協会支部にいたジャンとクルツに助けを求めたのだ。

 クルツはすぐに行動を開始し、アネラス・カルナ・グラッツのお馴染みのパーティーを組んで王立学園へと向かった。状況を見ても間違いないが、クルツの潜入によって犯人たちの正体が結社の紅蓮の兵士たちであることが確定する。そして、今この場にいる四人だけではどうしようもできないことも。

 一方のジャンは現状を王国軍に伝え、しかし『早急に向かうよう手配はするが時間がかかる』との返事を受けた。導力停止現象という危機の中では遊撃士にも王国軍にも対処できる自体の規模に限界がある。そう考えたジャンが頼ったのが、最も多く結社と相対しているエステルたちだった。

 そしてことの緊迫性を理解した一同はルーアンまで跳んでいき、案内役として支部で待機していたアネラスと合流、今は現場に急行しているという状況である。

「学園には、ルーアン地方出身でない生徒たちの多くが残っていたんだって。潜入したクルツさんが接触できた生徒会長さんからの情報だよ」

 ジェニス王立学園は国内各地の秀才や良家の子女、国外からの留学生なども在籍する寮生の名門校だ。導力停止現象下では自習程度の勉学しかできなかったらしく、家に戻るという選択もルーアン地方出身の者しか現実的ではない。そんな理由で多くの生徒が残り、教員・生徒会を中心として自治していた学園だが、それが今となっては人質という仇となってしまっている。

「にしても、結社の奴らは何だって学園を占拠しやがったんだ? 随分とまた急な話じゃねえか」

 重剣を携えながらも他の者と変わらない速度で移動を続けるアガット。彼の疑問は仲間たちにとっても共通のものだった。

 導力停止現象が発生してから、もうすぐ二週間が経とうとしている。そんな中での王立学園占拠事件は心労を誘うにうってつけの出来事だが、腑に落ちない感情もある。

 未だ謎に包まれた部分もあるが、結社の今までの行動は全て『|輝く環≪オーリ・オール≫』が関係していた。王都地下の封印区画までリシャールを辿り着かせ、五大都市各地で実験を行い、果ては四輪の塔の異変を引き起こし遂に巨大な浮遊都市を顕現させたのだ。だがそれと比べ、今回の事件は学園の占拠それのみ。事件による被害は計り知れないものがあるが、それでもどこか質の違うものを感じた。

「それなんだけど……どうやら紅蓮の兵士の主犯格は、学園長さんと知り合いの人だったみたいなの」

 クルツが潜入した中で幸いに聞くことができた、加害者側と被害者側それぞれのトップの会話。青髪の紅蓮の兵士を諭そうとするコリンズ学園長の声は、旧知の者に対するそれだったのだという。

 執行者などは仲間たちと因縁深い者が多かったが、紅蓮の兵士の中にもそう言ったものがいるらしい。牧歌的なリベールといえども国であることには変わらず、落ちぶれる人間や国家の矛盾に苛まれる者もいるだろう。だがそれでも、悲しみを禁じ得ない。そして、同胞の罪は同胞が清算しなければならない。

 一方、ブライト姉弟は決意とは無縁の会話をしていたが。

「うーん、ねぇヨシュア」

「どうしたの、エステル」

「学園長先生と話す知り合い、何か嫌な予感がするんだけど」

「奇遇だね、僕もだよ」

 ともあれ、自分たちがやるべきことは変わらない。人質の救出と学園の解放だ。幸い執行者の姿はなかったらしく、制圧対象は紅蓮の兵士と人形兵器、そして軍用魔獣。こちらの手勢は遊撃士たちとティータの総勢十一人。

 クルツたちが協力者を頼ったのはその場の四人だけでは作戦遂行に限界があるからだった。

 必要なのは、学園正面、校門を守る人形兵器を相手取り敵戦力をおびき出す陽動班。そして、手薄となった学園内へ潜入し直接敵を制圧していく突入班。

「突入する班は、私、エステルちゃん、ヨシュア君、クルツさん。他の皆さんは、陽動班として動いてほしいんです」

 メーヴェ海道からヴィスタ林道へと入ると、それほど時間をかけずにクルツたちと合流できた。厳しい顔で警戒していたカルナとグラッツも、一先ずは表情に綻びを見せる。

 突入班における人選は既に敷地内の状況を知り、方術を用いた援護もできるクルツ。ブライト姉弟は一週間ほどの寮生活にて内部を熟知している。そしてアネラスは、ライバルであるエステルと共に戦うことを希望した結果だ。

「そして陽動班に必要な戦力は、アタシら銃使いさ。ティータ、だったか。注文したガトリング銃は持ってきたかい?」

「は、はい!」

 カルナはカイトと、そしてティータに言った。ガトリング銃、アサルトライフル、大型拳銃。いずれも火薬式の銃火器たちは、導力停止現象の今は陽動として申し分ない威力を発揮する。学園内の構造をよく知るカイトが陽動班にいるのはそう言った戦力分布によるものだった。

「あのあのジンさん、ガトリング銃を運んでもらって……ありがとうございます!」

「いいってことよ。ラッセル博士の秘蔵品、だったか? 衝撃で壊れてなきゃいいが」

「どの道開戦の合図は、銃器の調整を終えてからになりそうだね」

 残るシェラザード、アガット、ジン、グラッツは紅蓮の兵士や軍用魔獣と戦う。厳しい戦いとなるが、平和のために戦うという決意は固かった。

 そこにいる十一人が全員を見やる。

 エステルが、声は小さくとも強い意志を覗かせて言った。

「みんな、女神の加護を。頑張りましょうっ」

 

 

――――

 

 

「ティータ、準備はできたか?」

「はい、カイトさん」

 林道沿いの大きな木々に身を隠しながら、カイトとティータはそれぞれの得物を携えていた。カイトの軍用拳銃に対して、ティータが持つそれは少女の身の丈に迫る大きさの超高火力ガトリング銃。持つべき得物が違うんじゃないかと一般人に非難されそうだが、そもそもティータのそれは固定砲台としての役割に近い。

 整備された道の反対側、同じく木の陰に隠れて少年少女の様子をうかがっているのはアサルトライフルを持つカルナだ。三人がこれから迎え撃つのは、林道の五十アージュ先、学園校門前を守る人形兵器。

「そんじゃー行くか。無理そうだったらすぐに逃げるんだぞ?」

「はい。無理はしないで、でもきっとやるべきことをやりますっ」

 カイトがカルナに向け、握り拳に親指を突き上げた。不敵に笑って見せた女遊撃士は、さすがの身のこなしで林道に躍り出る。人形兵器が彼女の存在を認知するよりも早く、アサルトライフルが火を噴いた。

 すぐさま、カイトとティータが共にガトリング銃を持って飛び出る。ティータは急いでガトリング銃を地に固定し、カイトは設置を任せカルナと共に攻撃を開始した。

 軍用拳銃の場合、五十アージュの距離は少し開きすぎている。人形兵器は不可解な音を放ちながら近づいてきてくれるが、それでもまだ遠かった。

 その音は信号だったらしく、こちらにとっては幸運なことに続々敵が集結してきた。人形兵器の前に現れたのは両手の大剣を持つ紅蓮の兵士。銃使い二人は構わず弾丸を消費し続ける。

 一方、紅蓮の兵士たちにとっては少しばかり想定外の戦局だった。学園を占拠してからまだ一日。王国軍か遊撃士協会がやって来ること自体は想定しているが、それでも銃器の類で応戦されるとは考えてもみなかったのだ。

 戸惑いながらも応戦しようとして、それは突如林の中から生まれた衝撃波に遮られることになる。

「はっ。あの銀髪野郎がいないなんて、簡単にもほどがあるじゃねぇか!」

「同感だな。ヴァルターを呼んで来い、話はそれからだ」

 罪もない子供たち……王立学園占拠と言う事態に腸を煮えくり返された重剣と不動は、いつになく苛烈で挑発的だ。多少の苦労があっても比較的あっさりとジンが兵士たちを殴り込み、アガットはカルナたちの銃弾に当たらないよう動いて最も前にいる人形兵器に重剣を叩き込む。遅れて現れたグラッツとシェラザードも、敵を己の土俵に引きずり込んで有利に戦闘を進めていく。

「みなさん、避けてください!」

 カルナが最初に銃弾を撃ってから二分程。正面の兵士たちを気絶させたところで、ティータが大声を上げた。この場唯一の少女の目いっぱいの声は、ようやく一撃必殺の準備が整ったことを意味する。

 仲間たちは辛うじて銃の戦域から外れ、後ろに控える兵士たちは一目散に回避行動をとる。

 それでいい。敵といえども無用に殺したくはないし、この場で必要なのは盤石の防衛陣を崩す陽動だ。

(ドライ)! ――(ツヴァイ)! ――(アイン)!」

 少女の無慈悲なカウント。軍用魔獣と人形兵器は、変わらず来るであろう攻撃に対して構えるのみ。

「――(ヌル)!」

 ガトリング銃が炸裂する。カイトにとって、それはかつて聞いた雷の音に迫る轟音で、それを制御する少女の耳はさらに至近距離から鼓膜を震わされていた。殲滅級兵器は余すことなく弾丸を飛ばし、軍用魔獣の体を引き裂き、人形兵器の鋼鉄の体に大量の凹みを作っていく。

 拠点防衛のための人形兵器は、例え銃撃を受けたとしても機能停止には陥らない。精々が威力に負け機能不良を起こす、程度のものだ。鋼鉄の体に凹みを入れたところで、内部が損傷しなければ意味がない。

 だが偶然にも少女が信頼する赤毛の重剣がつけた裂傷にぶち当たり、先頭にいた人形兵器が爆音を轟かせた。

 爆音と銃撃が収まると、辺りは一変静寂に包まれる。

 人形兵器は、未だ三体もいる。そして校門からも敵は増え続けている。突入班に有利になるので幸いといえば幸いだが、少々厳しいのも事実だった。これが陽動班の役目か、と、カイトは今まで自分の代わりに陽動を務めてくれた先輩たちに感謝の念を送る。

 まだ、カイトとカルナの残弾数には余裕がある。けれどさらに燃費の悪いガトリング銃の残弾数は、既にかなりの割合で消費されていた。あくまで敵の気を引くのが陽動班である以上自分たちの役割は果たしたといえなくもないが、自分たちが兵士たちに負けていいわけがない。

 そこでカイトは、自らの体に翡翠の波を纏わせる。

 今回の作戦を行うにあたり、零力場発生器はティータからカイトに一時的に譲られていた。ガトリング銃のみを運用するティータより、カイトが魔法による援護を行うのが良いという判断だった。

「――みんな、風を起こすよ!」

 エアリアルが発動する。竜巻は軍用魔獣の体を切り裂き、容易く戦場をかき乱す。そこを、銃弾の嵐が切れたタイミングを見計らいジンたちが再び突入する。

 敵はますます数を増やしている。エステルたち突入班が作戦成功の合図を上げるまで、ここを死守しなければならない。そのために、今はティータのガトリング銃の再装填まで彼女を守らなければならない。

 再装填にはそれなりの時間がかかる。だがカイトは仲間たちと連携し、戦場を上手く駆け抜けた。

 ティータのガトリング銃が三度目の火を噴いた頃、学園の方にも動きが出てくる。エステルたちが学園施設を解放したらしく、紅蓮の兵士の慌てふためく様子がにわかに伝わってくる。傍目に見ても、撤退の準備をしているのが判った。

 どこかに飛行艇でも用意しているのか、兵士たちは林の中へ駆けていく。その間もこちらへの威嚇射撃は忘れない。敵ながら組織だった行動は中々目を見張るものがあった。撤退の最中でも油断はできず、カイトは翡翠の波を纏いつつ警戒する。

 その時。二十アージュ先、後ろを向いていた紅蓮の兵士が突然振り返った。その手に握られているのは、導力式アサルトライフルと、手榴弾。

 仲間たちはもちろん、油断はしていない。していないが、身を守りそして仲間を守らなければならない。身軽な者は木々の後ろへ隠れ、アガットなどはガトリング銃の近くにいるティータを庇う。

 回避行動をとるのは、追い打ちをかけるための行動をとったカイトも例外ではない。

 兵士が手榴弾を、安全ピンを抜かぬまま到底してくる。それは仲間たちの近くに落下したと思うと、間髪を入れずにアサルトライフルで掃射してきた。

「くっ!?」

 カイトは咄嗟に身を捻じり、地を蹴って逃走。少年がいた場所や、他の場所にも飛び散った手榴弾が一斉に爆音を吹き上げた。

 アガットはティータを庇ったまま。カルナは爆風が落ち着くのを待たずに火薬式アサルトライフルで最後の悪足掻きに応戦する。

「……にゃろ!」

 遠距離攻撃の手段を持つ遊撃士はもう一人いる。カイトは火薬の匂いに顔をしかめて舌打ちながら前に出た。応戦できない仲間の代わりに、そして師と肩を並べるために爆風の中を駆け、そして翡翠の波を収束させた。

 発動したライトニングは、細い白線を生みながら一直線に紅蓮の兵士たちへ向かう。電撃の魔法の中では下位の魔法だが、それでも威力は申し分ない。そして飛距離も凄まじく、もう四十アージュは開いていた兵士たちへの威嚇として通用する。

「うし、もう一発……」

「いや、カイト、もういい」

 再び導力の波を纏おうとして、武術家に止められた。手榴弾で狙われ怒り心頭のカイトに対して、先輩はどこまでも冷静だった。

 ジンは、その場の遊撃士たちに指示を飛ばす。

「敵の様子を見てももう心配ないだろうが、念のためもうしばらく周囲を警戒しよう。学園内の騒ぎを見るに、|あちら≪エステルたち≫もどうやら決着がついたらしい。合流して、生徒や教師の安全を確保して、今度こそ任務完了だ」

 一同は、一先ず息をほぅっと吐くも得物を構えたまま動かない。特にカイトは、手の力をまだ抜くことができなかった。

 エルベ離宮解放作戦、グランセル城解放作戦などの作戦行動の際、カイトは常に突入班、内部制圧の班にいた。周囲の障害を仲間に任せ、開いた道の奥の敵を仲間と共に倒してきた。

 立ち位置を変えて、初めて陽動班の、周囲の障害を取り除くことの重要さが、困難さが理解できる。王国を救うため、あるいはクローゼを救うため、少年は常に前線での戦いを求めてきたが、何もそれだけが重要なことではなかったのだ。何一つ、蔑ろにしていい存在なんてない。

「作戦一つとっても、重要さは変わらない。国一つとっても、そこに住む人間に変わりはない」

 そして……自分の特性一つとっても、優劣なんてない。体術も、銃も、魔法も。

「……答えが一つ、見えた気がする」

 

 

――――

 

 

 夕方になるころには、学園は一応の落ち着きを取り戻していた。

 カイトたち陽動班が敵の大部隊を相手取っている間、突入班のエステルたちは順調に学園を解放し、やがては主犯格を裏校舎まで追い詰めた。

 その人物がギルバート――かつてモーリス・ダルモアの秘書を務め悪事に身を染めた秀才だったと知ると、特にその人となりを知るカイトが脱力して何もない所で転びかける。

 実をいうと今回の占拠事件はギルバートの独断行為で、結社の幹部である『教授』や他の執行者とは関係ないものだった。事を起こした理由もリベールを更なる混乱に陥れるため、そのために学園にお忍びで通っていると噂のリベール王女を拘束するという、事情を知るカイトたちにとってはため息しかでないものだった。

 そしてギルバートは見当違いの少女を捕まえ、エステルにクローゼの存在を告げられ、言葉を失い、その隙をつかれてエステルたちに無力化され、果ては突然現れた道化師カンパネルラに玩具のように弄られて消えるという悲しい末路を辿った。別に死んだわけではないのだが、遊撃士たちはなぜか合唱せずにはいられなかった。

 学園生徒、特にジルやハンツは学園に足を運んだことのある者たちとの旧交を温める。ヨシュアとは本当に久しぶりなので、積もる話も多かった。

 そうして遊撃士たちが学園を警護しつつ夜を明かし、次の日には王国軍が到着した。少しばかり遅い行動のようにも思えたが、今回に至っては仕方ないようにもカイトは感じた。ジェニス王立学園は都市からやや離れた位置にある。遊撃士は迅速に迎えるが、長期的な防衛には向かない。軍は柔軟な対応はできないが、長く駐屯することができる。適材適所というものだ。

 こうして、学園占拠事件は幕を閉じた。生徒たちは連続した異常事態にストレスを感じていたが、頼もしい教師陣や生徒会長たちの元でしっかりと自衛できるだろう。

 そして学園を後にしたカイトたちは、マーシア孤児院を訪れていた。

「白い影の事件以来……カイト、よく帰ってきてくれたわね」

「うん。ただいま、先生」

 子供四人に年長一人、そして保護者一人。計六人が暮らす孤児院に、遊撃士一行が押し寄せるのは大所帯となるということで、カイト、エステルとヨシュア、この三人が代表で訪ねている。他の先輩たちはマノリア村へ向かっていた。

 三人とテレサは孤児院内の椅子に腰を下ろし、机の上にある飲み物を楽しんでいる。生憎といつも出るハーブティーではなく、この環境でも作れる冷たいお茶ではあるが。

「ヨシュアさんも、本当にお久しぶりですね。体を壊していないようで、安心しましたよ」

「……その節は、本当にご迷惑をおかけしました」

 ヨシュアは少し申し訳なさそうにしたが、それでも後ろめたさを前面には押し出さなかった。

「エステルさんとは、しっかり話をしましたか?」

「はい」

 しっかりとエステルを見つめ、そしてテレサを見る。そんな少年の様子に、少女も満足げだ。

「なら、私が言うことは何もありません。再建した孤児院へ来て、子供たちに会ってくれた。そのことに、ただただありがとうと言うだけですよ」

 孤児院を訪ねた時、クラムをはじめとした子供たちは敷地内の畑で遊んでいた。こんな時でも変わらず笑顔を見せる子供たちの様子に、三人は心を温めたものだ。子供たちもカイトとエステルを見るなり抱き着いてきて、そしてヨシュアを見たダニエルなどは感極まって泣いてしまっていた。

 カイトがここへ来たのは、主に里帰りという意味合いが多い。外国や故人、そして窮地解決の最前線にいるなど、身内にはどうも簡単に会えないことが多い仲間たちの中で、カイトは唯一こうして比較的簡単に保護者の顔を見ることができるからだ。

「――簡単に要約すると、今まで話してきたのが導力停止現象の経緯だよ、先生」

 カイトはテレサに事態の粗筋を伝えた。テレサも一般人なので細かい話までは伝えられないが、それでも導力器が使えなくなっていることには変わらない。彼女の世話になっている身として、ある程度の内容は伝えた。自分がこれからどのように動いていくのか、というのも。

「そんな理由で導力器が使えなくなったのね。判りました、子供たちにも慌てないように教えるわ」

「うん、そうしてもらえると助かるよ、先生」

「そしてカイト。貴方は、エステルさんたちと一緒に行くのね?」

「……うん」

 守るべきものを、大切な人たちを守りたい。それはカイトが遊撃士となった根源の想いだ。そして今、守りたい人たちは目の前にいる。

「子供のころからずっと、親代わりとしてオレの事を育ててくれた先生には、本当に感謝してる。先生に心配をかけること、申し訳なく思う。けど……」

「貴方のことを、もう十年も見てきたんですもの。どれだけ成長したか、どんなことをしたいのか、判っているつもりよ。したいことを実行できるだけ強くなったということも」

 テレサから見たカイトという少年は、ずっと子供のままだった。素直で純真無垢、しかし裏を返せば自制が効かない。それ故葛藤も憎しみも、すべてが前面に押し出て、余計自分自身を傷つける。遊撃士を目指す、その素晴らしい夢を聞いた時も、保護者としての嬉しさと同時にその裏にある暗い感情に不安を抱いたものだった。

 けれど、孤児院を放火されてから、少年は否応なく自分や他者の負の感情と向き合うことになった。それは辛いものであっただろうが、同時に目を背けるだけでは見えないものを少年の心に届けた。そうして、少年は一歩一歩成長し続けた。

 常に見ている訳ではないが、自負した通りこの十年誰よりも少年を見てきた彼女が、彼の変化に気づかないはずがない。

「だから、止めはしません。貴方は貴方のやるべきことをしなさい。大切な友達や、先輩たちと一緒に」

 巣立ちの時だ。ただ単に実家から、国から、というわけではなく。心が羽ばたく時。家族という枠組みから離れ、別の尊くて大切な枠組みに身を委ねる時なのだ。

 テレサの気持ちを少なからず受け取った少年は、万感の想いを込めて返す。

「必ず、リベールに平和を取り戻してくるから。みんなと一緒に」

 ブライト姉弟もまた、遊撃士になる前からの少年を知っているだけに彼のその言葉は感慨深かった。過去、グランセル城の庭園で自分のことを卑下した少年が、堂々と自信を持って、平和を取り戻すという英雄のような言葉を紡いだのだから。

 テレサは言う。

「でも忘れないで、どれだけ強くなっても立派になっても、貴方はこの孤児院の大切な家族だということを。心配で、気になってしまうということを」

 カイトは、言葉を受け取る。

「息子がかわいくて、心配で、気になってしまうもの。貴方のお父様やお母様も、同じことを思っているはずよ」

「父さんと、母さんも……」

 幼き日、ぼやけた記憶に映る両親は、大きかった。父は逞しくて、母は優しかった。

 歳の数を数えても、もう両親がいなくなってから二倍の月日だ。赤ん坊の頃を除いたら、記憶にある日々はさらに少ない。今の孤児院ではなく、もう限りなく少なくなった血の縁。

 両親を追憶するカイトを見て、思うところがあったのだろうか。テレサは、また話題を変えた。

「そして、それ以外の血の繋がった肉親の方々も、貴方のことを知れば同じことを思うはず」

「え……?」

「混乱させたくないから今まで言わなかったけれど。いない、とは言い切れないの。ご両親以外の、貴方の親族のことよ」

「え、と……ちょっと待ってよ先生。それって」

「不思議だ、とは思わなかったかしら? お父様やお母様、それぞれの兄弟やご両親が訪ねて来ないことに」

 孤児院には、当然ながら身寄りのなくなった子供たちが集まる。だが導力革命が起こりあらゆるものが加速するこの時代、親族を探し当てることは難しいが不可能ではない。実際、エステルたちはレマン自治州からやってきた婦人の依頼を受け、百日戦役で行方不明となったレーニという少女を探し出すことに成功した。少女だったレーニは『リラ』となりボース市長のかけがえのない存在として、そして婦人の血縁としての自分も受け入れて、依頼は円満な形で終わったのだ。

「クラムやマリィは私やジョセフの知り合いの子だった。ポーリィにダニエルは複雑な理由で家族と会えなくなっていた……」

「うん、詳しいことは聞かなかったけど、なんとなくは判るよ。ここに住み続けるってことは、つまりそういうことなんだって」

 弟たちや妹たちの事情をテレサに聞くことは、当時のカイトはしなかった。だが身内がいるなら、時と場合にもよるが子供は身内のもとに帰ることが幸せなことだろう。百日戦役の時にはクローゼやカイト以外にも身を寄せた子供たちもいたが、そうしたものは殆ど親族が訪れたり、あるいはテレサ自身が親族を見つけ出したことで引き取られている。

「百日戦役のいざこざはあったけど、貴方とご両親はルーアンに住んでいたのだから、その足跡を辿ること自体は難しくなかった。でもご両親のご家族、つまり貴方の祖父母や叔父叔母に当たる方を見つけることは出来なかった。今孤児院に住む子供たちの中で、親戚がいるのかいないのかはっきりしないのはカイト、貴方だけなの」

「いや……オレは今までずっと、もうこの世に血の繋がった人はいないと思ってたよ。そうじゃなかったの?」

「言えなかったの。もし貴方のご両親が()()()だとしたら、余計混乱させることになってしまうから」

 それはつまり、カイトの血縁はリベール国外にいる。カイトの両親は外国人で、ある時リベールにやってきた可能性があるということだ。

 どうしてすぐにそれを言わなかったのか、少しばかりもやもやとしたが、確かに一年ほど前の自分が『お前の両親は帝国人だ』などと言われればどんな行動を起こすか判ったものではない。

「そっか……」

「今まで黙っててごめんなさい。でも、今ならしっかりと受け止めてくれると思ったから」

「いや、ありがとう先生。オレの事を考えて、待ってくれてたんだよね」

 自身の血の根源が、外国にあるかもしれない。気にしていなかったといえ、解決しなかった問いに一つの光が見えてきた。

「ますます頑張らないとな。いるかもしれない、オレの祖父ちゃんや祖母ちゃんのためにも」

 気持ちを新たに、カイトは答えた。

 もし、本当にいるのだとしたら。今はどこにいるのだろうか。同じように、空を見上げているのだろうか。

 不幸があって存命でないとしても、自分という存在がいる以上両親が、両親という存在がいる以上祖父母がいるのは当たり前だ。なら、その足跡は、どこかで辿ることができるのかもしれない。

 祖父母と聞いて頭に浮かぶのは、ティータの祖父であるラッセル博士や、クローゼの祖母であるアリシア女王陛下だ。

 彼らのように、頼もしくて優しいのだろうか。

 このリベールの苦難を解決すれば、彼らの軌跡を見つけることができるのだろうか。

 

 


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