心の軌跡~白き雛鳥~   作:迷えるウリボー

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23話 寒空のリベール③

 

 

 一夜明け、遊撃士メンバーはロレントを発った。アイナたちと現状を再認識し次の方向性やロレント市の今後の対処を話し合い、リッジに任せての出発だった。

 ロレント市へ行く前、礼拝堂での賑やかな雰囲気を耳にする。こんな時だからだという若者たちの結婚式は、カイトたちの心にも穏やかなものを残していく。

 次に向かうべきはツァイス市の遊撃士協会支部だが、そのための道中では王都にも立ち寄ることができる。

 この状況だ。早急なようがないとはいえ、寄って行かないという選択もない。

 ロレント市からエリーズ街道へ。ミストヴァルドの森を脇目にグリューネ門をくぐって、グランセル地方へ。エルベ周遊道を歩いてかつての離宮奪還作戦に想いを馳せつつ、昼過ぎには王都についた。

 中央通りはかつての落ち着いた雰囲気でも、女王生誕祭の華やかな空気でもない。グランセル城の向こうに見える大空も、どこか曇天めいて見える。

「そうですか、ロレントとボースではそんなことが。皆さん本当にお疲れ様です」

 訪れた協会支部では、エルナンが変わらず職務を全うしていた。数刻前にも市民が次々押し寄せていたらしく、その顔には疲労の色が見えている。

 彼との情報交換で、もう遊撃士協会の各支部はツァイス市以外の全ての支部の通信設備が使えるようになっていることが判った。ツァイス市を除いてだが、今は各支部連携して人員を適材適所に配置しているとのこと。王国軍も順調に零力場発生器が設置されているらしく、リベールの情報網は少しずつ希望の光を浴びてきている。

「幸いと言うべきか、今皆さんに緊急に対応してもらいたい、という依頼はありません。どうかインフラ改善のため、一刻も早くツァイスに向かってください」

 エルナンは言ったが、焦って周りを見ないわけにもいかない。

 エステルが言った。

「王都の状況も、できるだけ自分の足で確認したいの。今日だけ、王都に泊まってもかまわないかな?」

 カイトも同乗する。

「それに、ケビンと姉さんも王都にいるんだ。少しくらい顔を見るのも、悪い話じゃないでしょ?」

 ケビンはカラント大司教に、クローゼはアリシア女王陛下にそれぞれ協議をするため自分たちとは離れている。だがこの状況を改善するという根本の意志に変わりはない。ここにいる全員、彼彼女らとの間柄は違えど言葉を交わしておきたかった。

 少年少女二人の言葉に、仲間たちからは異存は出ない。

 一同は、目的の場所へと歩を進めた。空港は変わらず閑散としており、王城ではヒルダ女官長に謁見の延期を願われ――主にカイトが――意気消沈し、しかし人が変わったような迫力で政務に取り組むデュナン公爵を見て勇気を受け取った。途中アガットの提案で小休止を兼ねた武器整備の時間を設けつつ、ケビンを尋ねにグランセル大聖堂へ向かったがここでも尋ね人はおらず、仲間たちは少し釈然としないものを感じながらその日を過ごすこととなった。

 次の日、再びエルベ周遊道を通ってセントハイム門へ。アーネンベルクの外壁を潜ると、そこはもうツァイス地方だ。

「どうする? 少しくらい先生の顔を見ていくのもいいんじゃない?」

 リッター街道を進んだ先、ツァイス市とレイストン要塞の分かれ道でシェラザードが言った。それは先生――カシウスの娘であるエステルに向けての言葉だったが、エステルは否定した。

「今は父さんも頑張ってるから、邪魔しちゃ悪いよ。それに、今はお互いのやるべきことをやるのが、大事なことだと思うし」

 その言葉には、もう彼女が一人前の遊撃士であることを納得させるだけの雰囲気がある。全員が彼女を頼もしげに見て、カイトは父娘の絆に一人の義姉を思い浮かべる。

 お互いのやるべきこと、その想いを心の中で反復し、言葉少なげに街道を進む。

 辿り着いたツァイス市は、リベールにおける導力技術総本山だけあって他の都市以上に混乱が見え隠れしていた。支部に着いて一秒で「早速零力場発生器を取り付けて頂戴」とキリカが千里眼を発揮し、ティータが取り付けている間に「それと、ZCFから三件、市内から四件の依頼が来ているから」と複数の依頼を頼まれ、仲間たちは市内とZCF内に判れて依頼達成に遁走した。

 男は運搬作業に、そして女性はその他の雑務に。疲労困憊になって協会支部に報告しに行くと、「明日はエルモ村に行ってもらうからよろしく頼むわね」とキリカの更なる追撃。ジンがキリカにあしらわれる気分を体感で来た気がして、カイトはひっそりと先輩に同情した。

 この日のエルモ村での依頼は、一同が最も鈍い疲労に付き合わされるものとなった。

「エルモ温泉が沸かない、ですか?」

「そうなんだよ、悪いねぇティータ」

 のんびりとした少女の言葉を、恰幅のいい旅亭女主人・マオが肯定した。

 エルモ村はツァイス市の南、トラット平原道を南に進んだ先にある温泉郷だ。村と同名の温泉はリベール国内でも有名で、さらには国外からも旅行者が訪れるほどだ。共和国出身のジンはリベール入りする際の表向きの理由は温泉巡りであったし、帝国のオリビエもエルモ村に逗留していたと抜かしていたこともあった。

 そしてキリカに理由も告げられず命じられたエルモ村直行。村人たちは導力停止現象を受けて消沈していたが、王国軍兵士の哨戒もあって大きな混乱はなかった。最終的にマオの相談を聞くことになったわけである。

 温泉の源流は村の奥の洞窟から流れているがその源泉を通すための機構は導力器によってなされている。考えるまでもなく、温泉は今止まっていた。

 一通りの説明を受けた仲間たちの反応はそれぞれだ。ジンやシェラザードは少しばかりがっかりしているが、アガットなどは変わらずの調子である。

「つっても、温泉がないからって命に関わるわけじゃねえ。原因も導力停止現象だから俺たちにどうこうできるわけでもないだろう」

 マオが返した。

「ま、その意見に否定はできないよ。あくまでこれは相談さ」

「でも温泉に浸かれないのも気が滅入るわよね……」

 そう嘆いたのはエステルだ。

 エルモ村の住民にとって温泉の存在は、遊撃士の戦術オーブメントのようにあって当たり前の存在だ。それがなくなるストレスは馬鹿にできるものではない。

 こんな絶望的な状況だからこそ息抜きは必要だ。王都で義姉に会うことができなかった悔しさから、カイトはアガットに進言する。

「アガットさんの言うことももっともですけど、まずは様子だけでも見ていきませんか? せっかくここまで来たんですし、技術畑のティータだっていますし」

「ま、別にいいけどよ。っておい、妙な目で俺を見るなチビスケ」

「あ、あぅ……」

 さっそく導力器があるポンプ小屋へ向かう。予め受け取っていた鍵を使って、今度はティータが先頭となって中へ入る。

 小屋の中は広いのだが、それでも七人の大所帯で向かうと狭く感じる。ここで一番戦力になるのはティータのため、それに続いたのはエステル、ヨシュア、カイトの若者たちだった。

「どうかな、ティータ。わかるかい?」

「うん、やっぱり導力停止現象の影響で間違いないよ。メーターも回路も無事だもん。導力があれば動くはず」

 いかなる手順かは判らないが、ティータは栓やボタンなどをいじりながら流れるような動作で確認を続けている。

「でもこれ、随分古いよな。ティータを疑うわけじゃないけど、壊れてる可能性はないのか?」

 ここに何度か来たことのあるのはエステル、ヨシュア、ティータだ。初めて来て、しかも機械類に精通していないカイトは素人らしいことを言ってくる。当たり前ながら、ティータが否定した。

「いいえ、正常通りに動いてますよー。導力革命以前から大元は変わらずに動いてましたし」

「え、じゃあ昔は導力器じゃなくてもお湯を運ぶことができてたのか」

「はい、元は内燃機関という動力を、用いて……」

 そこで、ティータの口が開いたまま止まる。何度かパクパクと開閉してから、珍しく大声を上げた。

「あー!」

「な、なに? どうしたのよティータ!?」

「内燃機関だよ、お姉ちゃん!」

「んーっと、内燃機関……?」

「前にゴスペルを解体するために使ったエネルギー機関のことだね」

 内燃機関とは、火を燃やしてエネルギーを精製する動力機関のことだ。現代の人間たちに好まれる汎用性を持つ動力機関と比べると燃費の悪さや効率性などデメリットが目立つが、機械や装置を動かすエネルギー機関として用いることができる。

 エステルたちは当時用途と正体が判らなかったゴスペルを解析するため、その内燃機関を用いたことがあった。ティータはそれを目の前のポンプ装置に応用しようというのだ。

「ポンプ装置はかなり旧式のものだから、中の回路は複雑じゃないし……連結を変えて、導力停止現象が終わった後もすぐに戻せるような配慮をすれば……」

 年上たちの言葉も聞かずに、ぶつぶつと独り言を言った後、唐突に振り返って主にアガットに笑顔を向ける。

「うん! 装置を使えるように、できると思います!」

 

 

――――

 

 

 そこから温泉復旧までには、予想以上の時間がかかった。

 まず内燃機関を稼働させるために必要なものとして、本体とガソリンと呼ばれる燃料、この二つを用意する必要があった。エステルたちが先導となって、ZCFに貯蔵されているであろうそれらを集めに行く……。ここまでは各々人助けや後につかる温泉を楽しみに意気揚々とZCFに向かったのだが。

「内燃機関? すまねぇ、この騒動が始まる前にレイストン要塞に送ったんだわ」

 と、ツァイス市の発着場にいるグスタフ整備長に謝られ。

「ちょうどその『内燃機関』とやらを積んだ飛行艇がツァイスに戻るところだったんだ」

 とレイストン要塞の門兵に要塞にないことを告げられ。

「そんな回り道をしてここまで取りに来てくれたのか。ご苦労様だね」

 と、結局はツァイス市とエルモ村を結ぶトラット平原道に不時着していた飛行艇を見つけ、兵士と話をつけようやく内燃機関を手にすることができた。この時点でツァイス地方を半周程したため疲労の色が出始め。

「ガソリンか……確かルーアン市から取り寄せるはずだったんだ」

 と、ZCF責任者のマードック工房長に言われ。

 そして暗いカルデア隧道を通るためにゴーグルを手に入れ、ルーアン市まで数時間をかけて暗い道を緊張しながら歩き、ルーアン支部に軽い挨拶を済ませた後ついにガソリンを手にいれ、その頃には夜の帳が降りてきたため協会支部にて一泊し、早朝以来達成のためにまた数時間をかけてカルデア隧道を歩きツァイス市へと戻って来た。

 そして重いガソリンを運びつつ昼頃にはエルモ村へ戻り、この時点で体も心もボロボロであったが何とか鞭打ち、ティータを中心にポンプ装置の改造を行い――男は重労働を担い――そうして一日以上の時間をかけ、夕方ごろにようやくポンプ装置を改造することに成功した。

「──ぁぁああ、生き返るぅー」

 茜色に世界が包まれたころ、遊撃士たちは全員揃って露天風呂の湯につかっていた。温泉復旧に感謝したマオが配慮してくれた結果、仲間内だけで静かに時間を過ごすことができている。

 温泉という初めての場所に、疲労を多少なりとも回復させたカイトは、声をうならせた。その隣では、両脇を広げて石壁に寄りかかっているジンが大きく息を吐いている。

「リベール入りしたばかりの頃に一度入ったが、変わらず格別な気分だ」

「ええ、本当に。お酒があれば最高」

「シェラザード、お前こんな所でも飲むつもりなのかよ……」

 ジンに同調したのはシェラザード、そして呆れたのはアガットだ。

 温泉は当然衣服を脱いで湯浴み着一枚のみなので、当たり前のごとく男女別れる。しかしエルモ温泉の露天風呂は家族向けということで男女混浴が可能となっていた。せっかくの機会だからというシェラザードの案により、仲間たちは一同に会していた。

「ほんと、温泉に入るのも久しぶりねー」

「うん! 初めてお姉ちゃんたちとあった時以来だね」

 エステルはその昔、露天風呂でヨシュアと鉢合わせ絶叫したらしいが、今となってはそれ程恥ずかしくもないらしい。ティータといえば、そもそもこの場の親しい男たちに対してエステルのような感情を覚えることもないようだ。

「ところで、次の行動指針はどうしましょうか。零力場発生器自体は各支部に行き渡って、最低限の情報網だけは確保しましたが」

「まあ、しばらくはツァイスにいてもいいんじゃない? 五大都市の様子を確かめるなら、もう一回ルーアンに行っても良いだろうし」

 真面目なヨシュアは変わらず真面目で、シェラザードの提案を聞いたカイトは無言で顔をしかめた。ルーアンに行くのは賛成だが、またあのカルデア隧道を歩くのは骨が折れる。

 そう、これで遊撃士協会に限定すれば通信は回復していた。今日の午前中ツァイス支部に寄って聞いてみた限りでは、王国軍も一部の関所を除いた殆どの要所の通信回復に成功したらしい。

 あと数日中にもリベール王国の最低限の情報インフラは整うだろう。未だ住民にとっては夜の寒さも耐えがたく、兵士にとっては導力兵器も使えない心もとない状況だが、それでもこれ以上の甚大な『何か』が起こった際の対応も可能になって来る。導力が止まった静かな世界でも、少しは希望が見えてきたものだ。

「ま、結社の奴らの出方にもよるが、しばらくはパニックを抑えるためにできる限りのことをするしかねえ。今日ぐらいは休んでおけよ。特にティータ」

「わ、私ですか? アガットさん」

「全員物資輸送で疲れたが、ポンプを一人で直したお前だって同じことだ。明日も長く歩く、少しでも休んでやがれ」

「えへへ……はいっ」

 ぶっきらぼうな物言いだが、雰囲気としては優しいものだ。孤児院放火事件の時や、狂ったお茶会の前の旅で重剣を見てきたカイトとしては、その変わりようは微笑ましいものともう少しその優しさを分けてくれてもいいんじゃないか、という二つの感情が生まれてくる。

 実際のところ、カイトも両者が古代龍事件の際何があったのかはエステルを介して聞いている。年頃の男としては、先輩のそう言った事情は面白い物以外の何物でもない。

 年の離れた兄妹のようなティータとアガットに、しかしその仲の真相を知るエステルはにやけ顔で両者を視界に捉えた。

「へぇー、いつになく優しいじゃないのアガット?」

「本当、紅蓮の塔でティータの頬を叩いた時とは大違いだね」

 そしてそんな姉を朴念仁らしく助ける弟の爆弾投下である。シェラザードはやや引きつった顔をして、アガットは弁解に時間を割くこととなった。

「アガット……あんた十二歳の女の子に何をやってんのよ……」

「ち、ちげぇぞ!俺は、こいつに活を入れてやるために……」

「えとえと、アガットさんは悪くないですよ……?」

 重剣と銀閃、そして剣聖の娘と技術娘はやいのやいのと会話を続けている。一方、離れた場所で年長者と爆弾投下犯がゆったり冬の温泉を楽しんでいる。

「……少しばかり、共和国が懐かしくなるな」

「そういえばエルモ村は東方の雰囲気に近いですからね」

「シェラザードじゃないが、湯につかりながらの雪見酒は風流だぞ。湯に浮かした盆にお猪口と徳利(とっくり)を乗せてだな……」

 二つに分かれた仲間たちを見て、変わらない頼もしさと感じると同時に少しばかり拍子抜けした。湯船に口元までつからせて、湯気の向こうに少年少女たちを捉えながら考える。

(こうしてみると、いつもと変わらないなあ)

 世間は導力停止現象で未曽有の事態。それに抗う王国軍や遊撃士の中で、もっとも結社と渡り合っている人間。それが自分たちだ。だが、こうして今は平時のように思い思いに羽を伸ばしている。ともすれば普通の一般人がくつろぐ姿に見えなくもない。

 そして自分も、日中良く動いた分今は体を大いに脱力させている。ここ一ヶ月ほどでは考えられない程穏やかな時間だ。そうなったのは仲間たちとの絆もあるが、自分自身の精神に由来しているものも大きいだろう。

(変われば変わるもんだなあ、オレも)

 まだ、自分の中で解決していない事柄もある。それでもこんなに心が穏やかなのは久しぶりだった。

「カイト」

「ん?」

 いつの間にか、アガットたちの環から離れたエステルが隣にいる。

「どうしたの、エステル」

「いやー、随分考え込んでる顔してるなーと思って」

 その顔は先ほどアガットをからかっていたものと同じ笑みで、それが自分に向けられているとなると、なんとなく誘導しようとしている話題は判る気もするが。

「ああ、行動指針もそうだけど、これからどうしようかなって」

「ホントにそれだけー?」

 変わらず少女はにやけている。カイトは――ヨシュアには悪いが――ぞれほど色気も感じず、緊張もせずに明かした。

「……まあ、姉さんのこともあるよ」

「……ふっふふふ……ようやく言うようになったわねぇ」

「なになに、何の話?」

 そこへ、湯をかき分けてシェラザードがやって来る。さすがに面白い物を嗅ぎ分ける嗅覚は鋭いらしい。

「ふっふーん、カイトのお悩み相談。恋愛の」

「だぁーもー! 大っぴらにすることないだろエステルも!」

 色気もないくせに、そんな発言は近づいてきたヨシュアに聞かれたら後で怖いので止めておく。

 カイトの大声で、全員の意識が少年に向いた。あっという間に視線が少年に向いて、ここまで来ると紛らわすこともできない。

 色々と考えてため息を吐いて、けれど意外とあっさりと言い切った。

「別に。好きな人のことを考えてただけさ」

 その言葉に、一同はそれぞれの反応を示した。ティータが見る間に顔を赤らめて掌を合わせた後、アガットとヨシュアに続く。

「わぁ、カイトさんの好きな人ですか!?」

「驚いた……一言も聞かなかったからびっくりしたよ」

「はぁー、ルーアンにでも居んのかよ?」

「この朴念仁どもめ……」

 ティータは別にいいとして、この二人の鈍感さにはさすがに同じ男として申し訳なくなってきた。

「まったくうちの男どもときたら……頼りはジンさんとカイトだけなの?」

「ま、いいじゃないの。その方が可愛げもあるわ。それよりカイト」

「はい?」

「ここまで来たからには、意中の相手が誰か教えてくれるのかしら?」

「あー」

 いつの間にやら、全員がいい笑顔となっている。ティータは「ワクワク……」とカイトをじぃーっと見つめているし、ジンは遠目で含みのある笑いだ。

「ワクワク……」

「まったく、ティータったら」

 事の発端となったエステルだが、妹分の浮かれ様に困った笑いを浮かべてもいる。

 カイトは目をつぶって上を向き、観念したように言った。

「姉さん……クローディア姫のことですよ」

 沈黙。返事が返ってこない。からかわれるのは嫌いだが、これはこれで気持ちが悪い。

「あ、あの……どうしたんです?」

 順に顔を見ていく。

 エステルは満面の笑み、シェラザードも似たような顔。ジンは変わらず優しい笑顔。

 ティータは恋する少女――既に無自覚に恋らしき何かをしているが――のようなキラメキを瞳に宿していて少し眩しい。

 一方でぽかんと口を開き無表情なのはヨシュア。同じく口を開きワナワナと震えているのはアガットだ。

「あの……無言は不安なんですけど」

 アガットが水飛沫を上げて立ち上がった。混浴なので隠すものは隠しているが、反射的に少女二人が目を反らす。

「はぁぁ!? 姫さんに!? だっておめぇ、姉弟……」

 即座にカイトとシェラザードが反論する。

「いやだから義姉弟だってオレが王子なわけないでしょが!」

「アガット、あんた何言ってるのよ……」

 あんたは今までオレを王子だと思って戦闘訓練してきたのか。そんなわけはないはないだろうが、今の発言には色々と問題が見え隠れしている気がする。

「お、おぅ、そうだったか……」

 アガットが周囲の少女を視界に入れ、気まずげに湯船につかり直した。

「けど、僕もびっくりしたよ。仲がいい義姉弟ってのは判っていたけど」

「ヨシュアー」

「何? カイト」

「ヘタレ鈍感逃走癖持ち朴念仁」

「……」

「あ、ヨシュアが沈んだ」

 カイトが呟く先で、ヨシュアが湯に消えていく。三秒で顔が沈み、さらに三秒で泡も途絶えた。

「全く鈍感な男たち……にしてもカイト、よく言ってくれたわね」

 シェラザードは眉間の皺をやわらげ、からかいの対象をこちらに向けてくる。

「つってもシェラさん、気づいてましたよね?」

「そりゃ川蝉亭のあれを見ればねぇ。でもほら、本人に白状させるっていうのもまた楽しいじゃない」

「十分悪魔……」

「えとえと、カイトさん! 聞いてもいいですか!?」

「あ、ああ……」

「あのあの、いつからそう言うふうに思ったんですか!?」

「え? あー、今考えてみると多分、姉さんがクローディア姫って知った後ぐらいだと……」

「それって何歳頃なんですか!?」

「んん、確か十二の頃だったと……」

 思った以上に間を与えない質問攻めである。その様子を見て昔『ヨシュアと結婚しているのか』と聞かれたことを思い出し、エステルは苦笑いを浮かべた。

「まったく、ティータったら……」

 やや消沈していたアガットも少女の笑顔を見て落ち着きを取り戻し、ヨシュアも無表情ながらこちら側に戻って来た。黒髪は湯を含みすぎて顔面にへばりついているが。

 結局、多少心の傷を作る者もいたが変わらず和やかな雰囲気だった。会話に混じらず笑顔のままだったジンが、ここへきて口を開いた。

「いいねぇ、若いってのは。しかしカイト」

「はい?」

「姫殿下本人がいないとはいえ、ここで俺たちに明かしたってことは、少しは決心がついたってことで良いのか?」

 決心と、そう聞いてカイトはティータとの会話を中断する。この先輩も察しのいい人間だった。

「あはは、ばれてましたか」

「帝国でも旅を一緒にして来たんだ。アネラスとも何か話していただろう?」

「そうですね……皆、聞いてほしい」

 敢えて言葉を止めて、カイトは仲間たちの顔を見た。それぞれが言葉を止めて、何事かと見つめてくる。

「姉さんのこととか、帝国のこととか、この数ヶ月色々なことがあったけど。逃げたくなる時もあったけど、でも逃げずにここまで来れたのはみんなのおかげだ」

 孤児院の放火事件から今に至るまで、怒りや、焦りや戸惑いや、嫉妬。様々な感情に囚われてきた。それは例えばクーデター後のリベールを憂うような、エステルたちのような使命感は少なく、あくまで自分の中の未熟さと戦うような多かった。

 そんな、どちらかといえば不謹慎な動機から付いてきた仲間たちとの旅路。それでも、今自分は仲間たちと肩を並べていると言える。自分の力や努力あるが、何より仲間がいたからこその現在だろう。かけがえのない仲間たちには、感謝してもしたりない。

「オリビエさんは帝国に帰っちゃったけど、たぶんまた会う気がする。そんな予感がある。それに姉さんも、次に会う時はオレ達も、リベールも、状況が一つ変わっていると思う」

 オリビエと出会った当初の確執は、今はだいぶ少なくなった。けれどまだ、オリビエには煮え湯を飲まされたままだ。このままでは終われないと、少年の中の本心が叫んでいる。

 クローゼとの仲は、一時の確執があったにせよ今は落ち着いている。どれだけのことがあろうとも、自分たちが信頼し合う義姉弟であることには変わらない。けれど、それでもカイトとして話さなければいけないことがあることも変わらない。このままでは終われないと、少年自身がその心に楔を刻み込んでいる。

「どうすればいいのかは、正直まだ判らない。けどどうにかしたくて、はっきり決着をつけて見せるっていう気概が今、オレの心の中にはあるんだ」

 中途半端な『仲良し』では終わりたくない。あくまで自分の本心と向き合って決めた、清々しくて自分勝手な決意。このリベールの危機と合わせてか、危機が去った後か。いずれにせよ、近いうちに行動に出ることに変わりはない。

「だから、どうか変わらずにみんなと一緒に、この窮地を戦わせてほしい」

 今までのように、この仲間たちと王国の危機を乗り越える。それこそが自分の壁を乗り越えることに繋がる。だからみんなと一緒にいたいと、カイトは頭を下げた。

 そのカイトの言葉に、仲間たちは声をかける。

 優しい言葉だった。頼もしい言葉だった。

 エルモ温泉でのひと時は、お湯ではない何かを湯船に滴らせ、暖かなものを運んでいく。

 

 

 

 









次回、24話「混迷の大地」です。

だんだんとクライマックスに近づきつつあります。カイトはその時、どんな行動をとるのか……

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