意を決して入った翡翠の塔内部は、これまでカイトが入ってきた四輪の塔とはまるで異なるものだった。
「なんだ、これぇ!?」
これまで少年は、紺碧の塔、琥珀の塔を探索したことがある。そしてその時同行した先輩たちに、『細かい構造こそ違えど要所の道筋はどの塔も同じだ』と教えられてきた。
それが、目の前に広がる景色はなんだ。
昔ながらの石造りではない、高硬度ともいえる素材でできた地面。ひんやりとして埃っぽい空気でなく、生暖かく何の臭いも感じない空気。古代の遺物というより、王都地下のように今なお稼働しているような黄金と翡翠の二つの光。
そして何より、視界に拡がるのはどこまでも続く夜空と見紛う空間。
翡翠の塔の裏の姿という名の異空間があった。
「……ははは、さすがの僕も驚かずにはいられないよ」
「同感ですわ。ついこの間調査した時は何の変哲もない塔だったのに」
青年二人も同様だ。同じく動揺は隠せずとも、クローゼが具体的な答えを出す。
「空間転位。塔正面の扉には、そんな作用があったのかもしれません」
にわかには信じがたい話だが、目の前の現実が決して嘘偽りでないことを物語っていた。
戸惑いつつも、四人は探索を始める。幸い道はそれほど複雑ではなく、四人が手分けして行うことで順調に踏破していく。
行く手を阻むのは王都地下でも遭遇した機械魔獣だ。研究施設に続いて硬い装甲を相手にするとは思わなかったものだから銃使い三人と細剣使い一人のパーティーでは、想像以上に苦戦を強いられた。
探索途中、四人は不可思議な機械を見つける。所々に点在する広場の一つ、その中央に鎮座する四角錐の形をとった機械だった。
一体何なのだと警戒しながらも慎重に調べていくと、それが端末だということが判明される。画面も何もない空中に突如として光る文字の羅列が出現する。どうやらこの空間を作った古代の人間たちが記したものらしいが、つくづく古代の文明というものは現在の技術と別次元のものだと思わされる。
文字の羅列は所々破損して意味を把握することは出来なかったが、それを記した代表者らしい人物の名前だけは損なわれていなかった。
代表者の名はセレスト・D・アウスレーゼ。
その場には、同じ姓を持つ者がいる。目を向けられた少女は、神妙な面持ちで文章を追っていた。
端末からの導力データを手に入れつつ、その後も迫りくる機械魔獣や時折設置されてある端末を踏破しながら進んでいく。戦闘後の疲労が意識できる程度に溜まってきた頃には、遂に異空間を踏破できた。
「! ここは……」
「どうやら、無事あの空間を突破できたみたいやね」
抜けた先は、翡翠の塔の屋上だった。見える景色は青空ではなく不気味にうごめく闇。恐らく外部から見た球状の闇の内面だ。
点在する柱や朽ちた外壁、日陰に生えた苔などは、他の塔で見た風景と変わらない。問題は、自分たちの正面に存在する古代の機構と、そしてそれを守るように立つ仮面の男。
「王立学園以来……実に久しぶりだ」
「ふ、そうだね」
「美をめぐる好敵手だけでなく、麗しの姫君まで我が眼前まで来ていただけるとは、至福の至りだ。私の崇拝を受け入れる気になったと考えてよろしいかな?」
早速クローゼに声をかける怪盗紳士。カイトが割って入ろうとしたが、クローゼはそれを制して会話を始める。
「残念ですが……私はあなたの期待に応えられるような人間ではありません。真に気高き人間であるなら、どうして迷ったりするでしょう」
半ば独白に近かった。クローディアとしての国の危機を見据える目と、それを磨くにつれ増える重責。アリシア女王陛下に伝えたその言葉より、ひょっとしたら今の緊張の方が軽いとと言えるのかもしれない。
「アルセイユを陛下に返す時、私は答えを出さなくてはいけない。……私はその時が怖い」
「フハハ! その畏れこそ気高さの証! 地を這う虫けらが焦がれて止まぬ輝きなのだ!」
「だめだ、もうこの変態と喋りたくない……」
即座にやって来る嫌悪感。瞬間的にクローゼの前に立って、視覚的に彼女を防御して今度こそ割り込んだ。そしてカイト自身も盛大に嘆く。
怪盗紳士ブルブランは、先日のような甲冑の騎士を携えるでもなく一人で佇んでいる。言葉遣いは変わらず変態のそれだが、既に対峙したことのある三人は少なからず警戒と畏怖を同居させていた。驚異の技術である影縫いと、それと同時に発せられた圧倒的な殺気。先日は直接剣を交えたわけではなかったが、他の執行者と同じように強敵であることは理解している。
「それよりも怪盗紳士。あれが、アンタらの目的か?」
初対面であるケビンは、カイトたちと同様に汗を滴らせながらも聞き続ける。
ケビンの視線は怪盗紳士と、そして同時にその奥の機械に向けられていた。四輪の塔が考古学のロマンと謳われる所以の一つ。屋上から見える景色と同様にリベール通信にも写真が載せられた謎の古代の遺物は、今、明らかに異常な様相を呈している。
すなわち、王都地下区画の最奥と同じ。ゴスペルという導力器によって、翡翠の螺旋を描く導力波があふれ続けている。
怪盗紳士は含んだ笑みを浮かべた。
「それは、残念だが私の口から言えるものではないが……ノーと言ったところで納得はいくまい?」
事実上のイエス。それは、仲間たちが得物を構える契機となるには十分な言葉だった。
「武を持って計画阻止を狙うか。それしか手がない、というのは承知しているが……」
怪盗紳士は、各々得物を構える四人を見定める。
「好敵手に麗しの姫君、星杯騎士。それを纏める遊撃士が
「……」
あの時、カイトは手玉に取られ怒りを顕わにしていた。
確かにここには、頼れる先輩もいない。道を指し示す太陽の娘もいない。だが、それでも、少年はあの時とは違う。この旅が忘れられないものであると気づいた、あの時とは違うカイト・レグメントだ。
少年は、緊張を隠せずとも確かな光を金の瞳に宿して、怪盗紳士を見据えた。
「……御託は結構だ。行くぞ、変態紳士」
「ふむ、どうやら少しはマシになったようだが」
怪盗紳士は一歩前に出た。右手に持つステッキを掲げ、カイトを示す。
「御託は結構、その言葉には同感だ。この場はまだ最終楽章ではない。漆黒の牙もいない、教授が示した最高の舞台でもないのだからな」
「なら、ここはあっさり引いてくれるのか?」
「ハハハ、まさか。私が求める二人がいるのだからね、邪魔者はいるが、この機会を何もせずただ眺めるだけというのは惜しい」
あの時と同じように、怪盗紳士の殺気がカイトたちを襲う。
「だから、楽しませてもらおうか。姫の覚悟とともに。それを守護する騎士たる力が、君にあるかどうかも」
それは怪盗紳士からの、明確な挑戦状だった。
「……上等だ、変態紳士!」
「行きます!」
「サポートするで、カイト君!」
「さあ、協奏曲を奏でよう!」
殺気を受けても、誰も調子を崩さない。強い意志を持って、己のなすべきことをなすために。
四人は即座に散開した。オリビエとケビンが後ろに後退し、カイトとクローゼが前へ駆け出す。
「さあ、見せてもらおうか! 甘美なる希望と絶望を!」
カイトが連続で双銃に火を吹かせる。それらは霞に消えたように消えたが、追撃するように蹴りを繰り出した。
手に持つステッキに蹴りをいなされ、半回転されて背中に迫る。それは、遅れてきた少女の細剣が防ぐ。
「ハハハ! さすがだ姫!」
ステッキの攻撃を防がれても、ブルブランの勢いは止まらなかった。唐突に地を蹴ると、瞬時に回転しながら後ろに跳んだ。瞬時に距離をとられる義姉弟は、並の人間では成せないような技術に驚く。追撃しようとしたところで、大量のナイフを投擲してきた。
「姉さん避けて!」
「うん!」
向かってくる刃を避け、あるいは細剣と銃の体でいなした。遅れて、ケビンのエアリアルが更なるナイフの応酬を止め、オリビエのラ・クレストが義姉弟に堅牢さを与える。
一度目の攻防を終え、一同は不可思議な緊張に包まれる。
「フフ、弟分を気取るだけはある」
「うるせぇっ」
カイトの反撃。曲線的に向かいつつ近づき、この場では牽制すら使えるか怪しい体術。それでも、組み合わせれば使えると信じ込む。
敵の直前で跳ぶ。水平上段蹴り、受け止めた手を支点に反転、そのまま踵落とし。これも受け止められるが、そのままさらに水平蹴りを重ねた。
「ほぅ」
ブルブランの少しばかりの反応。少しばかり驚いた風の口元に、かつてグランセル城テラスで戦った剣帝の表情が重なった。
あの時のままじゃ……
「終われないっ!」
体術からのラグをなくした銃連弾、ベイルガンバースト。ありったけの銃弾が怪盗紳士のマントを引きちぎる。
体勢を崩したところに、大きな水塊が炸裂。瞬間的に姉が打ったものだと理解した。
「こちとら、そっちの剣帝に負けたことがある。負けっぱなしでいられるか!」
「ほぅ、彼と戦ったか。ならば」
銃弾でぼろ布となっても、仮面だけはしっかりとしている。その人影が煙と共に爆ぜる。
「な――?」
「こんなのはどうかな?」
遅れて聞こえた声は、右と左の耳から脳髄に響く。
「まだや! カイト君!」
ケビンの声。振り返る。見えたのは同じく振り返っていたクローゼ、背中合わせの後衛二人に、そして二人の怪盗紳士。
「――にぃ!?」
一人の怪盗紳士は、ジンやシェラザードに勝る身のこなしでオリビエたちのもとへ。もう一方は、驚く暇すら与えずに視界いっぱいに広がった。
――――
強襲した怪盗紳士のそれは、恐らく自我のない分身でしかない。それでも、必要以上に食らいついてくる。
「ほう! それなりにでも、よくやるようだ!」
怪盗紳士ブルブランと戦うオリビエとケビンは、懐に入られ殆ど攻撃の手を打てなかった。回避に集中を割かれては援護のためのアーツも組めない。
「ふぅ! 本当は、ダンスを踊るなら麗しい、美女を望むがね!」
「へへ、同感ですわ! 俺は年下の子が好みですね!」
ナイフの投擲、ステッキを駆使した体術。マントを翻しての視線遮断。後衛二人は一瞬たりとも気を抜かない。
「どうだね演奏家!? 先日の『美』の談議、始めるかね!?」
「そもそも、こんなところで語り合うものではないと思うがね!」
「へへ、それについても、オリビエさんに賛成ですわ!」
気を抜かなくとも、余裕のある会話。それは大人の余裕なのかは判らない。
「なら、ケビン君。別のことを語り明かさないかい?」
「へぇ、それってなんですの?」
「あの二人の仲についてさ」
オリビエは顎で指し示す。察したケビンは、面白い物を見るように声を弾ませた。
「ほぉー、ちなみにどちらが?」
「恐らくカイト君の片想い」
ケビンとオリビエ。この二人は両者の間柄を孤児院で出会った仲としか知らない。勘が良いのでアガットと違い川蝉亭の一幕で知ったのだが、あの時はどちらも何があって気まずいのだろう、という程度だ。
といっても、あの二人の関係性を見れば大抵の人間は理解するだろうが。
「可憐な義姉はお姫様で、それを慕う弟君……前途多難やねぇ」
そんな二人が、色々と因縁があるらしい敵と戦わされている。状況は中々厳しそうだ。早めに勝機を見出して、援護に向かわなければ。
「大人として、カッコいいとこ見せんとね。行きましょ、オリビエさん」
「ああ!」
同時に跳躍。オリビエはいつもと違う弾丸を取り出した。
ボウガンと銃弾がナイフを弾く。オリビエは小さく呟く。
「あの二人なら大丈夫さ。エステル君とヨシュア君が太陽と月なら」
少年が、気を張っている。それなら、無様に分身と互角の戦いなどやってはいられない。
ならば、勝つ。これだけだ。
「誇りある翼と、暖かかな風……だからね」
――――
最初の怪盗紳士がカイトの戦技とクローゼのアーツで掻き消された後、最も大きな戸惑いを持ったのはクローゼだった。
後衛二人に近づいたのは分身。そして、自分の弟に向かったのも恐らく分身。
ならば、自分の右隣りから聞こえた声は。
「これで邪魔者はいない。クローディア姫」
反射的に細剣を振りかぶらせた。それは、相変わらず憎いくらいしなやかな動きで躱される。
「っ!」
「さすがだ姫君。他者を慈しむ心、王位継承者としての賢母ならぬ賢娘さ、先導者としての勇猛さ……どれをとっても美しい」
「あなたは」
「なに?」
脇をしめ、捻り込みの連続突き。肩口、下腹部、股関節。どれもマントの風を通すに終わる。
「なんのために戦うのですか」
「では、姫君の戦う理由は」
袈裟掛けに振るわれるステッキ。下から斬り込まれる細剣。両者ともに青みがかった髪を掠める。
アーツを組む暇はない。今この場において、頼れるのはずっと前から磨いてきたもの。
「守るために」
「守る? なにを?」
とにかく攻撃。突き、振り下ろし、払い。
王都クーデターの時、いや孤児院放火前後の不良との諍いの時から数えても初めてだった。こんなにも苛烈に刃を向けたのは。
その結果自分の身を晒すとしても、怪盗紳士の手玉に取られるとしても。
「大切な人たちを」
「それは弟気取りの少年も?」
地を強く蹴った。体の動きを変え体重を乗せるのででなく、か細い腕に任せた上段切り。
一閃、それが問いへの答えとなった。
「それが姫君の原動力」
「否定をするのですか」
鍔迫り合いは続く。体重を込めた。刃ががちがちと揺れる。
これほど近くになっても、仮面の奥の光は見えなかった。それどころか、纏わりつく不快感だけが増していく。
「いえ。我が美学には反しません。むしろ身分違いの友愛。道端の花を愛でる貴女は聖母に他ならない」
剣に込める力が増した。瞳に宿る強さが増した。
「おや、気に入らないと? では訂正でもしましょうか」
「必要ありません。敵であるあなたと意を賛するつもりはない」
必要なかった。敵である怪盗紳士と言葉を躱す必要もなかった。友愛、その言葉を否定すればいいのか判らなくて迷った。
そんなことに迷った自分に、一番腹が立った。
「ならば、賭けをしましょうか。敵らしく」
「賭け?」
「姫君が腹を立てる、その価値があるのかを」
剣が弾かれ、火花を散らす。距離をとられる。
一瞬の間に隙を疲れた。曲芸かの如く、自分の後ろから火柱が拭き上がった。
眼を離した一瞬。怪盗紳士はナイフを掲げる。少女は悪寒を走らせ、大きくなった闇に剣を突き立てた。
影縫いが来る。
一瞬の判断だった。飛んでくるナイフを細剣が弾いた。ナイフは影に触れたが、突き刺さらなかった。
「弟たる彼と私、どちらが傍に立つべきなのかを」
ハッと顔を上げた時には、もう遅い。慌てて防御しようと振るった腕を、怪盗紳士の腕が制した。
「彼の剣帝の分け身には劣る、そんな私の分身すら一人で相手にできないようでは……騎士になどなりえない」
影縫いでなくとも、今度こそ完全に動きを防がれた。それでも、クローゼの瞳は死なない。
「カイトは負けません」
仮面の下の口角が吊り上がる。
「ならば、見届けましょう」
この時だけは、二人の目線は。
一人の少年に向けられた。
――――
当然ながら、少年もクローゼと同じく一人でアーツの発動は出来なかった。故に体術と銃術を駆使して戦うこととなる。しかし、相手は素人や並の魔獣ではない。分身が迫って数十秒は戦えたが、一度手を緩めてしまうと、後は一方的な展開だった。
(くそ、どうする……)
避ける、逃げる、必死になって銃弾を装填。僅かに反撃、申し訳程度の体術を駆使して、また離れる。
逃げている分痛手を受けることがない、なんて悠長な感想は言っていられない。時間が立てばつほど疲労が増していく。
オリビエとケビンの二人は、分身相手ではあるが順調に敵を追い詰めている様だった。かたや、時折視界の端に映るクローゼはその動きを止めている。超至近距離で相対して会話しているところを見ると、手玉に取られる一歩寸前か。どうやら、彼女が相手にしているのが分身を作り出した本体なのかもしれない。
本体に銃弾を当てたい気持ちが昂るが、正直そんな余裕はない。それをなしたいのなら、一刻も早くこの分身に勝たなければ。
しかし、そんなことを言ったとしても勝てる余裕があるのか。少なくともその答えに肯定は出来なかった。
かつて執行者と相対したのは、そうと知らずに矛を交えたあの剣帝のみ。あの時より、体力もついた。力も強くなった。戦闘技術も修めた。精神的にも成長した。
それでも、優位すら簡単に奪わせてはもらえなかった。
「さあ、どうする!?
何度目かの退避行動。大きく距離をとった時、怪盗紳士はナイフでないものを投げてきた。しかも、少年に当たらない周囲に。
「なんだ?」
カードは五枚ほど地面に突き刺さる。瞬時、それが瞬時に爆発と閃光を生み出した。予想外、しかし経験したことのある閃光手榴弾よりは小型のもの。
焦り、それでも回避が意味がないと考える。敢えてその場に留まり、半ばやけになって黒色の波を纏った。
怪盗紳士が追撃をしてくる。前に構えた左腕にナイフが刺さった。分身のステッキが眼前に閃く。瞬時に腹部に痛み。唾が口から垂れるのと、波が収束したのは同時だった。
ソウルブラー発動。時を刻む黒色の波動が幾重にも寄り集まって分身を襲った。
分身は一瞬よろめくが、二秒もかけずに構えを治した。距離をとられ、久しぶりの静寂が訪れる。
少しだけの攻撃の代償が、悶絶手前の殴打とは割に合わない。それでもやっと捉えた一撃は、悔しさと手応えを少年に与える。
再び始まる攻防に、カイトは必死に食らいつく。ステッキを弾き、弾丸を躱され、体術を繰り出しながら、小さな不安が頭をよぎる。
川蝉亭でティータに自分の導力銃についての基礎的な構造を聞いた。導力機構が流通している銃より小さいということは、威力もそうだが銃全般としての能力が低い可能性が高い。弾丸の飛距離、連射性、速度、命中精度。
武器を変えることで、自分が戦う意志を器に乗せる。銃を変えることで、自分の今までの能力の低さを補う。
それは自分で理解していた。そもそも、自分がそれに思い立ったのだから当たり前だ。そうすれば、今まで倒せなかった敵を倒せるようになり、仲間内でも多くの役割を担えるようになる。
でも、その後は?
銃の性能ではカバーできない相手を前にした時、自分は何ができるのか。要所要所を仲間に任せ、自分はただ後ろで何もできないまま終わるのか。
そうじゃない。自分の戦いは、そんなものじゃ終われない。
自分の強さを活かして、自分の実力を高めて行かなければならない。
なら、なんだ。自分の強みはなんだ。
体術は駆使できるが中途半端。銃術は自信があるが、あくまで修めてきた実力に過ぎない。
自分の強みはなんだ。これが自分の戦いだと、胸を張って仲間たちとともに戦える力はなんだ。
そこまで考えていたからか、体力を消耗していたことに気づくのが遅れた。
「あ」
膝が折れる。日常においてはちょっとした話題になるかもしれない程度のそれは、強者との戦闘においては圧倒的に致命的な一瞬。
少しだけ引き伸ばされる感覚。ナイフが大腿部に突き刺さった。即座に、分身が直接ナイフを持って近づいてくる。
そのナイフが自分の胸元を切り裂く直前。琥珀の煌めきが少年の周囲に迸る。アースウォールの輝きだ。
自分がそれをした訳ではない。ならば――
「伏せや、カイト君!」
顔を向けると、案の定琥珀の輝きを収束させたケビン。たった今、霞に消える分身に放った矢を引き抜くところだった。そしてその隣には、導力銃を両手で構えるオリビエ。その目は、幾らか迷ったような表情が伺える。
「まさか……」
「カイト君……御免!」
導力銃が火を噴いた。遊撃士として培ってしまった第六感が的中。カイトと分身の五十リジュ手前に突き刺さった弾丸は、即座に爆散。炎を巻き上げる。
ハウリングバレット、オリビエの奥の手ともいえる高火力銃弾だ。
直感的に体を伏せた。アースウォールは直接的な身体外傷を防げるが、爆風、水流などの二次的な被害を防ぐことはできない。それを見越しての行動だったが、一瞬の出来事だったせいで完全には間に合わず、カイト自身も体が浮いた。
背中から地面に着地、上体を起こし瞬時に臨戦態勢。一応は分身の戦技が解けるのを見届けてから、声を大にして叫ぶ。
「オーリビエさぁん!! 何やってんだぁ!」
「ごめんよ、これが一番無駄がなくてね」
「まぁまぁカイト君、早く殿下を助けようや」
恐らく二人の計画的犯行だ。実際作戦としては理に適っていたので、怒りを発散できずに地団太を踏む。
「ハハハ、さすが我が美の好敵手。中々面白い物を見せてくれるじゃないか」
何はともあれ、苦戦していた二体の分身を倒したのは事実だった。クローゼと相対していた本体は、余裕綽々の声色を崩さないまま跳躍。素早いナイフ捌きで男三人を牽制して、塔頂上の古代導力器前に着地する。
「それに、君も。星杯騎士の名は伊達ではないらしい」
「へっ、そっちも噂通り厄介な術を使うもんや」
「フフ、まだまだ序の口だがね」
クローゼ、オリビエ、ケビンの三人がこちらへ来た。戦闘開始の時のように四人は固まり、そしてカイトはティアラのアーツを放つべく青の波を纏う。
そして怪盗紳士は、嘲笑うようにカイトを見た。
「そして……君はやはり、それほどではないということかな」
「っ……」
滞りなくティアラが発動するが、その前に発せられた嘲笑への不快感はぬぐえない。
「残念ながら今回はここまでのようだが、このままでは君を騎士とは認めることは出来ないな」
「今回は……?」
クローゼが不可解な言葉に反応した。また相対することになるのかという嫌な感想もそうだが、ここで決着を付けずに退散するという理由も。
何故、というのは誰もが抱いた疑問だった。それが判るのも同様に、全員同時だった。
「時間が来てしまった、ということさ」
怪盗紳士がそれを指し示す。全く同じタイミングで、ゴスペルと古代導力器から放たれていた光が消えたからだ。そして同時に、塔頂上を覆っていた闇の結界がガラスのように砕け散った。
「私の役目は終わった。ならば、あとは引きあげるのみだ」
怪盗紳士は杖を掲げた。いつかの王立学園地下のように、花弁舞い散る波が纏われる。
「次は、本当にその瞳を奪いに行きます、姫君」
「ま、待て!」
カイトが叫ぶ。色々といいたいことや文句もあったが、実力差がありすぎてまともな返答すら帰って来なかった。
「三人はともかく、君にはあまり輝きを感じられなかったが……姫君に免じて、ここは見逃そう」
「え?」
「あまり認めたくはないが、君と姫君の絆は強いものであった。君に手をかけるのは……本当の美を感じるその時だ」
「何を……言っている?」
「今ここで答える理由はないな。次なる試練に向けて……精々牙を研ぐがいい」
花弁が一層激しく待っていく。霞に消えるように、怪盗紳士ブルブランは消えていった。
「……くそ」
「……行ったか」
「……嵐やったねぇ」
「……」
闇も晴れ、敵も去った。後に残るのはロレントののどかな風と、行き場のない感情と沈黙。
四人は得物をしまって、誰からともなく古代導力器の元へと向かった。
「……これが、古代導力器を動かしていたゴスペル」
一同の代表としてゴスペルを手に持った。それをまじまじと見つめたオリビエが独り言のように呟く。
「今までのゴスペルより大型のようだね。問題はこれを何に使っていたのか、だが」
今までの実験もそうだが、今回はより判らないことが多すぎる。結社の目的に導力器の正体、裏の塔と結界の謎。
それでも、ここで手をこまねいている訳には行かなかった。
「とにかく塔も元通りになったみたいだし、一先ずはアルセイユに戻りましょう。皆や、ラッセル博士に相談したいこともありますし」
そう言ってから、カイトはクローゼに向き直った。
「ごめん、姉さん。なんかあいつのダシに使われたみたいだけど」
「ううん、大丈夫だよ。まともに戦えなかった私も悪いし」
カイトからしてみれば変態紳士がクローゼに迫っているように見えていたのだ、気が気でなかった。
クローゼは、去り際の怪盗紳士の言葉の意味が戦闘中の会話にあることは言わないでおいた。
「あとオリビエさんもケビンさんも、助かりました。……いきなりの爆撃はほんっとうにびっくりしましたけどぉ」
「ははは、悪いね……」
「咄嗟の判断だったし、まあ許してや」
一応釘は刺しておいたが、助けられたのもまた確かだった。素直に礼は言わないものの照れ隠しのせいか少しだけ話題の方向性を変える。
「それにしても、よくできましたよね。アースウォールと銃撃のタイミングを合わせるなんて」
あの時、ケビンはアースウォールの魔法を怪盗紳士の攻撃のタイミングに合わせ発動させた。普通の魔獣ならともかく、達人レベルの執行者の動きに合わせたのは見事な芸当だ。そして、同じくそれに合わせたオリビエの銃撃のセンスも。
言われたケビンは頭を掻きながら答える。
「まあね。カイト君程やないけど、アーツには自信があるからね」
その返事に、カイトはここ数週間で一番惚けた声を出した。
「え?」
「え?」
カイトが惚けたものだから、ケビンも間違ったことを言ったのか、と惚けた声を出してしまう。
「あれ、アガットさんたちから、君はアーツが強いって聞いとるけど? 一緒に戦って、実際凄い才能だと思ったし」
「え、まあ。確かに魔法は好きですけど」
魔法は確かに好きだった。ただ神秘的な現象に憧れているだけではなく、遊撃士にとって大事な武器で、非力な人間でも確かな強さを発揮できるものだと感じていたからだ。昔はカルナやルーアン支部受付のジャンによく戦術オーブメントの試運用をせがっていたものだが。
けれど、好きで興味があっても魔法が強みだとは考えてはいなかった。
地上へ戻るために下へ降りる傍ら、何を思ったのか先程まで非難されていたオリビエが口を挟む。
「王都地下での戦いの時、君はエステル君の戦術オーブメントを持ち主と駆動して見せた。それは思っている以上に凄いことなんだよ」
「はぁ」
「ジンさんとアネラスさんも、帝国で受け取ったクォーツをカイトに渡したのでしょう?」
「いやいや姉さん、それは……」
俺が弱かったしたまたま一番魔法が下手でないだけで。そう言おうとしたが、言葉を一度飲み込む。
帝国でRF社の人間であるファストから受け取ったオリジナルクォーツは、『グランシュトローム』と『累加』の二つ。グランシュトロームはそのままアーツを組み込んだものだから、前衛の二人ではなく自分に回ってくるのは判る。けれど累加は、ジンなどが使用して前衛としての長所を伸ばすこともできたはずだ。自分が適切とする理由があるとすれば、それは属性値の応用が効くからだろう。
ブツブツと下を向くカイトに、ケビンが声をかけた。ここまでに色々あって微妙な空気となっていたクローゼとオリビエより、星杯騎士の言葉が一番思慮を深めるきっかけになった。
「魔法駆動に向いているといっても、個人個人でその方向性は微妙に異なるもんやしね。ただ一つ、君に魔法の才能があるのは確かだと思うよ」
「……」
「結社の施設でも戦い方に悩んでたみたいやけど、『アーツを主体とする』。これも、君の一つの可能性なんじゃないか?」
「――はい」
考えてみれば、今の戦いは自分が前衛だったとはいえ殆ど魔法を使っていなかった。そして魔法は決定打とはならなかったが、何よりの攻撃となっていたのだ。
(一つの可能性、か。たぶん、銃の強さを中心に考えていたからだ。アーツ主体か、思いもしなかったな……)
一つの可能性と言われ、思考の海にさらに入り込む。結社のこと、四輪の塔のこと、自分のこと。四輪の塔から出ていくまで、カイトは口を開かなかった。
ヨシュアとエステルの、夕陽と浜辺のシーンを書けないのが、この小説を書いてて一番もったいなくて悔しいことかもしれないと、最近思いました。
そして……閃の軌跡Ⅲクリアしました。ネタバレ的な活動報告を挙げるかは判りませんが……とにかく衝撃でしたよ!(笑)久しぶりに涙が出たわ……
どこが衝撃なのか! どう衝撃なのか!是非最後までプレイしてみて!
気が向いてネタバレ報告を挙げたら、是非今後の軌跡の予想、あの展開の意味の予想、感想諸々語りましょう(笑)
では本編に……
少しばかり消化不良な怪盗紳士との戦闘。役にあまり立てず終わってしまった自分の実力に、少年は何を考えるのか。