心の軌跡~白き雛鳥~   作:迷えるウリボー

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16話 軌跡の種子⑤

「まさか、こんなところで死にかけるとは思わなかったな」

 そう、ジンは誰に言うでもなく呟いた。

 魔獣が襲いかかってくる。これまでは十秒毎に援護されてきたカイトの魔法を、今度は満身創痍の状態でその何倍mのの時間を持ちこたえなくてはならないのだ。

 それでも、やるしかない。どの道やれることは、限られているのだから。

 多少の傷など覚悟の上で、ジンは魔獣に立ち向かう。

(ここまでの大事だ。これは今の帝国には、尋常でない爆弾が埋まっているな)

 考える。どんな可能性を捻っても、この魔獣の暴れようは異常事態だ。その原因は、間違いなく戦闘前に隠れていた何者かだろう。

 それが人為的に生まれた騒動なら、必ずこの状況を作りたかった理由がある。理由がない可能性は、一リジュたりとも考えてない。そんな女神の憤怒を買うような暴挙は、数年前に殲滅した史上最悪の宗教団体だけで十分だ。

 おおよそ敵と呼べるその存在は、確実に遊撃士を狙っている。これは帝国に来てからずっと聞いていたことだ。レイラとマルクスの証言、ミヒュトの情報、そして今の状況。三度も続く偶然はいつだって必然になり得る。きっと、敵は自分たちを付け狙い続けるのだろう。もしかしたら帝国にやって来たその瞬間や、あるいはルーレに向かうまでのどこかで、やつらの網に引っ掛かっていたのかもしれない。

 ……といって、このままおめおめとリベールに戻ることはできない。これだけの喧嘩を吹っ掛けられて、平気でいられるような人間ではないのだ、自分たちは。

 だからこそ、これからの旅路はより困難なものになっていく可能性が高い。未だ訪れていない都市で過去の遊撃士協会襲撃事件の顛末を調べながら、現在の遊撃士襲撃事件を解決に導く。しかも、敵のみならず民間人さえも自分たちに敵意を抱くこの帝国で。

 危険度はリベールより少ないだろうと言ったカシウスの説明は、今となっては乾いた笑いを生むだけだ。下手をすれば人数が少ない分、あちらよりも(たち)が悪い。

 ……いや、もしかしたらこれもカシウスは読んでいたのか。カシウスが三ヶ月前の事件に結社が関わっていると言った時点で、これは必然だったのかもしれない。自分と二人の後輩を選んだ意味はある程度予想ができる。それはカシウスやジンが、後輩に対して願っていることでもあった。

 だとすれば、やはりカシウスはこの帝国で蹴りをつけろと言っているのだ。

(『借り』程度じゃ割に合わないな、これは。数十年ものの酒を用意してもらって、エルモ村で共に湯に入らにゃ割に合わない)

 戦場に似合わぬ含み笑いを浮べる。

 あまり使うことのないゼロ・インパクトを即興で放ったのは、普段穏やかな彼の、苛烈な覚悟の表れのようなものだった。

 一つ隣の王国では、結社が――自分の兄弟子がその脅威を振るっている。そして今この帝国では、謎の敵が――カシウスの予想が正しければ結社と浅はかならぬ縁を持つ何者かが遊撃士を貶めている。

 王国も帝国も、どちらも結社と言う存在がちらついている。そして結社には、絶対に勝たなければならない兄弟子がいる。

 長い時間、ジンはカイトを守り続けた。傷だらけになりながら守って、それでも生命力は衰えない。

「リベールでもエレボニアでも……好き勝手にはさせん!!」

 その怒気は今までで最も破壊に満ちていて、思わず魔獣も立ち竦む。

 事の経緯を考えていたことも相まって、感じる時間は本当に永かった。けど、それも、それは永遠ではない。

 アネラスの孤高の踏ん張り、ジンの一世一代の覚悟、そしてカイトの新たな力。それぞれが巧みに噛み合って、ついにその時がやって来た。

「アネラス、引け!」

 ジンが叫ぶ。それは視界の端に捉えていたカイトの蒼色の波動が、ついに収束したからであった。先ほどまでカイトが使用していた初歩的アーツのような、薄色で単調な波ではない。濃く、そして風に舞い上がる花弁のように複雑に入り乱れる――最上位のアーツに迫る独特の波状だった。

 アネラスが力を振り絞って、ジン・カイトのいる場所への道を無理やりにこじ開けた。それによって多少魔獣の攻撃を喰らうが、意に介さず一目散に開いた道を駆け抜ける。

「出来る限り、魔獣どもを一か所に集めるんだ!」

「はい!」

 先輩二人の掛け声と同時、魔獣の群れの中、何の脈絡もない四つの地点から間欠泉のように水が吹き荒れる。その近くにいた魔獣たちを手早く撃退した。

 そして、水が独りでにそれぞれの地点へ収束、そして四点の中心へ水刃となって衝突。刃に触れた魔獣の体を、いとも容易く切り裂いた。

 四つ水が収束して巨大な水塊に。圧縮されたそれが、地面すれすれを覆う膜のように螺旋状に拡がっていく。

「……グランシュトローム」

 先輩方に告げるでもなく、かといって格好をつけるでもなく。ただ単に、純粋にその現象を少年は呟く。

 それが契機であったかのように。足元にしかないはずの水膜が巨大なうねりをあげて、渦潮を作り出す。膝下ほどの高さであっても魔法現象であるそれは、圧倒的な力を持つ津波のようだった。小型の魔獣はもとより、この場において大きな体躯を持つガザックドーベンでさえも耐えきれずに渦の中心へ流されていく。

「今です! 止めを!」

 初めての大規模アーツの代償か、ふらつきながら、それでも力強く叫んだ。

 魔獣たちは絶命こそしていないものの、阿鼻叫喚の様子だった。残る二十匹程度、ほぼ全ての魔獣が一ヶ所に集中している。

 再び放たれた雷神掌と光破斬。最後の気力を振り絞った一撃は、寸分の狂いもなく命中し……。

「やれやれっ、手こずらせてくれたもんだ」

「我が剣は無敵……なんて言う気力もないよ……」

「でも……オレたちの勝ちだ」

 残る数匹が恐怖のせいか、一目散に逃げていくのを見届けた。遂に、魔獣を殲滅できたのだ。

 三人は合わせたように大の字になって倒れ、大きく息を吐くのだった。

 

 

――――

 

 

 まだまだ息は荒い。洞窟内にいた殆どの魔獣を殲滅したから心配はないだろうが、それでもさすがに疲れすぎた。

「も、もうダメですー……」

「……オレも」

 もうかれこれ五分は肩で息をしながら横たわっている。乱戦で火照った身体に土の地面は嫌に冷たくて、少年は身を起こせと誰かに言われない限り動きたくないと思った。

「……二人とも、あの乱戦をよく耐えたな」

 少し前に身を起こしたジンは、それでも胡座をかいたままだ。

 労いの言葉に、カイトは嬉しさよりを感じるよりも大きな衝撃を思い出していた。

 ジンやアネラスのように身体を張れなかった申し訳なさ、それでも精一杯戦ったという充足感。いろいろあるが、新たに得た力への戦きが強い。

 凄まじい力だった。己のすぐ内から湧き上がってくる奔流は、今まで使用していた下位アーツや前世代のそれを遥かに越えている。

 水爆、水刃、そして渦潮の大津波。例え戦術オーブメントを媒介にしたものであっても、確かに自分が行使したそれは、結社やあらゆる敵に対抗しうる一つの手段となる。

「でも、もう、しばらく魔獣はこりごりです……」

 とはいえ、今は休みたいのも事実だったが。

 ようやく息が整ってくる。今度はアネラスが身を起こした。

「ジンさん……あの魔獣たちの様子は、どういうことだったんでしょうか」

 それはアネラスのみならずカイトも問い質したいことだった。帝国遊撃士協会連続襲撃事件を調べていた自分たちは、どういうわけかいつの間にか襲撃されていた。三ヶ月前の事件は当に解決しているはずなのに。

「言いたいことは色々あるだろうよ。俺もあるからな」

 ジンはその胸中を正直に明かした。少なからず先輩の判断を仰ぎ、それを指針としていた後輩二人は、落ち着いてはいても戸惑いを隠さないジンの言葉に不安を覚える。

「まずは、何とかルーレに帰って身体を癒そう。これからのことを話し合うのは、身の安全を確保してからだ」

 ジンの、容赦ない一言。アネラスとカイトは、目線を落として頷くのだった。

 それから三人は残された回復薬を適度に消費して、出来る限りの戦闘を避けて下山した。鉄鉱山の出口で再会した作業員には心配されたが、魔獣を討伐したという事実だけを伝え、念のため奥には進まないよう釘を刺してから別れるのだった。

 ルーレ市に到着したのは、昨日飛行船が到着したのと同程度の時間帯で、連日の忙しさに三人は揃って溜め息をつく。

 手短に宿を取り、教会で回復薬を買う。さすがにもう歩く気は起きなくて、宿の主人の好意で頂いた軽食を手に部屋へと戻る。

 一度浴室で汗を流し、三人は再び一つの部屋へ集合した。

 そして話題に挙がるのは、当然ながら数時間前の魔獣の群れの存在だ。

「――そんなわけで、これからの調査は一筋縄ではいかなくなるだろうな」

 ジンは、戦闘中に至った己の胸中を明かした。

 これはもう、完全に事件と呼ぶべき事象であること。外部――民間人や軍人の助けはあまり期待できない中で、起こりうる被害に備えなければならないということ。

「ここからは、リベールで調査しているエステルたちと同じような危険がつきまとう。それに自分たちを付け狙う分だけ、執行者を相対するのと同等か……下手をすればそれ以上の危険な状況に身を置くことになる。それを踏まえて……まずは何をする?」

 ジンのみならずカイトもアネラスも、リベールへ戻るという選択肢はなかった。あちらはあちらで危険があるのは変わらないし、何よりこの場で逃げるつもりはない。

「でも……オレたちはまだ敵が何者なのか、どんな目的をもって襲ってくるのかを知りません」

 カイトがそう言えば、アネラスが唸る。

「確かに、何も知らない私たちは不利すぎるよね。でもレイラさんやマルクスさんも、襲撃があるっていう事実は知っていてもその全容を知らなかった。殆ど、今の私たちと同じ状況なんだよね」

 そこで、ジンが言った。

「そうだな。だが俺たちには、一人だけ当てがある。力を貸してくれない民間人でも軍人でもなく、遊撃士襲撃を経験していて、それでいて頼ることのできる人物が」

 それは、三人とも気づいていた。思い出すのは、バリアハート、トリスタ、ルーレで得たいくつかの証言だ。

『……トヴァル・ランドナー。帝国の遊撃士を頼りたくなったら、彼に会いに行くといいよ』

『トヴァルっていうんだよ。その兄ちゃん遊撃士は』

『昨日、ルーレで遊撃士が負傷した』

 レイラがただ一人挙げた、今この時に遊撃士協会帝国支部を再興させようとする、現状に立ち向かう馬鹿者、トヴァル。彼ならば、平行線から脱することができない自分たちの推理を手助けしてくれるのではないか。

「ドヴァンスさんが言うには……レグラムという街に向かったんですよね」

「うん、確かにそう言っていたね。バリアハートよりも南って言っていたけど」

 アネラスが、自分の鞄から帝国の地図を取り出した。

「バリアハートより南…………あ、あった」

 その地点を指差す。地図の上なら一瞬だが、結局は来た道を戻ることになる。ルーレから帝都ヘイムダル、トリスタ、ケルディック、バリアハート、そして最後にレグラムだ。

 ジンが、付け加える。

「それと、先に帝都ヘイムダルにも寄っておこう。当初の予定通り調査を済ませておきたいからな。それにもし帝都支部が機能しているなら、そこでトヴァルのことを聞けるかもしれん」

 帝都支部は三ヶ月前の事件において、最初に、そして大規模に襲撃された支部だ。支部残存については可能性が低いが、経由駅なのだから一縷(いちる)の望みにも賭けてみるべきだろう。

 やるべきことは決まった。一つは帝都ヘイムダルでの当初の調査の続行。そしてもう一つは、遊撃士トヴァル・ランドナーとの合流。

「改めて……よろしくな、二人とも。高難度のこの事件の解決。誇張でも激励でもなく、仲間として頼りにしているぜ」

 ジンの音頭に、決意を込めた笑顔で二人が頷く。

 帝国遊撃士無差別襲撃事件。その調査が今、幕を上げた。

 

 

――――

 

 

 その後。

 カイトたちリベール王国調査隊が決意を新たにし、そして就寝してから一時間後。

 近代化した都市というものは、いつものことながら光を纏う時間が多いものだ。リベール王国のツァイス市しかり。まだカイトが知るよしもない、とある二大国の緩衝地しかり。そして黒鉄の綱都ルーレしかり。

 ルーレに存在するRF社は摩天楼のごとく二十階を優に越える階層で、それは西ゼムリアにおいて五本の指に入るであろう。正しく人類の叡知の結晶だ。

 まるで星が降りてきたかのような人工的な灯りは、ルーレ市内のみならず周辺の街道にも穏やかな灯りを提供してくれる。

 今。微かに周囲が見渡せるルーレ街道の片隅に、一人の男が悠然と佇んでいる。

「…………」

 未だ口を一文字に閉じる、角ばった眼鏡に少々の無精髭を生やした長身の男。彼は目を閉じていて、揺れる木枯らしの音を聞いているようだった。

 片方の手には、無造作に握られた笛。日曜学校で子どもが遊ぶような、あるいは音楽家が用いるにはとても似合わない、宵の街道にあって辛うじて灰色だと分かる色調だ。

 男は目を開いた。それで堅物そうなつり目が顕になって、茶と灰色の学者のような服が彼の印象を決定付ける。

 男はまだ、悠然と佇んでいた。見上げるRF社とルーレ市の全容、そこにいるはずの標的を人知れず品定めするように。

「どうだ? 彼らの実力のほどは」

 眼鏡の男の後ろから、くぐもった声が聞こえる。辛うじて男で、そして声変わりを経た者であるというのが分かる。しかしそれ以外は何もわからなかった。若者のようにも年老いているようにも。怒っているようにも悲しんでいるようにも、楽しんでいるようにも聞こえる声だ。

 眼鏡の男は返す。

「それなりの腕を持つようだな。多少なりとも力を削げればと思ったが、魔獣だけでは足りなかったようだ」

 言いながら、問いかけてきた男を見返す。

 問うた男の顔は見えない。その頭部は漆黒の仮面に覆われており、顔面においても光沢のある緋色の面があり、その素顔を伺うことは出来ない。眼鏡の男と並ぶほどの長身。歪なストライプが入った漆黒のマントを身に纏った彼は、いかにも闇夜の住人と呼べるような出で立ちだ。

 仮面の男は「そうか」と、一言だけ返す。それが気に食わない、という訳ではないが、眼鏡の男は間髪入れずに聞く。

「あの場で始末する、という選択肢もあったのではないか? 少なくとも弱くはない者たちだ。これから先、脅威にならないとは言い切れないだろう」

 仮面の男は返す。

「彼らは遊撃士だ。たった一つの縁の違いで、彼らともその目的を共にする機会があったかもしれない。……違うか?」

「それは……」

「彼らは排除すべきであるが、それが目的ではない。加えて彼らは国外の者だ。下手に死者を出して弔いに遊撃士を集結させてしまっては、それこそ逆効果と言うものだろう」

「……」

「成すべきは追放だ。早めに薄汚れたこの国から逃れてもらうことが、我々にとっても都合がいい」

 眼鏡の男は腕を上げて手を肩まで持っていき、やれやれと首を横に振った。それでも微笑を浮べているあたり、仮面の男の言い分に納得しているようだった。

「わかった、その方針に従おう。だが彼らは、曲がりなりにも魔獣の群れを掃討したのだ。こちらもそれなりの覚悟を持たなければならないな」

「問題ない。同志たちには士気を上げてもらう必要があるが、幸いにも今は協力者がいるのだ」

「……例の猟兵団か。あちらは報復が目的だと聞いているが」

「そうだな。だから精々、我々の傀儡になってもらうとしよう」

 互いの正面に立っていた二人の男。仮面の男が歩き始め、やがて二人は背を向け合うことになる。そして、背を向いて一アージュの距離で立ち止まる。

 仮面の男が口を開いた。

「彼らは帝国の各都市を訪れているようだ。先日の作戦の数刻前にトリスタを発ち、帝都で直接ノルティア本線へ乗り換えたらしい」

 その情報に、眼鏡の男の口がゆがむ。

「ならば恐らく、次の目的地は帝都か。そこでもう一度、仕掛けることになるな」

「……必要があれば私も出向こう。彼ら遊撃士たちには、一度彼ら自身の存在意義を聞いてみたいものだからな」

「ふふ、違いない」

 その言葉を契機に、二人の距離は離れていく。

 仮面の男が言った。

「作戦……と言えるほどのものでもないだろうが、成功することを祈っている。同志G」

 眼鏡の男が返した。

「もちろんだ、同志C。全ては……」

 そして続けた。それまでのどんな時よりも強い、怒りの感情をあらわにして。

「あの男に無慈悲なる鉄槌を下す、その瞬間を迎え入れるために」

 

 

 

 

 





動き出す者たち。翻弄される遊撃士たち。
次なる都市は帝都ヘイムダル。
そこで少年は、正と負の出会いを果たす。

次回は17話「出会いと予兆~緋の帝都~」です。

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