心の軌跡~白き雛鳥~   作:迷えるウリボー

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17話 出会いと予兆~緋の帝都~②

 昼下がり、帝都を走る導力トラムの中。少年遊撃士カイト・レグメントと依頼人の少女アリスは、二人揃って目まぐるしく変わる帝都の街並みを眺めていた.

「それじゃ、探し物は袋なのか」

「うん。大体二十リジュ四方の箱が入っているの。元々鞄にかけていたんだけど、知らないうちになくしてしまって」

「鞄にかけていたって……改めて思うけど凄い荷物だね」

 彼女が現在持っているのは、二つの大きな肩掛け鞄だ。大きさはそれぞれカイトが背負っている鞄と同程度。カイトの鞄は大きさに比して機能性に充実したもので、各地を転々とすることが多い遊撃士の間で人気の逸品だ。それと同じ大きさの鞄が二つに加え、袋を所持していたとは、少女が持つにはいささか苦労するだろう。

「オレはリベール人なんだ。遊撃士の仕事で今帝国に来てて、それで鞄も大きいものにしているんだけど……」

 少女は遊撃士と言う存在に対し、嫌悪感どころか親近感に近いものを持ってくれていた。だからかカイトは、帝国に来て話した誰よりも苦をなく自分の経歴について話すことができていた。

「へえ、リベールから来たのね……」

 何を思ったか、アリスの表情が少しばかり柔らかくなったように感じる。カイトはそこに印象を覚えるも特に話を切ることなく続ける。

「帝都のことは詳しくないっていうし、アリスも外国人なのか?」

「いいえ……私は帝国人だよ」

 だがそんなカイトの予想は外れる。

「私の家は、ラマール州にあるの」

 少女が教えてくれる。ラマール州とは、帝都より西方にある領土だ。ラマール州で有名なのはカイエンという公爵家が治める『紺碧の海都オルディス』らしいが、アリスの実家はオルディス市からやや離れた位置にある中規模の街にあるらしい。

「へえ。だからこんな荷物を……」

 細かい事情は定かではないが、旅行と言えるほどの荷物を背負って帝都を歩いていたようだ。

「なら一つはオレが持っておくよ。女の子がこれだけの荷物、なかなか疲れるだろうからね」

「ふふ。ありがとう、紳士さん」

 男として女性に苦をさせるわけにはいかないだろう。こういった配慮は、ジンやヨシュアを見て学んだことである。

「じゃあもうそろそろ導力トラムも停まるし、探す場所を確認しようか」

「うん」

 帝都についたばかりの時、アリスは確かに自分が袋を持っていたことを覚えているという。しかし常々袋に触れていたわけでもなく、そうして意識していない時は持っていたかの確証がないらしい。ならば今まで訪れた場所をしらみ潰しにしていく他ない。

 喫茶店エトワールは先ほど確認したとして、他は以下の通りである。

オスト地区、旧市街の中古屋『エムロッド』。バルフレイム宮に続くドライケルス広場。ヴァンクール大通りのブティック『ル・サージュ』。マーテル公園の植物園『クリスタルガーデン』。そして、サンクト地区の女学院前。

「……こんなに移動したの? この帝都を?」

「今日一日しか時間がなかったの。滅多に来れない帝都だから、色々回りたくて……」

 アハハ、と似合わぬ乾いた笑いを出すアリス。本当はもう少し歩きたい場所があったらしい。カイトは心の中で嘆息してから質問を続ける。

「急げば何とかなるか。夕方の八時までには、列車に乗りたいんだよね?」

「うん。その時間が私の街までの終刻になるからね」

「そんな夜遅くに女の子一人を帰させるのも、親御さんに失礼な気もするけど……」

 導力トラムが減速。穏やかな振動を余韻にして停まる。

「まあいいや。ちゃっちゃか見つけよう」

 この短時間で、ある程度ではあるものの信頼を得ることができたらしい。敬語であることは変わらないものの、喫茶店での他人行儀とは違い親しみが込められた声色となっている。

 それぞれ持つべき荷物を持って、導力トラムを下りる。

 導力トラムが発進し、少年少女は辺りを見回した。

「ここは……オスト地区だったか」

 ヴァンクール大通りから少しばかり脇道――といっても充分道幅は広いが――にそれた、比較的人通りの少ない地区。見渡す限りの住宅、住宅、住宅に、所々階段があり上下の広がりを感じさせる。多くの帝都市民が暮らす居住区なのだろう。また居住区の上を鉄道が走っているらしく、その高架下にいる二人は時々聞こえる車輪の轟音に身を震わせてしまう。

「……ここは観光地というには、少しばかり違うんじゃない?」

「これはね、地元の友達が教えてくれたの!」

 幾分鬼気迫る迫力のアリス。確かここで訪れたのは中古屋だったか。ティータの機械好きやアネラスのぬいぐるみ好きように縁があるわけでもなさそうなのに、熱心に語るとは不思議な少女だ。

「新品じゃないけれど思いもよらない発見があるし! 帝国じゃ手に入らないようなものが沢山あるんだから!」

「わ、わかったわかった」

 目的地へ行く傍ら、少女はやたらと元気に語ってくる。それこそ最初の印象とは大違いな、年相応な元気さだ。クロスベルやらみっしぃやら聞き慣れない単語が聞こえてきたが、カイトが質問を投げ掛ける前に店に入ることになった。

「いらっしゃい」

「あ、いらっしゃいませー!」

 店内に入ると、まず二つの声が歓迎してくれる。最初は落ち着いた様子の、レジカウンターの椅子に腰かけた老婦人。次の元気な声は商品棚を整理しているらしい、カイトと同い年ほどの元気な長髪の少女。

 まずはカイトが声をかける。

「すいません、落とし物を探しているのですが……」

 事のあらましを説明すると、老婦人は柔らかな笑みを浮かべる。

「おや、覚えているよ。朝から訪ねてくれたしっかりもののお嬢さんだね」

「はい。先ほどはありがとうございました」

「それで、こちらに袋はありませんか?」

「そうだねぇ……ナージャ、おいで」

 老婦人は覚えがないらしい。それで、少年たち三人から離れていた店子の少女に声をかける。

 ナージャと呼ばれた少女は、カイトとアリスではないもう一人の客と何やら話し込んでいたらしいが、老婦人の呼び掛けに容易に応えてやってくる。

「はいはい、どうしたのお婆ちゃん」

「この子、覚えてるだろう。どうやら荷物をなくしてしまったらしくてね」

「ああ、今朝の! みっしぃグッズとか人形の騎士とか見てくれたアリスちゃんだ!」

 恐らく赤の他人であるにも関わらず、少女二人はきゃっきゃと再会を喜んでいる。

 確かエステルとクローゼも再会するとこれに近い反応を示していたような気がするが、こういうのは男子にはよく分からない感覚だ。

(それより、また『みっしぃ』が出てきたな)

 なんだそれ? と少年は一人疑問を巡らせる。

「これナージャ。お客様だよ」

「だーいじょうぶだよ。お店には今、知り合いしかいないんだし」

 その言葉の後、カイトの視界の端にいた客の肩が上下した。深緑の髪の客は溜め息を吐いたようだが、大人ではないらしい彼の心情は察することができる。

 のんびりし過ぎだろ、この子。

「それはそうと、荷物の袋だったね。確かにアリスちゃんは鞄に引っかけていたのを覚えているよ。それに私、店の掃除もしていたけど特になかったし」

 カイトはその言葉を反芻する。遊撃士手帳にかかれた中古屋の文字を×印で上書きする。

「そっかー……ここにはなし、と」

「ええっと、アリスちゃんと友達君はこれから行った場所を順に回るの?」

「うん……それでも見つからなかったら、公共機関に駆け込むつもりなの」

 と、アリスは少しばかり砕けた口調でナージャに伝える。ここでこれ以上情報を得ることはなさそうだった。

 こちらの話が終わるのを見計らっていたのか、もう一人の客が少女店員に声をかけてきた。

「ナージャ、少し来てくれないか」

「はいはーい、今いきますよー」

「この珈琲メーカーはいくらなんだ?」

「んーとね、五千ミラ」

「ごせっ!? ここは中古屋だろう!?」

「でも状態がいいからねー。ボンボンの息子なら意外と余裕でしょ?」

「僕は君と同じ平民だ!」

 仲がいいのか店員と客とは思えないような会話だ。住宅街の中古屋であるし、そういった距離の近さも、初見の入りやすさと言えるのだろうか。

「あ、そうそう。それと良ければ、もう一つ聞きたいことがあるんですけど……」

 ふと思いだし、何となしに『最近妙なことはないか』と聞いてみる。これは現在起きている遊撃士襲撃事件についての質問だ。

 依頼と違う類いの質問に首を傾げるアリスは別として、この場にいる他の人物には遊撃士であることを伝えるのを忘れていた。しかし老婦人は唐突な質問にも勘ぐることなく答えてくれる。

「そうさね……特にお変わりはないよ」

「そうですか、よかった」

「遊撃士を見なくなったから地下水道の魔獣被害が増えるかと思ったけど、それほどでもないしねえ」

「え? そうなんですか?」

 憲兵隊の人が頑張ってくれているのかねえ、とカイトにとっては寂しいことを言われたが、少々気になることだった。

 憲兵隊と聞いてカイトが思い出すのは、数日前に顔を会わせた鉄道憲兵隊とその副長クレア中尉だ。あれだけの統率力を持つ彼女が所属する部隊であれば、鉄道火災の時と同じように迅速な対応をとってくれるのも少し悔しいが頷ける。

 カイトは知らないが、実際のところ帝都における治安維持部隊は鉄道憲兵隊の他に帝都憲兵隊もある。だがいずれにせよ、気になったことがあった。

 今まで遊撃士が担っていた負担まで回ってきたのに、そう簡単にカバーできるものなのか、ということだ。

「……ありがとうございました。お店、また機会があったら寄りますね」

「私も、また通いたいです。ナージャさんにも宜しくお伝えください」

 二人揃って会釈をして、店をでる。カイトは次の目的地を定める。

「うーん、それじゃあ次はドライケルス広場……でいいかな?」

「うん、構わないわ。……それにしても」

 再び導力トラムに乗り込む。その際に、アリスは聞いてきた。

「さっきの質問は、どういうことなの?」

「ああ……」

 二人には分からないことなのだが、今日の帝都は人の数が多かった。少しざわめきが目立つトラムの中で、少年少女は立ったまま会話を続ける。

 カイトは少し迷ったが、自分が帝国を訪れた経緯を明かした。しかし不用意に巻き込んでしまうことを避けるため、最近の遊撃士襲撃ははぐらかして答える。

「……三ヶ月ぐらい前、帝国各都市の支部が立て続けに襲撃されたことを覚えてる?」

「うん、覚えてる。私の地元の街には協会支部はなかったから、あまり強い印象はなかったけれど……」

 遊撃士に嫌悪を示さなかったから予想はしていたが、案の定知人が被害を受けてはいないらしい。

「オレが帝国に来ているのは、その事件を調査するためなんだ」

「? それも依頼なの?」

 首をかしげる少女に、少年は困り顔になった。といっても、自分から蒔いた種ではあるのだが。

 初めて会った中ではあるが、不思議と先輩二人と同じような談笑ができるのは、導力トラムの中だからなのだろうか。

「あー……協会からの直々の調査ってところかな。街の人からじゃなくても、意外とそういう仕事があるんだよ」

「そうなの? カイトさんって、外国から派遣されるほど優秀なのね」

 そんな言葉には、少しばかり少年もにやけてしまう。

「いやいや、元先輩遊撃士からの、意地悪な新人研修みたいなものだよ。オレじゃなくて、他の先輩の方が優秀だからね」

「意地悪な……?」

「ああ。それは……」

 オレは帝国が嫌いだから。言いかけて、ハッとする。

 口にしかけるまで、頭の中からその思考が消えていた。

「それは?」

 返答を待つ少女。少年は背中に冷や汗が流れるのを感じる。

 これ以上は流石に口が滑りすぎだ。こんなことを言ってしまえば、導力トラム内の気温が急激に下がること間違いなしだ。仮にアリスがにこやかなままだとしても、その『帝国嫌い』の四文字を鼓膜に届けた帝都市民の絶対零度の視線を浴び続けることになるのははっきりと想像できる。

「……元々リベールで、チーム単位の大規模な調査をしていたからさ。それが急に先輩に呼び出されたもんだからね、ははは……」

 釈然としない様子のアリス。だが彼女が何かを言う前に、少年は無理やりにでも話を変えることにする。

「あ、そ、それよりもさ、もうすぐ着くよなドライケルス広場!」

「う、うん、そうね……?」

「よっしゃ、いくぞー!」

 少年はやたらと元気さを前面にして、降りる人々の先頭をスタスタと進んでいった。明らかに不自然に。

「……なんで隠そうとしたんだろうなぁ」

 そんな様子をついて行けずに見ていた少女は、ぽつりと呟くのだった。

 

 

――――

 

 

(なんで、忘れてたんだろう……)

 一目散に導力トラムを降りた少年は、後続の人々に衝突しないよう距離をとってから、疲れてもいないのに息を荒くし肩を上下させた。

 何故、自分の感情をすっかりと忘れていたのか。すぐに来るであろう依頼人の少女を待つ傍ら、考えるのはそれだった。

 帝国人のオリビエと出会ってからは思考の片隅に何処かに。帝国に来てからもルーレについた辺りまでは思考の中心に。常にどこかにあったもやもやとした感情が、気がついたら孤児院にいたころのように消え失せていた。たった今、思い出すまでは。

逆に言えば、ルーレについた辺りからはすっかり忘れていたということか。

 どうなっているんだ、と思う。晴れやかな気持ちをしばらく忘れていたからか、むしろ感情に戸惑っている自分がいるのだ。

 加えて必要以上にものを考えたからか、クローゼのことも考えてしまい落ち込む始末だ。

「今のは少し気になるかな、カイトさん」

 ややあって、アリスが降りて近づいてきた。

 勝負に置いて優位を確信したような含みのある笑顔。

「話したくないことなら、無理に聞かない。でもやっぱり、気になるけどね」

「あ、ああ……」

 印象通りあまり突っ込まないのは助かるが、少年はそれよりも自分の感情につられてしまう。

(……気になるな。でも、仕方ない)

 アネラスとも、ジンとも約束したのだ。登場する人物は違っても、揺れ動く自分の心と向き合い、自分だけの答えを見つけると決めた約束は変わらない。

であるならば、今の自分の心を忘れないようにしよう。そうとだけ決心して、少年は今の依頼に意識を向けようと息を吐いた。これでは、アリスに対しても失礼だ。

「それはそうと、ここは人が多いんだね」

「うん。『ドライケルス広場』。帝都でも有名な観光地となっている場所だから」

 二人揃って周囲を見渡した。

 言った通り、人が沢山いる。円状の噴水を中心に回る道筋の道路があっても、導力車が通ることはほとんどないらしい。アリス曰く、ここを導力車が通るのは催し物の際に皇族が導力車を使う時だけらしい。広場の名にふさわしく、疎らな位置に人々がいて各々噴水前で休憩したり、屋台を覗いていたりする。

 ドライケルス広場は、三か月前の事件でジェスター猟兵団による襲撃を受けた場所でもある。それは地下道ではあるのだが、大規模な襲撃を受けたのであれば注意すべき場所だ。

「それで正面に見えるのが、バルフレイム宮……おっきーなー」

「馴染みある帝国人、帝都市民であっても、この景色になれることはないの。……やっぱり、圧倒されるかな」

 口々に感想を漏らされる、赤く紅く、緋い巨きなバルフレイム宮。周囲を堀で囲まれているが、グランセル城のヴァレリア湖水と同じように澄んだ色だ。澄んだ水に優雅な白と違い、澄んだ水に勇猛な緋。そこに立つだけで身が震え戦くような、また違った趣がある。

 そして同様に近づいたところで、少年少女二人は一際大きな像が目に付く。

「これは?」

「獅子心皇帝と謳われる時の皇帝……『ドライケルス大帝』の銅像ね」

 スラスラと、淀みなく答えられた。偉大な皇帝を奉る宮前の銅像。察するに、帝国人であれば知って当たり前の存在なのだろう。

 アリスに、何故有名なのかと聞いてみる。返ってきたのは、いくつかの単語だ。

「帝国では、二百五十年ほど前に『獅子戦役』と言われる大規模な内紛があったの。それを調停し、現在の帝国を気づいた中興の祖と呼ばれる人物なのよ」

「へぇ」

「獅子戦役には色々な伝説があるの。大帝が挙兵した『ノルド高原』とか、良き協力者であった『レグラム』の『槍の聖女』とか」

「ほぉ……て、レグラム?」

 ここでは人の出入りが激しいせいか、屋台を除いては少女がいた時の人間はいなさそうだ。だからか、アリスの青空教室に不思議と耳が傾く。

「レグラムってどんなところなの?」

「レグラムね。あそこは今言ったように槍の聖女の伝説が語られる街なの。帝国における武の双璧と言われるアルゼイド子爵が住む街で……そういえば、たしかレグラムにも協会支部があったな」

「あ、そうなの?」

 今はジンが手にしているはずの、三ヶ月前の事件に関する資料。そこに、レグラムの文字はなかったはずだ。

 単に情報を把握しきれなかった、という可能性は、襲撃に抗った遊撃士にしては低いと考える。であるならば、レグラムは遊撃士協会がありながら猟兵団の襲撃は受けなかったということなのだろうか。

 それともレグラムを治めている貴族は武の名門というから、都市の防衛が徹底していたということか。

「帝国には、いろんな貴族がいるんだな」

 帝国人でないとはいえ、少しばかり間抜けな感想だったか。貴族の在り方について無知なその心境を察したか、アリスが数秒の無言の後に返事をする。

「……うん。カイトさんはリベール人だから、あまり貴族制度のことについては知らないよね?」

 ドライケルス大帝の像から離れ、人とぶつからないように注意しつつ複数ある屋台へ向かう。その道すがらにもカイトは「ああ……」と呑気な声を上げつつ、世間話は怠らない。

「確かにさっぱりだよ。この前は、ルーファス・アルバレアって人に会ったんだ。名のなる人だったみたいだけどさ」

「ぇえ!? あの人に会ったの!?」

 驚かれた。それも今まさに声をかけようとしていた屋台の店員の肩が上下にはねるほどに。

「え? そんなにすごいの?」

「えっ……だ、だって、あのルーファス・アルバレアだよ!? クロイツェン州を治める大貴族の!」

 もう一度落ち着いて聞いてみる。帝国を東西の次に大きく区分けすると、大貴族が治める四地方と帝国政府の直轄地である帝都およびその周辺都市に分けられる。その中の一つを治めるアルバレア公爵家は、語弊もあるだろうが帝国皇家の次に偉い位と言っても問題はない。

 それを頭の中に叩き込んだカイトは、今更ながら少々身震いする。それでも帝国で生まれていないカイトはアリスほどの驚愕はないのだが。

「そんな人と一緒に話したんだ、オレ……」

「本当に、大抵の人からすればびっくりするようなことだから。本当に」

 同じ言葉が二回出た。それほどの衝撃か。

「そうか……ルーファスさんのことについては肝に銘じておくよ」

「ルーファス『様』でいいくらいだと思うのだけど……ふふっ」

 最後に呆れられた後、可笑しく笑われた。

 閑話休題。

「それはそうとして……さあ、荷物を探すか」

「また急に話を変えられた……」

「いらっしゃいませー! アイスはいかがですかー?」

 少女の呟きなどなんのその。カイトは気を取り直して、屋台の店主である黄色の紙の女性に話しかける。

「ミックスジェラート、バニラジェラート、レモンジェラートなんかが人気ですよー。帝都散策のお供にどうですかー?」

「あ、すいません。落とし物を探しているんですけど……」

 アリスは先にこの広場を訪れた時、屋台の散策はしていなかったとか。それでも、この屋台の店主ジャスミンにとっては、アリスの存在は多少印象に残っていたという。

「ああ、今二人が持っている鞄を一人で持っていましたよね? だから、少しだけ覚えていますよ」

「ありがとうございます」

「でもすいません、荷物を持っていたかまでは流石に……」

 店主は困り顔になった。人通りも多いため業務に集中していたのだろう。むやみに責められるものではない。

「そうですか……」

「あ、でもその袋……」

 しかし、店主は少女から袋の特徴を聞いて思案顔をした。何事かとカイトが訪ねると、彼女は少しばかり気になる証言をした。

「同じような袋を男の人が持ってたのを見かけましたよ。多分ですけど、珍しい柄だったから印象に残ってて」

「そうなんですか。でもアリス、その袋はそんなに珍しいものなの?」

 アリスは、神妙な面持ちで頷いた。

「……珍しい、と思う。外国……で貰ったものだから」

 気になる情報をもらい、カイトとアリスは仲良くバニラジェラートを買って残る屋台を聞いて回った。しかし有益な情報はアイス屋の店主ジャスミンから聞いた情報だけだった。最も、それも今のところ気に留めておく程度のものではあるのだが。

 二人は次の場所――ヴァンクール大通りのブティックへ向かうために導力トラムを待つ。冬のアイス菓子の冷たさを堪能しつつ、次なる場所への行動指針を模索する。

ジェラートを食べ終えた段階で、ちょうど来た導力トラムに乗り込んで、今度は席に座りながら会話を再開させた。

 ヴァンクール大通りはドライケルス広場と直結しているため、歩きでもそれほど時間はかからない。証拠に、目的地へはものの三分で停車した。

大通りには武器商店、薬屋、食事処など、その店数は少し前にアガット班で見て回ったボースマーケットや王都のエーデル百貨店に負けない程だ。

 また、バリアハート支部受付のマルクスが言っていた帝国時報社もあった。リベール通信社と同じように国を代表するマスメディアだが、ナイアルやドロシーとは違い帝国の質実剛健を映したような空気が感じられる。

 そうして多少の散策をしつつ、最終的に目的地であるブティック『ル・サージュ』へ着いた。

「ここは帝国でも有名な服飾店なの。各都市にも支店があってここが本店なんだ」

「ほぉ~……」

 見渡せば男性用女性用、フォーマルなシャツやコートから洒落たパンツやドレスまで、多くのものを取り揃えているらしい。

「オレも職業柄頻繁に服がダメになるし、時間があればゆっくり見てみたいけど……今日はまっすぐ店員へ向かおう、だな」

「うんっ」

 店に入って一番最初に目についた店員に話しかける。

「いらっしゃいませ、ようこそ『ル・サージュ』へ。何かお探しですか?」

「実は……」

 例によって、三度目の落とし物に関する質問。

 よく教育されたらしい店員の女性は、利益のない質問に関しても親切に応えてくれる。そして三度目にしてようやく、少しばかり事が進みそうな返事を聞いた。

「あら……確かに落とし物の袋ならあります。ご確認されますか?」

「ほ、本当ですか!?」

「よろしくお願いします」

 アリスの声が跳ね上がる傍ら、カイトは落ち着いて返答を返した。少々お待ちください、という店員に促され、少しの間店内を散策。やがて店員は、それを持ってやって来た。

「お待たせしました、お客様。こちらで間違いないでしょうか?」

 それを二人して確認してみる。

 先ほどアリスが「外国で貰った」と言っていたが、確かに帝国にある――全ての、という訳ではないが――店が持つような雰囲気からは想像しづらい柄だった。黄色や青色や桃色といった色調が太い流線型を描いて時の色である白の上に集まるような可愛らしげなデザインだった。さらに、目立つように『百貨店タイムズ』の字があしらわれている。

「これで間違いないか、アリス?」

 念のため聞いてみる。当のアリスは、不可解な顔をしていた。

「確かに、外見の袋はあってます。けれど……」

 少女は店員の許可を得て一度それを持ってみる。そして一思いに中身の箱を見てみた。

「やっぱり……私が持っていた袋とは別物みたい」

 中にあるものは、想像以上に軽いものだった。アリスが口頭で教えてくれたものと同じような形ではあるのだが、その箱の中身が違うらしい。

「中に入っているものは恐らく装飾品……ブレスレットとか、ネックレスの類のものだと思う。私のものは、雑貨の類だから箱のデザインがこれと違うの」

 せっかく見つかったと思っていた袋は、別の人間のものだった。

「困ったな。せっかく見つかったと思ったけど違ったか……」

「うん。でも……」

 困り顔になったカイト。そしてアリスは思案顔となる。

「すみません、少々よろしいですか?」

 振り出しに戻りかけ、そしてまた順に帝都各地を歩こうと提案しかけたその時。少年少女の会話の成り行きを見守ってくれていた店員が、助け舟を出してくれる。

「実は、お客様方が来店していただく少し前、別の男性が来店されたのですが……」

 アリスが一人でこのブティックを覗き、試着室でいくつかの衣服の袖を通してから店を後にした、その数刻後。一人の男性が訪れたという。二十代半ばの青年、スーツ姿のその男性は銀色のアタッシュケースと、今少年少女が確認している袋と同種の物を持って現れたとか。

 いくつかの、女性用の衣服を物色し、しかし何も買うこともなく店内を後にした……と思いきや、数分後に血相を抱えて戻って来たのだという。

「その方は、『忘れ物をしたから店内を探させてほしい』とおっしゃったのです」

 別段怪しい人物でもなかったので、当然店員はその申し出を承諾した。そして男性は数分の時間を持って、店員に報告をした。「お陰様で、探し物が見つかりました」と。

「そしてその男性が報告と共に見せて頂いた物が、それと全く同じ外見だったんです」

「……つまり」

 もしアリスがこの場で荷物を置いてしまったのなら、その男性が荷物を取り間違えた可能性が高いということだ。

 さらに言えば、男性はなくしかけた荷物を『大切な人へ送る品』だと言っていたらしい。

「そもそも帝国では少ない外国産の袋。そして同時期に荷物を取り間違えた可能性もあって、おまけにこっちの中身はブレスレットやネックレス……」

 これはもう、確証がないだけでその男性がアリスの荷物を持って行ってしまったと考えていいだろう。

「私どももその場で呼び止められれば良かったのですが、この品を発見したのがつい先程だったもので……これから帝都庁の方へ届けようかと思っていたのですが……」

「なら、オレたちがこれをその人に届けますよ」

 どの道アリスの荷物を探さなくてはならないのだ。万一を考えて引き続き訪れた場所を探しつつ、その男性も捜索する。聞けば帝都でも珍しいスーツ姿だったというし、帝都を歩き回る必要があるのは変わらない。

「分かりました。ではこの品を預けさせていただきます」

 男性の品と思わしき袋を預かり、男性の身体的特徴も聴取する。その後一通り挨拶を済ませてから、少年少女二人はブティックを辞した。

 外に出てみると、相変わらず導力車の通りが多い。しかし人の数は、心なしか少なくなっている気がする。太陽も段々と落ちてきているようだし、少し急がなければならない。

「さて……次は捜索対象も増えたってとこか。残るはマーテル公園と、サンクト地区だね。もしかしたら、もう少し歩く場所が増えるかもしれないけど」

「うん。……その、本当にごめんなさい。何から何まで付き合わせてしまって」

「あはは、別にいいさ。オレは遊撃士なんだ、こういう依頼は望むところだからね」

 カイトが笑顔で答えても、申し訳ないような表情は抜けきらなかった。身にかかる善意を気を良く受け取れないのか、やや生真面目が目立つ性格なのか。

 ルーレでもファストから本筋とは別種の依頼を受けたが、彼は満面の笑顔で感謝を告げてくれていた。遊撃士は民間人の笑顔が力の源でもある。おこがましいようではあるが、ファストと同じように笑顔を返してほしいものだ。

 そこで一つ、思い至る。

「そういえば、今更だけど同い年ぐらいだよね?」

「え……私は十五になったばかりだけど……」

「オレは十六だよ。そんなに変わらないし、そんなにかしこまらなくてもいいって」

 この数時間だけをとっても、アリスの性格と言うものは多少なりとも見て取れる。普段は落ち着いた様に振舞っているようだが、実際は年相応に感情表現が豊かであるのがアリスという少女の姿なのだろう。所々気の強そうな――育ちのよさそうな――口調があったり、かと思えばカイトと変わらない言葉遣いを使うところが気になるが。意志の強い薄紫の瞳も、普段は快活さを表しているに違いない。

 カイトは実際――ほぼ同い年とはいえ――先輩であるエステルやヨシュアに対して敬語を解いて接している。また他の先輩たちに対しては敬語ではあるものの、親しみある態度は崩さない。逆に自らが先輩の立場だったとして、後輩から親しげに話されたとしてもあまり気にしないだろう。

「知り合いにもいるよ。すごく立派な立場にいるのに親身にしてくれて、なのに自分は立派じゃない、なんて悩んじゃう人が……って、ちょっと方向性が違うか」

 あははと笑いながら、なんとなくではあるが分かってきた。

 人から見れば必要の無さそうなことで悩む。そんなところは、自分が思い浮かべた姉とほんの少し似ているのかもしれない。

「自分で決めるのが立場なら、人から認められるのも立場だ。同じように、自分が駆けた迷惑は他人から見て必ず迷惑になるとは限らない……そんなところで、どうかな」

 自分がこう提案する一番の原因は、気持ちよく感謝されたいという邪な心ではあるのだが。

 それでも少なからず、自分も多くの人の足を引っ張る人間だ。そんな少年でもこうやって呑気に生きているのだから、アリスが悩まなくてもいいだろう。

 そんなカイトの善意? に、再びアリスは笑ってくれる。

「ふふ……ごめんなさい」

「ほら、謝るんじゃなくてお礼を言ってもらわないと」

「あ……んー……」

 ヴァンクール大通りにおける歩道のど真ん中で、少しばかり身を整えて、少女は小さく咳払い。

「ありがとう、カイトさん」

 よし、とカイトはまるで教え子の成長を喜ぶかのように笑う。

 落し物はまだ見つからず。少年少女の珍道中も、まだまだ終わらない。

 

 

 





最近、空や閃のファンブック、アートブックなどをアマゾンで購入しました。
くー! もっと早く手に入れてれば! というぐらい宝の山でしたね(笑)アリサをはじめとしたヒロインの可愛さよ

また昨日活動報告を更新したのですが、8~10月までの更新予定について報告させていただいています。
よろしくお願いします。

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