「あの、これ以上の戦いは無意味だと思います」
戦闘の後、構えを解いたクローゼはレイヴンに落ち着いた様子で語りかける。
「お願いします……どうかその子を離してください」
だがそれは、相変わらず彼らを刺激するだけだ。逆に怒りを覚えたらしいリーダー格の三人は、口々に暴言を吐いている。
気性だけは元気なままらしい。このままだと、何をしでかすか分からない。倉庫の奥にいるクラムの救出まであと一歩だが、その一歩が思いの外遠い。
「やれやれ、話を聞いて来てみれば」
だがそこで、レイヴンよりもさらに気性の荒そうな声がかけられる。
「お前ら、一体なにやってんだ」
燃えるような赤髪に鋭い目。鍛え上げられた体格に、その身の丈と同じほどの大剣。
「ア、アガット!?」
「アガットの兄貴!?」
エステルとロッコが同時に発する。背にもつ『重剣』の二つ名を持つ、正遊撃士アガットがそこにいた。
「おいひよっこ遊撃士ども、とっととガキ連れてここから出ろや」
「な、なにいって……」
「だから、こいつらが放火犯かどうかを確かめてやるんだよ」
「そ、それは私たちが!」
納得いかない様子のエステルだが、アガットは早々に切り上げるとレイヴンたちに向き直る。
「おいお前ら、なにやってんだ。ガキに手ぇ出すわ女に突っかかるわ」
「うるせぇ! あんたになんかに今さら」
ロッコは全てを言い終えることなく壁に背中から激突した。
「うわぁ、見事な拳……」
カイトは呆れる。それくらい鮮やかな殴り方と飛び方だった。
「すんません、兄貴! この通り!」
「ガキはちゃんと返すから!」
常人などあっさりと意識を手放すほどの衝撃。流石にに全員が怯えていた。そこからの見事な手の返しようには、呆れるしかない。
「クローゼ姉ちゃん!」
「クラム君!」
そしてクローゼとクラムは、やっと訪れた平穏に涙を浮かべ始める。
怯える男たちに、並々ならぬ雰囲気で仁王立つ赤髪の青年。感動の再開を果たしたような少女と子供に、状況についていけない準遊撃士たち。
「なに? この状況……」
全てを見比べて、カイトはポツリと呟くのだった。
ーーーー
結論を言えば、少年クラムの倉庫区画襲撃事件は解決を迎えた。クラムは遅れてやって来たテレサ院長と再会し、ルーアン市での二度目の涙を流した。
その時クラムはヨシュアと二人だけの会話を交わしたらしいが、クラムは元気な声で「男同士のやくそくだ!」と言うし、ヨシュアは意味ありげな微笑みを浮かべるだけで話してくれない。大方ヨシュアがクラムのことを励ましたのだろうが、カイトは男なのに仲間外れにされたと一人悲しく佇むだけだった。
カイトは共にマノリア村へは帰らず、またクローゼも残っている。二人は、少しでも事件の真相を知りたいという気持ちがあった。
図らずも放火事件の関係者となったレイヴンたちは、未だに遊撃士アガットの元で事情聴取という名の地獄を見せられていることだろう。彼らも自業自得と言えなくはないが、不運だったとカイトは少しだけ心の中で黙祷をしておいた。
「何でアガットが来るのよ!」
「いやあ、マノリア村から連絡が来てね。たまたま別件で来てたあいつを助太刀させたのさ」
遊撃士協会ルーアン支部。四人は報告のために足を入れた。エステルはアガットに対して良くない印象を持っているのか、報告が終わってからずっと感情が入った意見を受け付けから逃げられないジャンに向けて吐いている。
今でこそ二つ名がつくほどの凄腕遊撃士であるアガットだが、彼はレイヴンのリーダーを勤めていた時期がある。レイヴンが彼を兄貴と言ったのはそのためであり、その怖さを知っているからこその彼らの怯えようでもあった。そして、話は当時荒れに荒れていたアガットを遊撃士まで変えた人物に移ろうとする。
「そこまでにしとけっての。相変わらずよく喋りやがる」
「誉め言葉として受け取っておくよ」
そんなことをジャンが説明していると、当の本人が戻ってきた。
事情聴取に骨が折れたのか、自分の経歴を明かされたくないからか。アガットは、苦虫を潰したような顔をしている。
現在支部の一階には六人。中々の所帯だ。
「どうだったかい? 彼らは」
「結論から言えば白だな。火事の晩に酒屋で飲んだくれてたって言うし、酔った勢いじゃあんな周到な放火はできん」
ついでに度胸もないしね、とカイトは心の中で追加する。
「あんた昔の仲間だったからって庇ってんじゃないでしょうね」
「アホか。そんなことはしねぇよ」
相変わらず、エステルは彼のことが気に入らないらしい。
「じゃあ、結局犯人は誰が……」
「その前に。お前ら一つ重要なことを忘れてんじゃねえのか」
「へ?」
「誰がまた放火事件の調査をしていいって言った?」
「……へ?」
二度の、エステルの呆けた表情。その言葉にヨシュアは笑わずに目を細め、クローゼは困惑し、ジャンは「やってしまった」という表情で、視線を空中に泳がせる。
そして、アガットのとどめの一言。
「事件の調査は俺が引き継ぐ。お前らはここで手を引け」
一瞬の沈黙。
「な、なんですってぇー!?」
「納得できる理由を聞かせてもらえますか?」
対照的な反応を示すブライト姉弟。
その理由が知りたいのは、カイトもクローゼも同じだ。
「お前らは私情を挟みすぎなんだよ。そんなものを挟んじゃ判断力が鈍っちまう。レイヴンが犯人じゃねえのなら、悪いのは先に突っかかったあのガキじゃねえか」
彼の言うことも最もだった。倫理的な話ではレイヴンも悪いのだが、クラムの逆上に乗っかり彼らに痛手を加えたとも捉えることができてしまう。
「そのうえ……」
アガットは一歩乗り込むと、目的の人物に目を向ける。彼から距離をとったブライト姉弟を余所に、アガットはその首の襟を後ろからつかんで持ち上げる。
「お前まで首を突っ込んでるとはな」
「ど、どーもー。ははは……」
持ち上げられ宙に浮いたカイトは、苦笑いをするしかなかった。
両者は何度か面識があった。アガットはカルナと違い、特定の地方に拠点をおかず五大都市を渡り歩いている。そのためルーアン支部にも顔を出していた。
一度だけ戦闘の指南を受けたこともあった。それ自体は少年にとって有意義な時間ではあった。あったのだが。
「お前の場合は微妙だが……どのみち素人が考える問題じゃねえ」
「でも、俺は孤児院の人間だし……」
「なら依頼者だ。大人しく待ってろ」
エステルと同じく、カイトはアガットのこの実直な物言いを少々苦手としている。加えてアガットの持つ力とカイトの低身長低体重が相まって、彼が何かしら行動に出ようとすると首根っこを捕まれて持ち上げられるのがお約束となっていた。
「こいつの暴走もそうだが、一般人まで戦闘に巻き込みやがって」
ようやくカイトを解放したアガットは準遊撃士の二人にそう言い放つ。その一般人が自分であることを理解したクローゼだが、そこは責任を持つべき遊撃士ではないからか特に責めない。
「あんたが悪いんじゃない。こいつらのプロ意識の問題なのさ」
とうとう、誰もなにも言えなくなる。
「話は終わりだ」
燃えるような赤毛を持つ遊撃士は、若者たちの反論を燃やしつくしてからルーアン支部を後にしたのだった。
「な」
暫しの沈黙。カイトは元より、間接的にエステルとヨシュアが捜査をできなくなった原因であるクローゼは申し訳なさそうにする。
「な……」
ジャンは支える籠手の受け付けとして、ある程度話の流れは見えていたのだろう。口を挟むことは一度もなかった。
「な……!」
カイトは昔ほど辛くは言われなかったが、それでも事件をその目で確かめることができなくなった。悔しそうに口を真一文字にした。
「なんなのよあの赤毛揉み上げ男ーー!!」
そしてエステルが爆発した。辛うじて癇癪を起こした子供に見えなくもない。ジャンは手を添えながらよしよしと頭を撫でる。
「悔しいけど、彼の言うことは確かだ。反論できないのが辛いな」
「そりゃ私だってその通りだと思うし未熟者だけどー!」
一頻り大声を出したエステルは、今度は大人しく辛うじて聞こえるような声量で呟く。
「私だって……クラムや孤児院のみんなのために、何かしてあげたいのに……」
その気持ちこそが彼女がエステル・ブライトたる所以だ。真っ直ぐな、男女の垣根を越えて人を惹き付けるその心こそ、彼女が彼女たる所以だった。
だが遊撃士はそれだけでは足りない。今はまだ、彼女は未熟な見習いだった。
「あの、ジャンさん」
「ん、なんだいクローゼ君?」
けれどやっぱり、人には未熟な彼女を好いていく者がいる。彼女にしかできないものがあると、その気持ちに感謝している者もいるのだ。
「遊撃士の方というのは、民間の行事にも協力していただけるものなんでしょうか?」
「もちろん! 例えば、学園祭の警護にはうちが担当しているからね」
その言葉を聞いて、クローゼは曇っていた表情を輝かせる。
「エステルさん! ヨシュアさん!」
万を辞してその願いを口にした。
「よかったら……私の依頼を引き受けてくれませんか!?」
ーーーー
「それで、クローゼさん。学園演劇のお手伝いって……?」
メーヴェ街道を歩くクローゼ、カイト、エステル、ヨシュアの四人。しかしルーアン市を出発した彼らの行く先は、マノリア村でも孤児院跡地でもない。
向かう先は、クローゼが通うジェニス王立学園だ。
「はい。その主役をお二人にやっていただきたくて……」
昨日この四人での遊撃士協会からの帰り道でも話題に挙がったことだが、来週末にはジェニス王立学園の生徒が主体となって主催する学園祭がある。クローゼが言うには、学園祭の中のさらに目玉である演劇に、エステルとヨシュアの二人が必要なのだという。
学生の中に遊撃士がというのは少し疑問符も浮かぶが、何らかの形で子供たちを励ますことができるのならそれは願ってもないことだ。それに事のあらましを大まかに説明されたジャンは、快く承諾している。
「ふーん、そんなのも依頼にできるんだ」
「なんでもいいわよ、皆の役に立てるなら!」
カイトの呟きは、先程とは打って変わって決意に満ちているエステルの声に遮られる。
主役を二人にやってほしいという打診は、学生のトップとも言える生徒会長が持ち上げた話らしい。もちろん、それを話したのはクローゼだ。
主役の二人の女子は、剣術に精通している必要があった。一人はクローゼなのだが、それに匹敵する生徒は学園にはいない。
「確かに私はお父さんから剣術の基礎を教わってるから、何とかできるかも」
そしてもう一人……男子生徒が演じる主役があるのだが、クローゼ曰くこれはヨシュアしかできない役なのだという。
それも遊撃士特有の武術か何かなのか、ヨシュアは聞いてみる。しかし……、
「私の口から言うのは、恥ずかしいです……」
というクローゼの顔を微妙に赤らめた返事には、ヨシュアとそして同じ男であるカイトの不安を煽る効果しかなかった。
「な、なんだろう。凄い気になるんだけど」
「取りあえず言っとくよヨシュア。……頑張ってね」
その後和気あいあいとしながら辿り着く。
ジェニス王立学園は、海沿いのメーヴェ街道から少し奥地に入った森の中にある。そのためとても閑静で、学園の名の通り勉学に励むにはもってこいの場所だった。
「今は確かに静かですけど、授業が終わったらもっとうるさくなりますよっ」
クローゼは、楽しそうに教えてくれる。
「んー……入るか」
けれど敷地に入ろうとしたところで、唯一カイトが足を止めて呟いた。不思議がったブライト姉弟は振り向き、クローゼは神妙な面持ちで少年を見た。
「カイト、ジルにも会おう。久しぶりでしょ?」
「分かってる。どのみちまた来るんだ、頑張らないと」
カイトはわざとらしく跳び跳ね、やっと足を学園の地に着けた。
「カイトは、前からあまり学園に入ろうとしないんです。去年の学園祭の時も来なかったし」
「何か理由があるの?」
エステルは聞く。聞かれたカイトは、自嘲気味に答えた。
「オレ……帝国のことが嫌い、でさ」
その感情が生まれたのは、カイトが六歳になろうかという頃だった。少年が孤児になった原因である百日戦役。大好きだったお父さんとお母さんを奪ったのが、当時のカイトが考えもしなかった北の大国、エレボニア帝国だと知った時。力のない幼い子供は、憎しみの感情を抱いてしまった。
それは今でも残っていて、本来罪のない者にも向かれてしまっている。
「分かってるんだ。だからって学園にいる帝国出身の人が悪いわけないって。でも……」
どうしても思ってしまう。頭では分かっていても、考えるだけで心に暗いものが宿ってしまう。だからこそ、少年は今まで殆ど学園に来たことがない。
「けど、いい加減に直さないとな。遊撃士になるんだ、そんなこと言ってらんない」
だから、今はここに足を踏み入れる。その気持ちを理解しているクローゼは元より、ブライト姉弟も優しく笑う。
「それじゃ、行きましょ!」
「誰にでもそういうことはある。自分から立ち向かおうとするカイトは偉いよ」
「ありがとう。んじゃ、行こう!」
力強く励まされ、少年は一歩を踏み出したのだった。